いたずらキツネと|混魂旅館《コンコンリョカン》
●妖狐と幽霊の温泉旅館
√妖怪百鬼夜行では、数多の妖怪が人々と生活を共にする。
妖狐たちが棲むとある山里――『白狐村』もそのひとつだ。良質な硫黄泉が湧き出る村には温泉旅館が軒を並べ、種族を問わず多くの観光客が訪れている。
中でも一番大きな旅館は『混魂旅館』。村の守り神の御告によって建てられたと伝わる由緒正しき旅館である。料理人が振る舞う独特な料理の他、狐達の風変わりなマッサージや、『幽霊桜』と呼ばれる青白い桜を見ながら露天風呂も楽しめる。
とくに特徴的なのは、旅館に棲み付く|幽霊《インビジブル》たちの悪戯だ。勝手に風呂桶の位置を替えたり、置いてあるものを投げ飛ばしたり。一見迷惑行為だが、『他の旅館では味わえない面白さ』として売りにしている。
……なのだが、最近は幽霊たちの悪戯が過激になってきているらしい。客からは聞こえない場所で、従業員の狐達がひそひそと話し合う。
「最近、幽霊たちの様子がおかしくないか?」
「台所で包丁を飛ばしてきたよ。危うく死にかけた!」
「湯の割合を勝手に変えて高温にしよった。ありゃ火車くらいしか入れんぞ」
このままでは死人が出るかもしれない。しかし、営業を止めるわけにもいかない。
人間が持ってくるお金は、お札はツルツル、小銭はキラキラしていて綺麗だから!
白狐村の妖狐たちは、人間のお金が大好きであった。
●不穏な気配
「危機管理意識が薄いですね。まあ、妖怪の考え方というのは、人間の常識では測れない部分もあるのでしょう」
|泉下・洸《せんか・ひろ》(片道切符・h01617)は、集まった√能力者たちへと依頼について語る。
舞台は妖狐が暮らす村の温泉宿『混魂旅館』。この旅館の特徴である『幽霊の悪戯』が過激化しているのだという。事態を放置した場合、客に被害が及んでしまうだろう。
「この旅館が魅力的な旅館であることは確かです。死亡者が出て営業停止になる前に、幽霊の悪戯が過激になった原因を突き止めて問題を解決してほしいのです」
まずは客として向かい、サービスを楽しみながら原因に繋がる情報を集めてほしい。原因が判明すれば、次にやるべきことも自ずと見えてくるだろう。
●女将狐の案内
都心部から何時間も車を走らせて、√能力者たちは山間の混魂旅館へと到着した。木造三階建ての数寄屋造り。帳場から待合まで吹き抜けになっており、上階から見渡せる作りだ。建築の各所は妖力で補強されている。
「|混魂旅館《コンコンリョカン》にようこそ!」
着物をぴしっと着こなした旅館の女将狐が出迎えた。ちなみに白狐村に住む妖狐の容姿は獣側に近い。狐が服を着て二足で歩いているイメージだ。女将は旅館で体験できるサービスについて説明してくれる。
「当旅館自慢の料理人が腕を振るう、妖狐に伝わる伝統料理をお楽しみいただけます。7種の薬草とモグラ肉を煮込んだ『七草モグラ鍋』に『ぴょんぴょんカエルの酒煮』、『バッタとミミズの炒め物』……あっ、川魚や山菜料理もございますので、伝統料理が口に合わない方もご安心を!」
狐が食べる生物を使った料理が自慢らしい。ただし、味の保証はない。無難に何か食べたい時は、人間用に準備された料理を食べるといいだろう。
「日頃の疲れを癒すサービスも充実しております。白狐村に住まう妖狐に伝わる『もふもふマッサージ』も体験できますよ。狐の手ではマッサージなど無理だと思うでしょう? ご心配なく! 指圧の強さも、我らの妖力を使えば自由自在なのです!」
妖狐の妖力を駆使し、もふもふに包まれる感触と一緒に、全身を揉み解してくれるのだとか。
「そして旅館といえば温泉です。当旅館自慢の露天風呂、咲き乱れる幽霊桜を眺めながら、上質な硫黄泉をお楽しみください。混浴ですので水着をご準備くださいませ」
混魂旅館の周辺は、昔から幽霊が集まりやすいらしい。幽霊桜は幽霊が放つ霊力に影響された結果、突然変異した桜なのだそうだ。青白い花を咲かせるのが特徴である。
なお旅館に集まる幽霊は、√能力者として覚醒した幽霊ほどの強さや存在感は持っていない。通常のインビジブルに、ちょっと毛が生えた程度だ。
彼らの悪戯にご注意くださいませと笑みを浮かべる女将。次は客室のご案内を……と言いかけた頭上に、突然生きている魚が降ってきた! ……魚?
上階から落ちてきた魚が、べちっと女将の顔に当たる。
「わぶ!?」
「わっ!」
同時に聞こえたのは幼い子供の声。ぽんっと煙が弾けた後、魚は一匹の狐になった。
真っ白な毛の子狐だ。ぴょんと床に飛び降りて、あっという間に駆けてゆく。
「|銀雪《ギンセツ》! また悪戯をして……あぁ、あの子はうちの倅です。まだ小さいのに変化の術が上手いでしょう? 他人や物を化けさせることもできるんですよ!」
叱ったり褒めたりと女将も忙しい。彼女は銀雪が去った方向を見つめながら、思い出したように口にする。
「あの子に落ち着きがないのはいつもの事なんですが……ここ最近、いつも以上にソワソワしている気がするんですよねぇ……お客様方に何か粗相をしたらお申し付けください。きつく叱っておきますんで」
第1章 日常 『妖怪温泉宿へいらっしゃい!』
●ふしぎなお宿
妖狐たちがせっせと働く混魂旅館は、今日も千客万来だ。
「到着! 温泉楽しみだな、さくやん!」
|日南・カナタ《ひなみかなた》(捜査三課の異能捜査官・h01454)は帳場から館内を見渡す。
日南・竹千代丸(♰聖チョコ菓子天使タケノコ♰・h07414)と、旅館で合流した|式凪・朔夜《しきなぎ・さくや》(影狼憑きの霊能力者・h07051)も一緒だ。カナタは朔夜に竹千代丸を紹介する。
「あ、こいつ(竹千代丸)俺のソウルフードが具現化した奴! なんかわかんないけどすごいだろ! 宜しくな!」
「モチョモチョ(よろしくモチョよ)」
紹介され、竹千代丸が挨拶をした。
朔夜は竹千代丸の姿を見て驚いた。タケノコのチョコ菓子に天使の翼が生えているではないか。
「あ~、その、よろしく……」
丸みを描くフォルムが可愛らしい。内心そう思いながらも朔夜は平静を装った。
(モチョしか言わないけど、女の子なんだろうなぁ……)
直感で感じる。確信はないものの、失礼がないようにしたい。
三人は旅館の中を見てまわる。
竹千代丸はパタパタ飛び回り、館内を丁寧に観察した。
(ふ~ん、なかなか雰囲気あって赴きのあるいい旅館モチョね)
あちらこちら狐だらけだ。従業員の妖狐たちが忙しなく業務に励んでいる。
(従業員に怪しい狐はいないみたいモチョね)
歩き回るうちにお食事処の前に来た。受付の妖狐が三人を呼び止める。
「いらっしゃいませお客様。当旅館自慢の伝統料理はいかがですか?」
「伝統料理!? わーい! どんなのだろう!」
伝統料理と聞いて、早速カナタが飛びついた。竹千代丸も興味津々だ。
「モチョモチョモチョ(あたちの口に合う料理はあるかしら)」
こちらになりますと渡されたお品書きを確認する。読んでいくにつれ、カナタの顔が蒼褪めていった。
「え! 七草モグラ鍋……!?」
署に野良モグラの先輩がいるのに、モグラなんて食べれない。
朔夜も共にお品書きを覗き込み、凄まじい料理の数々にごくりと息を呑んだ。
「っていうか、この伝統料理、ヤバくね……?」
竹千代丸もぷるぷるとタケノコボディを震わせた。お品書きに対する拒否の意だ。
「モ、モチョモチョモチョモチョ(あ、あたちは黒毛和牛しか食べないモチョよ)」
伝統料理にちょっと引き気味である。
さすが妖狐。人間が口にしない食材ばかりを使っている。ここまで来ると、朔夜は逆に興味が湧いてきた。
「一体どんな味なんだろう。気になってきたな……」
一方で、カナタの顔は相変わらず青い。
「あ、あはは……流石にモグラはやめとこうかな~~。他のは……、カ、カエルにネズミにバッタ……ん、ん~~」
想像するだけで吐き気がしそうだ。
朔夜がお品書きから顔を上げ、カナタに目をやった。
「カナタ、すごい汗だな」
「だ、だって、バッタとミミズの炒め物とか食べれるか……?」
顔面蒼白のカナタが問う。朔夜は首を横に振ってみせた。
「いや、俺もそのバッタとかミミズは……う~んってなる……」
三人はお食事処の前で立ち尽くすしかない。カナタが意を決したように口を開いた。
「よ、よし! 先に温泉行くか!」
食事については心の準備が必要だ。
「そうだな、先に温泉行くか」
カナタの提案に朔夜も深く頷いた。
「モチョモチョ、モチョモチョモチョ(そうモチョね。食事のことは後で考えるモチョ)」
竹千代丸も同意する。よく探せば、人間でも食べやすい料理があるかもしれない。まずは落ち着いて、温泉にでも浸かって――。
「竹千代丸も一緒に温泉入ろう!」
「モチョ!?(モチョ!?)」
カナタの言葉に、竹千代丸がびっくりする。一緒に温泉だなんて冗談じゃない。
竹千代丸は天使の翼に力を込めた。
「モチョモチョチョ! モチョモチョモチョー!(あたちは女の子モチョ! 一緒に入れるかモチョー!)」
ばっちーん! と翼から張り手を繰り出す。殴り飛ばされて、カナタは訳が分からず困惑した。
「え、どうしたんだよ竹千代丸も行こうよ!」
一連の竹千代丸の行動から、朔夜は確信する。
「……カナタ、一緒はマズいと思う」
真顔でカナタに告げる朔夜。竹千代丸は間違いなく女の子だ。旅館の温泉が混浴であるとはいえ、竹千代丸の乙女心が共に入ることを許さないのだろう。
カナタは状況を理解できていないながらも、「嫌ならしょうがないか……」と諦めた。
(このさくやんとかいう男……こいつはあたちをレディと知ってるモチョね。なかなかのイケメンモチョね)
朔夜の言動に、竹千代丸は感心する。察する能力が高いのはイケメンの証だ。
……そんなわけで、軽くひと悶着あった後。カナタと朔夜は二人で温泉に入ることになった。乳白色の硫黄泉が体をしっとりと温める。
頬にもみじ跡をつけたまま、カナタがひとつの答えに気付いた。
「あ、そっか、あいつチョコだもんな。溶けちゃうしな」
「いや、溶けるどうこうの前にだな……」
朔夜が竹千代丸の性別について話すよりも先に、カナタは調査のことを思い出す。
「あぁ、そうだ。調査しないとな。温泉が気持ち良くて忘れかけてた」
|心霊聴取《クレアオーディエンス》を使い、インビジブルから情報収集を始めた。
「っと、本来の目的って調査だったな」
朔夜も|影狼端末《ルナリンク》で影狼と感応し、調査を開始する。
(――影狼。旅館内に何か妙な気配を感じたら、知らせてくれ)
二人が調査を始める一方で、竹千代丸は二人に気付かれないよう、こっそりと温泉に来ていた。
(できれば女湯に入りたかったモチョけど……)
残念ながらこの旅館は混浴しかない。とはいえ、温泉にどうにか入りたい。
幸い露天風呂は広々としており、岩で死角になっている場所も多い。男性陣がいない場所を見つけることができた。
「モチョ~……モチョモチョ(ふぅ……いいお湯モチョね)」
