シナリオ

0
リーテンリュースの蛍夜

#√ドラゴンファンタジー #シナリオ50♡ #断章準備中

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√ドラゴンファンタジー
 #シナリオ50♡
 #断章準備中

※あなたはタグを編集できません。

●|露花氷《ろかごおり》と|月響珠《クランペルラ》
 冒険王国『カトルヴェア』――現れては消えていく四季の|夢《ダンジョン》を擁する王国の一角にある村『リュースエルヴ』に、今年も初夏がやってきた。

 渓谷にひそりと佇むその場所は、この季節になると天気雨が多く降る。
 雲なき空から零れ落ち、花弁を濡らし、水面を揺らし、地を打って静かに光りながら弾けて躍る雨粒たち。村の立地による気候や条件が重なって、ほかよりも一等眩く燦めくそれを、人々は『神の涙花』と呼び尊んだ。
 雨は忌むべきものではなく、むしろ神の御業なのだと。

 その奇跡を慈しみ親しみを込めて生まれた『リュースエルヴ』の名物のひとつが、『|露花氷《ろかごおり》』だ。
 様々な果実から作られた氷蜜に、好きな花のフレーバーを加え、天気雨の雫を魔法で加工した仄かに耀くパウダーをまぶしたそのかき氷は、雨露に燦めく花のように、甘く香りながら鏤められた星屑めく光を纏う。
 勿論、氷蜜やフレーバーは好きに選べる。ちいさな村ながら、様々な店がこぞって種類を取り揃えているから、あなた好みの露花氷もきっと作れるはずだ。
「しかも、村の至る処に|緑廊《パーゴラ》があって、天気雨が降るなか、満開の花を屋根代わりにかき氷を食べるのがお勧めの食べ方なんだそうですよ!」
 そこまでの説明を終えたヴァロ・アアルト(Revontulet・h01627)が、興味津々に狐耳と尻尾をぱたぱたと揺らす。
 花屋根に使われているのは、ブーゲンビリアやクレマチス、スタージャスミン、サンパラソル、テイカカズラ、バタフライピー、黄花藤などの、初夏に咲くつる性の花々。花の種類は勿論のこと、その色も多種多様だ。
 店先や公園、丘などを彩る|緑廊《パーゴラ》のほかにも、街のあちらこちらにフラワーアーチ付きの2人掛けベンチもある。加えて、天気雨といっても小雨程度。好きな花の花屋根で、ふうわりと花の香りと燦めく雨粒を愉しみながら、自分好みの|露花氷《ろかごおり》を満喫してはどうだろう。

●白月の蛍夜
「――と、ここからが本題です。そんな長閑な村の外れに、ダンジョンが現れたんです」
 しかも厄介なことに、村人が良く出入りしている森に酷似した様相なのだと、ヴァロはひとつ嘆息した。あまりにも似ているため、森を訪れてそのまま知らずにダンジョンへと迷い込んでしまう人が増えているのだ。
「村には緩やかな川が流れてて、その浅瀬で|月響珠《クランペルラ》って言う魔石が採れるんですけど……どうやらダンジョン内の水辺でも同じものが採れるらしくて」
 しかもたくさん! と両手を大きく広げた娘は、困ったと言わんばかりに狐耳をぺしょりと伏せた。
 村のもうひとつの名物――『|月響珠《クランペルラ》』。
 淡い輝きを宿すそれは、月光の届く浅い水底に沈み、そっと息をひそめるように人知れず眠っている。そうして、水面を透いて注がれた月の魔力を宿したその石は、ささやかな“音”をひとつだけ記憶するという。
 ダンジョン内の浅瀬や、岩が削れて自然に生まれた水盆の底にあるままの|月響珠《クランペルラ》をそのまま拾い上げれば、身近にある水の調べ――せせらぎや水滴の音、雨音など――を記憶する。耳に当てると、心地良い音色が聞こえてくるだろう。
 そうではなく、水面へと“声”を発するか、記憶に在る“声”を想い描いてから手で掬い上げれば、その“声”を記憶する。
 水音、雨音、想いを告げる誰かの声。
 あるいは、もう二度と聞けぬと思っていた、過去の言葉。
 どれも記憶できる時間はほんの数秒。それでも、それを活かして愛しい人へと声を届けたり、大切な人の声を想い出から汲み出さんとする人も少なくはない。

「まぁでも、そこで村人さんたちが引き返してくれれば良いんですが……森――つまりダンジョンの最奥には敵もいるんですよね……」
 それはまさに、月へと願う人々の想いを糧とする、荘厳で幻想的な月の幻影。
 ぽっかりと空いた森の上空に浮かぶその満月に、言葉も意志も、感情もありはしない。ただそこに在り、誰かの憂いが晴れるような願いをひとつ叶えると消えてゆく。
 直接的な害意はないとはいえ、簒奪者であることは変わりない。放置したままよりも撤退させておくほうが安心だろう、とヴァロは添えた。
「ですが、急ぐこともありません。丁度今の時期は、そのあたりに蛍の群れが現れるそうですから、蛍観賞も愉しんできてはどうでしょう?」
 ダンジョンの最奥にあるのは、清流の流れ込む静かな泉。
 その畔で静かに語らったり、ちょっとした飲み物や食べ物を味わったり。
 柔らかな水の響きのなか、月光を纏った雨粒のように、ぽつりぽつりと淡いひかりを夜に鏤めてくれる蛍たちを、ひとときばかり愉しんでも支障はないだろう。

 ――だって、お月様はそっと見守っているだけですから。

マスターより

開く

読み物モードを解除し、マスターより・プレイング・フラグメントの詳細・成功度を表示します。
よろしいですか?

第1章 日常 『花溢れる園』


懐音・るい

●神の涙花零るる処
 ひとつ深く呼吸すると、葉と花と、雨の匂いが胸を満たした。
 葉や花びらにあたって弾けた雨粒が、白い石畳へと零れて更に跳ねる。初夏の陽を映して燦めきながら、神の涙花が人々へと無二のひかりを鏤めてゆく。

 山間にあるリュースエルヴの村には、今日も天気雨が訪れていた。
 優しく撫でるように吹き抜けていく風がからりとした心地良さを運び、蔓を彩る花々が靡くたびに、鮮やかな花片が舞い、ふうわりと甘い香りが鼻腔を擽る。それこそが、この村がこれまでも、そうしてこれからも一等慈しむ風景のひとつだ。
 神の涙花――忌むべきものじゃなくて、感謝に値するもの。
「……そうだよね。雨は恵の雨、なんて言ったりするしね」
 素敵な考え、と懐音・るい(明葬筺・h07383)が唇で弧を描く。確かに、雨は人に不自由を強いることもあるだろう。けれど、雨がなければまた、人は生きていけない。同じ事象でも、疎うより尊ぶほうが優しくなれそうな気がするのは、なにも自然に対してだけのことではないだろう。
「それにしても……」
 傘を差すほどでもない雨粒を敢えて愉しみながら幾つかの店を巡ったるいは、「たっぷり悩むのがまた、愉しいもんさ。決まったらいつでも声をかけてくれ」と微笑む青年に促され、店先の花屋根の下で一度脚を止めた。
 苺や桃、マンゴーなどの氷蜜はもちろんのこと、フレーバーも想い描いていたよりもかなりの種類があった。そのぶん、選ぶ愉しさがあると言えばそうだけれど、
(う――――ん……)
 氷は桃も良いかもしれないが、けれどチェリーや苺も捨てがたい。かといって、幾つも食べると、それはそれでお腹を壊してしまいそうだ。
 ――そうして、ぽたぽたとどこか鼓を思わせる雨音の響くなか、熟考すること暫し。
「よし」
「お、決まったか?」
「うん、やっぱり桃!」
「フレーバーは何にする?」
「……更に迷うね……。じゃあ、これと、これと……そっち、試香させてもらってもいい?」
 ゆるりふわりと眦を細めたるいに、勿論、と青年も笑う。並べられた小瓶のコルク栓をひとつずつ丁寧に開けて愉しんでから、「これを」とるいは薔薇の小瓶を見せた。
 |緑廊《パーゴラ》の軒先から零れて揺れるブーゲンビリアが、まるで誘っているように見えて。雨粒を纏って耀く紅や紫を眺めながらベンチに腰を下ろして、受け取ったばかりの露花氷へと匙を入れた。
「ん、ちょっとチャレンジの側面もあったセレクトだったけど……美味しい」
 ぱくりと食めば、華やかながら気品と奥行きのある薔薇の香りが鼻を抜け、とろりとした柔らかな桃の食感と甘味が口いっぱいに広がった。
 雨と花と氷菓が、耳と躰と心をしっとり満たしてゆく。
 そんな愉しみ方もまた、一興。

姜・雪麗

「……お稲荷さんとこの狐が、嫁にでも行っちまったのかね」
 神の涙とは大した呼び名じゃないか、と独り言ちた姜・雪麗(絢淡花・h01491)の声を拾った店主の男が、からからと笑った。
「お。“狐の嫁入り”だっけか? 昔はまことしやかに言われてたらしいなぁ」
「可愛がってた子の嫁入りなら、嬉しいやら淋しいやらで涙も出るってもんさ」
 そうだろう? と口端を上げてみせる雪麗に、「そりゃ違ぇねぇ」と店主も喉を鳴らす。緩やかな山の稜線。その奥に広がる、夏色を帯び始めた薄青の空。止め処なく零るる雨粒は白い石畳のうえで軽やかに踊り、花弁を伝う露が一層、花の香を高めてくれる。
 あまり√妖怪百鬼夜行から出ることのない雪麗にとって、見慣れぬ異国の明媚なる景色というだけで魅入ってしまうというのに、そんな涙が恵みとなってもたらされたこれほどまでの万花に出迎えられたならば、劫を生きる雪麗とて落ち着いてなぞいられまい。あちらこちらへと巡らせた視線が幾つもの気になるものや場所を見つけているというのに、まずはこの愛らしい名物ひとつに足止めされてしまっている。
「それで、どうする?」
「あぁ、すまない。待たせてるね」
「いや、いってもんさ。こんだけありゃ迷うなって方が無理な話だろ?」
 短く詫びた雪麗に、店主は人好きのする笑みを湛えた。雨をも受け入れる村の民は、どうやら皆、大らからしい。
「違いない。とはいえ、迷ってばかりじゃと氷が先に溶けちまうか。まずは香り……今のころなら、梔子の香りを浴びたいところだね。あるかい?」
「ああ、とびきり上等なのがな」
「それは僥倖だ。あいつは香り高いからね、ほんのりと加えておくれ。あとは氷密だが……合わせるなら“鬼灯の実”あたりかねぇ。こいつも、いい甘酸っぱさと香りがあってね」
「お客さん、かなりの通だな? なかなか出ないオーダーだから在庫は少ないが――ほらよ」
 見るからに柔らかそうに削られた天然氷のうえに、甘く煮詰められ一層濃く橙に色づいた鬼灯の氷密がとろりと掛けられた。仕上げにフレーバースプレーを軽く吹きかければ、忽ち梔子の香が雨の匂いに混じって広がる。
「どうにも話が長くなっちまったね。有り難くいただいてくよ」
「ここいらのもんはみんな、話好きだから店やってるようなもんだ。にしても、その組み合わせは俺も初めて作った」
「おぉ、そうか。……さぁて、梔子と似合いか喧嘩になるか……運試しってもんさ」
 受け取った硝子の器を片手に、空いた手をひらひらと振って踵を返すと、雪麗は店先を飾る花屋根の下の一席に腰かけた。
「それじゃ、魅惑のひとときと洒落込もうか」
 一匙をすくい、期待のままに口へと運べば、程良く広がる甘酸っぱさと、ほろりと混ざり合うふたつの香。
 柔く、柔く、幾重もの風が村を抜け、頬に触れて。
 花々をふうわりとを揺らし、世界に彩と雨粒を鏤めていった。

花牟礼・まほろ
結・惟人

 オーダーカウンターの隣にある、コルクボードに貼られたメニューをじっくり眺める花牟礼・まほろ(春とまぼろし・h01075)と結・惟人(桜竜・h06870)。
「露花氷……」
「花のフレーバー……」
「説明だけで気分が上がるね、惟人くん!」
「あぁ……とてもわくわくする、まほろ」
 今日の雨粒のように緑の双眸を燦めかせたまほろに、惟人もまた、微かな歓びを滲ませた金の|眼《まなこ》を向けて頷く。花の香と果実の風味がどんな出逢いになるのか、選ぶのでさえ胸躍るほどに愉しくてついつい決めきれずに迷ってしまう。
「まほろは……決まったか?」
「うーん……どれも美味しそうだけど、やっぱり王道のヒマワリ×レモンかなあ。せっかくだし、夏のお花味! 惟人くんはどれにする?」
「その組み合わせ、元気が出そうで良いな。私は苺の氷蜜と桜の花にしよう。氷蜜は苺が好きなんだ」
「わ、春爛漫でステキ!」
 ちょうど惟人くんとまほろと同じ色だね、と花笑みを浮かべるまほろに、つられて惟人の口許もちいさく綻ぶ。桜と苺――その巡り合わせがどんな幸せをもたらすのかを愉しみに、待つこと数分。ざりざりと天然氷を削る爽やかな音にあわせて、花を模した硝子の器に白く透いた山が生まれ、そうして互いの氷密と香りが丁寧にそれを包み込んだ。
 お姉ちゃんお兄ちゃん毎度あり、です! と元気に手渡してくれた看板息子から受け取って、店先にある白木のガーデンベンチに並んで座る。
「お天気雨って、お花もきらきらして見えるから素敵だね」
「ああ……」
 葉や花の間から細く長く注ぎ込むひかりへと微笑むまほろに、返した言葉は短かったけれど。陽を反射して石畳に弾ける雨だれも、小鼓を打つかのような軽やかな雨音も、風が穏やかに過ぎてゆくたびにひかりの欠片を花に鏤めてゆくちいさな雫たちさえも美しくて、惟人は見惚れながら知らずと緩みそうになる口許を掌で隠した。それでも、“好き”の詰まった風景は愛おしくて、ゆらりゆらりと長い尾が足許へと影躍らせる。
「ね、惟人くん。見て、氷のキラキラがもっときらきらになったよ!」
 こんなにも燦めく世界に、この露花氷を映してみたら――ふいに過ぎって試してみれば、まほろに倣って器を陽に翳した惟人も一層眸を見開いた。
「本当だ、氷の粒ひとつひとつ光って……ずっと見ていたくなるな」
「うん。宝石みたいでとってもかわいい! ……あ、溶けちゃう前に食べちゃわなきゃ!」
「あ、急いで食べるとキーンとするかもしれない。気をつけてくれ」
「はーい。――うん、爽やか夏味! おいしー!」
 匙を近づけただけで分かる、露を孕んでなお鮮やかな草葉を思わせる心地良い向日葵の香り。初夏の草原めく芳香に続くレモンの酸味と仄かな苦味が、じんわりと清涼な余韻を残してゆく。
 ご機嫌に頬緩ませるまほろへと僅かに眸を細めると、名残惜しみながらも下ろした器へと惟人も匙を入れた。まず鼻腔を擽る桜の香、次いで甘酸っぱい苺の風味が裡をいっぱいに満たしてくれるから、一匙ごとに尾が揺れてしまうのはもう、仕方のないこと。
「……美味しい。過ぎた春を感じる」
 舌のうえで蕩けるほどに柔らかな氷が運んでくれる、ひんやりとした涼の|気配《けわい》。
「まほろは夏を感じられたか?」
「うん! 惟人くんも?」
「ああ。今度は、秋冬の組み合わせを考えるのも楽しそうだな」
「それ素敵っ! 折角だし、四季をコンプリートしたくなっちゃうね」
 店も、花も、香りも。ほかにもまだまだ選びきれぬほどにあるのならば、それもまた愉しそうだ。
 なにせこの優しい天気雨は、もうしばらく続いてくれるのだから。

