シナリオ

Bouquet de mariée

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●Joyeux Noël
 朝、目覚めた瞬間の透明でまばゆい期待を、誰が覚えているだろうか。
 皮膚の上全体にゆめが膜を作って熱を持つ。胸の奥底から堪え難い希望がこんこんと湧いてきて、あふれて、あふれて、とまらない。

 あなたにとって、この日は。
 しあわせだったのでしょうか。それとも。

 真っ青な樅木を彩る幾千ものひかりの花が夜の街を煌々と照らしている。
 誰もが浮き足立っていた。
 だから、誰一人その異変に気付くことができなかった。
 ゆっくりと大聖堂へ歩を進めるましろの花嫁の通ったあとには、残酷に、無慈悲に、ただうつくしい光景だけが刻まれていく。花と化した人々は苦しむ暇もなく、夜明けを迎える前にそのすべてがそらへと天の架け橋を昇るように花弁と共に舞い散っていった。

●Vive le vent
「ごきげんよう! ねえね、みんな。こんどのおやすみにはマルシェ・ド・ノエルにでかけてみない?」
 どこかそわそわと浮き立つ街の様子につられるように声を弾ませたアン・ロワ(彩羽・h00005)は頬をあかく染めながら能力者たちを仰ぎふくふくと笑みを浮かべた。
 マルシェ・ド・ノエル。それはやってくるホリデーに花やぐ街を彩るクリスマスマーケット。街の中央に位置する大聖堂へ続く大通り一面が電飾の花々でおめかしをして、ひかりの道を作るのだと言う。
「ツリーの飾りは足りているかしら? 陶器や硝子のオーナメントがたくさんあってね、ひとつとしておなじものはなくって、選んでいるだけでも目が回りそうになっちゃうくらいなのよ!」
 つぶらな瞳のぬいぐるみたちや仕掛け絵本の数々は大人も子どももみんな虜。この日のために商店街が一丸となってちからを合わせ、お手頃価格になった防寒具の数々は年が明けてからも続くきびしい寒さを乗り越える頼もしい友となるだろう。
 歩き疲れたなら街の至るところに据え付けられたベンチでひとやすみをして。そのお供には是非あたたかい飲み物を、と。翼人の少女は街の地図を広げながら、ここと、ここと、とあかいインクに浸したペン先で次々と印をつけていく。
「おとなの方はヴァン・ショーがいいと思うの。スパイスのきいたホットワインでね、お店によって味が違うのよ。飲み比べをしてみるのもきっとたのしいわ!」
 勿論、お酒が飲めない方や未成年の方も心配なさらないで。アルコールを含まないおいしいものもあるからと、アンは笑みを深めてそのとろける甘さに思いを馳せた。
「ショコラ・ショーがあたしのおすすめ! ココアじゃなくてチョコレートをミルクに溶かしてあるのよ。ゆめみたいにあまくって、ほっぺたがおちちゃうくらいおいしいの!」
 ふたりきりでひそやかに話したいことがあるのならどうぞキャンドルのあかりが灯る大聖堂へ。ステンドグラスから落ちるひかりが、きっとあなたたちを祝福してくれる。
 外はとっても寒いからあたたかくしていらしてね、と。一頻り熱弁したアンはそこで一呼吸を置くと、『おしごとのおはなしもあるの』と己が視た星の軌跡を語るべく緩んでいた顔をきゅっと引き締めた。
「きっと、みんなのしあわせなゆめに誘われてしまったんだわ。ひかりさす大聖堂へ続く道に、ましろの花嫁が迷い込んでくるの」
 物言わず、ひとのかたちを模して佇む花の異形。
 ただうつくしいだけの存在であるならば無理に退治する必要はないが、祝福の庭園と呼ばれる怪異が齎す『あい』は決してあたたかなものではない。彼女を見たものはみな正気を失い、花嫁のブーケを彩るための花と化してしまう。
「まずはマルシェをただ純粋に楽しんで。そうしていれば祝福の庭園は自らすがたをあらわすはずよ」
 そうしてみなが街の一部となることで、花嫁は祝福を望みひかりの道を歩み出す。そうなれば後は力を合わせてこのせかいへ迷い込んだ彼女を撃退するだけだと、アンは力強く頷き能力者たちへ道を示した。
「どうか、みんなに。ひかりの祝福がありますように」

 よるのとばりにひかりが満ちる。
 祝祭のあしおとは、もうすぐそこまでやって来ていた。

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第1章 日常 『ようこそ、クリスマスへ』


柳・芳

●もろびとこぞりて
 ひかりの細片が夜の中に吸い込まれるように散り、如何にも澄んだ星空の一端がそのまま街に映し出されているかのようだった。ほう、と吐いた息はしろく溶けて、顔の周りだけをじわりと仄かに温める。
「いよいよ年の瀬、世はクリスマスかぁ」
 あまりにも駆け足に過ぎていった秋の余韻を拭い去るような街の煌めきに、柳・芳(柳哥哥・h09338)は巡る季節に想いを馳せながらその眩さにそっと目を細めた。
「せっかくだからクリスマスマーケット楽しんで行きますか!」
 丈の長い外套でからだを守り、しろい毛並みの貂の襟巻きで首元を覆えば冬の夜の寒さだってなんてことはない。ひかりの花で彩られた景色を眺め見ながら、芳は賑わうマルシェへと一歩を踏み出した。

 クリスマスに因んだものをおもちゃ箱にぎゅっと詰め込んだような市はこの街でいちばんおおきな催しものであるらしく、出店のひとつひとつを覗き見るだけでも目に楽しい。星詠みの少女がくれた地図のあかい印を辿りながら目当てのものを探せば、屋根に吊るされた丸い木の看板に絵が描かれているから迷うことはない。何より――立ち上る葡萄とスパイスの芳醇な香りが視覚よりも明確に『おいしいしらせ』を届けてくれる。その場で飲むために陶器のマグで出してくれる店もあれば、持ち歩くために紙コップで出してくれる店もある。芳はその中の幾つかを見繕い、あまく香るヴァン・ショーたちがぽかぽかと体の芯から温めてくれているのを感じて微かに笑みを溢した。
「……ん?」
 不意に。耳柄に優しく触れる弦の音に目を瞬かせ、音のする方へと足を向ければそこにはマルシェを音で彩る4人の演奏家の姿があった。
「(ああ、いいな)」
 ピチカットが踊るフィドルの音色は如何にも楽しげで、牧歌的で、朗らかで、自然と足がリズムを刻んでしまいそうになる。平和そのものを表現したようなおんがくを無意識に鼻歌でなぞりながら、芳は暫し心踊る音色にその身を委ねた。

燦爛堂・あまね

●Le Petit Écureuil
 きらきらして、眩くて。街のひかりに負けないくらいに行き交う人々の顔もぴかぴかと輝いているよう。
「まあ! なんてすてきなお祭りで御座いましょう」
 躍る胸のざわめきは――ああ、これが『鼓動』と云うものなのでしょうか――まるでこの背を、足を、『はやく、はやく!』と急かしているみたい。燦爛堂・あまね(絢爛燦然世界・h06890)は靴音を跳ねさせながら上機嫌に街を往く。彼方此方を見て回らなくてはならないから、お目々が幾つあっても足りないくらい。
「あら……あらあらあら、」
 視界の端を掠めた綿雲のようなふわふわの気配に思わず振り返れば、そこには襟と袖にファーを贅沢にあしらったボルドーのコートがあって。胸元に飾られた大ぶりなリボンの愛らしさに思わず胸を押さえ、あまねは堪らず店の軒先へと誘われていく。
「まあまあなんて可愛いの!」
 防寒具を取り扱うその店は用途に合わせて様々な生地を用いているのがこだわりなのだと言う。であれば、日毎に寒さを増していくアトリエで使えるようなものはないでしょうかと。問えば、綿毛のような白髪を蓄えた店の女主人は絵を描くことに邪魔にならないような膝掛けを幾つか見繕ってくれた。
「あのねえ可愛いの! いっちばん可愛いのが良いです」
「ふふっ。それじゃあ……お嬢さんにはこれが良いかしらね」
 滑らかな手触りの毛足の長いブランケットは触れるだけでうっとりととろけてしまいそうなほど。くるんと丸くなって眠る子栗鼠の刺繍が愛らしいそれを受け取れば、なんだか自分自身までもを褒めてもらったような気がしてちょっぴり気恥ずかしい。感謝を告げて主人に代金を支払えば、あとには紙袋に閉じ込められたあたたかな幸福が手に残る。
「さ、あまーくっておいしーいもので、お腹を暖めにも参りましょ」
 せっかくおすすめを教えて頂いたんですもの、と。うきうきと弾む足取りのまま、あまねはあまいかおりを探すようにすん、とちいさく鼻を鳴らした。

ヴェーロ・ポータル
リウィア・ポータル

●My Dearest
「ふふっ、たくさんお買い物しちゃったわぁ! 両手がバッグでいっぱい!」
 側には大好きな兄がいて、街はきらきらとしたひかりに満ちて、両手には素敵なものがたくさん
。胸に満ちる多幸感にあまく目を細めるリウィア・ポータル(無明の祝福・h08012)とは対照的に、少しばかり草臥れた様子でヴェーロ・ポータル(紫炎・h02959)は細く、長く息を吐きながらその背をベンチに深く預けた。
「お兄様、お兄様! ねっ、ヴァン・ショーをいただきましょぉ。すぐそこのお店にあったの!」
 やれやれ、妹の買い物はどうしてこうも長いのか。同じ距離を歩いているはずなのに、なぜこんなにも彼女はまだまだ元気に満ち溢れているのやら。
「……ん、温かくまろやかだ。リヴ、飲み過ぎて酔わないように」
「もう、お兄様ったら心配性なんだから。リウィアはもう子供じゃありませんわぁ」
 差し出された紙コップから立つ華やかな香りと目前の満面の笑みに容易く絆されてしまうのだからかなわない。美味しい、嬉しいと思ったことを率直に口にするリウィアの無邪気さにヴェーロが薄く微笑めば、終始上機嫌な末姫はそうだわ、と兄を振り仰いで今はここにいない互いの『きょうだい』のことを口にする。
「そうそう、昨日レオお兄様とお電話をしましたの!」
「レオと?」
「ええ! レオお兄様もお元気そうで、ヴェーロお兄様とお話したがっていましたわぁ」
 暫く連絡を取れていなかった弟の近況に表情を緩めれば、それを兄なりの喜びだと受け取ったリウィアは笑みを深めながらほの甘い葡萄酒を傾けた。
「……お姉様は今、どうしていらっしゃるのでしょうねぇ」
 普段通り。何時もと変わらない、穏やかであたたかな会話。
 それがふたりの当たり前だったから、気が緩んでいたのかもしれない。ふと生まれた隙間に針が刺さるかのように。リウィアの花唇から零れ落ちた言葉に、ヴェーロは自身の体が強張るのを確かに感じた。
「|離れ離れになって《簒奪者になって》しまったけれど、温かくしていらっしゃいますかしら。お会いしたいわぁ」
「……姉上、か」
 彼女は今、何をしているのか。
 彼女が求めたものは。彼女が持ち得たはずのものは。一体、何処にあったのか。
「(……今この瞬間も、姉は誰かの幸せを奪っているかもしれないのに」
 彼女が焦がれてやまなかったであろう、こんな微温湯のような|日常《幸福》を、自分に享受する権利はあるのだろうか。重く、冷たく押し掛かる現実と責務がカップの熱を霧散させていく。
「……あら、お兄様? どうなさったの?」
 妹に罪はない。この無邪気な笑顔が翳らぬようにと立てた誓いが揺らいだ訳でもない。それでも微かに手が震えてしまうのは――罪悪感だろうか、それとも。
「お兄様、……お兄様?」
 呼び掛けは届かない。こんなにそばにいるのに、まるで兄だけがせかいにただひとり置き去りにされてしまったかのようで。堪らずつん、と袖を引けば、そこで漸く意識を取り戻したかのようにヴェーロが此方を向いてくれるから。リウィアは咲う。兄の憂いも迷いも、すべてを照らし出すように。
「ね、向こうに素敵な大聖堂もあるのですって! 行ってみましょぉ?」
 殊更に明るい声は、ああ、まるで夜明けの陽のようだ。
 自分にとっては何時迄も幼い妹ではあるけれど、この子なりに自分を心配してくれていることは痛いほどに伝わってくるから。
「……折角だ、見に行ってみようか」
 ヴェーロはリウィアを安心させるように微笑むと、ぬるくなった葡萄酒を喉にすべて流し込んだ後に立ち上がり手を差し伸べた。

シルフィカ・フィリアーヌ
ルミオール・フェルセレグ

●微温
 煌めくせかいはいつだって心が弾むもの。こんなにもうつくしいのなら迷い込んでしまうのも仕方のないことかもしれないわね、なんて。微笑むシルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)の横顔を、ルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)は何処かゆめでも見ているかのように見つめていた。
 ひかりの花々で輝く街を歩むシルフィカ自身もなんだか心なしかきらきらと輝いているように見えて可愛らしい。行き交う人々の笑顔だって眩いくらいで、それを、ただ守りたいと思った。
「ルミオール?」
「……あっ。ううん、何でもないよ。シルフィカは何か欲しいものはある?」
 決意は密やかに胸の内に閉じ込めて。並ぶ露店を仰ぎながら問い掛ければシルフィカはううん、と真剣な面持ちで考え込む。その仕草は彼女が竜であった頃よりも随分近しく感じて、嬉しくなって目を細めれば『変な子ね』と困ったような笑みが返ってくることさえルミオールは幸福だった。
「欲しいもの……ツリーに飾るオーナメントはどうかしら」
「良いね。それならあっちのお店に行こうか」
 薄いきんいろの星を模ったカルーセルはツリーをぐるりと囲むことが出来る特別な品。泡を模した硝子のオーナメントと合わせれば、まるでうたかたのゆめのよう。綺麗ね、と呟けばルミオールもそれに応じて頷いた。
「ねえ、シルフィカはサンタクロースにプレゼントを貰ったことはある?」
「……サンタクロース? わたし、そこまで子どもじゃないわよ」
 知らない訳ではない。幾らひとの身に成った未熟な身体と言えど、それを夢見るほどに幼い訳でもない。だから、それをそのまま口にすれば自分に荷物を持たせる気などまるでない青年はオーナメントたちが詰まった紙袋をさらって身を乗り出す。
「ないなら俺がシルフィカのサンタさんになります!」
「……ルミオールがサンタさんになるの?」
 それは幼い子どもに対してそうするものではないのだろう。問い返せば彼は力強く頷くから、その意気込みにシルフィカは少しだけ笑ってしまう。
「それならわたしも……」
「俺はシルフィカが傍にいてくれたら、それが一番のプレゼントだから」
 最後まで言わせてくれない。肩を竦めるシルフィカの様子にルミオールは笑みを深めるばかり。
「勿論、俺はずっと傍にいるつもりだけどね」
「わたしばかり貰うのはフェアじゃないわ」
 今はひとの身であったとしても、その瞳の真っ直ぐな輝きは出会ったあの日からずっと変わらない。それを嬉しく思いながら、ルミオールは『それなら』とシルフィカの華奢な手を掬いたくさんのぬいぐるみが押し合う露店へと導いて行く。
「お揃いのテディベアにしよう。ね、いいでしょう?」
 俺からは君に。
 シルフィカは俺に。
 お互いに選んだものを贈り合ったなら、きっと、ただ闇雲に贈り物を選ぶよりももっともっと嬉しいから。

 とろんと蕩けるショコラ・ショーで一息吐きながら腕の中の薄紫と淡い水色のテディベアに視線を落とす。自分から口にした癖にいざ直接彼から渡されれば少しばかり擽ったい。
「ね、……折角だから大聖堂にも行ってみようよ」
「大聖堂? 勿論良いわよ」
 花嫁が迷い込んでくるその前に。一面のステンドグラスで覆われた礼拝堂を見に行こうと口にすれば何てことのないように是を唱えてくれるから、ルミオールは胸に満ちるさいわいをあまく噛み締めながら笑みを綻ばせた。
「……ステンドグラス、綺麗なんでしょうね」

 そらから降り注ぐひかりのいろはどれほどまでにうつくしいだろうか。
 君とふたりなら、――きっと、何よりも。

集真藍・命璃
月夜見・洸惺

●Be my friend
 こんもりと盛られた樅の枝葉でめかし込んだ屋根の数々は森の風情を感じさせ、知らず御伽話のせかいに足を踏み込んでしまったのではないかと錯覚してしまいそう。
「おとぎ話みたいなマルシェ・ド・ノエル、一回行ってみたかったんだあ!」
 四葩の双眸を輝かせながら集真藍・命璃(生命の理・h04610)が歓声を上げれば、それを我が事のように喜びながら月夜見・洸惺(北極星・h00065)もそわそわと浮き立つ胸を押さえながら命璃を仰いだ。
「本当だねっ。普段は和の物に囲まれているから、ちょっと新鮮な気分かもっ」
 色とりどりの品々は目に楽しくて、あれもこれもと手を伸ばしそうになって迷子になってしまいそう。『どれも気になっちゃうね』と微笑む洸惺の言葉に同意し掛けて、はた、と気付いて慌ててかぶりを振ると命璃はこの街に訪れる前から決めていたお目当てのものの名前を口にする。
「うんっと迷っちゃうけどね、最初はテディベアさんっ」
 命璃のお願いならなんだって叶えてあげたいからこそ、洸惺は彼女がねがいを口にしてくれることが嬉しくて笑みを更に深めて頷いた。
「うんうん、テディベアさんを見に行こう! 売り切れちゃうと大変だからっ」
「うん! 早速レッツゴー!」
 視界に入る全部が眩しい。だけど、たったひとつの『とびっきり』を見付けに行かなくちゃ。顔を見合わせた少年少女たちは未だ見ぬ友人の姿を思い描きながら競うように駆け出した。

「わあ! キュートなベアさんがいっぱい!」
 てのひらサイズのちいさい子から子犬ほどの大きさの子まで、大小様々なテディベアたちが所狭しと並ぶ様子に命璃は歓声を上げて屋根の下のちいさなせかいをぐるりと仰ぐ。
「(命璃お姉ちゃんの目がとっても輝いてる……!)」
 寄り道せずに真っ直ぐここに来てよかったと、はにかむ洸惺の傍らで命璃はちいさな子たちの前を足早に通り過ぎて行く。どうかしたのかと首を傾いだその先に――、
「ベアさんは逃げないからゆっくり選んで……わ、迷わず一番大きい子にいっちゃった!?」
 目を合わせていたら気持ちが揺らいでしまいそうなくらいにみんな可愛いから、命璃ははじめから決めていたお店の看板代わりにでんと鎮座するおおきなおおきなテディベアに思い切り抱き付いた。
「こうやってぎゅーって抱きしめるのが夢だったんだぁ」
 もふもふの毛並み。綿がいっぱい詰まって雲みたいにふわふわのからだは嘗て描いた憧憬をそのまま投影したよう。夢が叶っちゃった、と溢す命璃の笑顔につられて、洸惺の口角もついふにゅふにゅと緩んでしまう。
「洸惺くんはどの子にしたのかなあ? わ、ちっちゃいベアさんがいーっぱい!」
「僕は姉さんと兄さんと、妹たちと……皆でお揃いのテディベアにしたよ」
 クリスマスのプレゼントにするんだ、なんて。何処か誇らしげに胸を張る洸惺を讃えるように手を叩けば、控えめな彼は気恥ずかしげに微笑むから。命璃は『自信持って!』と自分よりもおおきな背丈のテディベアを抱いたままぐっと拳を握り込んで見せた。
「妹さんたちもきっと喜んでくれるハズ!」
「えへへ。そうだよね。渡す瞬間が今から楽しみっ」

 おおきなおともだちと、ちいさなおともだち。
 新しい親友たちを抱えながら、命璃と洸惺はひかりの道を歩いて行く。
「ねね、次は仕掛け絵本が見たいなあ」
「仕掛け絵本、僕も気になってた! 早速見に行っちゃおう!」
 いちばんの目的は達せられたから。あとは気になるお店を全部全部、くたくたになるまで見て回ろう。ふたりのみちゆきを照らすように、ひかりの花々がしろく、しろく、どこまでも鮮烈に輝いていた。

五槌・惑
鉤尾・えの

●灰尾と柳
「わ、さっむ~い!」
 冷たい風がちくちくと頬を微かに刺激するけれど、体の奥底から歓喜の熱がのぼってくるから寒さを煩わしくは感じなかった。少女らしく華やぐ声を上げながら、鉤尾・えの(根無し狗尾草・h01781)は疼く好奇心をそのまま爪先に乗せて躍るように駆けて行く。
「暖かくはしてきましたけど、これは防寒具の追加待ったなしですね」
「好奇心で凍死しても知らねえぞ」
 うつくしい貌に倦厭の情を乗せ、後を追う速度を特に上げる様子もなく五槌・惑(大火・h01780)が呟けば、そこで漸く惑を置いて行っていることに気が付いたえのが尾っぽを振る子犬のように照れ笑いを浮かべながら駆け戻ってくる。
「わたくしめ、クリスマスってあまり馴染みが無いもので。どれもこれも新鮮ですねえ」
 しろで統一された電飾は地上に咲く星にも似て。夜だと云うのに眩いばかりの街を歩けば自然とこころは上向くようで、うずうずと落ち着かない様子も露わに少女はぐるりと改めて街を仰いだ。
「あ、惑さん惑さん! あちらに尋常でなく大きいクリスマスツリーが!」
「走っても良いが前見ろ」
 聳え立つ樅の木は秋に果実を実らせる木よりもずっとずっと眩しくて鮮やかで、思わず手を伸ばしてしまいそうになる。
「惑さん惑さん! そちらには美味しそうなショコラ・ショーが!」
「見えてるから振り向くな」
 漂うあまい湯気を辿りすんすんと鼻を鳴らせば、ついつい足が誘われてしまう。
 彼方へふらふら、此方へふらふら。落ち着きのない足取りのえのに返事こそすれど惑の歩調は変わらない。逸れたところで心配する程でもないと言わんばかりの様子を気にするでもなく、えのは手にした蕩ける幸福をふうふうと冷ましながら何時の間にか自分とは異なる店の印が刻まれた紙コップを手にしている惑を不思議そうに仰ぎ首を傾ぐ。
「そういえば惑さん、わたくしめと一緒の時はお酒飲まれませんよね」
 湯気の向こうの貌は滲んでよく見えない。惑が僅かに息を漏らす気配にえのはぱちりと瞬いた。
「飲めない歳の奴に興味持たれても困るからな」
 手にしたホットレモネードは目が醒めるように酸っぱかった。酒の他で一番甘くなさそうなものを選んだが――まあ、身体には良さそうか。
「特別旨いモンでもねえ」
「いやーお気を遣わせて申し訳ございません」
 飲酒が解禁される来年には是非お付き合いを、と。重ねたえのの言葉に返るのは、微かな溜息がひとつだけ。

「そういえばクリスマスって、サンタクロースという謎の老人が来るって本当ですか? 何のために?」
「は?」
 子どもたちが目を輝かせながら来訪を待つとされる謎の存在。
 えのの記憶にはそれなるものの断片は無く、架空のものであったとしてもこの齢まで知ることはなかったのだと。紡がれる少女の問い掛けに、惑は肩を竦めて鬱陶しいくらいの幸福に満ちた街に視線を投げながら唇を開く。
「白髭の怪しい男だってよ」
 夜間に家々に上がり込み、幼子の枕元に贈り物を置いて行く怪異であると。落ちる言葉の不可解さに眉を寄せ、少女は更に首を傾げる。
「え? 家宅侵入しておきながら物取りではなく贈り物を置いて行く……?」
「そう言う趣味なんじゃねえか」
「完全な趣味で???」
 世の中は広い。何を面白がる人間がいてもおかしくはないだろうと。惑の言葉を疑う素振りさえ見せず、えのは異なる文化圏の怪現象に神妙な面持ちで頷くのだった。
「はあ……それはまた古妖より不可解な方で……」
 その横顔を一瞥した惑は軽く肩を竦め、話は終わりだと態度で応えた。

 適当な答えをそのまま信じるとは。
 ――訂正するのも面倒だから、まあ、良いか。

サテラ・メーティス
花牟礼・まほろ

●ほしふるよるに
 躍る胸の鼓動が繋いだてのひら同士から伝わってくるようで、サテラ・メーティス(Astral Rain・h04299)と花牟礼・まほろ(春とまぼろし・h01075)は顔を見合わせ何方からともなく笑い合う。
「クリスマスってわくわくします。寒くても、全然平気なんです」
「ふふっ。そうだね、まほろも心はぽかぽか」
 プレゼントを待つ夜だってもちろん楽しみだけれど、こうして準備をする時間がいちばん楽しいのかも、なんて。はにかむ友人の様子に笑みを深めながら、まほろは繋いだ手を揺らして弾む一歩を踏み出した。
「ねっ、サテラちゃん。さっそく楽しいクリスマスを迎えに行こう!」
「はい、いきましょう!」

 『すてき』でいっぱいの露店の数々を見回していたら目が回ってしまいそう。
「サテラちゃんはお店の飾りを探すんだよね」
 うれしい悩みを抱えながら小首を傾げば、同じように彼方此方へ目移りしていたサテラはこくんと頷く。
「ええ、扉に飾るリースがあればいいなって……あっ!」
 不意に目に留まったのは、おめかしをする前のリースたちが並ぶ台車を改造したちいさなお店。そうっと覗いてみれば、まるでサンタクロースみたいなしろいお髭を蓄えた店主が『いらっしゃい』と笑み掛けてくれた。
「こちらで好きな飾りを選んでリースが作れるみたいです」
「それなら、サテラちゃんだけの特別なリースが作れるね!」
 ちいさなベルに金細工の星々。リースの土台はしっかりとしたつくりになっていて、すこしくらい飾りを欲張ってみてもいいでしょうかなんて思えてしまうから余計に迷ってしまう。
「まほろさん、一番大きなリボンは赤と金、どちらがいいと思いますか?」
 びろうどの上品なあかも愛らしいし、レース地のきんいろは仄かに他の飾りを透かしてとても綺麗で。ひとりではとても選べなくて助言を請えば、真剣にふたつを見比べながらまほろは少しの間を置いて大きく頷いた。
「赤も金も可愛いけど、まほろはサテラちゃんの金色がいいと思うな」
「わたしの?」
「うん、星みたいにキラキラしてる!」
 出来上がったのはせかいにひとつだけの星屑廻る冬の夜空。特別なリースが出来たと綻ぶサテラに、まほろは満面の笑みを浮かべて喜びを重ね合った。