チョコ菓子の身に影響が及ばないよう、エネルギーバリアで防壁を作る。そうしてちゃっかりと、温泉を漫喫するのであった。
●情報めぐり
悪戯幽霊の過激化という状況に置かれながらも、混魂旅館は自由気ままに営業中だ。
「危うく死にかけるほど危険なのに営業中止しない? 人間のお金が大好きだから……??」
妖狐たちの危機意識のなさに、|知原・琉依《ちはら・るい》(未知の探求者・h12315)が首を傾げた。不思議がる彼女に、ミラ・グレイヴズ(魔法の鏡の付喪神・h12311)が穏やかに返す。
「まあ、人間社会なら考えられない緩さだけど。無邪気で良いと思う。僕は好きだよ、こういうの。……いや、死亡者が出そうなのは全然良くないけどね」
人間とは違う感覚で生きているのだろう。しかし、死者が出てしまっては大変だ。
「そうですよ。せっかく面白い旅館なのに営業停止になったら勿体ないです。ささっと調査して解決しましょ!」
琉依はレギオンに幽霊の警戒をさせながら旅館を散策する。廊下の掃除をしている従業員の妖狐に声をかけた。
「すみません! 少し聞きたいことがあるんですが」
「あっ、いらっしゃいませお客様~。どうぞ何なりと~」
「ここの幽霊さん達って、どうして悪戯してくるんですか?」
「みんな構ってほしいのさ~。遊び相手が欲しいんだ。最近過激なのは、よくわからないけどねぇ」
それらしい心当たりはないようだ。妖狐の話を聞きながら、ミラが思考を巡らせる。
(幽霊にも話を聞いてみた方がいいだろうね。それなら……)
ゴーストトークを発動し、視界内の|幽霊《インビジブル》を生前の姿に変えた。
『あ、生きてるヒト。俺が見えるの?』
知性を得た幽霊がミラに話しかけてくる。ヒトではないが、そこはスルーした。
「こんにちは。最近悪戯が過激になってきてるみたいだけど、何かあった?」
ミラの問いに幽霊はううんと唸った後、悩ましげに口を開いた。
『最近、裏山から変な奴が来ることがあるんだ。それでみんなイライラしてる』
「変な奴が来る……?」
『そいつに当てられて、荒っぽくなるやつもいるんだよ』
幽霊の話を一緒に聞いていた妖狐が横から口を挟んだ。
「裏山といえば、悪い神様を封印したって言われてる祠があるねぇ」
怪しい単語が出てきた。琉依がすぐに食いつく。
「詳しい話を聞かせてもらえませんか?」
妖狐はふと何か考えた後、ニヤリと笑みを浮かべた。
「コンコンッ、これ以上は流石に『業務範囲外』ってやつだなぁ? けど、そちらさんが『奮発』してくれるってんなら……」
ミラは言葉の意味を即座に理解する。なんて抜け目ない狐なのだろう。
「奮発……ああ、心づけってやつだね」
「……いくら渡すのが良いんでしょう?」
ちょっとした作戦会議だ。琉依の疑問に、ミラがコソコソと返す。
「たぶん、いくらでも喜んでくれるよ。君が情報料として妥当だと思う金額でいいんじゃないかな」
話し合いの結果、琉依はツルツルのお札とキラキラの小銭を何枚か差し出した。
「狐さん。こちらを差し上げますので、教えていただけませんか?」
妖狐は喜々と受け取り、ご機嫌な声色で紡いだ。
「あのへんは銀雪の遊び場なんだぁ。アイツの方が色々知ってるかもね!」
他の狐に丸投げか。だが、原因に繋がる情報である可能性は高い。
「女将さんのお子さんでしたね。ありがとうございます。その子に聞いてみます」
琉依はお礼を言った後、すぐに銀雪を探し始めた。琉依の働きっぷりに、ミラがふと口にする。
「ところで、被害が出る前に解決しないといけないのはそうなんだけど……君にしては分かりやすく急いでるよね。そんなに気に入ったの? この旅館」
「気に入ったのもそうですけど、妖怪さんたちの価値観が気になってて。早く終わらせてそっちを調査したいです」
「ああ、なるほど」
ミラは納得した。琉依は情報を集めることに意欲的なのだ。
(……調査するほど複雑なものではないと思うけど、まあいいか)
妖狐たちの価値観はかなりシンプルなのではとミラは思うが、黙っておくことにした。自らの力で知ることも、ひとつの価値だろう。
●和み旅
「ようこそ、混魂旅館へ~!」
妖狐たちがズラリと並んで二人を出迎える。
狐の旅館に、|夜鷹・芥《よだか・あくた》(stray・h00864)は実家の様な安心感を覚えた。
「先ずは癒してもらうとしますか」
|雨夜《あまや》|・《・》|氷月《ひづき》(壊月・h00493)も好奇心に満ちた眼差しで、妖狐を見つめている。
「まずはもふもふマッサージ! 受けてみたいなって! 行こ!」
氷月が此処に来た理由のひとつだ。芥も妖狐に伝わる『もふもふマッサージ』とやらに興味を抱いた。
「へえ、マッサージか……狐が施術すんの?」
「そうなんだって。そんなの普通の旅館じゃ味わえないし!」
瞳を輝かせる氷月。ワクワクしながら二人は施術部屋へと向かった。
部屋に入ると、施術スタッフの妖狐たちが、こーん! と鳴きながら取り囲む。敷かれた布団に寝転がった瞬間、程良い指圧と柔らかな感覚が二人を包み込んだ。
「ふわもふに程よい指圧……新感覚……」
心地よさに氷月は目を閉じる。芥も腰に感じる狐のふみふみを堪能していた。
「これヤバイな……」
感触は確かに狐の手なのに、ちゃんと指圧もあって気持ちが良い。おまけにもふもふな狐が寄り添うものだから、温かいことこの上ない。
(このまま寝ちまいそうになるのもアレだし)
芥は狐たちに退いてもらい起き上がる。
隣の布団で施術を受けている氷月に近付いた。
「はあ……コレは癒し……事務所の狐達にも覚えてもらいた――ん?」
肩に触れた手の感触に氷月は閉じていた目を開く。誰の手なのかは、確認するまでもなくわかっていた。
「お客さん、何処凝ってんの?」
雑に店員の演技をする芥に、氷月が双眸を細める。
「なあに、芥。俺の事気持ち良くしてくれるの?」
「俺も狐なんでサービスしますよ」
氷月はうーんと考えるような素振りをして、ニヤリと口端を上げた。
「でも、もふもふ感が足りないかなぁ。代わりに俺が気持ち良くなれる一言チョーダイ」
なんて無茶振り。氷月の要求に、芥は氷月の耳元に唇を寄せる。
「欲しがりな客だ。帰ってからたっぷりくれてやるから我慢な」
ノープランだが、ちょっとした悪戯くらいしても許されるだろう。
「んふ、それは楽しみだ」
耳へと吹き込まれる囁きに、氷月は笑みを深めた。
空気を読んだ狐たちが見守る中、おふざけが始まる。
「このあたりか?」
「あっ、そこ、ちょっと強い」
「もう少し緩めるか……」
「んっ……そう、それ気持ちいい……」
これはマッサージだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「ふーっ、気持ち良かった! 芥マッサージ上手いじゃん」
「ご満足いただけたようで何より」
満足した氷月に芥がわざとらしく返した。他にも行きたい場所がある。芥は誘いを持ちかけた。
「折角だし温泉でも行ってみるか?」
「んふふ、イイよ。次は俺が背中を流してあげよっか?」
冗談めかして笑う氷月に、芥はふっと楽しげに息を零した。
「お前に背中洗われんの変な感じ。擽るのとかナシで」
脱衣所で水着に着替えて二人は露天風呂へ。湯けむりの向こうに見える幽霊桜が美しい。風呂桶を手に取り、氷月は狙いを芥へと定めた。
「擽るなって言われると、擽りたくなるよねえ……なんて冗談!」
風呂桶を投げる。飛んでくる風呂桶を芥はサッと躱した。
「おっと。ここらの幽霊顔負けの悪戯だな」
風呂桶を避けながら湯に浸かる。何気なく見上げると、満開の桜が視界に飛び込んだ。氷月も隣にやって来て、同じように目を向けた。
「お、景色も良いしイイお湯だね」
湯に肩まで浸かりながら二人で桜を眺める。
「……偶にはお前とのんびり過ごすのも悪くない」
芥がぽつりと呟いた。耳に届く柔らかな声色に、氷月も心が安らぐ。
「そ? なら良かった。俺もアンタとのんびり過ごすの結構好きだよ」
ふわり、ふわり。
青白い桜の花が、湯けむりの中で風に揺れる。
●味わう
旅館のあらゆる場所に、狐、狐、そして狐。
妖狐たちを眺めながら、緇・カナト(hellhound・h02325)はふと気づく。
「キツネのお宿だから混魂旅館なのかなぁ」
コンコン! 妖狐の歓待を受け、|野分《のわけ》|・《・》|時雨《しぐれ》(初嵐・h00536)はご機嫌だ。
「こんこん旅館。お狐さま可愛かった」
マッサージも気になるが、まずは温泉に入りたい。
二人は露天風呂へと向かった。岩風呂を囲うように、幽霊桜が咲き誇っている。
時雨は首まで湯に浸かった。
「あったかぁ。露天風呂好き。顔は涼しいから、のぼせにくい」
隣で肩まで浸かりながらカナトが思ったことを口にする。
「牛鬼君の場合は温泉って言うか、水に浸かってるのが好きなのかと思ってた」
「まあ、水に浸かればおっけいなのは否定できません。でも、やっぱり桜見ながら温泉て贅沢じゃん」
湯盆には徳利とお猪口。日本酒を味わいながら花を楽しむ。
ぷかぷかと浮かぶ湯盆に、カナトは視線を送った。
「あと飲酒できれば何でもおっけー?」
「……それも否定できないけど! 両方合わさるとより幸せじゃないですか」
時雨がお猪口からぐいっとひとくち。温泉とお酒で体もぽかぽかだ。
カナトは頭上に咲く幽霊桜を見上げる。青白い花が風に吹かれ、幽霊のようにゆらゆらと動いた。
湯の上で穏やかに揺れる酒杯、湯けむりの中に咲き乱れる満開の桜。
「確かに、桜眺めながらの晩酌は風流かもねェ」
湯が揺蕩う音に耳を傾ける。不穏な気配があるとは思えないほど和やかだ。
温泉から上がった二人はお食事処へと向かう。
「大満足。眠いけどお腹すいた。わんちゃん何飲んでるの?」
いつの間に買ったのか、カナトの手には牛乳瓶が握られている。
「珈琲牛乳~。風呂あがりはやっぱコレ」
他愛ない言葉を交わすうち、お食事処に到着した。
伝統料理のお品書きを眺めながら、時雨がふと思い出したように話を振る。
「わんちゃん、虫料理いけたよね」
「時雨君ほど虫食べるのおいしいアピールした覚えはナイかなぁ」
「そうでしたっけ? あ、栄養ありそう。モグラ鍋とか食べてみる?」
どうやら看板メニューらしい。時雨の言葉にカナトも興味を示す。
「七草モグラ鍋は気になるね。モグラ肉って珍しくないかい?」
「珍しいかも。酒と合うのかな。ジビエみたいなもんか」
時雨にとって、酒と料理の相性は大事だ。酒と言えば、とカナトがとあるメニューを指差す。
「好き嫌いは兎も角カエルの酒煮もあるみたいだけど……ストレートに酒を牛飲したい君だっけねぇ」
時雨はぎゅっと眉を寄せた。ぴょんぴょん。頭の中でカエルが跳ねる。
「カエルはなんか、やだ……」
生理的に受け付けないらしい。カナトはからからと笑った。
「やっぱりかぁ、其れじゃあ川魚や山菜のオススメ料理も食べて行こう〜」
気になる料理を片っ端から頼んでゆく。しばらくして、伝統料理の数々が先に運ばれてきた。
カナトは七草モグラ鍋を観察する。