スフィア・リンク
オルロイ・セレスティアル

「見てよ、オルロイ!」
 ちいさな背をくっと伸ばして、スフィア・リンク(.·˖*✩⡱ 導星 ˚. 𖥔 ݁ ᯓ★・h07513)が指さした先。夏の燦めきを纏って一層鮮やかに広がる青空を仰いだオルロイ・セレスティアル(星芒・h07614)は、その金の双眸を柔く細める。
「ボク、天気雨は初めて。本当に雲がないのに雨が降るんだ……雲がかからない雨だなんて、びっくり!」
「……私も、初めてです」
 知識として知ったときも相応に驚いたとは思うけれど、実物を目の当たりにするとこれほどまでに心動かされるものなのか。そう思う気持ちは、スフィアもまた同じなのだろう。歩みとともに、娘の声も弾む。
「この村夜空はどんなものなんだろうね」
「ええ。雨が降っても星は見えるのか……とても興味深い」
 雨露を浴びて陽に燦めく、緩やかに村のなかを走る白い石畳。広い庭を擁する住宅街を抜けたらもう、そこは村の中心部だ。円形の広場の周囲に、様々な店が建ち並ぶのが見える。
「オルロイ、オルロイ。もう少しでお店だね」
「スフィア、あまり急かさないでください」
 急く気持ちが手に取るように分かる娘の足取りを追いながら、そういうオルロイも知らずと足早になっていた。そわそわと浮き足立つ心のままに、自然と|眼《まなこ》が店々を探す。
「どんな氷密も、どんな香りもあるって話じゃないか。何にするか決めたかい?」
「まだ、決めていませんが……たくさんあるようで迷いますね」
「ふふ、迷うよね。――あ! そうだ! シェア、をするとふたつの味が楽しめるからやってみない?」
「シェア、ですか? 勿論、あなたがいいならいいですよ」
 快諾の声に、スフィアがくるりと身を反転させて「本当か?」と眸を燦めかせた。約束だよ、と零れた微笑みをふわりと風に乗った雨粒が彩って、星々のように耀かせる。その勢いのままに、あちらこちらの店へと赴いて、じっくり吟味して選んだお互いの一等を手に、再び広場の中央に立つ。
「わぁ……! 話には聞いていだが、本当に綺麗だね」
「見た目も愉しい、というやつですね」
「だな。――さてと、何処で食べよう?」
 きょろりと見渡したスフィアの眸に、幾つもの花々が映る。華やかな紅や紫に染まるブーゲンビリアやサンパラソル、爽やかな青みを帯びたやクレマチスやバタフライピー、ちいさく清らかな白色のスタージャスミンやテイカカズラ――露を浴びた|彩《いろ》はどれも美しくて迷ってしまうけれど。
「あぁ、あそこの花屋根にいきましょう」
 オルロイが視線を向けた先、広場の一角にあった|緑廊《パーゴラ》を見れば、見頃を迎え、ふさふさとした花を枝垂れさせた黄花藤が、優しく吹き抜けてゆく風に揺られていた。
 そうだね、と娘が頷き、あそこにしよう、と嬉しそうに|咲《わら》う。そうして並んで白木のベンチに腰を下ろすと、「それじゃあ、いただこうか」と早速匙を手にしたスフィアに倣って、「では、私も遠慮なく」とオルロイも一口含んだ。
「ボクはレモンにプルメリアにしてみたんだ。――ふふふ、美味しい!」
 しゃくしゃくとした氷とともに、甘酸っぱいレモンの風味が口いっぱいに広がった。それを包む華やかな芳香が、上品で甘い余韻を残して裡から幸せで満たしてくれる。
 片やオルロイのほうは、ひんやりとふわふわな天然氷に染みゆく、白葡萄の柔く爽やかな甘味。後から続く、雨の香りを孕んだほんのりと甘い紫陽花の香りが、すうっと鼻から抜けていく。
「ね、そっちもちょーだい!」
 自然と零れた笑みが、余程興味をそそったのだろうか。ボクのもあげるから! と強請られれば、断る理由なんてなくて、「構いませんよ」とオルロイは花を模した硝子の器を娘へと向けた。
「こっちも美味しいー」
「スフィアのも、中々に美味です」
 これは確かに、ほかの組み合わせも試してみたくなるというもの。先程露花氷を買った店の主がちらりと零していた言葉の意味を察する青年の傍ら、娘もほう、と満足気な息を零す。
「なんだか贅沢な時間だね……これからも美味しいものを食べて、色んな所を巡れるといいね」
 せっかく|この《動ける》身体があるんだから――そう花笑みを浮かべた小さな保護者へと、「そうですね」と弟分も口端を綻ばせる。

 ふたり歩む路は、まだ始まったばかり。
 できる処まで。やれる処まで、たくさん愉しもう。
 ――星の数ほどあるであろう、数多の世界の燦めきを。

物集・にあ
唐草・黒海

 こんなにも陽に耀く雫が毀れてきているのだもの。傘を差すのももったいないと、物集・にあ(わたつみのおとしもの・h01103)は艶やかな黒髪を靡かせながら、両の手を緩く広げた。
「黒海さん、黒海さんご存知ですか?」
 まるで謎かけのような言葉と声音に、唐草・黒海(告解・h04793)は己が白い尾とともに微かに首を傾げる。
「世界には、たくさん可愛くて選べなくて美味しいものがあること!」
「いえ、知りませんでした」
 こんなにも海のいろを映した眸を燦めかせた娘の前では、あまり興味もないのだけれど――と裡に過ぎった言葉を、青年はそのまま留め置く。
 黒海としては、今回は付き添いのようなものだった。子供がひとりで居ると、何があるやも知れぬ。ならば誰か大人が傍で見守っていたほうが良いというものだろう。
「黒海さんは、果実は何が好みかしら?」
「好きな果物………ドラゴンフルーツ……いや、パイナップル?」
「ドラゴン……強そうなものがお好きなんですね」
 暫し逡巡したのちに出した返事に、「前者は無いですよね、きっと」と何気なく黒海が続けた言葉を、近くの露花氷店の婆が拾った。
「ほっほっほ……そう思うじゃろう? じゃが、この村もまがいなりにも冒険王国の中じゃて。冒険者さんらが、いろんなもんを持ってきてくれるんじゃ」
 ほれこれのことじゃろう? と差し出されたのは、とげとげとした濃いピンク色の楕円の果実。紛うことなき、ドラゴンフルーツそのものだった。「無論パイナップルもあるぞ?」と続けて差し出された実物を見て、黒海は赤の双眸を僅かに瞠る。
「なんでもあるというのは本当だったんですね! では、お花は?」
「物集さんと同じので――というのはつまらないですか? じゃあ……茉莉花を」
「ふふ、はい。違うのだと倍楽しめますから」
 同じので、と言った直後、にあの眸に浮かんだ|彩《いろ》に気づいた黒海は、さり気なく言葉を付け足した。その答えに満足そうに微笑むと、にあは自身の露花氷へと思考を移す。
「わたしは……うーん……いえ、今回は迷わないように決めてきたんです。マスカットと……バタフライピーかな」
「あいよ。今作るでなぁ、ちょぉっと待っててな」
 のんびりとした口調の婆と、穏やかに流れてゆく風と時間。
 そんな長閑な空気のなか、きりりとした貌でにあが切り出す。
「それでですね、黒海さん」
「はい」
「今日は、なんとわたし手持ちがありますから。お礼をさせてください」
「お礼……奢ってくれる、ということですか?」
「はい!」
「……あの、財布の中身が心許ないような……」
「えっ」
 そんなまさか――そう言いたそうに財布を取り出し確認するにあに、微かに眉尻を下げた黒海は、
「流石に心配なので物集さんの分は俺が奢ります。大丈夫ですよ、ここまで来たら付き合いますから」
「そっ、それでは交換……ふふ、交換です」
 そう言って柔く容を緩ませる娘へと、ひとつちいさな苦笑を返した。

 花屋根の下、風が吹くたびに、露を纏った花々があたりへとひかりを鏤めてゆく。
「――よかったら、先に俺の分少し食べますか?」
「えっ!? わたし、そんなに物足りない貌してましたか?」
 貌というより、それはにあの様子を見ていれば容易く知れた。
 さっぱりと甘いマスカットに、仄かな豆のようなバタフライピーの香りは、まさに大人の上品さを孕んでいてつい匙を動かす手が進んでしまう。だのに、それもすぐに急に動きが鈍ってきたのだ。食べるのが勿体ない――そう思っていると言っているようなものだろう。
 さっき迷うと言っていたような、と心中で付け加えながら提案した黒海から一度視線を逸らすと、にあは花影のなかでちいさく俯く。
「うう、恥ずかしい……素敵なものがいっぱいあって困ります」
「まあ、全部食べてもいいんですけど」
「……では、遠慮なく三口ほどいただきます」
 さらりとした甘味と風味に、茉莉花のフローラルな香りは屹度、食が進んでしまうだろうけれど。
「流石にお腹を壊されたら困るので……ほどほどに」
 そう微かに口許を緩めた黒海は、花型の硝子器を差し出すのだった。

一文字・伽藍
エストレィラ・コンフェイト

 ――いざ参らん、氷スイーツ!
 そう意気揚々と村を訪れた一文字・伽藍(Qクイックシルバー・h01774)とエストレィラ・コンフェイト(きらきら星・h01493)は、村の中央にある広場に集う店々をぐるりと見渡した。
「おばあちゃん……見て、お店がたくさん……!」
「露花氷……なんとも甘美な響きであったが、実物は更に魅惑の氷菓のようだ……!」
「うんうん。話には聞いてたけど、これは選び甲斐あるね~」
 はぐれぬように、と繋ぎ、道中も躍る心のままにぶんぶんと揺らしていた手は知らぬ間に静止して、かわりにふたりの眸が一層耀く。
「かき氷を最後に食べたのはいつのころだったか……あぁ、そうだ。若いころに食べたきりだ」
「……いや、おばあちゃん呼びしといてなんだけど、その美少女フェイスビジュで“若いころ”とか言われてもピンと来ねぇのよ」
 苦笑を滲ませる伽藍に、そうか? と首を傾げるエストレィラは、愛らしい面立ちできょとんと瞬きながら、長く艶めく銀糸を揺らす。御年99歳には見えぬのも無理はない。
「果物と花かァ。どれが良いかなぁ……」
「わたくしはスターフルーツとスタージャスミン。白玉は大盛りがよいぞ!」
「したらアタシ、マンゴーと金木犀にしよっかな――って、おばあちゃん白玉山盛りにしてる! アタシも!」
 そんな弾むような言葉のやり取りに、オーダーを聞いていた看板娘もつられてくすりと微笑んで。花型の硝子の器にたっぷりと白玉を入れると、そのうえからふんわりと刻んだ天然氷を入れ、それぞれの氷密もたっぷりとかけて、フレーバースプレーをシュッと一吹きしたらスペシャルな一品が完成だ。
 ありがとうございました、とぺこり一礼する看板娘に見送られながら、「何処で食べる?」と伽藍があちらこちらへと視線を巡らせれば、ふうわりと風に乗って届く、優しく甘い香り。
「あ、スタージャスミンの花屋根あるじゃん。おばあちゃんフレーバーにしたやつでしょ? あそこにしよ!」
 ここまで来ればはぐれることもないだろうけれど、浮き足立つ気持ちは一緒だから。再び手を繋いだふたりは、白く甘やかな芳香に包まれた|緑廊《パーゴラ》の裡にある白木のガーデンチェアへと腰を下ろした。テーブルへと置いた器をもう一度両の手で掲げて、笑顔を交す。
「イエーイ乾杯! スイーツだけど!」
「うむ、乾杯だ」
 透いた氷の山へ、さくりと柔く匙を入れて一口食めば、口いっぱいに広がるのは滑らかな氷の舌触りと、程良い涼の気。
「冷たい! そんで美味しい! 金木犀も良い匂いする~」
「くふふ、口の中がひんやり心地良い。爽やかな甘さだ」
 マンゴーのとろりとした甘さと、柔らかくもざくざくとした氷、そしてその中に潜むぷにぷにとした白玉。その食感の違いだけでも愉しいくて、嚥下したあとに残る金木犀の優しい香りがなんとも言えぬ幸せ心地を運んできてくれる。
「伽藍ちゃんのは、鮮やかで明るいな。おまえさまの明るさが顕れているようだ。とても愛い」
 夏の陽を思わせる橙色へと眦を緩めながら、「婆のも一口如何であろうか?」と匙を差し出されたら、勿論伽藍も破顔して、
「え、一口もらっていいの? じゃあ、おばあちゃんもこっちどうぞー」
「なら、遠慮なくいただこうか。まずは伽藍ちゃんから――ほれ、あーん、だ」
 ぱくりと頬張れば、しゃきしゃきとした食感のスターフルーツが氷に溶けて、一層優しくなった甘酸っぱさがじんわりと裡へと染みてゆく。
 柔く甘い香りは、氷菓からか、はたまたふたりを包む花たちからだろうか。
「ん! おばあちゃんのも美味しい~! はい、アタシのもあーん」
「うむ、こちらも美味である。伽藍ちゃんと食べるすいーつは、一等美味いなあ」
 ほくほくと滲む笑みのまま、ふと視線を上げれば露を燦めかせながら白い小花たちが風に揺れる。こちらもまた愛いものだ――どちらかと言えば、今は花より団子だけれど。
 のんびりとした風が過ぎ去ってから、もう一匙を口へと運ぶ。
「アッ! キーンてする!!」
「……ぬぁっ!? 頭が軋む……!?」
 そんな氷菓おなじみの出来事すらも、愉しくて。
 ふたつの笑み声が軽やかに、天気雨へと溶けていった。

鬼灯・睡蓮
鬼城・橙香
清緑・色
セイシィス・リィーア

 ぱらぱらと降る雨粒が|緑廊《パーゴラ》の屋根に弾んでひかりを散らす。
 枝垂れた花々も雫を浴び、風に靡くたびに雨の気配を含んだ華やかな香りを運ぶ。白い石畳で跳ねる雨音は軽やかで、世界がどこまでも澄んで見えるよう。
「暑いときにはやっぱり氷だよね~」
「ええ、この時期にはいいですね」
 白木のガーデンテーブルを囲むように座る『セプテントリオン』の面々のうち、のんびりとした声音のセイシィス・リィーア(橙にして琥珀・h06219)へと、鬼城・橙香(青にして橙火・h06413)もポニーテールを揺らしながら頷いた。「体温低めの雪女には暑さが応えるんだよ~」とぱたぱた手で上部がはだけ気味の胸許を仰ぐセイシィスの対面で、橙香もまたライダースーツの胸許を――ちなみにどちらも、形・大きさともに極上だ――開けて涼を得る。
「睡蓮さん、今回はお誘いありがとうございます……最近暑くなってきたので、丁度良いお出かけ先です……」
「んにゅ……お誘い受けてもらえてありがとうなのです……。皆さんと食べる方が、美味しいかなと思ったのです……」
 ぽわぽわと柔らかな雰囲気の清緑・色(清き緑の龍・h06856)へ、頷きか船を漕いでいるのか、どちらにも見える仕草でこてりと|頭《こうべ》を下げた鬼灯・睡蓮(人間災厄「白昼夢」の護霊「カダス」・h07498)は、瞬間、視界に入ってきた自分の露花氷に気づいてどうにか眠気を堪えた。
「露花氷……氷蜜、かき氷なのです……甘味なのです……甘いものは、正義なのです……」
「見た目も涼しげで華やかでいいですね」
 隣でゆらりゆらりと揺れる睡蓮へと微笑みながら、橙香も仲間たちに合わせて食べ始めた。さくり、と匙を入れて口許へと運べば、上品な薔薇の香りがふうわり漂い、とろりとした舌触りのメロンがたっぷりの甘味を届けてくれる。
 並んで食べるセイシィスと色が選んだ氷密は、揃いのマンゴーだ。香りで違いを出せたら面白そうだ、と色は練乳、セイシィスは柑橘を選んだ。
「あっ……とっても甘い練乳と白玉のモチモチ食感で美味しいです……」
 これぞ求めていた甘さの極――! 幸せいっぱいの笑顔を浮かべる色へと、セイシィスもつられて頬を緩ませて、
「ん~、甘くて美味しいね~♪ 色くんも一口どうぞ~」
「では、お言葉に甘えて一口頂きます……あっ、さっぱりフレーバーも美味しいです」
 僕のもどうぞ、と差し出された匙へ、セイシィスもぱくり! マンゴーに練乳が加わって、舌に残る一層芳潤となった甘やかな余韻に暫し浸る。味は同じなのに、香りが違うだけでこんなにも愉しいなんて。皆と来たからこそ知る面白さに、もひとつ笑みが深くなる。
「皆で食べていると、やはり美味しいですね。甘みも良いですが、フレーバーも合わさって凄い豪華です♪」
「ふぁ……本当、そうなのです……」
 ゆっくりと食べ進める橙香の隣、それ以上にのんびりと匙を運ぶ睡蓮は、苺、メロン、レモンに次いで、ようやくブルーハワイの蒼山を切り崩し始めていた。色々な種類の氷密があるならば、小分けにして食べれば良い――そう思いついた少年の前には、掌サイズの硝子の器が並んでいる。
 ふわり柔く鼻孔を抜けてゆくのは、優しいラベンダーの香り。安眠効果を期待して選んだそれは、まさに効果抜群のようだ。
「――おや、どうやら眠くなってしまったようですね」
 食べ終えて一休憩していた橙香の撓わな胸へとぽてり寄りかかってきた睡蓮へ、「ゆっくり休んでください♪」とちいさく声をかけて橙香が双眸を細めた。膝枕ならぬ胸枕と言えようか。
「すぴー……」
「ふふ、よく寝てますね~。色くんもこっちにおいで~」
「え? あ、はい……」
 数度瞬いた色は、膝をぽんぽんと叩いて呼ばれるままに、セイシィスの膝へとちょこんと浅めに腰かけた。柔く後ろから抱き留められながら、燦めく雫と花たちが鏤められた風景をゆっくりと眺む。
「綺麗だね~」
「はい……露花氷に負けないくらい綺麗な天気雨と雨露の滴るお花の燦めきを楽しめて、とっても素敵です……」
 そう言った色の視界の上半分ほど――すこしでも貌を上げると、それ以上に――は、セイシィスの胸影で隠れていたけれど。
 ふうわりと香る花と舞い散る露の燦めきは、いつまでも皆を愉しませていた。