「まほろさんも、なにか欲しいものはありませんか?」
「まほろはね~……見て見て! こっちにぬいぐるみのお洋服が売ってるよ!」
 ちいさな洋服たちはひとつひとつ丁寧に手縫いで仕上げたとっておき。
 たくさんの中からましろのダッフルコートを手に取って、まほろは興奮気味に身を乗り出す。
「まあ……! かわいいですね」
「これ、前に作ったくまさんに着せたら可愛いんじゃないかな……!?」
 麗らかな春のような可愛い子に、伴星を宿した可愛い子。ふわふわのやわらかな輪郭を思い描きながらまほろが告げれば、サテラの星の瞳が見る間にきらきらと輝いた。
「すてき……! お揃いにしましょう。冬服、きっとくまさんも喜びます」
「本当? やったあ!」
 おそろいの花が刺繍された愛らしいコートはそれぞれひとつずつ。紙袋を手にすれば、そのちいささが愛おしさを連れてやってくる。
「そうだ、まほろさん。今度、くまさんにお洋服を着せておでかけしませんか?」
 『ぬい活、です』と。ちょっぴり照れたようにはにかむサテラの姿に、まほろの頬も歓喜に色づいていく。
「わあ、ぬい活楽しそう! もちろん喜んで!」
 あなたと重ねる『つぎ』の約束が、こころをもっともっと暖めてくれる。
 もっともっと欲張りになっちゃおう、と。少女たちはあまい湯気が立ち上るショコラ・ショーの屋台へと戯れ合うように駆けていった。

唐草・黒海
物集・にあ

●彩られる、せかい
 夏はあつくて、冬はさむい。
 そんな当たり前のことが、どうして? この胸を擽ってやまない。
「……風邪を引かないようにしてくださいね」
 しろい息をほう、と吐きながらひかりに照らされる物集・にあ(わたつみのおとしもの・h01103)の横顔が夜の寒さにあかく染まっていることに気が付いて唐草・黒海(告解・h04793)が気遣う声を掛ければ、そこで漸くにあは自分のからだが冷えていることを思い出す。
「大丈夫。ねえ、冬はとても光が綺麗なのね」
「そうですね。……少し、眩しいくらい」
 どこか浮き足立ったような、そわそわとした街の空気はどこか肌に合わず。けれどじっとりと重く纏わりつくような夏の暑さよりは随分マシか。潮が香る彼女に肌寒さを案ずることは要らぬ心配だろうけれど、それでも、ああ、ほら。逸るこころのままに半歩前に歩み出る貴女は、放っておいたら泡のように消えてしまいそうな危うさを孕んでいるから。黒海は燥ぐ少女と逸れぬようにと離れた半歩をほんの少しだけ急いて詰めた。

 事務所の飾り付けを選びにと連れ出されたは良いものの、黒海にとってこのひかりの市は煌びやか過ぎて少々落ち着かない。
「俺にその手のセンスを期待しない方がいいと思いますけど……」
 だからそれをそのまま口にすれば、にあは海の双眸をぱちりと瞬かせるけれど。すぐに楽しげにころころと笑う声を転がして、それは杞憂だとかぶりを振ってみせた。
「黒海さんと力をあわせて、事務所のみんなに負けないくらいに素敵な飾りをみつけたいのよ」
 だいすきなひとたちが集まる大切な場所。
 それをたくさんの『すてき』で飾り付けたなら、もっともっと巡る季節を、やってくる祝祭を愛おしく感じられるに違いない。共に過ごす仲間であるあなたと一緒に選んだなら尚のこと。だからあなたを誘ったの、と。はにかむ少女の言葉に僅かな面映さを感じて『そうですか』と端的な返事を述べるけれど、先よりも真剣な面持ちで丁寧に並ぶ品々を見始めた黒海の姿ににあは嬉しそうに笑みを深め同じように屈んで品定めに勤しみ始めた。
「内装に合う華やかな物がいいんじゃないですか」
「ええ、華やかなものが似合うものね」
 色鮮やかな硝子に金箔が踊るオーナメントはみなもに映る星のよう。これなら他の雑貨たちにも埋もれないだろうと手に取れば、確かな重みが愛着を共に連れてくる。たくさんきらきらにしましょうね、と掲げたオーナメントたちを胸に抱き――ふと、気付く。
「……待って! 黒海さんのお店にもプレゼントしたいのよ」
「俺の店の分まで? ……いや、飾らないと思いますけど……」
 燈りの店にはあえかな火が宿っている。ちいさな店だ、そう派手に飾り立てる必要もないのだけれど。期待に瞳を輝かせるにあの好意を無碍にするわけにもいかず、溜息をひとつ溢しながらも『質素なやつでお願いします』と黒海なりの是を唱えれば、ぱっと表情を綻ばせた少女は並ぶオーナメントたちに改めて視線を巡らせる。
「ねえ、これはどうかしら雪の結晶に雫が燦いて、綺麗だわ」
 差し出されたのはそらのいろ。
 硝子細工のそらの中で銀花がきらきらとひかりを抱いて揺れている。
 それはやっぱり眩しくて、とても自分には似つかわしくないと思うけれど。きっと、そういう事ではないのだろうとも分かるから。
「……気持ちだけは有難く」
「ふふ、受け取ってくれてありがとう」
 飾ってくれるかどうかは別として。困った様子を見せるけれど、それでも受け取ってくれることが嬉しくて。にあが花咲くように咲う傍らで、黒海は手の中にある六花の煌めきをそらに透かして目を眇めた。

茶治・レモン
日宮・芥多

●ふゆじたく
 それは確かに地続きのせかいであるはずなのにとても非現実的で幻想的なように思えて、茶治・レモン(魔女代行・h00071)はその光景を瞳に焼き付けるようにぱちり、ぱちりと大きく瞬いた。
「ねぇあっ君……あれ、いない!?」
 傍らに立っていた筈のひとが忽然と消えていることに気付き慌ててレモンが視線を巡らせれば、少し先をゆくかたちで屋根の下にいる日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)の姿をみとめて、レモンは行き交う人々にぶつからないように気を付けながら小走りに駆けていく。
「買い物が早すぎませんか?」
「いや、何処も彼処もピッカピカで華やかで素晴らしい! ……素晴らしいんですが、この通り。寒いんですもん」
 買ったばかりのマフラーに包まりながらしろい息を吐く芥多は悪びれないが、互いにそれを気にしない。
「……ほら、あっ君見てください! このオーナメントの数々」
「うわ、凄い数のオーナメントですねぇ!」
 ぐるりと改めて街を仰いだレモンがてのひらで指し示した先に広がる色とりどりのオーナメントたちの姿。その多様さに息を呑めば、少年の薄い表情にもほんの少しだけいろが乗っていくよう。
「大鍋堂にツリーを出して飾りましょう」
「ツリーを出すのはナイスアイデアですが……魔女代行くん、選べるんですか?」
 こんなに沢山、それこそ星の数ほどありそうなきらめきたちを。
「大丈夫です、選べます」
 意気込みは十分。イメージトレーニングもばっちり。
 大鍋堂がクリスマスいろに染まってきらきらと輝く様子だって頭の中に思い描けている。だから。
「……選べ……選……」
 硝子細工のキャンディ・ケインに星降る夜のスノードーム。あっちを向いても、こっちを向いても、全部が全部『ぼくを、わたしを連れて行って!』と言ってくるような気さえして。だから、だから、
「選べ、ず……!」
 その場に頽れんばかりの勢いだった。頭を抱えたレモンの傍ら、その様子を可笑しげに見守っていた芥多は少年の前に『とびきりイカしたヤツ』を掲げて見せた。
「ちなみに俺の推しオーナメントはコレです」
 プレゼントを積み上げたのはソリではなく大型の自動二輪。咥えたパイプと遮光ゴーグルがなんともクールなサンタクロースの姿を前に、レモンはちいさく首を傾げた。
「あっ君の推し、存在感がすごいですね……でも買います、愉快なので。ええ、迷ったら全部買えば良いんです!」
 一年一緒に頑張った大鍋堂にもご褒美を。そう思えばちょっとくらい欲張りになったって許されるような気がして。まあるいピンクのオーナメントは何処か愛らしい綿猫にも似て、自然と目元が緩むよう。
「あ、ちょっと本を見てっても良いですか? 奥さんへのお土産が欲しいので!」
 勿論ですと頷くレモンを連れて覗き込んだ隣の屋根の下にあったのは、ひとつひとつ手仕事で作られたクリスマスの仕掛け絵本たち。
「良いですねぇ! 楽しくてワクワクします」
「素敵ですね。綺麗な仕掛け絵本は、飾っておくのにも最適です」
 ことばは日の本のものではないけれど、絵だけでどんな物語かをすべて汲み取ることが出来る。あたたかな彩りに目を細め、芥多はいっとう豪華な一冊を手に取った。

 買い物も終えたし、さて帰るかと。踵を返し掛けた芥多の鼻先に、ふ、と豊かな葡萄酒の香りが掠めて思わず振り返る。その顔があまりに真剣なものだったから、レモンは驚いて一歩後退さってしまう。
「……いや待った、酒があるじゃないですか! やっぱ飲んでから帰ります!」
 まったく、彼ときたらお酒に弱いのだから。けれど、味覚でもこのマルシェを満喫したいのはレモンもまた同じこと。
「僕もショコラ・ショーが飲みたいです!」
 置いていかないでください、と。弾む靴音がふたつぶん、耀う喧騒へと軽やかに溶けて行った。

アンジュ・ペティーユ
結・惟人

●きみと乾杯を
「わあ……!」
「おぉ……何処を見ても綺麗だ」
 クリスマスマーケット、と名がつく催しに足を運ぶことははじめて。まるでそらがうっかり星々を地面に落っことしてしまったみたいだ、なんて。アンジュ・ペティーユ(ないものねだり・h07189)が思わず溢した感嘆に合わせ、結・惟人(桜竜・h06870)もこくんとちいさく頷く。
「今夜眠る時にもキラキラが残っていそうだな」
「ふふふー、確かに! 瞼の裏でちかちか輝いているかも!」
 街中にあふれるあたたかなひかりは誰かが描いたゆめのともしび。そのひとつひとつを辿るうち、こころまでもがそわそわと浮き立つようで、足取りもどんどん軽くなる。
「まずは惟人の所の庭に飾るオーナメントだよね?」
 露店に並ぶオーナメントたちはどれも魅力的なものばかり。目移りしてしまいそうになりながら歩くことさえ楽しくて、知らずアンジュの声も上擦って。全身から、街の至る所からよろこびが伝わってくるようで、惟人の返事も何処かふわふわとゆめを漂うように弾んでいた。
「私が手伝っている宿の庭木に飾ったら、皆喜んでくれる筈」
 満室になるほどの賑わいはないけれど、そこは密やかに訪れる人を癒す止まり木になっている。和の雰囲気にもあうものがいいと頷けば、アンジュは硝子で出来た星屑のサンキャッチャーを手に『これはどう?』と首を傾いで見せた。
「ね、これ! とっても綺麗だね!」
「あぁ、硝子製はいいな」
「これも、あとあと、こっちのサンタの靴下も……!」
 透明なきらめきは街明かりを映してなないろのプリズムを反射する。きれいだと頷いた傍らで、次から次へどんどん齎される『すてき』の波状攻撃に惟人の竜尾の先が小さく回り出すころ、漸く友が目を回しかけていることに気付いたアンジュの手がぴたりと止まる。
「あれもこれもと悩んでしまうのは仕方がないさ、だってこんなにも可愛いんだもん!」
 毛糸で編まれたサンタクロースの靴下はたくさん色違いがあって、ちいさいものをたくさん飾っても可愛いだろうし、おおきいものをオブジェとして吊るすだけで子どもたちの胸を躍らせるだろう。客人たちの喜ぶ姿が眼に浮かぶようで、どれを選んでも『正解』なような気がして、だからこそ迷ってしまう。
「アンジュ、どれが良いと思う……?」
 自分の見知ったせかいでは普段は見ることのない彩りばかりでどうにも決めかねる。困った時は友頼み、と視線を向けた先、ぱっとひかりが燈るように笑みを浮かべたアンジュは自信満々に胸を張って見せた。
「ふふふー、じゃあ全部! なんてどう? いいよね!」
「成る程、全部か」
 年に一度のクリスマス。うれしくってたのしい思い出なんていくらあってもいいものだ、と強欲な魔女はなんとも可笑しげに笑うのだ。
「……持ちきれるくらいの全部にしようかな」
 この後にはお楽しみも残っている。両手が塞がってしまってはそのとっておきにありつけないからと。惟人の言葉に、アンジュは賛成だと勇んで両手を挙げるのだった。

「ヴァン・ショーも実は初めて飲むんだ。大人の味がするのかな?」
「スパイスとか変えているのだろうか、気になるな」
 カップはそれぞれ別々のいろ。違う店で買い求めた葡萄酒に鼻を近付ければ、なるほど確かに立ち上る湯気の香りに僅かな差異がある。シナモン、クローブ、それから――味の違いもあるのだろうか?
「折角だから飲み比べてみない?」
「是非しよう」
 街の華やぎに酔い痴れるまで。この夜が、ゆめのように消えてしまわないことの幸福を噛み締めるように、ふたりは顔を見合わせると『メリークリスマス』とカップを交わし、湯気に滲む街のひかりを目を細めながら今一度仰ぐのだった。

アストラガルス・シニクス・グリーヴァ

●瑞光
 星を磨くように冴えた寒さも耀う街のあかりに滲んで溶けていく。
 浮き足立って弾むようで、擽ったいのに心地良い。抑えても、抑えても、熱のように笑みがじわりと顔にのぼる奇妙な高揚感を噛み締めるようにアストラガルス・シニクス・グリーヴァ(戦場駆ける銀蓮華・h09567)は眩しげに目を細めた。
「はぁー、此を見るとホリデーが来るって感じするわぁ」
 日本の賑わしさも勿論嫌いではないけれど、この独特な玩具箱のような空気感は現地でしか味わえないものだからと、電飾の花々が咲き誇るマルシェを眺めながらアストラガルスは早速買い求めたヴァン・ショーを一口含む。今日は留守番をしてくれている相棒にいい土産を齎せればと視線を巡らせたなら、直ぐに視界に飛び込んでくる色とりどりのオーナメントが並ぶ露店へと足を向けた。
「陶器や硝子のオーナメントなら店に飾るんにも使えるかな」
 ティーサロンの趣にも似合うものを。ああ、店の飾りには勿論良いが、ちいさな陶器であればフェーヴにしてガレット・デ・ロワを焼いて貰えば巡り来る新年にも相応しいだろうか。何を選んでも喜んでくれそうではあるが、どうせなら満面の笑顔にしてやりたい。
「よし」
 迷うことはない、自分は大人なのだから。
 鉱石の砂を詰め込んだ硝子細工の砂時計に、寄り添う双子のフェーヴたち。割れないように丁寧に包んでもらった宝物を手にしたなら、爪先はひかりがやがて辿り着く場所へと向かっていく。道すがらもう一杯と買い求めた葡萄酒は、なるほど、先よりもあまく感じた。

 敬虔な使徒と云う訳ではないけれど、訪れた大聖堂に満ちる幾重もの彩を見れば自然と目に見えぬ何かへと祈りを捧げたくなった。
 ――これは真似事。
 けれど、それをきっとこの地に座すひかりはきっと赦すだろう。
「(今日まで生きてこられたことへ、感謝を)」
 辺りは眩いくらいのひかりに満ちている。
 アストラガルスは暫くの間、そうして黙したまま星を映すステンドグラスを見上げていた。

緇・カナト
トゥルエノ・トニトルス
八卜・邏傳
野分・時雨

●海を越えたせかい
「クリスマスのマーケットである!」
 先陣を切るはちいさき雷精、トゥルエノ・トニトルス (coup de foudre・h06535)と誰より勇み足の八卜・邏傳(ハトでなし・h00142)。ひとたびいくさに身を投じれば何よりも鮮烈なひかりを放つふたりも思わず目を丸くしてしまうほど、街は眩いひかりに満ち満ちていた。
「わぁぁ……! キラキラしちょんの!」
 感嘆の息を溢した口のままトゥルエノと邏傳が固まってしまっているものだから、『置いていかないでくださいよ』とのんびり歩いてきた野分・時雨(初嵐・h00536)はその横顔たちを覗き込んでくすりとちいさく笑みを溢した。
「クリスマスって市場あるんですね。可愛らしいものたくさん!」
「マーケットが出始めると冬イベントも本番感があるよなァ」
 あまりに許容値を超えた『すてき』を読み込み中のふたりを反対側から覗き込んだ緇・カナト(hellhound・h02325)がとん、とトゥルエノの背を軽く叩けば、そこで漸く街の煌めきを咀嚼し終えたトゥルエノの頬が徐々に紅潮していくのとほぼ同時、邏傳の瞳にも見る間にきらきらと星が宿っていく。
「も、も、めちゃ可愛いじゃんね! お店そのものが絵本みたいで!」
「うむ。うむ! 楽しそうなの沢山見よ~」
 樅木の枝葉でめかし込んだ出店の佇まいは簡易的なツリーハウスが並んでいるよう。自分たちが小人になったような錯覚さえ感じてしまって興奮気味に邏傳が街を仰ぐのに、まるで案内人のように胸に手を当てた時雨がはじめに向かうべきみちを示してみせる。
「ご覧下さい。胡桃割る人形。用途謎」
 これなるは千年の齢を重ねた菩提樹からつくり上げられた赤い一張羅を纏うた――とぼけたおかおの胡桃割り人形。カコカコと軽い音を立てて口が開閉する姿がなんだか妙にツボに入ってしまって、ふ、と誰からともなく笑みが溢れてしまう。
「胡桃割る人形ちゃんお口強そでイケてるね! 用途……楽に胡桃が食せる?」
「最近だったら飾る為デショ。贈り物にも良さそうだよねぇ」
「ならば、其々に似合いそうなの探すのも如何だろうか?」
 どうか、と問えばすぐに賛同が返ってくることがありがたい。いつもはひねくれた返事ばかりのつれない主も頷いてくれたことが嬉しくて、トゥルエノの笑みはどんどん深くなるばかり。
「裂けるこけしもありますよ。……中にこけし。更に中にも……なんで……怖……」
「……裂けるこけしって何……マトリョーシカかよ」
 そういう民衆風木工品であると告げれば、得体の知れない恐怖を拭い去れたらしい時雨はほっと息を吐く。『文化の違いだねぇ』なんて、からからと笑うカナトは動物たちを模った木の人形たちを掲げて見せる。
「此のアニマルこけし達だったら牛鬼くんにも似合いそうじゃない?」
「ふむ。時雨殿ならクナイとかも……無いか。であればあの星飾りを手裏剣の代わり等……?」
「わ、そのお星のクッキーみたいなオーナメントもかわい♡」
 トゥルエノが示した星のかたちはすこし丸みを帯びていて、よくよく見ればそれが色とりどりの砂糖で化粧を施したクッキーであることを知る。ほんとうに食べられるのだと理解すればますますそれは良く出来たあまい星だと邏傳は『飾って食べれるって二度美味し!』と目を輝かせながら時雨の代わりに是を唱えた。
「あとは此の白いオーナメント……やや、此れは鳩か!」
「え、その鳩ちゃんオーナメント素敵! めちゃかわええの! すきすきっ」
 ころんとした陶器の白鳩は手描きの顔とリボンのおめかしが愛らしい。ひとめで気に入ったと笑みを咲かせトゥルエノとふたりで燥ぐ声を上げる邏傳の傍ら、流れるように決まってしまったが、いや、いやいや。
「いや星飾りは投げないよ!? ……え、食えんの! 飾りなのに!?」
 どうせなら有効活用してもらいたいと、トゥルエノが伸ばしかけた手を慌てて制する。武器にはしない。だって食べ物だから、と。言い募るけれど好意は無碍にしたくない。というか、こんな時のためにカナトがいるのではないだろうかと、振り返ったその先で。
「邏傳君のはクッキーに鳩……平和だなぁ」
「後輩くーん!!」
 早々にお子さまたちの制御を諦めた黒妖犬は、一歩離れた所から牛鬼がいいように振り回されて惑うのを生暖かく見守っていたのであった。

「ゔぁんしょー。ワインて温めても美味しいんですね」
 とはいえ、香辛料の効いた飲食物は少しばかり取っ付きにくい。代わりになにかおすすめはないかと問えば、こちらはいかがとあたらしいカップに素朴なカスタードのいろが注がれていく。エッグノックと呼ばれたそれを含めばふわりとやわらかな甘さが口いっぱいに広がって、堪らず時雨の口から柔くほどけた溜息が溢れた。
「おお、卵酒ですか。……ん! ラム強めで美味です」
「急に爺さんじゃん」
 揶揄うカナトの言葉に思い切り肘を入れれば傍らから低くくぐもった声が上がる。それでも戦争にならなかったのは、きっとこの街があまりにも甘ったるい幸福で満たされているから。
「時雨ちゃんの卵ちゃんも美味しそ! 気になるけど年齢制限ー!」
「むぅ、主も時雨殿もずるいなぁ」
 『たべられないもの、のめないもの』と分かっているものほど美味しそうに見えてしまうのはどうしてだろう。自分たちよりちょっぴり大人の階段を早くのぼっていったふたりのカップの中身が羨ましくも思うけれど、大丈夫。湯気立つショコラ・ショーをふたりぶん手にして、『ショコラショーでお揃いショー!』と邏傳はにかりと歯を見せ笑った。
「ショコラショーも旨そうだなぁ。……ハラショーと言うのはないのか?」
「はらしょー? なんか楽しなるよな響き! そなのもあるんね?」
 何かの番組で聞いた気がするのだと、トゥルエノの言葉に不意打ちを食らったカナトがちいさく咽せる。
「ハラショーはロシア語の何かでしょ」
「ショーてなんか意味あんの?」
 まったく、放っておけば何処までも会話が四方八方に飛んでいく。
 この悪しき循環を断ち切らねば不名誉な舵取りを受け渡されてしまうことは必須。獣の勘に率直に従ったカナトは顔を上げると『オレお腹空いちゃったなぁ』と唐突に口にした。
「え、え。俺も俺も! タルティフレット? あれ美味しそ!」
「主、主! 主には美味しいものをたくさん飲んで食べて欲しいぞ~」
「卵うますぎ、ぼくおかわりしてきます」
 『みんなで食べよ♡』と邏傳が声を上げてくれた事で風向きが変わったことにカナトはあからさまに安堵する。

 ――ふたりの手綱なぞ時雨に握らせておくに限る。
 口にしたらまた肘を喰らってしまいそうだから、その言葉は密やかに胸の内だけに留めておく事にした。

ヴォルケ・ナクア
一文字・透
篭宮・咲或

●しろく滲む
 磨り硝子越しのように世界のピントがずれている。それが眩さからくるものであると分かるから、ヴォルケ・ナクア(慾の巣・h08435)は褪せた金の瞳を眇めながら細く、深く息を吐き出した。
「お祭りのきらきらした雰囲気って楽しいですよね」
「うん、いいよねぇ。俺は結構好き」
 どこかそわそわとした様子の一文字・透(夕星・h03721)が視線を巡らせる姿はどこか小動物のそれにも似て。篭宮・咲或(Digitalis・h09298)は微かに笑みを溢せば遠慮がちな少女に助け舟を出すように『気になるものはある?』と首を傾けて見せたのだけれど。
「……奢ってくんね? |最年長《咲或》」
 手始めに飲み物で温まろうかと立ち寄った屋台の屋根の下、透よりも先に口を開いたのはヴォルケの方だったものだから、咲或はぱちりと大きく目を瞬かせた。
「俺たちそんな歳変わんなくないー?」
 とは言え頼られる事自体は嫌なわけではなくて。かたちばかりのおとがめは直ぐに解けて、直ぐに破顔した咲或は『なんてウソウソ』と笑みを浮かべてふたりよりも一歩前へと歩み出ると注文を口にする。
「いいよ〜お兄さんの奢り」
 半分本気の戯言はあっさりと承諾されたものだから、ヴォルケは手渡されたコップを片手にその気前の良さにひゅうと口笛を鳴らして唇の端を持ち上げた。
「ありがとうな、お兄さん」
「どういたしまして。透も嫌じゃなかったら俺がだしてもいい?」
「え、いいんですか? ……じゃあお言葉に甘えて」
 もうお財布の準備をしていたのに。透の手をそっと制しながら微笑んで見せれば、甘え下手の少女は少しだけ気恥ずかしそうにはにかんで頷くから、咲或は透も安心して楽しめるあまいショコラ・ショーを差し出した。
「今度何かでお返ししますね」
 気にしないでいいのにと笑いながら傾けたカップから立ち上る湯気まであまく感じるよう。店によって果物、スパイスの種類や配分は大きく異なるから店ごとにきちんと違いが出るのだと知れば、味覚と嗅覚の両方から楽しめると云うものだ。
「お味はいかがですか?」
 猫舌な透の飲み頃はもうすこし先のこと。だからまだ自分が口にすることが出来ない酒精の香りが余計に気になって、興味津々な様子を隠すことなくふたりに問うたなら。
「スパイスしっかりめと甘めでちょっと違うカンジ。シナモンとか嫌いじゃなければ好きな味かも?」
 葡萄のジュースとはまた少し趣が違うものなのだと。知れば知るほど頭の中で未知の『おいしい』が構築されていくようで、それだけで胸がわくわくと浮き立つ。『大人になったら飲んでみたいな』と溢れた言葉に、咲或はにこやかに笑って見せた。
「感想か……アー、正直味も違いもよく分からねえが」
 咲或のように上品な言葉はこの口から垂れ流せない。が、単純に美味いか不味いかと云う括りであるならば紡げよう。
「……美味いし温かいしいい気分だ」
 あまい酒でほろ酔いになるのもそう悪くないと、紙のコップに僅かに残った葡萄酒を呷るヴォルケが喉奥で微かに笑う姿に『寒いから今日にぴったりですね』と微笑みを返して、透は漸く口をつけられるくらいに程よく冷めたショコラ・ショーを飲み始めた。
「ショコラ・ショーも甘くてとっても美味しいです」
 ほう、としろい息を吐き出す透があんまりにも美味しそうにとろける甘味を味わうものだから。
「ヴォルケ〜ショコラ・ショー買いに行くなら俺の分もお願いしていいー?」
「はいよ、今度は俺が奢るから待ってな」
 なるほどこれが先程までの少女の気持ちかと、おとなたちは視線を交わし合うとこっそりと『おかわり』を買い求めるのだった。

