⑱叛暈
●
人の研鑽とは歴史である。
描き紡いで音と成し、口を伝いて言葉と成して、綴り重ねて継いだそれは|心《歴史》。
人の重ねた想いも記憶も何もかも、その一片と一欠片に至るまでもが“いのち”である。
しかして大妖『禍津鬼荒覇吐』は、全てを薪へと変えるだけの 力 があった。
喪やして、
絶やして、
燃やして、
平なれ|樂園《√EDEN》と嘲笑う|それ《大妖『禍津鬼荒覇吐』》が今、在る。
昨日の続きの今日を守らねば、|朝《明日》へと至る道は無し。
立てよ、楽園に連なる者。
構えよ、楽園を踏みしめし者。
『来るか、楽園の。|汝《なれ》らの真を見せてみよ』
鬼神、来たれり。
●灼厄祓い
「……なんてゆーか、アレだね。神様ってーのは極端ってゆか……あー、めっちゃ偉そう!」
付喪神と暮らし、あまつさえ世話まで焼かれている癖にいけしゃあしゃあと言ってのけた御埜森・華夜(雲海を歩む影・h02371)が“いつも”の様子だったのは、此処まで。
次に振り向いた時には感情も何も落としたような顔で、透き通った硝子のような顔で息を吐く。
「——なんて言ったけど、強大尊大傲慢ながら分相応。それが今から皆に向かってもらう湯島聖堂を魔窟に変えた張本人 禍津鬼荒覇吐」
華夜曰く、禍津鬼荒覇吐は湯島聖堂を魔窟へと変え、異形の混沌迷宮化させているという。その実力はマガツヘビさえ尻尾を巻き、ジェミニの審判をも一人で行える規格外。正しく化け物の見本のようなこの大妖は、これでも全盛期より弱体化しているというのだから恐ろしい。
「んーでも、それは逆手にとれる。強いからこその見落とし、強いからこそ鈍い部分、強いからこそ……ってとこは案外多い、ってワケ」
ニヒ、と笑った華夜はいつも通りさを取り戻すと、擦り寄るぬいぐるみめいたインビジブルをふぅと吹いて吹き飛ばして追い払う。
それから“なんかね、”と笑って。
「なぁんかこの鬼、今まで|√EDEN《俺たち》と戦ってきた経験があるってマウントしてるんだよねぇー……つまりそういう奴だから、俺達も気分よく卓袱台返しどころか背負い投げってワケ」
——要は大妖 禍津鬼荒覇吐自身、今の自分が|楽園《√EDEN》に負けることなど欠片どころか微塵も想像していない、というわけだ。全盛期の姿ではない、というのに。
「馬鹿にし過ぎじゃない? 俺達のこと……これはもう、迷宮だろうがなんだろうが踏破経験値の違う俺らが、迷宮を利用しまくって顎ぶち抜くべき、ってね」
“負けないでしょ、皆だもん”——そう言う華夜の瞳は血色を帯び、透き通る瞳は櫻の色で皆を見た。
戦わねば全ては水泡に帰す戦場へ見送るには、あまりにも|熱《信頼》を帯びすぎた瞳で。
「混沌迷宮なら、たぶんだけど神も鬼も“予測不能”があるはずなんだよ。演算からも経験からも零れ落ちるものと瞬間が、必ず」
だから、と桜の瞳が一人一人をしっかりと見て、わらう。
「ちゃんと皆に“おかえり”、って言わせてね」
約束は夜の元へ|星《希望》を送る。
第1章 ボス戦 『大妖『禍津鬼荒覇吐』』
とおりゃんせ
とおりゃんせ
神への細道通るは何者なりや
●|鬼祀楼閣《混沌迷宮》『紅葉鳥居の紅蓮曼荼羅』
シャン……リン、と止まぬ鈴の音響く中、舞い降る紅葉の美しさに酔う暇さえ与えられない。
