⑧陀羅尼ヴィムクティ『封印指定人間災厄』
●秋葉原ダイビル
『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』
これは女性の美しい姿を形容した言葉であるが、元々は生薬の用い方をたとえたものであるという。
立てば芍薬は、気の立っていることを意味し、芍薬によって改善される。
座れば牡丹は、座ってばかりいる女性を意味し、腹部の血液が濁った状態であり、これを改善するのに牡丹の根の皮が用いられる。
歩く姿は百合は、心身症のようにナヨナヨと歩いている様を心身症に見立て、百合の球根によって用いる。
このようにそれぞれの症状似合わせた生薬を用いることで健康になる、ということだ。
だが、薬とて転じれば毒。
体に良いからと、そればかりを偏ったままに体に取り入れることもまた不健康の極み。
であるのならば、劇薬をも上手く投じれば、状況の悪化を食い止めることができるだろうか?
「『リンゼイ・ガーランド』……! 馬鹿な! 一体誰が君を解放したというのだ!?」
連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』は驚愕していた。
今、彼の眼の前にいるのは本来ならば、ここに存在していてはならない者だったからだ。
そう、今彼の眼の前にいるのは。
「合衆国管轄の『封印指定人間災厄』である君を……!」
「お久しぶりです、先輩……」
驚愕する彼とは裏腹に『封印指定人間災厄』と呼ばれた人間災厄『リンゼイ・ガーランド』はレンズ越しの瞳を僅かに伏せた。
申し訳なさ、という感情が滲み出ているようだった。
「申し訳ありません、大統領命令で収容局側では拒否しきれず……私の√能力『ヴァージン・スーサイズ』で、戦線を混乱させよと……」
「君の√能力は無差別殺人。君に近づく者は皆、自ら命を絶ってしまう」
『リンドー・スミス』は彼女の能力を知っていた。
彼の言葉が真実であるというのならば、彼こそ真っ先に死なねばならなかった。
√能力者だから死後蘇生ができる。
であるから悠長に構えているのか。
否である。
「『女神クヴァリフの顕現』も予知されている今、民間人の過剰な殺戮は避けたい……やむを得ぬ。私は君の能力が効かない特殊体質だから、君は私が先導しよう。ついてきたまえ」
彼は失礼、と断ってから咥えていたタバコを改めて携帯灰皿に弾き入れた。
そのまコートの内ポケットにしまい込めば、こっちだ、と『リンゼイ・ガーランド』を視線でいざなう。
その姿に彼女は伏せた瞳を開き、静かに頷いた。
「ご迷惑をおかけします。よろしくおねがいします、先輩……!」
小走りで走るまでもない。
彼女が先輩と慕う『リンドー・スミス』はスマートにも、それこそ封印指定人間災厄であるにも拘らず、『リンゼイ・ガーランド』を一人の女性、否、淑女として扱っている。
その様、あまりにも紳士。
立ち振舞、所作、思想。
そのすべてが、『リンゼイ・ガーランド』のツボであった。
そう、『リンドー・スミス』は特異体質なのではない。
√能力『ヴァージン・スーサイズ』、唯一の弱点。
それは『リンゼイ・ガーランド』が好きな人には効かない、ということなのだ――。
●人間災厄
遠巻きに星写す黒い瞳が秋葉原ダイビル……『秋葉原荒覇吐戦』の中心部にて、彼女を見ていた。
亜麻色の髪が揺れて、 星詠みであるレビ・サラプ・ウラエウス(人間災厄「レッド・アンド・ブルー」の不思議おかし屋店主・h00913)は、√能力者たちに振り返った。
「ううん……なんとも融通の効かない能力、なんだろうね、あれは」
彼は、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』の恐るべき能力について予知したようだった。
どういうことだ、と問いかける√能力者たちに、大人の手のひら大の平べったい包を手渡す。
なんだこれは、と√能力者たちは思っただろう。
「『どっちも表コインチョコ』だよ。知らない?」
知らん。
というか、なんだそれは。
「文字通りさ。どちらも表のコインを模したチョコさ。甘いよ」
よくわからない。
なぜ、これを渡すのか。
レビは少しばかりも苦笑いすることなく√能力者たちを見ていた。
「いや何、彼女のるうーと能力はシンプルだ。すなわち、彼女に近づく者は簒奪者だろうと君たちEDENも関係なく、問答無用に『自殺』してしまうんだ。つまり、それは民間人だって能力の範囲に収まるということさ」
それは、あまりに強力がすぎる。
どうにもならないではないか、と√能力者たちは呻いた。
「その『どっちも表コインチョコ』のように本当にどうにもならないものなのかな。どちらも表デザインでも、必ず裏と表が存在する。一見すると表にしか見えなくても、必ず表が生まれた以上裏も生まれる」
つまり、と√能力者たちは気がついたかもしれない。
「花占いってあるのと同じかな。好き、嫌い、好きってね。でも『リンゼイ・ガーランド』の能力は違う。まあ、どちらにせよ、僕にも彼女の能力はどうしようもない。君たちができることは、自分の自殺を防ぐこと、それだけさ」
その方法は、それこそEDENと呼ばれる√能力者の数だけ存在していると言えるだろう。
故にレビは、秋葉原ダイビルの前に立つ封印指定人間災厄と呼ばれた、自殺の大鎌の刃へと自ら歩みゆく√能力者たちを送り出すのだった――。
第1章 ボス戦 『人間災厄『リンゼイ・ガーランド』』
『封印指定人間災厄』。
その言葉の持つ意味、剣呑さは言うまでもない。
√能力『ヴァージン・スーサイズ』は、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』の持ち得る恐るうべき力である。
彼女に近づいた者はもれなく『自殺』する。
他殺ではなく、自殺。
その意志がなくとも、自殺してしまう。
そういう能力なのだ。
そして、その能力は『秋葉原荒覇吐戦』においては、戦線を混乱させるに相応しい力でもあった。
「√汎神解剖機関の合衆国大統領とやらは、随分と酷いことをするな……」
秋葉原ダイビルのそびえ立つ高層ビルの有り様を見て、静寂・恭兵(花守り・h00274)は、小さく呟いた。
無差別に……簒奪者であろうと、√能力者であろうと、それこそ民間人すらも自殺に追い込む√能力を制御できない『リンゼイ・ガーランド』を野に放つことがどれだけの意味を持つかなど考えないわけではないだろう。
故に、酷いこと、と表現したのは彼なりの配慮だったのかもしれない。
「糾弾されても構わないと思っているのか、それとも糾弾される謂れもないと思っているのか……彼女は、望んでその能力を得たのか……」
呟く言葉に『リンゼイ・ガーランド』は視線を送る。
彼女が何かをする必要はない。
ただ、そこに存在している。
ただ、それだけで周囲に自殺衝動を生み出させる。
希死念慮。
誰もが人間持ち得る死への渇望。
大なり小なり持ち得る死への実感こそが、自ら命を断たせる。
彼女の能力は、それを否応なしに引き出すものであったのかもしれないし、増幅させるものであったのかもしれない。
思考が途切れる。
「投身……それは重力を利用した命の絶ち方。地球の重力は等しく私たちを引き寄せる。それは自然の摂理であるからこそ、それが最も確実だと生命に思わせるもの……」