「喫茶店に飾るオーナメントはどんなのがいいでしょうか?」
「そうだねぇ、純喫茶だと天使とか置いてそうだけど……」
 硝子に陶器。ビーズに毛糸、木材にブリキ。色々な素材のものが加工された品々はどれも手作りのあたたかみが宿っていて可愛らしい。珈琲の香りとレコードの音色が満ちるあの店には何が似合うだろうと悩むふたりの傍らで、ヴォルケは険しい面持ちで可愛らしいオーナメントたちを見詰めていた。
「……これにするか、一番美味そうだし」
 どれがいいか、何が合うか。そう言ったものの良し悪しは判断しかねる。ならばとヴォルケが手に取ったのはアイシングの凹凸までもを再現した焼き物のジンジャーブレッドマン。
「わあ、可愛いですね」
「うん。喜んで貰えるといいね」
 咲或が選んだのはてのひらサイズの銀花を宿したグランドピアノ。透が手にしたスノーマンも合わせてみっつ並べたなら、如何にもクリスマスらしさが増すようで自然と顔が緩むよう。
「あっち絵本とか置いてるみたいだけど見に行く?」
 目的は達せられたけれど、まだまだこの街には『たのしい』がたくさん溢れている。それを見に行こうかと首を傾げば、ぱちりと透の瞳に星が瞬いた。
「絵本……!」
 口にするまでもない。『見たい』という熱が少女の全身から伝わってくるようで、思わず呼気に笑いが滲む。
「ふふじゃあ行こっか」
「透は意外と顔に出るタイプなんだな……」

 甘ったるくて眩しいばかりで、焼け焦げてしまいそうな程。けれどもう少しだけ付き合おうと思えたのは――きっと、あの芳しい酒精のせいに違いない。

時月・零
ロイ・サスケ
白・とわ

●あまく綻ぶ
 立ち上る湯気ごととろけてしまいそう。知らず深呼吸をしたくなって、白・とわ(白比丘尼・h02033)は白磁の貌に薄く朱をのぼらせながらあまい空気を深く吸い込んだ。
「ありがとうございます、零さま」
 ショコラ・ショーなる西洋の飲み物ははじめて口をつけるもの。香りだけでも充分に『おいしい』が伝わってくるから、思わず顔が綻んでしまう。
「WAO! なんと管理人殿、セッシャにも良いのでござるか? 誠にありがたく!」
 少女に財布を出させるなどと野暮な真似はするまいと意気込んでいた自分よりも早く齎されたあたたかなカップに、ロイ・サスケ(ニンジャ・オブ・ザ・ハイウェイ・h09541)は照れくさそうに破顔しながらそれでも感謝の言葉を口にした。
「……とりあえず、乾杯するか?」
「はっ! まず、乾杯でございますよね!」
 ひとりぶんも三人ぶんもそう変わらない。早々に会計を済ませていた時月・零(影牙・h05243)はふたりが奢りを素直に受け取ってくれたことに目線で応えるとカップを軽く掲げて見せた。
「――出会いに、乾杯」
「出会いに乾杯! 管理人殿、とわ殿、一緒に楽しもうでござる!」
「この素敵な出会いと、素敵なオーナメントが見つかりますように!」
 黄金林檎のパイで結ばれたふしぎな縁に感謝を告げればふたりから自然と笑みが溢れるから、甘い甘いショコラ・ショーをそっと口に含みながら零は僅かに目を細めた。
「……これは、かなり美味でございますわ!」
 たっぷりと空気を含ませてふわふわになった泡の層の下から、あまく蕩けたショコラが口いっぱいに広がっていく。豊かに香るシナモンの風味は何処かあのアップルパイにも似て。美味しい美味しいと喜ぶとわの傍らで、ロイもまた興味津々にカップの中身を覗き込む。
「いやぁ、セッシャ甘いもの大好物でござってな」
「確かに……ロイはいつも甘い物を頼んでいたな」
 記憶の中の彼はそうだ、いたく店の菓子を気に入ってくれて手土産にまでしたいと強請っていたっけ。これもきっと気にいるだろうさ、と声を掛けようとした、その瞬間。
「以前管理人殿に作って頂いたアップルパイも美味しかったでアッツィ!」
 勢い余って傾けたとろみのある熱に思わず仰け反ればとわは目を瞬かせ、次には『冷ましながらお飲みになって』とくすくすと悪戯に笑みながら悶絶するロイを仰いだ。
「零さまはお菓子作りもお上手でしたので……もしかして、このレシピもおわかりになるかしら?」
「レシピか……近しい物は作れるだろうが、全く同じ美味さになるかは分からんな」
 要望があるなら今度作ってみるか、と。味を今一度確かめるようにカップを傾ける零の承諾にとわははにかみ、ひりつく舌先に当たらぬようにふうふうと懸命にあまいショコラを冷ますロイも『店でも飲めるのでござるか!』と歓喜の声を上げるのだった。

「二人はどんな物が良いと思う?」
 軽く栄養補給をしたところで、霧灯亭を彩るオーナメント探しの旅へマルシェの中心へと繰り出そう。
 齎された零の言葉に、ふたりは鏡合わせのようにことりと首を傾けた。
「ほぉ、喫茶店に飾る……それならこれからお世話になる我々からも是非進呈させて下され」
 如何か、と。ロイが片目を瞑って見せれば、とわも口元に手を運びながらこくりと頷く。色良い返事に安堵しながらも何故か零には浮かぬ表情が浮かぶから。どうかしたのかと問い掛けたなら、零は徐ろに手にしたオーナメントを掲げて見せた。
「俺はセンスが無いと、よく言われてな……」
「まあ。一度見たら忘れられないお顔……個性的でよきお顔だと思いますわ」
 PVC製のやわらかいサンタクロースはぎゅっとお腹を押すとぎょろりと目玉が飛び出る仕掛け付き。縊り殺された鶏が如き鬼気迫る表情に、本心からの言葉を寄せるとわの傍ら、ロイはなんとも言えぬ表情を浮かべながら『チビッ子が泣きそうでござるなあ』と首を捻った。
「駄目なら正直に言ってくれ……」
「まあ。そんなことありませんわ、サンタさまには相棒が必要ですわね!」
 同じ素材のものであれば相性もいいだろうか。肩を落とす零へかぶりを振って、とわはギョロ目のサンタクロースの傍らににっこり笑顔のトナカイを並べて見せる。そうしたら――なんとまあ、どうしたことか。プレゼント配達に奔走する働き者のふたりのように見えてくるではないか。
「……おお、とわ殿のトナカイさんがいれば何かいいコンビに見えてきたでござる!」
 ならばと、ロイはくすんだオールド・ローズの色合いが愛らしいちいさなギフトボックスをとん、と乗せ、慌てん坊のサンタクロースにプレゼントの彩りを添えてにかりと笑った。
「何が入ってるかわからないドキドキ感、楽しいでござろう?」
「ええ、ええ。とっても可愛くなりましたわね!」
 みっつ揃えばまるで最初から全てがきれいに噛み合わさったものたちのよう。『流石だな』と頷けば、それぞれから笑顔が返ってくるのがほんの少しだけ擽ったい。
「……気遣いにも感謝を」

 偶然が呼んだえにしはまだ浅いが、それを佳き巡り合わせだと感じてしまうのは甘いことだろうか。自分も焼きが回ったか、と。自嘲するように眼を細める零を、とわとロイは新しい店の装いを思い浮かべながら嬉しげに見つめていた。

レスティア・ヴァーユ
ルナ・ディア・トリフォルア

●あなたと過ごす日々
 道ゆく人々の頬はみんな擽ったいくらいの幸福に染まっている。

 まぶしくて、まぶしくて。
 ああ、めまいがしてしまいそうだ。

 しろいあかりに満ち満ちた道を歩みながら、レスティア・ヴァーユ(歌と信心の代わりに・h03581)は胸の奥底から溢れてくる幸福に柔く眼を細め、傍らを行く愛しい女神、ルナ・ディア・トリフォルア(三叉路の紅い月・h03226)に微笑みかけた。
 擽ったいくらいのさいわいを体現したかのような世界が心地良くて、自然と互いの笑みも深まるよう。賑わうマルシェはただ見ているだけでも充分に楽しめるけれど――、
「……あの手縫いのくまのぬいぐるみは……」
 目が、合ったと思った。
 ラピスラズリを磨いたつぶらな瞳。長めの毛並みは淡い金色に彩られ、小首を傾げた佇まいが愛らしい。まるで女神のようだと思わず釘付けになってしまいながらもレスティアはいやいやとかぶりを振って取り出しかけた財布を押さえ込む。
 今もすっかり専用になってしまった『ぬいぐるみ部屋』には何時の間にか置き場に困るくらいにぬいぐるみたちが犇めき合って陳列されている状況なのだから、これ以上無闇に増やす訳には、と。誘惑を振り切りながら一歩を踏み出したその先にも作り手の異なる可愛らしいぬいぐるみたちが並んでいるものだから思わず息を呑んでしまう。
「やれやれ、欲がないな。全部買えば良いだろうに」
「……! し、しかし……!」
 頭を抱えるレスティアの様子が可笑しくて、愛しくて。笑いを噛み殺しながらその横顔を覗き見たルナは一際おおきなテディベアを両腕でぎゅっと抱きながら愛し子の元へと歩み寄る。
「どうだ? これをそなたのベッドに置けばよかろう!」
 月が咲う。自分だけを真っ直ぐに見詰め、少女のように無邪気に笑う。
 そんな風に強請られて――否、実際には彼女はただ助け舟を出してくれただけなのかもしれないが、全ては自分がどう受け取るか次第。女神が齎した一声に天啓を受けたかのように顔を上げたレスティアは、ひとつ、ふたつ。はじめに射止めたルナのいろと揃いのベアもまとめて次々に買い上げて行った。
「しかし、女神よ。ベッドに飾るのは辞退したく……」
「ふむ、何のことだったかな」
 ぱちん、と茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた女神の腕の中にあるおおきなベアからは値札が既に取り払われている。つまりはもうとっくの昔に買い上げていたのと同義で――これだから、彼女には到底かなわない。ともに家に帰ることと相成ったぬいぐるみたちを引き連れて、レスティアは上機嫌なルナの手を掬い取って再び歩き始めた。

「折角訪れたのだ、色々買い求めるのであろ?」
 オレンジスライスを浮かべたヴァン・ショーを傾けながら問えば、レスティアは『もう荷物は一杯では』という言葉を寸での所で飲み込みながらこくりとちいさく頷いた。
「揃いのマグカップも良い。先ほどは通り過ぎてしまったが、布製の絵本があったな。あの愛らしい絵本をぬいぐるみたちに持たせ飾ればより良いのではないか?」
 あれも、これも。次々にねがいを口にする彼女はきっと、自分に甘えてくれているのだ。その事実がただただこの胸を締め付けて、目眩がする程のあまさと共に息苦しさを連れてくる。それさえ心地良いと感じてしまうものだから、自分はもうとっくにどうかしてしまっている。
「……すべて、女神の仰せのままに」

 口にした声は低く掠れた。
 焦がれるような声音にぱちりと目を瞬かせたルナの頬がぱっとあかく染まるのを、レスティアは愛しげに真っ直ぐに見詰め微笑んだ。

夕星・ツィリ
ココ・ロロ
熊・蕾蓮

●だいすきをさがしに
 街は何処も彼処もぴかぴかと輝いて、行き交う人々はみんなにこにこ。
「ふふ〜、クリスマスのくににきたみたいですね」
「ここの大通り全部がクリスマスマーケットなんだね」
 ぽよん、ぽよん。ふたりの少女の足取りの間に挟まるように跳ねるちいさなくろい宵溜まりはただのけものではない。ココ・ロロ(よだまり・h09066)が上機嫌に石畳の上を跳びながら移動する姿を微笑ましく見守りながら、夕星・ツィリ(星想・h08667)も躍る鼓動のままに声を弾ませた。
「此処はクリスマスの国だたか。幸せの国ネー」
 きらきらが渋滞してとっても賑やか。全部が全部クリスマスのお店だなんてゆめみたい。街の煌めきに負けないくらいに瞳を輝かせる熊・蕾蓮(熊猫獣人の鉄拳格闘者・h08184)もまた、疼く好奇心に誘われてきょろきょろと視線を巡らせていた。
「何処見ても面白そ……むむ! 2人とも見て欲しいアル!」
 不意に蕾蓮がぴたりと足を止めて呼び掛けるから、顔を見合わせたツィリとココは数歩先に進んだ足を慌てて戻して彼女の視線の先にあるものを覗き込む。
「何か気になるものあった?」
「れいりぇんなにみてるのでー?」
 蕾蓮の手の中にあったのは大判の絵本。頁数はそう多くない、と言うよりもひとつひとつの頁が妙に分厚い。
「この絵本屋さんの本、開くと絵が飛び出すアル!」
 子どもたちがツリーの下で内緒話をしている絵が描かれた可愛らしい表紙を捲れば――絵柄はそのままに大きくツリーたちが立体的に飛び出してきたものだから、ふたりは眼を丸くしてしまう。
「わあ、すご〜い! えがうごいた!」
「わっ中が飛び出してきた……! これって……しかけ絵本?」
 名前は聞いたことがある。けれど、こんな風に間近で見る機会はなかったから。すごいすごいと瞳を輝かせる少女らの姿に、店の主はにこにこと人好きする笑みを浮かべながら『どれも好きに見ていっておくれね』と見本を差し出してくれた。
「仕掛絵本いうアルか、面白いアル」
 はたらきもののサンタクロースはいつも子どもたちに幸福を届けてくれるけれど。
 でもでも、『良い子』がみんなみんなしあわせになる夜であるならば。サンタさんにだってごほうびがあってもいい筈だ、と。仲良しの五人きょうだいたちは力を合わせてサンタクロースにお礼をしようと奮起する、そんなあたたかい物語。流し読みだけでも気に入った、と頷けば、蕾蓮は迷うことなく『これ下さいアル!』と手にした絵本を大切に抱き締めた。
「クリスマスなのココもほしいような〜」
「私も記念に買っちゃおう! 童話がいいかな……わっ、オリジナルのものもあるの?」
 内容はとっつき易いやさしい物語ばかり。であればどれがいいかしら、なんて迷ってしまう。
「2人も気になる有れば買うヨロシ」
 手作りの作品は一期一会。一目惚れと直感を大事にして選べば、きっとすてきな一冊を手にすることが出来るはず。悩んだ末に選んだ本を手に、三人は次なる露店へと一歩を踏み出した。

「あっちにあるのはぬいぐるみのお店! 見てもいい?」
 ツィリが問えば、直ぐにふたりから『もちろん』と賛同が返ってくることが嬉しくて足取りはどんどん軽くなる。手作りのぬいぐるみたちはみんな少しずつ表情が違って、個性が引き立っていて可愛らしい。
「……はっ、ゆきだるまさん」
 ぱちりと目が合ったのは、きっと運命。ココのふわふわの手が捕まえたのはにこにこ笑顔のスノーマン。ぎゅっと抱き締めれば綿のやさしいやわらかさが伝わってくるようで、擽ったくて嬉しくて、知らず笑顔が溢れてしまう。
「ココはこのコにします。ゆきがとけてもずうっといっしょ、なのです」
「ふふっ。雪の季節が終わっても、ずっと一緒の仲良しさんだね!」
「ココのゆきだるまは可愛いアル。ツィリもピンと来たコは居るアル?」
 すこし大きめのシロクマを抱えながら蕾蓮が問えば、うぅん、と考え込む所作を挟んだツィリの目線がやがてひとつのちいさな雪玉のようなまんまるに吸い寄せられていく。
「私は……この子! クリスマス仕様のシマエナガ!」
 あかいマフラーを巻いた可愛い子。星飾りのワンポイントが可愛らしいそれを両手で掬い上げれば、なんだかもともとこの子とずっと一緒にいたような愛着が湧いてくる。
「クリスマスなシマエナガさん! たのしそかわいい!」
「白黒モフなシマエナガ……キュート……! ワタシはこの白クマにするネ」
 白と水色のもこもこニット帽を被ったおしゃれさん。抱き締めがいのあるおおきめのからだが気に入ったのだと。頬を寄せればもちもちとしたボア生地が気持ちよくて、何時までも抱いていたくなってしまいそう。
「蕾蓮ちゃんが白クマさんだから、三人みんな白い子をお迎えだね!」
「えへへ、ほんとですね〜」
 あたらしいおともだちはそれぞれ一匹ずつ。丁寧に包んでもらったなら、これからよろしくね、と呼び掛けると少女たちはもう一度優しくやわらかなからだを抱き直した。

 あちこち巡り巡ったあとは、あまい、あまいショコラ・ショーで休憩しよう。
 ほっぺたがもし落っこちそうになってしまっても大丈夫。みんながみんなで支え合えば、ほら。そこにはぽかぽかのほっぺたがみっつぶん、とろける幸福に綻んでいるはずだから。

ララ・キルシュネーテ
セレネ・デルフィ
鴛海・ラズリ
マリー・エルデフェイ

●Les Filles des Étoiles
 澄んだ星空の一端が人々のしろい吐息に揺らめいて滲んでいるようだった。
 これがホリデーのおまつり。年に一度きりのマルシェ・ド・ノエル。きらきらとあたたかなひかりが瞬くうつくしい街のすがたに少女たちの胸の中でとくとくと知らず鼓動が早まっていく。『素敵ね』とはじめに呟いたのは、人混みで逸れぬようにと両方の手を友人たちに繋いで貰っていたララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)だった。
「けれど……マリー、セレネ、ラズリ。お前達はそんな光よりも煌びやかよ」
 ララの自慢の友人たち。ひかりの中で尚も煌めく、星の篝。ふふんと得意げに胸を張る迦楼羅雛の姿にぱちりと瞳を瞬かせ、セレネ・デルフィ(泡沫の空・h03434)とマリー・エルデフェイ(静穏の祈り手・h03135)はしろい頬に朱を乗せて淡くはにかんだ。
「ララさんもいつもとても輝いていますが……ふふ。今日は……いっとう、輝きを増しているようです」
 マリーさんもそう思いませんか、なんて。控えめに問うセレネに頷く妖精族の少女のかんばせには少しの照れが滲む。
「ええ。いつも輝いてるララさんがこの場所の輝きとの相乗効果で更に輝いて見えますね!」
 自慢の友人だなんて改めて言われるとちょっぴり気恥ずかしくなってしまう。それでもこの胸にはよろこびばかりが溢れてくるから、花のかんばせに浮かぶは輝かんばかりの笑顔ただひとつだけ。
「ふふ、ララも私の自慢よ。華やぐ街も勿論、今のあなたの煌めく瞳もずっと綺麗で」
 想紅の花眸に浮かぶ星々の煌めきは常よりももっとこのこころをとらえるよう。手放しで褒めてくれるララの言葉に花唇を綻ばせ、鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)は薄氷の双眸をあまく細めて微笑んだ。
 輝かんばかりのこの夜に、だいすきなみんなと一緒に。
 少女たちは手と手を取り合って、まだ見ぬ今日の特別を探してひかりの道を弾むように歩き始めた。

 樂園にはオーナメントが沢山飾られた大きな桜ツリーがあるけれど、ララの部屋の小さなツリーにはオーナメントがないから。なにか可憐な、愛らしいものを探したいのだときょろきょろと視線を巡らせる。
「小鳥にノームに、白兎……たくさんあって迷ってしまうわ」
「ふふっ、そうだね。私も部屋と、桜ツリーに選ぼうかな」
 妖精たちを模した陶器のオーナメントは服の模様までもが細かく描かれていて目にも楽しい。何人か一緒に並べればきっと寂しくないはずだから、森の動物たちも一緒に連れて行こう。ララが手にした白兎の姿にくすりと笑みながら、ラズリも自分だけの特別な冬の煌めきを見つけるべくきりりと真剣な面持ちで並ぶ品々をじっと見つめた。
「とても可愛らしいオーナメントたち……。……どのお品も素敵で」
 折角だから何か買っていきたいと思うのに、これをひとつ、と決めるとなると悩んでしまう。これと、これと、とどんどん目星をつけていくララの傍らで、セレネは一歩を踏み出すことが出来ずにもじもじと指を組んだり、解いたり。どうしましょうと悩んだ末に、恐る恐る少女は唇を開く。
「ラズリ、何かオススメは、ありますか……?」
 なにかしるべを、と。勇気を出して助力をのぞんだ友の声に、澄んだアストロラーべを模した硝子細工のオーナメントを手にしたラズリは控えめな彼女が頼ってくれたことに笑みを浮かべながら頷いた。
「セレネはこの天使像とかどうかな?」
 星を抱いた硝子の天使は少女の憧憬をかたちにしたような愛らしい佇まい。きらめく翼はセレネのそれにも何処か似ている気がしたから。あなたに似合いと目を細めれば、セレネの頬がぱっと喜色に染まっていく。
「わ、素敵……これにします、ありがとう……!」
「ラズリはお洒落なのを選ぶわね。アストロラーべ……ロマンチックだわ。天使はセレネにぴったりね」
「えへへ……ララさんのも……素敵、ね」
 マリーはどうするの、と。すこしの背伸びをして覗き込んだララの仕草に微笑みながら、マリーは隣に陳列されていたふわふわの綿雲たちに手を伸ばしていた。
「オーナメントはどれも素敵だけれど、私はこのぬいぐるみが気になります」
 手縫いのぬいぐるみはひとつとして同じものはなく、どれも少しずつ表情が違って個性があって可愛らしい。
「ラズリさん、ほら、この犬のぬいぐるみなんて白玉ちゃんにそっくりじゃないですか?」
「はっ……わんこ! 本当なの、白玉っぽい……!」
 まんまるふわふわ。わたあめのようなしろいポメラニアンのぬいぐるみは、愛するドッグ・スターと瓜二つ。見せてあげたらびっくりするかな。それとも、おともだちが増えたと思ってくれる?
「喜びそう、此れにしちゃうっ」
「ふふっ、よかった」
 きっと喜んでくれると思い至れば迷うことなんかない。ぎゅっと抱き締めればほわほわとやわらかく腕を包み込んでくれるよう。いちどにたくさん増えたたからものたちを手に、少女たちは誰からともなく顔を見合わせるとくすくすとちいさく声を上げて笑った。

 楽しい時間はあっという間。
 いっぱいマルシェを見て回ったあとには、あまいひとときが待っている。
「ショコラ・ショーはあの辺りでやってるみたい。一休みに丁度いいですね」
 マリーが指し示したその先にあるのは、おおきなおおきなお鍋の中であまい湯気を立てるショコラ・ショー。たのしみにしていた甘露の列に並べば、待っている間も漂ってくる香りで胸が満ちていくよう。
「ん〜〜! あまーい……! あったまるね……!」
「……ほんとう……とても、美味しい……!」
 ひとくち含めば夢心地。あまく蕩ける濃厚なショコラからふわりと香るバニラは、『さや』ごと一緒に丁寧に煮込まれたお店のとっておき。ほんの少しのぴりりとしたピンクペッパーの刺激はからだを温めるためのおまじない。気品高くふくよかで、芳醇な香りが口いっぱいに広がって、魔法のような口溶けがすこし冷えてしまったからだを芯から温めてくれる。
「この甘さが心も体も温めてくれて、とても美味しい……!」
「ほっぺが落ちるってこういうことね」
「ふふ! ほっぺ落ちちゃう〜は納得なの!」
「心もなんだか、ぽかぽかします、ね」
 ゆめのような甘さは思わず両手で頬を押さえてしまうほど。素敵なみんなと一緒に過ごしているから、そのよろこびはもっともっとおおきく膨らんでいくよう。

 たからものを抱いて、とろける甘露に身を委ねて。
 もうすこしだけこの眩いひかりの中に居よう。
 みんなといっしょなら、ほら――こんなにもこころがあたたかい。

ルクレツィア・サーゲイト
大海原・藍生
ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア
ソーダ・イツキ

●つづいていく、みらい
 マルシェ・ド・ノエル。意味はそのまま、クリスマスマーケット。
 けれど実際に足を運んだのははじめてのことで、眩いばかりの街のきらめきにも、ぎゅうぎゅうに詰まったたくさんの『すてき』の予感にもこころが躍る。ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア(巡星図をえがいて・h09471)は胸の中でそわそわと忙しく鼓動が早まっていくのを感じていた。
「(画廊では、私が一番の新参だけど……)」
 一緒に行こう、なんて。出過ぎた言葉だったかも。空気を壊したりしてしまわないかしら、なんて――ほんのちょっぴりだけ不安を覚えたのも一瞬のこと。皆に浮かんだ笑顔を見れば、胸に浮かんだ緊張も心配もきれいに拭い去られてしまった。
 彼らは皆そんなことを気にしない。
 こうして今一緒に立っていることがすべての証左なのだからと、ラウレンティアはふるふるとかぶりを振って皆と足並みを揃えて歩き出す。
「こうして見ると季節ってあっという間に移り変わるわね。紅葉の秋だったかと思えば世の中はもうクリスマス一色!」
 焦香の髪を風に遊ばせ、振り返ったルクレツィア・サーゲイト(世界の果てを描く風の継承者・h01132)が画廊『カゼノトオリミチ』に集まる仲間たちをぐるりと仰げば、何処か惚けたようにぽかんと口を開けていたソーダ・イツキ(今はなき未来から・h07768)と目が合って。『どうしたの?』と問うたなら、イツキはそこで我に返ったようにはっと息を呑んで誤魔化すように照れ笑いを滲ませた。
「いやー、現在のクリスマスって初めてなんだけど、こんなににぎやかなんだなあって」
「イツキさんのいた世界では違うんですか?」
 幼さの残る顔立ちに純粋な疑問を乗せて大海原・藍生(リメンバーミー・h02520)が首を傾げる。空想未来人たる彼女が居た『有り得るかもしれない|未来《IF》』には、一体どんな光景が広がっているのだろうか。
「私の未来はもっと素朴な感じだったなあ」
 生き抜くにはちからが必要な場所だった。それでも、優しいひとたちに囲まれて過ごしたあの日々は掛け替えのない宝物に違いなかったから。『でもそれも楽しかったけどね』と笑えば、それぞれから真っ直ぐな肯定が返ってくることが嬉しかった。