ララ・キルシュネーテ
躑躅森・花寿姫

 下ろしたての青を筆いっぱいに広げたような鮮やかな夏空遠く、透いた鳥の声が響き渡る。
 頬を撫ぜる風は雨と花の香を運び、歩を進めるたび、雨粒が足許で宝石のように燦めいては弾けてゆく。すう、と大気を吸い込めば、雨の|気配《けわい》がじんわりと裡へ染みてゆく。
 眸に映り、肌に触れるなにもかもが胸を躍らせるから、高らかな音色を奏でる心地のまま、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は足取り軽くくるりと舞った。
「美しい村ね、花寿姫」
「はい。穏やかな雰囲気の村で素敵……そんな場所で、今日はおひめさま二人のデートですね」
 なんて、とひとつ笑み零す躑躅森・花寿姫(照らし進む万花の姫・h00076)へ、ララは一層笑みを深めた。どんな露花氷を食べようかしら? 花寿姫はどんな露花氷にするのかしら? そう馳せる想いに導かれるように、花寿姫とともに村の中心たる広場へと爪先を向ける。
 幾つもの店をゆるりと巡って、漸く決めた氷密と香りを纏った露花氷を手にふたり、花と蜜を味わう|花屋根《特等席》を探す。
「お前はどんな花屋根がいい? ララは真っ赤なブーゲンビリアがすきよ」
「私ですか? 黄花藤も素敵ですが、ブーゲンビリアも好きですよ」
 どこか躑躅にも似た鮮やかさがありますよね、と添える花寿姫へ、ララの唇が愉しげに弧を描く。
 ――燃えるような情熱と、あなたしかみえないと謳う魅力の花。
「花言葉ですか? まるで今日の私みたい。今日は、貴方のことしか見ていませんもの」
「ふふ。お前の言葉は、露花氷より甘いわね」
 言って、ララがさくりと一匙、口へと運ぶ。春の暁空――特別に好きな空色を思わせる露花氷は、それだけで頬が緩んでしまうほどだけれど。食んだ途端に華やかに広がる桜蜜と、白雲を描いていた練乳の甘やかな風味が、むふふと|咲《わら》うララの笑みを一層幸せに染め上げる。
 そんな花笑みは見惚れてしまうほどで、花寿姫もまた、歓びを裡に秘めながら花型の硝子器から一口をすくった。ふたつのうちひとつの白玉と、甘酸っぱい苺の氷蜜。それらが消えた後には、躑躅の上品な甘い香りが鼻孔に余韻を残してゆく。
 ――まるで天の川の下に咲く躑躅のよう。
 ふと過ぎったその想いに、ララの声が重なった。
「お前はまるで、躑躅の妖精のようね」
 そんなお前におすそ分け。アーンしてあげる、と一匙向けられれば、花寿姫は幸せそうにぱくりと食んだ。お返しに「あーん」と手向けた匙のうえには、ふわふわ天然氷と、氷蜜と――おまけの白玉ひとつ。
「これがさいわいの味ね」なんてララが笑ってくれるから、与え与えられ分け合った幸に、花寿姫も花の容を綻ばせる。
 ああ、お天気雨ね――。そう眦を緩めて手を柔く差し出し掲げたララの横顔は、神の涙花のビジューを綺羅星のように鏤めたドレスを纏うお雛女様。夏花のはなびらから毀れた露たちが、白く滑らかなその掌へと零れてはひかりとなって弾けていく様に、ララは心地良さそうに笑みを湛える。
「|迦楼羅《ララ》も雨降りができるけど……」
「ララさんにそのような力が?」
 不思議な方。そう浮かんだ言葉を知ってか知らずか、ララはすべてを抱擁するかのような眼差しに花寿姫を映した。
「ふふふ。……でも、今は」
「ええ、そうですね」
 この地に住まう神がもたらす、恵みと満開の花味を。
 ――そして、心地良い雨音を奏でながら躍る雨を、存分に愉しもう。

御嶽・明星
エリカ・バールフリット

 雨の降る日は、嫌いだ。
 それがたとえ小雨であっても、事故で膝から下を喪った左脚が痛んだ。だのに不思議と、今目の前で降り続ける雨は痛みの欠片すらもたらさなかった。葉に、花片に、愉しそうに跳ねては陽の燦めきを散らしながら雨音を奏でてゆく。
 ――露花氷はエリカが買ってくるから、アカリはここで待っててね。
 その言葉のとおり、両手に露花氷を持ったエリカ・バールフリット(海と星の花・h01068)が、眼前の広場からぱたぱたと足早に駆けてきた。娘の纏う雨の|気配《けわい》で、花屋根から零るる花の香が、一層濃く甘く匂い立つ。
「はい、こっちがアカリの。苺の氷蜜に、蜂蜜の花の香りで良かったよね?」
「あぁ。手間かけたな。……にしても、こんな雰囲気のいい場所に、俺と来て良かったのか?」
 何気ない、他愛のない、ふと浮かんだ唯の疑問。
 だのに、エリカは迷いなく即答する。
「だってアカリ、エリカが連れ出さなきゃずーっと家にいるじゃない」
 ばらりずんと容赦なく心を斬る言葉に、御嶽・明星(推定・暁の明星・h00689)の胸が思わず詰まる。事実だからまったく、1ミリも言い返せない。
「間違ってないな……」
「引きこもりが祟ってアカリに何かあったら、お母さんに合わせる顔がないもの」
 言いながら、花影から硝子の器を外へと向けたエリカを真似て、明星もまた天気雨の下へと器を差し出した。
 青空から疎らに零れては露花氷に落ちるたび、一層氷を煌めかせてくれる宝石めいたひかりの粒たち。それがあまりにも眩くて、ふたりは暫し、言葉なく露花氷を眺めていた。
「んー……やっぱり氷はいちごよねぇ。それに、纏わせてるお花の香りも天才的にぴったり!」
「――なぁ。これ、何の花? 桜?」
「残念。桜じゃないのよねぇ」
 でも素敵な香りでしょ? そう言って|咲《わら》うエリカを横目に、もう一度匙を運ぶ。
 ひんやりとした柔らかな天然氷と交わる、深く甘酸っぱい苺の味。それに続いて鼻から抜けてゆくのはやはり、蜂蜜のように甘く、桜のようなに柔らかな花の香。
 けれど“違う”と言われてしまったから、その不思議な芳香への驚きを疑問へと変えながら、答えを探すようにじっくりと味わう明星をちらりと見ながら、エリカは気づかれぬようにそっと微笑む。
 そうしてまた、一匙すくって静かに食めば、再び裡へと満ちる甘やかな香り。

 ――答えは“エリカ”だよ、アカリ。

 それはちいさく可憐な、|花《娘》の名。
 だけど――あなたが当てられるまでは、内緒。

目・草

 夏色を帯び始めた、鮮やかな空。
 その境界線を描く稜線はあんなにも遠いのに、緩やかに伸びる裾野はこんなにも近くて、目・草(目・魄のAnkerの義子供・h00776)は黒く燦めく眸を一層まあるくした。
 村外れの田園風景を抜けて、なおも足取り軽く白い石畳を往く。ほろほろと零れ続けるかみさまの涙は、服を濡らすほどでもなく、軽く、柔く肌を転げてあたりへとひかりを散らす。そのたびに雨の匂いに花の香が混じるような気がして、草はいつしかぱたぱたと駆け出していた。
(どの辺りだろう? お店はどこかな?)
 ――山間の村に、それはそれは旨い花氷がある。
 商い狸から聞いた話を反芻しながら、視界に映った彩に惹かれるままに視線を巡らす。冒険王国『|四季の夢《カトルヴェア》』――その裡にあるリュースエルヴ村だからこそ、自然も、路も、家々も、なにもかもが鮮明に色づいて見えて、じっとしてなんていられない。
「あっ……! あれかな?」
 のんびりとした歩調ながら、行き交う人々が増えてきたことに気づいた草は、ぴょんとひとつ跳ねて先を見た。露花氷の文字と、なによりも香ってくる一等甘い花の匂い。近づくたびに、空気はどこかひんやりと涼を帯び始める。
 辿り着いた広場は、大きな円形に整えられていた。中央にはシンプルながらも美しい噴水があり、その周囲を囲うように、露花氷の店々と様々な花を戴くいくつもの|緑廊《パーゴラ》やフラワーアーチのベンチが並んでいる。
 話には聞いていたけれど、こんなにたくさんのお店――どこに行こうかと悩んでいた草の視界の端で、ゆらゆらとなにかが揺れた。一瞬でそれが猫の尾だと気づくと、反射的にそちらへと貌を向ける。
「見ない顔だにゃん。観光客さんにゃ?」
「うん。えっと……花氷が食べられるって聞いて、来たの。一つください」
 猫獣人さんだ、と裡でひそりと思いながら、カウンターの上へひょっこりと貌を覗かせた草はこくりと頷いた。黒猫又とも伽羅おじさんとも違う、髪の毛のあるちょっと大きめの二足立ちの猫。獣人階梯なるもので言うと何段階目なのかは良く分からないけれど、綺麗なサバトラ柄だとは容易に知れた。
「こちらがメニューになるにゃ」
 どうぞ、と手渡された紙を背伸びしながら両の手で受け取ると、草は真剣な眼差しで文字を追う。氷蜜だけでも、桃、すもも、さくらんぼ、ブルーベリー、メロン、ライチ、マンゴー……幾つもの美味しそうな果実名が連なっているし、フレーバーともなればそれ以上あった。あれも良いな、でもこれも良いな、なんて逡巡すること暫し――幼子は一番確実な答えを導き出した。
「――あの、おすすめください」

 緑と花の香に満ちた花屋根の下、白木のベンチにちょこんと座った草は、手の裡にある花型の硝子皿へと眼を細めた。
 猫店員さん一押しだという、ブルーベリーの氷蜜とヘリオトロープのフレーバー。期待に胸を躍らせながら一匙食めば、ひんやりしゃくしゃくとした食感と、爽やかな甘酸っぱさ、そこにバニラのような甘い甘い匂いが重なって、一層笑みが深くなる。
 ぽたぽた、ぱたた。葉やはなびらのうえで弾む雨音は愉しげで、時折、雫の重みで枝垂れた先からぱしゃりと零れる響きに、草の眦も嬉しそうに緩んだ。花影から洩れる陽は夏めく熱を帯びているけれど、
「身体も、こおりでひんやりすずしー♪ ……ってあれ、なくなっちゃった」
 気づけばすっかり空っぽの器。
 だけど、口のなかにはあの至福の味が残っているから。
 草はその甘やかさを思い返しながらまた、仰ぎ見た露纏う花へとふわり微笑んだ。

古賀・聡士
高城・時兎

 ――かき氷。
 あまり好んで食べる方ではない古賀・聡士(月痕・h00259)と、苦手ながら天然氷は好きな高城・時兎(死人花・h00492)。
 どちらも、露花氷ならば、と仄かな期待を寄せながら、メニューを前に、店先のカウンターで頭を寄せる。
「聡士、フレーバーと蜜、どーする? おれ、ラズベリーとジャスミン。白玉……は、これには合わないか」
「僕は……どうしようかな。蜜はブルーベリー、フレーバーは…金木犀とか?」
 生憎花にはとんと疎い聡士は、ふと思いついたちいさなオレンジの花を口にする。その組み合わせに興味を持ったのか、時兎はほんのり愉しげな視線を傍らへと投げる。
「聡士の、後で分けてほし。おれのもあげるから」
「うん? いいよ、あとで分けてあげる」
 時兎のも美味しそうだし、楽しみだね。そう微笑む先で、心を映したかのように雨露が踊り、ひかりが弾けた。

 ほどなくして、互いの手に収まった硝子皿。そこからでもふうわりと届く涼と花の香に、密やかに期待をそそられながら、時兎はきょろりと周囲を見渡した。
 露花氷店の並ぶ此処は、村の広場なのだろう。白い石畳の敷き詰められたその中央には噴水が緩やかな弧を描き、それを囲うように幾つもの|緑廊《パーゴラ》が集っている。
「……花の屋根の下で、とか、おれたちにはメルヘンすぎ」
「ははっ、違いない」
「何がい? ドクダミ? ウツボカズラ? ラフレシア?」
「わあ、出てくる名前が大衆ウケしなさそうなのばかりだ」
「なに、かわいーでしょウツボカズラとか、八重のドクダミとか」
「そこは好みの問題かなぁ」
 ぷくりと頬を膨らます時兎へと、聡士がくつくつと喉を鳴らす。
「フレーバーのある食べ物だし、ラフレシアみたいな強烈なのは避けたいね。あとは……見た感じ、ラインナップは今が季節の花ばかりかな。なら――あれ。あのスタージャスミンあたりはどう?」
 時兎にそっくりの白い花みたいだし、と聡士が優しく眦を細めるものだから、ちょっと拗ねていた気持ちも何処へやら。時兎はひとつ頷くと、ふたり連れ立って白い星花の許へと一時の居を構えた。
「うん、冷たくて美味しいね」
 片や青き氷は、さっぱりとした甘酸っぱさと豊かな甘さ。
 片や紅き氷は、濃厚な甘酸っぱくも爽やかな甘さ。
 己が匙を差し出したふたりは、その美味しさを比翼の番へとそっとお届け。
「ほら時兎、あーん」
「聡士の、おいし」
「でしょ?」
「金木犀はお酒もおいしーもんね。はい、おれのもどーぞ」
「――ん、時兎のも美味しい」

 これまで縁のなかった氷菓が紡いだ、ふたつの芳香。
 もうすこしだけでも、それに浸っていたいから。「
「金木犀とジャスミンのシロップ、探して帰ろ」
「それ良いね。――あ、そういやさっきの店にあったような……」
 そうして暫し寄り添う影に、夏の陽を映した雨露が弾け、幾つものひかりを鏤めてゆく。

空廼・皓
白椛・氷菜

 村が一番賑わう季節というだけあって、リュースエルヴ村の広場には露花氷の店々が立ち並んでいた。呼び込みや笑い合う人々の賑わいが、初夏の夏空に溶けていく。
「露花氷……かき氷……みたいな、もの?」
 オーダーカウンターの横にあるメニューを眺めながらこてりと首を傾げる空廼・皓(春の歌・h04840)へ、そうね、と白椛・氷菜(雪涙・h04711)も頷いた。不思議なかき氷――そう表現するのが分かりやすいだろう。
「氷蜜もフレーバーも、色々選べるのね……」
「俺、氷蜜はメロン、がいいな。今旬だし。フレーバーは……どうしよ」
 ぱたぱた、ぱたりぱたり、ぺしょん。真剣にメニューへと向かいながら、逡巡する思考を現すかのように揺れていた狼の尾が萎れた様子に気づいて氷菜が見遣れば、無表情ながらどこか憂いを帯びたような皓の眼差しと交わった。
「花の香り……よく分からない。氷菜、おすすめの、花、ある?」
「私も詳しくはないけど……あ、ヘリオトロープっていうのがバニラに似た香りみたいよ」
 調べ終えたスマホをしまいながら、「アイス乗せのメロンみたいにならない?」と提案してみせれば、なるほど、と皓が貌を上げた。「それはあり、かも」と、垂れた尾が再びそわそわと揺れ始める。
「氷菜、は? どうする?」
「そうね、私の氷蜜は……梅が良いな。フレーバーは、蜜柑の花にしよう。良ければ晧も味見してね」
 甘酸っぱいと思うけど、と添えた言葉に、ううんと皓は首を振った。どんな組み合わせにするのか興味があったけれど、答えを聞けばなお一層、爽やかでおいしそうだ。

