⑮点心时间
●在下午茶之前
鏡は未来を映していた。
――否、未来そのものが鏡の裏側からこちらを覗き込んでいるかのようだった。
風が吹くより先に木々が揺れ、鳥が羽ばたくより前に影がそらを横切る。葉が地へ落ちる運命さえ数秒早く世界へ告げられ、現実は予言を追いかけるだけの鈍重な存在へと成り果てていた。時間は一本の川ではなく、薄氷のように幾重にも重なり、その上をただひとりだけが先回りして歩いている。
その異形の中心に立つ者こそ『黑白蓮教』教主、食鉄大師。静謐な眼差しは慈悲を宿しているようでいて、その奥底には岩盤より硬い確信が沈殿していた。
「私は武強主義を好みません。強者が弱者を虐げるなど、あってはならないこと」
穏やかな声音は鐘の余韻のように広がるが、その言葉には慈愛ではなく巨大な断頭台の刃を絹で包み隠したような冷たさを孕んでいた。
「人は皆自然に回帰するべきなのです。健やかなパンダのように……」
黒と白の毛並みが風に揺れる。その姿は竹林に遊ぶ獣ではない。
白骨へ苔が生え、苔へと雪が積もり――雪が腐敗した果てに辛うじて人型を保った何か。慈悲と狂信は鏡合わせであり、片割れを抱き締めた者には彼が抱いたもう片方にも必ず迫られるに違いなかった。
「故に水鏡天満宮よ、星神ドロッサス・タウラスの集めたゾディアックを吸い上げよ。そして、星詠みの力を強める鏡……ゾディアック・ミラーを創造せしめよ」
空気が軋んだ。音ではない。世界という器そのものが未来を書き換えられることへの拒絶を悲鳴として漏らしたのだ。星屑は渦を巻き、鏡は水銀の如く胎動する。まるで無数の運命が擦れ合う音が骨の奥で鳴るかのようだった。
「ゾディアック・ミラーがあれば、私は誰よりも早く『強者の陰謀』を察知できるようになり……誰よりも早く現地に赴き、カンフーにて強者を叩きのめせるようになります」
予知とは知恵ではなく因果を盗み見る窃盗であり、未来という密室へ忍び込む盗人の技である。故に、食鉄大師の口元に笑みは浮かばなかった。
「あのEDENとかいう者達……あれも『強者』ですね」
鏡面に映る無数の人影は未だ存在していない明日の犠牲者たち。
強者であるならば、それは邪悪である証拠。ゾディアック・ミラーが完成した暁には、昼夜問わず襲撃し叩きのめしてくれようと――それは静かな宣告だった。雷鳴よりも、絶叫よりも、淡々と語られる狂気ほど背筋を凍らせるものはない。境内を満たす鏡のひかりは、誰一人として逃げ延びられない未来を静かに磨き上げ続けていた。
「……ところで、本日の下午茶では何をいただきましょうか。戦の前には、優雅な時間も必要ですからね」
その一言で、張り詰めていた空気は一瞬にしてほどけた。
脇に据えられた大きな蒸籠の蓋がかたかたと湯気を抱いて震えている。
蓋が持ち上がるとあまく柔らかな湯気がもくもくと白雲のようにあふれ出す。竹の香りに包まれながら鎮座しているのは、ころんとまあるいパンダまん。黒い耳に黒い目、ちょこんと付いた鼻まで丁寧に象られ、どの子も『さあ、めしあがれ』とでも言いたげな、実にあどけない表情を浮かべている。
つやつやの白い生地は指先でそっと押せば跳ね返ってきそうなほど弾力に満ち、中にはとろりとあまい餡がたっぷり詰まっている。蒸籠いっぱいに並ぶちいさなパンダたちは、まるで竹林で昼寝をしている仲良し一家のようだった。
あまい香りが境内へゆっくりと満ちていく。世界の命運を左右する神器の創造も、恐るべき未来予知も、この湯気の前ではほんの少しだけ後回しらしい。
戦いにはまだ、幾許かの猶予があるようだった。
●请享用!熊猫馒头!
「みなさん、蒸したてのお饅頭を食べたことはありますか?」
それは深刻かつ緊迫した戦いの中で、あまりにもやわらかい言葉であった。
自分の言った言葉がいかに場違いであるかという自覚は十分にあるのか、困ったように微笑んだトゥバ・コルヌコピア(凱風・h09459)は『ちゃんと、おつとめのはなしです』と言葉を続けた。
「√仙術サイバーでカルト教団『黑白蓮教』を率いる新たな王権執行者、『食鉄大師』が水鏡天満宮で謎の神器……『ゾディアック・ミラー』を創造しようとしています」
戦場にはドロッサス・タウラスから奪ったゾディアックが集積して『鏡のようなオーラ』になっており、既に食鉄大師の予知能力は『数秒先を予測可能』な程に強化されている。厳しい戦いになるだろう、それに間違いはなかった筈、なのだが。
「……今はどうも、おやつの時間らしいんです。食鉄大師は配下たちに命じ、たくさんの蒸籠に囲まれながらお茶を楽しんでいるようです」
つまりはつまり、今現在は食鉄大師はゾディアック・ミラーを直接的に見ている訳ではなく、蒸したての饅頭たちに舌鼓を打っている真っ最中なのだとか。なんとも間の抜けた話ではあるが、逆手に取ればこれは好機に違いない。
「皆さんには急ぎ現地へ向かっていただき……、……黑白蓮教の信者らしく振る舞い、一緒におやつを楽しんでいただきます!」
お茶を楽しむ時間に血の匂いなど漂わせるべきではない。
おなかがいっぱいになれば誰しも気は緩むだろうから――その瞬間を狙い、ゾディアック・ミラーを奪ってしまえばいいだろう。
「泥棒のようなことをさせてしまうのは気が引けるのですが……でも、これなら誰も傷付かないまま成果を手にすることが出来るはずです」
だから、もしよければ。本場の饅頭の数々に舌鼓を打ちながら、機を伺ってみて欲しいと。トゥバは言葉を紡ぎ終えると、茶会の席へと続く道をそっと指し示した。
第1章 ボス戦 『食鉄大師』
●好吃的点心
夏の陽射しを受けた水鏡天満宮の境内には湯気と茶の香りが薄い霞のように漂っていた。信者たちは静かに卓を囲み、茶器から立ち昇るしろい香気は雲へ還る細い龍のように空へほどけていく。
レイラ・ウー(契約至上主義のアウトロー武侠・h12286)もまた黑白蓮教の信者に紛れ、自然な足取りで席へ腰を下ろした。視線は柔らかく、けれど心は油断なく周囲を見渡す。それでも目の前へ運ばれた蒸籠の蓋が開けば、その警戒心さえ一瞬だけ湯気に溶けてしまった。
「戦の前に点心とは、悪くないネ」
まずは肉まんをひとつ。饅頭の下の紙を丁寧に剥がして――そのまま、ぱくり。
ふっくらと膨らんだ饅頭は綿雲のようにやわらかく、歯が沈むたびに内側から閉じ込められていた肉汁が朝露のように弾けていく。
「……うん。美味しいネ」
半分ほど食べたところで黒酢を垂らして、少しだけラー油を添えて味変を試みたなら。黒酢のまろやかな酸味が餡の甘みを引き締め、ラー油の鮮やかな辛みが後を追う。
「うーん、こっちも好きヨ」
続いてはフカヒレまん。調味料は使わず、そのまま頬張る。
「これは、具材の味と食感は、そのまま楽しむネ」
細くほぐれたフカヒレは舌の上でほどけ、とろりと艶めく餡が優しく寄り添う。噛むほどに滋味が染み出し、飾り立てる必要などないと語るような、静かで上品な味わいだった。ゆっくりと味わい、温かいお茶で口を整える。芳ばしい茶葉の香りが余韻をさらい、次の一品への期待を新たにしてくれる。
「カスタードも迷ったケド……今日はこっちネ」
最後はあんまん。蒸籠の隅には思わず頬が緩むような愛らしいパンダまんが並んでいた。丸い耳、小さな黒い目、つんとした鼻先まで一つひとつ表情が異なり、眠たげな子もいれば、にこりと笑っているような子もいる。思わず食べるのを躊躇うほど愛嬌たっぷりの姿だが、ひとくち齧れば黒ごまの濃厚な香りが花開く。艶やかな胡麻餡は絹を溶かしたようになめらかで、香ばしさと上品な甘さがゆっくりと舌を包み込み、焙煎された胡麻の深い余韻がいつまでも口の中へ残っていた。
香ばしい胡麻餡の甘さに目を細め、レイラは満足げに頷く。
「やっぱり正解ヨ」
戦いを秘めた潜入の最中であることも思わず忘れてしまいそう。湯気に包まれた午後の茶席は、嵐の前にだけ訪れるあまりにも穏やかな夢のような時間だった。
●馋嘴小魔女
境内には午後のひかりがやわらかな蜜のように満ちていた。漂う湯気はしろい雲となって蒸籠から立ちのぼり、あまい香りは見えない手招きのように人の心を擽っていく。
「魔女の胃袋に、おいしいものは全部べつばら、なのよ?」
おなかはぺこぺこにしてきた。ちいさく微笑んだリシェル・チェルケス(白銀の魔女・h13518)は目立たぬよう深くフードを被って歩く。いつもの魔女帽がないことだけがすこしだけ心細いけれど、その寂しさは蒸籠の蓋が開いた瞬間に春霞のように溶けて消えてしまった。
ふわりと膨らんだ湯気の中から現れた愛らしいパンダまんたちは一匹一匹が違う表情を浮かべている。笑っている子、眠たそうな子たちも皆、肩を寄せ合って並んでいた。
「どれから食べようかしら? ⋯⋯うん、この子をくださいな」
今はあまいものの気分。受け取ったパンダまんをそうっと割れば、湯気とともに艶やかな餡が溢れそうになる。ひとくち頬張ればふわりとほどける生地の優しい風味が鼻に抜け、そのあとから胡麻餡の濃密なあまさが口いっぱいに広がった。
「おいしいわ! しっとりふわふわ、餡子もほっぺが落ちそうなほど甘いのね。いくらでも食べられちゃう」
頬は自然と緩み、胸の奥まで幸福が満ちていく。境内の片隅では黑白蓮教の教主――食鉄大師が穏やかなおやつの時間を見守っている。
今は戦いではない。信者らしく振る舞っている限り、この場所はあまい香りに包まれた平和な空間に違いなかった。
「(それにしても食べてばかりでいいのかしら? ほんとの目的も忘れないようにしなきゃ)」
そう思って視線を巡らせるものの、蒸籠の中にはまだまだ愛嬌たっぷりのパンダまんたちが並んでいる。まるで『次はぼくだよ』とでも言いたげに、つぶらな瞳で見つめ返してくるではないか。そんな一途な視線を受けてがまんが出来るわけがない。
もうひとつ、と頬張ったパンダまんの中からあつあつのカスタードがとろりと流れ出す。たまごいろの幸福は溶かした宝石の蜜のように輝き、あまい香りだけで胸が弾んだ。
「こっちのカスタードもすごくおいしいわ! とろとろで甘くて濃厚で……」
ひとくちごとに幸福が心へ積もり、警戒心まで緩んでいく。パンダまんたちと同じように、リシェルの頬はずっとやわらかく綻んだままだった。
●熊猫嫣然一笑
ゾディアック・ミラーはなんとかしなければならない。けれど、満ちる午後の穏やかな空気を乱すのは、きっとよくないことだ。
湯気の立つ蒸籠からはあまくやさしい香りが漂い、境内はあたたかな温もりに包まれていた。一応、尖った耳は帽子で隠して、武器もバックパックの中へと仕舞う。支度を終えたメイ・リシェル(名もなき魔法使い・h02451)は、何気ない足取りでおやつの輪へと加わった。
蒸籠の中には個性的なパンダまんの数々が顔を覗かせていた。湯気を纏って並ぶ姿は竹林に迷い込んだ本物の子パンダたちのようで、見ているだけで頬が緩んでしまう。
色々な味があるけれど、いちばん気になったのはカスタード。ひとつ受け取れば生地は指先を押し返すほど柔らかく、そうっと割れば黄金色のカスタードがとろりと顔をのぞかせた。卵のまろやかな甘みと香り高いバニラの余韻が湯気とともに立ちのぼり、ひとくち頬張ればそれらの全てが舌の上で溶けてひだまりへ包まれたかのような幸福が広がっていく。
「うん、おいしい」
思わずこぼれた本音は、あまい香りに溶けて境内へ漂う。
近くに黑白蓮教の信者たちの姿を見つけたなら、メイは聞こえるように独り言を落とした。
「ボク、体が小さいし……荒っぽいことは苦手なんだ」
ひとくち、もうひとくちと、あまい生地を味わってから穏やかに続ける。
「やっぱりパンダさんみたいに自然の中で生きていくのが幸せだな。平和な世界になるのがいちばんだよね」
その言葉を耳にしたひとりの人物が、ゆっくりと歩み寄る。
「その通りです、幼子よ。⋯⋯貴方は、よい信徒となるでしょう」
彼の人物こそ黑白蓮教の教主、食鉄大師。その穏やかな声音は慈悲深い僧侶のようでありながら、胸の奥底に測り知れない深淵を隠しているのだろう。
「教主さま⋯⋯ありがとう、ございます」
ぺこりとお辞儀をしながら、メイは帽子のつばの影でちいさく目を伏せた。
「(⋯⋯本心もちょっと混じってるから、完全に嘘なわけじゃないよ)」
あまいカスタードの余韻はまだ舌に残っている。その優しい味わいはこの穏やかな午後が本物であると、静かに教えてくれているようだった。
●很久很久以前,有一个地方
水鏡天満宮には戦の気配が満ちていた。石畳の向こうには古びた社殿。朱塗りの柱には午後の陽が斜めに差し込み、風に揺れる木々の葉が床へとまだらな影を落としている。境内のあちこちには黒白蓮教の気配が漂い、緊張の糸は決して切れてはいない。けれど、この時間だけは不思議なほど穏やかだった。
あまく、香ばしく、どこか懐かしいにおいがする。
午後のおやつの時間だった。その中に鎮座するのは、白と黒の可愛らしい顔。ひとつひとつ表情まで違って見える、たくさんのパンダまん。敵地の只中で、物語に導かれた一同は黒白蓮教の信者を装いながらその『おやつタイム』へと潜り込んでいた。
はじめに口を開いたのは、この場に最も馴染んでいると言っても過言ではない熊・蕾蓮(熊猫獣人の鉄拳格闘者・h08184)だった。
「敵パンダながら尤もアル。どんな時でもおやつタイムは大事アル!」
その言葉に、よるいろの毛並みのちいさなけものがぱっと翼を広げる。
「わ~い! おやつのじかん……!」
ココ・ロロ(よだまり・h09066)が嬉しそうに宙へ浮かぶと、羽ばたきに合わせて、やわらかい毛がふわりと揺れた。