「モグラ鍋、見た目はわりと普通だねぇ」
時雨もバッタとミミズの炒め物をじっと見つめた。
「虫料理は昆虫そのまま炒めてるんですね。香りは良いけど、味はどうかな?」
いただきますと手を合わせて、いざ実食。
七草モグラ鍋は、薬草と一緒に煮込んで肉の臭みと硬さを抑えている。
バッタとミミズの炒め物は、海老と魚を炒めたような味だ。
「んー……モグラ鍋、食べられないってほとではないかなぁ」
カナトが率直な感想を言う。時雨も虫の炒め物をもぐもぐと食べた。
「虫料理も見た目はアレだけど、味はそこそこですよ」
普通の料理も運ばれてくる。ヤマメの塩焼きに、ふきのとうの天ぷら等々。
カナトはヤマメの塩焼きを噛み千切る。皮はパリッとしていて、中はふっくらと柔らかい。
「こっちは普通に美味しい」
時雨もふきのとうの天ぷらを頂いた。香ばしさの中に、爽やかな春の香りがする。
「お酒と合う~! うま~!」
風変わりな料理から王道メニューまで、二人は食事を思いきり楽しんだ。
●春をいただく
狐たちの混魂旅館は、今日も多くの客を迎えて大繁盛だ。
旅館を外から見た時、露天風呂を囲う竹垣の塀の向こうに、幽霊桜が垣間見えた。青白い花弁を思い返し、|物部・真宵《もののべ・まよい》(憂宵・h02423)が柔らかに瞳を細める。
「ちらりと見えた幽霊桜、きれいでしたねぇ」
「ああ、青白い桜とは珍しい。後程ゆっくり眺めたいものだな」
|神花《かんばな》・|天藍《てんらん》(白魔・h07001)は館内案内図に目をやった。帳場から程近い位置にお食事処があるらしい。
「真宵、腹は減ってはおらぬか? まずは腹拵えでもしよう」
「はい、ぜひ!」
天藍と真宵はお食事処へ向かった。裏山とそこに咲く幽霊桜がよく見える、窓際の席に通してもらう。
お品書きは妖狐の伝統料理以外に、人間向け料理も充実していた。
「色々あって悩んでしまいますね……」
真宵は考えた末、会席料理を注文することにする。管狐達には和菓子のプレートを選んだ。
一方で、天藍はお品書きの食事とおやつの間で、視線が何度も往復する。
「つい甘味に目がいってしまうが腹拵えだものな。食事を食べねばならぬが甘味も……」
迷ってしまい決められない。悩む彼に、真宵は良いアイデアを思い付いた。
「ふふ、ではクダたちの甘味と交換いたしましょう。それならお食事も甘味も両方味わえますから」
「……! そうか、クダ達と交換すればよいのだな」
天藍がちらりと管狐達を見やる。彼らはどう思っているだろう。
「あなたたちもそれでいいわね?」
「きゅう~!」
「くう!」
真宵の確認に管狐達は賛成の声を上げた。皆、可愛らしくて良い狐だ。
注文後しばらくして、料理が運ばれてくる。地元で収穫したフキノトウにたらの芽。海街から仕入れた甘海老、鯛にヒラメ。春の素材を使った和菓子のプレートも欠かさない。
旬で彩られた料理に天藍は感心する。
「人の宿で出るものと遜色がないな。これも妖力で作ったものなのか?」
給仕の狐が元気よく答えた。
「はい! ヒトの料亭で学びましたので、味も間違いなしです!」
二人はさっそく料理をいただく。
お塩をかけて、たらの芽の天ぷらをサクリ。真宵の口の中に柔らかな春の味わいが広がる。
「美味しい……旅館のお食事なんてひさしぶりです」
天藍も蛤のお吸い物を口にした。蛤から出る旨味が舌の上で踊る。
「出汁の香りが良い。鰹がよく効いておる」
お次に鯛の刺身を口にしようとして……器の端に盛られたわさびが、刺身の一部と接触していることに気付いた。
「む……刺身にわさびが触れてしまっておる……」
「天藍様、わさびが苦手でしたらわたしのと交換いたしましょう。それからこちらの海老の天ぷらもどうぞ」
真宵が交換を申し出た。天藍は申し訳なさそうに眉を下げる。
「かたじけない……良い歳をしているというのに辛いものが得意ではなくてな」
真宵が交換するタイミングで、管狐達も一緒に和菓子のお裾分けだ。
「くぅ!」
「きゅっ!」
「きゅ~ん!」
今様はあんこの串団子を、青藍は桜最中を、露草は苺大福を天藍に渡す。
「む、そのような豪華なものもよいのか? それでは我は三色いなりをやろう。全部味が異なるゆえ、皆で分けるとよい」
天藍は桜の飾り切りを添えた三色いなりを管狐達にあげた。狐色だけでなく、淡いピンク、そして柔らかな緑の油揚げが可愛らしい。管狐達は大喜びだ。
「まぁ、なんて可愛らしい。良かったわね」
美味しそうにいなりを食べる管狐達に、真宵も笑みを浮かべた。
春のごちそうに、窓に切り取られた桜景色がよく映える。
「ふふ……たまには斯様に和やかに過ごすのもよいな。まるで本当の旅行のようだ」
心が安らぐ。天藍の言葉に真宵が深く頷いてみせた。
「ええ、ほんとうに。なんだか旅館の中はすこし落ち着きのない気配がしますが……いまはお食事を楽しみましょう」
問題解決に動くのは、食事を楽しんだ後でも良いだろう。和やかに談笑しながら、二人は心ゆくまで料理を堪能した。
●アヒルさんもおしごと
おきつねこんこん賑やかな混魂旅館。其処には不穏な影が蠢いている――。
「ハル、温泉入るぞ!」
|色城・ナツメ《しきじょう・なつめ》(頼と用の狭間の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00816)が気合の入った声で告げる。水着と|アヒルさん《ラバーダック》もしっかり装備だ。|史記守《しきもり》・|陽《はる》(黎明・h04400)は温泉に入るつもりはなかったが、ナツメの勢いに押されている。
「温泉かぁ……いつぶりだろうと思ったけど、そういえば八曲署に温泉あったね。というか掘ってたね」
壁をぶち抜くし温泉も掘る。√汎神の警察は自由なのだ。世界はなんて広いのだろう。
「仕事はもちろんちゃんとやるが、癒されるときは癒されていいだろ」
折角旅館に来たのだ。温泉に入らないなんて勿体ない。メンタルにダメージが来る仕事だからこそ癒しは大切だ。
「……うーん、ナツメくんが入るなら入ろうか。確かに休息は大事だよね」
「あぁ、ハルも道連れだ。お前も癒されろ」
陽が断ったとしても、ナツメは陽を引き摺っていくだろう。
俺は休まなくても大丈夫なんだけど……と陽は思いつつ、言える雰囲気ではない。あっさりと折れ、旅館から水着を借りた。
幽霊桜が咲き乱れる露天風呂に到着し、二人はさっそく湯に浸かる。
「あー……手足伸ばせるのマジでいいわ……」
ナツメは隣に浮かぶアヒルさんを、つんつんとつつきながら寛ぐ。
「確かに足を伸ばせるのっていいね。普段あんまりゆっくりと出来ないしさ」
陽も足を伸ばしながら、ぷかぷかと揺れるアヒルさんを見やった。
「ナツメくんはやっぱりアヒルさん持ち込んでいるんだね。本当にナツメくんはアヒルさんが好きだよね」
「もちろんハルの分もあるぞ」
ナツメは第二のアヒルさんを取り出す。湯に浮かべて陽の方に流した。
「えっ……俺は大丈夫……」
「遠慮すんなよ、ほらほら」
アヒルさんのつぶらな瞳と目が合う。
「あ、うん……ありがとう」
断り切れずに受け取ってしまった。
(家に突然アヒルさんを連れて帰ったら同居人が驚くだろうな)
家の風呂場にも浮かべるべきか、家のどこかに飾るべきか。
陽が真剣に悩む一方で、ナツメは寛ぎながらもインビジブルの動向を観察している。
(せいぜい桶を飛ばすくらいで、悪質ないたずらはしてないようだが……)
桶を片付けている清掃員の妖狐に声を掛けた。
「なあ、ちょっといいか」
「いかがなさいましたか?」
「最近幽霊の悪戯が過激になってるって聞いたんだが、今日は落ち着いてるみたいだな?」
清掃員が手を止めて、考え込むように首を傾げる。
「そうですねぇ……理由はわかりませんが、日によってムラがあるのですよね」
陽も二人の会話を聞いていた。
「日によってムラがある……? 常に過激ってわけじゃないんだ」
温泉に浸かりながら思考を巡らせる。血流がよくなり、頭の回転が早くなっているような気がした。
「原因は旅館の中じゃなくて、外にあるとか?」
外に原因があるなら、旅館の妖狐が原因を知らなくても不思議ではない。
さらに深く考えようとしたところで、ナツメのアヒルさんが突然宙に浮いた。
「あ、ナツメくん。アヒルさんが飛んでるよ」
幽霊たちの悪戯だ。ナツメがアヒルさんを掴もうとすると、空中でアヒルさんが逃げる。しかし、攻撃性や悪意は感じない。
「……欲しいのか? いるか? やるよ。俺はまだ家に予備があるから遠慮なくもらってくれ」
ナツメが穏やかに言えば、幽霊たちはそのままアヒルさんで遊び始めた。
彼らの様子に、陽が思ったことを口にする。
「幽霊自体に原因があるようには見えないね……」
「ああ、風呂上がったら、旅館周辺のことも聞き込みすっか」
ナツメも同意見だ。頷いてみせたあと、肩まで湯に浸かる。まずはしっかり温泉でリフレッシュしてから仕事に集中したい。
乳白色の濃厚な硫黄泉が、ナツメと陽をしっとりと癒した。
●混沌道中
風情ある佇まいの門をくぐり、妖狐たちが営む混魂旅館へと彼らは足を踏み入れる。狐の姿だけでなく、あちこちで幽霊が漂っていた。聞いていた通りの旅館だ。
「ゆうれいさんたちがいたずらしてくる旅館かぁ……ちょっとこわいきもするけれど……かんがえてみれば、ひつじさんたちもいたずらするし、あんまりかわらないかも?」
|鐘音・ちりん《べるね・ちりん》(すとれいしーぷなヒツジ飼い・h08665)の言葉に、|冷・紫薇《⋆*✲ろん・ずーうぇい✲*゚》(沦落織女・h07634)は羊たちの悪戯を思い描く。
「ちりんちゃんとこの羊のイタズラって、そんなにわるーいヤツなのかなぁ」
「……あ、あんまりすごいいたずらはしないよぉ!」
女子二人がきゃいきゃいと騒ぐ横で、|水縹《みはなだ》・|雷火《らいか》(神解・h07707)は空中を浮遊する幽霊を睨んでいた。
「幽霊っていうのはどいつもこいつもロクでもないやつばかりなのか? やたら悪食なやつとかやたら飲んだくれてるやつとか」
幽霊ディスが耳に届き、紫薇が即反応する。
「一部のロクデナシユーレイのせいであたしらまともユーレイまで厳しい目で見られんのひっどーい!」
「俺が今言ったこと聞いてなかったのか?」
雷火はジト目で紫薇を見やった。今まさに例として挙げた幽霊の中には、当然紫薇も含まれている。
紫薇は雷火の眼差しにめげず、ぱちりとお茶目にウインクしてみせた。
「ユーレイ生活も意外と悪くないから、雷火くんもレッツユーレイライフだよ!」
幽霊生とは第二の人生! ノリと勢いで勧誘すれば、雷火の表情はより険しくなる。
「俺、こんな死に方だけはしたくないな。ってかまだ死なないし!」
館内の幽霊たちが三人をちらりと見ては、くすくすと笑いながら通り過ぎてゆく。
幽霊を眺めながら、ちりんは旅館に来た目的を思い出した。
「……っと、ゆうれいさんたちが最近あばれてるの? それは解決しなきゃだねぇ」
できればおともだちになりたいけれど、むずかしいかも?