聞くな、と恭兵は耳を塞ごうとしたが、思考が止まらない。
彼女、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』は、制御できぬ能力に対して、如何なる感情を抱いているのだろうか。
己が存在している限り、周囲に自殺を齎す。
誰もが彼女の隣にいることを許されない。
死んでしまう。
自らの周囲に山積する屍を見て、彼女は、と鬱屈とした感情が湧き上がり、自死への忌避感が薄れていく。
これが、と思ったときにはもう遅い。
「もし……その能力がどうしようもないもので、『リンドー・スミス』すら……いや」
「意味のない会話です。それは」
何故なら、と続けた『リンゼイ・ガーランド』の言葉を恭兵は聞けなかった。
己の腹を割きたい。
割腹自殺。
頭の中が、それ一色に染まる。
割腹自殺。
同仕様もない衝動。
割腹自殺。
死ぬだろう。間違いなく。臓腑を引き裂き、出血し、まろびてたるものを見て、己は生命を実感するだろう。
割腹自殺。
死ぬ。
死んでしまう。
だが、その割腹自殺という願望の亀裂に、相棒の顔を垣間見た。
嫌がっている。
忌避している。
それは、と恭兵は思っただろう。
「いやだな、それは」
痛みに耐える。
耐え難い痛み、けれど、同時に思うのだ。
「俺には帰りたい場所があるんだ」
√能力の発露に瞳が輝く。
引き出されたエネルギーと共に彼の肉体に死霊の邪気がまとわれ、『リンゼイ・ガーランド』に迫る。
肉薄する速度は、圧倒的だった。
彼女の隣に並び立つ自殺少女隊すらも厭わず、放たれる居合の斬撃にして絶技。
「|花閃葬《カセンソウ》」
自殺願望の染める思考の中に亀裂を走らせたのが、相棒の忌避の表情であったのならば、願ったのは、ただ一つの場所だった。
あの花の傍。
それこそが己の。
「俺には帰りたい場所があるんだ」
その言葉と共に血反吐が飛沫を散らす。
斬撃は『リンゼイ・ガーランド』の傍らにあった自殺少女隊を切り裂き、その切っ先でもって彼女を捉えたのだった――。
生物としての死とは何か。
無であることか。
それとも眠りに近しいことか。
しかし、その正体がわからずとも衝動だけが己が身に湧き上がる。
生存を希求しながら、その道程は必ず死へと繋がる。
故に、死を思う。
「どうしようもない衝動……か。ああ、それは」
よく似ている。
己もそうなのだと和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)は理解した。
「我もまた、そうだ。生きねばならぬ。何をしても、何があっても……例え、真逆の衝動に身を晒そうともな」
眼の前の秋葉原ダイビルの前に立つのは、封印指定人間災厄『リンゼイ・ガーランド』。
彼女がしたことといえば、ただ立っているだけだった。
何もしない。
だが、彼女を見れば、彼女に近づけば、それだけで己の内側から僅かにでも存在していた死を希求する感情が衝動的に膨れ上がっていくのを感じるだろう。
それこそが√能力『ヴァージン・スーサイズ』。
彼女に近づくものすべてを自殺に追い込む制御不能なる√能力。
自死の衝動。
生存のみを追い求めるる我が身においても、それは欠片とて残っていたのだ、ということを蜚廉は認めざるをえなかった。
地を這い、時を声、武を極めてなお、その生存の意志に欠片として残った死への希求。
生きているからこそ死へと向かう。
死こそが結末。
その先延ばしでしかないことを衝動が突きつけている。
掌に満ちるエネルギーを見つめる。
「穢れに染まりし掌にて、触れし力よ、我を嫌え」
伸ばした手は、見えない何かを握りつぶした。
「……死んでいませんね。ですが、無駄なことです。欠片とて、僅かでもあればあなたの心の内側から生まれるもの。であるのならば」
「それさえも払い除ける」
蜚廉は走った。
迫る衝動をかき分けるようにして、『リンゼイ・ガーランド』へと迫る。
希死念慮。
それは己には無縁かと思えたが、それでも彼女の√能力は問答無用であった。
放った黒銀の糸が彼女の身を拘束する。
「無差別なりし√能力……だが、拘束されれば、汝の力は蓄積されない、そうだろう?」
「ですが、こうしている間にもあなたは死を思う。思い続ける」
「汝の好きに放出はさせぬ。それだけでいい。これ以上の被害は、食い止めさせて貰うぞ」
「どうぞ、ご自由に。ですが、いいのですか? それでは、あなたの衝動はかき消せない。どちらを取るのですか? 自らの生命と、他者の生命」
その問いかけに、蜚廉は以前ならば己の生存を、と答えただろう。
今もそうだ。
「どちらを選びますか? 他者を思えば、あなたは死を思う。他者の生命とはすなわち、己の死を思うことと同義。故に人間は、自らの心を鏡としているのですから」
だが、黒銀の糸さえも死の概念から逃れられない。
『リンゼイ・ガーランド』は身を自由にしながらも動かない。
ただ、問いかけ続ける。
それだけでいいと言うように。
蜚廉は√能力を打消す力を込めた右掌を空に晒す。
「答えは、どちらも、だ」
他者の生命も、己の生命も生存させる。
己の手は、死すら忌避させるのだと言うように、彼は己が拳を『リンゼイ・ガーランド』に叩きつけた――。
「告白しなさい」
それはあまりにも場違いな言葉だった。
一瞬、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』は自分が何を言われているのかを理解できなかっただろう。
『秋葉原荒覇吐戦』、その中心部である秋葉原ダイビルの前に彼女は立っていた。
迫る√能力者たちの一撃を受けながら、それでもただ、立っていた。
何故なら、彼女の√能力は無差別だからだ。
ただ、其処に存在しているだけで自死への衝動が抑えられない。
それ故に名付けられたのは『ヴァージン・スーサイズ』。
どんな存在であれ、彼女を前にして自殺せずにはいられない。故に彼女は何もしなくてよかったのだ。
けれど、アマランス・フューリー(星漣の織り手にして月詠の紡ぎ手・h08970)が彼女に告げる言葉は、突飛が過ぎたように思えた。
アマランスは、毅然としていた。
自らに迫る衝動をなんとかおさえこみながら……いや、違う。
彼女の心に湧き上がっているのは自死への衝動ともう一つ……胸の高鳴りであった。
クールな表情を浮かべているが、その実、アマランスの胸中にて渦巻くのは、キュンであった。
なんだ、キュンって。
「何……何を?」
「告白しなさい」
二回言った。大事なことなので。
アマランスは、彼女を応援したいと思っていた。明らかに敵対しているであろう彼女に対して、だ。
打算的に言えば、彼女からの好感度を得るためである。
だが同時にアマランスも女性なのだ。
彼女の目から見て、『リンゼイ・ガーランド』は明らかに『リンドー・スミス』に惹かれている。
であれば、その恋を成就させたいと思う気持ちを無視できない。
自死の衝動と同じくらい、込み上げてきているものなのだ。
「直接会うのは初めてだけれど、私もこれでも羅紗の魔術塔に所属した星詠み。あなたの大体の想いは、星で詠めているわ」
「羅紗の魔術塔……私の想い……な、何をっ」
チョコラテイングレス。