戦うために来たはずなのに、目の前においしいものがあるというだけであどけない顔には隠しようのない喜びが浮かんでしまう。
「未だ戦火の中ではありますが……優雅な時間が必要、には同意をいたします」
ラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)はそう言って、夜明けいろの瞳を静かに細めた。午後のひかりに包まれながら、彼女は物語の頁を捲るようにやわらかく微笑む。
「腹が減っては戦はできぬ、というし。可愛らしい癒しの時間だって必要だよ」
これも作戦、戦術さ、なんて重ねながら咲樂・祝光(曙光・h07945)も頷いた。
「ふふふ、おなかすいたらなんにもできないですからね」
ココがちいさく笑ったなら、それならば、と納得するように卓上へ並ぶパンダまんを皆で一斉に覗き込む。
「どんな時でも空腹が一番の敵なのですよっ! なのでお腹を満たすことも戦術なのですっ♪」
猫・桃花(梦想厨师・h13139)も元気よく続ける。六人の視線はすでに、戦場の情報収集などではなく、目の前の蒸籠に釘付けになっている。
蓋の隙間から、しろい湯気が細くほどけていた。その向こうから漂うのは小麦を蒸した生地のやさしいにおい。肉の脂のあまい香り。カスタードの、焼きたての菓子を思わせるにおい。黒胡麻の濃厚な香ばしさ。湯気はまるで薄い雲のように卓上を覆い、その雲の中に、ころころとしたパンダたちが浮かんでいる。
「皆さま、美味しくいただきましょう……!」
ラデュレの声を合図に、空気がふっと緩んだ。
「おやつのじかん! うれしいのです!」
祈紡・フィユ(夢境・h12707)は胸の前で小さく手を合わせる。そしてパンダまんをそうっと手にした瞬間、桜玉石の瞳がぱっと輝いた。
「わあ! これがパンダまんなのですね。ふふっ、蕾蓮さまのおみみとそっくりの可愛いお姿なのです」
「パンダがいっぱいネ、ふふーんフィユが嬉しい事言ってくれてるヨー」
蕾蓮が得意げに胸を張る。髪の間から覗く丸い耳が、嬉しそうにぴこぴこと動いた。それを見ていると、蒸籠の中のパンダまんまで生き物のように見えてくるものだから、なんだか嬉しくなって思わず桃花も身を乗り出した。
「パンダまんとっても可愛いのですっ……!」
てのひらに乗せれば、それは思っていたよりもずっと柔らかい。
「こういう風に作るのも良いですね……新しい猫饅頭作りの参考にさせてもらいましょうっ♪」
蒸したての生地は指先に吸いつくような弾力があり、押せばほんの少し沈み、離せばふわりと戻ってくる。桃花の頭の中では、もう新しい饅頭の設計図が出来上がりつつあるらしい。
「猫まん、とってもきになります……! フィユはいつでも味見係しますよ!」
フィユが即座に手を挙げる。その反応の良さに桃花がくすりと笑みを溢した。そうしてフィユ自身もまた、あたたかな湯気に包まれながら別の饅頭のことを考え始めていた。
「フィユもくまさんまんじゅう作ってみようかな」
あんこやはちみつレモンなんかもとってもおいしそうだけれど、あまい湯気に包まれていたなら次々とアイデアが湧いてくるから迷ってしまう。
あまいものを思い浮かべれば、舌の奥にもう甘さが生まれてくるようだ。
「桃花は猫饅頭作ってるアル? くまさん饅頭も美味しそうヨー! いつでも助手兼味見役はお任せネ」
「……ねこまんとくまさんまんじゅう? ココもあじみがかりしたいで~す!」
「猫饅頭もくまさんまんじゅうも楽しみにしております。味見係なら、わたくしたちにお任せくださいませ……!」
味見係を名乗る声が、次々と重なっていく。けれど、それは決して騒がしいものではなかった。
「ころんとして可愛らしい、もちもちほかほかなのです」
「見るからにほかほか、猫舌さんは注意アル」
ラデュレが感嘆すれば、蕾蓮が中の餡の熱さを教えてくれる。
確かにパンダまんたちはまだ熱を抱いていた。しろい生地から立ちのぼる湯気が、黒い耳の輪郭をぼんやりと滲ませる。頬に触れれば火傷しそうなほどなのに、その熱さこそが今この瞬間に蒸し上がったばかりなのだという証だった。
「へぇ、ぱんだまん……食べてしまうのが勿体ないくらい可愛らし……あ! ミコト! 俺より先につまみ食いしたな!?」
祝光が声を上げる。視線の先ではふくよかな茶虎の猫又、ミコトがいつの間にやら一個をくわえていた。食いしん坊は強い。戦場であろうと、おやつの時間であろうと、それは変わらないらしい。
「ミコトさんもうたべてる……! ココも……んと……いっぱいある……」
パンダまんはまだたくさんある。ならば、ひとつくらいでは足りない――けれど、どれを選ぶべきか。頭を悩ませた末、ココはもこもこのみじかい指を一本立てた。
「こんなときは~、ど~れ~に~し~よ~う~か~な~……コレ!」
「はっ! ココさまかしこい!」
フィユが感心すれば、その無邪気な選び方に皆が思わず笑う。ならば自分も、とフィユも蒸籠へ手を伸ばした。
「それではフィユも失礼して……どーれーにーしーよーうーかーなーなのです!」
しろくほそい指が、あっちへこっちへ迷っていく。
「フカヒレにカスタード、肉まん……どれにしようかな、も楽しそう……!」
確かに、目の前には選ぶ楽しさまで詰まっていた。同じ丸い姿をしていても中身はそれぞれ違う。あまいものもあれば、塩気のあるものもある。しろいパンダの顔が、まるで秘密の宝箱のようにそれぞれ違う味を隠している。
「とってもかわいいパンダさ~ん! ふふふ、フィユさんもきまりましたか?」
「はいっ!」
「ワタシはフカヒレ味にするヨー、高級食材はウチのお店じゃ出せないネ」
蕾蓮が選んだのは、ひときわ珍しいものだった。所謂コンビニエンスストアのような店ではあまり見かけない、本物のフカヒレを餡に閉じ込めた高級品だ。
「ふかひれのふかってなんでしょう? でもおたかいものなのですね…!」
フィユが首を傾げる。
フカヒレとは、鮫のひれを乾燥させた食材である。細く繊維質なその姿からは、ぱっと見ただけでは想像もつかないほど独特の食感がある。とろりとした餡やスープの中で、その繊維がほどけるように口へ広がり、柔らかさの中にきゅっとした歯触りを残す。
「せっかくなのでフィユもあとで試してみたいのです!」
知らない味への好奇心は、少女の胸にちいさなあかりをともした。
「ミコトも待ちきれない様子アルな」
「ええ、ミコトさまも待ちきれないご様子ですね。では、いただきます……!」
茶虎の猫又はすでに一個目をほとんど食べ終えていることを知れば、ラデュレがそっと両手を合わせた。
「えへへ、いただきま~す!」
ココも、皆も続いていく。そして少年少女たちは一斉にパンダまんへ齧り付いた。
午後の境内に明るい声が弾んだ。まるで普通の午後を過ごす子どもたちのように、おやつを夢中で頬張っていく。
「もちもち……このおあじは~にくまん!」
しろい生地の中から肉汁を含んだ餡がすぐに顔を覗かせた。豚肉の旨味に、野菜の甘み。噛むたびに肉がごろり、ごろりと舌へ触れる。それは細かく均された餡ではなく、ちゃんと『お肉を食べている』と思える存在感があった。噛めば肉の脂がじゅわりと染み出し、それをもちもちした生地が受け止める。口の中に広がった旨味が、空腹だった身体へゆっくり染み込んでいく。
「おにくがゴロゴロしてておいしいのです」
フィユも嬉しそうに頬を緩めた。彼女が選んだカスタードのパンダまんは、肉まんとはまるで違った。やわらかな生地を割った瞬間、とろりとしたたまごいろのクリームがゆっくりと姿を現す。
「とろとろであつあつです」
フィユが慎重に息を吹きかける。ほかほかはふはふ、あまい香りが鼻先を擽る。
なめらかなカスタードは舌に触れた途端、あっという間にほどけていく。卵のコクとミルクのまろやかさ。砂糖の甘みはしっかりしているのに、蒸したての生地がそれを包み込み、どこかやさしい味に仕上げている。
「俺はカスタード、フィユと同じだな。濃厚で美味しい」
祝光も頷く。そしてラデュレは、黒い餡の入ったパンダまんを手に取った。
「わたくしはごまあんなのです、とっても香ばしいです……!」
ひとくち噛めば、黒胡麻の香りがふわりと立つ。濃厚ですこしだけほろ苦く、そこへ砂糖のとろっとしたあまさが重なる。胡麻特有の香ばしさは甘味の奥に深い影を作っていた。ただあまいだけではない。噛むほどに胡麻の風味が増して、鼻へ抜ける香りがもうひとくちを誘う。
「生地もちもち、フカヒレはコリコリ、美味し……うむ、ふかふかと思いきやコリコリ」
蕾蓮はフカヒレのパンダまんを頬張っている。柔らかな生地から溢れた黄金色の餡を噛み締めれば、独特の歯触りが返ってくる。
「ラデュレはごまあん? 蕾蓮はフカヒレか! 高級食材だ……甘塩っぱいのも美味しそうだな」
「……ふかひれ? ふかふかじゃなくてコリコリおたかい……? むむ……きになる」
祝光が興味深そうに眺めれば、ココのあおい瞳もフカヒレのパンダまんへ向いた。フカヒレはもちもちした生地の中に、思いがけない食感を忍ばせているらしい。
ひとつ食べればもうひとつ試したくなる。あまいものを食べれば、今度はしょっぱいものが欲しくなる。しょっぱいものの後には、またあまいものが恋しくなってしまう。
「甘いのと辛いのと、どちらも食べられるのが嬉しいな……むしろ全種類制覇を狙うか?」
「はい! はい、はいっ! 一緒に分けっ子しながら全部の味を制覇目指す方はいませんかっ!」
祝光が首を傾ければ、桃花がぱっと提案した。
「桃花、それは名案!」
「はーい全味制覇目指したいアルー! フカヒレパンダまん分けっこヨー」
「分けっこも勿論、喜んで! 皆さまで『全部』をいただきましょうか」
「みんなとわけっこぜんせいは~! あまいのもしょっぱいのもおいし!」
その瞬間に卓上はちいさな宴会場になった。
ひとつのパンダまんを半分に割って、また別のひとつを分ける。カスタードをひとくち、ごまあんをひとくち。肉まんを味わったあとにフカヒレを齧れば、舌の上で味と食感が次々に入れ替わっていく。
「少しずつ分ければ沢山食べられるな、君の新作も楽しみだ」
祝光が桃花へ笑いかける。
「フィユさんのくまさんまんじゅうも名案で味見してみたいので一緒に作るのもありかもですねっ♪」
桃花の目はきらきらと輝いていた。饅頭作りの参考にするため、ひとつひとつを丁寧に味わう。生地の柔らかさや餡のあまさ。肉の大きさに胡麻の香り、フカヒレの歯触り。ただ『おいしい』と食べるだけではなく、どうしておいしいのかまで舌で探していく。
ひとつの味を食べ終えれば、次の味。誰かが『これもおいしい』と言えば、別の誰かがひとくちもらう。そのたびに互いの顔は綻んだ。
湯気は少しずつ薄くなっていく。
蒸籠の中のパンダたちも、ひとつ、またひとつと姿を消していく。
戦いはまだ終わってはいない。この場所を出れば、また敵と向き合わなければならない。けれど今だけは、腹の中に温かなものがあり、心にはあまい余韻が残っている。それだけで、きっと人はすこしだけ強くなれる。
「満腹で気力も満タンネ、吃饱了!」
「お腹も心も満たされる最高の時間でしたねっ♪」
蕾蓮が満足そうに胸を張れば、桃花もそれに釣られて笑う。
「帰ったら猫饅頭の新作お披露目に向けて頑張るのですっ!」
そうして、ぐっとちいさな拳を握る。
「美味しかった……お腹も膨れて元気も貰えた。これでもっと戦えるな!」
祝光も頷く。そしてラデュレは、最後に残った湯気の向こうへ目を細めた。
「はい……! 美味しくて優雅な時間を過ごして。そうしてまた、立ち向かうのです……!」
水鏡天満宮に午後の風が吹き抜ける。
卓上には、食べ終えた蒸籠と、ほんの少しだけあまい香りが残っていた。
それは戦場には似つかわしくないほどささやかで幸福な余韻。けれど、だからこそ大切なのだろう。おいしいものはただ空腹を満たすだけではない。それは疲れたこころに灯る、ちいさな灯火に違いないのだ。
●国王的点心
本当に信者にはならないけど、おいしいもの食べさせてくれる人には『ありがとうございます!!』と敬える。戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)の率直な一言に、ジャン・ローデンバーグ(裸の王冠・h02072)は肩を竦めた。
「本当に普通に食ってていいのかな?」
「いける! 服装は√仙術サイバー風にしたし! いける! ……いけるよね?」
周囲の信者たちへ自然に溶け込むようふたりは漢服を身に纏っていた。くるりは若草色を基調とした軽やかな交領襦裙に、紫の帯飾りを結び、歩くたび長い袖が柳の葉のように揺れる。髪と瞳の淡いいろは柔らかな布地へ溶け込み、どこか仙子のような雰囲気を纏っていた。一方のジャンは濃紺の長袍に銀糸の雲文様が控えめに刺繍され、腰帯で袖をまとめた実用的な装いだ。
「そうか、いけるか。……いいなこの服、動きやすくて」
ふたりはそっと卓につく。
青花の茶器から注がれた茶は、淡い琥珀色に陽光を映していた。
「……お、お茶も本格的っぽいのがある」
「いい匂い! 教主様ありがとうございます、いただきます!」
湯気は春霞のように柔らかく、鼻先を擽る香りは乾いた心まで潤していく。そして皿いっぱいに並ぶ主役たち。ふっくら丸いパンダまんは職人が一匹ずつ命を吹き込んだような愛嬌がある。
「パンダまんかわいい~、でも食べ物だからね」
そう宣言するとくるりはおおきくひとくちを頬張った。瞬間、ふかりと生地が弾む。その中から艶めく餡が顔を出し、蜜のようになめらかな食感が伝わってくる。