などと思いつつ、きょろきょろと周囲を観察する。不思議なことは見逃さないようにしなければ。
紫薇から謎の勧誘を受けてカリカリしていた雷火も、本来の目的に意識を戻した。
身近にロクでもない幽霊ばかりがいるから、幽霊をぶん殴ることには慣れている。
「幽霊が悪さしたらぶん殴ってやる……けど、とりあえず腹拵えだ!」
ぐ~、とお腹が鳴った。腹が減っては戦ができぬ。ちりんも彼の意見に大賛成だ。
「お料理、楽しみだね!」
「めめっ!」
羊たちも楽しみにしているようだ。気分の高まりを表すように、毛がもふっと膨らんだ。一方紫薇は二日酔いが酷すぎてグロッキーだが、幽霊なので多少不健康でも問題なかろう。
「おいしい料理楽しみー!」
今回は家でかっぱらった酒1杯だけで我慢したい。オトナの女性として、そこは自重するつもりだ。
……地酒の誘惑にも、絶対に負けない!
三人は早速お食事処へと向かった。小上がりの広々とした宴席でお品書きを開く。
雷火にとって旅館の料理は初体験だ。しかし残念ながら、大好きなハンバーガーもナポリタンも載っていない。どう見ても食べれそうにないゲテモノ料理か、今まで散々食べてきた和食ばかりだ。
「これ、は……水縹に居た時に食べたのに似てるものか、なんか悪食クソ怨霊が喜びそうなものばっかりじゃないか。外食の楽しみは何処だ……なぁ、マト衛門、お前もそう思うだろう?」
「メェ?」
羊が首を傾げた。彼らはお品書きに夢中で、雷火の話を殆ど聞いていなかったようだ。ちりんもお品書きを眺めていたが、虫料理のグロテスクな写真から目を逸らす。
「で、伝統料理は……ひつじさんたちならイケるかもだけれど、ぼくは遠慮しておくよぉ」
紫薇も虫やらカエルやらには興味を示さない。
「マジで伝統料理はちょーっと胃が受け付けないなぁ。いや子供の頃なら普通に食べてたけどさ」
懐かしくはあるが、食べるかと言われたらNOである。
最終的に皆が選んだのは、エビの天ぷらがのった料理の数々だ。
注文後、妖狐たちが料理を運んでくる。
ちりんが頼んだ物は、エビと菜の花の天ぷらをのせたうどん。
「てんぷらのせおうどん! おいしそうだねぇ」
「めー!」
香る昆布だしに、羊たちも興奮気味だ。
「あたしはエビ天! お酒と合いそー!」
紫薇が頼んだ料理はエビ天の盛り合わせ。こごみの天ぷらも合わせ、春の山菜で緑を添える。かなりのボリュームだ。腹の肉が気になるところだが、温泉には入らないので遠慮なく食べてしまおう。
そして雷火が頼んだ料理も、これまた豪快な特大エビ天のせ蕎麦だ。食べ応え間違いなしだろう。
「せめてものジャンキーだ。いただきま……」
雷火が箸で天ぷらを掴もうとした瞬間、天ぷらが宙に浮き上がった。
突然浮いたエビの天ぷらに、ちりんが驚く。
「あっ! 雷火くんのえびが!」
幽霊の悪戯だ。
「あっ!? この、クソ幽霊! 俺のエビ天返せ!」
雷火が必死に箸で捕まえようとするが、エビ天は機敏に動いて逃げる。
紫薇は天ぷらを肴に酒をぐびっと流し込みながら、からからと楽しげな笑い声を上げた。
「あはは、エビ天が空を泳いでるー」
宙を舞うエビ天に興味を示したらしく、羊たちがつぶらな瞳を光らせる。
「メェ~!」
「めっ!」
羊たちも逃げ回るエビ天を追い回した。
「マト衛門、ラム吉……お前たちも取り返そうとしてくれてるんだな……!」
彼らの行動に雷火は胸が熱くなる。
(ひつじさん、空飛ぶえびで遊んでるだけのような気も……)
ちりんは黙っておくことにした。世の中には言わない方が良いこともあるのだ。
酒をもう一口飲みながら、紫薇は酔った視界で空飛ぶエビ天を眺める。
「旅館のユーレイもエビ天食べたいのかな? ……あ、地酒おいしそう」
欲望と自重の狭間で揺れるユーレイ。遊ぶ羊に、空飛ぶエビ天――果たして雷火は特大エビ天を食べることができるのだろうか?
第2章 冒険 『邪霊祓いの儀式』
●
『裏山から変な奴が来る』
『そいつに当てられて、荒っぽくなる幽霊がいる』
『裏山に悪い神様を封印したと言われている祠がある』
『裏山は銀雪の遊び場』
ゴーストトークで幽霊と会話し、従業員の妖狐からも情報を得た。
√能力者らは、何かを知っていそうな子狐……銀雪を見つけ、話を聞き出すことに成功する。
「え、えっと、じつは……術の修行中に、間違って祠を壊しちゃって……えへへ……」
大人たちに怒られるのが嫌で、バレないように『変化の術』で見た目を誤魔化しているという。
そういえば女将狐も、銀雪について『変化の術が上手で、他人や物を化けさせることもできる』と言っていた。銀雪は才能を悪用して、祠を破壊してしまったことを黙っていたのである。
全てを白状した銀雪は、裏山の祠まで案内してくれるという。大人の妖狐たちも、祠を修理するため同行してくれるとのことだ。
√能力者たちは祠へと続く山道……幽霊桜の群生地へと足を踏み入れた。
桜並木の山道は、まるで絵画の世界のように美しい。だが、景観を純粋に楽しむことはできないようだ。
幽霊が言っていた『変な奴』が、木々の間から睨みを利かせている。
「グルルッ……」
黒い犬だ。黒い霧のようなモノが、犬の形を取っている。霧からは強烈な憎悪と敵意を感じた。彼らは悪しき神気に汚染されたインビジブルが変異した邪霊だ。狐たちも酷く驚いている。
「少し前に来た時はこんなのいなかったぞ!? 」
「隠れていたか、今までは数が少なかったのかも……」
『悪い神様』が少しずつ邪霊を増やし、勢力を強めようとしているのかもしれない。その影響が裏山の側にある旅館まで及んでいたか。
とにかく、この邪霊たちを祓い清めなければ先に進めない。行く手を邪魔してくる上、放置しておけば旅館に悪さをするだろう。
※妖狐たちは身を守るための術が使えるので、護衛する必要はありません。
※邪霊は非常に凶暴な野犬のイメージです。牙と爪で攻撃してきます。
●邪霊祓い
幽霊が過激になった理由が、子狐の仕業だったとは。
「そっか~、間違って祠壊しちゃったんだな。まぁ、誰にだって間違いはあるさ」
話を聞いた|日南・カナタ《ひなみかなた》(捜査三課の異能捜査官・h01454)は銀雪を慰める。悪気はなかったのだから、まずは気持ちに寄り添うべきだ。
|式凪・朔夜《しきなぎ・さくや》(影狼憑きの霊能力者・h07051)も銀雪に同情しつつ、言うべきことはきっちり言う。
「あ~、そっかなるほどな。銀雪の気持ちも分かるっちゃわかるけどな……でもやっぱ、隠してたのはダメだと思うぞ」
「そうそう! それをちゃんと大人達に言わなかったのは駄目だぞ」
カナタも銀雪をめっ、と窘めた。
ダメなことはダメだとはっきり告げることも大切だ。
「うぅ、ごめんなさい……」
狐のお耳をしゅんと寝かす銀雪に、日南・竹千代丸(♰聖チョコ菓子天使タケノコ♰・h07414)もモチョモチョと話す。
「モチョモチョ~~……モチョモチョチョ~~(変化してまて壊したのを誤魔化していたのはちょっと悪質モチョよ~~。でもまぁ可愛いから許したくなっちゃうモチョね~~)」
けれど甘やかしてはいけない。竹千代丸は気を引き締める。
「モチョ! モチョ……! モチョチョ……ッ!(でも早くなんとかしないともっと大変な事になるモチョよ! その祠にいたという悪しき神……一体どんなものなのか……力を完全に取り戻す前に倒すか再び封印しないとモチョ!)」
真剣に語る竹千代丸のモチョに、朔夜は耳を傾ける。
モチョモチョ言葉が可愛らしい。何を言っているかは相変わらずわからないが、必死さは伝わってきた。反省している様子の銀雪に、朔夜は言葉を続ける。
「……まぁ、こういうのって時間かけるほど言い出しにくくなるってのも分かるしなぁ」
ちらりと前方に目線をやった。お説教はこれまでのようだ。
「グルルッ……」
木々の間から姿を現す黒い犬。
唸り声を上げる邪霊に、朔夜は眼差しを鋭く尖らせる。
「うん……黒い犬……か。あちこちから視線を感じるな」
「モチョ、モチョチョ、モチョモチョ!(沢山湧いてきてるモチョね!)」
竹千代丸も警戒態勢に入った。銀雪が驚きに目を丸くする。
「変なのがたくさん! ど、どうしよう、ぼく取り返しの付かないことをしちゃった?」
怯える銀雪を守るようにカナタが前に出た。カナタ式ロングハンマーを構え、犬の群れと対峙する。
「やってしまった時に言ってくれれば早く対処出来たかもしんないけど~、ま、怒られるのは怖いもんな! でも心配すんな! 俺達がなんとかする!」
カナタは邪霊たちを睨む。悪神の気に当てられた彼らをどう倒すか。
「こいつをなんとかして早くその祠のとこに行かないとね。でもどうやったら祓い清められるんだろう……あ!」
ハッとしたように竹千代丸を見るカナタ。竹千代丸がタケノコボディを不思議そうに傾ける。
「モチョモチョ?(こっち見てどうしたのモチョ?)」
「竹千代丸! お前神聖攻撃出来るよな! 俺達があいつを牽制するから……モチョモチョ言ってないで宜しく頼む!」
モチョモチョ言ってないで――それは竹千代丸にとって、あまりにも失礼な言葉であった。
竹千代丸は天使の翼を羽ばたかせて力を溜める。
「モチョモチョチョ! モチョ~!(あたちは真剣に話してるモチョ! このわからず屋モチョ~!)」
ゴッ!