 並ぶ露店の棚に並ぶは色とりどりのオーナメントたち。きんいろやぎんいろのカルーセルはくるくると風に遊ぶたびにきらきらとひかりを反射してまるでそらを巡る星のよう。プレゼントを待ち望む子どもたちのための靴下たちは、ふつうに履くこともできるものから欲張りさんも大満足なおおきな寝袋サイズまで様々だ。それぞれの欲しいものを探しながら、うぅん、とイツキはちいさな唸り声を上げた。
「色々あるなあ」
「ね……! わたしもどれにしようか迷っちゃうわ」
 自分の部屋を模様替えしたいから、雰囲気が出そうなものを。
 雪だるまのぬいぐるみはおしりに重りが詰まっているのだろうか、つんとつつけば一瞬倒れるように傾くけれどすぐにからだを起こす姿が可愛らしい。机の上にちょこんと乗せられるくらいの小さなクリスマスツリーはひとつ置くだけでホリデーの風情を醸し出すことが出来るだろうし、陶器のおおきめなスープマグはころんと丸く絞ったような飲み口のかたちが面白い。
「よし、全部買っちゃおう」
 あれこれ悩むのは性に合わない。思い切って全部を買い求めたなら、しあわせの数は募っていくばかり。
 一方ラウレンティアが探すのは、仕掛け絵本やこれからどんどん深まっていく寒さを乗り越えるための防寒具。あれも、これも、と悩む時間さえ楽しくて。お気に入りの一着を探しているつもりが、気付けば画廊のツリーに似合いそうなオーナメントを真剣に探している自分がいることに気付いて思わず笑みが溢れてしまう。
「あ、……かわいい」
 硝子の天球のようなスノードームの中で、しろいおヒゲを蓄えたサンタクロースがにっこりと笑っている。くるんとひっくり返せばきらきらと雪と星が舞い上がり、まるで冬のさいわいをてのひらのなかに閉じ込めたよう。これにしようかな、と買い求めたドームを手にすれば、当初の目的とはまるで違うものを選び取った自分のことがおかしくて、微かに吐息が溢れてしまうけれど。
「(でも、楽しいな。みんなと一緒に、こんな日々をずっと過ごせていけたら……)」
 胸に満ちる幸福を抱いたまま皆の元へと小走りに戻れば、ルクレツィアと藍生が今まさにクリスマスツリーを彩るためのオーナメントを真剣な面持ちで探している姿が視界に飛び込んできた。
「いいものは見つかった?」
「うん、幾つか決めたのだけれど。素敵なものがたくさんあるからつい欲張っちゃいそうだわ」
 見れば、ルクレツィアの手の中にはオーナメントたちが詰まっているのであろう大きめの紙袋があった。藍生はどうだろうかと首を傾げば、すこし遅れて追い付いてきたイツキも興味深げに三人が見初めたたからものを覗き込む。
「ジンジャークッキーとかどうです? あとカラフルなアルミに包まれたサンタさんやトナカイ型のチョコ」
 クリスマス当日までは目で楽しんで、プレゼントを開くその日になったら食べて楽しむことも出来るすてきなもの。少年らしいチョイスに少女たちがくすりと笑めば、『食い意地張りすぎですかね』と照れたように頭を掻く藍生の姿が可愛らしい。
「あとあと、家族へのプレゼントも探したいんです」
「へえ、素敵だね」
 プレゼントは今までもらうばかりだったけれど、藍生はもう六年生。そろそろあげる側にまわりたいのだと、背伸びをする様子が微笑ましくてイツキが頷けば、何がいいかしらね、とラウレンティアが一緒になって首を傾ぐ。
「冬に寒いと悲しくなっちゃうので、温かい飲み物が似合うマグカップとか」
 値段を見れば丁度お小遣いで買えるくらい。色違いでそろいを買えば、きっと特別な贈り物になる。年上の友人たちが手放しで褒めてくれることがただ誇らしかった。

 『カゼノトオリミチ』を立ち上げて15日で丁度一年。
 初めは独りだったあの画廊にも今は多くの仲間が集ってくれた。ロビーに飾ったツリーは、そんな大切な仲間達へのささやかな感謝の気持ちだったりするのだけれど――口にせずともきっと、みんなにちゃんとこころは伝わっている。
「(こんな温かい気持ちで過ごせる日々が、長く、長く続きますように……)」
 気持ちはひとつ。
 祈りはそっと胸の中に秘めて、ルクレツィアは仲間たちの後を追い掛ける。

 買い物を終えたなら、あまい、あまいショコラ・ショーを飲みに行こう。
 忘れられない思い出が、きっと、またひとつ重なっていくはずだから。

戀ヶ仲・くるり
夜鷹・芥
千木良・玖音

●メロメロ・フィロソフィー
「このオーナメントがメロい! 2025!」
 どん!
 これが映像であれば華麗な装飾を施されたテロップが戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)の胴あたりにでかでかと表示されていたことであろう、二手に分かれた萬花の面々はそれぞれの意気込みを見せながら光り輝くマルシェを仰いでいた。
「始まったな、えいえいおー」
 存外にノリが良い彼の名は夜鷹・芥(stray・h00864)、萬花を束ねる長である。こういったキラキラとして可愛らしいものを見つけるのは共に歩む少女たちの方が得意そうではあるものの、自分とてこの大勝負に乗ったからには全力を尽くす。夜鷹・芥と云う男は、そういう男であった。
「めろい……? めろ……?」
 一方此度の頂上決戦の趣旨をあまりよく分かっておらずきょとりと瞳を丸くする少女の名は千木良・玖音(九契・h01131)。みんなでツリーを彩るオーナメントを探そうということだけ把握しており、純粋に楽しみにしていたのだけれど。
「向こうの3人に負けないオーナメント、見つけましょう! えいえいおー!」
「あっち3人とお披露目し合ったらツリーに飾ろう」
 やる気満々のふたりの傍らで、玖音は玖音なりに状況を咀嚼する。『めろい』がどういう意味を持つのかはまだよくわからなかったけれど、きっとこのマルシェに存在するたくさんの『すてき』を指し示す言葉なのだと思えば、ふたりがこんなに張り切っているのも理解できるから。
「オーナメント探しえいえいおー! です!」
 玖音はぐっと握った拳を掲げると、ふたりと共に意気揚々と宝探しの旅へと踏み出すのだった。

「しかしめろい、……めろいか……」
 芥は思い悩んでいた。ジャッジを下すのが女子であるならば可愛らしいものを選ぶのが無難であろうが、参加者の中には某月下の災厄が混ざっているものだから油断ならない。
「……」
 すっと手を伸ばした先にあったのはごりごりに仕上がっている筋肉質な赤鼻のトナカイ。可愛らしいオーナメントばかりが並ぶ中で、それだけが異質な存在であったからつい手に取ってしまったけれど。
「絶対違うな……」
「……め、メロって思ったらメロ……かな……」
 くるりと目が合わない。やっぱり駄目かと思い直す傍らで、わあ、と玖音の口からちいさな歓声が上がるから。気に入ったのを見付けたのであろうかとふたりの視線が下へと落ちる。
「フェルトのもこもこ動物さんです! 猫さん狐さんにパンダさん!」
 それは見慣れたアニマルたち。フェルトの風合いがあたたかみを感じられて可愛らしい。『これはめろいになるですか?』と瞳を輝かす少女の様子が可愛くて、思わず口元が緩んでしまう。
「もこもこかわいい、メロって思ったらメロだよ!」
 いいねいいね、と頷くくるりも負けてはいられない。
 吊るして展示されているオーナメントは実際にツリーに飾りつけた時の様子が想像できる所が良い。
「え〜でも全部かわいいな〜、お月様もいいな」
 手に取ったのは満月と三日月。星に見立てたベルと雪の結晶を吊るしたふたつの月は、夜を告げる特別な鐘のよう。
「くるりおねえさんの、結晶がきらきらで綺麗なの……!」
「くるりの選んだ月、いいな。……さっきのはなしで、俺はコレ。……どう? めろい認定されるか?」
 芥がそっと掲げたのは可憐な花に囲まれた金狐のサンタクロースのジオラマを閉じ込めた雪降るてのひらサイズのスノードーム。ちらちらと輝く六花が音もなく舞う様に、少女たちからそれぞれ感嘆の声が上がった。
「あっスノードームすてきですね! そっちにしましょう!?」
「芥おにいさんのも可愛いの! ドームの中に世界があるですね……細かくてすごいの!」
 幸せを運ぶ狐サンタに、萬花のおともだちアニマルズ。月の満ち欠けを示したオーナメントを並べたなら、こころときめく『めろ』が揃った気がして。顔を見合わせた三人は確約されたと思われる勝利の美酒を味わうべくしてひかりの道を再び歩み始めた。

「あー……身体あったまる……」
 折角名物なのだからと。ふたりに断りを入れてから手にした酒精は芳しく、林檎のスライスでつくられた薔薇の花が浮かんだヴァン・ショーはとても飲み易くつい勢いよく傾けてしまいそうになる。
「芥さん、ヴァン・ショーの香りだけお裾分けください」
「ふ、どーぞ。匂いだけでいいの?」
「清く正しい高校生は飲酒しません〜」
 く、と喉で笑いを噛み殺しながら冗談だと返せば、私も私も、と背伸びをした玖音に合わせるようにカップを低く持ち直す。
「わ、スパイシー。あったまりそう!」
「これが大人な香りです……?」
 シナモンはわかる。けれど、恐らくそれだけではない。色々なスパイスが沢山入っているのだろうけれど、不思議と葡萄の芳醇な香りが全てを包み込んで調和している。ふたりが大人になったらまたな、と眼を細める芥に頷いて、少女たちはショコラ・ショーをふうふうと冷ましながら鏡合わせの仕草で口にした。
「んふふ、あまーい」
「わ……! とーってもあまくっておいしいの!」
 おさけの味も気になるけれど、いちおしのとろける甘露だってとびっきりのもの。笑う呼気にさえあまさが滲むようで、こころがそわそわと擽ったい。

 待ち合わせの時間までもう少し。
 あまい湯気に包まれながら、芥たちは互いの戦果を称え合いながら笑みを溢した。

雨夜・氷月
花朔・瑚宵
藤春・雪羽

●メロメロ・イデオロギー
 一方その頃。
 先陣を切って飛び出していった仲間たちとは対照的にもう一組である三人はのんびりとした足取りで街を進んでいた。
「すっかり街並みはほりでー仕様じゃのう」
 夜のとばりでもひかりを透かすやわらかな白金の髪が電飾の白花に照らされてきらきらと煌めいている。あどけない貌に大人びた所作を乗せて微笑む花朔・瑚宵(百花・h09184)の足取りに合わせ、藤春・雪羽(藤紡華雫・h01263)は露店に並ぶ品々を確認しながら『聞いてはいたが、随分と品揃えが良いね』と感心したように深く頷いた。
「オーナメントなんて探すの初めて。メロいヤツかあ」
 気まぐれに着いてきた雨夜・氷月(壊月・h00493)は冴えた美貌に思慮を乗せ、雪羽が足を止めた露店に陳列されたオーナメントたちを覗き込む。
「藤春や瑚宵はもうアテがあったりする?」
「そうだね……例えばここのは陶器や硝子で出来ているらしいね」
 陶器であれば可愛らしい動物を模ったものであったり、硝子細工であるならば星のように光を透かした美しいものが良いか。樅木に飾りつけたなら適度な大きさのあるオーナメントたちは何れも見栄えがするだろうし、遠目からみても綺麗だろうと。言葉を重ねたところで、ふと、雪羽が花の寵愛を受けた双眸を僅かに伏せて考え込む所作を見せる。
「ところで……『めろい』とは結局どんなものなんだい?」
「んふ。『イイもの』だよ」
 それは率直な『好き』よりも上位の強い感情。理性が消し飛ぶほど夢中になってメロメロになってしまう、など。諸々諸説はあるけれど、概ね『恋しちゃうくらい超好き』といった具合の意味合いを持つSNSスラングと捉えてよいだろう。――と言っても、今この場で最もそれらに造詣の深い氷月は『言わない方が面白そう』と云う理由から首を傾げる雪羽にその全てを語ることは無かったのだけれど。
「はっ……二人とも、これ、これ見て!」
 そんな中、真剣に品定めをしていた瑚宵が興奮気味にふたりを仰ぐから。そこで質疑応答は途絶え、氷月と雪羽は瑚宵が掲げたオーナメントへと視線を落とす。
「筋肉質なイケメン雪だるまがサンタの爺を姫抱っこしておる。これはめろいのでは? つよいはめろい!」
 ここだけ作画が違う。時同じくしてもう一組の彼らもムキムキのトナカイを手に取り掛けていたのだが――共に過ごしているうちに価値観が似通ってきてしまったのであろうか。
「うーーん、確かにサンタ視点ならメロ雪だるまかも?」
「……瑚宵、確かに雪だるまは強そうだが……恐らく、一般的なめろいものではないと思うよ」
 多分きっとその、こう、いいものと氷月が称するのだから『誰もが魅了されるもの』の方が該当するのではないかと告げる雪羽の傍らで、瑚宵は『ええ!』と喫驚の声を上げた。
「これ、どっかに嫉妬に駆られるトナカイのオーナメント無いかな」
「む、そういえばそうじゃな。トナカイ何処行った?」
 トナカイの行方はもう片方の彼らが知っていることを三人はまだ知らない。
 結果発表の『おひろめ』で、きっとその真相は明らかになることだろう。

「ん、コレいいかも」
 流石にムキムキ雪だるまだけでは女性陣を困らせてしまうことは必須。ちょっとは真面目に選びますかと、氷月が手に取ったのは沈丁花に彩られたランタン型のオーナメント。純銀のフレームで縁取られた繊細な意匠は目にも楽しく、クリスマスを過ぎても飾る価値を十分に見出せそうだ。
「おお、事務所に咲くのも美しいが此方も綺麗で見惚れるね」
 ムキだるまもしっかり買うつもりでいるらしく確保している瑚宵の様子に氷月がちいさく噴き出したけれど、少女に気にした様子はない。もしかしなくても気に入ったのかもしれない。
「これならどうじゃ?」
「お、瑚宵は可愛いものを選ぶね」
 銀花がふわふわと舞うスノードームのカルーセルは天馬や一角獣たちがくるくると楽しげに回っていて、御伽話のゆめを見せてくれるよう。見つめているだけでこころが躍るようだとはにかむ瑚宵に頷きながら、雪羽も自分なりに胸ときめく品を探してううん、とちいさく声を上げる。
「のんびりしていると夜が明けてしまうね。……おや、これは」
 ぱちりと目線が合ったのは陶器製の白と黒の子狐たち。首にはクリスマスリースのマフラーを巻いて、頭には色違いのサンタ帽子をちょこんと乗せた愛らしいその姿に知らず笑顔が溢れてしまう。
「ふふふ、よし。これにしよう」
「藤春のも可愛いし、狐なの良いね!」
 どれもホリデーにぴったりの愛らしいとっておき。
 いざ決まって仕舞えば、次に気になるのはもう一組の彼らのことで。
「向こうチームは何を選んでるんだろね」
「みなが選んだものを見るのも楽しみだね」
 お眼鏡にかなうといいのだけれど、なんて。くすりと笑みを溢したのは誰が一番はじめだったのか。さて、合流する時間までまだ余裕があるからと、雪羽は小首を傾いでねがいごとを口にする。
「もし、良ければ。ショコラ・ショーを飲みたいのだけれど、二人ともどうだい?」
「賛成、休憩なのじゃっ」
「良いね、乾杯しようか」
 いちばんのおすすめとあるならば、是非味わいたい。
 微睡むようにあまい甘露を口にしながら、皆が選んだとびっきりのおめかしで彩られたツリーの姿に想いを馳せよう。ゆめのようにあたたかなショコラに揺蕩いながら、三人は暫しの間さいわいに満ちた街の喧騒に心地よく揺られていた。

逝名井・大洋
氷野・眞澄

●守るべきもの
 黄昏の世界には無い華やかさと眩さ。俯くばかりの人々の憂いや諦観はそこにはなく、甘ったるいくらいのさいわいと笑い声が辺り一面に満ち満ちていた。
「やって来ました、クリスマスマーケットぉ!」
 杖をつく氷野・眞澄(サイレントキー・h07198)が混雑に足をとられぬよう、己を盾にしながら軽快に進む逝名井・大洋(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)は分かりやすく喜色を浮かべながら溢れんばかりの街のひかりを仰ぐ。
「クリスマス もうそんな季節なのですね」
 どうりで寒さが身に染みる。霊力を扱う代償として残されたこの身体は余りに脆弱で、体温調節さえ人並みに出来はしない。それ自体はもう慣れたものではあるが、幾ら明るく照らされているからとは云え冬の夜道は少々堪える。
「折角ですし防寒具の手配をしましょう」
「ですね、あったかいヤツ探しましょ!」
 目星をつけて探すのならば広いマルシェもそう迷わない。これから更に深まっていく寒さから身を守ってくれる防寒具の数々は、日々に寄り添うものからちょっとだけ背伸びしたお出かけに連れて行けるようなきちんとした仕立てのものまで様々だ。
「ああ これなんて暖かそうですね」
 上等なカシミヤで織られた紺青のマフラーに揃いの手袋は軽く触れただけでとろけるような滑らかさが伝わって来て心地良い。身に纏えばやわらかな温もりに包まれたかのようで、険しいばかりの眞澄の表情は大きく変わらないけれど、気持ち、纏う空気が和らぐようだった。
「どうです 変じゃないですか?」
「それ先輩めちゃ似合ってますよぉ、ボクもマフラー買っちゃおっと♪」
 敬愛する先輩がそうして喜んでくれることがただ嬉しくて。笑みを深めた大洋も同じように陳列されたマフラーたちに手を伸ばした。

 買い物を楽しんだ後はショコラ・ショーで一服を。
 酒精を嗜めない訳では無いけれど、今は甘いものを口にしたい。
「逝名井さんはどちらにします?」
「ボクも今日はショコラ・ショーで……」
 そうして自分と同じものを望む言葉を聞けば、眞澄は彼が動くよりも早くふたりぶんの会計を済ませてしまうものだから大洋は目を丸くしてしまう。
「……えっ、先輩の奢りですか!?」
「いつぞやの御返しです お気になさらず」
 湯気立つカップはふたりぶん。不自由がないように大洋がそれを受け取れば、見る間に喜色が浮かんでいく様に眞澄はほんの僅かだけ目を細めた。笑みにこそ満たないけれどそれが彼の快であると今は理解できるから、大洋の笑みは深まるばかり。
「ありがとうございます! ベンチまで運びますよ!」
 近くのベンチに腰を下ろせば最初に出逢った日のことが思い出される。あの日も確か、こんな風に並んで座っていたっけ。懐かしむように口にしたあまいショコラがじわりと胸に沁みていくようだった。
「普段仕事ばかりに追われていてゆっくり買い物をする機会も中々ないので なんだか新鮮で……楽しいですね」
 楽しい、なんて。
 不意に齎された思いがけない言葉に、ぱちりと目を瞬かせた大洋の頬が僅かに熱を持つ。そんな風に思ってくれることがただ嬉しくて、うれしくて。緩んでしまう顔を抑えきれない。
「貴方に誘って頂けて良かった 改めて有難うございます」
「ボクの方こそ……ありがとうございます!」
 こんなに嬉しいことないやぁ、なんて。思わず溢れた言葉を眞澄が厭わずに居てくれたことに、大洋は少しの照れを滲ませながら『またお出かけしましょうね』と綻ぶような笑みを浮かべた。

ツェイ・ユン・ルシャーガ
アダルヘルム・エーレンライヒ

●しらゆきのオルゴール
 冬も寒さもあまり得意な方ではないが、この時期だけは浮き足立ってしまう。
 眩いばかりに彩られた街並みを歩みながら、アダルヘルム・エーレンライヒ(華蝕虚蝶・h05820)はしろい吐息越しに滲むひかりを眩しそうに見つめていた。
「ああ、灯りも温もりも冬夜故に一層、愛おしく思うものさなあ」
 足取りは人々のさいわいに乗って軽やかさを増していくよう。ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)もまた、祝祭の足音を確かに感じていた。
「俺は菓子でも探そうかねぇ」
 オーナメントも良いが、この季節にだけ出回る菓子の数々も見逃せない。幾らあっても足りないものだから、これを機にたくさん買い溜めしておかなければ。
「すぐに無くなる未来が見えるんだ。何でだろうなぁ?」
「さて? 何処の底なし食いしん坊の所為かのう」
 声を袖で少しだけ抑えるけれど、ツェイが笑っていることなんて気配で直ぐに分かってしまう。お見通しだったかとアダルヘルムも笑えば、あとにはふたりの間には可笑しげな笑い声ばかりが溢れていく。
「それでも叶えてやるのじゃろ」
「ああ、そうだとも」
 サンタの騎士の財布が空っぽになるまで、今日という日を存分に楽しもう。ゆらりと浮かぶようなツェイの後を追うように、アダルヘルムも少しだけ歩調を早め立ち並ぶ屋台へと靴先を運んだ。

 微かに耳柄を擽るオルゴールの音色が心地良い。
 異国の色彩に異国の音楽。人々の笑顔を構成するそのすべてが好ましく、ツェイは懸命に贈り物を選ぶアダルヘルムの横顔をちらりと見遣る。随分と纏う空気までもが柔くなったものだと微笑めば、ぱちりと此方を向いた目と目が合った。
「どうかしたか?」
「いや。お気に入りは見つかったかの?」
 個包装されたクッキーを閉じ込めたオルゴール缶は食べ終わった後も長く楽しむことが出来る。雪に見立てたホワイトチョコレートでおめかししたフィナンシェからはバターの香りがあまく漂い、自然とお腹が空いてくるよう。この季節だけのシュトーレンも食べ比べが出来たら楽しいだろうか。
「ふふ、選びきれなくてな」
 全部買うしかないだろう? なんて。楽しげな様子を見ればまるで自分まで心が浮き立つようだ。
「ツェイ殿は何を?」
「ああ、愛い子と一緒に飾ろうと思うてな」
「それは良いな。準備も含めて良い想い出になる」
 樹脂に木製、陶器に――目移りしてしまうくらいに沢山の煌めきに溢れた品々はどれも胸を揺さぶるけれど。ふと目を奪われた硝子玉のオーナメントを手に取れば、六花の彫られた一揃いはまるでシャボン玉のあぶくのようにうつくしい。
「ふむ。此れならば屹度、灯りにも良う映えよう」
「ふふ、灯りも一等美しく映えるだろうなぁ」
 それはそれとして、アダルヘルムが買い集めた菓子たちも捨てがたい。気付けばチョコレートとフルーツがぎゅうぎゅうに詰まった特製のシュトーレンまで買い求めてしまったことに、『市の魔法よな』とツェイはふくふくと笑みを深めた。

「ほれ、むこうで温かいものを頂こう」
「ああ、喜んで。少し休憩しようか」
 たくさん歩いたその後に待っているのは甘やかな飲み物たち。おおきな鍋であたためられるその姿に、知らず視線が吸い寄せられるよう。
「我はショコラ・ショーとやらに決めたぞ」
「俺はヴァン・ショーにするよ」
 空気は痛いくらいに冷たい筈なのに、胸に満ちるのはよろこびと云う温もりばかり。
 星々に負けないくらいに耀う街あかりの中、ツェイとアダルヘルムは注がれたカップたちを掲げるとちいさく『乾杯』と笑みを交わし合った。

九鬼・ガクト
香柄・鳰

●むすぶえにし
 あたたかく煌びやかで、暈けた視界の中でも、この瞳にも皆が笑顔なのだと云うことが伝わってくる。こんなにも穏やかなクリスマスがあるなどと、嘗ての香柄・鳰(玉緒御前・h00313)にはきっと想像することさえ出来なかった。
「ましてガクト様と共に過ごせる日が来るとは!」
「そうだね、鳰とは初めてのクリスマスかな?」
 傍らを歩く九鬼・ガクト(死ノ戦神憑き・h01363)の表情までは伺えなかったけれど、何となく、彼も笑ってくれているような気がして。微か目を細めれば鳰の視線に気付いたガクトが此方を向いてくれるから。嬉しくなって笑みを深めれば、どうしたの、と掛かる声は何処までも優しい。
「クリスマスはイルミネーションとか派手なイメージだったけれど、この街の淡い感じは良いね」
「はい。とても綺麗で……あたたかい、ですね」
 鳰が嬉しいのなら良かったよ、と。くすりと笑う呼気が耳殻を擽るから、彼の喜びが本心からのものであると知る。『ご一緒出来て光栄です』とはにかむ鳰の言葉に応えて、ふたりは静かにひかりの道を進んでいく。
「ガクト様はクリスマスはどう過ごされていたのです?」
「んー、私かい?」
 今まで、これまで。クリスマスと名がつく行事とは無縁の世界に身を置いていた。
 将としてのつとめを終えたその後もそれを知ることはなく――と言うよりは、縁遠くなり過ぎて存在自体を忘れてしまっていたから。一人で何時もと変わらずに過ごし、『そう云えば今日はクリスマスだったのか』と街の様子で気付く程度のものであったのだとガクトは語って聞かせてくれた。
「まあ! 我が主らしい」
 頓着しないと云うか、何と云うか。それでもそんな彼が今はこうして色々なところに共に出掛けようと足を伸ばしてくれる事が喜ばしかったから、鳰に浮かぶのは笑みばかり。上機嫌なままの鳰の様子に数度瞬き、ガクトは『おれだけ話すのはフェアじゃないよね』と小首を傾いで見せた。
「そう言う鳰はどう過ごしていたんだい?」
「私は大体は戦場で迎えました」
 姉が存命していた頃は少ない物資をやりくりして細やかな贈り物をしたり、常よりもすこし上等な携帯食料を口にしたり。貧しいけれど、こころはきっと豊かであった。
「お姉さんとの想い出が少しでもあるのなら良い事だね」
「……ええ、大事な想い出です」
 姉を喪ってからはそれさえ無くなって。後は自分も彼とそう変わらない。
 色褪せた日々。だからこそ、今が鮮烈なほど眩く思えた。
「鳰も同じなら、今日は二人初めてのクリスマスだね」
 今までが空虚であったのなら、きっとこれから沢山の想い出を詰め込んでいける筈だから。今日は楽しもうねと微笑むガクトへ、鳰はこくりと頷き気恥ずかしげにはにかんだ。
「……と、寒くは御座いませんか?」
 当て所なく歩くだけでも勿論楽しいけれど、冬の夜風はぴりりと冷たく肌を刺していく。ならばと、一際目立つ大鍋から立つ湯気に誘われながら鳰はあたたかなカップを手にガクトのもとへ戻ってくる。
「スパイスと果物入りのホットワインだそうです。どうぞ」
「寒くは無いけど……ありがとう頂くよ」
 クローブにシナモン、スターアニス。あまり聞き覚えのない横文字の香辛料たちがふんだんに取り入れられた葡萄酒に、林檎やオレンジの甘酸っぱさが角を取ってくれている。胸いっぱいに香気を吸い込めば、ひとときのゆめにあまく酔い痴れてしまいそう。
「鳰もちゃんと飲むんだよ」
「あら、私も? ……ではお言葉に甘えて少しだけ」
 己を律しがちな彼女が素直に頷いてくれたなら、良い子、と笑ったガクトは軽くカップを傾ける。甘口のワインで作られたヴァン・ショーはとても飲みやすく、ともすれば簡単に酔いが回ってしまいそうだったから。美味しくても一気に飲んだらいけないよと言い含めれば、まるで子どもの自分に戻ったようです、なんて鳰はくすりと笑みを溢した。