頬斬るような刃を紙一重で躱したルーシー・シャトー・ミルズ(|おかし《・・・》なお姫様・h01765)が、額から滴った水飴めいた汗をぬぐって一息ついた。それこそ、突入して即座に“幸運のお裾分けだよ”とお茶目に笑った丹生・羽威(夜に噎ぶ・h07401)の弾丸——√E:|妖の呪血弾《キシャノオンネン》が無ければ、頬が削がれていたのでは?などと、ルーシーは嫌な想像をしてしまう。
「いっくらなんでも、混沌迷宮だからってトラップ多すぎ……!」
皆等しく眉間に皺を刻むのは、この混沌迷宮のせいであった。
無限に乱立する赤鳥居の道は、どれもこれもが嘘ばかり。
石畳は楚々としているのに水面下には罠を張り巡らせている。それこそ鬼神の怨念でも充填したのかと悪態をつきたくなるくらい。
それぞれ手分けし、様々な手法で索敵と仕掛けの察知・干渉する一角を担っていた一人の付喪神はふぅと肩で息をした。
“演算の、予測の外が必ずあるからね”——そう口にした櫻彩の星詠みの言葉をいくら反芻しようと、誰もがこの混沌迷宮の複雑さに舌を巻いてしまう。
「ボーッとしてんじゃあないよ、伏せな!」
「っ゛、!」
活を入れるように後方から叫んだ紅憐覇・ミクウェル(Ashes to Ahses・h00995)の皺枯れた叱咤が耳を打てば、ルーシーの体は反射的に動いていた。
前方へ飛び込むように伏せれば、ルーシーの横へ勢い滑り込んだのは八卜・邏傳(ハトでなし・h00142)。小脇に相棒であるつぼティーヌを抱え、頭上スレスレを過ぎ去る鬼棍棒が如き一撃を紙一重で躱し、ふぅと息を吐いて。
「いんやぁ、とんでもない仕掛けばっかだけどルーシーちゃんは調子どうなん?」
「むむむ、やっぱり全体的にビターだよ——……ねっ!」
「トラップくるよ! この音……今度は棍棒じゃなくて大斧!」
「追い打ちの矢雨は俺が墜とす、棍棒は任せた」
もう、反射だ。
ゾワリと背筋を走った怖気こそ、√能力者として無意識に研鑽してきた危機感知能力。否応なしにルーシーが地を蹴れば、“うわわわっ!”と邏傳も半歩遅れて走り出す。警告するように声張った羽威と追い縋るような矢雨を√E:|詞弾夢幻《ヴァーバル・ミラージュ》で撃ち落とした汀羽・白露(きみだけの御伽噺・h05354)は、迷宮へ踏み込んだ時から常に気を張り周囲を観察し続けている。
「(……この法則なら、絶対斧っ!)」
「それにしても、今度は毒矢の雨とは周到過ぎて気持ち悪いな」
既に突如乱れ咲く刀の花トラップに頬を掠められるも、徐々に迷宮変化の兆しを捉えようとしていた。同じく迷宮の法則に目を付けた白露が羽威とは別の方面から分析しつつ的確に矢を撃ち落とせば、ミクウェルがブラスターライフル構えるよりも早く、影が踏み出す。
和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)の歩みが、力強く先を行く。
「チッ、厄介なモンは撃ち落と——」
「……実に、趣味の悪いことだ」
蜚廉の静かな声は大斧破砕される轟音に掻き消され、濛々と立ち込めた砂塵の中に立つのは撃ち抜いた蜚廉と砕け散った斧——と、吹き飛んだ欠片を全て広範囲に張り巡らせたオーラ防御で受け止めた白露の配慮によって、余計なトラップ発動は勿論のこと仲間への被害を防ぎきる。
「しかし、厄介だな……混沌迷宮だからこそ、明確な答えが出づらい」
いくら索敵しようにも、此処には突き当たりもなければ、先も無い。