カナタに突撃し強烈な頭突きを喰らわせた。
カナタは吹き飛びそうになるも、敵が目の前にいる手前どうにか踏み止まる。
「ぐはっ!? なんで頭突きするんだ!?」
彼には頭突きをされた理由がわからない。
一連の光景を眺めながら朔夜は思う。ボケとツッコミを見ている気分だ。喧嘩をしているというより、仲が良いからこそ遠慮がない。
「竹千代丸は真面目に話してたんだと思うぞ」
仲いいんだなぁなどと思っていると、邪霊が苛立ったように吠える。
「ん~、そうなのか……? っと、犬がこっちに来る!」
カナタはハンマーを強く握り締め、全身に力を込めた。敵に向かって振り回し、それ以上近付けないよう牽制。邪霊の攻撃はハンマーにすべて弾かれる。
朔夜も邪霊の牙と爪を遠ざけるべく、|獣縛の爪牙《ケルベロス・クロー》を発動させた。
「さて、俺の『影狼』とどっちが強いかな?」
挑発に反応した邪霊が朔夜へと駆ける。
迫る邪霊、その喉笛を朔夜は視界に確と捉えた。
「爪牙は、喉笛を逃がさない」
影狼の力――狼爪牙を繰り出し、敵の黒い喉笛を深く引き裂く。邪霊は断末魔の吠え声を上げながら消え去った。
それでもなお次々と迫り来る邪霊の群れに、竹千代丸はタケノコステッキを構える。
カナタの失礼な発言はともかく、彼が提案した『神聖攻撃』は試す価値ありだ。
「モチョモチョモチョチョ!(神聖なるタケノコステッキの光を受けるモチョ!)」
カナタや朔夜に気を取られている敵に狙いを定め、聖なる輝きに満ちた光線を放つ。神聖攻撃は邪霊に届き、その黒い体を強烈な光で掻き消した。
「へぇ、結構効くんだな」
神聖攻撃がどんな効果をもたらすのか期待していたが、まさかここまでとは。
光が邪霊を消滅させる光景に朔夜が感心する。
カナタも竹千代丸の力に瞳を輝かせた。
「おおっ、すげー!」
最近のソウルフードは光線を放つらしい。否、もはやソウルフードを超越した存在であるが。
邪霊は聖なる光を嫌う。残存する敵のうちの1匹が、竹千代丸に殺意を向けた。
殺気の変化に朔夜が気付き、邪霊と竹千代丸の間に立ち塞がる。飛び掛かってくる敵を狼爪牙で祓い裂いた。
「怪我はないか?」
竹千代丸に問いかける。怪我と表現してよいかは若干疑問が残るが。
「モチョモチョチョ(助けてくれてありがとモチョ)」
朔夜のナイスフォローに、竹千代丸はキュンとする。
(イケメンポイントがどんどん上がっていくモチョね)
竹千代丸のチョコは無事だ。邪霊ごときのお供物になるつもりは毛頭ない。
三人は力を合わせ、着実に邪霊の数を減らしていった。
●雨と狼
妖狐を引き連れて、二人は幽霊桜が咲き誇る山道を登る。
「こんこんさん! まあ、壊しちゃったものはしょうがないよね」
落ち込む銀雪に、|野分《のわけ》|・《・》|時雨《しぐれ》(初嵐・h00536)はへらりと笑んでみせた。
なんとも軽い調子に、緇・カナト(hellhound・h02325)はふと疑問を抱く。
「祠壊しちゃったりするのって流行ってるのかなァ。√妖怪の地元民の牛鬼クン的にはどう思う?」
祠を壊して変なモノが出てくるなんて依頼は山ほどある。祠破壊が最近のトレンドなのかと疑うくらいだ。
カナトの問いに、時雨は当然のように言い放った。
「よくあるんじゃない? 壊し、呪われ。うちも昨年、ご主人が祠壊してました」
「昨年の思い出話でも壊されてる!」
二人の会話に銀雪がぽつりと呟く。
「……祠って意外と脆いんだよね……」
大人の妖狐がすぐに銀雪を叱った。
「ならば猶更大切に扱うべきなのだぞ? 隠し続けてたらどうなっていたことか」
「うぅ……ごめんなさいぃ」
怒られる子狐を眺めながら、カナトは静かに息をつく。
「隠してたって仕方ないから、さっさと正直に白状しちゃえばイイのにねェ」
邪悪な気配を捉えた。黒い犬の姿をした邪霊の群れが、行く手を阻んでいる。
「すごい! 黒くて凶暴な。殺気立ってる~」
野良犬を見つけたノリで言うカナト。時雨も黒い犬をのんびりと眺める。
「なんて凶暴な犬ちゃん! 今にも噛み付いてきそう」
殺気立つ敵に対し二人は余裕の構えだ。カナトが思い出したように口にした。
「野犬みたいで何かにそっくり。時雨君は見覚えあったりする?」
ただの誘導尋問だ。しかしながら、仮に誘導尋問でなかったとしても、時雨の答えは決まっている。
時雨はわざとらしく紡いだ。
「怖いよう。誰かさんに似てるかも。犬ちゃんに親近感ある?」
「親近感はナイかなァ、さて倒そうかな」
バッサリと斬り捨てるように告げて、カナトは|千疋狼《オクリオオカミ》を呼び寄せた。邪霊も獣も、昏い月夜に御用心。イヌ擬きにはオオカミを。ただし五十匹近い群れ! 数の暴力で擬きとの違いをわからせてやろう。
オオカミを思わせる影の獣の群れに、時雨の視界は犬と狼でいっぱいになる。
「うわうわ狼さんまでたくさんと……わんわんパラダイス……?」
黒い霧と影でモフみはないけれど。そして狼の群れの長はカナトだ。
「群れ同士の縄張り争いみたいだねェ。ほら、不法占拠してる邪霊犬にオシオキしてこ」
カナトは狼たちに命じる。狼たちは銀月の瞳をギラつかせ、血濡れた爪牙を犬へと閃かせた。
時雨も合わせて追撃を始める。
「ぼく犬派なので、良心が咎めるんですけど。悲しいなあ、悲しくて雨が降っちゃいます」
|鬼雨《キウ》が上空から降り注いだ。激しい豪雨が邪霊へと打ち付け、霊体にこびり付いた邪を祓い流す。
犬がブルブルと体を揺らし、雨を払い落とそうとした。時雨は目敏く見つけ、卒塔婆で容赦なくぶん殴る。
「コラ! 犬ちゃん! めっ!」
「キャインッ!?」
怪力を込めた殴打が敵を吹っ飛ばした。逃げ場もなければ、濡れた体を乾かす余裕だって与えない。
雨でずぶ濡れになった犬を、カナトの狼たちが次々と狩ってゆく。
憎悪と敵意を切り裂く様を眺めながら、カナトはちらりと頭上に咲く桜を見上げた。
「平和に幽霊桜の群生地も楽しめたら良かったのにねぇ」
カナトに釣られて時雨も視線を上げる。桜が雨水を垂らしながら揺れていた。それでも色褪せぬ青白い花弁は、艶やかで美しい。
「わるいものが居なくなったら、お酒と肴を持ってきてお花見したいですね」
雨に濡れた桜も風情があって良い。うっかり桜流しにならぬよう、時雨は鬼雨を降らせる位置に気を配る。
桜の下で雨を凌ごうとする犬は、カナトの狼が豪雨の中へと追い立てた。
逃げ場なしの雨と狼たちの猛攻が、邪霊たちの数を減らしてゆく。
●清めの風、祓いの焔
幽霊の悪戯が過激化した経緯には子狐が関係していた。
だが、大人でも間違いを犯すのだから、子どもであれば猶更とも言えよう。
「やらかしちまったのか……まぁ、叱るのは親の役目だろうし、最悪になる前にちゃんと白状したのでよし。修行してたのも偉いな……」
|色城・ナツメ《しきじょう・なつめ》(頼と用の狭間の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00816)は、銀雪の頭をよしよしと撫でる。
銀雪は照れ臭そうに狐耳を震わせた。
「そ、そうかな……ぼく、がんばって修行して、父さんや母さんみたいな立派な妖怪になりたいんだ!」
銀雪の言葉に、|史記守《しきもり》・|陽《はる》(黎明・h04400)は微笑ましく思う。
「素敵な目標だと思うよ。これからも頑張って」
銀雪の憧れは理解できた。立派な刑事になるため、陽も走り続けている最中なのだ。
銀雪は嬉しそうに笑うも、自分がしたことを思い出してしゅんとした。
「……あっ、でもこんかいはやらかしちゃった……」
落ち込む銀雪をナツメが励ます。
「まあ人も妖怪も、色々やらかしながら成長するもんだ。俺もヤンチャしたからな」
不良集団との喧嘩や、他にも軽々と言えないようなことをやらかしたものだ。
他方、陽は今も昔も優等生だが、子どもが悪戯をする気持ちは理解できる。
「君くらいの歳の子ってどうしてもこういう悪戯をしたくなっちゃうよね。起きちゃったことはもうどうしようもないし、大人がどうにかしよう」
二人は前方に立ち塞がる敵を見据えた。犬の姿をした邪霊が唸り声を上げている。
「さて、祠までぶっ飛ばしていくかハルさんよぉ」
ナツメがニヤリと口端を上げた。アヒルさんと温泉に入って気分もいい。
調子がよさそうなナツメに、陽も笑みを返した。
「ぶっ飛ばすか――あはは、解った。全力で行こうか!」
久々にゆっくりできたし、体もいつもより軽い気がする。
ナツメの周囲を青白い風が渦巻き、はぐれ鎌鼬「蒼」が顔を出した。
「蒼も力を借りる、頼んだぞ」
疾風と共に駆け、邪霊の群れに突撃するナツメ。
邪霊がナツメに噛み付こうとする。だがその動きは予測済、むしろ好都合だ。
「――蒼との合わせ技だ! 喰らいな!」
邪霊の牙はナツメに届かない。先制攻撃の蹴りが鼻先を砕いたのだ。
他の邪霊が側面から迫るも、風と霊力を乗せた早暁の『疾・鎌風』が彼らを叩き斬る。
「はっ! 風も霊気も調子いいな!」
飛び付いてきた邪霊の首根っこを掴んでぶん投げた。
ナツメが思う存分暴れ回る一方で、陽も邪霊たちと正面から対峙する。
「悪い気にあてられて邪霊になっちゃったってのは少し可哀想だけど、放っておくことなんてできないから」
せめて解放してあげたい。払暁に破魔の力を込め、黄金の焔を滾らせた。
(黄金の光焔で、穢れてしまった彼らの魂を焼き祓ってみせる)
清浄な輝きに邪霊たちは一瞬怯むも、すぐに勢いを取り戻す。
襲い来る彼らを刃に捉え、陽は|暁降《ソール・オリエンス》を発動した。
「君達に夜明けがありますように」
そう、祈りを込めるしかできないのが歯がゆい。
夜の帳を切り裂く浄焔が、憎悪に塗れた邪霊の群れを薙ぎ払った。暁光の如き耀きに灼かれ、邪霊は次々に消滅する。
「ハル、そっちはどうだ!」
ナツメの呼びかけに、陽は力強く頷いてみせた。
「俺は大丈夫だよ、問題ない」
風と霊力、そして焔が、邪悪に成り果てた幽霊を祓い清めてゆく。
幽霊桜が風に揺れ、青白い花弁がはらりと落ちた。
「気持ちよく過ごせる旅館だったし、この桜も綺麗だし……最悪が起きる前に早く解決しないとな」