 軽やかな鈴の音色が聞こえる。
 隣の露店の屋根の下からそれが鳴っているのだと知れば、自然と足はそちらへ向いていく。
「これは……ツリーのオーナメントかしら」
「綺麗な音色だね」
 陶器で出来たツリーに飾られたちいさなベルが愛らしい。樅木といえば緑が目立つが、たくさんのいろを揃えた手製のオーナメントたちは目にも耳にも楽しくて思わず手が伸びそうになる。
「そうだ、今年は『藤や』にもツリーを飾るのは如何です?」
 和菓子もクリスマスに馴染んでいるし、茶屋処にツリーがあってもおかしくはないはず。いかがでしょうかと両のてのひらを重ね合わせる鳰の仕草がなんだか慣れないおねだりをしているようで、ガクトは口元に笑みを敷きながら頷いた。
「なるほど、『藤や』に飾るのも面白そうだね」
 定番の飾りや和風なものも勿論良いけれど――彼女に似た人形を飾るのも良いだろうか?
「わ、私の人形?」
 思わぬ提案に目を丸くして、次には頬にぱっと朱をのぼらせた鳰が慌てた様子でふるふるとかぶりを振ってみせる。人型のクッキーは聞いた事があるけれど、自分の人形となれば話は大きく変わってくる。
「恥ずかしいと申しますか恐れ多いと申しますか……!」
「おや、どうして? 鳰は看板娘だからお客様も喜ぶよ。いやでも、それはそれで嫉妬されそうだね」
 『私は貴方様の従者ですから余り表に出るのは』と、あかく染まった顔を俯かせながらぽつぽつと呟く鳰の姿は年相応の娘のようで愛らしい。『なんであれ鳰は私の鳰なのには変わりないからね』と言葉を重ねれば、わっと声を上げて顔を覆ってしまうものだからつい意地悪をしたくなってしまう。
「んー、可愛く作るね」
「あッこれは飾られてしまう流れ……!」
 サンタクロースよりも君を。
 いずれ藤やのマスコットとして飾られる人形をどう仕立てようかと考え込むガクトの姿に、鳰はもぞりと落ち着かぬ様子で手指を組みながら視線を泳がせるのだった。

咲樂・祝光
エオストレ・イースター

●カシミヤのセーター
「祝光! みてみてー! どこもかしこもキラキラしてて綺麗!」
 踊るように軽やかに、弾む足取りは何処までも。桜宵の双眸に星を煌めかせ、エオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)は降り注ぐひかりのみちを歩みながら咲樂・祝光(曙光・h07945)を振り仰いだ。
「煌びやかで美しいな。見渡す限りの光の煌めきに心が逸るようだ」
「まるしぇどのぉーる? っていうの? キラキラしててわくわくして好きだなぁ!」
「……マルシェ・ド・ノエルだよエオストレ」
 真昼のように明るくて、冬の夜の澄んだ空気までもが暖められているかのよう。自分たちの心までもがそわそわと浮き立って、互いの口元が綻んでいくのを感じていた。
「最高にイースターだよ!」
 ホリデーを彩るクリスマスマーケットだ、と。紡ぐ祝光のかんばせには僅かな懸念が浮かぶ。ぴょんぴょんとそのまま飛び出していきそうなエオストレがはしゃぎすぎてしまわないか――ああ、ほら。また彼はそう口にするものだから。
「絶対、イースターにするなよ!」
「むー、わかってるってば! イースタークリスマスでしょ!」
 わかっているやらいないやら。釘を刺しに刺し終えたなら、今度こそマルシェへと赴こうと足を踏み出したその先で。そっぽを向いていたエオストレが次には期待のいろに瞳を輝かすから少しだけ身構えてしまう。
「先に大聖堂行こうよ! きらきらしたイースターなステンドグラスがあるんんだって〜、ロマンチック!」
「大聖堂? 俺も気になるけど……」
 厳粛な雰囲気の中、男二人で何を話すと言うのだろうか、と。それをそのまま口にすれば春の祝祭は長耳を力なく萎れさせながら不満げに唇をつんと尖らせてワガママを叶えてほしいとかぶりを振った。
「……男二人でもできることあるし! ぶーぶー!」
 君に、冬の|さいわい《イースター》を。
 ただそれだけを齎したくて、エオストレは祝光の袖を引き掛けたのだけれど。
「ステンドグラスなら、ほら。俺の翼があるだろう」
 それはしろいひかりを透かす黎明の穹彩。幾重にも折り重なったひかりのいろが広がれば、まるでそらに包まれているかのような安心感を連れてくる。
「それもそうだね。|クリスマス《イースター》の光に照らされた祝光の翼が一番綺麗なステンドグラス!」
 ひかりの加護を、君に。
 祝光からの確かな信を感じながら、こころを上向かせたエオストレは『それならまるしぇをいっぱい回ろう!』と再び爪先を踊らせるのだった。

 飾りひとつとっても日本では見掛けないような西洋の趣は如何にもクリスマスらしさを伝えてくれるから自然と胸が躍るよう。
「きらきらだぁ、イースターエッグのオーナメントはあるかな?」
 イースターツリーをつくるのならばたまごやうさぎのオーナメントがいいだろうか。陶器で出来たそれらであれば、傷んでしまうことなく春の祝祭まで長く愛でることも叶うだろうと、エオストレはきょろきょろと視線を巡らせる。そんな楽しげな彼の様子とは裏腹に、祝光のかんばせには僅かな憂い――否、何方かと云えば郷愁か。僅かな憧憬にも似たいろを瞳に乗せ、幸せであった過日に想いを馳せていた。
「(……旅の途中の時は一人だったけど。クリスマスは……家族で祝っていたな)」
 今が不幸せな訳じゃない。それでも、時々どうしても懐かしくなってしまうのは。あの日々がきっと陽だまりのようにあたたかかったから。
 眩しそうに目を細める祝光のもとへ、ひょこりと顔を覗かせたエオストレがにっと満開の笑顔を浮かべながら小首を傾ぐ。『今年は僕が一緒だぞ!』なんて、無邪気に笑うその姿は今この瞬間、この場に春が咲いたよう。
「……それもそっか」
「ふふーん!」
 悪くないな、と。微かに祝光が咲った気配にエオストレの笑みもどんどん深くなる。こんなさいわいに満ちた夜に、悲しかったり寂しい気持ちにさせやしないと意気込みながら、エオストレは選びきれないオーナメントたちを両手に掲げて見せた。
「どれが一番イースターっぽいかな?」
「……イースターエッグのオーナメントはないんじゃない? 代わりに林檎とかじゃダメなのか」
「林檎でもいいけどさぁ……、……あ! これいいんじゃない?」
 可愛らしいパステルカラーのベストでおめかししたうさぎたち。彼らはきっと、イースターツリーに迎える友人候補として相応しかろうと祝光が幾つか見繕う傍ら、急に視界が極彩色のぱやぱやとした物体で埋め尽くされたものだから。何事かと視線を上げたその先、満面の笑みで手編みのセーターを広げるエオストレの姿があった。
「可愛いセーター! どーんと柄があってハッピー!」
「そっ、」
 れ、は。
 緑と赤の主張が激しすぎる。胸から下は顔の主張が激しすぎる。巨大なサンタクロースとトナカイのいい笑顔が刻まれたそのセーターは、一枚絵としては愛嬌があるのかもしれないが身に纏うものとして考えると少し、若干。かなり個性的な逸品であった。
「お揃いにしよう! 早速着よう、絶対可愛いから!」
「え!? いや、お揃いで!? ちょっと恥ずかしいというか……今着るの!?」
 肌触りだけがやたら良いのが余計に居た堪れなさを連れてくる。店主の貴婦人のお手製であると告げられれば、余計に断りづらくて、つまり。
「……なんやかんやでお揃いのクソダサセーターになってしまった……」
 今も妹のことを探している。一日とてその悲願が揺らいだことはないけれど。
 今日ばかりは『その日』にしてはならないと――祝光は遠い目をしながら、一風変わった冬の祝福を授かるのだった。

「祝光! しょこらしょ、飲もう!」
 両手いっぱいの買い物を終えたら、きみとふたりであまい温もりに満たされよう。
 猫舌ならぬ兎舌だと、ふうふうと一生懸命ショコラ・ショーを冷ますエオストレの姿に祝光はそっと目を細めた。
「イースターじゃない祭りを楽しむのだって、いいものだろ?」
「……まぁね。祝光と一緒だからね!」

ファウ・アリーヴェ

●この想いの名は
 世話になっている皆にクリスマスの贈り物を。
 ひとりひとりの顔は容易く思い浮かべることが出来るのに、この手は誰かの笑顔を手繰り寄せるには余りに不器用だと、ファウ・アリーヴェ(果ての揺籃・h09084)は自らのてのひらに視線を落としながら、それでも常ならばそこで立ち止まってしまいそうになる己へ否とかぶりを振って叱咤する。
「(……誰にも等しく光はそそぐ、か)」
 マルシェ・ド・ノエル。『クリスマスマーケット』なる催し物に足を運ぶのははじめてのこと。眩しすぎるほどに煌びやかな街を歩くのは少しばかり落ち着かないけれど、探しているものはきっとこの場所にすべて揃っているから。ファウはそわそわとした街の浮き立つ空気に戸惑いながらも街の喧騒へと身を委ねていった。

 スパイスが効いたあたたかなワインは自宅でも再現出来るものだろうか。贈答用はあるかと問えば、店番をしていた気のいい青年はぴったりの葡萄酒と香辛料を化粧箱に収めてくれる店の場所をていねいに教えてくれた。憧れている彼は何となく酒精を好みそうだし、もしも飲めなかったとしても友人たちに振る舞って貰えたら彼を囲む時間がきっと華やかなものになるだろう。
 植物性の材料に拘っているのだという化粧品の数々の中でも手軽なハンドクリームは続く寒さと乾燥から友を守ってくれるはず。香料の入っていない純粋なものを選べば、消費に困ることもあまりないと思いたい。紅茶は幾つかフレーバーを選べば飽きが来ないだろうか?
「人気なものは、何かあるだろうか」
「今はホリデーにぴったりのものがたくさんございますよ。果物がお好きならオレンジポマンダーやアップルシナモンはいかがでしょう? それから……」
 缶に入った茶葉たちはそれぞれ果皮や花弁、金平糖。食べられるいろどりで思い思いのおめかしを楽しんでいる。実際に香りをお試しになってくださいと微笑み掛けられるのに促されて、ううん、と悩みに悩み抜いたそのあとに。いちばん気に入ったホワイトチョコレートとナッツの茶葉はこっそり自分用にも買い求め、個包装のティーバッグが色々詰まったちいさなギフトボックスを包んでもらえば渡したあとのよろこびのいろが目に浮かぶようですこしだけ擽ったい。
「あとは……」
 ひとめ見た瞬間からこころ奪われた可憐な冬の彩。手にした鼈甲の簪に冬牡丹と白梅が寄り添うように咲いている。気品高くうつくしい、あのひとに似合いのはなのいろ。
 身につけて欲しいなどと大それたことは口にしないけれど、それでもいちばんはじめにあなたに似合うと思ったから。
「(箪笥の隅にでも置いてくれたら)」
 それだけで十分、この胸は幸福に満たされるからと。気恥ずかしげに目を細めながら、ファウはたったひとつの特別を大切に胸に仕舞い込んだ。

 永い、ながい、永い間。幾度となく見たしろい吐息。
 生きていることを証明する熱を帯びたその軌跡に対して、今まで何の感慨も抱くことは無かった筈なのに。どうしてか、人々の輪郭を滲ませる淡い白が、最近はとても楽しく感じる。
「……ふ、」
 冷えてきた身体を暖めるのはてのひらの中にあるショコラ・ショーのせいだろうか、それとも――ああ、あまい温もりにこの胸までもが満たされていくよう。両腕いっぱいのまごころを抱え、ファウは行き交う人々のすがたを見詰め唇から密やかに笑みを乗せた呼気を溢した。

祭那・ラムネ

●Godsend
 自分のもとにサンタクロースが来たことはない。
 だけど、弟妹たちにとって祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)はたったひとりの夢を与える|存在《ヒーロー》に違いなかった。
 施設から追い出された身では前よりも兄らしいことはあまり出来なくなった。でも、一年のうちにたった一日。その聖夜だけは『そう』ありたいから。だから、ラムネは身銭を切るかたちで今この場所に立っている。
「(俺たちの住む√汎神はまだ少しだけ暗いけど)」
 施設の経営資金や皆の生活費。彼らの未来を担うための資金も、雑費を含めればどれだけ働いても足りないくらいだ。
 それでも。それでも弟妹たちには何時までも笑っていてほしいから。
 頑張って、頑張って。節制を重ね寝食を疎かにしてでもこの季節は何時も以上に働いて、漸く今年もラムネは幼い弟妹たちのサンタクロースになれるだけの資金を得ることが出来た。自分の防寒具さえ惜しくて、ラムネの姿は側から見れば寒々しいくらいだったけれど、動けば直ぐに暖かくなるから外気の冷たさをそう気にすることはない。
「(何がいいかな……)」
 弟たちには胸躍る冒険譚を。妹たちには寂しい想いをさせないようにあたらしい友人を連れて行くのがいいだろうか。事前にそれとなく欲しいものをリサーチしてみたは良いものの、ここには世界中から集められた『すてき』が沢山並んでいて迷ってしまう。
 海外の言葉はまだまだ幼い彼らには馴染みが薄いだろうが、絵だけでも物語が理解出来るようにつくられた仕掛け絵本の数々はラムネから見ても楽しいものだった。自然と自分が竜に纏わる物語を選び取ってしまったことにちいさく笑みを溢しながら、次にはたくさんのぬいぐるみたちがぎゅうぎゅう詰めになった店を覗き込む。
「わっ、すご……!」
 思わず感嘆が溢れてしまったのは、それのぬいぐるみたちがひとつとしておなじ表情のものが居ないこと。ぬいぐるみ作家である店主がいちから手縫いでいのちを吹き込んでいるらしく、釦で目や手足の関節を留めて表現している風合いが如何にも手作りらしさがあって愛らしい。
「ちいさな妹たちに贈るんです。皆で遊べるように、寂しくないように。お揃いのものが良いかなって」
「まあ、まあ。でしたら、この子たちはいかがかしらね」
 それはきょうだい人数分ぴったりの鼓笛隊。そろいの衣装に身を包んだ彼らのおなかには、『ぷぃ』と鳴くちょっとした仕掛け付き。ちいさな子どもが誤飲したりしないようにある程度しっかりしたおおきさを持つ彼らは毛足が長い素材で出来ており、抱き心地もやわらかで心地いい。
「……これにします。あの、配送ってお願いできますか?」
 楽しいばかりの時間であれば良かったけれど、この後には仕事も控えている。にこりと微笑んだ店主に贈り物たちを託せば、あとは自分のつとめを最後まで果たすのみ。

 ――けれど、それまでにもうひとつだけ。

 何時も寄り添って、守ってくれる友へ。
 彼とは夢の中でしか逢えないけれど、かなうなら夢の中へと持っていくことが出来ればと。ひとのすがたを成してくれた天のかたちを思い浮かべながら、ラムネは残された金銭で買える精一杯のものをと真剣な眼差しで並ぶ露店をじっと見詰めた。
「あたたかなマフラーがいいかな」
 カシミヤ製のいっとう上等なものを選ぶには財布の中身が少々心許ない。もう少し手頃なもので、出来れば慣れない鱗のない皮膚に戸惑っているであろう彼にすこしでもやさしい素材が良いと、ラムネが手に取ったのはしろく滑らかな肌触りの襟巻きだった。アルパカの毛を丁寧に編んで作られたそれは軽く、保温性にとても優れているものなのだと言う。もしかしたら既に死した彼には体温の変動など最早感じられないものなのかもしれないけれど――それでも、友を想うこの気持ちを無碍にするようなひとではないことを、ラムネはもう知っているから。
「(やさしい貴方が、どうか凍えることのないように)」
 想いを込めて、ラムネはひとつだけ手元に残った贈り物を優しく抱いた。

 もしもあなたが次にゆめを見るのなら。
 天の名を抱いた竜は困ったように笑って贈り物を受け取ることだろう。
『私のことを慮ってくれることは嬉しいが……君。また寝ずに働いていたね?』
 言いたいことは山ほどあるが、時間は何時だって限られている。『君が起きている時は、君がそれできちんと暖まりなさい』と。目覚める直前に巻かれたぬくもりは、厳しい寒さからふたりをきっと守ってくれる筈。

御狐神・芙蓉
エル・ネモフィラ

●Petit bonheur
 夕凍みの匂いにあまいショコラと葡萄酒の湯気が滲み出すよう。ありふれたしあわせを玩具箱いっぱいに敷き詰めたら、きっとこんな景色が広がっているのだ。
「誘ってくれてありがとう、芙蓉」
 薄花いろの双眸に、きらり、ちかりと星が煌めいている。少女らしい憧憬を胸に抱いてはにかんだエル・ネモフィラ(蒼星・h07450)はおてんばな爪先を軽やかに踊らせる。無邪気に身を翻す姿に、御狐神・芙蓉(千歳洛陽花・h04559)は朱を乗せた唇を綻ばせて『来てくれてありがとうございます』と嫋やかに微笑んだ。
「クリスマスマーケット、とっても楽しみだったのです」
「……私も。飾りも食べ物も、クリスマス一色で好きなんだ」
 しろい電飾のあかりに照らされた街並みにはよろこびとさいわいばかりが満ちている。何処から足を運ぼうか、なんて密やかに言を交わし合うことさえ楽しくて、ふたりの笑みは深まるばかり。
「エル様は気になるお店はありますか?」
「そうだね、私は……アドベントカレンダーが気になる」
 チョコレートや紅茶。食べ物に限らないのならば、化粧品やオーナメントまで。聖なる夜を待ちながら日毎に訪れる幸福を開くのはきっと当日まで長い間楽しめる。色々な種類があるみたいだから、よければ一緒に見よう、なんて。気恥ずかしげに伝えてくれる少女の姿にあまく瞳を撓めると、芙蓉は『沢山見て回りましょうね』と咲き綻んだ。

 店先に吊るされた木彫りの看板を目印に、気になった店の屋根下をそっと覗き込む。
「見てくださいな、エル様。この硝子の青い鳥……とっても綺麗じゃないですか?」
 はじめに立ち寄ったのはオーナメントを中心に取り扱う露店のひとつ。硝子細工を中心に集められたちいさな隣人たちはどれも澄んだ煌めきを宿していて、割れないようにそうっと手に取って掲げれば数多のひかりを吸い込んできらきらと何層にも輝く鮮やかな硝子の色彩に、何方からともなく感嘆の息が溢れる。
「なんだかエル様みたいで」
「私みたい? ありがとう」
 首に星彩のリボンを巻いておめかししたあおい小鳥はつぶらな瞳が愛らしい。この子が自分に似ているなんて、唐突に齎された言葉はこの胸を容易く擽って。知らずふたつの彩を宿した羽耳がそよそよと揺れるのを、芙蓉だけが気付いていた。くすりと楽しげな笑みを溢す姿にほんのすこしだけ照れ臭さを覚えるけれど、どうしたって嬉しさばかりが優っている。
「……あ、見て、芙蓉。この子……頭にポインセチアを付けてるよ」
「私の様なオーナメントもありました? ふふ、嬉しい」
 エルがてのひらに招いたのは、栗毛が愛らしい狐の子。あかい苞を耳元に飾り凛と立つその姿は彼女によく似ていて。かわいい、とちいさく零せば芙蓉の瞳がぱちりと瞬く。『連れて帰ってもいいかな』とひかえめにねがいごとを口にするエルの仕草ひとつひとつが可愛らしい。
「芙蓉、儚睡楼にツリーを置いてみない?」
「まあ。それはよいですね」
 屋敷におおきな樅木を飾ったら、皆びっくりするでしょうか。
 この子達を飾ったら、きっと素敵なツリーになるよ、なんて。まるで内緒話をするように囁き合えば、皆の笑顔と驚きが同時にやってくる様子が想像できるから。
「では、儚睡楼の皆さんに似たオーナメントも探しましょう」
 ツリーに飾ったら、きっと。皆が一緒に居られるみたいで嬉しいからと。芙蓉から齎されたもうひとつの提案に、エルは頬に喜色を乗せて直ぐ様こくんと頷いて是を唱えるのだった。

 アドベントカレンダーは壁掛けのものであったり板状になったものだったり、はたまたおおきな箱だったり。中身によって様々な意匠を施された日めくりのたからばこたちは沢山の種類を眺めているだけでも十分に楽しい。
「これ、楽しそう。毎日飾って……だんだんツリーが豪華になっていくの」
 エルが見つけたのは分厚い本の形をしたクリスマスオーナメントのカレンダー。てのひらの中に収まる程度の大きさの飾りがたくさん詰まっているのであろうその本の完成系は当日までのお楽しみなのだと云う。
「なんて素敵。最終日のツリーはどんな姿になるのか、楽しみですね」
 方や芙蓉が選んだものは街でいちばんのショコラティエが手掛けたチョコレートのカレンダー。クリスマスまで毎日違う味わいや食感で楽しませてくれるとびっきりなのだとか。
「エル様はクリスマスプレゼント欲しいものはありますか?」
 せっかくなら自分からもなにかを贈りたい。自分は新しい扇子が欲しいのだと告げてみたなら、改まって欲しいものを伝え慣れていないエルも遠慮がちに唇を震わせた。
「お菓子の詰め合わせ、とか。クッキー缶でもいい。わくわくしない?」
 色とりどりの焼き菓子たちは目にも楽しいし、沢山の味がひとつの入れ物の中にぎゅっと詰まっているところもどれから食べようか選ぶ楽しみがあって胸が躍るのだと。告げるエルの羽耳が逸る気持ちと共に揺れる様子に、芙蓉の艶やかな毛並みに覆われた尖った耳もぴぴ、と跳ねる。
「では、あとで買っていきましょう」
「いいの……? ありがとう」
 少し早いクリスマスプレゼントです、なんて。さらりと言ってのけてしまう彼女が、すこし眩しい。一緒に食べようと告げれば、きょとんと首を傾いだ芙蓉が『エル様へのプレゼントですのに』とちいさく笑う。キミと分かち合いたいんだと重ねれば、その頬に仄かによろこびのいろが増して行く姿が、ただ嬉しかった。
「ふふ。エル様、甘いものは大丈夫? 折角ですし、大聖堂でショコラ・ショーをいただきませんか?」
「甘いものは大好きだよ。そうだね、少し冷えてきたから暖まろう」
 心ゆくまでマルシェを満喫したなら、とろけるショコラ・ショーを片手に大聖堂へ向かおう。街に負けないくらいにうつくしく飾り立てられた礼拝堂が、きっと、優しく出迎えてくれる筈だから。

白水・縁珠
賀茂・和奏

●きみ写すポラロイド
 ホリデー前の胸を擽るような、子供時代のゆめに包まれているかのような空気感が好きだ。あたたかなひかりで飾られた街並みは眺めているだけでも楽しいし、幹枝に電灯が点いた木々もきっと今宵はぬくもりに包まれている。
「……奏さん、はいピース」
 ふたりだけの間に響いたカメラのシャッター音に賀茂・和奏(火種喰い・h04310)がきょとんと気の抜けた表情を浮かべるのに、白水・縁珠(デイドリーム・h00992)はスマートフォンを押収されないようにひょいと高く掲げて見せた。
「今夜はすっごい映え写真撮れそうだよ」
「ゆ、油断した……」
 咄嗟に出したピースサインは少しぎこちない。それでも反射で構えてしまった和奏の素の表情を切り抜いた縁珠はふふんと得意げに胸を張ると、街の至る所から降るひかりを仰いで改めて感嘆の息を吐いた。
「……やっぱり光が集まると立派だね」
「こうして沢山集うと壮観だねぇ」
 リースオブジェは自分の店でも販売しているから見慣れてはいるけれど。星の数ほどの電飾で彩られた木々は、街は、眩しくてとてもきれいだ。
 戯れは程々にしてそろそろ行きますか、なんて。悪戯に目を細める縁珠の様子に、和奏はかなわないなと困ったように――それよりもずっと楽しげに、顔を緩ませ笑みを浮かべながら歩み始めた。

