み空の下

一年岩(翊・千羽について)

翊・千羽 12月16日23時

 
 立ち込める靄に、何の疑問も懐かなかった。土を蹴る音は遠く溶けるように、軈て靄と一緒になっていく。『危ない場所に行ったら駄目だ』兄はよくそう口にして、オレに言い聞かせたけれど。オレは兄を慕い、好いているけれど、聞いてあげられない。『ごめんね』なんて、口先だけの言葉を吐いて、口先だけの言葉だと知っていて、兄は今日もオレを許すんだろう。
 立ち込める靄の先。広がる青空が眩しくて目を細める。心地良い感覚だった。この世で、いちばん心地良い感覚。多分、少なくとも今日までは。
 視線を落とせば並ぶ歪な岩があった。椅子くらいの大きさの岩。大妖怪が乗っても壊れないような大岩。円卓のような平たい岩。長細い、空に向かって背伸びするような岩。
 足を進めて、何となく一番座り心地が良さそうな岩に腰を下ろした。すると何かの気配を感じて、振り返る。
「――?」
 誰もいない。気のせいだと思えなかったのは、此処に溢れる異様な空気のせいだろう。本当に危ないものではないと思う――だったとして、何も問題なんてありはしないけれど。
「……」
 考え込むようにして、でもすぐに考えるのをやめて、足を投げ出してふうと空気を吐き出せば裾が引かれる感覚に視線だけ下へ移した。
『こっち、こっちだ』
「あ」
『反応薄ッ』
「驚いてる、すごく」
『そんなふうに見えん!』
『見えないかもだけど、驚いてるの』
 足元のそれは妖怪のようだった。猫のような尻尾に、うさぎのような耳を持って、綿みたいにふわふわそうなのに、ちゃんと手足があるようだ。持ち上げてみる。ふわふわだ。
『わ、持ち上げるな』
「――ダメなのか」
『だ、駄目じゃないが』
 手のひらの上でふわふわくるりと丸くなる姿に目を細める。――いいな、雲みたいだ。そんなふうに思って、そのうち満足して膝に乗せる。時折柔く撫ぜれば、その白は気持ちよさそうに揺れた。
『御前。名は』
「ちはね」
『ちはね。御前は何故こんな場所に来たんだ』
「望んで来たわけじゃない。迷ったんだ」
 迷ったにしては慌てていないだとか、あーだとかこーだとか。喧しいとは思わなかった。可愛い子だとは思ったけれど。
『暢気な奴』
 否定はしない。どうかと言われれば多分そうなのだと思う。ぼんやりしているとか、そんなふうに見られることも多かったから。
 撫でさせてやる代わりに、御前の話を聞かせて。なんて、やっぱり可愛い子。
 それから、色んなことを話した。妖怪だからか、その子の純粋か。踏み入ったことまであまりにも真っ直ぐ聞くものだから。それに、だからこそ――いや、多分オレは誰にでも話すのかもしれないけれど。
 
翊・千羽 4月21日22時
君に語る『空に還る』
https://tw8.t-walker.jp/thread/club_thread?thread_id=15880
0