 おまたせしましたー♪ と軽やかな店員の声とともにそれぞれの露花氷を受け取ったふたりは、広場の噴水の傍らで脚を止めた。
 咲き誇る花を思わせる硝子皿に盛られた様は、どちらも陽に燦めいて宝石のよう。雨露に混じってふうわりと届く香りだけでも美味しそうで、皓の心もついつい急いてしまう。
「早く、食べたい、けど……どこに、しよ?」
 悩んでいるうちに溶けてしまわぬようにと、氷菜がそっと器へと掌を掲げた。包み込むように冷気を纏わせてから、改めて周囲を見渡す。
「いろんな花の、屋根……ある……。氷菜、どの花が好き?」
「ん-そうね……クレマチスとか綺麗かも」
 ふと目に留まったのは、こぶりの白い|緑廊《パーゴラ》だった。房を成す葉と、それを飾る青紫の花たちが風に揺れるたび、雨露がふわりと舞ってひかりの欠片を鏤めてゆく。
 此処が今日の特等席。そう決めたふたりは並んでベンチに腰かけると、手許の露花氷と天高くより零るる雨の燦めきを揃って眺めた。視線を戻し、おいしそう、と洩らす皓が「いただきます」と手を合わせた様に倣って、氷菜も同じ言葉をなぞってから匙を入れる。
「ん……甘酸っぱくておいひい」
「んんっ……甘い。氷菜、氷菜。香り、正解。すごい、メロンと合ってる!」
 淡々とした貌と声だのに、尻尾はぶんぶんとはしゃいでいて。和むままに眸を細めた氷菜は、「はい、氷菜も味見」と差し出された一口をぱくりと食む。
 とろりと甘いメロンに混じる、夢のようなバニラの香り。それがふわふわの天然氷に溶けて消えてゆくから、またすぐにもう一匙が食べたくなる。
「……うん、美味し」
「ね?」
「晧も、私のどうぞ」
 器を近づけただけで分かる、甘く爽やかな芳香。不思議と心凪ぐようなその香とともに含んだ梅の氷蜜は、不思議とどこかまろやかで。
「氷菜のも、思った通り……爽やかおいしい」
「そう? なら良かった」
 互いの“好き”が、“素敵”だとわかる。
 その優しい幸せに浸りながらふたり、雨音響くひとときを過ごしてゆく。

天國・巽
月島・珊瑚
月島・翡翠
プリエール・カルンスタイン

 天高く広がる空はこんなにも晴れ渡っているというのに、未だほろほろと降り続けては地で弾ける雨粒たち。それこそがまさに神の気紛れなのだから、ときに多めに、ときに少なく、その降り方も疎らになるのも頷けよう。
 丁度、雨量が多めになってきた頃合いで店の軒先へと辿り着けた『まよひが』の4人は、一息吐きながら早速メニューを眺め始めた。
 ――『ふんわりと削り上げた天然氷に、あなた好みの氷蜜とフレーバーを合わせてスペシャルな一品を!』
「これがかき氷……露花氷?」
 メニューの隣に掲示されていたポスターのキャッチコピーを読み上げたプリエール・カルンスタイン(天衣無縫の縛りプレイ・h00822)は、そう言って小首を傾げた。ちらりと、視線を隣の月島・珊瑚(憧れは水平線の彼方まで・h01461)へ向ける。
「だねー。一般的なのだと氷と氷蜜だけだけど、ここのウリはさらにフレーバーが選べるってことろ。――じゃあ、アタシはメロンの氷蜜にフレーバーはバニラでお願いします」
「俺は、マンゴーに橙の香りにするか。甘い中に柑橘の爽やかな香りが合いそうだ」
「え。珊瑚も、巽さんも、決めるの、早い……! えっと……じゃあ、私は苺の氷蜜と、フレーバーは……あの、おすすめあったら、それで」
 さくっと注文し終えた珊瑚と天國・巽(同族殺し・h02437)に、わたわたと月島・翡翠(余燼の鉱石・h00337)も続く。「それなら菫はいかがでしょう?」と応える青年店員へとこくりと頷く様子を眺めていたプリエールも、なるほどと得心する。
「とは云っても、ええと……氷菓子はよくしらないの。珊瑚に任せていいかしら?」
 元より、珊瑚と翡翠が行くのなら、と着いてきたのだ。ここは詳しい者に委ねるのが無難だろう。ついつい姉に似ている珊瑚のほうに|我儘を云いがちな《甘えてしまう》のはご愛敬だ。
「オッケー。んー……そうだなー。――店員さん。彼女のは、氷蜜は桃で、ラベンダーのフーレバーにしてもらえますか?」
「桃にラベンダーか。洒落てるな」
「なんかのコラボカフェで見かけた組み合わせですよ。企業監修の味なら間違いなさそうでしょう?」
「あ。プリエールのも、できたよ。はやく食べないと、溶けちゃい、そう……」
「んじゃ、食べる場所探しに行こうか」

 気づけばまた薄くなり始めた雨の|気配《けわい》に乗じて、4人は店先の広場へと出た。
 ここにも幾つかの花屋根があるが、道中にも様々な|緑廊《パーゴラ》を見かけた。探せばほかもあるだろう、と珊瑚を先頭にすこし歩けば、
「あれ? あの|緑廊《パーゴラ》……蔦と葉っぱだけ? ……花はまだ咲いてないのかしら?」
「見て、池もあるわ!」
「睡蓮も、咲いてるね……綺麗……」
「へェ、こりゃあまさに風光明媚ってなトコだな」
 丁度おあつらえ向きのベンチとテーブルもあるしな、と口角を上げる巽に、珊瑚も声を弾ませた。
「……ここにしない? すっごい素敵なシチュエーション!」
「うん。すごく、良いと、思う……」
 頷く翡翠に、勿論プリエールと巽も賛同する。ふうわりと吹き抜けた風の運ぶ、葉々の香りに誘われるように白木のガーデンテーブルを囲めば、ちょっとしたお茶会の始まりだ。
 ぱたた、とととん。花屋根ならぬ葉屋根に零れては弾む露たちが、鼓を打つような軽やかな雨音を響かせる。ちいさな弧を描き、白い石畳へと落ちれば、弾けて消えていくたびに陽のひかりを鏤める。
 ささやかなれど心地良いその音色と景色が、ゆったりとした刻にじんわりと染みてゆく。
 こりゃあいいや、と独り言ちながら、巽は己が硝子皿から一匙を食んだ。ふうわりとした氷を包む、とろりと甘いマンゴーの風味。嚥下しながらも、橙の清涼な香りが裡に留まり得も言われぬ余韻を残してくれる。
 その対面、自分の露花氷の写真を撮り、選んだ氷蜜とフレーバーなどのメモを取り終えた翡翠もまた、そうっと氷菓へ匙を入れた。途端、雨露を孕んで鼻孔を擽る菫の香り。ゆっくりと舌へ乗せれば、忽ちさらりと天然氷は溶け、苺の甘酸っぱさが口一杯に広がってゆく。
 ふと移した視線の先にあるのは、降り続く雫が池へと幾つもの波紋を描き、睡蓮の花びらや葉で跳ねた陽の欠片が燦めく眩い景色。
「雨の中、外でこういうのを、食べるのも、悪くないね……」
「……私も、こうした瞬間はとても好きよ」
 柔く微笑んだ翡翠へと双眸を細めながら、プリエールも静かに瞼を伏せる。肩から力をゆるりと抜き、凪ぐ心のままに風の葉音に耳を欹てる。
 |城《いえ》でも、緑廊や花々に囲まれた場所で良く過ごしていた。|時間《季節》を感じられるなかで、自分はただその場に佇んでみせる――永遠の刻に在る城で覚えた、|悪戯心《遊び》とともに興じる初めての氷菓は、つるりと滑らかな舌触りの桃が、食むごとに柔らかな氷と混ざって深い甘さとなり、続くラベンダーの花の香がゆっくりと裡に染みて柔く解ける。心振わせるその味に、思わず静かに瞠目した眼に耀きが宿った。
「気に入ってもらえたようで良かった。――ん、アタシのチョイスも美味しい♪」
 向かいのプリエールの様子にひとつ笑みながら、珊瑚ももう一匙を口へと運んだ。濃厚なメロンの甘味にバニラが加わり、一層甘やかに幸せに包まれる。一見くどくなりそうな味も、それに重なる氷がひんやりとした後味に整えてくれるから、幾ら食べても飽きがこない。
 どの組み合わせも唯一ならば、その幸せをお裾分け。互いに一口を交換しあうなか、人心地着いた巽がちらりと視線を移した。
「それにしても、見事な|睡蓮《アルカンシエル》だ。まるで絵画のような……そういや、こっちの世界じゃなんて名なのかね?」
 やはり、虹に因んだ名なのだろうか。後で村人さんに聞いてみよう、と零す巽へ、プリエールもくすりと笑う。
「本当、巽は知識の泉ね。その水源には何があるのか――」
「あ、虹……!」
「え、虹ってあんなに大きの!?」
 食事時のマナーとしては、ほんの少し逸れてしまうかもしれないけれど。初めて見る万彩の架け橋はあまりにも鮮やかで、プリエールは思わず声を弾ませ、躰ごと視線を外へと向けた。
「あの根元……虹の生えてるところ行ってみたい! 行けるものなのかしら?」
「行ったことがある人がいる、とは聞いたことはあるなァ」
「あぁ……食べ終わる前に消えちゃう、かな。写真撮りたいのに……」
 隣で響いた珊瑚の声に、反射的に貌を上げた翡翠も空に掛かる七色を見つけて、しょぼんと眉尻を下げた。
 それでもまだ諦めはしないと、慌てて残る露花氷の山へと匙を入れる。ぱくぱく、ぱくぱく、味わいながらも急げ急げと食む、あまりにも愛らしいその様子に、
「――て翡翠。小動物みたい。保存していいかしら」
「えっ、今……!?」
 苦笑を浮かべながらカメラのレンズを構えたプリエールに、益々わたわたとする翡翠。それが一層面白くて、くつくつと笑み声を立てる竜娘へと、つられて皆も口許を綻ばせる。
「ニンフォニア――水の妖精の加護かね? ここでふたつも虹が見れるとはよ」
「ふふっ、確かにそうですね。どちらも綺麗……来ることができて良かった」
 優しい眼差しでぽつりと零した珊瑚の傍ら、
「こんなにはっきり見えるものなのね……あ、薄れてきたかしら」
「た、食べ、終わった……! 写真、撮る……!」
 そう笑いながら、ふたりの娘も遥かなる青に描かれる天橋を仰ぐ。
 ――ああ、納得だ。
(これだけ妖精が居るのなら、そりゃあ奇跡のひとつも起こるだろう)
 ひとつ笑みを深め、ファインダー越しに|3人《妖精たち》を映して静かにシャッターを切る巽に気づいた珊瑚もまた、微笑みを湛えたままに虹を見送る。

 心に浮かぶ、ちいさな祈り。
 ――この人たちの心にも、この光景が残りますように。

 いつまでも――きっと、ずっと。

ネリー・トロイメライ
ソフィア・テレーゼ
ミューレン・ラダー

 遠く、遠く。
 山の稜線へと旅立つように、初夏の風が吹き抜けた。空からの雫も連れてきたそれはさらりと爽やかで、淡く雨と花の匂いを運んでくる。
「暑くないし、雨でも寒くない! 面白いお天気!」
 大好きな|永和《拾い主》と暮らす√EDENでは、今の時期の雨というとじっとり湿気を孕んで暑苦しいけれど、からりとした風に乗って舞う雨粒は心地良くて、ミューレン・ラダー(ご機嫌日和・h07427)は両手をいっぱいに広げて雨を受け止めた。
「そうね。お天気なのに雨って不思議……こういう雨なら、濡れても気にならないわ」
「ええ、本当に。雨でも人気が多いのは、この雨が神の御業と親しまれているからでしょうか」
 ぱたたたっ、ぴちゃん。葉や花弁や、白く続く石畳に落ちた水滴がちいさな音を零すたび、形の良い耳をぴくりと揺らすネリー・トロイメライ(|音彩を綴る者《メロディテラー》・h07666)へと、ソフィア・テレーゼ(J-WL-P161164・h00112)も静かに頷く。
「ふたりは人ごみだいじょうぶ?」
「人込みは平気よ! 折角だから色々見ましょう。――そうだわ。迷子にならないように、お手々を繋ぐ?」
「お手々を繋ぐのいいね!」
「人混みは不慣れですので、そうしていただけると心強いです」
 閃きと同時にぴこん! と耳を立てたネリーに続き、その素敵な提案にミューレンも揃って耳を立てた。葡萄石色の双眸に微かな不安を滲ませるソフィアの左右から、その手を柔く握る。
 自分よりもほんのすこしちいさな手から伝わる、あたたかなぬくもり。
「ありがとうございます……はぐれないようにお供いたします」
 そう言って、ソフィアは安堵を湛えた眸を淡く細めた。

 よほど村人たちはこの神の涙花を待ちわびていたのだろう。
 山間のこぢんまりとした村だということを忘れるほどに、リュースエルヴ村全体が祭のように賑わっていた。一等店の集った広場を中心に、四方へと走る路沿いにも、花壇や露花氷の店、花屋根やフラワーアーチが並んでいる。
 そして、こんなにも店々があるというのに、傘屋はひとつもなかった。
 確かに、今まさに娘たちが目移りするままに歩いていても、肌に落ちた雨はさらりと零れ落ち、服の布へと染みた滴も気持ちの良い風がすぐに乾かしてくれる。
 絶え間なく降り続ける涙はきっと、嬉し涙。だから陽を映して、こんなにも燦めいているのだろう。
 あちらこちらから聞こえてくる人々の笑み声や賑わいに、ネリーとミューレンのお耳もぴこぴこ。
「全部見たいけど、戻れる自信がないにゃ」
「まずは、一番お店が揃っていそうな広場から巡ってみてはどうでしょう」
「そうね。なら、あの店なんてどうかしら」
 そう目に留まった1軒へと訪れてみれば、隣のお店も気になって。ついつい横にスライドしながら、気づけばぐるりと広場の店々を一通り見終えて、それぞれの選んだ露花氷を手に、三人娘は幸せそうに花笑みを浮かべる。
「さてと、空いている花屋根は……と。どの屋根の花も壮観ね」
「この広場だけでもたくさん……! 屋根になるお花って沢山あるんだね」
「そうですね。花壇もありましたし、自分が選んだフレーバーのお花を探してみるのも良いやも」
「それも素敵! ――あっ、あの紫色のお花はハーブティーで見たことある」
 見知った|彩《いろ》をみつけたミューレンの尾が、ぱたぱたと歓びに揺れる。新緑の葉を美しく飾る、まるで蒼い蝶を思わせる愛らしいフォルム。後でお土産に買おっと、と新たな愉しみにご機嫌に笑う。
「あのお花、お茶にもなるのね。不思議……。ソフィアさんのフレーバーは、ネモフィラよね? お空みたいな青の、あのお花?」
「はい。薄青の……春に咲き誇る姿は、まさに空との境界線も分からなくなるほどで綺麗なんです」
「√EDENでも見られるかな? ――あれ……?」
 ふと優しく鼻先を掠めた香りに、ミューレンがぴたりと脚を止めた。
「なんかすっごく甘くて、でも爽やかな匂いがする」
「あ、このお星様みたいな白のお花じゃないかしら? いい香りがするの」
 ここはどう? とネリーの提案には、もちろんふたりも大賛成! そっと屋根下へと入れば、そこにあるのは、見目も涼しげなスタージャスミンと揃いの、白木で作られた4人掛けのガーデンテーブル。早速座って、それぞれの選んだとっておきの露花氷を味わい始める。
「んんっ! ライチの果汁たっぷりで、甘くて爽やかなの美味しい! 金木犀がふわって香るのもたまらないにゃー」
「そう言えばミューちゃん、黒蜜と悩んでたのよね」
「うん。でも、味がつよつよだから旅団おうちでのかき氷フレーバーに取って置こ! って思って」
「それは素敵ですね。和風のかき氷もお好きな方多いですし」
「ふふ。黒蜜のとろりとした甘さ、格別だものね」
 ネリーの言葉に頷きながら、ソフィアは期待を胸に一匙を口へと運んだ。レモンの爽やかな酸味が、ふわふわに削られた天然氷と混ざってさらりと舌の上で溶けてゆく。後に残る、ネモフィラの澄んだ甘い花の香にひたり終えたころ、興味津々なミューレンの眼差しに気づいた。
「ソフィアちゃんのは、氷がさっぱりでネモフィラが甘いのかにゃ?」
「皆さま、一口食べてみませんか?」
「ありがとう。ミューちゃん、ソフィアちゃん、私のもよければどうぞ! 交換こしましょ!」
「わーい! みんなで一匙ずつ交換しよう!」
 幸せをお裾分けしながら絶え間なく続く、朗らかな笑み声。
 花屋根の葉と花弁のうえで躍った幾つもの雫がそれに混じり、心地良い響きを奏でてゆく。
「ネリーちゃんのは、氷が甘めでフレーバーがさっぱりだね」
「でしょう? 氷蜜の白桃に梅の香りを組み合わせたから、爽やかだけどとろんと甘いのよ」
「まさに、今の時期にぴったりですね。ほかにもまだまだ、素敵な組み合わせがありそうです」
「食べ終わったらまた、探しに行ってみる? お花見るだけでも愉しそうだにゃー」
「ネリーさんの見つけたこの花屋根のお花も、さっきミューさんが見つけたお花もとても綺麗でしたしね」
「そうね。まだまだ時間はあるし……もし虹が見られたら、更に素敵じゃない?」
 ふと過ぎった可能性をネリーが口にすれば、ミューレンの尻尾も一層ぱたぱた揺らめいて、
「雨降り中でも虹は出るの? 帰る前に見られたらいいなー」
「雨の日に虹を見れると幸運が訪れるとか……あ、」
 視界の端に映った七色に、真っ先に気づいたソフィアが花影から空を仰げば、ネリーとミューレンからも歓声が沸く。