表現し難い感覚ではあるものの、この場においては上下の感覚さえ怪しいのだ。——なにせ、紅葉は上下左右無く“中空を舞っている”から。
地面はいつのまにやら反転し、噛みあわぬ道が方向感覚を狂わせて、息を呑めばまるで空へ落とそうとする。
「……でも、案外とそうでもないみたい。皆も何となく感じてると思うんだよね、荒覇吐の気配」
羽威が一つだけ揺らぎも見せない異様に古い鳥居を見れば、自然と皆視線もそこへ集まって。
“動いていない”それこそが、この地の異常。それこそが、唯一の出入り口。
強大ゆえの傲慢。
強大ゆえの不遜。
強力だからこそ、異質過ぎる荒覇吐の存在感が揺れる迷宮中央を固定していた。
「む。むむむ……むむむむむ! あっ——もしかして。あれが、まがつぉーにあらきばはちゃん……?」
ピ、と意識を集中させれば邏傳のアンテナにも引っかかり、隣のつぼティーヌが武者震い。瞬間、揺らぎの潮が引いてゆく。
リン、シャンとなる鈴の音が大きく鳴り、執拗に木霊しはじめた。それは侵入者への警鐘か、はたまた荒覇吐への火急の知らせか。
邏傳がただ鳥居へ向かって踏み出したはずが、瞬きの間に全員並んで鬼神の前に。
——おにと、目があう。
「みん——」
“みんな、来るよ”
皆まで言えなかった羽威の言葉が紅葉の如く舞い、ドォン!! と禍津鬼荒覇吐の抜いた大太刀が蜚廉を吹き飛ばす!
「(見えなかった——……!)」
ごくん、と思わず唾を呑んだルーシーの眦がピクリと震えた。
瞬きするよりも早く、正に神速の一撃。完全存在と聞いてはいたが、あまりにもな展開にルーシーの背に冷汗が流れてしまう。いくら握り締めようと手は震えて、鼓動が速くなって。クヴァリフ神と相対した時とはまた違う緊張感と威圧感がルーシーの勇気を押し潰した。
だが、それを冷静に見られるものもいた。即座に霊気とオーラ防御を綾織に構えた白露だ。
「(——完全存在、実に読み手も書き手も心躍るキーワードじゃないか)」
越えるべき壁として文句無し。密やかな声で読み上げる眠り姫の物語を苛烈な剣戟音へ織り交ぜながら、荒覇吐を見る。
居合抜きなど人の業を当てるには生温いその一撃。これが全盛期ではない鬼神の力だというのだから、華夜が言葉を濁すのも無理はないかと。
「とんだバケモンじゃねえか……!」
「えーと、あの神ちゃんがヤバい、てぇのは俺でもわかる。——けど、俺等にできて神ちゃんに出来んのもあるて」
舌打ちしたミクウェルの声に、ニッと笑った邏傳が|相棒《つぼティーヌ》を小脇に笑って見せる。その瞳を諦めではなく信頼の光を湛えたまま。
「ね、|🏺《つぼティーヌ》、つなぐって一人じゃ出来ないし——ねっと!」
荒覇吐の攻撃の余波にそれぞれが身構えたとことで、立ち込めていた噴煙が晴れた。紙一重の生存本能で発動した√E:|原闘機構《オリジン》の力で核への一撃を躱した蜚廉は、悠然とわらう眼前の鬼神を睨み上げる。
『ほう、まだ生きるか』
「——揺れぬ汝の軌道は見えていた、荒覇吐よ」
『ハ、』
“抜かせ”と口角上げた鬼神は己の大太刀握り締め抑える蜚廉を再度斬り飛ばすと同時、その身へ数多幾多の刃が強襲する!
「はっ、なぁにが全盛期“よりは”弱体化してるってんだい。全盛期からの弱体化っぷりであたしらに勝てる奴はそういやしないんだよ! だよなぁ、てめぇらぁ!」
√E:|銀の英雄譚《シルヴァリオ・ヒーローズ》——!