「ん~! トロッとした餡がふかふかの生地に合う~!」
ジャンは迷わず肉まんへ。噛めば肉汁がじゅわりとほどけ、旨味は熱いスープとなって口いっぱいへ広がっていく。噛むたびに肉はほろりとほどけ、生地の仄かな甘みがそれらを優しく抱き留めていた。
「ん~~おいしい! コンビニのより美味い! ホンカクテキっていうの?」
少年は王様らしく正面から味わうばかりで、パンダの顔など気にも留めない。
「くるりのも旨そうだな。一口くれよ」
「私も食べたい、こっちもどうぞ……はい、はんぶんこ!」
「甘いのも美味しいよな~。うん、はんぶんこ!」
半分に割られた湯気がふたりの間で混ざり合う。甘さと塩気が交換されるたび、『おいしい』はふたりぶんになっていく。
次にくるりが手に取った一匹は、妙に誇らしげな顔をしていた。
「やだこのパンダまん『俺は格が違うぜ』って顔してる……中身は……フカヒレ~! 高級まんだぁ!」
「で、こっちのは……え? フカヒレ? ……って何?」
フカヒレとは鮫のひれを丁寧に加工した中華料理の高級食材である。繊維一本一本がぷるりと弾み、煮込まれた旨味をたっぷり抱え込みながら、するりとほどける独特の食感を生む。濃厚な鶏や豚の旨味を吸い込んだその味わいは贅沢そのものに違いなかった。
「中華街で食べたら……結構なお値段する……!」
「へー、じゃあ王様も一口食べて帰らないと!」
湯気の向こうでは食鉄大師が穏やかな笑みを浮かべ、信者たちがおやつを楽しむ様子を静かに眺めている。こんな午後だけを切り取れば、この場所は争いとも憎しみとも無縁の、幸福な茶会にしか見えなかった。
「こんな風に美味しいもん食べてるだけの宗教なら、国にちょこっと広めても」
「え~?ちょっと王様~」
「……もちろん冗談だってば!」
くるりは笑いながら肘でつつく。その笑顔は軽やかだったが、心の奥ではちゃんと線を引いている。
「おいしいものを分けてくれるだけならとっても親切な宗教だけど、そうじゃないだろうからねぇ」
「うん、そうだよな」
おいしいものは人を笑顔にする。分かち合えばその笑顔はもっと増える。
だからこそ、その優しさを旗印にして人の心を縛ろうとするものとは決して同じ道を歩けない。くるりとジャンは最後のひとくちを味わいながら、顔を見合わせ頷き合うのだった。
●暂且休战
「水鏡天満宮にお参りするのも何度目になるかしら……でも今回のカルトパンダは良いパンダなの」
信者に扮するEDENたちを優雅な下午茶で以ってもてなしてくれると言うのだから、此度は互いに血を見ることはない。どこか張り詰めていた空気も、あまくやわらかな香りに溶けてゆく。巫・黒星(鬼面道士・h08880)も愛らしいパンダのお面を身につけるとその場に集う仔パンダ達へ微笑みを向けた。
「と言う訳でワタシもパンダまんを頂戴するのね」
ころころと駆け回るちいさな背中を見守りながら蒸籠を覗けば、そこには思わず頬が綻ぶほど個性豊かなパンダまんが並んでいる。眠たげに目を細めた子、にっこり笑う子、少し困ったように眉を寄せた子。ひとつとして同じ表情がなく、まるでちいさないのちが宿っているようだ。
饅頭を持ち上げれば雲へ触れたような弾力でそっと指を押し返す。湯気はあまく香ばしい香りを連れて鼻先を擽り、ひとくち頬張ればもっちりとした皮が優しく口の中でほどけていった。
ふたつに割れば中から艶やかな黒胡麻餡がとろりと顔を覗かせた。その黒は夜空をすくい上げたように深く、それでいて口へ運べば驚くほどなめらかで、焙煎された胡麻の芳醇な香りが舌の上いっぱいに花開く。濃厚なのに重たくはなく、やさしいあまさが静かな余韻となって喉を滑り落ちていく様は、温かな午後の陽射しが身体の奥まで染み込むようだった。
ちいさく割ってやわらかな皮だけを差し出せば、仔パンダ達は嬉しそうに頬張ってはほくほくと頬を膨らませる。その無邪気な笑顔は春の日溜まりのように柔らかく、黒星の胸にも自然と穏やかな温もりを灯していく。
「うーん、すっかりご馳走になったから仲良しになった気がするのね」
もちろん真に親交を育んだわけではないが、それでも距離は近付いたような気がする。
まだまだ時間もあることだし、この桃源郷を堪能しよう。あまい香りと笑い声が風に溶け、木漏れ日はきんいろの薄絹となって境内へ降り注ぐ。戦いの気配さえ午後の湯気に包まれて遠ざかる束の間、黒星はのどかな空気を胸いっぱいに吸い込み、この儚くも美味しい平穏を静かに味わい続けた。
●蹑手蹑脚
「……おやつタイム! ちょっと驚いてしまったが、うんうん、激しい戦いの中でも心休める一時は大切だものな!」
驚きに目を丸くしながらもマルザウアーン・ノーンテッレト(銀の星・h08719)は穏やかな笑みを浮かべた。戦場にだって心地良い風は吹くように、張り詰めた弓弦も、ときには緩めねば折れてしまうものだ。
「それに、誰も傷つかずに目的を達成できるならば……それが一番良いに決まっている」
その言葉には、異能捜査官として幾度も危険へ身を投じてきた青年だからこその、静かな願いが滲んでいた。
「食鉄大師! 貴方の教導に同道できるのみならず、こうしてあふたぬ~ん、いえ下午茶をも共にさせて頂けること、まこと幸甚の極みにございますッ!」
教徒たちに倣い深々と頭を垂れたなら、食鉄大師は穏やかに微笑み慈悲深く頷いた。
「ええ。貴方も休息を取るとよいでしょう。一休みしたなら、また励みなさい」
差し出された湯気立つ中国茶は黄金色のひかりを宿し、ふわりとあまい花の香りを運んでくる。その傍らには、ころんと愛らしいパンダまんが並んでいた。ふっくらと蒸し上がった表面はやわらかく、つぶらな黒い瞳と耳は愛嬌たっぷり。その愛らしさに、思わず食べることを躊躇ってしまいそうになるけれど。
「(なんとも愛らしいパンダさんを口にするのは少し勇気も要るが、ごまあんの誘惑には耐えられない……!)」
意を決して頬張ればふんわりとした生地がほどけ、その奥から黒胡麻の香りがいっぱいに広がった。丁寧に炒られた胡麻は香ばしく、蜜のようになめらかな餡は舌の上でゆっくりと溶けて、濃厚でありながら後味は驚くほどに上品だ。噛むたびに香りが幾重にも花開き、温かな甘みが胸の奥まで満たしてゆく。思わず頬が緩み、この穏やかな午後が永遠に続けばと錯覚するほどのおいしさだった。
だが、その幸福な空気こそが好機でもある。茶の香りと談笑に意識が和らぎ、誰もが愛らしいパンダまんへ心を奪われている。その隙へ銀狼は静かに意識を巡らせ、音もなく狼たちを創り出した。影に溶けるように忍び寄る使者たちは水面へ落ちる木の葉よりも密やかに、ゾディアック・ミラーへと近づいて行く。マルザウアーンは湯飲みを傾けながら何事もない表情を崩さずに、来るべきその瞬間を伺った。
●雷兽的足音
「蒸したてのお饅頭おいしそうだな⋯⋯!」
トゥルエノ・トニトルス (coup de foudre・h06535)が目を輝かせるのも無理はない。たくさんの蒸籠の中に並ぶ白黒のパンダまんは、ひとつひとつ異なる表情を浮かべている。眠たげに目を細めた子、にこりと笑う子、驚いたように丸い口を開けた子。皆々今にも転がり出しそうな愛らしさで、湯気の向こうからこちらを見つめ返していた。
「飲茶というかオヤツの時間だ~。パンダの居るところって変わってンね……」
緇・カナト(hellhound・h02325)も肩の力を抜き、御相伴に預かるように席へ混じる。これほど香り高い湯気に誘われてしまえば、作戦であることさえ忘れてしまいそうだった。
「是非お茶を楽しむ時間を味わおうではないか。此れも作戦の内だと星詠み殿も言っていたぞ!」
注がれた茶は翡翠を溶かしたような淡い緑色で、口に含めば花の余韻が舌先を撫でる。茶のあまい香りが蒸した小麦の風味を一層際立たせていた。
見回せば、幾重にも積まれた蒸籠はまるで竹の城塞のよう。しろい湯気はたなびき、数え切れぬほどのパンダまんたちがその奥でふっくらと微笑んでいた。
「どのパンダまんも摘んで食べても良いんだっけ」
カナトの言葉に、思わずトゥルエノの顔も綻ぶ。並ぶ白黒のちいさな仲間たちを前に、目移りしながらひとつを摘み上げた。どれも愛らしく、中身など見当もつかない。
ならば心の赴くままに。
ふわり、と生地を割れば黄金色のカスタードがとろりと溢れた。卵と牛乳の優しいあまさが湯気とともに立ち昇り、舌へ運べば絹を溶かしたようになめらかで、頬まで自然と緩んでいくようだ。
「わたしの最初のひと口はカスタード味だったぞぅ」
その隣で、カナトは塩っぱい系を狙って手を伸ばす。
「塩っぱい系の中身とか餡が好みなんだよねェ」
半分に割った肉まんからは肉汁が宝石のような雫となって溢れてくる。生姜と胡椒の香りが鼻を擽り、噛めば旨味がじゅわりと溢れ出す。ふかひれ入りは濃厚な餡が舌へ絡みつき、贅沢な余韻を残して消えていった。
ごま餡は香ばしく、こし餡はしっとりと小豆の風味を抱いている。どちらも出来たてだからこそ、生地の甘みと見事に寄り添っていた。トゥルエノは笑みを浮かべ、半分に割った饅頭を差し出す。
「偶には甘いも満喫すると良いぞ~」
「ああ、大体は好みの味っぽいけれど」
互いに半分ずつ交換すれば、ひとつの饅頭がふたつの楽しみに変わる。あまさの余韻を肉の旨味が受け止め、香ばしい胡麻が再び甘味を呼び戻す。その巡りは、まるで季節が静かに巡るようだ。
「ピザまんとかカレーまんは紛れてないのかな……?」
そんな軽口を叩きながらも、『甘いと辛いを交互に味わうのも通というもので~』などと気ままに嘯いて、柔く目を細めるカナトの姿にトゥルエノも笑みを深めてもうひとくちとあたたかな饅頭を頬張る。それは戦いの最中であることを忘れてしまうほど、穏やかな午後だった。
「其れにしても和やかに過ごすオヤツの時間、このような平穏な時間が続けば良いのになぁ」
その言葉は湯気へ溶け、茶の香りとともにそらへ昇っていく。
誰もが穏やかな午後を味わっている。だからこそ、その静けさを崩さぬように。
「(⋯⋯さて、主が目一杯味わってるうちに目当ての鏡を探しておくかな)」
トゥルエノは茶碗を静かに置き、微笑みを崩さぬまましろい湯気の向こうへと視線を滑らせた。
あまい香りに包まれた午後は続く。その柔らかな湯気の奥では、密やかな雷獣の作戦が誰にも気付かれぬまま静かに動き始めていた。
●雏鸟们的零食
戦闘で武をあげるのは勿論だけれど、油断させて勝機を狙うのも戦いに違いない。
夕星・ツィリ(星想・h08667)が囁けば、隣を歩くララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は迷いなく頷いた。
「勿論よツィリ、隙をつくことだって戦術なの」
「うん! ……本場のお饅頭を前に違う戦いが始まってしまうかもだけれど……!」
「ツィリ、これも戦いよ。美味しいぱんだまんを味わうの」
そう言われてしまえばふたりの瞳はもう使命だけを映してはいられない。
「お腹がすいたわ」
ふわりと竹の香りが風に溶ける。
香りの先には幾重もの蒸籠があって、蓋が開けばましろい湯気が雲のように立ちのぼり、その向こうから現れたのはころころと愛らしい饅頭たちだった。
「ぱんだのお饅頭! これが噂の……随分と可愛いわね」
黒い耳、丸い瞳、ちいさな鼻。ひとつひとつ職人の手で表情を描かれたパンダまんたちは愛嬌に満ちている。湯気をまとった頬はふっくらと柔らかく、指先でそっと持ち上げれば弾み返す感触は雲を摘まんでいるようで、その温もりがてのひらまでしあわせにしてくれた。
「ララちゃん、ララちゃん。4種類なら全部食べられると思いませんか……!」
「4種類なんて余裕だわ」
ふふん、と幼い胸を誇らしく張る姿が頼もしい。
「後でどれが一番美味しかったか教えてね」
「勿論よ、美味しいは共有しなきゃね」
ララは早速、フカヒレのパンダまんへとかじりつく。
中からとろりと艶めく黄金色の餡。繊維の一本一本まで贅沢な旨味を抱えたフカヒレが惜しみなく包まれていて、鶏白湯の深いコクが舌の上をゆっくり流れていく。噛むたびに豊かな旨味が花開き、上等な中華料理をそのまま閉じ込めたような幸福が広がった。
続いては黒胡麻餡。香ばしさは夜空いっぱいの星を焙煎したように濃厚で、なめらかな甘みが舌を優しく撫でる。肉まんは肉汁がじゅわりと溢れ、生地へ染み込んだ旨味までも余さず味わわせる。締めのカスタードはひだまりをそのままクリームへ溶かしたような柔らかなあまさ。卵と牛乳のまろみがふかふかの生地と寄り添い、口いっぱいに優しい余韻を残す。
もちろん、それだけでは終わらない。
あまいもの、しょっぱいもの、またあまいもの。しあわせの波を何度も往復するように、ララは迷いなくおかわりへ向かった。まだまだいけるわと、ちいさな背中がそう語っている。
一方のツィリは愛らしいパンダの顔にすこしだけ心を痛めながら、ちいさく目を逸らしてひとくち。
生地は雲を閉じ込めたように軽く、噛めばしっとりとあまい香りがほどける。中には餡が惜しげもなく詰まり、小ぶりな大きさだからこそ次々と手が伸びてしまう。
「ララちゃんはどれが好きだった? 私カスタード!」
「ツィリはカスタードがお気に入りなのね。わかる、クリームも生地も最高だったわ」
「洋菓子でもお饅頭でも美味しいの凄いと思うの」
あまいものから順番にぱくぱく。黒胡麻、カスタード、また黒胡麻、またカスタード。どれも違う幸せを連れてきてくれるから、ついつい全種類リピートしてしまいそうになる。両手に持てば、なんだか『さいきょう』になれたような気持ちさえした。