「奏さんはマルシェでお目当てのある? オーナメント以外にも、可愛いのいっぱいだよー」
 ちいさなぬいぐるみたちは鞄につけても可愛いだろうし、変わり種ならば焼き林檎を作るためだけの陶器のポットが好奇心と購買意欲を同時に擽ってくる。何を買うのと首を傾げる縁珠に、和奏はすこしだけ考え込む所作を挟んで見せた。
「んー、俺は雰囲気味わいとグリューワイン、狙いです」
 部屋は狭いからそんなに飾る場所もないのだと。告げれば、それでいいのかと少女は僅かに気遣ういろを乗せるから。ふ、と微かに和奏が笑った気配を感じて、縁珠はむ、と僅かに眉根を寄せて傍らを仰ぐ。
「……稲りんとか青やんは好きそうじゃない?」
「あの子達は花より団子寄りで。他のお目当てなら、秋人君用オーナメントかな」
 折角ここまで来たんだから何か買って帰ろうよ、と。言外に滲む気配を感じ取った和奏は最近親交を深め始めた縁珠の奇妙な同居人の名を挙げた。それは逃げ道ではなく本心からの言葉であったから、言葉を受けた縁珠は『あっきー』と彼を指す言葉を口にしてぱちりと瞳を瞬かせる。
「それは、もちろん。そういうの知らないだろうから、クリスマスの体験型だ」
 であれば分かりやすくクリスマスを表現できるモチーフが良いか。謙遜と驚き、よろこびを率直に示してくれる彼はきっと何をあげても喜ぶのだろうけれど、どうせならばはじめてのクリスマスをたくさんの『たのしい』で満たしてあげたいし、クリスマスが多くの人々にとって素敵なものであることを知って欲しい。
「ベル型とか、靴下型……ジンジャーブレッドマンも良さげかな」
「サンタ知らなそうだもんなあ……ふふ、予定より大鉢のコニファーが必要そうだ」
 硝子の煌めきやぬいぐるみのボア生地は彼の心を擽るだろうか。どれを選ぶかの最終判断は彼女に託そうと視線を向ければ、和奏が選んだもののすべてを受け取ってくれるから。それだけ縁珠が今年のホリデーを楽しみにしているのだなと云うことが伝わってくるから、どうしたって嬉しくて和奏の目尻は柔く緩んでいく。
「あっきー、どんな反応するか楽しみ」
 縁珠からはアイアン製の八角星を。クリスマスツリーのてっぺんに飾る栄誉を受け渡せば、どんな顔をするだろう。不器用な顔に真剣ないろを乗せて重大任務を請け負うつもりで姿勢を正すんだろうなあと思えば、それがなんだかすごくおかしい。
「ね、縁さん。この子は君用にどう?」
 不意に和奏が自分を呼ぶ声に振り向けば、てのひらの上にちょこんと可愛らしい鳩のかたちをしたオーナメントが乗せられて。平和の象徴であると銘打たれたしろい陶器で出来た鳩の嘴には四葉のクローバーが飾られていた。
「……私用……それは、縁も初耳なやつ」
 君にとても似合いだと。和奏が笑えば、ほんの少し胸にこそばゆさを感じて縁珠は僅かに視線を逸らす。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 一緒に楽しめるといいね、なんて。齎された言葉に返すのは、頷きひとつ。

「あ、ホットショコラもおいしそ。わっきーはグリューワインで良い?」
 ハロウィンでは折角の楽しい時間に水を差してしまったから。だから、お詫び。
 ずっと気にしていたのかなと気遣ういろを見せたなら、『奢らせて』と尚も言い募る。そんな縁珠を他所に和奏はするりとその脇をすり抜けてあっという間に決済を済ませてしまうから、少女は唇をへの字に曲げながらじとりと胡乱な目を向けた。
「……その決済音は、私への挑戦状ととっても?」
「そんなつもりじゃ。君が風邪ひかず、元気でいてくれたら十分だから」
 嘘じゃない、本心だ。こんなかたちで罪滅ぼしをしなくたって、何も気にしてはいないからと。微笑む和奏の言葉からは真っ直ぐな誠意しか感じられないものだから、癪だけれどそれ以上意地を張れなくて。
「奏さんは縁のおかんかい」
「そんなつもりもないけど……あ、なら」
 ショコラ・ショーをふうふうと冷ましながら口にする不満げな横顔をそっとカメラに収めれば、シャッター音に気がついた縁珠がちらりと視線だけを寄越す。
「……盗撮?」
「さっきのお返し。この一枚でちゃらとか」
 どうかな、なんて。和奏が申し訳なさそうに笑う姿に一度だけ大きな溜息を吐くけれど。勢いよく顔を上げた縁珠が思い切り腕を引くから、和奏はぱちりと目を瞬かせながらもされるがままに体を傾ける。
「縁さん?」
「撮るなら、二人でのも撮ってー」
 花より団子。両手がいっぱいになってしまう前に今日の思い出を切り抜こう。
 どうやら提案は承諾されたらしい。機嫌を直してくれた様子にほっと息を吐きながら、和奏は少しだけ身を寄せて端末を構え直すと慣れない所作で以ってスマートフォンのインカメラを起動した。

ラナ・ラングドシャ
ラデュレ・ディア

●ゆめいろフェアリー・テイル
「これがマルシェ・ド・ノエル……!」
 ひかりが濡れるようにうつくしい。街中がおめかしをして、あちらこちらで咲く電飾の花々が星のように瞬いている。
「見てくださいませ、ラナ。何処を見渡しても煌びやかですよ……!」
 足取りは急いて、気をつけなければこころが先回りをしてもつれてしまいそう。垂れた長耳の先を跳ねさせながら、ラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)はしののめの瞳にひかりの粒を映しながら繋いだてのひらをきゅっと握り込む。
「ほんとだ! きらきら、ぴかぴかで綺麗! でも……」
 ラーレの瞳だっておめかしした街に負けないくらいにきらきら、ぴかぴか、星のよう。とっても綺麗とラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)も軽やかな足取りで石畳をとん、と跳ねる。長いコンパスはたった一歩でラデュレを易々と追い越すことが出来るのに、同じ速度で進んでくれることが嬉しくて。手放しで褒める言葉が気恥ずかしくて、もう、と困ったように眉を下げながら頬を染める友の姿に、ラナは瞳をあまく三日月に撓めて日向で微睡むねこがそうするようににんまりと微笑んだ。

「うう、寒い……真冬はやはり、とても冷え込みますね」
 てのひら同士はあたたかいけれど、冬の夜の澄んだ冷気は肌を容易く凍てつかせてしまう。ふるりと身体を震わすラデュレの顔を覗き込み、ラナはことりと首を傾いで『大丈夫?』と案ずる言葉を口にする。
「ボクは元々寒さに強い猫種だし、今は特別冬毛仕様だから平気!」
「そういえば……ラナは寒さにお強いのでしたね……!」
 毛足の長いもこもこの尾っぽは夏場よりも一回りおおきくなって、まるでそらを覆う雲のよう。見目のそのままにあたたかで寒さから守ってくれるのだと、えへんと胸を張るラナを羨むようにラデュレがじっと見つめてくるから、思わず笑みが溢れてしまう。
「むしろラーレを背負って駆け回りたいくらいなんだけど……そんなことしたらラーレが氷漬けになっちゃうね」
「ふふ。雪の中を駆け回るのも魅力的なのですが」
 あちらをみてください、と。しろいゆびさきが示したその先から香ってくるあまいチョコレートの気配を辿るようにラナはすんすんと思わずちいさく鼻を鳴らした。
「ショコラ・ショー、というものが売っているそうです」
「いいにおい! しょこらしょー……?」
 ゆめのようにあまくて、とろけるほどにこころをあたためる魔法ののみもの。このマルシェの看板商品を見つけたなら、一杯は口にしてみたい。
「甘くて美味しいものであたたまりましょう……!」
「うん! そうしよう!」
 大鍋の中でふつふつとちいさな泡が弾けて、あまくしろい湯気が立ち上る。注文を待つ列に並ぶ間にも漂ってくるその香りが胸を弾ませる。ふたりで手にしたカップの中で、とろんと蕩けるショコラにアラザンの星が煌めいて、わあ、と上がった感嘆はどちらのものであったのか。
「いただきま――わ、すごい湯気……!」
 多くの『ねこ』がそうであるように、ラナもあつあつのものはちょっぴり苦手。ふぅふぅとすこしだけ冷ます時間を置いてから、ラデュレもそれに合わせて、こくり。
「おいしい……!」
「はにゃあ〜! 甘くて美味しい〜〜!」
 口いっぱいに広がるゆめへと誘うとびっきりの甘露。ほんの少しのシナモンとオレンジピールのふくよかな香りがひとくち、もうひとくちと急かすよう。アラザンの粒がカリカリとした食感を一緒に連れてくるのが楽しい。
「ふふ、ほっぺたが落ちてしまいそうですね」
「えへへ。心も体もポカポカになったね!」

 身体があたたまったなら、マルシェの中心へと足を運ぼう。
 仕掛け絵本の話を聞いた時からずっとずっと気になっていたのだとはにかむラデュレへ、ラナもそわそわと浮き立つ胸の鼓動をそのままに『ボクも面白そうなのがあったら買う〜♪』と声を弾ませた。
「この土地に伝わるお話たち。どのような物語に出会えるでしょう……?」
 幾つもの絵本を並べては物語の世界を吟味する。真剣な面持ちで頁を捲るラデュレの傍らで、ラナは読めない文字が並ぶ本たちの前でうぅん、と長い尾を揺らしていた。
「……あれ?」
 不意に。ぱちん、と火花が散ったように目に留まった一冊。『おおかみとしちひきのこやぎ』という題字だけが自然と頭の中に溶け込んできたのは、どうしてだろう。
 ひとめぼれとは少し違うかもしれないけれど、でもなぜだか妙に惹かれる。だから、『すてき』の予感に素直に従って、ラナはその一冊を大切に腕の中へと招き入れた。
「ラーレ! ボク決まったよ!」
「まあ、そちらを選ばれたのですね。ラーレは、こちらの本をお迎えするのです」
 時同じくして、ラデュレのこころを射止めたのは聖夜を過ごす幼い双子の物語。オルゴールの音色に誘われて、ゆめの世界へと漕ぎ出していく一夜限りのちいさな冒険譚はこの胸を甚く擽ったのだと。告げれば、ラナも興味を惹かれたのか蜜桃の瞳をきらきらと輝かせ『ボクもその物語、しりたい!』と身を乗り出す。
「楽しそう! ね、今度ラーレにどっちの本も読んでもらいたいんだけど……」
 いいかな、なんて。遠慮がちに告げる愛らしい友人のおねだりにラデュレはぱっと喜色を浮かべ笑みを咲かせて頷いた。
「わたくしでよければ、喜んで……!」
 こうしてラナが自分を頼ってくれることが、ただ嬉しい。共に物語のせかいへ漕ぎ出していけるのだと云うのならば尚のこと。またお茶を楽しみながら一緒に本を読みましょう、と。手にしたそれぞれの物語を愛おしむようにラデュレはふちをきんいろの装丁でめかし込んだ厚い絵本をそっと抱きしめる。
「やった♪ その時はボクも美味しいラングドシャ、持っていくね!」
 現実のせかいではあり得ないようなゆめものがたりも、ひとたび頁を捲れば何処までも広がっていくのだと教えてくれたのは、他でもないキミだから。だから、もっともっと知りたいんだ、と。声を弾ませるラナの言葉に、御伽噺の紡ぎ手は胸に満ちるさいわいをそのまま花のかんばせに乗せ、喜びも露わにこくりと頷くのだった。

第2章 集団戦 『ジェーン・イン・ザ・ドリームボックス』


●Ce n'est qu'un rêve
 高い窓から射し入る月のひかりがステンドグラス越しになないろの花明りをあかい絨毯の上へと注いでいる。ひとの気配は幾つもあるのに、そこは不気味なくらいに静かだった。

『みんな、みんな。わらっているの。それって、ゆめよりたのしいかしら』

 女神像へ跪き祈りを捧げていた人々が、長椅子に座り言の葉を交わしていた人々が、ひとり、またひとりと倒れていく。彼らの項垂れた頭の上で、ぽしゅ、ぽしゅ、と風船から空気が抜けるような音を立てながら宙空を不規則な軌道を描き漂う愛らしい少女のかたちがあった。

『みんな、みんな。焦がれているの。それって、いつかゆめみていたの?』

 くすくす。くすくす。
 幾重にも重なる声は枝分かれになって。『それ』がいつの間にか大聖堂の中の彼方此方に点在しているのだと、誰がはじめに気付いただろうか。

『おしえて』『おしえて』
『あなたにとって。今日は、しあわせ?』
『あなたにとって。ゆめより、しあわせ?』

 それはあなたがいつかみたゆめのかたち。
 いつか、あなたが描いた御伽噺のつづき。
 永遠の憧憬に囚われてしまうその前に――あなたはあまく差し伸べられた少女たちのちいさな手を、振り払わなければならない。

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 第二章『ジェーン・イン・ザ・ドリームボックス』
 しあわせなゆめ。おそろしいゆめ。
 ふたつの面を併せ持つ、さめない眠りのせかいへ誘う『ゆめ』の集合体です。
 あまく、やわらかく、けれど真綿を締めるように、確実に。この存在にとらわれたものは夢の檻に閉じ込められたことにさえ気付くことが出来ぬまま永遠に夢の中を彷徨い続け、取り残された肉体はいずれ衰弱し朽ちていくことでしょう。

 戦いの地は静謐なる大聖堂にて。祈りを捧げていた人々は夢の中に囚われ、絨毯の上に、或いは長椅子に身を委ね深い眠りについています。ジェーンたちを倒すことが出来れば皆目を覚ますことでしょう。
 どうか気をつけて。大技を惜しみなく使ってしまうと、彼らの肉体を、大聖堂を傷付けてしまうかもしれません。

 大聖堂の中をふわふわと漂うジェーンたちは眠った人間のぬけがらには興味を持たず、ドリームボックスの中に閉じ込めた人々の魂にゆめを見せ続けながら楽しそうに笑っています。もしかしたら、にんげんたちと一緒に遊んでいるつもりなのかもしれません。
 無邪気な存在ですが、ひとのいのちを奪うものに違いありません。
 彼女を倒すことが出来れば眠ってしまった人々は目を覚ますでしょう。

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夕星・ツィリ

●Canis Major
 ゆめはもっと優しいもの。
 母なる海の揺籠のように、瞬く星の煌めきのように、寄り添い包み込んでくれるものだと。夕星・ツィリ(星想・h08667)は『ゆめ』をそういうもののように捉えている。
 御伽話の締め括りが『めでたし、めでたし』であるように、それはしあわせなまま終わる物語であればいいと願わずにはいられない。現実でも誰もがそうなってくれたのなら嬉しいけれど、せかいは砂糖菓子のように甘くも優しくもないことも知っている。
「微睡める幸せが悪い訳じゃない、ただ」
 ただ人のいのちを奪ってしまうことを見過ごすわけにはいかないから。だから自分はここに立っているのだとツィリは閉じていた瞳を開いて幻惑の大聖堂を強く見据えた。
「――それに私の物語に貴女たちをおいてはおけないの」

『なんで』『どうして?』
『たのしいゆめなら みんなわらうの』『こわいゆめなら みんなさけぶの!』

 ゆめのなかなら、なんでも出来るの。楽しいことも、怖いことも、ぜんぶぜんぶ煮溶かしてひとつになるの。そんなことを燥ぐ声を上げながら宣う少女のかたちからはほんの少しも悪意が感じられない。
 遊んでいるのだ。
 本当に、ただ純粋にそれだけなのだ。
 ――ああ、だからこそ放っておくことなど出来はしない。
「夢は必ずさめるから夢なの」
 星花のひかりをてのひらの中で弾けさせる。呼ばうは祈りの欠片、御伽話の核たる奇跡。書の姿を取り戻したそれを手にすれば、ツィリの心に応じて頁が次々と音を立てて捲れていく。ちいさなお菓子の家から飛び出してくる『こわい魔女』ごと、星々の円環の中へと閉じ込めていく。
「みんなが目覚めたときに良い夢だった、ってそう思って終われるように。……だから、おやすみなさい」
 これより語るは幾星霜の宙の物語。駆け上がるプロキオンの軌跡。500光年のひかりの先へ、濃紺のそらの果てへ。ゆめの残滓は星々に溶けて、あとにはやさしい静寂だけが残された。

唐草・黒海
物集・にあ

●うたかた
「賑やかな声に惹かれて来てしまったのね。……黒海さん?」
 物集・にあ(わたつみのおとしもの・h01103の視線の先に立っていた唐草・黒海(告解・h04793)の瞳には常の穏やかさとは少しだけ異なるいろが乗っていた。それは理解、或いは共感を示しているのか、全てを解することは叶わない。
「――……」
 夢より産まれたモノは果たして夢を見るのだろうか。
 嘗て何処かで生きた『誰か』の記憶の灯火は、今もこの手の中でゆらり、ゆらりと揺れている。
「……より深くまで夢を見せるのは、俺と貴女方との何方か」
 比べ合いましょうか、と。かそけき燈りを重ねるように、にあも洋燈を掲げてそれに応じる。彼の想いの全てを感じ取れなくとも、共に歩むことは出来るから。
「お手伝いするのよ」
「はい。――それでは、恙無く」
 宵と黄昏、ふたつの燈が揺らめいて。ゆめの境目への扉に手が掛けられた。

 お菓子のおうちから飛び出した少女のかたち。そのすがたは愛らしいばかりの筈なのに、手にした血濡れの斧だけが異質な輝きを放っていた。彼女/彼女たちに悪意はない。けれどその本質は何処までも利己的で、ひとのいのちに何も重みを感じることのないひとならざるものである事も確か。であれば彼女らの『たのしいゆめ』も程々にして貰わなければ。
 にあが洋燈からしるべを紡ぐ間の時間を稼ぐ。なればと、一歩、また一歩と前に歩み出る黒海をまるで遊びにでも誘うかのようにジェーンたちがわっと一斉に群がってくる。

『あなたは、しあわせ?』『ゆめより、しあわせ?』

 ねだるように問い掛けてくるその姿に、ああ、これが戦いでなければいいのにと思ってしまうのは我儘だろうか。ふ、と微かに笑んだにあはそのまま幼子に寝物語を語り聞かせるようにことのはを紡ぐ。
「ええ、とても」
 それはこの戦いのひとときでさえ、夢よりもずっといい。
 生きていることは幸せだけではないことを、にあは痛いほどに理解している。それでも、――それでも、『いま』がいい。そう思うから、少女は焔を紡ぐことを止めなかった。
「幸せ?」
 起きていては折角の楽しいゆめを見ることがかなわない。だから、だから、さめないねむりにつきましょう、と。無邪気な笑い声を上げながら振り被った斧の斬撃を躱しながら黒海は緩やかな思考の海を揺蕩っていた。おおきな括りで見れば己と彼女らは同業のようなもの。だからこそ自分は夢が齎す幸福を否定はしない。けれど、
「夢は所詮夢。現実を生きようとする人を陥れる為に使ってはならないもの」
 望まれぬ夢の虜など、生き飽きたものにのみくれてやればよい。己と彼女達の見せる夢に違いがあるとするならば、その慎みくらいだろうとは思うのだが。
「そうかしら……その慎みが黒海さんのやさしさでしょう?」
 彼女たちが見せるまやかしよりも、黒海さんの見せてくれる幻影のほうが嬉しいわ、なんて。嬉しげに咲うにあの言葉に、思わず肩の力が抜けてしまいそうになる。
「……物集さんは物好きですよね」
 ゆめはゆめへ。うつつを生きるわたしたちは、ただひかりだけを追い求める。
 眠る人々のゆめを遮るように出づるあおい燈は、みなもへと続くみちしるべ。蒼焔がドリームボックスに火を点すのとほぼ同時、迷い香のあまいひかりがジェーンたちを包み込んでいく。自らがゆめに囚われてしまうことなど想像だにしていなかったのであろう少女たちは縺れるようにぶつかりあって、やがて熱で膨らんだ箱が破裂するのと同時に、ぱぁん、と軽やかな音と共にまぼろしのゆめは宙空で紙吹雪の花弁となって弾け飛んだ。

アストラガルス・シニクス・グリーヴァ

●BB Wolf
「……嗚呼、穏やかな時間も終わりか」
 何時からそこに現れたと言うのだろう。アストラガルス・シニクス・グリーヴァ(戦場駆ける銀蓮華・h09567)が気付けぬほどに彼女/彼女たちは人々の『さいわい』に自然に溶け込んでいた。水母が海を揺蕩うように宙空をふわふわと飛び回るジェーンたちの眼下に、ちからなき人々が倒れ込んでいる。そのうちのひとりに駆け寄って呼吸に問題がないことを確かめれば、アストラガルスはちいさく安堵の息を吐いた。
「(あんま暴れると彼の人等巻き込んでまうもんな……)」
 彼女らはあくまでもゆめの集合体に過ぎない。蹴散らし蹂躙するのは容易いだろうが、この場に居るたくさんの参拝者たちの身の安全を確保しなければ今日という日が台無しになってしまう。
「小回り利くんはやっぱり此か」
 それは本意ではない。であれば、地道に一体ずつ狩るしかあるまい。
 手にするは柘榴の朱が乗るハチェット。肉のからだを持つものであれば頭を割ればすべて終いだが――実際に殴ってみれば是非も分かろう。低く、低く身を構えた銀狼の脚が内に秘めた強靭な発条で以て巨躯を宙へと躍らせる。ひといきに跳躍したアストラガルスは躊躇なく夢魔の群れへと飛び込んでいった。

『オオカミだわ』『オオカミだわ!』
『わたしも』『わたしも!』

 絵本の表紙がぱたりと開いて、その中から現れ出づるは果たしてゆめのように愛らしいものであったのか。
 否。
 顎門を開いたのは夜闇よりも昏い飢えた獣。けれど、獲物を噛み砕かんとする牙よりもアストラガルスの方が数秒疾い。一撃で餓狼の頭部を叩き割ったアストラガルスの体が見る間に闇へ溶けて消えていく。ゆめへ誘おうとした存在が消えてしまったことに首を傾いだジェーンたちが銀狼のすがたを探し始めるが、自身の影が僅かに揺らめいたことに、無邪気なゆめの住人は気付かない。気付けない。
「はよ片付けて此処の人等逃がしてやらんとな」
 影がその輪郭を露わにし終えた時には、もう、遅い。
 振り被った斧の一撃が夢箱ごと少女のかたちをした災いを粉砕した。

五槌・惑
鉤尾・えの

●『いま』
「あらあらまあまあ! 何とも可愛らしい怪異」
 ぽひゅ、ぽひゅ。ぽしゅ、ぽしゅ。
 気の抜ける音が彼方此方から響くのに視線をきょろきょろと巡らせながら、鉤尾・えの(根無し狗尾草・h01781)はゆめの檻と化した大聖堂を仰ぎ『此方へいらっしゃい』と両腕を広げた。
「でも、残念ながら一緒に夢を見てはあげられません」

『どうして』『どうして?』
『とってもたのしいゆめなのに』『なによりしあわせなゆめなのに!』

 無垢な子どものように問う。どうしてジェーンのすてきなゆめに包まれてくれないの、と。一緒に遊ぼうとねだるような言葉に、えのはほんの少しだけ困ったように微笑みかぶりを振って否を唱えた。
「わたくしめ、現実が何よりも好きでして」
 都合のいいゆめよりも、鮮烈な『いま』が良い。その答えの意味を理解出来ていないのか、少女たちが口をそろえて『なんで なんで?』と言い募る様を、五槌・惑(大火・h01780)は冷めた眼差しで以て見上げていた。
「夢でも現でも同じだろ」
 今自分が何方に居るのか、知ったとて居所を変えられる訳でもない。であれば、用意された退屈な永遠などに態々身を置いてやる事はない。
「ヒトと同じ場所に生きられないなら祓うだけだ」
 あれなるは魔。ヒトの領域を侵食する甘ったるい妄想だ。
 決して満ちることのない銃身を構え、惑は躊躇なく夢の箱のひとつを穿ち貫いた。
「んん、然し。これでは惑さんが大技を使えませんね」
「派手に動けねえってのは困る。一般人盾にされるとやり辛いンだよな」
 不規則な軌道を描きながら飛び回るジェーンたちを纏めて葬ること自体は容易いだろうが、そうしてしまうと今も眠りの淵にある人々の肉体をも巻き込んでしまうことだろう。やり辛いことだと息を吐きながら、片手間に迫り来る斧を受け流す。
「えの、良い手があるなら頼む。後の始末は請け負うからよ」
「はぁい、お任せあれ!」
 派手に打ち合えないのなら、相手の動きを鈍らせて最小限の動きで撃ち砕けば良い。とん、と一歩前へと踏み出したえのをそのまま齧り取ろうと云うつもりなのか、複数の少女らが一斉に狼の顎門を開かせたその瞬間を、待っていた。

 ――いい子になさい。

 それは言霊。視界に収めたすべてのものを縛り止める、不可視の鎖。
 えのに齧り付かんと口を開けた状態で固まった狼と少女たちは『どうして』とさえ紡げぬまま、踠くことさえ叶わずにその場にびたりと縫い止められた。
「惑さん、これってとても消耗するので後はよろしくお願いしま~す」
「ああ」
 こうなってさえしまえば蜻蛉捕りよりも狩りは容易い。えのが作った隙を永らえるよう、群れの中を駆けると共に艶やかな|髪《毒》が少女のかたちを鎌鼬の如く斬り裂いていく。ひとつ、ふたつ、みっつ――幾度も、幾度も。完全に動きを止めたジェーンたちがぼとぼとと地面に落ちてくるのを、後は刈り取ってしまえばいい。
「惑さあん! そろそろですよ!」
 聞こえている。十分だと軽く応えるのとほぼ同時、ぱちり、とえのが瞬けば縛り止められていた少女のかたちは『いじわる いじわる!』と喚き出す。けれど麻痺毒に全身を蝕まれた身体は最早再び宙空に浮き上がることさえままならない。
「終わりだ」
 頸を落とす。残った胴体を踏み抜けば、空気の入ったボールのようなやわらかい感触と共に呆気なくジェーンたちのからだは弾け、その亡骸を色とりどりの紙吹雪に変えてはらはらと降る雪の如く散っていった。

日宮・芥多
茶治・レモン

●幸か、不幸か
「俺、帰るって言いませんでしたっけ」
 さっさと帰ろうと帰路につきかけた日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)へ茶治・レモン(魔女代行・h00071)が告げたのは、『大聖堂のステンドグラス、写真に撮っておきませんか?』と云うささやかな提案だった。愛しの妻に齎せるのは何も物品ばかりではない。唯一無二の素晴らしい景色を端末に収めて帰ればきっと喜んで貰えるだろうと――成る程、君にしては名案じゃあないですかと芥多の気が変わったのがほんの数十分前の出来事。
「ほらあっ君、大好きなお仕事の時間ですよ」
「……魔女代行くん、謀りましたね? いや、奥さんへのお土産の絵本が破れる前に帰りたいんですけど」
「ちょっと動いたくらいで、絵本が破れる訳が……いえ、あっ君ですもんね、あり得るか」
 淡々と告げるレモンと全く目が合わない。眼前に浮かぶ怪奇現象たちは楽しそうに笑っているし、数が多いし、一般人と思しき人々は沢山倒れているし、厄介ごとのオンパレードであることは一目瞭然で。
「ううむ、面倒臭い!」
 が、もうこの光景を観測してしまった以上無関係ではいられない。何よりここまで自分を連れてきたレモンがそれを許してはくれないだろう。
「はあ。倒さないと帰れないなら仕方ないですね」
「|帰路《みち》は切り拓くものです。ちゃちゃっと片付けて帰りましょう」
 全く巡り合わせが悪いものだと、レモンの言葉に肩を竦めながら芥多は血吸いの斧を気怠げに構えるのだった。