 夏の訪れを告げる空色に描かれた、なによりも華やかな自然のアーチ。
 ――これは良い思い出になりますね。
 眸燦めかせて眺める友人たちの横顔と一緒に、ソフィアはその鮮やかな景色を大切に裡へと留めた。

茶治・レモン
史記守・陽
緇・カナト

「名物のひとつが露花氷って言うんだね」
 どおりで、こぢんまりとしたこの村の至るところで目にするわけだ――緇・カナト(hellhound・h02325)は、そう心中で独り言ちる。観光客目当てというより、これは完全に“推し活”だろう。村全体の“好き!!!”アピールが半端ない。
「良いねぇ、果実から作られた氷蜜~」
「果実そのままって、すごく贅沢ですね」
「ですよね。果実で作られた氷蜜……! はやく食べてみたいです」
 便利になったそのぶんだけ人工物も溢れている世の中だ。市販の氷蜜では味わえない天然のかき氷に感嘆する史記守・陽(黎明・h04400)に続き、茶治・レモン(魔女代行・h00071)は淡々とした表情ながら期待に満ちた|気配《けわい》を纏っていた。それに気づいたカナトが口端を上げる。
「普通のカキ氷とも違って、なんだか面白そうだよねぇ」
「はい、どんな味なのか気になります。たくさんお店がありますから、あれこれ巡って決めましょうか!」
 賑わいに惹かれるままに、たん、と踏み出したレモンの足許で雨露が弾けた。
 天がもたらす神の涙花は、肌へ、服へと零れるけれど、ふわりと雫をさらった初夏の風が、からり心地の良い大気を運んできてくれる。花が、葉が露を纏って陽に燦めくなか、濡れた石畳にできたちいさな水たまりを避けながら、弾むようなみっつの足音を響かせて辿り着いたのは村一番の大広場だ。
 ぐるり視線を一周して、広場の縁をなぞるように並ぶ露花氷の店々を前にどこへ行くかと悩んでいれば、くい、と陽の服を誰かが引っ張った。
「ん……?」
「おにいさんたち、うちの“ろかごおり”、いかがですかっ」
 そう真剣な眼差しで問いかけてきたのは、ちいさなリスの耳ともふんとした尾を持った獣人の少女だった。レモンより頭ひとつほど低い背丈を見るに、まだ十にも満たない年頃だろうか。すこし大きめのエプロンの胸許にあるワンポイントのシルエットに気づいた陽は、ふと視線を上げた先に同じ形の看板を見つけて合点する。
「お嬢さんは、あちらのお店の店員さんですか?」
 しゃがんで目線の高さを合わせて優しく尋ねれば、
「はっ! なんでわかったんですか!? たんていさんですか!?」
「ふふ、惜しい。おまわりさんです。――どうでしょう、レモンさん、カナトさん。こちらのお店にするのは」
「これもなにかの縁だ。オレは賛成~」
「僕も勿論、構いませんよ。可愛い店員さん、案内してもらっても良いですか?」
「ありがとうございます! こちらですっ!」
 飛びはねん勢いで駆け出す、そのご機嫌に揺れる尾に続いて、大鍋堂の3人も歩き出した。

 白い外壁に青い屋根の愛らしい店先で、木目のカウンターに置かれたメニューを覗き込む。
「僕はやはり、名前からとってレモン……ではなく! 白桃にします。果肉やアイス、ソフトも乗せて……最後にレモンのフレーバーを添えたら完璧です!」
 シキさんとカナトさんは、何の氷蜜にされますか? と隣へと視線を遣れば、
「グレープフルーツにネロリにしてみます。無難ですが、柑橘系同士だったら相性が良さそうですし」
「オレは葡萄味に、菫の花の香り。ひんやり白玉でも添えちゃおうかな」
「カナトさん、ぶどうがお好きですもんね。シキさんはグレープフルーツ! どちらも美味しそうです」
「葡萄、お好きなんですね。白玉の食感も良いアクセントになりそうです」
「シキ君の好みは、柑橘系?」
 そう尋ねるカナトへ、「いえ」と陽が眉尻を下げた。「実は、甘い物はそこまで得意ではないので……初夏らしく、さっぱりとした味わいでと思って」と添えながら、オーダーを続ける。
「トッピングは……レモンやコーヒーゼリーがあったらのせてみたいな。あ、レモンさんものせますか?」
「あっ、僕も乗せて良いですか? カナトさんのにも乗せましょうか、乗せますね、乗せました!」
「ねぇオレの意志は?? 承諾は???」
 なんて言いつつも、割となんでも愉しめるのが特技のようなものだから。真っ先にくつくつと笑みを洩らし始めたカナトに続き、ふたつの笑み声も重なって。そのままリスの看板娘に見送られながら店を後にした3人は、きょろりと視線巡らせ花屋根を探す。
「さてと、どこにしようか」
「花のことなんてあまり普段意識しないからな……花屋根に咲く花の名前も、どれがなんだか……」
 言いながらあたりを見渡せば、雨になお鮮やかな花の|彩《いろ》。この機にいろんな花の名を覚えていきたい。もしかしたら、仕事の役に立つかもしれない――そんな願いにも似た想いが陽の胸を過ぎる。
「僕も花は好きですけど、詳しくはないんですよね……あっ! あれは知ってます! スタージャスミン!」
「なるほど、あれがスタージャスミン。メモしておこう」
「宜しければ、あちらの緑廊でいかがです?」
 レモンからのそんな素敵な提案を、断る理由なんて欠片もない。
 ちょっと一息雨宿り、と花屋根の下に並んだ白いピール編みの籐椅子へと腰かければ、濃く甘く、けれど爽やかな香りに包まれる。
「では早速……いただきます!」
 さくりと入れた匙でちいさな山をすくってぱくりと食めば、忽ちひんやりとした食感がレモンの裡へと染み渡った。アイスクリームとソフトクリーム、2種の異なる贅沢な甘さへ白桃の上品な風味も加わり、レモンの爽やかな香りがすうっと鼻孔を抜けてゆく。
「美味しそうに食べるねぇ。レモン君は白くて甘いもの好きそうな印象あったけど、白桃とレモンの香りは爽やか雰囲気もしていそうな」
「それ! それですよカナトさん。僕の選択に間違いはありませんでした」
 どこか得意気なレモンにくすりと微笑むと、カナトも手許の硝子皿から一匙取った。その姿のように仄かに甘く香る菫に続いて、口いっぱいに満ちる芳潤な葡萄の味。程良い酸味の混じる甘さに、天然氷に包まれひんやりもちもちな白玉の食感がたまらない。
「これこれ! ワインや砂糖漬けとはまた違った味わいで楽しい~」
「そういえば、菫の香りってどんな香りなんでしょう?」
 ふと零した陽へと、カナトが自身の器を差し出してみれば、漂う軽やかな甘い花の香り。ひとつ礼を添えた陽も、己が露花氷の硝子皿をふたりへと向けてみる。
「グレープフルーツにネロリの香り……! なんとなくお日様とか柑橘系イメージあったなぁ」
「こちらも、初夏の爽やかさがあって良いですね」
「うん。レモン君のもシキ君のも、どっちも夏を涼しく過ごせそう。――ちなみに、ふたりが選んだのは好きなフルーツや花の香りだったり?」
 陽と雨を浴びて次々に咲き綻ぶ花のように、話題に尽きることなく咲き続ける会話の花。
 互いの好きなものを知って、お裾分けして。ちらり視界に入ったスタージャスミンの白へと、カナトが眼を細めた。
 雨に濡れる花弁。
 ふうわりと香る、雨と花の柔らかな香。
 ちいさく耀く幾つもの雫が、さらりと吹いた風に乗って、味わいきれぬ佳景に眩いまでのひかりを鏤めていった。

七・ザネリ
ジャン・ローデンバーグ

 冒険王国『|カトルヴェア《四季の夢》』――その王都で買い求めた地図上でしか知らなかったリュースエルヴ村は、山の谷間に広がる長閑な場所だった。
 農業や牧畜の区画の間を走る白い石畳の両脇には野の花が咲き、緩やかなカーブを描きながら村のなかへと続いている。
「あとはこの路を真っ直ぐだな」
 防水の魔法を施した地図へと落としていた視線を上げると、ジャン・ローデンバーグ(裸の王冠・h02072)はちいさく口角を上げた。
 こうしている最中にも天気雨は降り続き、陽を映して燦めく雫が、地図のうえを滑りながら端へと零れていく。水気を孕みながらも、肌を撫ぜて吹き抜ける風はからりと軽く涼やかだ。
「それにしても、ザネリ。お前も偶にはこういうお洒落スポットが気になる……いや、分かった。どーせ気になるのは露花氷だろ」
 云って、傍らを歩くひょろりと長身の男――七・ザネリ(夜探し・h01301)へと半眼を向ければ、絶望的な甘党たる当の本人は僅かな間をおいて薄笑いを浮かべる。
「……ガキが喜びそうだろ。お前こそ、準備万端じゃねえか」
 まるで裡を覗かれたように言い当てられた心境を、素直に認めるのはどうにも癪で。大人は難しい生き物だからな、なんて脳裏で呟いているのすらお見通しなのかどうか、さして気にした様子もないジャンは地図を畳みながらザネリを見上げた。
「じゃあ、おいしー店を探そうぜ」
「ひひ、店選びは重要だ。道案内は任せたぞ、航海士殿」
「ハイハイ、王様兼天才航海士に任せて」

 ほどなくして到着した村の、その中心にある広場へと向かうと、再びジャンは地図を広げた。裏面にある、詳細な店舗紹介――名づけて“露花氷攻略マップ”をじっくりと読む。
 その傍らで、ザネリはぐるりと周囲を見遣る。あちらを見てもこちらを見ても、露花氷の店ばかり。文具や野菜のシルエットを象ったアイアンプレートを店先に吊り下げている様子を見るに、どうやら普段は違う品を扱う店まで露花氷を扱っているらしい。
「神の涙花ってのは、余程重宝されてるみてえだな……」
「ここが広場だから……なるほど。ザネリ、この奥の店が甘さ強めで美味しいって!」
「――お、良くやった。褒めてやる」
 そうして訪れた店は、白壁を花蔦が彩る一軒家だった。大きく開かれた窓から迫り出したカウンターの脇にメニューがあり、目敏くそれを見つけたザネリが早速眺め始める。
「想像以上に種類があるな……3つくらい食えるか……? ……いや、あの頭痛に勝てる気がしねえな……」
「こんなにあるとは……葡萄だけでも3種類あるのか……フレーバーは……わ、もっとあるぞ……」
 互いに中折のメニューを――途中で、店先にあった椅子を借りて座りながら――吟味すること暫し。先に立ち上がったジャンが、「じゃあ、味がマスカット。フレーバーはスズラン。練乳付きで!」と注文した。晴れ晴れとした顔で椅子へと戻ると、背を丸めてまだメニューを凝視するザネリに、ひとつ嘆息する。
「ザネリ。まだかかる――」
「――よし。店主! 注文だ。西瓜に、フレーバーはジャスミンを」
 そんな、いつもの無愛想のなかにどこか熱を孕んだ男の声に、「あいよ!」と闊達な親父の声が店奥から返った。

「よしザネリ、景色いいとこで食べるぞ!」
「どこも似たようなもんだろ。さっさと決め――」
「……あ。あそこのベンチ空いてる。あっち!」
 広場を背にすこし歩いた先、ちょっとした高台にある花屋根を見つけたジャンは、零さぬように花型の硝子の器を持ちながら足早に歩く。仕方ないと言いたげな顔でそれに続くザネリは、先に到着して座っていたジャンの隣へ気怠げに腰を下ろした。
「雨が降ってるからか? 枝垂れた花からも良い香りがするな。見晴らしが良くて、青空も綺麗で……」
「さて。花より団子だ、ジャン。溶ける前に食うぞ」
「……まったく。お前は情緒がないな……」
 呆れ顔で傍らを一瞥してから、手許の露花氷をそっと匙ですくう。
 ほんのりと淡い緑に染まる天然氷をしゃくりと食めば、忽ちふわりと爽やかで愛らしい甘い芳香が鼻腔を擽った。
「! これ美味しい! 匂いが良いな!?」
 それと近しい、けれど深い甘味をもたらすマスカットの氷蜜はちいさな果肉入りで、食べているうちに薄れてしまいかねないそれらの味を、上質な練乳の甘さが最後まで引き立てていた。心が求めるままに幾度も匙をすくっては、ふわふわに削られ淡く雪のように溶けてゆく天然氷の舌触りと、氷蜜の甘さを満喫する。
「ザネリのほうはどうだ? 西瓜とジャスミンだったよな?」
「……やはり俺の選択は間違っていなかった……」
 云いながら、男は再び匙を口許へと運んだ。ジューシーで濃厚な西瓜の甘さをたっぷりと含んだ、ひんやりと柔らかな天然氷が舌のうえで解けてゆくたびに、濃密なジャスミンの甘い香りが鼻を抜けながら極上の余韻を残してゆく。暫く食べ進めれば再び氷蜜の層が現れて、下層にいくほどに一層濃く深い甘味が愉しめることに気づいたザネリは、歓喜に心を震わせた。
「美味い……コレ、如何にかして、持ち帰れねえか? 花の香りが良い仕事をする……」
「シロップなら持って帰れるんだけどなあ、これが魔法の力か?」
「かもしれねえな。――っと、一口貰い。ん、うめー」
「……あ! こら! 子供みたいなことすんな! お前のも一口寄越せ!」
「ひひ、仕方ねえから食わしてやるか」
 にまりと唇で弧を描いた男が、傍らへと器を向ける。
 そこからすくった一匙を、美味しそうに食む少年を横目に――ザネリはひとつ、幸福に染む息を零すのだった。

櫻・舞
氷薙月・静琉

 からころと下駄の音を響かせながら、白い石畳をふたり往く。
「神の涙花……か。陽に燦く天粒の神秘性を言い得て妙だな」
「はい! そうですね。雨は、私や皆様にとって大変な恵みです!」
 云って空を仰ぎ見た櫻・舞(桃櫻・h07474)の頬に、止め処なく降る雫のひとつが音無く落ちた。
 ふわりと吹いた初夏の風は軽やかで、天からはらはらと零れる雨露を舞い上げては、陽の耀きを鏤めながら山間を駆け抜ける。空はどこまでも蒼く、時折、細く澄んだ鳥の聲が染みるように響いては消えてゆく。
 他愛もない言葉を交しながら、気づけば不思議と歩きやすくて、舞は隣をちらりと見遣る。
(……きっと、歩幅を合わせ下さっているのだわ)
 見知らぬ場所故、迷子にならぬようにと懸命に――小柄で和服故に、ちょこちょこと――歩いていたのだけれど、逆に気を遣わせてしまっていたのかと申し訳なく思いながらも、ちいさな嬉しさも滲む。
 それを知らぬまま、歩調を合わせる静琉の裡に過ぎるのは、これまで過ごしてきた刻の長さだった。
 とうに数えることを止めたほどの永きを独りでいたためか、誰かと肩を並べて歩く感覚がひどく懐かしい。昔は普通にできていたことなのに、今日とてもう随分とこうして歩いているのに、不思議と未だ慣れる気配がない。

 そうしているうちに、気づけば村の広場へと着いていた。一層賑やかな人々の声が、花の香に混ざって響いている。
 あちらのお店は如何でしょうか、と遠慮がちに云った舞に倣って視線を向ければ、広場の一角に白い小花の散る花屋根を擁した店があった。近づけばふうわりと漂うスタージャスミンの香りに、舞の口許が自然と緩んだ。
「そろそろ実体化しておくか……っ、……」
「大丈夫ですか、静琉様!」
「気にするな……大丈夫だ」
 痛みを堪えるかのように柳眉を寄せる静琉へと、慌てて寄り添う舞。けれど気丈にも向けられる微笑みを前にしては、どうにも静琉に甘えてしまう。
「それより、露花氷を注文しよう。舞は、何にするんだ?」
「はい! 注文ですか?」
「俺は……生憎、花にはあまり詳しくない。――店主。酸味が控えめで、甘いものを頼む」
「私も、花は桜しか知らなくて……でも、折角なので違うお花をお任せで。フルーツ? は……では、桃を」
 桜色の艶やかな果実を想い描きながら、そわりと胸高鳴らせて注文を終えると、暫くして花の形を模した硝子皿に盛られた天然氷が運ばれてきた。ひとつずつを盆に載せ、ふたりはスタージャスミンの花屋根の下にある白木のベンチに腰を下ろす。
「さあ、溶ける前に……いただきます」
「はい! ――頂きます」
「んむ……美味い。店主は確か、マンゴーの氷蜜と云っていたな。香りは……蝋梅だったか」
 匙を運ぶたびに鼻腔を擽る、ふくよかで甘い芳香。それとともに口いっぱいに広がるとろりとしたマンゴーの甘味は、ひんやりと柔らかな氷が舌の上で蕩けたあとも確りとした満足感を残してくれる。
「私のも、ひんやりと甘いくて美味しいです」
 つるりと喉越しの良い桃の果肉を食むたびに、上品な甘味が舌へと染みてゆく。沈丁花という花だと教えてもらった芳香は優雅で甘く、けれど新緑のような爽やかさもあって、不思議と心が穏やかな心地だ。
(……まるで、静琉様といるときのよう……)
 自我が芽生える前も後も、屋敷から出たことのなかった私を、これまでに幾度も外へと連れ出してくれた優しいお方。
 世界はこんなにも色づき、優しくあたたかいのだと教えてくれた。生を受けた意味を、存在する理由を知らぬ私を、いつだって導いてくれた。
 一緒にいるだけで幸せで、穏やかな気持ちをもたらしてくれる。
「舞……俺のも食ってみるといい」
「あっ、はい! では、お言葉に甘えて……はぅ、美味しいです」
 眦を緩めながら頬張った娘は、「こちらも一口どうぞ」と器を向けた。勧められるがままに一匙すくって、静かに食めば、優しい甘さがじんわりと裡に広がり染みてゆく。
 ――彼女は、神の類だ。
 神子だからこそ容易く察することのできるその事実を、純粋に、幸せそうに微笑む娘は、まだ知らない。
 幾度となく問いかけては、未だ答えの出ぬ問いかけが裡を過ぎる。