すでにアマランスは、秋葉原ダイビルに近づく民間人の多く、その動きを止めて被害が及ばぬようにつとおめていた。
視界内に収めたすべてを停止させる√能力。
当然、『リンゼイ・ガーランド』もまた動きを止められている。
だが、問題はない。
彼女に近づくだけで自動的に相対するものを自殺に追い込んでしまうのが、『ヴァージン・スーサイズ』だ。
だからこそ、アマランスは指を突きつけた。
「告白しなさい」
三度目である。
「な、な、ななな、何を……! 私と、先輩は、そんなんじゃ」
「何を恥ずかしがっているの」
「そ、そもそも! 私は大統領からの要請で……!」
「国家の大事、確かに優先されるべきことかも知れない。けれど、『リンゼイ・ガーランド』、違うでしょう。違うわ。だからこそ、でしょう」
アマランスはズバズバと言い放つ。
その言葉はまっすぐだからこそ、正直な言葉だった。
偽りはない。
打算はあったかもしれないが、真心でコーティングされてしまえばいい。
「非常時だからこそ誰かを想う心は大切にしなければならないの」
だから、とアマランスは色とりどりの花を束ねた花束を手渡す。
「このお花を持って打ち明けるのよ」
「ち、違う……そんな、私、そんなんじゃ……! だ、だって、先輩に迷惑は、かけられない……! この気持ちは決して!」
好意じゃない。
だが、裏腹だ。彼女はアマランスの行動に、好意を抱いてしまっていた。それが僅か一瞬であっても、確かなものだった。
故にアマランスは自死を選んでいない。
衝動的な死に身を任せていない。
アマランスは、可愛げのある『リンゼイ・ガーランド』に笑む。
「さあ、とりあえず今は帰りなさい」
その言葉が届いたかどうかはわからないけれど、確かなことがある。
アマランスは、彼女の『ヴァージン・スーサイズ』を一瞬であっても無効化していたのだ――。
連邦怪異収容局、『リンドー・スミス』。
彼を慕う人間災厄『リンゼイ・ガーランド』。
その二人の関係性というものは、ただの先輩後輩の間柄ではないように思えてならなかったかもしれない。
それが例え、一方的な恋慕に過ぎなかったのだとしても、だ。
セシリア・ナインボール(羅紗のビリヤードプレイヤー・h08849)にとって、それは意外なことだったのかもしれない。
「あの『リンドー・スミス』に、ここまで慕ってくれる後輩がいたんですね」
その言葉とは裏腹にセシリアはどうにも居心地が悪い思いであった。
いや、正直に言うと、やりづらくなった、というのが正しいか。
とはいえ、だ。
この『秋葉原荒覇吐戦』の中心部、秋葉原ダイビルに√能力『ヴァージン・スーサイズ』を持つ『リンゼイ・ガーランド』を配置したのは、確かに√EDEN侵攻を阻まんとする√能力者たちにとっては厄介この上ない采配であると言わざるを得ないだろう。
彼女の能力は、他の戦場の簒奪者の能力と強力なシナジーというものを生み出す。
故に、合衆国大統領の要請によって、ここに来た『リンゼイ・ガーランド』は脅威と言う他ない。
「こうもなりふり構わないとは、連邦怪異収容局……いえ、大統領の暴走と見るべき、ですか。それは止めなくてはいけません」
羅紗の魔術塔を背負おうEDENの一人として、だ。
覚悟を決める。
だが、セシリアは上司の姿を認めて、なんとも言い難い顔をしたかもしれない。
なんとも言い難い、と言ったのは上司の言葉はストレートが過ぎたからかもしれない。
√能力によって想像されたのは、カスタネット。
死ぬかもしれない。
いや、死んでしまいたいという思いを|情熱的な楽器《カスタニュエラ》に変えて、打ち鳴らす。
「私もあの方を慕っていたので、私も貴方の気持ちはよくわかります、リンゼイさん」
「どちらでもかまいません。私は、ただここにいるだけでいいのですから。あなたはどうします? 投身自殺、というのならば、このビルの上からなら、確実に死ねますよ」
「いいえ、私は死にません。死ねるわけがない。貴方がそうであるように、慕う人のために奔走するのですから」
「何を」
「私もそうですから」
彼女の瞳は自死への誘惑を断ち切れずにいた。
それが『ヴァージン・スーサイズ』である。
セシリアも例外ではない。
だが、彼女は告げる。
「あの方も言っていましたが、まずはその思いの丈をぶつけるのがよいでしょう。例え、それが叶わなくても、想いは打ち明けられる時に打ち明けるべきです」
セシリアの言葉に『リンゼイ・ガーランド』は頭を振る。
「今がその時だとでも? 他人は、そうやっていつだって……そっとしておいてくださいよ。私が、ここにいる、その価値は、この制御できない√能力にこそあるんですから」
だから、とセシリアは己が手にしたカスタネットの音が悲しく響いたのを感じただろう。
彼女の心は頑なである。
戦いの場において、特にそれは顕著であった。
セシリアは、己の中に込み上げる自死の衝動を飲み込みながら、堪えるのだった――。
死を思う。
希死念慮。
人間は誰しもが、そうした危うい衝動を抱えている。
普通のことだ、と割り切る事が出来たのならば幸いであったことだろう。だが、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』の√能力『ヴァージン・スーサイズ』は、そうした自死への衝動を増幅させる。
簒奪者も、√能力者も関係ない。
民間人であれば、ひとたまりもないだろう。
彼女はただ、この秋葉原ダイビルに立っているだけでいい。
それだけで、彼女の周囲には多くの屍が積み重なることだろう。
「……僕の存在に、常に、傍らにある、ソレは……」
四之宮・榴(虚ろな繭〈Frei Kokon〉・h01965)は、胸の奥から湧き上がる自殺衝動をよく見知っていた。
知っている。
知っているということは、未知ではないということ。未知とは恐怖の対象である。だが、その未知を傍らに置き、自ら解するというのならば、未知は恐怖とに結びつくことはないだろう。
だからこそ、彼女は呟いた。
「……貴女様の想い人は、貴方様を、叱ってくれ、ますか?」
「勝手に邪推しないでほしいです。私のこの感情を理解できるのは、私だけなのですから。あなたは、どう死にますか? 投身はバリエーションが豊かですよ?」
『リンゼイ・ガーランド』の言葉に、榴は頭を振る。
「……そうだとしても、です。僕の|半身《相方》は、僕が……死のうとすると、怒ります……叱って、辞めろと……請われます」
「ですが、あなたには止められないでしょう。あなたの中にも自殺衝動はある。自覚していても、それを止める手段なんてない」
「……だから、僕は、今、ここに、いるのです……敢えて、言わせていただき、ます。貴女様も、しっかり……お伝えしたほうが、宜しいと……僭越ながら、申しておきます」
ちなみ、と榴は笑むでもなく頷いた。
「……ちなみに、死ぬだけの方法なら……僕の方が、きっと知ってますから……」
瞬間、彼女の体がインビジブルと入れ替わっていた。
眼の前に『リンゼイ・ガーランド』。
彼女に近づけば近づくほどに自死への衝動は膨れ上がるだろう。
毒は薬なるは、百も承知。
己の言葉が伝わるかどうかもわからない。けれど、届けようという意志がなければ、そもそも何もはじまらないのだ。
だからこそ、彼女は小さな花束を差し出す。
「鈴蘭……」