ミクウェルの咆哮に呼応するように応じたのは在りし日の友——|英霊たち《今は遠き星々》。
黄金遠くとも、魂には鋼が如き銀光を。その誓いは何物にも破られず、連綿たる奇跡の証明。
「当たっちまった奴を盾にしろ、英雄達! それがあたしでも構わねえ!」
ウォオオオオオオオオ!!!! と連綿の気合が揺らぐ世界を尚震わせる。
命短ければこそ、弱くあるからこそ、人は戦いの場数を踏み生き残る術を研鑽する。強き荒覇吐には為せない人の所業であり、歴史の在り方!
「いいかい、あたしら相手に戦い慣れてるってぇのは随分な言い草だが——……強がりってぇのは、弱い自分を隠す常套句さ」
鬼神の圧を前にいけしゃあしゃあと言ってのけたミクウェルの瞳にある光は消えない。齢七十——未だ十代で無した大冒険は燃やされない。|生き証人《ミクウェル》在る限り顕在し続ける!
いくら鬼神が間合いを詰めようとも、一瞬一瞬の洗練された一撃が鍔迫り合い時間を稼ぎ、幾多の実践に基づいた経験則で銀兵たちは押さえ続けていた。
「で、あんたはそろそろ立てんのかい!」
「大事は無い。後れを取ったつもりも、ないのでな」
「……上等だ!」
√E:|穢刻還声《カエシノコエ》——! / √E:|在りし日のヒーロー《オルウェイズ・ヒーロー》——!
ミクウェルの激励に崩れた鳥居の残骸から起き上がった蜚廉が踏み出す。その歩みは王劒が如く重く、荒覇吐の剣技を受け流す腕の動きは流水が如く!
その背を見送ったミクウェルは、ふと並び立つ|相棒《Anker》の姿に笑っていた。こんな場でも、長き相棒と並び立てばどうしたって心が安心してしまう。この尊い背が、ミクウェルの目には誰よりも逞しく見えるから。
「で……今じゃババアの口づけでわりいな」
いくらミクウェルが悪態をついたって、ハルファイラ・ベル・イングリガース(在りし日のヒーロー・h01761)の眼差しは変わらない。緩やかに細まった深海色の瞳も、昔のまま。
「——随分懐かしいな、|ああいうの《神名乗り》は」
「何だい、ブランクでもあるって? ハルゥ! 来ると分かってる攻撃なら防げるよなあ!」
「ばーか。俺はお前の王子様だぞ? ——それに、いつまでもお前は俺の乙女だよ」
“なぁ、紅憐覇?”
小悪魔的な笑み浮かべたハルファイラはミクウェルの口付けに口角を上げながら、光を纏う。時を戻すかのように幻想的な一時先には、青年らしい骨ばった逞しい右手に握る、かつて魔王断ちし聖剣。そして左手には、かつて魔王の息吹祓いし聖盾。
王劒が如き重さの技を繰り出す蜚廉を何とか退け、揺らぐ転移鳥居へ叩き込んだ荒覇吐が息をつこうとしたのも束の間、ハルファイラが赤鳥居を挟んでのヒットアンドアウェイで意表を突く!
「止めるさ、何物に変えてでも」
『戯けたことを抜かすなよ、若造が……!』
火花散るぶつかり合いへ、ミクウェルの跳弾以外にも陽気な声が差し込まれる。つぼティーヌを構えた邏傳が、荒覇吐としかと視線を合わせ笑って。
「はてさて、壺の中身はなんだろな? ——そらぁいつだってお楽しみ☆つぼティーヌ砲!!!」
√E:|R☺︎ັT🎉《ランダムツボティックスペシャル》——!
ボッ! と飛び出した鳩型爆弾が不意打つように荒覇吐を襲撃し、荒覇吐が邏傳を睨み荒覇吐倶利伽羅之大太刀を握ろうと、聖なる盾で大太刀を弾きガードするハルファイラから抜けられない。
幾羽もの鳩型爆弾を爆ぜさせる最中、荒覇吐がハルファイラというイレギュラーを弾き飛ばす僅かな間——つぼティーヌは最後の弾丸を撃つ!
「さ~い~ご~は~……俺ーっ!!」
『ぐっ!』
打ちだされた勢いのままに荒覇吐の横っ面を殴り飛ばした邏傳は笑う。恐れはなく、その瞳にあるのは変わらず希望のみ!