舞い散る桜を見つめ、ナツメは改めて意志を強く抱く。
「そうだね、凄く良い場所だったからあの場所を守らないと。俺達にできることをしよう」
陽の湛える光焔はさらにその勢いを増した。
邪悪な存在を祓い、この美しい景色と旅館を守りたい。
●鎮め香、眠り雪
幽霊桜が並ぶ山路は、邪悪な『気』に溢れている。
邪霊――黒い犬の群れが祠に続く道を塞いでいた。彼らが纏う濃厚な殺気に、|物部・真宵《もののべ・まよい》(憂宵・h02423)は眉を寄せる。
「まぁ……なんて強い憎悪なんでしょう」
山の空気が穢れている。
「童の悪戯か……中々に凄いことをしたものだ」
|神花《かんばな》・|天藍《てんらん》(白魔・h07001)も邪霊を視界に捉え、その多さにそっと息を吐いた。憎悪に支配された姿が痛ましい。
「斯様に強い神気ですと祓うのも一苦労なのでは。なんとか浄化してあげられたらよいのですが……」
悪神の穢れに侵されたままでは霊も苦しいだろう。
可哀想だと真宵は思う。彼らはただ其処に居ただけ。それなのに悪神の毒気に曝されてしまった。
「触ぬ神に祟りなしというだろう。悪しき神に関わると碌なことがないのだ。そのようなものに、関わらない方がよいのだよ、本来は」
天藍は淡々と語る。悪神は相手が何者であろうと容赦しない。むしろ好機と、その手を伸ばしてくることさえあるのだ。天藍にも心当たりがあった――この場で思い出したくはないが。
「真宵、もし悪しき神がどのような事情だったとしても下手に同情するでないぞ。悪しきものはその隙をつく。哀れなこの者達のようにな」
だからこそ、早急に祓ってやらねば。天藍は冬の力を外界へと表出させる。
凛冽な気配を隣に感じながら、真宵も心を決めた。
「そう、ですね……|夜行《ここ》は、付け入るのが得意なものばかりですから」
管狐たちも黒い犬を前に、牙を剥き出しに唸り声を上げている。いつものきゅうくうと可愛らしい様子とは打って変わり、険しい顔つきだ。
「ウゥゥ……!」
「あら……? 今様、露草どうしたの、そんなに毛を逆立てて」
「ギィッ!」
今様が鋭く吠えた。その意味を真宵はすぐに理解する。
「……「ヤな奴!」ですって? ふふ……戦うつもりなの?」
「ギャウ!」
露草がこくっと頷いた。二匹はやる気に満ち溢れている。油断を誘うためにも、好きにさせてみるのもいいかもしれない。
「わかったわ、あなたたちの思うようにやってみて」
凛と構える今様と露草に、天藍も声をかける。
「……今様、露草。お前達も同じ気持ちであれば共に戦おう。……青藍も安心せよ。真宵に障りがあるようなことには、この|終焉《ふゆ》がさせぬ」
「くぅ!」
少し心配そうにしていた青藍も、天藍の言葉を聞いてホッとしたようだ。
管狐たちにお返しとばかりに唸る邪霊。その頭上には青白い桜が満開だ。
天藍を取り巻く冷気が鋭さを増す。
「さて……季節外れの雪だがな。お前たちの魂に巣食った邪を白く染め上げよう」
青白い桜と共に舞う|消えせぬ雪《トコシエノフユ》は、美しく映えるだろう。それは最期に見せてやれる唯一の景色でもあった。
(哀れな邪霊に|終焉《ふゆ》の慈悲を)
氷雪の嵐が邪霊の命を凍てつかせる。破魔の深雪は憎悪を白で覆い尽くし、永久の眠りに誘う。
「赦せとは言うつもりはない、だが、せめてお前達の逝く果てにさいわいがあることを願おう」
邪霊たちは銀世界に沈んだ。
散る命もあれば、悪足掻きする命もある。
だが、絶対に逃がしはしない。羊を追い立てるように、管狐たちは抵抗する邪霊を包囲する。追い込まれながらも威嚇する邪霊を、ふわりと香気が包み込んだ。
|蒼花雨香・泡沫儚宵《エフェメラル・フルリール》――雨に濡れた紫陽花のような幽けし香気が、邪霊の乱れた心を夢見心地の甘やかな陶酔に落とす。真宵は優しく邪霊たちへと語りかけた。
「だいじょうぶ、雪は冷たいかもしれませんが、怖いものなんて何にもありませんよ。だからどうか、ゆっくり眠ってくださいね」
邪霊たちの低い唸りが途切れる。彼らはその場に倒れ込み、うつらうつらと微睡み始めた。
彼らの体には雪が降り続け、黒く穢れた体を純白に清めてゆく。
邪霊たちは悪神に与えられた熱を失った。憎悪の情念を忘却し、安らかに消滅する。
●邪霊狩り
不吉にざわめく風が山路の桜を揺らす。
青白い花弁が散る中で、穢れた漆黒の犬が獰猛な瞳をギラつかせていた。
「犬っころの邪霊ときたか」
|夜鷹・芥《よだか・あくた》(stray・h00864)に向かって邪霊が吠える。
威嚇する声が煩い。邪霊を観察し、|雨夜《あまや》|・《・》|氷月《ひづき》(壊月・h00493)が所感を語る。
「わあ、分かりやすく汚染されてるー。しかもコレって実体無いタイプ?」
「グルル……!」
邪霊たちは唸り声を上げた。悪しき神気に汚染された魂は、憎悪と敵意を剥き出しにする。
「こういうのの対処って塩とか酒とかだっけ? 流石に俺もお祓いとかはできないし……どうしよっか、芥」
氷月がちらりと芥を見やった。芥は思案するように瞳を伏せる。
「祓いの力は……俺は得意分野じゃないが、狐の神使なら多少は効くか?」
眼前に危機が迫っているというのに、一切の焦りを感じさせない。
実際、二人は落ち着いていた。目の前の猛犬をどうやって祓おうかと、悪友同士で内緒話。
コンコン。足元で鳴き声がした。
いつの間にやら、芥の足元には黒狐が付き添っている。
コン! と声高に鳴けば奇妙な煙が噴き上がり、徳利とお猪口が飛び出した。
「御神酒祓いってやつだ。試してみよう」
不思議な酒の大盤振る舞いだ。可愛らしい黒狐の術に、氷月はぱちりと瞬く。
だがそれも束の間。驚き以上に湧き上がる好奇心に表情を綻ばせた。
「んふふ、それはなんか効きそう」
銀片に酒を滴らせ、氷月は潤う刃に邪霊を映し込む。
ついでに己の月の力も注げば、刃はより一層の輝きを増した。
「試し斬りっと!」
一息に駆けて邪霊を斬り裂く。裂かれた邪霊が悲鳴を上げた。薄まる黒は、効いている証だ。
「お、効いてそ? んじゃ、コレでサクッとやっちゃおうかな!」
氷月は牙や爪を躱しながら銀片を閃かせる。
氷月に続き、芥も得物に酒を染み込ませた。花影の太刀に滴る酒の雫を指先に這わせる。ほぐれた身体はいつもより些か軽い。
「……ワンちゃんと遊びますかー。構ってもらえて嬉しいだろ?」
今は気分がいい。ご機嫌斜めな犬っころへと肉薄し、赫い葩を舞い散らせた。
穢れた漆黒の気が鋭く裂かれて宙に舞う。邪霊は花弁の如く散り、空気中に霧散した。
「なかなかの切れ味だな。残ってんのも全部斬っちまおう」
「はいはーい」
芥の声掛けに氷月が笑顔で応える。
青白い桜並木の下で、二人は清浄な刃を振るい踊る。まるで神へと捧げる演舞のようだ。氷月の斬撃に重ねるように、芥が邪霊たちの体躯を斬ってゆく。斬る度、確かな手応えを感じた。
ふと、氷月の背後に敵の気配。
「――〈|迷鳥《マヨワシドリ》〉、来い」
より深い狐の暗闇を魅せてやろう。揺らめく芥の影は、黒幻影の狐へと姿を変える。
狐は邪霊の喉笛を食い破った。背後で消滅する邪霊に氷月は目もくれず、目の前の邪霊と遊び続ける。――けれど、それもそろそろお終いだ。
「かくれんぼの時間だよ。ま、見つかってあげる気はないけどね」
迫り来る邪霊を斬り伏せて幻雲を纏った。|雲隠《ツキカクレ》は氷月の姿を隠す。
邪霊たちの行動は単純だ。氷月を見失った彼らは芥へと狙いを替えた。
――氷月の存在が意識外に消えた瞬間、雲間から覗く月が闇を照らす。
銀片に宿る月光が邪霊を|解体《バラ》した。その爪と牙は芥に届かず、儚く崩れ落ちる。
芥は消えゆく魂を見下ろした。悪しき神気に侵されていようが、狩りの基本を知らぬ獣に負ける気はしない。
「躾のなってねぇ犬は嫌いだな。氷月、お前もそう思わねえ?」
芥が目線を上げた。氷月は銀片に付着した穢れを乱暴に払い落とす。
「んふふ、それは時と場合によるね。今の気分は嫌い寄りかな。もっとゆっくり旅館楽しみたかったんだけどな、なんて」
「はは、違いない、旅館の余韻にくらい浸らせろってな」
敵を見つめる芥の眼差しは冷たい。
空気が読めない猛犬は、さっさと駆除してしまおう。
第3章 ボス戦 『禍津大神』
●
√能力者たちは邪霊を祓い清めながら先へと進み続ける。
辿り着いた先、一際大きな幽霊桜の下に、その祠は建てられていた。
祠は未だ銀雪の術が掛かったまま、見た目だけは綺麗な状態を保っている。
そしてその祠の傍には、巨大な白い獣がいた。
「グルルルルッ……!」
獣は邪悪な気を纏いながら、訪れた√能力者たちを睨み付ける。その姿は狛犬像に似ているが、無数の怨念と憎悪が神体から湧き出していた。首に巻いた注連縄が、かつては神聖な存在であったことを思わせる。
その名は禍津大神。正気を失い、災厄を招く悪神に成り果てた存在である。
●連なる光
燃え立つように禍々しい力を感じる。強大な悪神――禍津大神に、√能力者たちは正面から対峙する。
「こいつが祠の悪い神様か!」
|日南・カナタ《ひなみかなた》(捜査三課の異能捜査官・h01454)は禍津大神を視界に捉えた。日南・竹千代丸(♰聖チョコ菓子天使タケノコ♰・h07414)も、獣の如き神をまっすぐに見つめる。
「モチョモチョ……(すごい怨念モチョね……神様がここまで墜ちるなんて何があったのモチョ……)」
しかし、神様といえど悪さをするならば倒すしかない。夥しい怨念を前に、|式凪・朔夜《しきなぎ・さくや》(影狼憑きの霊能力者・h07051)は気持ちを引き締めた。
「すごい怨念だな……。肌がビリビリする。とりあえずは、何とかしないとだな」
朔夜は決して目を逸らさない。僅かでも隙を見せれば噛み砕かれてしまう――本能がそう告げていた。
「グルルル……!」
禍津大神が低く唸る。カナタはカナタ式ロングハンマーを固く握り直した。
「昔はきっと崇められていたんだろうな。今ではこんなに怨念をまき散らしている……何があったか分かんないけど、このままじゃまずいもんな! まずはぶっ飛ばして正気に戻す! 行こう! さくやん! モチョ丸!」
「モチョチョ! ……モ……?(行くモチョ! ……モ……?)」