「……純粋なる思いも、願いも、それ自体が力を持つわけじゃない。伝えようとしない思いは、届こうともしない、ですから」
だから、と彼女は告げて、差し出した花束を『リンゼイ・ガーランド』が抱える様を見て、自分は届けたのだと確信したのだった――。
身を投げる、ということは遥か昔から自殺の代名詞とも言えるだろうか。
高所に身を投げる。
水に身をと投げる。
火に身を投げる。
いずれも死因が異なるだけであるが、身を投じることに変わりはない。
だからこそ、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』の言葉は、櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)には、特別響くものではなかった。
それこそ、己の胸に湧き上がる自殺衝動。
「死にたい、なんて何度思ったか」
わからない。
数えたこともない。
数えられたものでもないだろうが、その度に己の心が自己嫌悪に苛まれる。
わかっていたことだ。
実際に、死は己の心を救うものでもあった。
「あなたは、その救いを知っているのですね。√能力者だから、今、ここにいる、それだっけのことです。ですが、果たして、今度も死後蘇生する、という確証があると思いますか? 本当に死ぬかも知れませんよ? あなた自身が、それを望まないのなら」
「そうかもしれないな。けど、それも今更だ」
「どうしてです」
『リンゼイ・ガーランド』の言葉に湖武丸は、笑むでもなく頭を振った。
ある種の諦観があったのかもしれない。
確かに死は彼にとっての救いともなっただろうし、癒やしともなっただろう。
けれど、それは己の衝動に従った結果ではない。
偶然の、それこそ偶発的なものだ。
そして、今は『選べる』のならば、と彼は呼気を漏らした。
「何がおかしいのです」
「いやなに、俺はずいぶんと捻くれているんだ、と思ってな」
彼は口元を覆っていた。
「選ぶのは俺自身であって、誰かに促されるわけじゃない。周りからやれって言われると、やる気なくなるだろう。それだ」
「天邪鬼」
「鬼に変わりない」
√能力で引き寄せた霊剣の柄を握りしめた。
もっともこの場において殺傷能力の高い物体は、この霊剣であった。
悲しみと怒りの末に鬼と化した者を打ち倒した際に用いられた刀。
その刃を己に向けたい、と思ってしまう。
これが『ヴァージン・スーサイズ』。
わかっている。
だが、それでも湖武丸は踏み出していた。
衝動に身を任せることは簡単なことだ。であれば、簡単ではない道を選ぶのが正しい。
それは選択ではなくて、習性ですらない。
ただの直感だ。
故に己の希死念慮たる衝動を載せた霊力を『リンゼイ・ガーランド』へと振るう。
「でも、俺達ばかり|希死念慮《呪い》を受けてはつまらないだろう? 土産として俺の|呪い《気持ち》も持っていけ」
「そう、ですね。私にとって、これは、呪のような、もの」
振るう霊剣が呪の鎖となって『リンゼイ・ガーランド』に絡みつく。
彼女が攻撃を躱せることはなかった。
そもそも、これまで躱す必要もなかったのだ。
だからこそ、その鎖は彼女の身を縛り上げた。
「そうだ、これがお前に与える俺の気持ち、だ」
湖武丸はそう告げ、己が希求するものを抱えながら、それに抗うという道を征くのだった――。
忌避すべきことは多くある。
生きていくのならば、それを知ることが無知という名の恐怖を退ける力になるだろう。
肝心なのは、避けることではない。
それ自体と如何に向き合うことだ。
言い換えるのならば、上手く付き合っていくしかない、とも言えるだろう。
だからこそ、この胸に湧き上がる感情と衝動はまがい物ではないのだ。
少なくとも。
クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)にはそう思えてならなかった。
「死にたい、という想いそのものは、否定しない」
「であれば、どうぞ」
人間災厄『リンゼイ・ガーランド』は、その身を縛っていた呪の鎖を引きちぎった。
侍らせるようにして両脇に備えていた『自殺少女隊』と融合を果たしたのだ。
瞬間、クラウスの体が引き寄せられる。
彼女に近づけば近づくほどに√能力『ヴァージン・スーサイズ』は、クラウスの身に自殺衝動を膨れ上がらせる。
否定はしない、とクラウスは言った。
であれば、そのまま受け入れて死ぬべきだと『リンゼイ・ガーランド』は思ったことだろう。
だが、彼が手にしたのは剣の魔力兵装。
「これでもまだ自殺しないなんて」
『リンゼイ・ガーランド』は、クラウスに直接手をかけようとしていない。いや、そもそも、その必要がないからだ。
彼女に近づく者は、例外なく自死を選ぶ。
故に、彼女は他者を傷つける手段を必要としない。必要と在らば、今回のように引き寄せれば、それで勝負は決する体。
だが、クラウスは耐えていた。否。
彼の身には己の魔力兵装による傷が刻まれている。しかし、それは先送りだった。
つまりは、√能力。
「まだ俺は未熟、だけれど」
魔力のコントロールは成熟していない。だが、それでも彼は魔力兵装に魔力を茶ーーじしていく。
|月拯《ゲッショウ》と名付けられた√能力はチャージさえしているのならば、己が身に受けたダメージは先送りされるのだ。
故に、自殺に至る傷すらも彼は先送りにしていた。
「こうしているのは、命令なんだよね。君の力ではどうにもならない?」
「もう何度も何度も何度も何度も何度も! 試しましたよ……意味がない。私の能力は自動的。だから、あなたも身を持って知ったでしょう。これは、止められない、と」
「なら、力を以て止める。止めなければいけない」
解放された魔力。
月の光をまとった斬撃は、『リンゼイ・ガーランド』の身を打ち据える。
吹き飛ぶ体。
だが、同時にクラウスの体を襲うのは、普段抱える希死念慮とはかけ離れたものだった。
「でも、俺は、死ねない。民間人を助けなくてはならない。死んだところで……俺は、本当の意味では死ねない」
それは諦念であった。
同時に真実でもある。
胸に抱く諦念は、彼の歩みを止めない。
何故なら、彼は√能力者だからだ。Ankerでなければ、殺すことはできない。
そして、彼を殺しうる者は、もういない。
だからこそ、死は救済として作用しないのだ。彼が振るう月光は、もういない太陽の光を受けて、刃となって秋葉原ダイビルに奔るのだった――。
民間人を自殺させるわけにはいかない。
それは、アリス・アストレアハート(不思議の国の天司神姫アリス・h00831)の切なる願いであった。
人間災厄『リンゼイ・ガーランド』の持つ√能力は無差別である。
簒奪者であろうと、√能力者であろうと自死に至らしめる。
自殺衝動。
それを膨れ上がらせるのが『ヴァージン・スーサイズ』。
つまり、彼女は迫る√能力者たちに対して攻撃を仕掛ける必要がないのだ。ただ、立っているだけでいい。
足を踏み出すだけでもいい。
それだけで、彼女に相対した存在はすべて自死を選ぶ。
戦いにすらならない。
「『リンゼイ・ガーランド』さん、私は……貴女を傷つけたくはありません……」
アリスの言葉に『リンゼイ・ガーランド』は、頭を振った。