「ララはフカヒレよ。フカヒレを饅頭にするなんてすごいわ」
「フカヒレと生地がマッチしてて最高だよね」
潜入任務であることも束の間忘れ、ふたりは顔を見合わせて笑う。
湯気は変わらず立ちのぼり、蒸籠にはまだまだ愛らしいパンダたちが並んでいる。
「また食べたくなっちゃった……ねえ、ツィリもまだまだ食べられるでしょう?」
「お腹まだまだ余裕あります! また貰いに行こう!」
少女たちは弾む足取りで蒸籠へ向かう。敵地の真ん中でありながら、そのひとときだけは戦いも陰謀も湯気の向こうへ霞んでいた。
●战士的休憩
水鏡天満宮を渡る風は木々の梢をやさしく鳴らし、湯気をまとった茶器の香りを境内いっぱいへ運んでいた。
「(おいしそう……!)」
思わず胸の奥が弾み、クラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)は目を輝かせながら茶会の輪へと加わる。素直な喜びを抱きつつも、周囲への警戒だけは細い糸のように張り巡らせる。それでも今は、剣よりも茶器を手に取る時間を大切にしたかった。
そっと受け取ったのは、ころんと愛らしいふたつのパンダまん。
ごまあんを抱くまるいほっぺたの一匹に、もう一匹はあたたかなひだまりを閉じ込めたようなカスタード入り。蒸籠から立ちのぼる湯気はしろい絹の薄衣となって二匹を包み込み、鼻先を擽るあまい香りはやさしく心をほどいていく。
指先でそっと割れば、生地は雲をちぎったようにふわりと裂けて、ごまあんは黒曜のような艶をこぼしながらとろりと姿を現した。香ばしさは深い森のような落ち着きを宿し、優しい甘みが舌の上で静かに花開く。
続けてカスタードを頬張れば黄金色のクリームがとろりと溶け出した。卵のまろやかさとミルクのあまい余韻が重なり、身体の内側へゆっくり染み込んでいくようだった。
「(ふわふわでほかほかであまくて、すっごく美味しい)」
戦争であちこち駆け回って疲れた頭と身体が癒されていくようだ。
張りつめていた心はあたたかな湯気に溶かされ、冷え切った疲労はあまい餡とともに静かに和らいでいった。
湯呑みを口元へ運び、ふう、とちいさく息をつく。力を抜いて周りを見れば、誰もが穏やかな笑顔で茶会を楽しんでいた。笑い声はせせらぎのように柔らかく、穏やかな時間が水鏡天満宮を包み込んでいる。
考え方自体は否定したくないんだよな、とクラウスは静かに想いを巡らせていた。
どんな戦いもこんな風に湯気の向こうで笑い合って美味しいお茶とおやつを囲んで終われたなら。誰も傷付かずに済む世界があるのなら、それはきっと、とても幸せなことなのだろう。
「平和っていいな……」
その呟きは湯気に乗ってそらへ溶けていく。
今だけは難しいことを頭から追い出そう。このあまく温かなひとときを、心ゆくまで味わうために。
●贤狼的秘密行动
湯気の中心で黑白蓮教の教主『食鉄大師』は信者たちへ惜しみなく下午茶を振る舞っていた。いまは穏やかな午後。戦いの気配は湯気の向こうへ溶けている。
だからこそ三人もまた、何食わぬ顔で信者へ紛れ込む――もっとも、ひとりだけは普段とはまるで違う姿だったが。
黒い毛並みの幼い狼、ヴォル太ことヴォルフガング・ローゼンクロイツ(螺旋の錬金術師『万物廻天』・h02692)。精神まで少年へ戻ってしまった賢狼は、耳をぴこぴこと揺らしながら目を輝かせていた。
「ちるは姉ちゃん。おやつ食べにいかない? トラちゃんも行くだろ?」
「いきましょうぜひにいきましょうさあ食べましょう」
ずずい、と前へ出る不忍・ちるは(ちるあうと・h01839)の勢いは、食欲という名の追い風を受けた船のようだった。弾むふたりの声は鈴玉が坂道を転がるように軽い。エレクトラ・テスタロッサ(赫霆の薔薇『神魂合一』・h03015)は思わず笑みを零し、少年の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「ヴォルフ、またちっこくなってるの? 可愛いのはいいけど」
くしゃくしゃと毛並みを乱されても、ヴォルフガングは嬉しそうに尻尾をぶんぶん振る。その傍らで、ちるははふわふわと揺れる黒い尻尾を優しく見守りながら隣で微笑むエレクトラを仰ぐ。そして鼻先へ届くあまい香りに、黒い瞳がふっと細められた。
「はー……、あの蒸かしたての『まん』のあまいにおい大好きです」
幸福は案外、こんな匂いをしているのかも。
屋台へ並んだパンダまんは、まるでちいさな動物園のようだった。職人がひとつひとつ表情を描いたらしく、同じ顔はどこにもない。蒸籠の中で肩を寄せ合うその姿は、雲へ紛れ込んだ仔パンダたちがお昼寝をしているようでもあった。ふっくら膨らんだ皮は雪よりしろく、指先でそっと触れれば、吐息ほど柔らかな弾力が返ってくる。
「パンダまんを美味しく頂くべく、私たちは都合よく今だけ信者です」
ちるはが小声で宣言すると、
「ヤッター!パンダまんだ!美味しそうだ。ふむふむ。お前達も食べていいぞ!」
ヴォルフガングの足元から、自分そっくりの小さな分身たちが、わらわらと現れた。ちいさな狼たちまでもが歓声を上げている。
「パンダまんといっても色々あるのね。取り敢えず肉まんにしようかしら?」
エレクトラが選んだ肉まんは、ほんのり黒胡椒が香る一品。割った瞬間に黄金色の肉汁が春先の雪解け水のように溢れ出す。豚肉の旨味は濃厚でありながら重すぎず、刻んだ筍の小気味よい歯触りが軽快なリズムを添える。噛むたびあまい脂が舌の上でほどけ、熱々の湯気とともに幸福が喉を滑ってゆく。
「ええと私はまずはごまあんから……んー! おいしい!」
一方、ちるはが選んだのはごまあん。
しろい皮を割れば、中から艶やかな黒胡麻餡がゆっくり顔を覗かせた。ねっとり濃密なのに、舌へ乗せれば驚くほど滑らかで。炒り胡麻の香ばしさが波紋のように口いっぱいへ広がり、あとから蜂蜜にも似た自然なあまさが追いかけてくる。胡麻そのものを飲んでいるかと思うほど豊かな香りは、まるで秋の畑を丸ごと閉じ込めたようだった。
ヴォルフガングはというと、肉まん、角煮まん、カスタードまん、桃まん、抹茶あんまん――気付けば蒸籠の前を右へ左へ大忙し。ミニヴォル太たちまで頬をいっぱいに膨らませ、口元へ餡を付けたまま幸せそうに笑っている。その姿は餌場へ集まった子狼そのものだった。
「ちるはちゃんはどうする? ヴォルフ達は全種類制の勢いでワチャワチャしてるけど」
「トラちゃんの肉まんもおいしそうですし全種食べたいですね」
笑い声まで湯気へ混ざってゆく。あまいものとしょっぱいもの、ふわふわともちもち。それぞれ違う味なのに、どれも誰かへ勧めたくなる美味しさだったから、自然と『おいしい』ははんぶんこになってゆく。
「一口どうぞ」
「これも食べてみる?」
そんな言葉が飛び交う食卓ほど、心を近づけるものはない。ちるはは肉まんを頬張るエレクトラを見つめながら、静かに笑った。
「改めてというとあれですが、トラちゃんって精霊さんだと思うので……みんなと同じようにおいしいものを共有できる今が嬉しいです」
思いがけぬ言葉に、一瞬驚きに見開かれたエレクトラの琥珀色の瞳が午後の日差しよりも柔らかく細まった。
「ふふ、ありがとう。私もこうして一緒に楽しめることが嬉しいわ」
その言葉へ負けじとヴォルフガングが飛び跳ねる。
「俺も、俺も! ……! ……げほ、げほっ、の、のどに……!」
「ほらもぉ。お茶も飲まないと喉詰まるわよ?」
差し出された温かいお茶を慌てて飲み干し、ようやく落ち着く。誰からともなく溢れた三人の笑い声が、午後の風へ溶けていく。
その穏やかな時間の裏側で。
ヴォルフガングはそっと身を寄せ、ちいさな分身たちへ囁いた。
「いいか? お前達、お腹いっぱい食べるのはいいが、わかってるな?」
ひそひそ、こそこそ、秘密会議。
『九識狼玩』によって生まれたミニヴォル太たちは、一斉にこくこくと頷く。次の瞬間、ちいさな身体は透明な空気へ溶け込み始めた。
役目を授かったちいさな隊員たちが静かに歩き出す。その後ろから、金平糖をもらってご機嫌になった色彩り綿毛獣『ぽん』もころころと弾みながら付いていく。彼らは鏡奪取のための探検隊。それはあまりにも愛らしく、あまりにも秘密めいた遠征だった。
「作戦を考えてるぽいけど、その姿だと悪戯の相談にしか見えないのよね」
エレクトラは肩を震わせる。
「……ゾディアック・ミラーを奪取しようとしてるけど、笑うしかないじゃい」
「ふふっ。うまくいきますよ、きっと」
蒸籠から立ちのぼるしろい湯気は、まるで彼らの企みを包み隠す幕のようだった。
あまい香りに満ちた午後。誰もがパンダまんへ夢中になるその隙間を縫うように、ちいさな冒険者たちの秘密の作戦はいま、静かに動き始めようとしていた。
●尽享美味点心
「(黑白蓮教……戦場でおやつタイムを初めてビックリしたわ。でも敵のおやつタイム、ちょっと気になるわね)」
矢神・霊菜(氷華・h00124)は自然な足取りで列へ加わる。視線の先には、蒸籠いっぱいに並ぶ湯気立つ中華まんたち――思ったよりも種類があるようだ。
つぶらな瞳は今にも瞬きをしそうで、ちいさな耳はちょこんと乗って、膨らんだ頬はぬいぐるみを思わせる柔らかさ。ひとつひとつ表情が違い、笑っている子もいれば眠たげな子もいる。見ているだけで頬が緩み、食べるのが惜しくなるほど愛らしい。
「どれもいい匂いで美味しそうだわ、目移りしちゃうわね」
ふわりと漂う小麦のあまい香り。その奥から豚肉の旨味や椎茸の芳醇な香り、胡椒や生姜の刺激が幾重にも重なった。可愛らしいパンダまんに惹かれたものの、せっかくなら今日は初めて出会う味を選びたい。
「それじゃ、フカヒレまんをいただこうかしら」
蒸籠からひとつ取り上げると、指先へ伝わる温もりが心地良い。
「わ、生地がとても柔らかくてふわふわね」
そうっと割れば湯気が花のようにふわりと咲き、黄金色に輝く餡が姿を見せる。閉じ込められていた肉汁はちいさな泉のようにきらめき、鼻孔を擽る香りが食欲を優しく誘った。
「んー、ジューシーな豚肉の肉汁と味付けによるコクが美味しいわね。フカヒレを噛んだ時のプチプチとした食感がアクセントになってて飽きがこなさそうだわ」
旨味は舌の上でゆっくりとほどけ、肉汁は温かな琥珀の雫となって口いっぱいに広がっていく。そこへフカヒレが葡萄のような粒立ちで顔を覗かせ、ぷちり、こりりと軽やかな音を奏でる。その食感が波紋のように広がり、ひとくちごとに新鮮な驚きを運んできた。
「生地もほんのりと味がして、でも餡の味を邪魔しない計算された素朴さ……!」
小麦の優しいあまみは春の日差しのように穏やかで、決して主役を奪わない。それでいて餡の濃厚な旨味をふんわりと抱き留め、最後のひとくちまで温かな余韻を残してくれる。その余韻に誘われるように、再び視線は蒸籠へ向かった。
並ぶパンダまんたちは相変わらず愛らしく、まるで『ぼくも食べて』と言いたげに微笑みかけてくる。黒い耳や目は香ばしい風味を秘めているらしく、あまい餡を包んだものや、カスタードを閉じ込めたものまであるという。ひとつひとつ違う個性を持つてのひらに収まるパンダたちは、午後の茶席を彩る愛玩動物ではなく、ちいさな幸福そのものだった。
「ちょっと、普通の肉まんと食べ比べて見たくなっちゃった」
言いながら肉まんにも手が伸びる。割れば、こちらも湯気が勢いよく立ちのぼった。
「こっちもほんのり甘い生地がふかふかもちもちで食感が良いわね。噛んだ瞬間に豚肉の旨味と玉ねぎの甘味が凝縮された肉汁が口の中一杯に広がって美味しい……!」
余計な飾りはない。だからこそ、豚肉の力強い旨味と玉葱のあまさが真っ直ぐ胸へ届く。毎日食べても飽きない優しさは、豪華さとは違う豊かさを教えてくれる味だった。
「フカヒレまんも美味しいけど、こっちのシンプルながら何度でも食べたくなる味も堪らないわね」
食べ比べながら温かな中国茶を口へ運ぶ。花を思わせる柔らかな香りが脂の余韻をすっと洗い流し、口の中へ新しい風を吹き込んでいく。黄金色の茶は午後の陽射しを溶かしたように澄み渡り、中華まんの美味しさをもう一度鮮やかに浮かび上がらせた。
戦場であることを忘れそうになる穏やかな午後。
湯気の向こうでは愛らしいパンダまんたちが静かに微笑み、甘い香りとともに束の間の平和をそっと見守っていた。
●鲸影浮波
風は青葉を撫で、境内に張られた幾筋もの白布をやわらかく揺らす。その奥では、黑白蓮教の信者たちが静かな午後の支度に追われている。湯は絶えず沸き、竹の蒸籠は幾段にも積み上げられ、立ち昇る湯気は白雲となって屋根裏へ溶けていった。
食鉄大師が束の間の午後を愉しむ時刻――その穏やかな光景の裏側へ、鬼臨坂・弦正(金輪際・h07880)と躑躅森・花寿姫 (照らし進む万花の姫・h00076)は、信者を装って静かに紛れ込んでいた。
「武侠主義を好まないのに結局用いるのは武力とは……なんだかなあ、ですね」
花寿姫は境内を見回し、ちいさく肩を竦める。その言葉に弦正も静かに頷いた。
「強きは悪と説く一方、改革の手段は武力か。魔教『黑白蓮教』……思う所は多々有るが」
思想は茶碗の底に沈む茶葉のように重かった。だが、その重さをふわりと持ち上げる香りがふたりの鼻先を擽ってくる。蒸した小麦のあまい香り。湯気に溶けるミルクの匂い。肉汁の芳醇さや胡麻の香ばしさ。それを知れば、花寿姫の瞳が一瞬で輝きを宿す。