「へへ、出し惜しみなんかしちょん場合でないっしょ! 俺ぁ使えるもんはなんだってつかってやらぁよ!」
√E:|P•IG🔥《ドラゴンプロトコル・イグニッション》——!
苦しさや痛みなんてどうでもいい。ただ今、目の前の苛立つ脅威が驚き、そして確かな一撃を叩き込んだ感触を邏傳は忘れない。その身を燃やすように眩き原初の神力纏い、踏み出した瞬間には後ろを取ってくるような脅威に、猛然と立ち向かう。
「こんのっ!」
『遅い!』
肉を削ぐような荒覇吐倶利伽羅之大太刀は鋭利で、紙一重で弾いた腕は痺れているのかさえ分からない中、荒覇吐背後の鳥居が揺れる。——その歪みは、迷宮探査時に幾度も苦しめられた転移の|節理《揺らぎ》!
「神だろうが関係ねぇ……壊しがいのある大物じゃねぇか!!」
『っ、……!』
揺らぐ鳥居まで荒覇吐を追い詰めんとした邏傳は更にリミッターを解き放つ。
にこやかさから一転、急速な邏傳の変化も初見の荒覇吐にすればイレギュラー。経験があると言えど、多岐に渡る√能力は、数程度しか楽園との交戦経験を持たぬ荒覇吐程度では手に余る。
邏傳が裡の竜漿燃やし、勢いのままに吐き出した極光躍る灼熱のブレスで揺らぎの赤鳥居へ荒覇吐を下がらせる。だが邏傳は凄まじい膂力で別の赤鳥居へ斬り飛ばされた瞬間、蜚廉が背後の揺らぎから姿を現し、荒覇吐の首を握り締めた。
「見えた」
『カッ、ハ……!?』
蜚廉は潜響骨に刻まれた微振動で“反転面”の継ぎ目を嗅ぎ当て、転移鳥居の歪みの中を跳爪鉤で|正しき道《反転地面》を踏み当て、斥殻紐を括り歪みを引き寄せた。
そうして、穢刻還声はまず“型だけ”をなぞる。叩き込むは王劒なぞったただ一度しか使えぬ威力を以てわずかに歪みの波を外す——それが“完全”の外側に出る一歩だった。ただ、それだけ。
「因果を此処に。——穢れを刻みて、聲を返す」
そのまま押し切るように高速移動し鳥居へ荒覇吐を叩きつけ、ピタリと指先を揃えた手刀が僅かでも麻痺したその身を切りつける!
「この混沌の中、汝こそが唯一の固定点——揺らげぬその性質、支配性こそが汝の弱点」
『な゛にをっ!!』
刃の“型”だけをなぞった掌底が肘の返しを半拍ずらす。王劒の軌道が一瞬だけ“戻り”を生み、そこへ二の太刀が喰い込んだ。容赦の無い打ち合いの最中でさえ型編む蜚廉の拳は壊され、組み変り、蜚廉の新たなる技が荒覇吐を追い詰める!
「幾度でも折れ。幾度でも壊せ。我は幾度でも、不完全ゆえに汝を越える」
『グッ……っ、ガアアアア! おのれっ! おのれおのれおのれっ! 矮小なる命め゛っ!!』
「あぶないっ!!」
「くそっ……間に合わないっ」
ルーシーが叫び、白露が咄嗟に光の弾丸を放とうと、その定めは変わらない。
咄嗟に蜚廉の心臓目掛けて振るわれた大太刀の軌道を逸らそうと羽威が偽銃より常と同じ弾丸を射出した、瞬間。その一条を、荒覇吐は見た——次には王劒の炎相が反転する。形なきを形と成して完全存在が不完全なる一刀を抜いていた。
それこそが、羽威の狙い。荒覇吐が勝手に作る因果をたったの一回歪ませる。それだけ。
初手で撒いた呪血弾でこちらの妖力的な輪郭を曖昧にしてある。だからこそ、荒覇吐は“同じ弾”を視認した瞬間、識別の遅れを必ず“反転”で埋める。その誘導こそが、羽威の狙い。
古典効かぬからこそ、人は新たなるものへ走る。鍔ぜり合う中で荒覇吐が生み出した、その一刀は、新たなるもの。完全存在でありながら、逃げた証明!!