 この出逢いになにか意味があるのならば――俺に、何ができるだろう。

リカ・ルノヴァ

 ひかりを纏って、ぱらぱらと舞うように降る雨は不思議と心地良くて、店々の並ぶ白い石畳をゆくリカ・ルノヴァ(Bezaubert・h00753)の足取りも軽やかに弾む。
「かき氷♪ かき氷♪」
 露花氷なんてとびきりの話を聞いたのなら、もうじっとしてはいられない。
 数多の氷蜜とフレーバーが生み出す無限の“おいしい”に胸躍らせながら唄を口ずさむ娘の頬を、からりとした風が吹き抜けた。夏の訪れを告げるような鮮やかな青空から零れ続けるちいさな雨粒たちは、ふわりと舞い上がり世界へとひかりを鏤めていく。
 人々の賑わいに惹かれるまま歩を進めた先、ぱっと目についたのは華やかに|緑廊《パーゴラ》を彩る白い花たちだった。雨の|気配《けわい》に混じる甘やかな香りにつられて、リカはその花屋根を擁する露花氷の店へと吸い込まれる。
「満開のお花って可愛いね。真っ白! なんて名前のお花かな?」
「おやお嬢さん。うちの花に気づくとはお目が高いね。あれは“定家葛”っていう花さ」
 香りが似ているから、よくジャスミンと間違われることもあるのだと添えた店主は、快活な笑み声を響かせた。聞けば、花の手入れも彼がやっているらしい。代々露花氷の店をやっているというから、恰幅の良い見目ながらも意外と繊細な仕事が向いているのかもしれない。
「さて、オーダーは決まってるかい?」
「勿論だよ! ――桃のかき氷あるかな! 僕の今日の気分は桃なんだ!」
「ああ、あるとも。フレーバーはなににする?」
「お花の香り? じゃあ、それはお任せするよ」
 花ならばきっと、そちらもさぞ甘やかなのだろう。けれど、甘さならば桃だって負けてはいまい。そのふたつが、氷を介して混ざり合う――こうして考えているだけでも、わくわくそわそわと落ち着かない。

 店主おすすめの、空がよく見える一等席に座って待つこと数分。
 運ばれてきた露花氷を前に、リカは一層眸を燦めかせた。
「キラキラでとっても綺麗! あ、この硝子の器もお花の形だ……!」
 ぱたたん、とととん。葉や花びらを叩く、どこか愉しげな滴の音色に包まれて、待ちに待った一匙をすくい――早速いただきます!
「うんま~! しあわせ~! さわやかあま~い!」
 まずは、たっぷりと掛けられた氷蜜だけを食んでみれば、その濃厚な甘さとつるりとした食感に忽ち頬が緩んでしまう。
 次いで氷と混ぜて2口目をぱくり!
 ふんわりと刻まれた天然氷はそれだけでも仄かに甘く、桃の果肉や風味と合わさることで、ひんやりしゃくしゃくとした舌触りと甘味を存分に愉しませてくれる。氷と合わさることで程良く冷やされるからだろう、一層瑞々しさを増した桃をカモミールの華やかな香りが包み込み、“美味しい”を幾ら云っても足りないほど。
「桃氷! 最高……!! おかわりしてこよ!」
 匙を繰る手が止まらずに、気づけば空になっていた器を手に、リカは再びカウンターへと赴いた。同じものを注文したのち、はたと思いつく。
「そうだ、果物だけならもって帰れないかな……おみせのひとー!」
「おう、どうしたお嬢さん。追加注文かい?」
「僕の友達ペットにもこの美味しい桃を食べさせてあげたいんだけど、お持ち帰りってできませんか?」
 そう、駄目元いっぱい、期待をほんのり孕んだ青い双眸を向ければ、店主も快諾しながらサムズアップ!
「何個ありゃいい?」
「んー……いっぱい!」
「ははは、いっぱいか! よし、うちの店の一番デカい袋にたくさん詰めとくから、お嬢さんはゆっくり食べてな」
「ありがとー!」
 軽やかにひとつ跳ねながら席へと戻ったリカは、そうして2杯目の露花氷一匙食んで。
 また、幸せ色の笑みを零すのだった。

空沢・黒曜

 風が、ゆるやかに抜けていった。
 空沢・黒曜(輪る平坦な現在・h00050)の毛並みに触れたのは、濡れていながらもからりと乾いた、初夏特有の軽い空気。肩に一滴、また一滴、舞い落ちた雨粒がひかりを纏って弾けていく。
 空を仰げば、山の稜線の向こうに広がる薄青を深めゆく空。なのに、止め処なくほろほろと雫はこぼれてくる。神の涙花――この村の人々がそう呼ぶそれは、なるほどふしぎと肌に優しく、軽やかな雨だった。
「まさに、今の時期にはちょうどいい場所だね」
 ぽつ、ぽつりと石畳に咲く水の紋。歩くたび、足許から小さな音が浮かんでは消えていく。通り沿いの|緑廊《パーゴラ》に蔓を伸ばすブーゲンビリアの花が、雨露をまとって鮮やかに咲いていた。軒先をひとつ借りるようにして腰を下ろせば、屋根の縁からきらりと一筋、ひかりの弧を描いて雫が足許へと落ちた。
 手にした花型の硝子皿にふんわりと盛られた天然氷へと掛かるのは、桃色の氷蜜。選んだフレーバーは、字面でなんとなく気に入ったものだった。
 匂いがわからないのは、もうずっと前からのこと。けれど、それを惜しむ気持ちは不思議と湧かない。目に見えるもの、肌に感じるもの、舌に広がる味。そういうものをひとつひとつ、丁寧に拾っていけばいいだけの話だ。
 一口。氷の冷たさが、舌に触れた瞬間に甘さへと変わる。
 ふた口目には、ほんの少しだけ果実の丸みが舌にほどけた。さく、しゃり、と静かな音とともに、喉の奥へと、染みてゆく甘味。頭が冴えるほどの冷たさではなく、暑さをほどよく引かせてくれる、ちょうどいい涼。星屑のような燦めきを食んでいると、どこかあのちいさなひかりを味わっている気にさえなってくる。
「……うん、美味しい」
 視線を少しだけ上げた先で、ブーゲンビリアの花々が風に揺れていた。雫をまとった花びらが、陽のひかりを受けて淡く輝く。耳に届くのは、雨の落ちる音ばかり。しんとした静けさのなかに、音がふわりと滲む。さざめく葉、はずむ水、どこか遠くで響いた鳥の聲――すべてがこの村のひとときなのだと思う。
 剣も鎚も、ツルハシも握らずに、ただ、雨の下で甘味を食べる――たまには、こんな贅沢な過ごし方も良いものだ。

 天気雨はまだ止みそうにないけれど、それもまた、この風景のかけらとして。
 ダンジョンへと続く路は、もうすこしだけ先に延ばしてもいい気がした。

アニス・ルヴェリエ

 空はこんなにも晴れ渡っているのに、けれど雫は今もまだ降り続いていた。
 柔らかく、不思議と軽やかに――まるで空のどこかで誰かが、摘みたての雫を手のひらからこぼしているような天気雨のなかを、アニス・ルヴェリエ(夢見る調香師・h01122)はお気に入りの傘を傾けてゆっくりと歩く。開いた傘へと落ちた雫が、ととん、たたん、と布地にあたってノックする。
「初めて来たけれど素敵な村ね」
 視線の先では、葉が、花が柔らかに濡れ、雨粒がひとしずく、花弁を伝ってまたひとつ石畳へと滑り落ちた。
 傘越しに見える空は、淡く透けた青。せっかく出かけるならば晴れているほうが好きだけれど、まさに神の御業といえる自然の素晴らしさが、アニスの裡を静かに満たす。
 鼻腔をくすぐるのは、濡れた草の匂い。そして雨に触れて立ちのぼる、初夏の大地の|気配《けわい》。
「この匂い……ちょっと土っぽくて、でも青くて……うん、覚えておこう」
 そうしてぶらりと散策して、お目当ての露花氷も手にすれば、ふわりと口許に笑みが浮かぶ。

 スタージャスミンが枝垂れる花屋根のもとへと足を運び、ひとつ息を吐く。風に揺れた白い花びらが、露に燦めきながらそっと白木のベンチを彩った。
 硝子の器に盛られた天然氷へと、淡い黄緑と白の涼やかな層を描く氷蜜。ひとひら、飾りのように添えられたミントの葉も愛らしい。
 露花氷――名を呼ぶだけで甘やかな冷たさが胸にほどけるようで、アニスは目を輝かせて花型の硝子皿を手に取った。キウイの氷蜜にミントの香り。澄んだ季節にふさわしい、さっぱりと爽やかな組み合わせだ。
「待ちに待ったお楽しみ……ふふ、いただきます」
 スプーンを差し入れて、ひと口。
 しゃり、と舌に触れた氷が、すぐさま甘酸っぱさを帯びてとろけていった。キウイの清涼な果実感が喉の奥をやさしく撫でたあと、ふわりと広がったミントが涼を残したまま消えていく。
 陽を含んで煌めいて、まるで香水瓶を透かしたような優しいひかりの粒が、空から絶え間なく舞い落ちる。雨音を響かせながら、スタージャスミンの花もまた、露をうけて香り立つ。細く清らかで、雨を孕んだまろやかな匂い。
「この香り……新作香水のインスピレーションが湧いてきそうだわ!」
 もうひと口、氷をすくって頬張る。冷たさが舌をくすぐり、胸の奥でゆっくりと花が咲くように味が広がってゆく。
 穏やかな風が吹く。雨と、花と、氷蜜と――いくつもの香りが重なって、ひとつの風景となる。
 雨の日も、悪くない。
 むしろ、こんなにも多くの香りと、静かな時間に出逢えるのなら。
「……ふふ、なんて贅沢なひとときかしら」
 アニスはちいさく口許を綻ばせながら、硝子の器を静かに傾けた。

シュネー・リースリング

 耳へと響く、レースの日傘を優しく叩く雨音を愉しみながら、シュネー・リースリング(受付の可愛いお姉さん・h06135)はしとやかに足を運ぶ。
 白いレースをあしらったサマードレスの裾が陽に透けてやわらかに揺れ、ふわりと吹き抜けた風に舞い上がった雫が、キャミソールから出た白腕を伝い零れてゆく。日傘の裡は薄く金を帯び、その燦めきに紫の双眸を薄く細める。
「さてと。どのお店にしようかしら――あら、」
 白い石畳沿いに咲きこぼれるテイカカズラの|緑廊《パーゴラ》。その陰に飾られていたスイーツ屋台のひとつに目をとめ、シュネーはするりとそちらへ足を向けた。

 村の名物スイーツたる『露花氷』を見た瞬間から、娘はあるひとつの可能性に気づいていた。
 ――これはもっと可愛くできる、と。
 そうしてメニューに並ぶ文字を一通り追うと、さらさらと淀みなくオーダーを告げて。期待以上の見栄えに仕上がった一品を手に、胸躍らせながら――けれどあくまでも仕草は楚々と、シュネーはテイカカズラの花屋根を潜った。崩れぬようにそうっと露花氷をテーブルへと置くと、自身も白木の椅子へと腰を下ろす。
 透明の花型の器に美しく盛られたのは、果実と花を閉じ込めた“露花氷のフロート仕立て”。紫の葡萄の氷蜜をベースに、上には白桃のジェラートとラベンダーの砂糖漬け、仕上げに練乳をふんわりと注ぎ、パステルカラーのおいりを散らした贅沢な一品。見目が華やかだから、フレーバーはくどくならないよう、トッピングにも使ったラベンダーの香りを選んだ。
「ん~~……最高に可愛いわ……!」
 歓喜に胸を震わせながら、スマートフォンを取り出し、カメラアプリを立ち上げる。光源の角度、露花氷の向き、背景の風景――すべてが完璧な構図になるまで微調整を重ねて数枚写真に収めたら、お待ちかねのひとときだ。
「崩すのは勿体ないけど……でも、溶けちゃうのはもっと勿体ないし。ふふ、いただきます」
 ふわりと鼻先に触れる、優しいラベンダーの香り。一匙すくえば、ひんやりとした氷蜜が舌に乗り、桃の柔らかな甘みに続き、それよりも濃く甘やかな葡萄と白桃の風味が広がってゆく。氷に混じり薄まりそうな味に練乳がほどけて、最後まで幸せな甘さが裡に残る。
 ふと外を見遣れば、軒先の枝垂れた葉先から零れたひとしずくが、白い石畳にちいさな光の輪を描いた。風がそよぎ、ちいさく柔らかな花の香が胸を満たしていく。
 ――こんな穏やかな昼下がりが、きっと世界にはもっと必要よね。
 たとえ闘いがなくならずとも。哀しみが消えることがなくても。こうして笑って過ごせる刻の大切さを、シュネーもまた、知っている。

 露花氷に煌めく雫のパウダーが、ほんのりと光に透ける。
 ゆっくりとしたこのひとときを彩る雨音は、しばらくの間続いていた。

ベルナデッタ・ドラクロワ
廻里・りり

 村のなかを抜けてゆく白い石畳を往けば、広場の賑わいが近づいてきた。
 あたりに満ちた、濡れた花の香を仄かに含んだ雨の匂いにつられて、ひとつ深く呼吸する。からりと心地良い風に混じる、ひんやりと微かに甘い空気が、どこか夏の入口を思わせて、ベルナデッタ・ドラクロワ(今際無きパルロン・h03161)と廻里・りり(綴・h01760)の口許もふわり綻ぶ。
 家々の庭や花屋根を飾る、新緑や花びらへと零れては消えてゆく雨露たち。躍るように軽やかに弾ける様はどこか眩くて、ふと細めた眸をゆるり映せば、あちらこちらの花屋根でくつろぐ人々の手に彩り華やかな露花氷が見えた。
「あれが露花氷……というの。まるで雫が星みたいね」
「とってもきらきらできれい。お名前もかわいいですよね、露花氷!」
「あら、りりの眼もキラキラ」
 愛らしい様子に、楽しみで仕方がないのね、と笑みを深めたベルナデッタは、「それじゃあ、先に座る場所を決めておきましょ」とひとつ提案を口にする。
 一緒に選ぶのも愉しそうだけれど、折角ならばそれぞれで買い求めてからの見せ合いっこ。
 互いの裡にある、宝物のような“好き”を教え合う――それは娘たちのちいさな内緒話のよう。
「ねえ、あのフラワーアーチの椅子はどう? ブランコみたいで可愛いわ」
 りり、あなたブランコ好きでしょ? と問いかけるも、りりはちょっと思案顔。
「ブランコは好きですしかわいいですけど……こどもっぽいかなって……」
「あら、ワタシも好きなのよ。子供のだけの物じゃないわ。揺れて遊んで、お花に囲まれて甘いものなんて。ね、オトナの遊び方よ」
 そう云って、少女のようなあどけなさを残しながらベルナデッタが淡い薔薇色の双眸を艶やかに細めれば、りりの透いた眸の青が一等大きく見開かれ、期待に染まる。
「おとなの遊びかた……! ここにしましょうっ」
「あら、乗ってくれる? じゃあ、お互い露花氷を持ってここに集合にしましょ」
「わかりました。なにを買ってくるかおたのしみですね?」
 ぴこん! とまあるい耳を立てて、いっぱいに微笑んで。
 ――いってきます!
 天気雨の下、そう云って駆けてゆくりりの足許で、雨粒が星のように燦めきながら弾んだ。