「それはそれとして……あったかふかふかパンダまん~♪ 見た目もかーわーいーいー!」
その笑顔は曇天を裂いて差し込む陽光そのもの。あまりの眩さに弦正も思わず口元を緩めた。
「幾つか種類があるようですが、折角ですから片っぱしからぱくぱくしましょう!」
「……そうだな。今は一先ず脇に置いておき、一息入れると致そう」
戦場では一瞬たりとも緩まぬ神経が不思議とほどけていくようだ。
肩の力を抜いて蒸籠の蓋を開ければ、もうもうと湯気が立ち籠める。出来立ての味わいを想起させる熱い空気。しろい雲が弾けるように視界を包み、その向こうから、ころころと愛らしい姿が顔を覗かせる。
一様に円らな瞳をして、此方を見上げるパンダのまるい顔。よくよく見れば一匹として同じ表情はいない。きゅっと口角を上げて笑う子や、眠たげに目を細めた子。『むむ』と困ったような眉を描いた子。ほっぺたがぷっくり膨らんだ子。耳の角度まで微妙に違い、それぞれがちいさな命を宿しているようにも見えた。柔らかなしろい皮はうさぎの毛並みのようになめらかで、指先が触れればふに、と優しく沈み返す。その弾力は生まれたての雲を掌に乗せたかのよう。
花寿姫は胡麻餡を引き当てる。漆黒の餡は艶やかに輝き、炒り胡麻の香ばしさがふわりと鼻へ抜ける。口へ運べば濃密な胡麻の旨味がゆっくり舌を包み、あとから蜂蜜にも似た柔らかなあまさが追い掛けてくる。肉まんは肉汁がじゅわりと溢れ、椎茸と筍の旨味まで溶け合っていた。どれもがちいさな包子でありながら、ひとつひとつが違う物語を宿していた。
「ん~♪ どれも美味しいですね、戦の疲れもふっとびそうです!」
頬いっぱいに頬張る花寿姫は、まるであたたかな日差しを食べて育つ小鳥のようだ。
「休息は誰にでも必要です、貴方も少しゆっくりなさって」
「ああ、そうだな」
弦正も静かに頷き、手にしたひとつを割ったなら、とろりとした餡が糸を引いて溢れ出す。こがねいろは午後の日差しを閉じ込めた蜂蜜のようで、あまい香りが湯気に乗って頬を撫でた。
「……これは?」
蜜色の餡の中に半透明の見たことのない具が顔を覗かせる。花寿姫は嬉しそうにわぁ、とちいさな歓声を上げた。
「弦正さんはフカヒレ初めてですか? こちら鮫の鰭を乾燥させたものになります」
「ふかひれ……成程、これが。鮫は水族館に泳いでいたな」
「そうですね水族館で見ましたね!」
海を思わせるような青と白の世界でみつけた、雄大な魚影を今も覚えている。
「凡そ食用魚には見えなかったが、彼奴らの鰭は喰えるのか」
何と無く歯応えと弾力を予想して口にすると、意外にも柔らかく解れる食感。するりと舌の上でほどけ、まるで朝露が陽光へ溶けるように姿を消していく。
「他にも燕の巣とかあるんですよ」
燕の巣と聞いて思い浮かぶのは建物の軒に見られる、泥と枯れ木の巣。
弦正は僅かに眉を動かした。
「……それは……、……随分先鋭的だな」
「私達が目にするようなものは流石に食べられませんが、世の中面白い食材が沢山あります」
花寿姫は次の蒸籠から別の包子を手に取った。ぱくりとかぶりつけば、それがフカヒレ餡であることを知り笑みが溢れる。
「ん~♪ 旨味たっぷりの餡と、ぷるんとしたフカヒレが口の中を満たして美味しいです!」
餡の濃厚な旨味へフカヒレのとろりとした繊維が重なり、柔らかな波紋を描くように舌の上で広がっていく。
「何を引き当てるか解らぬが、何を引き当てても旨い」
「ふふっ、当たりだけのくじ引きみたいですね!」
蒸籠はまるで宝箱だった。
どの蓋を開けても笑顔が現れて、どのパンダもしあわせを包み込んでいる。
「俺は胡麻餡が気に入った」
「ごま餡も香り豊かで美味しいですね、私はカスタードが好きです」
食べ進めるほど蒸籠の中のパンダたちは個性を増していくものだから、花寿姫は楽しそうに並べながら目を凝らした。
「沢山食べる内に種類毎の見た目の違いも見分けられるようになりました!」
「ほう? 顔立ちで判別が叶うか」
「これは絶対カスタードです! ……肉まんでした……」
思わずふたりの間へ笑いが零れる。
何処かとぼけた垂れ目の顔、眠た気な細目の顔。笑っているような口元や、すこし怒っているような眉。職人がひとつひとつ指先で形作った温もりが、そのまま表情になっていた。弦正は並ぶ中から一匹を選び取る。
「ひときわ機嫌好く笑って見える顔……此奴にしてみよう」
ぱか、と割り。
中から現れたのは、とろりと艶めくたまごいろ。
「む。此方が『かすたーど』だ。半分喰うか」
「あ、ありがとうございます……」
花寿姫は少し照れたように笑い、自分のまだ手をつけていない包子を差し出す。
「こちらも半分如何です?」
「其方も有難く頂戴致そう」
互いに半分ずつ分け合えば、美味しさは不思議と二倍になる。あまさも旨味も、誰かと笑い合うことでより深く心へ染み渡るものなのだろう。
境内では風鈴が涼やかに鳴り、竹林を渡る風がさらさらと葉を揺らす。
遠くでは食鉄大師が信者たちに囲まれ、同じように午後の茶を楽しんでいる。嵐を孕む思想も、争いの火種も、今だけは蒸籠のしろい湯気の向こうへ霞んでいた。ふっくらと笑う無数のパンダまんは、戦う者たちへ束の間だけ訪れた平和の象徴のように並び、その丸い笑顔は休んでもいいとここにいる全員に語り掛けているよう。
あまい香りに満ちた午後は静かに流れ、茶碗から立ち昇る湯気は夏空へ溶けてゆく。
その穏やかな一刻は、やがて訪れる戦いを知っているからこそいっそう愛おしく、舌の上にも胸の奥にも長く優しい余韻を残し続けるのだった。
●吉祥物角色
アスカ・アルティマ(アルティマレディアスカ・h01956)は水鏡天満宮の境内に漂う甘やかな蒸気を興味深そうに追っていた。古びた社殿の軒先、その一角だけがまるで別世界の茶房めいている。白黒の旗が風に揺れ、湯気の向こうには、ころころと愛らしいパンダの顔が並んでいた。
「さて、それじゃ点心食べ放題に参加するわね。……ん? そうじゃない?」
まあ似たようなもんです、なんて微かに笑みを溢らしながらパンダまんを貰いに行く。蒸籠の蓋が開けばふわりと立ちのぼる湯気。その中から現れたパンダまんたちは、こんな物騒な宗教でつくられたとは思えないほど個性豊かだ。
きりりと眉を寄せた顔、眠たげに目を細めた顔、片方の耳だけすこし傾いた顔。くろい耳と目がしろい生地の上に映え、まるでちいさないきものが蒸気の揺籠で眠っているかのようだった。
「いやあ、見た目が可愛いわね。手作りだからちょっとずつ表情違うし」
指先でひとつ持ち上げれば、まだ熱を孕んだ生地がふっくらと柔らかく沈む。
ぱくりと齧れば皮のあまみが舌にほどけ、そのあとから餡の濃厚な風味が追い掛けてきた。黒胡麻の香ばしさに蓮の実のまろやかさを纏め上げる蜂蜜のあまさ。どうやら中身までもがひとつひとつ違うらしい。
「うんうん、どれも美味しいわねえ。……ただなんか顔にかぶりつくという絵面はまあ」
視線の先には、黒白蓮教の教主、食鉄大師。その顔によく似たパンダまんが湯気の中でにこやかに笑っている。なんとも妙な光景だった。
「(……それはそれとして、本格的に食べていきましょうか)」
可愛らしさを堪能したあとは、本格的に頬張っていく。
ひとつ、どころかみっつずつ。熱々の皮を割れば餡がとろりとほどけ、あまい香りが口いっぱいに広がる。香ばしい胡麻餡はいつまでも飽きが来ないし、口の中があまくなりすぎた時は肉まんやフカヒレまんを堪能すればいい。
気づけば蒸籠は空になり、また次の蒸籠が運ばれてくる。
「うん、どれだけ食べてもタダって言うのはいいわよね」
午後の陽射しと湯気に包まれながら、アスカは次のパンダまんへと手を伸ばした。
●精灵混迹于熊猫之间
エレノール・ムーンレイカー(蒼月の守護者・h05517)は戦場の喧騒からわずかに離れた水鏡天満宮の境内を見渡した。血煙と土埃の向こう、黒白の衣を纏った信者たちが談笑しながら湯気の立つ籠を囲んでいる。場に相応しくないあまく香ばしい匂いが鼻先を擽った。
「(戦場の真っただ中でおやつタイムとは……。完全に舐められてますね)」
呆れを滲ませながらも、琥珀の瞳には冷静なひかりが宿る。
「(ですがこちらとしては好都合に他なりません。このスキに潜入してしまいましょう)」
フードやローブでも十分足りるであろうが、黑白蓮教の信者の誰かに化けてしまうのが一番確実だろう。魔法によって姿を変えたエレノールは何食わぬ顔で茶席へ紛れ込む。そこに並んでいたのは、丸々と愛らしい姿をしたパンダまんだった。しろい生地にくろい耳、目の周りの黒模様。まるでちいさなパンダたちが籠の中で寄り添い、湯気の寝床で昼寝をしているようだ。
「ふむ……これがおやつのパンダまんですか」
どうせ潜入作戦であるならば、彼らに混ざって饅頭を頬張っていくのもいいだろう。まず手に取った蒸したての肉まんは、指先にまで熱が伝わるほどの熱さだった。
「先ずは肉まんから……あつつっ、ほかほかですね、では一口……」
薄い皮を噛み破れば、途端に肉汁が雪崩のように溢れてくる。豚肉の旨味に葱の香り、胡椒のぴりりとした刺激が重なり、熱い汁が舌を包み込む。湯気までもがご馳走だと感じるとは、なんて贅沢なのだろうか。
「おお……美味しいですね。濃厚な肉汁がぶわっとあふれて」
次に選んだのは胡麻餡のパンダまん。しろい頬をえいやと割れば、艶やかな黒胡麻餡が顔を覗かせる。香ばしい胡麻の風味が鼻へ抜け、舌の上では蜂蜜のまるいあまさがほどけていく。
「うん、これは程よい甘さでいいですね。何個でも行けちゃいそう……」
籠にはまだ色も形も異なるパンダまんが並んでいる。甘い香り、肉の香り、木の実を思わせる香ばしさ。どれも湯気の向こうで、食べてくれと言わんばかりに艶めいていた。
「他のも美味しそうですね……どうせなら全種類、食べちゃいましょう」
戦いにはまだ遠い。
それならば――この穏やかな午後の時間を、もう少しだけ。
●与你,共享幸福
戦いの気配を隠すように、湯気が立ちのぼっている。
ふっくらと蒸されたパンダまんが蒸籠の中いっぱいに並んでいた。食べてしまうのが惜しくなるほど愛嬌たっぷりなのに、鼻先から漂う香りは容赦なく食欲を刺激してくるものだから。エアリィ・ウィンディア(精霊の娘・h00277)はそわそわと卓上を眺め、それから隣の椎宮・紫水(シセキエイ・h12162)へ視線を向けた。
「うーん美味しそうな匂い」
「紫水さん。何味にしよっか♪」
紫水もまた鼻先を擽る香りに目を細め、エアリィの視線の高さに合わせるように背を屈めた。
「何味にしようね? エアリィ嬢は何にする?」
「んー……、最初はお食事系で、肉まん!」
「私はそうだなぁ……せっかくだしフカヒレにしようかな」
ふたりが選んだパンダまんは、それぞれ小さな蒸籠の中でしろい湯気に包まれていた。エアリィが肉まんをそうっと持ち上げる。
「あつつ、美味しー♪」
「あっつ?!」
まだ熱い。てのひらへ伝わる熱が、まるでちいさな生き物の体温のようだった。齧った先から溢れ出る餡の熱さに、紫水も慌てて息を吹きかける。
「でもあっついけど美味しいね」
「あ、紫水さんの方もおいしそう……ね、半分こしない?」
「いいとも、半分こしよう」
紫水は笑ってふかふかのパンダまんを半分に割った。
割れ目からしろい湯気がふわりとほどける。その奥から現れたフカヒレ餡は、とろりと艶めき、海の旨味を閉じ込めた宝石のようだった。ひとくち齧れば、柔らかな生地の甘みのあとに滋味深い餡が舌の上でほどけていく。紫水はその半分を、エアリィの口元へ差し出した。
「はい、あーん。熱いから気を付けてね?」
「あちち……。でもおいしー♪」
続いてエアリィも、自分の肉まんを差し出した。
「あたしの肉まんも、どうぞー」
「うん、此方も美味しいね」
肉汁を含んだ餡はふわりとした皮の中でほどける。噛むほどに旨味が増し、ふたりの間を行き来するパンダまんは、いつしかひとつの料理をふたりで味わっているようだった。
次に並んだのは、丸い頬をしたスイーツまん。
エアリィはしばらく迷ったけれど、やがてぱっと笑みを咲かせてちいさくねだる。
「シェアしよー♪ それじゃ、あたしカスタードっ♪」
「ふふっ、もちろんいいよ、シェアして食べよう」
これもふたりで分かち合えばいろいろな味を楽しめる。紫水は快諾を示すと胡麻餡の詰まったパンダまんを手に取った。
「じゃあ私がごまあんだね。はい、半分こしよう」
『それとも手ずからあーんがいい?』なんて悪戯に問い掛ければ、『もー!』なんて返事が返ってくるのがおかしくて。ころころと笑いながら、ふたりは半分ずつにパンダまんを分かち合う。
エアリィがカスタードを口に含めば、なめらかなあまさが舌の上に広がった。卵のまろやかさと、ふんわり甘い生地。その味は、午後の陽射しそのもののように柔らかい。
「ん-、あまくておいしー♪」
胡麻餡は黒胡麻の香ばしさが先に立ち、あとから穏やかな甘味が追いかけてくる。あまいけれど重たくはなく、噛むほどに胡麻の風味が深くなる。
「うん、程いい甘さで美味しいなごまあん」
そしてエアリィからもらったカスタードにも、紫水は柔らかく微笑んだ。
「エアリィ嬢からもらったカスタードも素敵な甘さ」
境内にはまだ湯気が漂っている。
敵地のはずなのに、今だけは不思議なほど静かだった。
「幸せな気持ちになれるね」
エアリィ嬢が横にいるから、特に。
それは長い道のりを一緒に歩くひとへ向ける、最も素朴であたたかな信頼だった。
「えへへ。あたしも、紫水さんが隣にいるからとっても幸せー♪」
エアリィは残ったパンダまんを眺め、それから嬉しそうに笑う。