 眠らないふたりを無理矢理ゆめへと運ぶために、おもちゃばこの輪舞曲が廻り出す。 
「あ、斬り裂く直前にアレですけど出血しますかね、このオオカミ!」
 開かれた絵本からずるりと這い出た狼の顎門が芥多を捉えるよりも早く、振り被った塵芥が深く、深くその頸に刃を叩き込む。常ならば哀れな獲物の血液を纏うてこの身を隠すのだが――巻き上がったのは、芥多の身を覆ったのは鮮血ではなく色とりどりの紙吹雪であった。
「おっと!」
「わあ、綺麗」
 ふたりから上がったそれぞれの感嘆は場に相応しくないほど呑気なものだったけれど、姿を紛れさせることが叶うならば次に支障はない。目の前から煙のように掻き消えた芥多を探すように、彼女/彼女たちは口々に『かくれんぼ』『どこ、どこ?』と斧を携えながらふよふよと宙を彷徨い始める。その隙だらけの背を狙い、跳躍したレモンの銀の刃が開きっぱなしの夢箱を幾度も、幾度も幾度も斬り付けていく。
「あなたも、あなたも……なんですか、大きいのがそんなに偉いとでも!? どれ程立派な斧と言っても、そもそもの火力がないと響かないのでは?」
 何方にしても、当たらなければどうと言うことはない。ゆめを生み出すための大切な箱を壊されたジェーンたちが次々と墜落していくのを、影に紛れた芥多は決して見逃さない。
「俺の斧は自作ですが、かの有名なリジーボーデンの斧にも見劣りしないでしょう?」
 手応えは軽い。ゴム鞠を叩いたような感触と共に、頸を落とされた少女人形は狼と同様にぱぁん、と音を立てて弾け飛ぶ。宙空から落としてしまいさえすれば後は容易い。まるで子どもの使いだと笑う芥多に、まだ異議申し立てがあるとレモンは僅かに眉を寄せた。
「僕の相棒は斧よりずっと軽くて扱い易いですよ」
「いやだなあ。ただの比喩ですよ、比喩」

「……というかあっ君! 絵本、絵本は無事ですかっ!?」
 動くものがいなくなった祭壇の前で漸く思い出したとばかりにレモンが顔を上げれば、芥多も己を緩慢に見下ろし――気付く。
「え? あー……うわ、新品のマフラーが台無しです!」
 折角お気に入りになりそうだったのに、戦いの最中で破れほつれたマフラーは無惨に千切れていた。肝心の絵本の方は無事だったからまだ良いけれど、また運のないことだと芥多はちいさく息を吐くのだった。

ツェイ・ユン・ルシャーガ
アダルヘルム・エーレンライヒ

●みどりのゆりかご
 たとえ悪気がなかったとしても、誰かの命を奪う存在であるならば倒さねば。宙を遊ぶように漂う少女のかたちを見上げながら、アダルヘルム・エーレンライヒ(華蝕虚蝶・h05820)は長柄の刃を携えちいさく息を整えた。
「よしよし、聖夜といふ位じゃからの。幼子の悪戯は大目に見て――」
 たのしいゆめを見せるだけならば他愛もない、微笑ましい存在なのかもしれない。けれど彼女/彼女たちの夢の檻に囚われたものは永遠に続く不条理の奴隷に成り果て、肉体を失った魂は帰るべき場所さえも失くしてしまう。何処までも無邪気な子どもの様を見れば少しの迷いも生まれよう。だが。
「……という訳にも参らぬのう、騎士殿」
「ああ、恐~いツェイ殿は俺の悪戯すらも大目に見てはくれぬからなぁ」
 如何か、と。問い掛ける声に応えるようにアダルヘルムがさめざめと怯え泣く素振りを見せるものだから、『たのしい』を浮かべていないにんげんに興味を持ったジェーンたちが次々と集まってくる。

『ないているの』『どうして?』
『あなたにとって、今日は』『しあわせじゃなかった?』

『それなら。それなら、たのしいゆめばかりを見ましょう』
『それなら。それなら、かなしいいまは捨ててしまいましょう』

 少女らが誘う声に目を丸くして、ツェイとアダルヘルムはほんの僅かだけ視線を交わす。それは一瞬のことに過ぎなかったが、想いはきっと同じだった。
「さて。これは難しい問い掛けだの、そうだなあ」
 目に見えるものだけをさいわいと呼ぶのなら、ジェーンが齎すものもそう悪いものではないのかもしれない。それでも。
「是非もなし、じゃよ。なあ?」
「ふふ。そうだな、俺は倖せだったとも」
 友が居て。仲間たちが居て。こんなにも幸福なことはない。
 夢の中では仮初の幸福で胸を満たすことも叶うだろうが、それは何処までも己の中だけで積み上げられた虚構の世界に過ぎないのだ。
「覚えておいで。『今日』なくしては、ゆめは見れぬ」
 『わからないわ』とくるくる宙を回る少女たちは尚もふたりを『しあわせ』へ導こうとするけれど。絵本が開かれると同時、身を割入らせたアダルヘルムの重い斬撃が狼の顎門を防ぎ切る。
「寝物語を聞かせよう。お主らもおやすみ」
 ゆめはゆめへ。まぼろしはまぼろしへ。
 広げた両の腕は母が子にそうするように。芽吹き、広がる蔦の守護は少女のかたちを優しく抱き締めていく。

 ――幼子の宿りに甘き花蔦。
   かいなは揺籠、良き子や睡れ――。

 釦の瞳は閉じられることがない。けれど、自らがゆめへと誘われることはきっとジェーンにとってははじめてのこと。まだ遊びたいとぐずっていた幼き憧憬は、破蕾と共にひかりの粒となって消えていく。
「……ツェイ殿は誠に優しいのだな」
 誰も傷付ける事もなく彼女らにおしまいを告げてしまった。自分には到底無理なことだと目を細めたアダルヘルムへ、ツェイは自らの口元に指を運び、しい、と声をひそめて見せた。
「なに、祈りの場ゆえさ。然し……」
 皆々が深い眠りの淵を揺蕩っているせいだろうか。己もついつられてしまいそうだと、欠伸を噛み殺すその姿に、黒衣の騎士は悪戯に笑みを深めた。
「ならば眠ると良い、心配しなくていいぞ? ……落書きはちゃあんとしておく故な!」
 吐息とも声ともつかぬ音を漏らし、目に薄く涙を浮かべたツェイの瞳が胡乱に細められる。さて、転寝をするより前にすべきことは――。
「……此方の悪戯小僧にも仕置きをせねばな」
「ふは、それは御免被る」
 戦いは未だ終わりを迎えた訳ではない。それより前に自分が成敗されてしまっては救えるものも救えぬからと。からからと笑うアダルヘルムを、ツェイはこつんと軽く小突いた。

アンジュ・ペティーユ
結・惟人

●花篝
「みんな、幸せそうに眠っているね」
 彼らはどんなゆめを見ているのだろう。少なくとも今は、ジェーン・イン・ザ・ドリームボックスの悪夢の側面は見えていないのだろう。ひだまりに包まれたねこのように顔を緩めながら幸福そうに眠る人々を見下ろし、アンジュ・ペティーユ(ないものねだり・h07189)は少しだけ痛みを堪えるように花のかんばせに苦さを滲ませた。
「こういう時、起こさないほうが良いんじゃないか……って思えて来ちゃうんだ」
 惟人はどう思う? と。問う声はまるで帰り道をなくした子どものように頼りない。しるべを探すようなアンジュの言葉に、結・惟人(桜竜・h06870)は僅かな逡巡ののちに、迷いの只中にある彼女に手を伸べるように言の葉を紡ぎ出す。
「幸せな夢を中断されたら、きっと残念な気持ちになる」
 もう一度あの夢を見れないか。運良く見ていた夢の続きを見ることが出来たりはしないか。そんなささやかなねがいを抱いて、二度寝をしてしまうかも。裡にはそんな微睡の温もりが思い起こされて、惟人は眩しげにそっと目を細めた。
「……あたしは誰かの空想から生まれた存在。だから」
 こんな風に夢を見ているヒトたちの邪魔はしたくない。彼らが、誰かが、いつか描き出した|空想《ゆめ》の中から生まれた己だからこそ、そのやさしい眠りを妨げることに少しだけ抵抗がある。
「そうか、夢見る人はアンジュにとって親のようなもの……」
 あたたかな毛布を配るだけで済むのならどんなに良かっただろうか。
 けれど皆の夢はいま、彼女/彼女たちのてのひらの中に在る。彼女たちはたくさんのひとを夢の中に招待できたことを喜んでいて、それは遊びの延長線に過ぎないのかもしれない。それがいのちを奪うことへと繋がっていくのなら――この場で、この手で夜明けへと導いていかなければ。
「夢とは自分で見るもの……そうだろう? アンジュ」
「惟人……。……ふふ、キミの言う通りだ! 夢は自分で見るもの!」
 ならば今直ぐに取り返そう。
 彼らの夢だって、彼らだけの大切な宝物に違いないのだから。

 てのひらの中の空想宝石から、誰かが描いたゆめの輪郭を描くように炎がひとつ、ふたつと燃え上がっていく。かそけき燈はひとを傷付けるためのものではない。絨毯や天幕に燃え移らぬよう、ジェーンが描き出すゆめだけを跳ね返すよう、慎重に。
「さて、夢を見せる以外のお遊びは好きかな」
 術を紡いでいる間のアンジュは無防備だ。なれば、彼女が夢のともしびを宿している間は己が彼女らの注意を惹きつけようと、惟人はとん、と軽く床を蹴ってお菓子の家から顔を覗かせるジェーンたちの中へと飛び込んでいく。

『ゆめのなかなら』『もっともっとたのしいのに』
『なんでも なんでもできちゃうのに』

 どうして? どうしてあなたたちはそれを拒むの、と。口々に齎される問いに応えるは夢見草の淡き花霞。はなのいろに身を溶かした惟人の拳が、蹴撃が、夢箱ごと少女の面影を次々と打ち砕いていく。
「どんなに満ち足りても夢の中では一人」
「そう。遊ぶのはもうおしまいだよ」
 ゆめのおわり。
 しあわせなゆめが覚めてしまったとしても、それ以上の幸福がこの街には満ち満ちている。ぱちん、とあぶくが弾けるように。衝撃のままに吹き飛んだジェーンは次々に破裂して、花雨の中に色とりどりの紙吹雪を咲かせて散っていった。

 ――今日は夢よりずっとしあわせだ。
 友とふたり、共に買い物を心ゆくまで楽しんだのだから。

燦爛堂・あまね

●夜のほどろ
「醒めないゆめなど、ゆめではないの」
 鮮やかないろで全身を染め上げた夢箱とは対照的に、今はまだなにものにも染まらぬいろを抱いて燦爛堂・あまね(絢爛燦然世界・h06890)は近付いてくるジェーンたちをまっすぐに見詰めていた。
 それは悪辣なまやかし。いずれ醒めるからこそ、ゆめはうつくしいものなのだと。告げられることのはの意味を解していないのか、少女のかたちをした災いはかくんと首を傾げて『どうして?』と口々に囀り出す。

『でも でも』『ゆめはたのしいでしょう?』
『でも でも』『ゆめは、しあわせでしょう?』

「……、……」
 無垢な言葉だ。そこに裏も表も存在しないことが分かるから、あまねはほんの少しだけ眉尻を下げる。けれどここで、守るべきものたちがそばにいる只中で足を止めるほど臆病になんかなれやしない。だから、あまねは高く手を掲げて宙空へと万年筆を滑らせていく。
「さ、お往きなさいな」
 出づるは夜明けのいろを抱いた蝶の群れ。インクが跳ねて踊るたび、黎明の気配はその勢いを増していく。蝶の羽搏きが、鱗粉が与えられる痛みはひとつひとつは小さなものかもしれないが、群れを成したなら如何だろうか。
「たくさんたくさん描きましょうね!」
 かそけき蝶の羽音はだあれの夢も邪魔したりはしない。眠る人々のゆめに障ることもないだろう。
「(願わくば。祈り眠るあなたがたの、目醒めがが善きものでありますよう)』
 ささやかな願いをペン先に委ね、あまねは蝶々を描いては翔ばしていく。

『やだ やだ』『みんなとあそびたい』
『やだ やだ』『ゆめのなかなら ずっと ずっと』

「……遊んでいるのね、ごめんなさいね」
 きっとこの子たちだって、誰かが描いたゆめの続き。その手を取って一緒に遊ぶことだって出来たけれど、誰かの命が奪われてしまうと云うならばそれを赦すことなど到底出来はしない。
 ああ。もし、叶うなら――この子の眠りも、やさしいものでありますように。夜明けを連れて、目醒めを連れて。あまねはしののめのインクが尽きるまで踊り続けた。

緇・カナト
野分・時雨
八卜・邏傳

●Rage Rose Storm
「今日は夢より楽しかったで〜す!」
 口の中に残った卵酒の余韻が何よりの証拠に違いない。暖まった手足を軽く揺らして野分・時雨(初嵐・h00536)は『もう一杯飲みに行きたい』と殊更に明るく楽しげに笑えば、それこそがここに集まってしまった少女のかたちが求めた『しあわせ』の断片に違いないと、ゆめの残滓はふわふわと宙を漂いその数を増しながら近付いてくる。
「折角ステンドグラスの美しい所なのに、戦場にしないといけないなんてねェ」
「綺麗けど、こゆ厳かーな感じの場所はちょっぴどきどき」
 それは確かにうつくしい光景ではあったけれど、天に御名を掲げたその場所はただ存在するすべてが常のように燥いで飛び回ってはならないと告げてくるようで少しだけ緊張する。慣れぬ圧を感じながら八卜・邏傳(ハトでなし・h00142)が姿勢を正す傍らで、緇・カナト(hellhound・h02325)は微かに息を零して『柄じゃないデショ』と唇の端を持ち上げた。
「ま、今日のところは大人しめに……黒荊棘を咲かすに留めておこうかなァ」
 皆んなも大聖堂を傷付けないように。お淑やかに参りましょうネと皮肉る言葉に、時雨も邏傳も其々の在り方で肯いて見せる。
「らじゃ! 大人しめに気をつけるね……。……はて。おとなしめ?」
「うーん、後輩くんが一番お転婆な気がしますねえ」
 雷鳴はこの身と共に在る。とん、と先陣を切って地を蹴ったカナトに続いてふたりもまた夢の檻を打ち砕くべく低く身を構えた。

『きょうは ゆめよりたのしいの?』
『ぜんぶは かなえられないのに?』

「かわいらしビックリ箱ったお嬢ちゃんたち! あの帽子イケてんね」
 ジェーンたちが口々に募らせる問いを聞いているやらいないやら。災厄が齎すものなど戯言に過ぎぬとばかり、カナトも時雨も、もちろん邏傳もそのまやかしに心動かされることはない。
「ああいう、ゆめかわ系の見た目が好みとかって仔はいるかなぁ」
 クレヨンで描いたような、色とりどりの愛らしい少女のかたち。子どものゆめを具現化したようなその姿は人々の童心を擽るためだけにかたちづくられたのだろうか、それとも。
「好み? んーと、あのリボンとこのりんごちゃん美味しそで好みかな♡」
「ゆめかわ系よりもお姉さまな方が好みかな。……え? 夢おばけちゃん可食部ある……?」
 怖……と殊更に怖がって見せる時雨とは裏腹に、恐らく本心から口にしているのであろう邏傳は何処までも笑顔だった。確かにりんごがくっついてはいるが、食べられるかと問われればそれは協議にかけたい所ではある。いやいや、竜の顎を以ってすれば噛み砕くのは容易なのかもしれないが。
「まぁどっちでも良いのだけれど」
「じゃあなんで聞いたんですか……、……さて。ではでは、破壊行動しない! 大人しく! スマートに!」
 こちらをスローガンに頑張りましょうね、と。ぱちんと時雨が重ねたてのひら同士が乾いた音を立てると共に黒妖犬と竜が弾かれたように動き出す。
「建物傷つけねようにっしょ? サクッとシンプルに……ゴメけどその箱、裂いて破って壊しちゃうね!」
 硝子がひび割れるような、硬質な、澄んだ音が響く。偏光を纏いながら邏傳の腕が竜鱗に覆われていくのとほぼ同時、大聖堂の床が、壁面が、裂けてしまったかのように黒い皹で覆われていく。否――実際に裂けてしまった訳ではない。それは荊棘。刺し貫き絡め取る、鉄条網が如き黒荊棘であった。
「勝手にさめない夢の檻に閉じ込めてくるなんて、なんたる悪夢の住人だい?」
 引き裂き、叫ばず。咲き誇る。
 この場は暫し、漆黒の森と成る。
 黒荊棘の拘束はあくまでも捉えた獲物の目印に過ぎない。一体、一体、丁寧に。葬送は自らの手斧で以って。お菓子のおうちも、悪辣なる魔女も。その幻ごと葬り去らんと、カナトは夜闇の中を躍り続ける。
「ゆめってね、届かね事も掴めちゃったり、そでなかったり。どきどきわくわくな贈り物みたい☆」
 悪いものではない。ゆめ自体は決して悪ではないけれど、現実の幸せには到底敵いはしないのだと。迫り来る斧を躱しながら、戦いの中で邏傳は笑う。
「ステキな日なんだから夢の中なんてもったいねぇのよ」
「それは同意です。夢では腹は満たされませんしね」
 派手に立ち回るふたりがジェーンたちの注意を引いてくれている間に、此方は此方の仕事をしよう。掲げたてのひらにふう、と細く吐息を吹き掛けたなら、その瞬間に時雨の呼気は意味を与えられ見る間に姿かたちを変えていく。不吉なほどに黒々とした雨雲が、満ち潮のように次々と押し寄せてくる。たくさん集まったそれも、カナトが縛り止めてくれているから融け合う事も最早容易い。
「あ、雨に濡れた綿あめちゃんみたいになっちゃうかな」
「それなら、雷の魔弾も食らわせてあげようか」
「パチパチ綿あめちゃんなる? そらぁ、めちゃ気になっちゃうね!」
 蛇口を捻ったかのような雨が、ざあ、と一斉に落ちてくる。
 嵐のあとには、何者も残ることはなし。

鴛海・ラズリ
セレネ・デルフィ
ララ・キルシュネーテ
マリー・エルデフェイ

●Dormir à la belle étoile
「美しい大聖堂に、相応しくないものがいるわね」
 幼い瞳にステンドグラスから落ちるひかりを映し、ララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)は宙空をふよふよと漂うゆめの残滓たちを静かに見上げていた。
「人の夢を覗き見る……それ以上に、それは夢を、未来を奪う行為……です」
 彼女/彼女たちが齎すそれは今日というさいわいに胸を満たした人々が当たり前に見るはずの明日を奪うもの。如何に悪意や敵意がなかったとしても、とても容認できるものではない。セレネ・デルフィ(泡沫の空・h03434)が両のてのひらを組んで俯く傍らで、マリー・エルデフェイ(静穏の祈り手・h03135)もこくりと確かめるように頷きを返す。
「夢というその人だけの世界を侵す事は許されないわ」
「夢とは人の精神世界……その人だけの無意識の領域を勝手に利用するなんて。悪い子にはお仕置きしなきゃ」
 たとえそれが良い夢だけを見せ続けることであったとしても、待っているのは永遠の隷属。囚われた人々が本当に望むものなどそこにありはしないから、マリーもララも少女の憧憬から目を逸らさない。
「ゆめはみんな、自分だけが見られる自分だけのもの、なんだよ」
 ひとりひとりの大切な、自分だけのちいさなせかい。それを覗いてしまうのは悪趣味なことだと。鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)の言葉に、ジェーンたちはかくんと深く首を傾いだ。

『どうして』『どうして?』
『たのしいは いっしょにするの』『いっしょは たのしいでしょう?』

 曰く。みんなみんな、今日は手と手を取り合って笑い合っていた。
 その光景が夜が明けたらなくなってしまうなら、いっしょにゆめのつづきを描けば良いのに、と。彼女/彼女たちがここに誘われてきてしまったのは、そんな因果の繋がり。辿々しい言葉たちを集めて要約すればそんなことを言っているのだと――理解は出来ようともそれを肯定することは出来ないことに変わりはない。
「夢は、仮初でしかありませんから」
「楽しい事もつらいことも。夢の中より私は現実で経験したいな」
 だって、そうした方が想い出と一緒に成長できるから。ふるりとかぶりを振ったセレネの言葉にラズリは頷く。今日という日は永遠ではない。でも、だからこそ一分一秒が眩く煌めいているのだから。
「マリー、セレネ、ラズリ……気をつけて。あのような輩にお前達の夢を渡してはならない」
「ええ。勿論、ララの夢だってララだけのものよ」
「はい、……私も……現実で、皆さんと共に幸せを抱きたい」
「もちろん、現実で! セレネとマリー、ララも一緒なんだよ」
 少女たちは振り返らない。倒れ伏した彼らが眠りに落ちるその瞬間まで笑い合っていたことを知っているから、目覚めた先にもさいわいに満ちた『いま』を続けていけるようにと、少女たちはそれぞれの祈りのかたちを手に取った。

『それじゃあ それじゃあ』
『あなたは あなたたちは』『しあわせじゃないの?』

「勿論、ララはしあわせよ」
 とん、とん、と跳ねるように駆けていくララを手招くように、お菓子のおうちの扉が開け放たれる。
「夢など結局は唯の幻。夢の中の巨大うな重より、現実の小さなうな重を皆で食べる方が美味しいもの」
「ふふ、ララさんらしい、です。では私は……桃のタルトにしましょう」
 『こわいゆめ』の側面を担うわるい魔女の首を刎ねるは神の焔が変状せし金翅鳥のカトラリー。躍り、翔り、無邪気に笑う迦楼羅の雛女に寄り添うように、ひらり、ひらりと蝶が舞う。
「無垢なる人たちが傷付かぬよう祈りましょう。……星よ、どうか力を」
 セレネが星の内海より喚び出した星煌蝶たちはゆめの残滓の中心で戦うララを、眠る人々を守るようにひかりの鱗粉を散らしながら次第にその数を増していく。ララの援護に。ラズリの補助に、マリーや眠る人々の守護になるようにと、天の乙女は祈り続ける。
「じゃあ私は大きい苺のタルトを一緒に食べたいの」
「私は何にしようかな、プリンにしようかしら?」
 ラズリが願うは守護のちから。浮遊するものたちへと伸びていく流れ星。ララが周囲を気にする必要がないように。何処までも自由に駆けていけるように。星乙女の針剣から紡がれた星彩の煌めきは糸となってジェーンたちを絡め取っていく。
「私があなたのゆめを仕立てましょう」
 厚い守護が在るとわかるから、安心してこの身を委ねることができる。そのひかりに寄り添うように、マリーもそらへ祈りを捧げ守るためのちからを解き放った。
「戦う力が無くても出来る事はあります! ――大いなる森よ、癒しの光よ!」
 穢れなき聖域を、光の森よ、どうか。
 風が吹いたのだと、気付いたのは誰がはじめだっただろうか。
 マリーが齎す神聖なる木々の護りは眠る人々をみどりのかいなで優しく包み込んでいく。彼らの身の安全を確保出来たなら、あとは次元の迷い子たちを眠りの中へと還すだけ。
「ララさん、ラズリさん、こちらは守るので思いっきりやっちゃってください!」
 もしかしたら。ジェーンはただ、羨ましかっただけなのかもしれない。
 怪異と成り果てた少女の憧憬に明確な自我があるかどうかの証明は誰にも出来はしないけれど、それでも、彼女/彼女たちはあまりに無邪気で無垢なもののように見えたから。だから――静かに、慈悲深く。粛々と送り届けよう。
「囚われる檻のゆめではなく、私は希望を祈るのよ」
 そうしてすべてが終わってから、ゆっくりと眠りの中でゆめをみる。
 すべてはあるべきかたちへ。あるがままを愛して、私たちは明日を望むの。
「あなたにとって、夢は楽しいものかもしれませんが……それは人に災いを齎すもの」
 此処はあなたの遊び場では、ないのです。
 ラズリの祈りが、セレネとマリーの守護が、静謐なる大聖堂に満ちていく。
 破魔を宿した銀災を阻むものは、もう、何もない。
「お前達の夢は美味しいのかしら?」

 ――ぱちん。

 うたかたのゆめが醒めるように、なないろの紙吹雪となって弾け飛んだジェーンたちがはらはらとひかりに溶けて消えていく。少女たちの願いは、祈りは、ここに確かに成ったのだ。

ルクレツィア・サーゲイト
ソーダ・イツキ
大海原・藍生
ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア

●ゆめのかたち
「『しあわせなゆめ』、ね。甘美に浸れる時間は、確かに幸せなのかもね」
 あまいゆめをそのまま紙面に落とし込んだような少女たちが楽しげに宙に遊ぶ姿を見上げ、ルクレツィア・サーゲイト(世界の果てを描く風の継承者・h01132)は少し。ほんの少しだけ目を眇め、次にはふるふると迷いを振り払うようにかぶりを振って否を示した。
「(……だけど夢を見続けても、何も形に残らない)」
 彼女/彼女たちが齎すは空虚なる永遠。悪意がなかったのだとしてもいずれは死を運ぶもの。だからこの場で止めなければならないのだと、ルクレツィアは信を置く仲間たちとこの場に並び立っている。
「夢はいいよね。夢見た明日、夢見た未来……それは迷って塞ぎ込みそうな自分に道を示してくれる」
 その中から飛び出すことが出来たのは、果たして勇気か熱情だったのか。今となってはもう思い出せないが、ソーダ・イツキ(今はなき未来から・h07768)にとってそれは確かなしるべに違いなかった。
「見た夢を本当にしたかった。だから比べられないよ」
 ゆめがあったから今があって。
 今があるからこそゆめがいとおしい。
 そこに貴賤などありはしない。だから、君が描き出すゆめを選ぶことは出来ないのだと、イツキは謳う。
「地面を踏み締める足も、未来を見つめる目も。どっちも私だからね」

『どうして どうして?』

『さめないゆめなら ほんとうなのに』
『さめないゆめなら えいえんなのに!』

 その『ちがい』がわからないと、少女のかたちをした災いはくるくると宙を踊る。中途半端にことばを解するものだからこそ、やりづらいものだと大海原・藍生(リメンバーミー・h02520)は眉根を寄せながら僅かに俯く。
 夢は頭の中を整理するために眠っている間に見るものだと、何時か何処かで聞いたことがある気がする。けれど、それが永遠に続くのだとしたら。ひとはどうなってしまうのだろう?
「眠りの中で見る夢は楽しいもので、それは確かに魅力的ではあるんですが」
 楽しみは一時的なものでしかない。だからと言って無碍に否定することも出来ない。自分はまだ幼くて、ひとが生きる上での正解を明快に提示することが出来ない。藍生の裡の迷いに応えるように、ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア(巡星図をえがいて・h09471)はジェーンたちを諭すように言の葉を紡ぎ始めた。
「眠りでも、未来を想っても、夢を見るのは確かに楽しいわ」
 そして、悲しいことや辛いことは現実にはたくさん、本当にたくさん溢れていて。夢の方が楽しいことだって一杯ある。逃げてしまいたくなることだって、誰しも感じた事はきっとあるはず。でも――それでも。
「夢は覚めるもの。そして明日への活力に変わるもの! だから人は遠い道を歩いていける!」

 覚めない夢は……ただの歪みよ!