「そう願ったとて、私の『ヴァージン・スーサイズ』はあなたを自死に追い込む。お嬢さん、どうか死にたくなければ私の前から立ち去ってください。あなたが傷つけたくないと思っても、あなた自身があなたを殺す。そういう能力なんです」
彼女の言葉にアリスは頭を振った。
胸に溢れる自死への希求。
死にたい。
死んでしまいたい。
怨念のように体の中に産まれては蝕む衝動にアリスは抗う。
「――だって……私も、気づいてしまいましたから……」
「何に、ですか?」
「貴女の『リンドー・スミス』さんへの想いに……」
「ませたお嬢さん。それ以上は、ただの邪推ですよ」
「いいえ。私にもわかります。私も、大好きな人がいます……」
だから、とアリスは願う。
彼女の√能力。
|神聖竜詠唱《ドラグナーズ・アリア》は、神聖竜を顕現させる。
だが、それは敵を打ち倒すための力ではない。
困難を解決するために必要で、誰も傷つけることのない願いだけを叶える力。
今、アリスが願うのは、『リンゼイ・ガーランド』を打ち倒すことではない。
「お願い……誰も傷つかないように……周囲の衝動を……鎮めてください……!」
神聖竜は、周囲に存在する民間人たちを遠ざけていく。
√能力自体は無効化できなくても、その範囲内に近づけさせないことはできるのだ。
「私にも……貴女のお気持ちが……解りますから……私も、リンゼイさんのお気持ちを……応援してさしあげたいんです……」
「だから、私と先輩はそういうのじゃないんです!」
「だったら、なおさら、です……リンゼイさん……いまは、どうか……退いてください……」
そして、とアリスは告げる。
「リンドーさんに……想いを……打ち明けてみてください……」
その言葉が届くかどうかはわからない。
彼女がどう向かい合うのかも。
けれど、アリスは満足だった。
この周囲に民間人が近づくことはないだろう。
他ならぬ神聖竜が、誰も傷つけぬ願いを叶えたからだ。これで、自殺する者はいない。
それを阻止できたのだから、と彼女は、同じ想いを抱えるであろう『リンゼイ・ガーランド』の瞳を見やりながら、己が身に溢れる衝動と戦うのだった――。
彼女の語るところによれば、人は大切な居場所のために自然と身体が動くものなのだと言う。
それは彼女自身の特別性を象徴する言葉であったが、同時に誰もがそうではないということの証明でもあった。
彼女のように衝動を持ち得る者であったのならば、その言葉の意味が理解っただろう。
己もそうなのだ、と。
だが、誰しもが同じ衝動を持ち得ぬからこそ、『欠落』を得ることもない。
ルーシー・シャトー・ミルズ(おかしなお姫様・h01765)は、気さくに笑む。
「やっほ、綺麗なお姉さん」
呼びかけたのは、秋葉原ダイビルの前に立つ一人の女性、否、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』であった。
その言葉に彼女は片眉を釣り上げた。
綺麗だ、とルーシーは言った。
けれど、『リンゼイ・ガーランド』は己の顔の左側を押さえた。顔の左半分と右側にかかる皮膚の色が違う。僅かかもしれないが、それから人の意識を逸らすように彼女は大きなレンズの眼鏡をかけていたのかもしれない。
ルーシーの主観がどうあれ、彼女にとっては己の美醜に対しては、それほど自己評価が高いものではなかったのだ。
「皮肉ですか」
「そんなことないよ。そう思ったんだもん」
けれど、ルーシーはそう思ったのだ。
だから、そういった。
「誰彼構わず自殺させちゃうっていうのは、悲しいよねえ。どうにもならない、表と表。良く言ったもので」
「理解を示されたところで、止まりませんよ。あなたの中にも確かに自死への希求はあるのですから」
故に、彼女は動く必要がない。
ただ立っているだけでいいのだから。
「でもさ、ほら。あたしと遊ぶことはできるよ?」
ルーシーは己を示した。
まだ、死んでいない、と。
けれど、『リンゼイ・ガーランド』は息を漏らした。
「詭弁ですね」
「何時までも独りじゃあさ、ちょっと苦しいでしょ? ほら、チョコレートまであるよ? どっちも表チョコ。お姉さんにも見せてあげる。片面が、どうなると思う?」
瞬間、手にしていたチョコが一口サイズの青色クッキーへと変貌する。
それは|さくさくクッキー《サックサククッキー》。
彼女の√能力。
自殺衝動を増幅させる√能力『ヴァージン・スーサイズ』が攻撃であるとするのならば、彼女は『リンゼイ・ガーランド』へと肉薄していた。
「無駄です。私に近づけば近づくほどに、『ヴァージン・スーサイズ』は、あなた自身を殺したくなる。それは止められない」
「そうかも。だけど……ね、言ったでしょ。聞いてあげるよ?」
ルーシーは抵抗する。
だが、心の奥底から湧出する自殺衝動が彼女の手を自らの首に掛ける。
「窒息死。自らの手で頸動脈を圧迫。そうやってあなたは自殺をするのですね」
「カハッ……ハァッ。ハァッ……誰にも声をかけてもらえない、藍を向けてもらえないのは、きついもんだよ。愛されているから、死にたくなる。相反することは両立できない、わけじゃあない。シーソーゲームだよ、これ……だから」
彼女の瞳が√能力に輝く。
「お互い、腹割って話しましょうよ」
小型人形式の対人用精神干渉EMP、|Bal《バル》。
正直病をルーシーは『リンゼイ・ガーランド』に付与する。
ここからは、心からの言葉。
心と口とが直結する病。
「あたしも色んなもの失った、見殺しにした。だのに誰も、非難すらしてくれないんだ」
それが、彼女の自殺衝動の大元だというのならば、それはあまりにも優しい病である。
憂いに寄り添うからこそ、優しさだというのならば、それが彼女の首を真綿ように締め上げる。
「せめて、あたしが君を肯定したいのよ。その心が報われてほしいと思うし、√能力がなんだって、人間であることに変わりはないんだもの!」
「いいえ、私は人間ではない。人間の形をした別のもの」
それは心からの言葉だった。
諦念を滲ませたのではない。諦念に固まった言葉だった。
人間災厄。
人の形をした災厄。
それが彼女だ。人間扱いなど。
「ねえ踊りましょうよ」
アクセプターがが輝く。
お菓子と魔法と遊び心。
呼び込むは、デジタルモーションセンサー。
ルーシーの身体が変貌していく。
「今日のあたしは、ホイップクリームで、アキバチョコミックス! SELECT! まじょまじょまじょりんみらくるりん!」
すでにとびっきりの想いとお菓子と魔法はチャージされている。
そのために今迄自殺衝動をこらえてきたのだ。
踏み出した足は、アスファルトを粉砕して、破片を舞い上げる。
「……自殺衝動を、昇華させている……?」
「今のあたしは、お姫様だけど王子様。エスコートされる用意はいい? お姉さん」
そう言って伸ばした手を『リンゼイ・ガーランド』に伸ばして、手を取る。
「手を繋ぐことも、ほら、やってみれば案外悪くないでしょ?」
「……!」
抵抗などできるわけがなかった。
そもそも『リンゼイ・ガーランド』に戦う術は必要ない。
近づくだけで敵対者は自殺するからだ。
故に、ここまで近づかれて彼女はルーシーに対して何かができるわけではなかった。あるのは、自らの√能力『ヴァージン・スーサイズ』のみ。
「てがるにしあがるまじょりんぬ……|しあわせ《シアワセ》って案外簡単にやってくるものなんだよ」