「あまいものより幸せかもっ♪」
その言葉を聞いて、ふたりの前にあるちいさなパンダたちまで、どこか嬉しそうに笑っているように見えた。
●守护之手
黑白蓮教の教主、食鉄大師のおやつ時。
緊張すべき潜入先であるはずなのに、漂ってくる香りはあまりにも穏やかだった。小麦のあまいにおいに餡の香ばしさ、湯気の向こうからほのかに届く茶の香り。それらは敵意というより、昼下がりの眠気を誘う風のようだった。
「なんか大変そうなのに、のんびり食べてて良いのかなぁ」
羽純・にあ(花冥・h12446)は目の前のパンダまんを眺めながら首を傾げていた。その姿に、隣の縁・浩然(野狗・h12442)は眼鏡の奥の凍彩を柔く細めた。
「僕達は武強主義に慣れちゃってるからね。のんびりするのも大切なんだと思うよ」
「ふうん……ところで信者らしい振る舞いってどうやればいいの?」
『ハオお手本見せて! 真似するから!』なんて、身を乗り出して背伸びをする姿に思わずくすりと笑みを溢しながら、『大丈夫だよ』と制すれば極光のあおをぱちりと瞬かせ、少女は言葉の続きを待った。
「にあちゃんはにこにこしながらおいしくおまんじゅう食べてればいいよ」
「……え、そうなの? ハオがそう言うならそうする!」
浩然は大師へ会釈し、軍警道士らしい隙のない丁寧な所作で茶器を扱う。その一方で、にあは素直に背筋を伸ばし目の前の饅頭へ視線を落とした。黒い耳と目を模した皮をちょこんと貼られた愛らしいパンダまん。けれど、その姿に似合わぬほど中身は多彩だ。
「ハオは何にする? わたしはカスタードがいいなぁ、あとフカヒレ!」
「じゃあ、僕は肉まんとごま餡にしようかな」
そう言いながら浩然が選んだのは肉の旨味を閉じ込めたふっくらした肉まんと、黒胡麻をたっぷり練り込んだ饅頭だった――というのも、彼女が別の味を食べたくなった時の保険である。
「甘いの食べたあとってしょっぱいの食べたくならない?」
「うん。甘いのとしょっぱいの、両方食べたくなるよね」
蒸籠から取り出されたばかりのカスタードまんを、にあが両手で包む。しろい皮から立ちのぼる湯気は冬の窓に灯るあかりのよう。そっと割れば、中から黄金色のカスタードがとろりと顔を覗かせる。卵のまろやかさと乳の甘みが舌の上でほどけ、やわらかな皮がそれを受け止める。
「おいしい! 蒸したてだからふわっふわだね、ぺろっと食べちゃえそう」
浩然は美味しそうに食べているにあの姿を眺めながら、お茶の減り具合も確認する。
にあは白茶をひと口飲み、ふう、とちいさく息を吐いた。
「のんびりお茶するのって慣れないなぁ。胃はまだちっちゃいし……好きなものを自由に食べるのも悪いことしてるみたいに感じちゃう」
「そうだね。にあちゃんには、まだ新鮮なことかもしれないね」
眠りの淵に居た頃には考えられない景色ばかりが満ち溢れているから、戸惑うばかり。だがその言葉達を受け止める浩然の声は、午後の風よりも柔らかなものだった。
「ほんとはこれが普通のことなんだよねぇ」
「すこしずつ当たり前にしていこう。時間はたくさんあるんだから」
「ハオ白茶飲む? わたしの飲んでいいよ」
にあが差し出した公道杯を受け取り、注ぐ。淡い琥珀色の茶を口に含めば、花のような香りがふたりの間を静かに渡っていく。それから、浩然は自分の肉まんの隣に残していた胡麻餡の饅頭を手に取った。
「僕のお饅頭食べる? まだあったかいよ」
「じゃあごま餡一口ちょーだい! ……えへへ、こっちもおいしい!」
黒胡麻の餡は濃厚で、香ばしく、噛むほどに深い甘みが広がった。しろい皮の淡いあまさと重なれば、それはせかいにぱっと色彩が咲くかのような温度のある味のように感じられた。頬っぺたを膨らませながら一生懸命に頬張るにあの無邪気な様子を、浩然はいつまでも穏やかに見つめていた。
彼女はきっと僕が思っているより強いんだろう。
それでも、どうか。この笑顔が、きみの笑顔が、何者にも曇らされることのないように――きみは僕が、護るべきひとだから。どうか護らせていて欲しいんだと。音にはならず、今は胸の中に秘めたまま。
●小心熊猫兔!
「未来を先回りし続けるなんてつまらなさそう」
「つまらなそう?」
リリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)が湯気の向こうでぽつりと溢した言葉に、徒々式・橙(花緑青・h06500)が首を傾げる。
「うさぎさん、その言葉は|私《未来人》にもちょっと刺さりました」
その一言に、リリアーニャはきょとんと目を丸くする。
「だってサプライズとかも全部わかっちゃうのよ?」
日常の驚きやよろこびも全部台無しになってしまう。それってばやっぱりちょっぴり退屈じゃないかしら、なんて首を傾げれば橙は緩々とかぶりを振って『追撃しないでください』と静かに制した。
「いえ私は面白おかしく現在を生きてるんでいいんですけど」
さらりと返して、橙は卓上のパンダまんへ――それから、傍らを歩くリリアーニャへと視線を移す。
「それにしても随分可愛らしい格好ですねぇ……パンダウサギ」
今日のリリアーニャの装いは黒薔薇の釦をあしらったチャイナ風ワンピース。黒髪はころんと愛らしいお団子にまとめられている。
「信者風にしてみたの! ほら、|ここ《お団子》がパンダの耳みたいでしょ」
兎耳もある。ゆえに、パンダであり兎でもある。
「珍妙な生物が生まれましたけど大丈夫なんですかそれ」
「珍妙とかいうコメントよりもっと褒めてっ」
圧を込めて身を乗り出せば、はいはい、なんて軽くあしらわれてしまうものだからつんと唇が尖ってしまう。
「私もちょっとチャイナっぽい服借りてきましたから、うまく紛れ込みましょ」
拗ねてしまったパンダうさぎさんを宥めつつ、斯くしてふたりはいかにも敬虔な信者らしい顔をして午後のお茶会へと潜り込むのだった。
「さて、紛れ込んだら後は美味しくいただきましょうか」
ぎゅうぎゅうに身を寄せ合う個性豊かなパンダまんたちに、リリアーニャの瞳が宝石のようにきらりと輝く。
「橙はどの味にする? わたしは胡麻餡!」
「んー私は定番、普通の肉まんタイプにします」
蒸籠の蓋が開けば、湯気がふわりと広がった。
しろく丸い頬に黒々とした耳。肉まんのパンダはほんのり褐色の焼き色を帯びた生地の下に肉汁をたっぷり抱えている。一方、胡麻餡のパンダまんは雪のようになめらかな肌に黒い耳をちょこんと乗せ、見るからにあまい夢を包み込んでいた。
蒸したての生地は指先で押せば、ふうわり沈む。雲を掴んでいるようなのに、てのひらには確かな温もりが残る。リリアーニャは胡麻餡のパンダまんを手に取ると、それを橙の顔の横へ掲げてスマートフォンを構えた。
ぱしゃり。
レンズが向けられた瞬間、橙は頬の横でハートを作ってちゃっかりとポーズを決めて見せる。湯気の向こうで、パンダと人が仲良く並んだ。
「……相変わらず撮られ上手ね」
やがてリリアーニャは、パンダまんの耳を避けるようにふかふかの生地を千切った。指先から伝わる柔らかさに、まず頬が緩む――そして、ぱくり。
「おいしい! |具《なかみ》もいいけど、この生地も好き」
鼻に抜ける香ばしい胡麻の香りと蜂蜜のなめらかで上品なあまさ。
けれど、それを包む生地も負けてはいない。ほんのりあまく、蒸した小麦の香りがふくらんで、具材をやさしく受け止めていた。
「蒸したては生地もふかふかですもんね。こっちも食べるなら半分こにしましょう」
「はんぶんこ賛成!」
橙が肉まんを半分に割れば、湯気と肉汁が同時に立ちのぼった。
「はい、あーん?」
差し出されたひとくちを、素直にぱくり。じゅわりと弾けた旨味が口いっぱいに広がり、頬が幸福そうに膨らむ。そして今度は彼女が、胡麻餡の白黒パンダを橙へ差し出した。胡麻の香ばしさにまろやかな甘み。舌の上で餡がとろりとほどければ、黒胡麻のちいさな粒までもが午後の陽射しのように豊かな風味を残していく。橙ももちろん、それをおいしくいただいた。
戦いの気配などどこにもない。ただふたりの間にはあまい香りを抱いた湯気と、半分こにしたおやつのやさしい温もりがあった。
●与你漫游毛茸茸的世界
古びた社殿の向こうで幾つもの蒸籠から湯気が立ちのぼっている。しろい蒸気はあまい香りと肉の旨味、胡麻や餡の香ばしさを綯い交ぜにして訪れる者の鼻先を擽った。
「うう、なんだか辺り一面いい匂いが立ち込めて、おなかすきました……お饅頭もかわいいですね」
蒸籠の蓋が開くたび、ふわ、としろい雲がほどける。その中から現れたのはちいさなパンダたちだった。丸い耳。黒く縁取られた目はひとつひとつ表情が違う。たまごいろの幸福を抱えた子もいれば、艶やかな黒胡麻餡をぎゅっと包み込んだ子もいる。肉まんの子はほんのりと脂のあまい香りを漂わせ、割れば湯気の向こうからほろりと崩れる豚肉と筍の旨味が顔を出す。
「凄いね、あちこちで蒸籠が蒸されて……ふふ、お饅頭もパンダの形だ。かわいいね」
その向こうでは、おおきなパンダ――もとい、食鉄大師がふわふわの身体を揺らしながら茶器を並べている。敵であるはずの相手を前にしながら、見下・七三子(使い捨ての戦闘員・h00338)もノイル・リースロス(闇に揺蕩い影に詠う・h08142)も、今は午後のお茶を楽しむ信者のひとりとして振る舞う。
「えへへ、写真撮って良いですか! あとでお友達にも見せたくて」
「写真? 良いよ、此は確かに見せたくなる」
端末を構えて、ぱしゃり。しろい湯気を透かして差し込むひかりまで写り込めば、そこにはまるでちいさな仙境の茶会が閉じ込められたよう。
「さて、それじゃあ飲茶を愉しませて貰おうかな」
中国茶をひとくち含めば仄かな渋みの奥に豊かな花のような香りが開き、舌の上をさらりと撫でていく。
続けてパンダまんをひとつ。耳から齧ればもっちりとした皮が歯を包み、熱いカスタードがとろりと舌へ落ちてくる。その次は胡麻餡。濃厚で香ばしく、砂糖のあまさは控えめなのに、黒胡麻の油脂が舌に残るせいでもうひと口が直ぐに欲しくなる。
色々なパンダまんを中国茶と一緒に楽しみつつ、ノイルはちらと食鉄大師を見る。
「パンダもふもふだねぇ。……そうだ、七三子嬢は|黒柴《ハヤタくん》と暮らしてるけど他に好きなもふもふとか、動物っているのかい?」
「ふわふわはかわいいですねえ。ん、うちですか? ……うちはたまに、ハヤタさんのお友達っぽい野鼠さんが出入りしてますね」
困っている訳ではないけれど、いつも賑やかなのだと。あきらめたような顔で告げれば、ノイルは可笑しそうに目を細めた。
「ハヤタくんお友達多そうだもんねぇ」
「えへへ、でもふわふわもふもふした生き物はだいたい好きです!」
犬、猫はもちろん。鳥の類だってそのやわらかそうな羽毛を見ればついつい触れたくなってしまうと、七三子はその姿を想像してふにゃりと顔を緩めて笑う。
「もともとペンギンとかかわいいなあって思ってたんですけど、この一年半くらいで、急にうさぎさんの株が上がってて……つい目が行っちゃうんですよね」
「嗚呼、兎、まるっともふっとしてるの愛らしいよね。私は順当に|狼《わんこ》とか猫ちゃんが好きかな」
「ふふ、ノイルさんに猫とか狼とかはイメージしっくりきますね。えっと、その。相棒も猫ですし」
すこしだけ言葉を濁す。その横で、ノイルは静かに茶杯を傾けた。
「猫はね……本当、私の使い魔も黒猫でね……。……深い意味はないんだ……」
言葉とは裏腹に、どこか遠いところを見るような眼差しだった。
最後に残ったパンダまんは、眠たげな顔をしたちいさな子。七三子がそれをつまみ上げれば蒸したての皮からあまい香りがふわりと立つ。
「まあでも、私も動物全般好きだなぁ。動物園とか水族館とか行きたいね」
「動物園に水族館……はいっ、行きたいです。一緒に!」
その声は湯気の向こうへ弾むように溶けていく。
水面に揺れるそらと、蒸籠から立ちのぼる湯気。そのどちらにも、ひどく穏やかな午後の風景が映っていた。
●戏弄与谎言
信者になりすましてお茶をする、なんて。
随分平和だなあ、などと思いながら雨夜・氷月(壊月・h00493)は卓上に並んだパンダまんを眺めていた。丸い耳をつけたもの。頬をほんのり桃色に染めたもの。竹の葉を抱えているもの。黒い生地で耳や目の模様を描いたもの。ひとつひとつがてのひらほどの大きさで、蒸籠から取り出されたばかりなのか、しろい肌はふくふくと蒸気を蓄えてやわらかく膨らんでいた。
どれも可愛らしい。けれど可愛いだけではない。指先で触れればふっくらとした皮が沈み、その内側には熱がたっぷり閉じ込められているのが分かる。割れば湯気がふわりと立ちのぼり、肉汁を含んだ餡の香りが空腹を忘れていた胃まで呼び起こす――そんなものを選んでいるところへ。
「……白灯?」
氷月は思わず瞬きをした。
何時の間にか隣に立っていたのは、よくよく見慣れた四十万・白灯(影踏・h12220)の姿であった。そして何故か、その頭にはふわふわの丸いパンダ耳まで載っている。
「やあ、小猫。こんなところで偶然だなあ」
いつの間にいる、というのはもういつものことだ。
「どしたの、それ。随分可愛いの着けてるね」
「啊、あっちで信者の方に貰ったんです。身に付けると信仰心が高まるんだとか」
知らんけど、とでも言いたげな声音。多分、おそらく本当に興味がないのだろう。けれどしろい髪にしろい肌、白を基調にした服装。その頭に黒い耳がふたつ乗ってしまえば、どうしたって妙に完成度の高いパンダに見えてしまうものだから。
