62
Bouquet de mariée
●Joyeux Noël
朝、目覚めた瞬間の透明でまばゆい期待を、誰が覚えているだろうか。
皮膚の上全体にゆめが膜を作って熱を持つ。胸の奥底から堪え難い希望がこんこんと湧いてきて、あふれて、あふれて、とまらない。
あなたにとって、この日は。
しあわせだったのでしょうか。それとも。
真っ青な樅木を彩る幾千ものひかりの花が夜の街を煌々と照らしている。
誰もが浮き足立っていた。
だから、誰一人その異変に気付くことができなかった。
ゆっくりと大聖堂へ歩を進めるましろの花嫁の通ったあとには、残酷に、無慈悲に、ただうつくしい光景だけが刻まれていく。花と化した人々は苦しむ暇もなく、夜明けを迎える前にそのすべてがそらへと天の架け橋を昇るように花弁と共に舞い散っていった。
●Vive le vent
「ごきげんよう! ねえね、みんな。こんどのおやすみにはマルシェ・ド・ノエルにでかけてみない?」
どこかそわそわと浮き立つ街の様子につられるように声を弾ませたアン・ロワ(彩羽・h00005)は頬をあかく染めながら能力者たちを仰ぎふくふくと笑みを浮かべた。
マルシェ・ド・ノエル。それはやってくるホリデーに花やぐ街を彩るクリスマスマーケット。街の中央に位置する大聖堂へ続く大通り一面が電飾の花々でおめかしをして、ひかりの道を作るのだと言う。
「ツリーの飾りは足りているかしら? 陶器や硝子のオーナメントがたくさんあってね、ひとつとしておなじものはなくって、選んでいるだけでも目が回りそうになっちゃうくらいなのよ!」
つぶらな瞳のぬいぐるみたちや仕掛け絵本の数々は大人も子どももみんな虜。この日のために商店街が一丸となってちからを合わせ、お手頃価格になった防寒具の数々は年が明けてからも続くきびしい寒さを乗り越える頼もしい友となるだろう。
歩き疲れたなら街の至るところに据え付けられたベンチでひとやすみをして。そのお供には是非あたたかい飲み物を、と。翼人の少女は街の地図を広げながら、ここと、ここと、とあかいインクに浸したペン先で次々と印をつけていく。
「おとなの方はヴァン・ショーがいいと思うの。スパイスのきいたホットワインでね、お店によって味が違うのよ。飲み比べをしてみるのもきっとたのしいわ!」
勿論、お酒が飲めない方や未成年の方も心配なさらないで。アルコールを含まないおいしいものもあるからと、アンは笑みを深めてそのとろける甘さに思いを馳せた。
「ショコラ・ショーがあたしのおすすめ! ココアじゃなくてチョコレートをミルクに溶かしてあるのよ。ゆめみたいにあまくって、ほっぺたがおちちゃうくらいおいしいの!」
ふたりきりでひそやかに話したいことがあるのならどうぞキャンドルのあかりが灯る大聖堂へ。ステンドグラスから落ちるひかりが、きっとあなたたちを祝福してくれる。
外はとっても寒いからあたたかくしていらしてね、と。一頻り熱弁したアンはそこで一呼吸を置くと、『おしごとのおはなしもあるの』と己が視た星の軌跡を語るべく緩んでいた顔をきゅっと引き締めた。
「きっと、みんなのしあわせなゆめに誘われてしまったんだわ。ひかりさす大聖堂へ続く道に、ましろの花嫁が迷い込んでくるの」
物言わず、ひとのかたちを模して佇む花の異形。
ただうつくしいだけの存在であるならば無理に退治する必要はないが、祝福の庭園と呼ばれる怪異が齎す『あい』は決してあたたかなものではない。彼女を見たものはみな正気を失い、花嫁のブーケを彩るための花と化してしまう。
「まずはマルシェをただ純粋に楽しんで。そうしていれば祝福の庭園は自らすがたをあらわすはずよ」
そうしてみなが街の一部となることで、花嫁は祝福を望みひかりの道を歩み出す。そうなれば後は力を合わせてこのせかいへ迷い込んだ彼女を撃退するだけだと、アンは力強く頷き能力者たちへ道を示した。
「どうか、みんなに。ひかりの祝福がありますように」
よるのとばりにひかりが満ちる。
祝祭のあしおとは、もうすぐそこまでやって来ていた。
第1章 日常 『ようこそ、クリスマスへ』