 公園の一角にある白いフラワーアーチへ戻ってふたりで座れば、崩れぬようにと大切に運んできた互いの“一等”のお披露目会の始まりだ。
「ワタシのはスモモの氷蜜にしたの。バラのフーレバーよ。華やかにして貰えたみたい」
「わぁっベルちゃんらしさが出てますね! わたしはパイナップルとジャスミンですっ」
「りりのは、トッピングがたくさん。すごいわ」
「……アイスと白玉だけって思っていたら、種類がいっぱいでまよってしまって……“ここからここまでください”ってしてきました!」
 白玉とパイナップルゼリーが、交互に縁取る硝子皿に、ふんわりと盛られた天然氷。夏の陽の色めく鮮やかなパイナップルの氷蜜にはチョコレートソースで縞が描かれ、カラースプレーが鏤められた柔らかなメレンゲが帽子のように乗り、頂には白と黄のちいさなアイスが並んでいる。
 その圧巻の一品を前に、どこから匙を入れようかと手を彷徨わせるりりにちいさく微笑むと、ベルナデッタは手許の露花氷を一口すくった。華やかな薔薇の香とともに裡に満ちる、爽やかな甘酸っぱさ。果実味がふんだんのスモモの風味は、夏めいてきた気温にひとときの涼を運んでくれる。
「ん、おいしいです。くだもののお味もしっかりしますし、お花の香りでとってもはなやかになりますね。組み合わせによって印象が変わりそう!」
 漸く切り口を決めて口へと運んだりりは、アイスとメレンゲ、氷蜜の、それぞれ違った甘さをいっぱいに堪能していた。どこか南国を思わせる甘味と酸味にチョコレートが加わり、一層味に深みが増しているよう。柔らかく弾力のある白玉と、すぐにほろりと崩れるゼリーの食感もリズミカルで、食めば食むほどに愉しさが増してゆく。
「こんなにおいしいと、ほかのお味も気になっちゃいますね……」
「ふふ、足りないの?」
「……おかわりしてもいいですか?」
 なんて、愛らしく尋ねるりりへと、ベルナデッタも快く頷いて、
「ええ。食べ終えたら買いに行きましょ」
 交したふたつの笑顔が、頬に触れながら渡ってゆく初夏の風に淡く溶けていった。

夜鷹・芥
冬薔薇・律

 ――律、涼みに行かないか? 綺麗な花の氷が食えるらしい。
 そんな夢言葉のような夜鷹・芥(stray・h00864)からの誘いに、冬薔薇・律(銀花・h02767)は嫋やかなる笑みを湛えた。
 ――素敵なお誘いありがとうございます。ぜひご一緒させてくださいまし。
 訪れた村の石畳を漫ろ歩きながら視線を上げると、高らかな空に夏色が広がっていた。
 まだ淡さを残す青から、幾つもの涙がはらはらと零れては燦めきを描く。遠くで鳴く鳥の声に混じり、耳を愉しませてくれる雨音と葉擦れの音。ひとつ腕に触れた雨粒はすぐに風にさらわれ、仄かな花の香を残してゆく。
 村の広場でゆるり辺りを見渡したふたりは、仲の良さそうな夫婦の営む店へと立ち寄った。路に面したカウンターに並び、メニューを覗く。
「氷蜜とフレーバー……洒落てるな。律はどれにする」
「わたくしはお店の方のお勧めをいただこうかしら。――あの、甘いフレーバーの組み合わせをお願いいたします」
「俺は柑橘系があればそれを。店のおすすめも聞いておきたい」
 ふたりの注文に喜んで応えると、夫婦はひとつずつ、花型の硝子皿に盛られた露花氷を手渡した。受け取れば忽ち、ふうわりと花の香が鼻先を擽る。
「――ん? ……ああ、小雨降ってきたな。折角だ、|緑廊《パーゴラ》で食おうか?」
 額の滴を拭いながら傍らへと視線を落とせば、律も柔く眦を緩めて頷いた。店を後にして歩き出した先、雨露を纏い、滴が零れては燦めきを増す花屋根に目が留まる。|緑廊《パーゴラ》を彩る紫のクレマチスへと惹かれるままに近づくにつれ、愈々甘く蕩ける匂いが香ってくる。
 花影へと入り、ひとまず白木のベンチへと硝子皿を置いた芥は、露滴る黒髪を指先で掻き上げた。
「少し濡れたな……律は大丈夫か?」
「ええ。――夜鷹様。どうぞ、このハンカチをお使いくださいまし」
「悪い。使うの勿体ねぇな」
 雨は然程好きではなかった。不快と云っても良いだろう。それが、得意でもない夏に在るなら尚更だ。
 それでも、愉しみをひとつ程度持つのも悪くはない。だからこそ此度、芥は律を誘った。素顔も感情も薄い男ではあるが、誰かと――それが顔なじみなら尚のこと――ともに食するひとときの愉しさは知っていた。
 一息吐きながらベンチへと並んで座ったふたりは、手を添えながら膝に乗せた露花氷へと早速匙を入れてみる。
 ひだまり色の氷蜜から漂うのは、明るく爽やかなネロリの香り。一口含めば、ひんやりとした蜜柑の甘酸っぱさが広がり、ふんわりと柔らかな食感の氷が忽ち舌のうえで溶けてゆく。時折混じる、つるりとした蜜柑ゼリーの喉越しも心地良い。
 無表情ながら静かに舌鼓を打ってた芥は、隣から流れてくる甘やかな芳香に気づいて眸を向けた。
 美味しそうだと感じるのは、その香か、氷菓の見目か、はたまた幸せそうに食むその横顔か。
「……良かったらこっちも食えよ」
「よろしいのですか? でしたらこちらもどうぞ。つい、甘いものを選んでしまったのですが……」
「じゃあ、律のも貰う」
 そう云って互いの一匙を交換した後、律は改めて手許の一山をそっと食んだ。
 真白な氷に掛けられた淡黄は、口に含めば芳醇な甘味をもたらす梨だと分かる。上品な甘味を含んだしゃくしゃくと柔らかな天然氷は忽ちほどけ、甘く艶やかな梔子の香がふうわりと鼻を抜け得も言われぬ満足感を残してゆく。
 鼓を打つような音をまばらに響かせながら、白い石畳へと波紋を描く雨粒たち。
「雨音を聴きながら、お前と美味いもんを楽しめるなら……雨も悪くない」
「わたくしも……雨は嫌いではないのですが、今年はより好きになれそうです」
 男があまり甘いものを好いてはいないことを知る娘は、己がために誘ってくれたその優しさをそっと裡に抱いて。
 ――またお誘いくださいましね、と。
 趣深い雨と露を眺めながら、穏やかな花笑みを浮かべた。

ツェイ・ユン・ルシャーガ
スス・アクタ

 ふと掌を翳してみれば、細い雨がさらりと指の間を抜け、潤んだ匂いだけを残していった。
 どこまでも鮮やかな青を湛えた空からほろほろと毀れては、白い石畳へと波紋を描く幾つもの雫たち。一歩、一歩、靴裏で柔らかくひかりを返しながら、ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)とスス・アクタ(黑狐・h00710)は村の中央へと続く路を往く。
「どうした、スー。ここの話を聞いて、眼を輝かせていたではないか」
「は、はしゃぐほど子供じゃないですよ」
 肩越しに振り返り、すこしだけ後れて着いてくる狐面の少年を見遣ると、どこかぎこちない|気配《けわい》が返ってきた。ふむ、とひとつ息を吐くと、ツェイは再び軽やかに歩き出す。
「仕方なし。ならば、我がお前の分まで燥ぐとしようかのう」
「――って、え?」
 思いも寄らぬ言葉に、つい声が上擦った。愉しいものを愉しいと受け入れる。それを体現されてしまうと、落ち着いているほうが逆に格好悪く思えて、
「わ、わかりましたから待ってください、もう」
 くすり、と微笑んだツェイには気づかぬまま。
 ススはどこか慌てた調子で、けれど確かに歩調を早めてその背を追いかけた。

 辿り着いた広場は、多くの人々で賑わっていた。
 あちらこちらに見える、露花氷の看板。それと同じか、それ以上に溢れている花屋根は雨露が燦めき、山々の緑と空の青が相俟って遠目で見るだけでも美しい。
 目星をつけた店で思い思いの品を買い求めてから再び広場へと戻れば、花壇に咲く色とりどりの花々が、露に映したひかりを鏤めながら風に揺れていた。そのたびにふうわりと漂う花の香に、いよいよツェイの胸も躍り出す。
「ほれ、早う場所を決めねば。溶けて消えてしまうやもしれぬぞ」
「ま、待ってくださいってば」
「ふふふ、楽しまねば損というものよ」
 背丈の差なぞお構いなしにツェイが飄々と軽やかに歩んでゆくものだから、ススは小走りで駆け寄った。初夏になお一層鮮やかな紅に染まる、サンパラソルの花屋根の下に佇むベンチを見つけて、ふたり並んで腰を落とす。
 硝子の中で氷蜜がわずかに溶け、淡く色づいた桃の香りが胸を撫でる。
「さて、スー。いただくとするかの」
 そのまま匙ですくって食み始めたツェイを横目に、ススはそわそわと尾をゆらしながら硝子の器をしばし眺めた。
 景色に揺れる紅の花も、手の裡にある氷も。ふうわりと漂う甘やかな香りさえ、なにもかもがひかりを纏って煌めいて見えて思わず静かに息を飲む。世界はただ静かに揺蕩っていて、それに声という匙を入れてしまうのが勿体ないように思えて、ススはちいさく呟いた。
「……いただきます」
 音無くすくって、口許へと運ぶ。途端、甘く華やかな香りが鼻を抜けて喉を伝った。花には詳しくないのだと告げたススに店主が選んだのは、確かジャスミンのフレーバーだと云っていたか。瑞々しいメロンの氷蜜とともに柔らかな氷は淡雪のように忽ち溶けていってしまうから、匙を動かす手が止められない。
「つめたい。あまい、美味しい……」
「んむ美味い、それに良き香だ」
 花影を透いて届く、薄い陽のひかりに包まれながら味わう露花氷は、儚いながらも凛とした涼を孕んでいて、初夏の熱にあてられた躰をゆっくりと鎮めてくれるよう。
「花に集う蝶にでもなった心地だの」
「そうですね、似てますよ。……ふらふら飛んでて、強風でどっか行きそうなとこ」
「――これ、何ぞ言うたか」
「いえ、なんでもないです」
 知らぬ顔でそんなことを云うススに、ツェイが愉しげに眦を緩ませる。はしゃぐようなことをせぬ子ではあるけれど、どれだけ愉しんでくれているかは、残り僅かとなったその皿を見れば一目で知れた。
「……。えっと、ありがとうございます。つれて、来てくれて」
「ふふふ。お前が気に入ってくれたら、我はそれが一番嬉しいよ」
 狐面の下の貌は見えぬものの、その声色にはどこか火照りが滲んでいて。一層笑みを深めたツェイの眼前をひらりと過ぎった一輪の紅が、氷のうえへと舞い落ちる。
「――おや。向こうから来てくれたようだの」

 世界を彩る、そのひとひらへと笑み零しながら。
 雨を透いて柔く届くひかりが、ふたりの時間へとそっと溶けてゆく。

リュドミーラ・ドラグノフ
ルスラン・ドラグノフ

 足許の白い石畳に、ちいさな水紋が広がった。
 そのすぐ隣に、もうひとつ。重なるように、またひとつ。その連なりを追ううちに、雨が降っているのだと気づく。傘がいらぬほどの、淡く優しい涙の花。
 視線を上げれば、村の屋根越しに遠くの山々が見えた。かすかに青く滲む、緩やかな稜線。呼吸のたびに、雨の匂いと濡れた緑の香がじんわりと裡に染みてゆく。
「露花氷! いいわね! あたしはとにかく真っ赤に染め上げるわ!」
「……」
 今日も太陽のように元気な妹だな、とルスラン・ドラグノフ(лезгинка・h05808)は胸中で独り言ちた。ゴシック風の装いながら、けれど表情は晴天のように明るく、八重歯を覗かせて笑うたびに吸血鬼という肩書きを忘れてしまいそうになる。
「兄さま? その目はなあに? 別に、兄さまのためにトマトのかき氷とか頼まないから安心して!」
「……頼まれても食べないからな、そんなの……」
 訪れた露花氷店の店主を前に、あまり軽妙なやり取りを繰り広げるわけにもいかない。ルスランは手短に自分のぶんをオーダーすると、傍らの妹――リュドミーラ・ドラグノフ(Людмила Драгунова.・h02800)の様子を眺め見る。
「決めたわ! 果物はダークチェリー! 花の香りは赤い薔薇ね!」
「……赤だろうが白だろうが、薔薇の香りは変わらないのでは?」
 あまり軽妙なやり取りを云々、と思った矢先ではなかったか。
 自分へも裡でそんなツッコミをしてしまったけれど、こればかりはもう仕方がない。どこか諦観めいた一瞥を妹へとくれてやると、ルスランはちいさく息を吐いた。

 店を後にした双子は、そのまま村の広場へと脚を向けた。
 雨足はさほど強くないとはいえ、せっかくの露花氷を濡らしてしまっては勿体ない。幸い、花屋根なら視界のなかだけでも幾つもある。どこか屋根の下を拝借しようと、ぐるり視線を巡らせる。
「色々な花屋根があるんだな。……リューダ、好きな花を選んでいいぞ。そこで食べよう」
「なら、あのブーゲンビリアが良いわ!」
 自身が選んでもなにか云いそうだからと妹へと委ねれば、赤を好む妹らしい、予想通りの答えが返ってくる。氷を崩さぬように慎重に歩きながら近づけば、花へと貌を近づけたリュドミーラが小首を傾げた。
「ふうん、ブーゲンビリアって香りがしないわね? ちまたで売ってるブーゲンビリアの香りって何かしら? 謎ね!」
「ブーゲンビリアは、品種によっては甘い香りがするんだよ。基本は無臭だけど」
 香りが混ざってよくわからなくなるよりはいいんじゃないかな、と返しながら、ルスランは花屋根の真下にあった白木のベンチへと座った。それに続いて、リュドミーラも優雅に腰かける。
 初夏の陽に煌めく姿は思わず魅入ってしまうほどだけれど、はたと気づいた娘は上品に匙ですくいはじめた。芳しい薔薇の香とともに、口いっぱいに満ちるダークチェリーの濃厚な甘味と酸味。氷の上だけではなく、その裡にも幾つか入っている果実そのものも、食めばじゅわりと果汁が広がって味に深みを与えてくれる。
 どうやら満足のいく味だった様子の妹をちらりと見ると、ルスランは淡く色づいたクチナシ香の露花氷へと視線を戻した。選んだ氷蜜は無花果。上にはマスカルポーネのクリームが緩くかかり、輪切りの赤い果実が添えられている。
「いいね、うまそうだ」
 程良く熟れた果実を使っているのだろう。酸味よりも甘味の強い上品な味が氷へと蕩け、舌の上でさらりと溶けてゆく。輪切りの果肉の歯応えを愉しみながら、梔子の甘やかな芳香が最後まで余韻を残す。
 無花果が用いられているけど、香りがクチナシなのも不思議だ。この村独自の技法なのかな――なんて巡り始めた思考を、リュドミーラの声が遮った。
「兄さま? 何そのクリーム? 美味しそう!」
「え」
 ずびし! と指さしたかと思えば、間髪を容れずにクリームをちょっと摘まんでぺろり!
「――ん! これはチーズね!」
「おいこら勝手に食べるなって」
「いいじゃない減るものじゃないし!」
「いや、食べたら減るんだよ!」
 ド正論を返しながら、嘆息ひとつ。「あたしのかき氷にも、なにか追加してもらおうかしら? 白玉とか!」と浮き足立つ妹へ、「いいんじゃないか? 旨そうだ」とすべてを受け入れながら。
 ルスランがそっと見上げた先、紅を伝って石畳に落ちた雫が、ちいさな輪を描いては光を散らした。

ルメル・グリザイユ
贄波・絶奈

 雨の|気配《けわい》は、肌が覚えている。
 渓谷に佇むリュースエルヴを、ほんのりと水気を帯びた大気が吹き抜けた。それだけで舞い上がるほどのちいさな雨粒たちに混じる、濡れた草と土の匂い。そこに花の香が加わり始めたことに気づいたルメル・グリザイユ(寂滅を抱く影・h01485)が、つと貌を上げた。
「――ああ、あそこ。店がたくさんあるみたいだよお」
「本当だ。花屋根らしきものもあちこち見えるな」
 男に倣って遠くを見遣った贄波・絶奈(|星寂《せいじゃく》・h00674)が、その赤い双眸を細めた。離れたここからでも分かるのは、ブーゲンビリアやサンパラソルだろうか。夏色を帯び始めた青空に、華やかな赤が良く映えている。
「話に聞いてた通り……いや、それ以上の絶景だ。ここの景色、気になってたんだよね~。今日は付き合ってくれてありがとお」
「こちらこそ、お洒落なお誘いありがと。お洒落ポイントをあげる」
 最近暑いし露花氷が楽しみだね、と続けた矢先、隣から視線を感じてそちらを見れば、愉しげな、そしてどこか意を孕んだルメルの笑みがあった。
「……いや? 花屋根とか噴水とかも、当然楽しみだよ? 私は文化人だからね」
「……ふふ、勿論分かってるよお。絶奈ちゃんの浪漫溢れる物言いには、いつだって心揺さぶられてるんだから」
 まだ肌寒さの残る春先に、いつもよりすこしだけ長く語らったあのときもそうだった。まるで恋人めいたやり取りを交えた娘はもう、“共犯者”と云って良いだろう。上辺だけともまた違う、“ほんとう”を伝えながらも互いの領域は侵さない――そんな関係。
「さ、行こうか。あの嘘劇の続きにね。このひとときを楽しもう」
 そう微かに口端を上げた絶奈へとひとつ笑みを深めると、ルメルは手にした傘のネームバンドを外して広げ、ゆるく傍らへと傾けた。
 たとえ偽りだろうとて、興味深いひとときでもあったことは確かだから。今日もまた、あの続きに興ずるのも愉しそうだ。