勇ましいカナタの言葉に流されかけるが、竹千代丸は違和感に首を傾げ――すぐにその正体に気付く。
「モチョモチョチョ!(あたちはモチョ丸じゃないモチョよ!)」
カナタの背に頭突きをかました。衝撃がカナタを襲うも、どうにか踏み止まる。
「あっ、痛ててっ! ごめんって! 竹千代丸!」
カナタの冗談にぷんすかと怒る竹千代丸。最後の強敵を前にして通常運転な二人に、朔夜は思わず苦笑する。
「……はは、竹千代丸は、相変わらずカナタに容赦ないなぁ」
だが、禍津大神は空気を読まない。咆哮を上げ、体内に宿した怨念を実体化させた妖怪を召喚した。
「モチョ!(来るモチョ!)」
竹千代丸はエネルギーバリアを展開し身を守る。空へと飛翔し、妖怪の突進を紙一重のところで躱した。
カナタも攻撃をハンマーで受けていなす。直撃すれば、竹千代丸のツッコミ以上の衝撃が襲うに違いない。
「きっつい攻撃だぜ……! さすが神様だな!」
「モチョ……(でもこのままじゃ埒が明かないモチョね……)」
禍津大神を倒すには強力な一撃が必要だ。カナタは思考を巡らせ、一つの答えに行き着く。
「さくやん! 竹千代丸! 俺今から1分間集中するからさ! 宜しく!」
守りを二人に任せて、カナタはやる気満載超絶気合のチャージを始めた。
必要な時間は60秒。朔夜は力強く頷いてみせる。
「よし、じゃあ一緒にカナタの援護するか」
「モチョモチョモチョ!(時間を稼げばいいのモチョね! 任せてモチョ!)」
竹千代丸も提案に乗った。カナタがチャージを完了させるまで、二人でカナタを守り抜く。禍津大神が怨念達と融合し、命奪呪蝕を発動した。触れた者の命を蝕む呪いの牙と爪が迫る。
竹千代丸は即座にカナタの前へと飛び出した。純白の翼を広げ、√能力を発動する。
「モチョモチョチョ!(あたちの奇跡を見せてあげるモチョよ!)」
|奇跡の翼《ルートブレイカー》が神々しい光を放った。白銀の輝きが牙と爪に宿る呪いを打ち消し、攻撃を無害化する。
「モチョモチョモチョー!(怨念も呪いも、カナタには届かせないモチョよ!)」
すべては温泉旅館の平穏のためだ。悪神がいてはゆっくり温泉にも浸かれない。憂いなく温泉を満喫するためにも必ず倒すモチョと、竹千代丸は立ち向かう。
無効化に合わせ、朔夜も禍津大神へと√能力を仕掛けた。
「因縁を断ち切れば、正気に戻せるかもしれない」
|因縁解放《ヴェンジェンス・リンク》と同時、光の粒子が手のひらに収束する。
触れた物品に眠る『過去の所有者の記憶』と交渉できる能力だ。つまり記憶の一部を覗くことができる。
(禍津大神に直接触れるのは難しいが、実体化させた妖怪なら……)
物品として認識されるかどうか。賭けではあったが、禍津大神が実体化させているなら望みはある。
襲い来る妖怪の脚部を、カスタムハンドガンで撃ち抜いた。地面に転げた妖怪を強引に引っ掴む。狙いは禍津大神の記憶への接続だ。光の粒子が形を変え、ホログラムのような映像を映し出す。
「……この記憶は……」
記憶と繋がった。色褪せた光景の中に、破壊された狛犬像が見える。
(もしかして、あの壊された狛犬像が、禍津大神の本来の……)
「グガアアアアアッ!!!!」
禍津大神の怒号が大地を揺らした。直後、リンクが強制的に切断される。
朔夜を睨む瞳は激しい憎悪と怒りに満ちていた。
「拒絶されたのか。もう手遅れなんだな……」
朔夜は思う。Ankerならば、堕ちた悪神の心にも届いたかもしれない。それすら狂った神の前では希望的な推測に過ぎないが。
禍津大神の様子を見るに話は聞けそうにない――ならば倒すのみだ。
竹千代丸と朔夜が引き付けている間に60秒が経過した。カナタの持つハンマーが気合で満たされ、強烈な光を放つ。
「よっし、パワー溜まったぜ! 二人ともサンキュ!」
攻撃の準備は整った。
「モチョモチョ!(待ちくたびれたモチョ!)」
「カナタ、頼んだ!」
竹千代丸と朔夜の支援から、カナタの強力な攻撃へと連携が繋がる。
カナタはハンマーを大きく振りかぶった。
「ああ! 任せろ!」
大地を蹴り上げ、カナタは禍津大神へと一気に距離を詰める。
禍津大神が接近に気付くも、カナタがハンマーを振り下ろす速度に対応できない。
「くらえ! 超絶気合撃ーー!!」
|超絶気合撃《トランセンデンス・ハンマー》が繰り出された。威力18倍の超絶気合ハンマー攻撃が、禍津大神へと叩き込まれる。
「ガアアアアッ!!!!?」
強烈な一撃は禍津大神の身を容赦なく砕いた。三人の息の合った攻めが、悪神を追い詰めてゆく。
●|天幸《あまゆき》
数え切れないほどの怨念が妖怪として実体化し、幽霊桜の下で渦を巻いている。
「なるほど……元凶は禍津大神でしたか。少々厄介ですね……」
事件の中心にいたのは憎悪に堕ちた神であった。|物部・真宵《もののべ・まよい》(憂宵・h02423)の足元で、管狐たちが尻尾の毛を逆立てる。
|神花《かんばな》・|天藍《てんらん》(白魔・h07001)は異彩の双眸に愁いの色を滲ませた。
「かつては神聖であった存在か」
その過程に何があったかは解らないが、この地に災厄を撒き散らすのは見過ごせない。
真宵が|百狐夜行《デモクラシィ》を発動し、大勢の白い管狐たちを召喚した。
「みんな、暴れん坊のあの子たちを止めてきてほしいの」
怨念妖怪たちの猛攻を食い止めれば、天藍も動きやすくなるだろう。
真宵と管狐たちの心強さが、天藍の表情に微笑みを灯す。
「頼りにしているぞ、真宵達よ。それでは参ろうか」
「はい! お任せください」
「きゅう!」
「くー!」
天藍の期待を裏切る訳にはいかないと、管狐たちもやる気に満ちた鳴き声を上げた。白い狐の中に一匹だけ、|天鵞絨《ビロード》の夜のように昏い狐が混じっている。
「|帝月《みかづき》、お願いできる?」
真宵に帝月と呼ばれた狐は無言でこくりと頷いた。日向に伸びる影の如く禍津大神へと迫り、その脚部へと絡み付く。同時、真宵は広げた|蒼宵花雨《オルテンシア》をふるりと揺らした。
「どうかこの雨が、あなたの苦しみを洗い流してくれますように……」
祈りと共に雨を呼び寄せた。夕立のように降り出した雨が、禍津大神の体を濡らす。
雨は妖怪たちにも影響を与えた。ぬかるみに足を取られた隙を突き、管狐たちが一斉に飛び掛かる。
「グルルッ……!」
禍津大神も鬱陶しげに体をぶるぶると震わせた。しかし、毛量が多い上に降り続ける雨は、水分を取り払うことを許さない。悪神は鋭く吼え、怨鎖縛霊の檻を展開した。
数を増す怨霊を天藍はまっすぐに睨み据える。
「強烈な怨念だ。雨に濡れてもなお燃え続けようとするか」
苦しい、悲しい、許さない、許さない。
怨霊の声が耳に届いた。天藍は静かに息を吐き出す。永久の眠りを救いとし、怨霊たちに安寧を齎そう。
降り急ぐ透明な雨に純白が混ざる。それは|消えせぬ雪《トコシエノフユ》――すべてを凍てつかせる、冷たい氷雪の嵐だ。真宵が雨を降らせその身を濡らすならば好都合。
「我の|終焉《ふゆ》がお前の身を凍らせるだろう。永遠たる雪に抱かれ眠るが良い」
できるならその穢れを祓ってやりたい。だが、それは叶わぬ夢だ。憎悪は根深く、怨念は堆く積み上がる。
ゆえに今、出来ることはひとつ。
(神の望みも人の望みも当人でなければ解らぬ。だが……苦しみに溢れていることだけは解る)
振りまく呪詛がその身を苦しませるならば、全てを凍結させるだけだ。
時を止めるように。願わくばその魂に救いを齎せる誰かが現れる時まで――。
「グガアアアアアッ!!!!」
体を氷に侵されながらも禍津大神は咆哮を上げる。冷気に白く吐き出された息が、一瞬にして呪詛に黒く染まった。勢いの衰えぬ禍津大神に真宵は息を呑む。
「まるで無限に呪詛が溢れ出るようですね……」
終わりが見えない。禍津大神の怨念は海よりも深いのだろうか。
天藍は落ち着き払った眼差しで言葉を紡ぐ。
「必ず限界は訪れる。その時まで我らは雨雪を降らせ続けるのみ」
真宵は力強く頷いてみせた。禍津大神を見つめ、優しく語りかける。
「あなたにとっては望まぬ目覚めであったでしょう。ですが、もう一度眠ってもらいます……ごめんなさいね」
眠りを与えることだけが救いだ。それは永遠ではない。絶対的な死ではない以上、いずれまた何かのきっかけで目覚めてしまう時が来るかもしれない。
それでもと、天藍は願う。
「せめて、この眠りが永く続くよう……眠り逝くお前に祈りを手向けよう」
消えせぬ雪の眠りが、幸いであるように。蒼き桜の花弁を艶めかせ、雨雪は静かに舞い落ちる。
●暗冥に昇る月
獣の咆哮は天高く響き渡り、青い桜を舞い散らす。落ちた花弁が穢れた大地に触れ、青を黒に染め上げた。
「堕ちちゃったか」
無情な現実を示す景色。悪神に成り果てた姿に、|雨夜《あまや》|・《・》|氷月《ひづき》(壊月・h00493)は呟く。
「……怨念と憎悪に歪められた姿は他人事じゃない気もするけれど」
ぽつりと溢された言葉は、彼の裏側へと向けられたものか。
「……氷月?」
耳に届いたそれに、|夜鷹・芥《よだか・あくた》(stray・h00864)は氷月の名を呼ぶ。月夜にふと見つけた暗がりのように、届いた言葉は芥の意識を惹き付けた。
氷月は口元にいつも通りの笑みを浮かべる。
「ま、そうだね。存在が捻じ曲がっちゃったなら、終わらせるしかない」
何事もなかった。一瞬見えた影など最初から無かったように、氷月は銀片を構える。
(……お前から零れ落ちた言葉が妙に気になったけれど)
芥は頭の隅に疑問を追いやった。忘れはしないが、今は禍津大神の相手をすべきと判断する。真白の獣が低く唸る様を真っ直ぐに捉えた。
決して目を逸らしはしない。僅かでも視界の外に置けば、喉元を呪詛の牙が食い破るだろう。
「神が堕ちる姿は痛ましいが、ならば終わらせてやることが俺達に出来ることだろう」
禍津大神の纏う怨念が勢いを増した。
突き刺さるような殺気を肌に感じながら、氷月は銀片に月の力を纏わせる。
「――さ、一眠りする前に俺達と遊ぼうか?」
氷月を睨む獣の視界に弾丸が飛び込んだ。暗冥の黒焔を纏う弾は獣の急所を狙う。