ルーシーは笑む。
手を離して宙に身体が舞う。
『リンゼイ・ガーランド』は見ただろう。
好き勝手に、笑って、踊って、舞う彼女の姿を。
それを好ましく思ってしまった。一瞬でも、思ってしまった。羨望かもしれない。けれど、羨望は好意から生まれる。
好ましく思う心は、自身がそうではないという落差で羨望に変わり、妬みに変わり、嫉妬に凝り固まる。
けれど、この一瞬。
その一瞬だけは、好意はホンモノだっただろう。
「シンデレラには、女の子はいつだってなれる。掌の暖かさを忘れないでね!」
空中から放たれる蹴撃は、きらびやかに。
苛烈さはなく。
ただただ可憐に光を放ちながら、遅い来る自殺衝動さえも、きらきらと光に変えた――。
死とは生の終着点であるが、同時に隣に立つものである。
死とは特別なことではない。
そこかしこに転がっているものである。
生命が自らを守るためには、死とは必ず認識しなければならないものである。しかし、強烈すぎる衝動は秘めねばならない。
そうでなければ、その強すぎる衝動に生命は殺されてしまうだろうから。
故に、とゴッドバード・イーグル(金翅鳥・h05283)は鋼鉄の躯体で飛翔する。
眼下には秋葉原ダイビル。
その下には、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』が√能力者たちを前に戦い……戦いにも満たぬ攻防があった。
彼女にとって、戦いは意味をなさない。
何故なら、敵対者はすべて彼女を攻撃する前に自身を殺すからだ。
それが『ヴァージン・スーサイズ』。
彼女に近づく全てを自死に追い込む自殺衝動。
「眩しくも愛おしく。脆く、儚い」
それがゴッドバードにとっての生命というものだった。
滅亡の危機にひんし、死の気配を日常に纏う。
それでも懸命に生きる。
抗う。
その美しさにゴッドバードは、もしも自分に生身の目があったのならば瞳を細めたことだろう。
「わたしはそんな彼らをとても誇りに思います」
だからこそ、憧れる。
非情なる戦闘機械群に敗れ、悉く命尽き果てた同胞の屍を前に心折れて自ら命を断つ者たちがいた。
憧れたのは、一体なんだったのか。
これが希死念慮というものだと知識としては認識できている。
だが、ゴッドバード自身にも、湧き上がるとは思わなかった。電脳にエラーメッセージが明滅している。
夢にも思わなかった。
「くっ……俺の右手が疼く……ということはないんだけど、ちょっとヤバいかもわからんね……!」
そんな彼女の背で二階堂・利家(ブートレッグ・h00253)は呟く。
その言葉を聞いて、ふざけているのか、とゴッドバードは思った。幸いに、それがエラーメッセージを打ち消していた。本当にふざけているのか。
「いや、いやいや、本当にヤバいって」
利家は己の身に湧き上がる自殺衝動に抗おうとしていた。
自ら死ぬためには、Ankerを殺せばいい。
自らの手で自らのAnkerの命を断つ。それだけでいい。そうすれば、死ねる。だからこそ、己が乗るゴッドバードを破壊すれば、今、自分は落下して死ぬまでもなく、死ぬ。
死後蘇生の座標点を失う。
揺蕩うインビジブルの彼岸から戻ることはない。
それ自体に心が惹かれてしまうことが、否定できない。
「あの『リンゼイ・ガーランド』、無差別自殺とか、とんでもない能力を持ってるのは、確かに封印指定っていうだけのことはある……!」
無意識と意識。
彼女が己の危険性を理解して、『リンドー・スミス』を安全装置にしているのかもしれない。
だが、それは人の心の話だ。
測ることのできない何かがあるのかもしれない。
けれど、利家はそれどころではなかった。
「早く早く早く!! スクラップになちゃうよ!」
「少し黙っていただけますか。急いでいますから」
「いや、まじで!」
「今、私の中枢回路をハッキングして自爆装置のカウントダウンを解除しようとしています」
「うっそだろ!? え、俺載せながら自爆しようとしてた!? とんでもないな! いや、ええっと!」
「加速します。用意は?」
「いつでも! っていうか、もう無理!」
会話だけ聞けば、まるで高速道路でサービスエリアを探している時のような逼迫感である。
だが、実際には利家の√能力の発動までに自殺衝動に抗えるか、だ。
「|射出します《グッドラック》」
瞬間、加速したゴッドバードの躯体が横倒しに回転する。
当然、背に乗っていた利家は振り落とされる。
奇しくも、それは爆弾を投下するような動きだった。いや、事実、爆弾だった。
「無理心中ってな! こういう自殺の仕方もあるだろ!」
奥歯の起爆スイッチを利家は噛み砕く勢いで押した。
自殺衝動と攻撃を同時に満たす√能力。
利家は、『リンゼイ・ガーランド』が呼応するよりも早く己の身体を爆破した。
連鎖爆破。
炸裂する膨大な爆発。
それによって彼は叫んだだろう。
聞こえたかどうかはわからないが。
「|ジェロニモーーーーーーー!《特に意味はない》」
爆炎が上がる。
秋葉原ダイビルの玄関口。
その前に煌々と爆炎が立ち上っていた。その中心にいたのは、人間災厄『リンゼイ・ガーランド』であった。
彼女は、ゆっくりと立ち上がり、『自殺少女隊』と完全融合を果たして爆炎を凌いでいた。
√能力者たちの攻撃に対して彼女は防御ばかりをしていた。
何故なら、彼女に攻撃に出る必要はなかったからだ。
近づく。
それだけで彼女は√能力『ヴァージン・スーサイズ』でもって敵対者を自死に追い込むからだ。
「どんな過程をたどるのだとしても、結果は変わりません。生まれたのなら、死ぬ。ただ、それだけのことです」
それが生命というものだ。
だからこそ、飛翔して秋葉原ダイビルに急行していたエイハ・ルシニア(夜に詠う・h08969)は、自身の心に芽生えたものに戸惑いを覚えていた。
自殺。
それが己の中にある一つの概念だった。
自由意志を持ち得たナイチンゲール。
けれど、その心をまた別のものが曇らせていく。
「自由意志って厄介だね、自分で自分を殺せちゃうんだもの。機械のままであれば効かなかったんだろうなぁ」
エイハは息を吐き出す。
諦念が心を殺すのだと、改めて知ったことだろう。
けれど、エイハは空を見上げた。
広がる青空は、どこか燻って見えた。
「ま、いいよ、あたしは空を飛ぶだけだから」
込み上げる自殺衝動。
また強くなる。『リンゼイ・ガーランド』との距離が近くなっているからだ。
自分を自分で壊したくなる。
手が伸びる。
翼に。
機械の身体をコントロールする電脳がエラーメッセージを吐き出し続けている。
「やだ……! あたしはまだ空を飛んでいたい!」
それだけじゃあない。
今まではそれだけでよかった。
けれど、彼女の空は多くのもので穢されてしまった。それを多くの色で塗り替えられたと判断するのはどこが違うのか。
わからない。
だから、彼女は叫んだ。
「色んな人と遊びたいし! 美味しいものも食べてないし! あ! 星詠みさんの駄菓子屋さんにもいってない! そう、やりたいことがいっぱいあるの!」
彼女は叫び続けた。
空を飛びながら、この美しい空の下に、自らの感情で叫んだのだ。
「だから!」
緊急停止プログラムが起動する。
己の右腕が機能停止する。
それによってガンライフルも上手く使えない。武装を持って己を殺すことも難しくなる。