 柔く飄々とした足取りのルメルの足許で、ひかりを鏤めながら雨花が咲く。
 幾つもの水の波紋が描かれ、陽に煌めきながら村を過ぎる白い石畳をゆけば、見晴らしの良い円形の広場に出た。中央にある噴水が心地良い音を響かせ、その周囲をぐるりと花屋根や店々が彩っている。視線を先へと遣ると、その奥には公園もあるようだった。
 青い屋根の店が眼に留まり、軒下へと入って。互いに注文した露花氷を受け取ると、ふたたび肩を並べてぶらりと歩き出す。
 路を挟んだ先の公園の一角で、ふとルメルが瞠目した。ジャスミンを思わせる、けれどどこか新緑を孕んだ花の香り。惹かれるままに見遣れば、噴水と、|緑廊《パーゴラ》を柔く包む、定家葛の白が見えた。
「あの花屋根はどお? ベンチもあるし」
「ああ、構わないよ。綺麗な定家葛だ――あ、」
「ん? わあ、青い花がいっぱいだねえ。これは……勿忘草かなあ」
 近づいてみれば、ちいさく可憐な青があたりを満たしていた。絶奈が微かに唇を開き、そっと零す。
「私さ、勿忘草って凄く好きなんだ。理由は……いや、何でもない」
「言いかけたのにすぐ言葉を止めちゃうだなんて…まったく、興味を唆るのが上手いなあ~」
「私は秘密の多い女だからね
「ふふ。好きな花、あって良かったねえ」
 ちらりと見た横顔は、いつもと変わらぬダウナーな|影《いろ》を纏っていたけれど、その口端が仄かに綻んでいるように見えて、ルメルも眦を淡く緩めた。白木のベンチへと並んで座り、手にしていた花型の硝子皿を両の手で持ち上げる。
「見てみて~、クラッシュキャンディ乗っけてもらっちゃったあ。こういうの、映え、っていうのかなあ?」
 愉しみにしていた露花氷は、バタフライピーの氷蜜とソフトクリームに、パチパチキャンディーを鏤めた華やかな見目だった。ふうわりと香るのは、この花屋根と同じ定家葛だ。
「うわ、ルメルさんの色々欲張りセットでいいな。映えソムリエの私が評価するよ」
「ありがとお。ね、絶奈ちゃんはどんな味にしたの?」
「私は、実は初めてだったからお任せにしたんだ。苺シロップだけは指定してね」
「ふふ。僕とは正反対の色合だね~。とっても綺麗だよ」
 確かに、と頷きながら視線を戻した硝子の器からは、薔薇に似たピオニーの華やかな芳香。早速ひとくち――と匙を手に取った絶奈へと、傍らから声が続く。
「僕の、食べてみる?」
「あ、いいの? ――それじゃ、ありがたく」
「はい、どーぞ」
 あの嘘劇のときと同じように、自然と娘の口許へと一匙を向けて。ぱくりと食めば、ソフトクリームのひんやりとした甘さのなかに、ほんのりと広がる豆のような風味。パチパチキャンディーが歯応えと甘さのアクセントを加えながら、濃く甘い香りが鼻を抜けてゆく。
「美味しい……。ありがと。せっかくだから、私のも分けてあげるよ」
 云って、差し出された匙へと貌を近づけ、ルメルも一口。薔薇めいた華やかな香を含みながら、ふうわりと柔らかな天然氷に溶ける苺の甘さを堪能する。
 そうして続く、他愛もない会話。
 変わらずに在る、葉や花びらをたたく雨露の音色と、陽を纏って燦めきながら毀れてゆく雫たち。
「小雨、風情があっていいね」
 よく空が泣いてるって言われるけど、これに関してはなんか悪戯っぽく笑ってる気がするんだよね。そう続けた絶奈へと、ルメルも柔く微笑みを返す。
「こんな良い場所に誘って貰えて良かったよ」
 ありがと、と。
 そう云った娘の貌には、星のようにささやかに、けれど確かな歓びが滲んでいたから。
 男もまた、ひとつ口許を緩めるのだった。

白水・縁珠
賀茂・和奏

 澄み渡る青空の下、谷間のリュースエルヴ村を軽やかな風が渡る。
 頬を撫でてゆくその感触は、よく知る梅雨真っ盛りのこの時期とはまるで違って爽やかで、白水・縁珠(デイドリーム・h00992)の口許も自然と緩む。先日から専ら、靴底から蒸し上がる熱、額に貼りつく前髪、じんわりと浮かぶ汗――育てている苗床の手入れも重苦しさとの戦いだった。けれどこの村は、陽差しこそ夏めいてきてはいるものの、風はからりと乾いて、土と緑の匂いも柔らかく爽やかだ。そうして、一層夏めく空から降り続く雨粒たちが、ひとときの涼を運んでいる。
「天気雨、綺麗だなぁ……」
「涼むのには丁度良いね」
 手で陽を遮りながら天を仰いだ賀茂・和奏(火種喰い・h04310)に倣って、縁珠も見上げた青へと眸を細める。今日は和奏につき合ってもらったけれど、行きがけに「暑くてバテかけていた」とぼやいていた彼にとっても寛げる時間になりそうだ。
 雫は風がさらってくれるから、と傘は差さずに、肩を並べ歩を揃えて、白い石畳をふたりゆく。
 雨粒が地面で跳ねるたび、草葉や花、雨――風の含んだいろんな匂いも弾けて香る。村一番の広場では万彩の花が咲き、果実の蜜と冷たい香料が混ざり合って初夏の空気に溶けていた。
「見て縁さん。蜜も香りも、選びきれないぐらい沢山あるよ」
「……ぅむー、この村の名産みたいだし。店ごとにいろいろあるね」
 決めれないから人気のにしようかな、と零した縁珠へ、和奏が窺うように小首を傾げる。
「おや、好きな味や落ち着く花の香りとかはない?」
「……どのお花のもかわいこちゃんだし」
「確かにかわいこちゃんばかりだね」
「でしょ? 縁的には植物は全推ししてるから、悩ましい……」
 それでも、強いて代表してもらうならば桜だろうか。それに好きな桃の氷蜜を選んで、オーダーを済ませる。
「奏さんはどのフレーバー?」
「悩み中。桃も美味しそうだなぁ……んー、俺は氷蜜はレモンに。香りは……今回は茉莉花にしてみようかな」
 好きな花で言えば、薔薇や銀木犀、カモミールなどが落ち着くのだけれど。折角だから、と和奏が選んだのは、先程眼に入った|緑廊《パーゴラ》のスタージャスミンにちなんだ香だ。
「おー、かわいい。見るだけでも満足……いや、スマホで撮るまでが遠足だなー」
 わっきーと露花氷――はい、チーズ。
 そう不意打ちを狙って構えたカメラに映ったのは、すかさず空いていた手でピースを作った和奏の笑顔。「ぬ。抜き打ちだったのに中々やるな」と口角を上げた縁珠へ、和奏もまた、柔く笑った。

 雨と光に照らされて虹色に瞬く、氷蜜の|彩《いろ》。
 いつまでも眺めていられそうだけれど、涼むならやはり緑廊《パーゴラ》だろう。縁珠の提案に「賛成ー」と声躍らせた和奏とふたり、一等見晴らしの良い花屋根へと入って白木のベンチに腰かける。
「はー、爽やかだし涼しいね」
「ふー……うん。やっぱり涼しいね。……見上げられるの、良き……」
 天蓋の葉々や花びらが雫を弾き、心地良い雨音が耳を癒やす。視線の先にある石畳に描かれる波紋が、時折通り抜ける風に揺られて形を変える。
「ここにいる子達は、あまりお店にはいない?」
「そうだね。苗木なら時々仕入れるけど。ここまで立派なのは店にはないなぁ。あっちのバタフライピーならハーブティー用で育ててるけど……奏さんも飲むー?」
「――縁さん」
 短く、そう娘の名を呼んで。一度青花へと向けていた視線がまた自分へと戻ったところで、和奏の手許で小さなシャッター音が走った。花屋根を透いて毀れるひかりが、その淡い白い髪を仄かに煌めかせる。
「……不意打ちとは、やるな」
「あはは。これも想い出に」
 そんないつもの会話と笑みを交し合いながら、縁珠は氷蜜の一匙を口に運んだ。
 舌先に、さくりとした氷の感触。すぐに桃の蜜が広がり、花の香りがふんわりと重なる。桜の風味は淡く、舌の奥へと伸びてから、そっと鼻腔に残る。甘さはやさしく、喉を過ぎると冷たさとともに空へと還っていくよう。
 和奏の茉莉花の香りもまた、どこか透明で淡く、けれど凛とした風味があった。食めば忽ち、その芳香とともにレモンの爽やかな酸味が裡にじんわりと染みてゆく。
「氷半分食べたら、十分涼めたから……もふたちも食べる?」
 と、縁珠は手を着けていない氷の片側をそっとすくって差し出した。
(――ね。わけてくれるって)
 眦を細めた和奏がそう裡へと語りかければ、空気がふわりと揺らいだ。現れた半実体の狐神が――和奏のほうを散々味わったはずなのに――その形の良い耳をご機嫌に揺らしているその食い意地へと、呆れながら和奏がちいさく嘆息する。
「縁さん、紹介するね。憑いてる子の片方『稲ちゃん』です」
「おー、いらっしゃい。……いつもお世話になっております、かな」
「気になってたみたいだから、ひとくちだけもらっても?」
「一口と言わず、どうぞー」
 歓びながらもらった数口へと舌鼓を打つ稲ちゃんの傍ら、「はい、奏さんも」と向けられた一匙へと和奏がちいさく瞠目した。
「俺にも? ふふ、ありがと」
「ふふん。その代わり、まだ撮ってない緑廊《パーゴラ》巡り付き合ってもらうから」
「勿論だとも」
 その眸に映った|彩《いろ》へと、思うままにシャッターを切って。
 残せぬ燦めきも、香りも、雨音も――ぜんぶ、ぜんぶ、満喫しよう。

ステラ・ラパン
小沼瀬・回

 谷間を縫うように、白い路が続いていた。
 まだ淡さを残す陽が差しているというのに、けれど透いた青を抱くリュースエルヴの空からは絶え間なく雫が舞い降りる。風はからりと軽く、濡れる肌すら心地良い。
 そのなかを、ステラ・ラパン(星の兎・h03246)と小沼瀬・回(忘る笠・h00489)が――片や耳と躰をぴょこぴょこと軽やかに、片や差した傘に毀れる露を跳ねさせなががら――並んで歩む。
「雨も、雨に濡れるのも良いものだと知ったばかりだ。故に、この機会が殊更嬉しくもある」
 ね? と傍らを仰いだステラへ、ああ、と回も頷いた。雨は忌むべきものではない、という想いは、傘たる身ならば心より賛同できよう。「実に悪くない機会だ」と笑みを深める。
「なにより、涼やかで素晴らしい。此方も泣ける暑さゆえな……人の身は実に難儀だ」
 ならば、不純物が混ざる前に御業を乞わんとする男へ、娘が愉しげな笑み声を零す。
「確かに。でも、其れを味わえるのもヒトの身だからだ。難儀も混じるものも、悪くはないんじゃない?」
 ――なんて、それはそれとして。
 この先に待っているのはきっと、初夏色に染まる、煌めくほどのひとときのはずだから。
「往こう」
 なだらかな山の稜線とその奥に広がる青空を背に、雨粒を煌めかせながら、娘は耳と手を揺らして先へと招く。

 村の中心にある円形広場へと至ると、周囲を巡るように並ぶ露花氷の前に、涼と甘さを求める人々が集っていた。
 店のカウンターに並ぶ、花型の硝子皿の向こうに並ぶ蜜は色とりどり。旬のものに絞ったとしても、桃、|茘枝《ライチ》、無花果、桜桃。香もまた、梔子に茉莉花、柚子、薔薇。目移りする誘惑に赤い眸を煌めかせながら、ステラの耳が忙しなく揺れる。
「これだけ数多あるのは喜ばしいが、果実好き故にこそ選び切れない……」
「すてら殿。ならば、天気雨に肖る虹の彩りにしては?」
「! 雨に虹なんてぴったりだ、採用!」
 ひとつに絞れぬのならば、すべて選び取れば良い――それは、甘い言い訳か我儘か。どのように聞こえたとしても、無論、提案した身である回にとっては乗ってくれたほうが嬉しいというもの。満足気に笑みを深めた男へ、ご機嫌な娘も口許に弧を描く。
「虹だからね。あとみっつも足せる。……まったく、君といると贅沢に我儘を覚えて往けるよ」
「大いに結構。甘やかし甲斐のあることだ。――では、私は色も味も馴染みある苺に、香には梔子の甘さを添えよう」
 美味に口を無くすやもしれんからな、と薄く笑えば、「おや。甘い花香もいいけれど、口は持っててよ」と返る声。
「折角、君色が似合う露花氷だし……好みも知れて僥倖なんだ。ぜひ、君の感想も話も聞きたい」
 おなじものを目にしても、味わっても。
 裡に浮かぶ言葉も想いも、この降り続く露ほどの数あるのだから。

 そうしてステラが選んだ香は、柑橘にも似たほのかな香りを持ち、どこか親近感もあるブルースター。
『青い星に柑橘の淡香か。何方もお前さんに似合いだが――折角だ、更に星花を足そう』
 と、回の心も籠もった、特別な一品。
 崩さぬようにと大事にそれを持って店を後にすれば、先に広場へと戻っていた回の声を拾った兎耳がぴくりと跳ねた。
 視線を移した先には、ひらりと手招く男の姿。その背に見えた、雨露のひかりを鏤めたスタージャスミンとサンパラソルの|緑廊《パーゴラ》に、ステラは弾むような足取りで駆けてゆく。
「わあ、凄いね! 僕たちにぴったりだ」
 星と傘を冠する花の名に回もまた裡でひそりと歓びながら、ステラに続き、その花影に並ぶ白編みの籐椅子へと腰を下ろす。
 器をそっと寄せて、ちいさく硝子を慣らして乾杯したら、互いに早速、一匙を口に運ぶ。
「……美味い」
 舌先から広がる、苺の甘酸っぱさ。そこへ梔子の香りがふわりと重なれば、のどごしはまろく、それでいて香りは確りと残りながら、じんわりと淡く、涼が胸へと沁みていく。同じ溶けるのでも、焼けつくような暑さではこうはいかない。
 その隣では、食んだ瞬間に一層眸を煌めかせた星兎。
 口いっぱいに広がる、ブルースターの淡い柑橘香と、幾つもの果実の瑞々しい甘み。ふんわりと削られた天然氷はどこまでも柔らかく、さく、とひと噛みするたびに、舌の上で解けて溶けてゆく。
「すてら殿もお気に召したかね?」
 見れば、ゆるゆると緩むステラの頬が、言葉よりも雄弁にその歓びを物語っていた。耳も連れて貌をこくこくと縦にふるステラに、思わず笑み声が洩れる。
「ふ、はは! 雄弁ではあれども、お前さんの方が口無しではないか」
 今まで、幾度もこの身に受けてきた雨露。
 それをまさか、食で浴びることになろうとは。雨に包まれ語らうことが、これほどに佳いものだとは。
「こんなに鏤められた機会、味わい尽くさないと勿体ないよ」
 浮かんだ言葉も、好きを詰め込んだ語らいも。たくさんの想いを交しながら、食と雨を愉しもう。――それこそ、浴びるように。
 そう花笑むステラに、回は裡でひそり得心する。
 こんな贅沢を知ってしまったのは、神の御業ではなく星の仕業に違いない、と。
「佳い雨だね、とうさん」
「ああ此度も――佳い雨だな、ステラ」
 絶え間なく、穏やかな笑み声の響くちいさな|緑廊《パーゴラ》。
 からりとした初夏の風が吹き抜ければ、露を纏った白い星花がふわりと咲き零れ、紅の日傘花へと|彩《いろ》を寄せた。