「耳着けてるとなんだか……パンダみたい」
「哇哇」
氷月が思わずふ、と笑えば白灯はにんまりと目を細めてパンダの鳴き真似をした。そのまま当然のように餌付けしてもらう気満々で口を開くものだから、氷月は呆れながら適当に手に取ったパンダまんを千切った。
「お、今日は小さく千切ってくれるんですか?」
薄い皮が、もち、と伸びる。中から現れたのは豚肉と筍、椎茸の餡。刻んだ具材が熱い肉汁を抱き、噛めばじゅわりと旨味が弾けることだろう。生姜の香りが後から追いかけてきて、ふかふかの皮のあまみと見事に重なる。その一片を白灯へ差し出しかけて。
「……何、優しくない方がお好み?」
残っている方を、そのまま白灯の口へ突っ込む。千切った方は自分で食べた。
「你真好、むぐ」
容赦なく押し込まれた白灯は、しかし素直に喜んだつもりだったらしい。強引に与えられた肉まんを、ほぼ丸呑みにして平らげてしまう。
「うんうん、豪快な方がパンダっぽくていいんじゃないかな。知らないけど」
氷月は湯気の向こうで笑う。
パンダまんはまだいくらでもある。純粋にあまいカスタードもあれば、胡麻餡の香ばしいものもある。黒胡麻の餡は舌の上でとろりとほどけ、蜂蜜のまるいあまさに炒った胡麻特有の深い香りが重なる。ひとくち頬張れば、穏やかな午睡に微睡むような幸福を連れてくる。
御礼に茶を注いであげようと、白灯は今度は茶器を手に取る。
透明な湯をころんと丸い茶の蕾に注げば、茶葉がゆっくりとほどけてゆく。固く結ばれていた緑が水の中で眠りから目覚めるように開き、やがてふわりと花が咲く。しろい花弁が、水底からひかりを掬い上げるように揺れていた。そうして、
「小猫みたい」
白灯は反省の色もなく笑った。
「お、気が利くじゃん――、……」
氷月は湯気の向こうで花開く茶をぼんやり眺めていた。香りは淡く、花のあまさを思わせながら、舌に残るのはすっきりとした渋みだった。午後の陽射しが水面に砕け、白と黒のパンダまんが並ぶ卓上を柔らかく照らしている。
平和なおやつの時間。そのはずなのに。
「それ、どういう意味?」
氷月はじとりと横の|白灯《パンダ》を見つめる。『嘿……呵呵呵』と堪えきれないちいさな笑い声が、しろい湯気をやわらかく揺らすのだった。
●潜入工作,吃完点心再说
水面に揺れる社殿の影は鏡の中へ沈み込んだもうひとつの世界のようだった。その周囲を黑白蓮教の門徒たちが行き交っている。
けれども今は食事時。普段ならば隙なく張り巡らされている監視の目もどこか緩んでいる。深雪・モルゲンシュテルン(明星、白く燃えて・h02863)はその光景を仰ぎ、あおい瞳を細めた。
予め電脳蘇生術で現地のインビジブルから情報を集め、門徒たちの監視網が薄い侵入経路は把握してある。裏口に茂み、建物の影。人の視線が途切れる場所を縫うようにして進めば、天満宮の奥へ入り込むことは難しくないだろう。さらに十二体の機械化戦闘部隊を天満宮の付近に密かに待機させ、機を見て遠隔操作によりゾディアック・ミラーを盗み出せる状態も整えていた。
完璧な潜入作戦である――その目的が、午後のおやつに混ざることさえ除けば。
「よし。これだけ準備をしておけば憂いなく饅頭を堪能できますね」
ちいさく頷いた深雪は、卓上に並べられた饅頭を眺める。
「(門徒に食べさせようとしているものであれば、毒物ということもないでしょう……)」
理屈としては正しい。だが、目の前にあるそれは、理屈よりも先に食欲へ訴えかけてくる姿をしていた。しろい饅頭の中に黒い耳。丸い鼻。ちょこんと描かれた目。ひとつひとつが、まるでちいさなパンダそのものだ。
その奥で悠然と佇むは黒白の巨躯を誇る食鉄大師。豊かな毛並みを風に揺らし、静かに茶を楽しむその姿には山河すら従わせるような威厳が満ちている。深雪はその御許へと一歩踏み出し、恭しくこうべを垂れた。
「素敵なお誘いをありがとうございます、食鉄大師様」
「おや、貴女は……入信者ですか? どうぞ、沢山おあがりなさい」
慈悲深き眼差しは弱き者を包み、しかしその瞳には鋼よりも揺るがぬ決意が宿る。ふわふわたる身に秘めしは、黒白蓮教の頂に立つ者の絶対なる風格があった。
だからこそ、決して油断しない。
「しかしよいのですか? 私たちのような弱き者は、食事のお代を支払うのにも難儀する有り様でして……」
「構いません。同じ志を持つ者と美味なるものを分かち合うことは、我々の繋がりをより確かなものへと変えることでしょう」
「……おぉ、こんなにおいしそうな饅頭をただで頂けるなんて。流石は食鉄大師様……」
食鉄大師が『今後も励みなさい』と言い残して去っていく。
深雪はその背中へ向かって深々と頭を下げた。そして、その顔を上げた次の瞬間。
ぱくり。
まずは肉まんだった。
ふかふかの皮へ歯を立てると、ほのかなあまみを含んだ生地が雲のように柔らかく口の中でほどけていく。その内側から溢れた肉餡は驚くほど濃厚だった。肉の旨味に脂のあまさ、じゅわりと染み出す肉汁が温かな湯気となって鼻腔を擽った。
ひとつ、またひとつ。深雪の手は止まらない。耳の部分を齧れば、そこだけ少し歯応えの違う皮が楽しめる。
ただの肉まんだけではない。あまい胡麻餡が詰まったパンダまんは、ふっくらした皮の柔らかさと香ばしい胡麻のねっとりとしたあまさが重なり、まるでひだまりを溶かし込んだ蜜をそのまま菓子にしたようだった。耳まで餡が詰まったものは最後のひと口まであまく、もちもちとした皮がその甘味を受け止めてくれる。しろい顔にくろい耳、目。どれも食べるのが惜しいほど可愛らしい。なのに、美味しい。
「……美味しいですね。幾らでも食べられます」
その言葉どおり積み上げられていたパンダたちは、ひとつ、またひとつと姿を消していく。
水鏡天満宮の静かな午後。
鏡のような水面には、白黒のちいさな饅頭と、それを夢中で頬張る少女の姿が映っていた。潜入作戦は、今のところ――たいへん順調である。
●摇曳的心绪
信徒のふりは得意だ。
胸の裡に留めながら、ヨシュア・ヴァルトシュタイン(「森の石」・h09600)は卓上に並べられた色とりどりの点心を眺めていた。隣にいるキアラ・ザ・アスフォデルス(冥花の魔女・h09526)も、ばらいろの瞳をぱちりと瞬かせる。
「ま、今回は点心食べてれば良さそうだし……折角だから楽しもっか」
「特殊な食前の作法とかないわよね? ええ、それなら大丈夫」
そうしてふたりは何食わぬ顔で午後のおやつへと紛れ込む。卓の上には蒸籠がいくつも並んでおり、蓋を取るたびに雲のような湯気がふわりと立ちのぼった。
しろい生地にくろい耳をちょこんと載せたパンダまん。同じパンダでも一匹として同じ顔はない。その愛らしさは、食べることへの罪悪感すら誘うほどだった。
「色んなのがあるんだ。キアラさんは何食べたい?」
「わたし? カスタードにしようかしら。こういうのではあまり見たことないし」
「カスタード……確かに中華まんでは見ないかも……」
キアラが選んだのは淡いきいろの頬をしたパンダ。ふかふかの生地へ指を添えればどこまでもやわらかく沈む。割れば、中からとろりと黄金色のカスタードが現れた。卵のまろやかな香りと、やさしいあまさにバニラのにおい。蒸気に包まれたそれは、まるでちいさな太陽のようだった。
「おれフカヒレ食べたことないんだよね。半分こする?」
「フカヒレ……知らない食べ物だわ。半分ずつシェアね、そうしましょう……」
一方ヨシュアが手に取ったのは、どこか誇らしげな顔をしたパンダまん。そうっと割れば、湯気の奥から細い繊維状の具が覗く。透明な餡に包まれたフカヒレは舌に触れるとほろりとほどけ、それでいて繊維にはぷつりとした独特の弾力がある。淡い旨味が餡に溶け込み、噛むほどに海の気配がじんわり広がっていくことだろうけれど。
「パンダが可愛くてちょっと気が引けるな」
ヨシュアはすこしだけ眉を下げ、それでも上手いこと半分にする。
――たまにやられるから仕返し。
そんな、ちいさな悪戯心でヨシュアは割った片方をキアラの口許へ持っていった。
「熱いから気を付けて」
ぱちりと目を瞬かせ、差し出されたものと、ヨシュアの顔を思わず見比べる。
「……あ、ありがとう。食感が独特なのね、これ」
口に含めば、確かに美味しい。
それには違いないのだけれど、その味よりも意識してしまうものがあった。
「(……どうしてかしら、味が全然わからない)」
ヨシュアの顔を見られなくなって、俯いたまま手元のパンダまんを半分に割って、その片方をキアラはそっと差し出した。
「フカヒレって変わった味するな。カスタードは安定して美味しいや」
感想を言いながらも、見ているのはキアラの俯いている姿だった。
いつものおれと同じ気持ちだったら良いな、なんて。ついついそんなことを思ってしまう。蒸籠から立つ湯気はふたりの間を薄いヴェールのように漂っていた。触れそうで触れない距離を、あまい香りだけが埋めていく。
キアラにも自分が今どんな顔をしているのかわからない。自分で選んだカスタードの味さえ、もうよくわからない。それでももう少し、この時間が続けばなんて、そう思ってしまう。
こうして強請ることを、彼は許してくれるだろうか。
いや、頷いてくれるであろうことを、自分はもう知っている。だから。
「……ねえ。終わったら、ちょっと寄り道して帰らない?」
「良いね、お店とか色々見て回ろっか」
勿論、目的は忘れていないけれど。午後の陽射しと、あまいカスタードの余韻と、指先に残る温かな蒸気をもうすこし楽しんで、ゆっくりしたっていいだろう。
言葉にはしなかった気持ちがふたりの間で静かに重なっていた。
卓上では食べられるのを待つパンダたちが今も可愛らしい顔で並んでいる。そのつぶらな瞳だけが、ふたりの間に交わされた秘密を知っているようだった。
●双胞胎熊猫
おやつの時間というには、あまりにも異様な場所だった。
静かな社殿の奥、薄い霞の向こうには黒と白の蓮をあしらった旗が風に揺れている。けれど鼻先を擽るのは線香の煙でも血なまぐさい気配でもなく、蒸した小麦の、ほのかにあまい香りだった。
そのにおいを辿ればそこには円卓があり、湯気をたっぷりと纏った籠が幾つも並べられている。黑白蓮教の教主『食鉄大師』のおやつタイムである。敵陣への潜入だというのに、腹が鳴りそうなほど平和だった。
「うちも頭は良くないが、予知してカンフーで叩きのめす奴がめっちゃ強者なことくらい分かるわー」
「その理論でいくと、食鉄大師も、邪悪になるんやない、の……? すごい棚上げ、やね」
坂堂・鈴(鈴鹿山椿・h05098)は眼鏡の形に指を作ると、先程まで戦っていた異国の議長の真似をしながらしみじみと息を吐く。その傍らでは、坂堂・一(一楽椿・h05100)がもっともらしく頷いていた。
『ぷきゃ』
魔法のたまごから生まれたチンチラ型の風の精霊『ぷいぷい』もまた、ちいさな前足で棚に何かを載せる仕草をした。どうやら棚上げを実演しているらしい。やがてふたりは、服の上から信者らしい白黒のローブを羽織りその輪の中に混ざることにした。
「ん、それでも信者のフリせんと、ね」
「あ、そうやった! うちもローブ着てフリしよ」
黒と白の衣に身を包めば、そろいの銀髪もあかい瞳もうまい具合に隠すことが出来た。信者の中の親族であることを装えば、疑われることもないだろう。
「信者ーしんじゃー……信者っぽいって何やろ……」
「ぼくらは教えに縋る、無力な子供……ぷいぷいも、か弱きチンチラ、だよ……」
『ぷいー』
目を閉じ、自己暗示に入る一。ぷいぷいまで真似をして一緒になって目を閉じる。
「……すぅちゃんは、喋ったらあかん、よ。ボロ出てまう、もん」
「はーちゃん酷っ! って思たけど、事実やので黙っとくぅ……」
その直後、ぱかりと籠の蓋が開かれた。
「……パンダまん、めっちゃかわいい!!」
鈴の声が社殿の静けさを一瞬で吹き飛ばす。しろい生地を丸くふくらませた身体。くろい耳と目、ちょこんと描かれた鼻。ひとつひとつ表情が違うように見えるパンダたちは、湯気のなかでまるでちいさな家族のように寄り添っている。
「えーかわいすぎて食べるの困るやんーまぁ食べるんやけど」
葛藤は一瞬だった。カスタード入りのパンダまんにかぶりつけば、ふかりと容易く歯が沈む。柔らかな皮は蒸気を抱いた雲のようで、その内側からとろりと淡い黄金色のカスタードが溢れた。卵のまろやかさに、砂糖のあまみ。熱を帯びたクリームが舌の上でほどけていく。
「んんー! もちもちで甘くておいしい!」
一も肉まんを貰い、ぷいぷいと半分こしてせえので頬張った。豚肉の旨味と玉葱の甘さ、じゅわりと滲む肉汁がふかふかの皮に染みている。
「美味しいけど、やっぱりあれが欲しい、な」
『ぷぷい?』
首を傾げるぷいぷい。
その隣で、鈴は傍らの小雪を振り返った。
「小雪も食べな、ごまあんもいる?」
しろい仔龍はこくこくと嬉しそうに頷き、差し出された胡麻餡のパンダまんにかぶり付く。その瞬間に香ばしい黒ごまの餡があまく濃く広がった。
一方、一は取り出したチーズを肉まんへそっと挟む。蒸気の熱にチーズがゆっくりと溶け、肉汁と絡み合う。もったりと糸を引くその姿は、さながら肉まんの中に夕暮れを閉じ込めたようだった。
「出た、はーちゃんのチーズ大好きさん……」
「おいしおいし……♪ すぅちゃんも、いる?」
「え、でも美味しそう……いるぅ……」
かくして潜入者たちは、敵陣の真ん中で湯気と甘味とチーズの誘惑にすっかり屈してしまった。
水鏡に映るあおいそらは、どこまでも穏やかに広がっていた。
●刚做好的,请享用!