「遊び相手は多い方がいいだろ?」
奔る銀の刃が届くように、芥は|刻影撃〈血戯〉《コクエイゲキ・チソバエ》を放つ。浴びせられる弾が纏う怨念を削ぎ取った。実体化させた影の呪鎖が獣の足を絡め取り、大地へと縫い留める。
防御が薄くなった足元へと、氷月は滑り込んで刃を突き立てた。
「まだ足りないよ」
銀片を握る手により一層力を込め、獣の内で掻き混ぜる。傷を深く抉り、多くの生命力が流れる動脈を引き裂いた。噴き出す血と共に銀の煌めきが咲く。
怨念の妖怪たちが氷月に反撃せんと牙を剥いた。無数の紅い瞳に、氷月は笑みを深める。
「んっふふ、随分ヤンチャだね」
夜影を蠢かせ、獣と妖怪に纏わり付かせた。乱れ舞う雨花幻が、彼らの身を燃え上がらせる。
花炎が発する無情な光を、芥の暗器ナイフが妖しく照り返した。その刀身に刻まれるは沈丁花。不滅の花は炎に焼かれず、真っ直ぐ獣へと投擲される。
「伏せろ、動くならば苦しむだけだ」
ナイフは獣の胸部へと突き刺さった。
「グギャアアアァッ!!!!」
禍津大神が叫びを上げる中で、芥は再び友の名を呼ぶ。
「氷月、」
喧騒の中でもその声はハッキリと届いた。肩へと触れる手に、氷月が視線を送る。
「ん、」
一歩下がりながら月輪を抜いた。装填する弾丸は白銀の輝きに満ちる。氷月は|月光雨《ツキアカリ》を展開した。穢れを洗う雨の如く、光刃雨が悪神を打つ。
「悪い声に煩わされずゆっくり眠れるといいね?」
天満月の加護を芥の刃に添えた。一度は獣を貫き血に濡れた刃が月光を帯びる。
氷月の力は直接芥にも流れ込んだ。天高く昇る満月は時に狂気を齎すが、その見返りに大きな力を与えてくれる。そして芥がその狂気に呑まれることはない。
「――今なら、もっと深くまでいける」
芥は風のように駆けた。妖怪の波を潜り抜け、禍津大神へと肉薄する。不滅の刃を獣の身体から抜き取った。手の内で銀のナイフが光る。
「休め、禍津大神」
一度刻んだ傷をさらに抉るように、ナイフで胸深くを貫いた。至近距離で繰り出された一撃は禍津大神の心臓に到達する。獣の絶叫が響いた。空気を震わせるほどの咆哮も、光の雨に打たれ掻き消されてゆく。
●煽り火
山の空気は悪神の気配に穢れ酷い有様だ。そのような状況下にありながらも、変化の術を施された祠は平然と建っていた。
「おー、ほんとに祠は綺麗に見える。術すごいな」
祠を見て|色城・ナツメ《しきじょう・なつめ》(頼と用の狭間の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h00816)が感心する。|史記守《しきもり》・|陽《はる》(黎明・h04400)も祠を見て、術の完成度に驚いた。
「確かにあれなら一目見ただけじゃ壊れてるなんて思わないかも」
そして、祠の傍には唸り声を上げる禍津大神の姿。毛を逆立て威嚇する巨大な獣に、ナツメは退魔刀『早暁』を構える。
「さて、祠壊されて叩き起こされたのは気の毒だが……元は神聖だろうと、害を振りまくなら倒させてもらう」
陽も払暁を抜いた。禍津大神を捉える眼差しに、憂いを帯びた青色が宿る。
「悲しいものだよね。彼が元々どういう存在であったか解らないけれど……元々神聖なものであったのなら、きっと彼はこんなことを望んでいないはずだ。いや……俺が信じたいだけかもしれないんだけど」
相変わらず優しい奴だとナツメは思う。眉を寄せる陽に、ナツメは当然のように返した。
「そうやって考えるのもアリだと思うぜ。完全な悪だと思い込んでブッ叩くよりはいいんじゃね?」
禍津大神の真実はわからないが、考えるのは自由だ。
「うん、そうだよね……彼も、きっと苦しいはずだよね」
怨嗟の輪廻から救い出すことは難しい。それでも、できることをしてあげたい。
ナツメと陽は刀を固く握り締めた。
早暁に破邪の風を纏わせ、ナツメが言い放つ。
「いくぞハル!」
「うん、行こう、ナツメくん」
陽も黄金の光焔を払暁に注ぎ始めた。
戦いは先手必勝だ。ナツメは|早暁一閃《デイブレイク・ウィンド》を発動する。夜明けの光で清められた退魔刀は曙光のように輝き、強大な敵に対抗する力を宿した。
覚悟の意志と共に駆ける。疾風の如く敵に迫り、鼻目掛けて斬撃を幾度も叩き込んだ。
「犬ってのは鼻っ柱が弱いって聞いたぜ!」
「グルル……ガルルゥ!!」
「おーおー、ご機嫌斜めじゃねぇか!」
禍津大神をナツメは挑発する。
(ナツメくんが気を引いてくれているうちに……)
陽は|暁降《ソール・オリエンス》のチャージを続けた。60秒が経つまで任せきりにはしない。ナツメに続いて戦場を走り、禍津大神の√能力に対処する。
憎悪を寄り集めた|一鬼夜行《アウソラトリアニズム》が迫った。
「怨念が実体化した妖怪か……悪いけど斬らせてもらうよ」
黒いヘドロのような妖怪が口を広げる。滾らせた光焔の一部を使い、陽は妖怪を焼き落とした。一方で、ナツメは禍津大神から距離を取る。反撃の爪を躱しながら陽へと呼びかけた。
「ハル、どうだ?」
「あと少しでチャージできるよ」
「んじゃ、もうちょっと時間を稼ぐか」
「うん、お願いするね」
短い会話のあと、二人は再びお互いの役割に集中する。
暁降の準備が整うまであともう少し。ナツメは再び禍津大神へと突っ込み、注意を己に向けさせる。
(呪いの牙と爪か――当たったらひとたまりもないだろうな)
厄介な武器だが恐れて逃げ出すような臆病者ではない。√能力による速度強化を生かし、敵の足元へと踏み込んだ。四肢を狙い破邪の風剣を閃かせる。刀を突き立てた瞬間、陽が鋭く言い放った。
「――60秒!」
その意味をナツメは即座に理解する。
「頼むぞハルさんよぉ!!」
光焔が高く燃え上がった。黄金が空気を焦がし、周囲の怨念を蒸発させる。
いつか君に夜明けが来るように祈りを込めて。
陽は禍津大神へと肉薄。払暁を一気に振り下ろす。その様はまさに、火の鳥が翼を広げるかの如く。
「穢れを、断ち切る――!」
夜の帳を切り裂く一閃は、怨念に塗れた肉体を清浄なる光焔で包み込んだ。
ナツメの起こした風が炎を手伝い、より火力を増す。穢れを断ち切る鮮烈な浄焔が、禍津大神の魂を金色に染め上げていった。
●神封じ
白い体毛を逆立て、禍津大神は狂ったように暴れまわる。
敵意剥き出しの視線を受け止めて、|野分《のわけ》|・《・》|時雨《しぐれ》(初嵐・h00536)は泣き真似をする。
「えーん、いぬ。猫より犬派のぼく的にはかなし」
悲しいことは悲しいけれど、泣くほどではなかった。
「イヌって言うか祠の狛犬像……!」
緇・カナト(hellhound・h02325)は禍津大神の姿をじっと観察する。犬は犬だが空想上の霊獣に近い。
「わんちゃんどう? 同族意識とかある?」
時雨が気まぐれに問う。カナトは首を横に振った。
「特に信心深くもないし、災厄を招く悪神でも無いからなァ……同族意識とかはナイですね」
「ないかぁ。ではお帰りくださいしましょう! しっかりお見送りしないとですね」
時雨は絹索を握り、更には手の内に|鋼糸《天網》を忍ばせる。
綴られし記銘を遂行せよ──と、カナトも|影業《Luck》と融合。影のように黒い大鎌を創造した。
「正気を失ってるなら現実に気付く前にボッコボコにしてかえす方が良いんじゃない? 在るべきところってヤツにでもねェ」
禍津大神から|一鬼夜行《アウソラトリアニズム》が放たれる。襲い来る妖怪の軍勢にカナトは大鎌を構えた。
「怨念の妖怪がいっぱいだねぇ。刈り取って回るとしようかなぁ」
鎌を大きく振るえば歪む空間。|執行・壱《エグゼキュターワン》が引力を発生させ、妖怪を引き寄せる。斬り裂けば絶叫と共に邪気が霧散した。
妖怪が次々に迫る中、時雨も涼しげな表情だ。
「怨念さんの方がやりやすいかも! 犬っぽい子はいないですよね?」
きょろきょろと確認して――問題なし! 口元に笑みを浮かべ、周囲に鋼糸を張り巡らせた。
|牧牛《ボクギュウ》を発動し、霊力の力によって加速する。高速で駆ければ妖怪たちは時雨の姿を見失った。動きに迷いが出たその瞬間、糸を操り彼らを切断する。
怨念が消し飛ぶ。その度、禍津大神は新たな怨念妖怪を生み出した。
「ガオオオオッ!!!!」
怪獣のような咆哮を上げる悪神に、カナトはやれやれと肩を竦める。
「一鬼夜行とやらの怨念は、どれだけ壊して回れば晴れるのやら」
口にしながらも確信していた。怨念が晴れることは有り得ないと。
「ほらほら、鬼さんこちら。大鎌で斬り裂いてあげる」
消えぬ怨念に付き合ってあげられるのは、こちらが遊び飽きる迄だ。
時雨が絹索を振り回し、妖怪を金剛杵の刃で切り払う。怨念とは言うが、実体化しているからこそ殴りやすい。
「ボコボコ! 絡め取り逃がしません」
妖怪を倒しながら禍津大神の足元へと接近した。絹索の狙いを妖怪から禍津大神へ。手繰った五色の糸をぐるりと回し、四肢を捕縛する。強靭な牛脚で地面を踏み締めて、全身に力を込めた。
「ギャウウゥ……!?」
怪力に引き倒され、禍津大神が驚愕の叫びを上げた。
「かなり弱ってますね、お犬さま!」
大きな隙を見せる禍津大神へとカナトは肉薄する。
「遊びは終わり。眠る時間だよ」
倒れた獣の首を狙って漆黒の大鎌を振り下ろす。悪運が蠢き、怨念の根源を斬首した。悪神の首が大地に落ちる。禍津大神は力尽き、その身は砕かれた石像のように崩れ去った。
穢れが消えてゆく。あとは妖狐たちが祠を修繕すれば問題は収まるだろう。仕事を終えて、時雨は幽霊桜を再び見上げた。災厄が過ぎ去り、桜は柔らかに咲き誇る。
「荒御魂なお犬様に、同情はできませんけど。このあと、もう一回宿で一杯するのありですか」
「仕事終わりに一杯するのも良いけれど〜、可哀想な荒御魂のことも少しは考えてあげて……!」
酒のことを考え始める時雨に、カナトがすかさずツッコミを入れた。
時雨は指で狐の形を作り、冗談めかすように笑ってみせる。
「こんこん! 土産屋に気になる地酒があったので、桜でも見ながら飲みましょう!」
これ以上言っても仕方ない。カナトは言葉を返す代わりに、軽く溜息をついた。
……実際のところ、心配事がなくなった今、のんびり桜を楽しむのも悪くない。