『汝か』
「あ、」
「羽威ちゃん!」
苛烈な争いの最中、羽威の体は痛みに震えていた。ルーシーの悲鳴染みた声が聞こえようと、咄嗟に止めようと奮闘した全てを打ち払い嘲笑う荒覇吐は、羽威の強化された運ごと温度亡き炎の刃――王劒の位相刃で羽威の腹を貫いた。
指先の痺れは、滴る血液に比例し加速する。脳裏を過る可能性と妖力、霊力の波動に歯を食い縛り、羽威はただ|考え《計算し》続けていた。
「(痛い、)」
鳥の妖であった頃には、相手の刃を掴むことなんて、できなかった。それは人型になったがゆえの恩恵。
「(い、たい。あつい……でもっ!!)」
苦痛は壮絶に、羽威の体内時計を遅くする。一分が長くて、少しぼやける視界でも腹に突き立つ炎の剣を握り締め、全てを振り絞って荒覇吐へ“餞”をしよう。楽園を侮り、√能力者を侮り、新しきを分かる気のないその愚かさへ!
荒覇吐は、刺したことを確かめる。それは強者ゆえの首取りの証明なのか、弱体化の不安かなんて分からない。この数十秒こそ、鬼神を|捉えるための盲点《・・・・・・・・》——!!
「残、念っ……妖怪にっ目ぇ……つけられる、って。こういう、事、なん……だよっ!」
視界の中心にあなたを捉えて、黒漆の頬へ|紅《血化粧》を引こう。
不意打つ早業の如き病は、死にも似た甘い香りを憑けてあげる。きっと初めて知る素敵な馨りに酔い痴れて。
√E:|妖流暗殺術《アヤカシのオアソビ》——!
『小娘……っ、きさま』
「おっそ……私たちの、ゲホッ……かち、だよ。ねぇ?」
ハハ、と笑った羽威から王劒を抜いた荒覇吐を待っていたのは、鳥居の向こうより出でたルーシー。
「——うん。やっと……やっとあたしも|理解《わか》った。あんたが食べすぎなんだ、って」
「だろうな。まして|作法《テーブルマナー》さえなかろうよ」
大事なことを何にも知らない、きっと仔産みの女神よりも無知なあなたに、きっと|よく眠れる《もう一度終われる》素敵な魔法をかけてあげる!
ようこそようこそ、王の庭。連綿と人の意思が紡いだ言葉、読み継がれた物語の堅牢なる眠れる昏き茨の庭へ!
√E:|00:00:00《フルベル》——! / √E:|夢棘の宮廷《レーヴ・ソリシエール》——!
錠前捻って決めポーズ! くるり宙舞ったルーシーはその身を柔らかな白色へと変えてゆく。ふんわり白くて雪のよう。けれど香る甘さは相も変わらず魅力的!
乙女の秘密は誰より甘く、きっと幾度も打ち合った中でもとびきり甘い一撃を!
「人間って、いうのは!」
ガァン! と鋭い踵落としが炎纏う王劒踏みつけ、足場にまた宙へ。
「0をっ……1にしたくて、泥水啜って生きてんだ! だからこそ、彼らの起こす軌跡はいつだって甘やかなんですよ!」
ルーシーの脳裏を過る幾人もの友人の顔、いつか助けた人たちの顔。誰も彼もが努力して、苦労して、悩み悩んで今日も今を生きている。
完全だから、何だ。
神だから、何だ。
それは武器じゃない。
ちっぽけで物知らずで偉そうな間抜けの宣言だ!