食鉄大師の茶席へ紛れ込んだ時月・零(影牙・h05243)と篭宮・咲或(Butterfly effect・h09298)は信者らしい顔を作りながら、並べられた饅頭の数々を前にしていた。
「茶の時間まで争う必要が無いならそれに越した事はない」
「穏やかにしっかり楽しむべきだと思うー大賛成」
湯気の向こうには、丸々としたパンダまんがずらりと並んでいる。その姿はまるでちいさなパンダたちが蒸籠の中に集められ、仲良く昼寝でもしているかのようだった。
けれど、この茶会がただのおやつタイムではないことを、ふたりは忘れてはいない。
「但し目的は忘れるなよ」
「ついで、じゃない最後にミラーの奪取もね。忘れてないようにしないと」
声を潜めて確認し合えば、あとは何食わぬ顔で目の前のご馳走に意識を戻す。
「名前の通りほんとにパンダだわ、耳に目に鼻までちゃんとついてるの本格的」
「パンダまんと言うくらいだからな。世にはデフォルメされ過ぎた物も多いが……黑白蓮教はそこも拘っているのだろう。なかなか好感が持てる」
しげしげと見詰めれば、パンダまんはそれぞれ少しずつ表情が違っていることに気付く。きりりとした顔もあれば、眠たげに目を細めているものもある。中には、何かを訴えるように丸い目を輝かせているものまであった。
「こんなに可愛く食べてーってアピールしてることだし、温かいうちに早く腹の中に入れてあげないとだねぇ。冷めちゃったら可哀想」
「……パンダの頭部を食べると言うのは少々抵抗は無くもないが」
「パンダの頭部……一口でいこ。そうしたらただの饅頭よ」
えいやとばかりにパンダを半分に割れば、柔らかな生地の裂け目からしろい湯気が立ちのぼる。その奥から姿を覗かせたのは溢れんばかりの餡だった。とろりと艶めく餡は、割れた断面から今にも零れ落ちそうなほどたっぷりと詰められている。蒸気をまとったあまい香りが鼻腔を擽り、咲或は思わず目を輝かせた。
「零どれにするか決めた?」
「俺はカスタードを貰うとしよう。無難なのも捨て難いがな」
半分に割ったパンダまんへ齧りつけば、ふかりと生地が歯を受け止めた。次の瞬間には肉汁をたっぷり含んだ餡が舌へと流れ込む。熱を帯びた肉の旨味に、脂のあまやかさ、生地そのもののほのかな甘味が重なり口の中いっぱいに幸福が広がった。
「……ん、うま」
短い感想だけが零れる。一方、零も手元のパンダまんへ徐に齧り付く。柔らかな生地の向こうから溢れた熱いカスタードが舌へ触れたなら、濃厚でありながら重すぎず、卵のまろやかさと甘味が湯気と一緒にほどけていく。まるで温かなひだまりをそのままクリームにしたような優しい味だった。
「……美味いな、蒸し立てというのも良い」
「商売したら行列必至の人気店になりそ」
「見た目も相俟って売り出したらとても売れそうだ」
そんな言葉を交わしながら、ふたりはしばし夢中になってパンダまんを味わった。
しろい生地は雲のように柔らかく、餡は惜しげもなく詰められ、蒸籠から立つ湯気は午後のひかりを薄く霞ませていた。
けれど、いつまでも茶会に浸っているわけにはいかない。零は最後のひとくちを飲み込み、静かに視線を巡らせる。
「んじゃ最後に様子見つつ、鏡をいただいていくとしますかねぇ」
「もう少し食べていたいところではあるが、目的を忘れていなかったようで何よりだ。隙を見て奪うとしよう」
咲或もまた食べ終えたパンダまんの名残を指先から払うと、茶席の向こうへ目を向けた。そこにあるのは、数秒先を予測可能にする神器――ゾディアック・ミラー。
穏やかな茶会の空気を壊さぬまま、ふたりは立ち上がる。
湯気の向こうで黒と白の午後は何事もなかったかのように続いている。その静かな茶席の一隅から、ふたりの意識だけがそっと別の場所へ滑り出していった。
●魔镜啊,魔镜
しろとくろの愛らしい姿が蒸籠の中でぎゅうぎゅうに肩を寄せ合っている。その可愛らしさに、ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア(巡星図をえがいて・h09471)の澄んだあおい瞳がぱっと輝く。
「わぁ、可愛いパンダまんが一杯……!」
思わず弾んだ声が午後の境内にこぼれた。湯気の向こうに並ぶパンダまんはひとつひとつ表情が違っているようにも見える。丸い耳、つぶらな目、ちょこんと描かれた鼻。生地は淡雪のようになめらかで、くろい部分だけが墨を落としたように鮮やかだった。
その傍らでは、神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)が淹れたばかりの中国茶をシンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)へ差し出している。
「シンシアさん、まだ熱いですから気を付けてくださいね」
シンシアは両手で蓋碗を包み込む。湯気がしろい頬を撫で、星の瞳を一瞬だけ細めた。慎重にひとくち啜れば、熱が舌から喉へ、そして胸の奥へと静かに落ちてゆく。
「……あつい! ふーふーしてから……うん、美味しいですっ。ありがとうございます境華さん」
ふう、と息を吹きかける仕草までどこか楽しげだ。けれど、ラウレンティアは既に蒸籠のほうへ心を奪われている。
「あ、境華、私はお茶は後で。先にこちらを頂こうかなって、ごめんね!」
「お茶を……レンさんは後ほどですね。分かりました」
律儀なその言葉に、境華は思わずくすりと笑った。
「謝らなくても大丈夫ですよ」
そうして始まるのは食鉄大師の茶菓子をいただく、穏やかなおやつの時間だった。
「さて信者のフリして食べますよパンダまん。私フカヒレにします。教祖様が奢ってくれると信じているから――」
シンシアが選んだのは、ほっぺたにほんのり桃色の蒸気を纏わせたフカヒレまん。指先でそっと持ち上げれば柔らかな皮がかすかに沈む。その表面にはパンダの顔立ちがきちんと作り込まれていた。
「耳も顔もしっかり表現されていて可愛いですねえ」
境華もまた、食べる前に丸い耳や目元をまじまじと眺める。随分と丁寧に作られている。生地の柔らかな丸みは、てのひらの上に載せればちいさな雪玉のようにも思えた。
「食べてしまうのが惜しいような気もします」
けれど、惜しんでいるばかりでは始まらない。境華がそっと肉まんを口に運べばふわりと生地が割れ、その内側から温かな具の香りが立ちのぼった。しっとりとした皮を噛めばほのかな甘みのあとから具の旨味が広がる。熱と香りが口の中でひとつになり、冷えた風の入り込む余地をなくしてゆく。
「というわけで、まずはごまあんを割って……んー、いい香り!」
一方、ラウレンティアは別の楽しみに夢中だった。ぱかりとふたつに割った瞬間、黒胡麻の芳ばしい香りが湯気と一緒にふわりとほどけた。
「ごまの香りがほのかに漂うのがいいわよね」
鼻先で香りを楽しみ、次はいよいよ味を確かめる。
「……おいしっ! 味が上品でコクもある感じなのよね」
黒胡麻の濃厚な風味はそれでいて重すぎない。舌の上を滑る餡はとてもなめらかで、香ばしさの奥にほんのりとしたあまさが潜んでいる。しろくやわらかな皮がそれを包み込むことで、まるで夜そのものをふわふわの雲が抱きしめているようだった。
ひとしきり堪能すれば、次なるパンダへ。今度の中身はどうやらカスタードであるらしかった。
「あまーい! 濃厚でクリーミーな甘みが非常に心地良いわ……皮との味のコントラストもいいわよね」
とろりとしたたまごいろのカスタードは、ひだまりを煮詰めたようなあまさだった。舌の上でゆっくりほどけ、ふわふわの皮と混ざれば口の中いっぱいに優しい幸福が広がっていくから、ラウレンティアの顔も自然に綻んでいく。その様子を眺めていた境華は、頃合いを見てラウレンティアの前へお茶を差し出した。
「……ふふ。こわくなりましたか?」
「怖いわ……」
それは、『まんじゅうこわい』という意味合いでの『怖い』。ようやく温存していた熱いお茶へ口をつければ、茶の華やかな香りがあまさを一瞬でさらってゆく。
「んー、口の中の甘みが洗い流されてく! これで全部さっぱりね!」
「お二人はどんな味を食べました?」
その様子を見守っていたシンシアが口を開く。ラウレンティアがすぐさまぱっと振り返って笑みを咲かせるものだから、釣られてこちらまで笑顔になってしまう。
「あ、境華とシンシアも興味ある? 甘くて美味しいわよ!」
「甘いの……カスタード……話聞いていたら私も食べたくなってきました」
シンシアもカスタードまんを半分に割る。湯気の奥からあまい香りが立ちのぼり、その香りを吸い込むように目を細めた。それに続いて、境華もひとくち。
「こちらも美味しいです」
そうして三人がそれぞれの味を楽しんでいると、境華の視線は自然と蒸籠へ戻っていく。ごまあん、フカヒレ、カスタード。どれも気になる。けれど、さすがに全ては食べきれそうにない。蒸籠を前に、境華は真剣に悩み始めた。
「……もう一つくらいなら、大丈夫でしょうか」
そんなちいさな逡巡さえも、楽しいおやつの一部だった。
シンシアはそんな友人たちの様子を微笑ましく眺めていた。そして最後のひとつとして、ごまあんのパンダまんへ手を伸ばす。黒胡麻の香ばしさが鼻腔を擽って、しろい皮を割ればとろける餡が姿を見せた。
「んー、おいひ!」
三人の前でパンダたちが次々と姿を消していく。食べるたびにちいさくなってゆく丸い耳も、黒い目も、それでも最後まで可愛らしい。
午後の時間は、まるで湯気のように穏やかに過ぎていった。
そのかたわらでゾディアック・ミラーがEDENたちの手によって奪われてしまったことなど。白黒蓮教の教主が企むことも、積層都市の行く末も、これから訪れる戦いの気配さえも。今だけは、誰も口にしなかった。
しろい湯気がすべてを覆い隠していた。蒸籠から立ちのぼる湯気と、淹れたての茶の香りと、あまいカスタードの余韻。その向こうで、パンダまんの最後の一匹がまるで何も知らない顔でにっこり笑っている。
何も知らない食鉄大師が目を回してひっくり返ってしまうまで――あと、数刻。