膨れ上がる自殺衝動とは裏腹だ。
だからこそ、この間隙を縫う。
ほつれたのならば、縫えばいい。簡単な話だ。だから、と彼女は飛ぶ。
死ぬくらいなら、飛ぶ。
何よりも全てにおいても、それが彼女の心を塗替えしていく。
「スラスター、ブースト!!」
己の心は自殺衝動に影響を受けても、躯体は関係がない。
その機能を十全に果たすだけなのだ。
「……機械。意志を得たのならば、死への恐れも同時に抱いたことでしょう。なのに」
「あたしの身体が機械だったことは、幸いだった。だから! 適当必殺! っ、無理矢理、|鋭衝飛翔《グリフォン・ドライブ》!」
それはシンプルな加速だった。
ただブーストして加速して飛ぶ。
ただそれだけ。
エイハは、自分が何をしているのかわからない。
エラーメッセージが彼女の意識を塗りつぶしているからだ。
けれど、彼女は笑っていた。
飛んでいる! この空を、飛んでいるのだ! その喜びが希死念慮を凌駕している。
「特攻……、スーサイドアタック、と!」
「あたしは死なないけど! けど、この空は、あたしが飛ぶ!」
だから、とエイハは最後まで笑って『リンゼイ・ガーランド』へと飛び込む。
「自由意志を得たナイチンゲールをなめるな――!」
「……スーサイド・アタック、とは……この私の『ヴァージン・スーサイズ』を逆手に取ったような」
戦い方、と人間災厄『リンゼイ・ガーランド』は秋葉原ダイビルの前にて煌々と立ち上る爆煙の下にいた。
√能力者は彼女の能力に寄る二次被害を防ぐために、この場に縫い留めるように次々と特攻じみた攻撃を仕掛けてきていた。
完全融合した『自殺少女隊』がいなければ、彼女とて危うかっただろ。
防御に徹すればいい。
そうするだけで彼女は敵対者を自殺に追い込むことができる。
攻撃する必要はない。そもそもできない。
この『ヴァージン・スーサイズ』こそが、彼女の最大の攻撃だったからだ。
故に、彼女は一歩を踏み出そうとして、踏みとどまった。
そうだ。
攻勢に出る必要なんていない。
己が命ぜられたのは、戦線の混乱だ。
だから、と彼女は立ち止まった。
同時に、それが己の意志によってのみ選択されたことではないことを知っただろう。
「……足が、動かない……?」
恐怖に竦んでいるわけではない。
なのに、足が動かないのは――。
●テイギフメイ
███████
「(──────…………あったま痛ェ。俺ァ何してたんだっけか)」
██████████████
まるで全てが黒塗りのようだった。
ノーバディ・ノウズ(WHO AM I?・h00867)は痛む頭の中で思考を繰り返す。
何をしていたのか。
何をしようとしていたのか。
なぜ、こんなことになっているのか。
確か、と思い出せることがあったのならば、彼は己が『こうなる』直前のことを再生していた。
そう、自分の頭を捥いだのだ。
なぜ、そんな事をしたのかというと、『リンゼイ・ガーランド』の『ヴァージン・スーサイズ』によって自殺しそうになったからだ。
自分で頭を引きちぎった。
思い返せば、なぜそんなことをしたのか。
そんなの『ただの』自殺と変わらない。
己の頭部は、挿げ替え可能だ。すげ替えようとした、としたら。
捥いだ、という表現はおかしい。
それではまるで、己を殺したようではないか。
……████
「(それで……)」
?████¿
「(|これは、何だ?《・・・・・・》)」
己は、己の頭を『何』とすげ替えたのか。
何を頭にしたのか。
スライムか? ライターか? 時計か? 何がどうなっているのかわからない。
判然としない。
あるのは混乱だった。混乱だけが頭の中をぐるぐると駆け回っている。いや、そもそも。頭などないのに、頭の中、などと形容する事自体がおかしいのではないか。
生きても死んでもいない。
生きていて死んでいる。
光でも闇でもない。
光であり闇である。
無機物でも生物でもない。
無機物であり生物ある。
炎でも水でもない。
炎であり水でもある。
相反する何かが、交互にやってくる。頭を揺さぶる。存在しないはずの頭を揺さぶる。それは逆説的に考えるのならば、己に『頭がすげ替えられている』、ということだ。
だからこそ、ノーバディは、頭が割れるような混乱に襲われている。
【███─_ ̄=_ ̄─███】aァ
「(何だこの、|何物でもあり、何者でもない《テイギフノウ》は──??)」
頭が何かを吐き出し続けている。
己の頭の中の混乱を吐き出せたのならば、スッキリもしたかもしれないが、延々と吐き出し続けるものは、触れたものを全て、テイギフウに買える。
どくどくと脈打つくせに、死も生もない。
終わりがないから、始まりもない。
生命という枠組みの中に、それはない。
█れは。
「……俺は」
ノーバディは呆然と立ち尽くしていた。
煌々と上がる炎。爆煙。黒煙の、ノーバディは呻く。
幸いに被害は民間人に及ぶことはなかったよおうである。
手で、触れる。
硬い感触。
これは、といつもの見知ったつるりとしたイエローフルフェイスメット。
立ちすくむ。
身がすくんでいる。
己の心を満たすのは、自殺衝動以上の何か。己の存在を否定するような、何か。
「――今のは」
呟いた言葉にノーバディは自嘲したかもしれない。
そもそも、己を人間だとも思っていなかった。
「(そりゃあ、首がない人間が普通なワケねェとは薄ら思ってた。もしかしたら怪人か何かなのか、程度には。)」
自殺衝動はまだ、燻っている。
敵はまだ、いる。
だが、それ以上にノーバディの心を占めるものがあった。
そう。けど、という言葉だけが頭の中で明滅している。
中身の存在しない虚は、考えた。
「|俺は《・・》、|何だ?《・・・》」
流石に思ってもいなかった。
考えないように、なんてこともない。ただただ、生まれることのなかったものが、今まさに彼の中で生まれた瞬間であった。
意味がわからない。
|誰も知らない《ノーバディ・ノウズ》ことが、今たしかにここに産声にも満たぬ産声を、虚の内側で上げて、ノーバディの身体を震わせた――。
逝名井・大洋(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)は、秋葉原ダイビルの入口付近から立ち上る黒煙を見た。
事件だ。
れっきとした事件だ。
わかる。なら、事件には駆けつけるのが。
「どーも、日本のオマワリさんでぇす! やや、不審者はっけーん! じゅーよーさんこーにんとして同行願えますかー? つってなぁ!」
黒煙の下には人間災厄『リンゼイ・ガーランド』がいた。
度重なる√能力者たちの自殺とも突かぬ特攻攻撃によって、完全融合した『自殺少女隊』が剥がれ落ちていく。
その様を大洋は見たのだ。
確かに不審者である。
この秋葉原ダイビルの下で煌々と立ち上る爆炎に起因するか、関係するかしていることは明白であった。
「なぁんてなぁ! 知ってるぜ、『リンゼイ・ガーランド』。大統領令だかなんだか知らないけど、こちとら国民の安全が優先なんで」
「そうですか。職務に忠実であることは美徳です。ですが、その帯びた拳銃は引き金を引くためにあるのでしょう。脅しではなく。であれば、あなたの拳銃の引き金は、軽いはず。あなたは、あなた自身を撃ち抜く」
その言葉は、『ヴァージン・スーサイズ』と共に大洋の心の奥底に響く。