「だっ、から! あんたの|味覚《感性》なんかじゃ測れるわけがっ、ないんだよっ!!」
『っ゛……こ、のッ! 貴様が——』
宙を舞うルーシーの猛攻をいなし続ける荒覇吐の不意を突いたのは——。
先の戦闘で竜漿を使い果たし転移赤鳥居へ斬り飛ばされ、鱗を砂のように零した邏傳だ。つぼティーヌの機転と隠し竜漿で辛くも復帰し、怒りを宿した拳が強かに頬を打つ。
「そーだ! ルーシーちゃんの意見に、俺も乗ったらぁ! これはっ、つぼティーヌの分!!」
『ガッ、ッッ!!』
√E:|SᝰS《シェパルシュペル》——!
煌めく拳はつぼティーヌの友情と愛情と信頼でピッカピカ! 想いも速度も勢いも、何もかもをこの60秒に全て籠めて。
「(蜚廉ちゃんの拳は、こうっ! あれが入ったなら、俺もいける……!)」
例え真の竜でなくとも、繋いで繋いでここまで来た。例え死の一撃に荒覇吐が幾ら抗おうと、蝕む毒のように死の呪いはその膝を揺らし、少しずつその眼を虚ろへと変えている。
燃やされ、斬りつけられ、立てぬ仲間。疲労の中でも得物構え援護をしようとしてくれている仲間。それに——……。
「俺がっ! ぶっとばす!!」
ダァン! と思い切り殴りつけられたその肘があらぬ方向へ曲がった瞬間、荒覇吐は絶叫の儘に邏傳を斬っていた。
『ハッ、は……ハァッ、ハァッ……!』
自身の荒い呼吸ばかりが荒覇吐の鼓膜を支配する。早鐘を鳴らす心臓のわずらわしさなど幾百年ぶりだろうか。
血沸き肉躍らせてなお有利になる間もなく繰り返される血で血を洗う争いよ。終わらぬかと思った争いのその場に——拍手をする|者《物》が、一人。
「——そろそろ、お前の神話を綴じる時が来た」
『き、さま……』
邏傳との打ち合いの中、意地でも王劒を握り締めていたその手も血塗れに、いくつかの目を潰された荒覇吐が呻く。
茨より姿を現した白露が、フと笑うのだ。ひらりと、移ろな荒覇吐の視界に真白いページを見せつけながら。
「お前に判決を言い渡す。完全存在というには、少々人を見縊りすぎているし、何より膂力任せの隙だらけ。あまりにも張り過ぎた伏線は全て俺が回収しよう」
『なに、』
「完全とは、終わりということ。つまり、完全存在とは学びも成長も無いということ」
ゆっくりと、息を切らせて佇む荒覇吐へ白露が一歩、また一歩と距離を詰める。
「多少火の扱いを覚えたところで、俺達はお前の上を行く。しかしそれに気付けず、常に俺達より上だと思っていた傲慢さが招いた卓袱台返し」
近付く白露の手には、|王劒『明呪倶利伽羅』《最も強き得物》。
それこそが大妖『禍津鬼荒覇吐』の傲慢と不遜と“完全存在”たる所以。
『おい……なれが、何故それを、』
「あぁ。|これ《王劒『明呪倶利伽羅』》が最も“今”俺の手に馴染むんだ。さすがは“完全存在”」
既に荒覇吐は|庭の裡《物語の中》。観察し続けた白露が狙っていたのは、全員が最大回数動き切る、その瞬間。
|読み手《華夜》を絶対に裏切らないと誓う|主人公《白露》が求めるは、誰もが無事の大団円——!
「悪いな、今一時だけ|ここ《この戦場》は俺の舞台だ」
焔纏う太刀が、影すら残さず神騙りの悪鬼羅刹を調伏した。
ひらり舞い落ちた紅葉も、解けた茨も文字となりて地へ溶け消えてゆく。揺らぎが戦慄き、城壁ごと迷宮は世界へ溶け消えて——爽やかな秋風に揺れる葉の隙間より覗く秋空は天高く鮮やかに。
遠くで鈴の音が小鳥の囀りに溶け、消えた。