込み上げてくる自死への衝動。
「自殺教唆はおやめくださぁい!」
「……!?」
「確かにリンゼイちゃん、その能力でボクは影響されてるんだけどさぁ。死にたい気持ち、うん、もちろんある。けどさ、それは事件解決してからだよね」
飄々としている。
だが、抗っている。
見た目ほどの軽薄さはない。それは、ただの、生き方でしかないからだ。
故にリンゼイは彼が日本の警察機構に所属しているのならば、と即時理解した。
「ちょっとなーにしてんの」
反射的に大洋は√能力で加速する。
己の主人格が所持している強力な霊能力によって『リンゼイ・ガーランド』に肉薄する。
「今、死のうとしてたよね?」
「ええ、この場から逃げるためです。死ねば、私のAnkerの元を目指して死後蘇生できる。あなたたちにとっても好都合ではないですか?」
「折角、ボクと遊ぼうってのに、一抜けなんて許さないんだからぁ。それに調書を書こうにも事情をさぁ、聞かないとなんだよねぇ」
近づけば近づくほどに自殺衝動が込み上げてくる。
だから、即座に決めなければならない。
これはとっておき、なのだ。
「だからさ、自死されると困るの」
「背後から警告なしの射撃をするのが日本の警察機構のやり方ですか? 聞き及んでいたのと、随分と様相が違いますね」
引き金を引く。
放たれた弾丸は彼女の首元をかすめた。
「……本当に警官ですか?」
「そうだよぉ。それにぃ、殺さねーって言ってないじゃん?」
黒煙に紛れるようにして『リンゼイ・ガーランド』が遠ざかるのと同時に自殺衝動が薄まっていく。
大洋は事件解決までは、と己の意志を固め直して、手にした拳銃を弄ぶのだった――。
敵とは打ち倒すべきものだ。
それが常識だ。引き金を引くことに躊躇いはない。もしも、躊躇えば己の命ばかりか同胞の命さえも危機に晒すからだ。
だから、引き金を引く。
簡単なことだ。
これまでもそうしてきた。そうするべきであったからだ。
推奨されるべき行動。
それが恙無く行われるからこそ、己は己でいられたのだ。
求められたのは、敵を打ち倒すこと。
そうして、人類の嘗ての栄華を取り戻す。
それこそが、深雪・モルゲンシュテルン(明星、白く燃えて・h02863)の存在意義だった。
「役目を果たせぬのなら」
生きている理由などない。
深雪は己の中にある根幹から溢れ出す自殺衝動に抗っていた。
死ぬしかない。
存在している意味などない。
そうするべきだ。そうでなければならない。
わかっている。作戦だ。これは、攻撃だ。
人間災厄『リンゼイ・ガーランド』は立っているだけだ。いや、逃げようとしている。どこに?
考える。
その前に死ななければならない。
深雪の中に溢れる衝動が、彼女の行動を阻害し続ける。
この√能力『ヴァージン・スーサイズ』に対抗するためには、他ならぬ『リンゼイ・ガーランド』に好意を抱かせる必要がある。
作戦だ。
相互理解の可能性があるのならば、それに賭けるべきなのだ。
それには対話が必要だ。だから、行かないで、と踏み出す。その度に己が自殺衝動に喉が締め付けられる。
これまでの彼女ならば、その必要性はないと引き金を軽く引いていただろう。
けれど、今はそうではない。
己の心を照らすものがある。
「……彼女ならきっと、そうするでしょうから」
だから、と自殺衝動を塗りつぶす大切な親友の顔を思い返す。
彼女は楔。
Anker。
想うのは親友の顔。届けなければならない。
「『リンゼイ・ガーランド』さん。聞こえていますか?」
「……この期に及んで、何を語ろうというのです。私とあなたは敵。であれば」
「私は、深雪・モルゲンシュテルン、√ウォーゾーン出身の√能力者です」
「聞いていませんか? 私は」
「一方的な押し付けかも知れないことは百も承知ですが、私はあなたに一種の共感を抱いています」
それは偽りではなかった。
人間である前に兵器。
戦場での機能こそが最も求めらられ売ろのであった。命を認められるためには、その働きで示さねばならない。
その境遇は、人間災厄――封印指定とされた彼女とも重なるように思えてならなかった。
己にとっての親友が、彼女にとっての『リンドー・スミス』であると仮定するのならば、それは深雪にとって共感を生み出すに相応しい事項であった。
「……できることなら、あなたを現状から救い出したいと思っています」
それは言葉を選んだものだった。
「できるとでも? あなたが戦おうとしているのは、国家そのもの。一個人が国家に太刀打ちできるとでも? 何かを変えることができるとでも?」
「……理解、しています。現状も。実に残念ですが、今はまだ、私たちではあなたを救うことはできません。次善の策として……」
「よくもぬけぬけと語りますね。壊すことを求められた√ウォーゾーンの√能力者らしい物言い。次善? あなたがたの都合でしょう?」
「そう、かもしれません。ですが、それは、あなたがこの場で犠牲を背負うことがないようにできることです」
「だから、倒す、と?」
「最低限戦えば大統領にも申し訳が立つかと思いますが、いかがでしょうか」
「もっともらしい言い方」
『リンゼイ・ガーランド』の周囲に侍る『自殺少女隊』が彼女の体に融合していく。
臨戦態勢、と深雪は理解しただろう。
引き寄せられる、と判断した瞬間、深雪は|電極針弾投射形態《エレクトロードニードルランチャー》へと移行する。
手にした対WZマルチライフルを構え、電極針弾を放つ。
見るに『リンゼイ・ガーランド』は戦い慣れていない。
当然と言えば当然だ。
何故なら彼女の『ヴァージン・スーサイズ』は攻勢に出る必要がない。
技術なくとも、其処に立つだけでその場にいる者を自殺に追い込むからだ。故に自動的。
放たれた電極針が彼女の体に差し込まれ、その体を痺れさせるような電流を放つ。
「ガッ!?」
深雪は早かった。
|空中戦闘機動《エアー・コンバット・マニューバリング》でもって、『リンゼイ・ガーランド』の周囲に漂っていたインビジブルと己の位置を入れ替え、肉薄する。
エラーメッセージが明滅する。
だが、それを深雪は無視した。
自殺衝動。
こんな自分が彼女の隣にいていいのか。
あの真白なる純粋な手を、取っていいのか。懊悩が、深雪の電脳を殺さんと走り抜ける。
頭痛のように奔るノイズ。
けれど、深雪はふみだしていた。兵器としての己の定義が、その懊悩を切り裂く。
手にした|対WZ用大鎖鋸<滅竜>《アンチウォーゾーンメガチェーンソー・ノートゥング》が唸りを上げた。
「私は、あの手を取る」
握りしめたグリップが軋むほど強く握りしめた。
こんなふうに強く握りしめれば、彼女を傷つけるだろう。
けれど、これは決意だ。
己の心を照らしてくれた光に報いるためには、この決意こそを振るわねばならぬのだと深雪は理解している。
振るう斬撃は『リンゼイ・ガーランド』を捕らえていた。
「……痛みは、なるべく速やかに終わらせます」
振り抜かれた斬撃は血潮を秋葉原ダイビルの壁面に散らす。
深雪は、己の中に渦巻く衝動が潮のように引くのを感じただろう。
次善。
そう告げた己の言葉が、利己的なものだったとしても。
それでも救いたいと思ったのは、本当のことだ。
正しい正しくない、では割り切れない感情こそが、彼女を照らした太陽なのだから――。