 ラウレンティアの声が、祈りが、静謐なる大聖堂に木霊する。その言葉にはっと顔を上げ、藍生も、ルクレツィアも瞳に決意のひかりを宿し前を向く。
「……そう、です。夢には悪夢だってあるんです。『早くこの悪夢から目覚めればいいのに』と思わずにはいられない現実は俺にもありました」
「永遠が齎すものは、『からっぽ』だわ。あなた達にはそれが……わからないのでしょうけれど」
「俺は仲間であるみなさんと戦えるから、現実に立ち向かえるのです!」
 迷いはもうない。
 声を張り上げた藍生は、自らを楽器として朗々と凱歌を紡ぎ始める。生きて、生きて、抗い戦うための歌。これは遍く全てのいのちへ、生きる希望を、翼を齎すための歌。その歌声に背を押されるように、イツキとルクレツィアは斧を携えたジェーンたちを迎撃するべく走り出す。
 眠る人々を巻き込まぬよう、攻撃は最小限且つピンポイントで。開かれた絵本から飛び出した狼の顎門がこちらを噛み砕かんと開かれるのに合わせ、ルクレツィアは自らの裡に巡る竜漿より引き出した長柄の斧槍で血の滴る牙を受け止める。
「イツキ!」
「大丈夫。視えてるよ」
 心を燃やす。この身に眠る意志を呼び起こす。己が何処に存在していたかを、忘れぬための誓い。それは運命を乗り越えようとするちから。この胸に抱く希望の火が、必ず道を示してくれる。
「――箱だ」
 弱みは願いの近くに。それでも、胸を張って生きたい。生き抜きたいと願うからこそ、私たちは諦めずに前に進んでいけるのだ。
 そうして信じるからこそ。仲間たちが、友が、この声に応えてくれる。
「巡りて来たるは導星。導き至るは宿命星。……やがて辿り着く星のその先へ! 応えて!」
 ステンドグラスから落ちるひかりは、やがてそらより来たる星と成る。描いたゆめの軌跡ごと、かたちづくられた幻想ごと、星の燦めきが覆い尽くしてジェーンたちのかりそめの瞳を灼いていく。
「どんなに甘くても、|北極星《ポラリス》も見えない夢は遠慮させてもらうわね」
 イツキがひかりを見出してくれた。ならば、己は道を切り拓く。手繰り寄せた星のえにしが、満ちて、満ちて。縺れ合うように惑い出した少女たちの動きが精彩を欠き始めたことを、この場にいる全員が見逃すことはない。
「(ルーシィさんイツキさんが前で頑張ってくださるのも、レンさんの星の魔術も実に頼もしい)」
 藍生は尚も歌い続ける。その力強い歌声の後押しを受けながらラウレンティアが喚んだ星の道を駆け抜け、イツキはハンマーを振り被り、ルクレツィアは一気に詰めた距離をそのままに銃口を夢箱へと突きつけた。
「『夢』は私達が前に進む原動力よ。でも夢に溺れたら前に進めないわ」
 夢から覚めたあとの『夢』へと手を伸ばすからこそ、憧憬はうつくしいままで居られる。
 かりそめの永遠など要らない。だから。
「その『夢』を私は見続けたい!」
「そうそう。良い夢、みたいものね」
 ひかりよ、夜闇よ。ともしびの炎よ。我が銃弾に宿りて祓え。
 精霊達よ、魔を祓う銀の弾丸となれ。

 撃ち出された精霊弾が、幾重にも重なり焔と成って炸裂する。
 ゆめを詰め込んだ箱を撃ち抜かれたジェーンたちは、花が萎れるようにちからを失いその輪郭を次第に静寂へと溶かしていった。

時月・零
ロイ・サスケ
白・とわ

●Deep sea
「甘く穏やかな時間は長くは続かない、か」
 それまでのさいわいからせかいを隔てるように、時月・零(影牙・h05243)は金の双眸を覆う為に月冥のレンズを掛け直す。見目ばかりは愛らしいものだったとしても、隙を見せてやるほど甘くはない。
「用意はいいか、ロイ、とわ」
「はい、みなさまの夢を守りましょう。零さま、ロイさま」
「うむ、管理人殿、とわ殿」
 白・とわ(白比丘尼・h02033)が応えると同時に。ふ、と零とロイ・サスケ(ニンジャ・オブ・ザ・ハイウェイ・h09541)の纏う空気が僅かにその温度を変える。
 それは祝福。
 溟海より出づる夜海いろの澪標。
「夢は美しいもの、そして時として人を狂わせてしまうもの」
 とわが紡ぎ出した魔力糸は一歩先を征くふたりを繋ぎ、道を確かなものにしてくれる。
「ですが、夢無くして人は生きることは難しいでしょう」
 ふたりがちからを存分に振るえるように。眠る人々の夢をまもる為。とわはいのちを響かせる。その身を尽くし、祈り続ける。その祈りに応じるように朔の妖刀に手を掛けた零が視線を投げ掛ければ、狐面を手にしたロイは一度からりと笑って見せた。
「セッシャは馬鹿みたいに明るい夢が好きでござるよ。恐ろしい夢とやらはノーサンキューでござるなぁ」
 今はまだしあわせなゆめだけを見せているようだけれど。少女/少女たちが不意に気まぐれを起こしたらどうなるだろうか。これから先の『永遠』とやらにそれが一度も起こらない保証など、何処にもありはしないのだから。
「影は任されよ。闇に潜むことこそ本懐ゆえ」
「――ああ。仕事の時間だ」
 揺れて。満ちて。その声を合図に、零の影が姿かたちを変えていく。ひとのかたちであったものに、かりそめのいのちが宿る。深潭の狼が低い唸り声を上げながら駆け出すのとほぼ同時、狐面を被ったロイは闇と共に夜の底へと身を踊らせた。

『おおかみ』『おおかみよ』
『おかしのおうち たべられちゃう!』

 ジェーンたちは顔を見合わせぐるぐると得物を振り回す。それが魔法のステッキであればどんなに微笑ましいものだったろう。風を切る鈍い音を立てながら迫るのはリジーボーデンの血濡れの斧。狙いもろくにつけていないのであろうその軌道をただ躱すだけならば容易いだろうが、この背には、周囲には、守らねばならぬものが余りに多い。で、あれば。
「……ロイ!」
「承知」
 影の如く付き従っていたロイが、動く。
 伸ばしたてのひらが宙空を掴む。然してそれは無を掴むものではなく対象の『芯』を揺さ振るためのもの。ふよふよと不規則な軌道を描きながら飛び交っていたジェーンたちの挙動が、がくん、とぶれて固まった。肉のからだを持つものも、そうでないものも。捉えたすべてを巻き込んでいく霊震に呑まれたジェーンたちが、お菓子の家から出掛かった魔女が、縺れ合い彼方此方にぶつかりながら惑い出す。

『ゾウの行進だわ』『魔女の癇癪だわ』
『おかしのおうち こわれちゃう!』

 ひとつひとつの攻撃は大振りで精密さに欠けているが、それに数の暴力が加わると少しだけ話が変わってくる。魔力を注いでくれるとわが狙われぬよう、攻撃の要である零が囲まれてしまわぬよう、ロイは闇に紛れながら抜き放った姉妹刀で以って打ち漏らしのないようあぶれた個体を狙って迎撃していく。
 影に潜む狼たちが人々を巻き込まぬように立ち回ってくれているから、己も影に徹することが出来る。霊震の主導権は握ったまま。そうして撹乱し続けていれば、必ず彼が道を拓いてくれると信じている。
「悪いがりんごは間に合っている……でござるよ」

 闇雲に振るわれる斧が繋がれた魔力糸を断ってしまわぬようにと、とわは斬撃の合間を縫うようにゆらり、ゆらりと宙を尾鰭で蹴りながら泳いでいく。
「……とわ、あまり此方から離れ過ぎぬよう気をつけろ」
「ふふ。ご心配なく、あやとりも泳ぐのも得意なのですわ」
 ふたりが自分を守ってくれていることが分かる。分かるけれど、とわとて守られるばかりでは居られない。
「眠る夢はいつか覚めるもの。心に秘める夢は現にて見るもの。仮初の夢から起きなければ――さあ、零さま」
 幸いジェーンたちの釦の瞳は行手を阻むように立ち回る零にばかり気を取られているようだから、このくらいならば自分にも御せる。そう頷くとわの声に応じて零は夜を纏いながら強く一歩を踏み出し、跳ぶ。
「幸福とは現世で、人の意思で掴み取るもの。お前の見せる夢の先に未来はない」
 今日と云う日を。人々のさいわいを、終わりのある夢を――やがて来る朝を、永遠の檻になど奪わせるものか。
 昏き冥が鈍く輝く。
 それが己を断つ『死』であると、今なお身体の自由をロイの手中に収められている少女/少女たちには理解できない。視えないから、躱せない。
「……返して貰おうか」
 音もなく放たれた刃の閃が折り重なる。
 胴を分断されたジェーンたちは見る間に風船のように膨らんで、ぱちん、と音を立てて紙吹雪と共に弾け飛んだ。

一文字・透
篭宮・咲或
ヴォルケ・ナクア

●Dead fire
 現実と天秤に掛けるまでもない。夢は何処までも空虚なものだ。
「生憎、夢で満足出来るほど無欲な人間じゃねえんだよ」
 この手に、目に刻まれたものだけが確かな生を感じさせてくれる。お仕着せで喜ぶほど安くはないと、ヴォルケ・ナクア(慾の巣・h08435)は胡乱に目を細めながら見目ばかりは愛らしい歪んださいわいを一瞥する。
「どんないい夢でも所詮は幻なんだよねぇ」
 仮に夢だとしても他者に無遠慮に干渉されたくはない。その良し悪しさえ分からないと言うのだから、総じて怪異など碌なものではない。軽く肩を竦めながら宙空を漂う少女のかたちを見上げ、篭宮・咲或(Digitalis・h09298)は小さく息を吐く。
「都合のいい夢はあまり見たくない、かな」
 夢に浸っても現実は変わらない。それが第三者に依って見せられるまやかしであるなら尚のこと求めることはない。『どうして?』と尚も言い募る彼女たちにきっと悪意はないのだろうけれど、『ない』からこそ遊びの延長のままひとのいのちを奪ってしまう。それを到底見過ごせはしないのだと、一文字・透(夕星・h03721)も咲或の言葉にこくりと頷いた。
「鬼ごっこしましょうか。私を捕まえられたら質問の答え、教えてあげる」
 まるで本当に遊びに誘うかのような気安さで。やわらかな声が少女/少女たちを誘えば、ぽぽぽ、と周囲に花を咲かせたジェーンたちがすこし急いた様子で透の元に集まってくる。

『鬼ごっこ』『鬼ごっこ!』
『にげて にげて』『おおかみにつかまる そのまえに!』

 この身に宿る血潮の一滴が、きっと応えてくれる。
 ゆめのなか以外でも遊んでくれるにんげんがいることを喜んでいるのか、ほとんどの個体が『鬼ごっこ』に興じ始めたことに、ひゅう、と咲或は軽く口笛を吹き無骨な銃火器を構え照準を定めた。
「透も案外無茶するねぇ」
「随分危ねえ鬼ごっこだな……」
「でも女の子の勇ましい姿って格好良くて好きよ」
 君はどう? なんて傍らから飛んでくる軽口に眉を寄せ、ヴォルケは展開させたドローンたちを追尾させる形で透の後を追う。軌道の読めないジェーンたちを周囲の被害無く撃ち抜くのは少し骨が折れるが、すべてが同じところに向かおうとしているのならば弾道計算の処理速度も想定より楽に済む。ルール違反の斧が飛んでこようものなら、その先から潰してやる。
 牽制射撃に徹していた二対のドローンが獲物を追い立てる動きへと変わる。
 急かされたとばかりに地面の低みまで降りてくる絵物語の成り損ないの直ぐ側に、慾の黒蜘蛛が巣を張り巡らせ待っていた。
「もう十分遊んだだろ。――夢が好きならお前らが寝てな」
 強靭な発条が弾けて躍る。軸足から跳ね上がったヴォルケの蹴撃が群れを薙ぎ払えば、『ぷきゅ』と間抜けな断末魔を上げて夢箱ごとジェーンたちが破裂していく。右の足先には呆気ない、ゴムボールを蹴ったかのような生ぬるい感触だけが残る。
「チ、流石に数匹逃したか……」
 それを異変と感じるくらいの知能はあったのか。わあきゃあと悲鳴を上げながら惑い始める個体もいれば、鬼ごっこを優先するものもいる。そう賢くはないのであろう相手は御し易いが、数が多すぎることが少しばかり厄介だなとヴォルケは低く喉で唸った。
「あらいいとこに追い込んでる。はみ出たソレ、俺が|貰っていい《燃やしていい》?」
「ああ。そっちは好きに燃やせ、咲或」
 大聖堂のうつくしい光景が穢されぬように。眠る人々を巻き込まないように。跳んだり跳ねたり、翻弄するかのように飛び回る透はジェーンたちにとって『とってもすてきなおもちゃ』に見えたことだろう。それを『ともだち』と認識できるくらいにこころがあれば或いは和解出来たのかもしれないが、有り得ぬ可能性を態々探るほどこの夜は長くない。
「さて、逃げるなり正面からくるなりお好きにどうぞ?」
 すべてを仕留め切るまで絶対に逃さない。駆け抜ける透が傍を風のように過ぎていくのとほぼ同時、安全装置を外したバレルが空気を引き裂くが如き唸り声を上げて火を吹いた。
「大体さぁよく考えて御覧。|人間災厄《俺》のみる夢なんてロクなもんじゃないんだから」
 見たって楽しくないのよ、と笑う声は重い銃声に紛れて消えていく。炎に巻かれ、爆ぜた弾に焼かれ、紙吹雪となって弾けたジェーンたちは火花に溶けて消えていく。漸く足を止めた透はすこしだけ上がった息を整えながらその光景を降り仰ぐ。
「いつも見る夢より、今日がうんと幸せだよ」
 だってとっても楽しかったから、なんて。あなたたちには分かるのかな。こころが育ちきっていない少女/少女たちは、それでも自分との追いかけっこを楽しんでくれているように見えたから。誰かを傷付けてしまう前に送ることが出来てよかったと思う。
「……確かに今日は悪くねえ日だった」
 普段見るような欲に塗れた夢なんかより、ずっとずっと綺麗で。
 だからだろうか。慣れない人助けなぞに胸がすくような想いを抱くのは。
「は、」
 柄じゃない。けれど鬱屈した迷いはない。
 微かに吐息を溢したヴォルケの横顔へ、『今笑った?』と咲或が声を掛けるまで――あと、数秒。

夜鷹・芥
戀ヶ仲・くるり
雨夜・氷月

●まどろみメランコリー
 戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)は倒れ伏す人々を黙って捨ておけぬ勇気を持っていて、それと同時に駆け出してしまうくらいにはおろかな少女であった。
「あっえっこの人たち死んで、……生きてるぅ! よかったぁ!」
 そんな少女の蛮勇とも呼べる行為を誰が笑おうか――いや、居る。
「んっふふ、くるりはいつも賑やかで見てて飽きないね」
「楽しい催しに邪魔は無粋じゃねぇ?」
 冴えた月と夜闇のいろが、くるりの影から伸びるように立っている。ひとり百面相をしている少女を面白がるように笑い声を立てる雨夜・氷月(壊月・h00493)の傍らで、慣れた所作で以って愛銃に弾を装填し終えた夜鷹・芥(stray・h00864)は肩を竦めながら浮かび上がる夢箱の群れを軽く仰いだ。
「夢は夢だ、覚めたらまた楽しいホリデーが待ってる」
「そうそ、お祭り気分を邪魔する奴はお仕置きかな」
 見目ばかりは愛らしいなにかがたくさん浮かんでいる。それは一匹だけならば他愛のない存在なのかもしれないが、多い。如何せん多すぎる。『かわいい』で片付けるには少々無理があるその光景に唇を震わせる少女へ、芥は信を乗せた言葉を運ぶ。
「くるり、足止めと一般人の傍は任せた」
「皆がこうなっちゃったのって、多分あれ原因ですよね!? ……ぇ、はいっ! 足止め!」
 未だ自分にちからがあるなんて、何かの間違いなのではないかと思う瞬間がないわけではない。それでもくるりはこの大聖堂まで、芥たちと共に着いてきた。彼らがそれを許してくれた。その信頼に応えたいと思うから。
「……お願い、届いて!」
 『これ』と見定める眼を。
 『ここ』に、捻じ曲げるちからを。
 ぎゅってして、ぐってして――よくわかんないけど、あの子だちだけを対象にして!

『たいへん たいへん!』『ここは 魔女の鍋のなか?』

 少女のかたちをした絵物語の成り損ないが一斉に震え出す。宙に浮かんでいるはずなのに、天地がひっくり返ったかのように飛んだり跳ねたり、ぶつかり合って惑い出す。それが己の能力が成ったことを指していることを知れば、くるりは額に伝う一筋の汗を拭いながらそっと息を吐く。
「あっ、で、出来たっ? あとはお願いします……!」
 くるりが精一杯に張った声に応じ、氷月と芥は視線を交わして地を蹴った。
 彼女が戦いに慣れていないことくらい分かっている。であればその勇気に応える位のことはしてやりたい。
「氷月、あのふわふわしたの蹴散らすぞ」
「オッケー! さくっとやろっか、芥」
 芥のその想いは純粋な善意から来るものであったが、氷月の方はもしかしたら『その方があとで面白いから』という枕詞が付いてくるかもしれない。幸いこの場には心を読めるものなど存在しないから、全ては斬撃と銃声の中に葬られてしまうのだけれど。
 振り上げられた斧の軌道からすり抜けるように身を潜らせた芥の銃弾が、焦点を持たぬジェーンの眉間を次々と撃ち抜いていく。空気を一気に押し込まれた風船の如く膨らんだゆめの残滓が一気に弾けたかと思えば、あとにはなないろの紙吹雪だけが残される。何てことはない、これらの中身は『からっぽ』だ。
 タン、と高く鳴らした踵の音を皮切りに、氷月の足元から雨花幻の花弁が噴き上がる。彼女らの舞台に上がる必要さえありはしない。夜の腕を伸ばし地に叩きつけてやればよい。ひとつ、またひとつと銀片の刃で斬り伏せていくその先で、闇に紛れたふたりを見失ったジェーンたちは今尚自分たちを揺らし続ける少女の方へと顔を向けた。
「ひぇ」
 くるりの喉が引き攣った呼気を漏らし、ざり、と後退する靴音だけがいやに響く。
 ――だめだ。こんな風に音を立てたりなんかしたら。

『ねむっていない子がいるの』『どうして どうして?』

「ぁ、あ、」
 釦の瞳に感情のいろは見えず、それらが一斉に此方を向く様が異様で。得体の知れない恐怖が背筋を駆け上ってきて、堪らず腰を抜かしてしまいそうになる。――けれど、それまでだ。
「残念、そっちはやらせねぇよ」
「それはダァメ」
 死角より出づる刃のふた振りが移動し掛けたジェーンたちを次から次へと叩き斬っていく。それが芥と氷月の助けであると分かるから、くるりは笑いそうになる膝を叱咤してその場に尚も留まり続ける。
「……私、今日のお出かけ、楽しかったです」
 望みも欲しいものも、人それぞれあるけれど。無理矢理に引き摺り出して閉じ込めるなんて、具体的な解を提示出来ずともそれが『良くないこと』であると分かるから。だから、あなたたちを肯定できない。
「夢を見るのは嫌いじゃないけど、アンタの夢はただ朽ちるだけでとびきりマズそう」
「そうだな。朽ちるなら囚われ彷徨うより、誰かの為にと決めている」
 夢も現実も同じものを見るならば興味はない。そんな事より、とっとと片付けて帰ってツリーの飾り付けをしなければ。
「楽しいことは始まったばかりだ」
「はいっ! オーナメント、飾りましょうねぇ!」

 さあ、ホリデーの続きをしよう。
 アンタだけ楽しい夢は全部壊して、ああ――そうそう。オーナメント選びの結果発表もしなくちゃね!

逝名井・大洋
氷野・眞澄

●Eyes on Me
 静かな祈りの時間を妨げるとは、随分と無粋なことを。
 ステンドグラスから注ぐひかりの中に影が混じることに僅か眉を寄せ、氷野・眞澄(サイレントキー・h07198)は無粋な来訪者たちを一瞥しちいさく息を溢す。
「成程、コレは立てこもり! 人質ありだし監禁罪の現行犯ってカンジですねぇ!」
 祝祭の空気をそのままに、殊更に明るいその声を『たのしいもの』と捉えたらしい少女/少女たちが燥ぐ声を上げるのに、かくん、と逝名井・大洋(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)の肩が落ちる。
「……厄介なのは、犯人に悪気がなさそうってコトだけど」
「いいえ 逝名井さんの言う通り現行犯ですので、シンプルに排除してしまいましょう」
 情は不要。黄昏の世界より滲み出した存在であるならば、此方が始末を付けなければと。眞澄の言葉に弾かれたように顔を上げた大洋は、次には顔を緩ませへらりと笑って見せる。
「申し訳ありませんがフォローをお願いします」
「はいっ!」
 彼に情けない様など見せてはならない。眞澄への信頼に応えるように、大洋は先陣を切って一歩を踏み出した。

『あら あら?』『かべがあるわ かべがあるの』

 本当は先輩の姿を凝視したいところだけれど、今は我慢。
 見開いた大洋の両の瞳が捉えた少女のかたちが、びたりとその場で静止する。唐突として与えられた不自由が理解できぬとばかり、宙空に押し留められたジェーンたちが口々に『どうして』と口にするのを、眞澄は静かに俯瞰していた。

 ああ――全く、今日ばかりは頭痛も遠く感じていたと云うのに。

 この目に映るは鈍色の。刻むは夢の残滓まで。
 瞬いた後に宿る霊視の力が、畝り、どよめき、――みぢ、と鈍い音を立てる。まるで紙屑を丸めて捨てるかの如く少女の輪郭を捻り切ったのを、大洋は視界の端に微かに留めていた。
「ボク、射撃はちょっと自信あるんだぁ!」
 遅れを取ってはいられない。ただの援護に留まってやるほど『お淑やか』ではいられない。抜き放った銃口から軽い破裂音を幾つか響かせると同時、撃ち抜かれたゆめの子どもたちがぱちん、ぱちん、と弾け飛んでいく。紙吹雪となって散っていくその姿に安堵したのは、果たして何方が先であったのか。
 彼女らの中身が空っぽだったのは幸いだ。醜い臓物が詰まっていないのなら、潮のように押し寄せてくる罪悪感も薄らいでいくように思えるから。
 人々が倒れ眠ってしまっているのはある種の好都合だった。――その分、己の視界に入り辛いと云うことだから。

『いや いや!』『もっと もっとあそびたい』

 自分が動けないのなら、自分が連れていけないのなら。
 ぱたりと開いた絵本からずるりとあかい舌を覗かせたのは、おなかを空かせたくろい狼。分別のつかない少女の憧憬が命じれば、それは夢の中へと強制的にいのちをさらう牙となる。黒泥の牙が眞澄の頸を齧り取ろうとした次の瞬間に、二度、発砲音が響いた。
「……それはダーメ」
 無邪気な遊びであれば付き合おう。けれど、彼を傷付けることは絶対に許さない。未だ硝煙を立てる銃口を構え直した大洋へ、まるで動じた風もない眞澄は『どうも』とちいさく応えた。
「頼りにしていますよ、逝名井さん」
「モチロンです! 大聖堂も傷付けないように頑張るね!」
 弾む声は尚も翳らぬまま。
 大洋が再び目を閉じるときには、辺りは荘厳なる静寂を取り戻していた。

賀茂・和奏
白水・縁珠

●ジェーンのゆめ
 ゆめ、は。
 子どもの頃はあった気もするが、今は眠りの先で稀に見るもの以外己で思い描くものは視ないようにしているから。何方がしあわせかと問われたなら、一緒に楽しんでくれる君と過ごせた今日。明確な『いま』がいいと、賀茂・和奏(火種喰い・h04310)は困ったように笑みを浮かべた。
「今夜みたいなキラキラした日には。ひとりは、もったいないよ」
 ゆめは独りでしか見ることが出来ない。それ事態は悪いことではないけれど、ゆめしか知らない彼女/彼女たちのてのひらはひどく不器用なものだと白水・縁珠(デイドリーム・h00992)は浮かぶ少女の憧憬たちを見上げ、まるで絵本の中に迷い込んでしまったかのような光景に数度瞬いた。
「夢は悪いことじゃない。やさしかったり、希望につながることも」
 こころを説いたとて、ジェーンは理解できないのかもしれない。
 それでも。今は人々に『しあわせなゆめ』しか見せていない彼女たちに『たのしい』は伝わっているのだろうと分かるから。和奏も、縁珠も、ちいさな子どもに言い聞かせるように言の葉を重ねていく。
「夢も妄想も結局は押し付け、になればエゴでしかなくて。……喜ばせ方を間違えたらダメだね、キミらも私も」
 理解できてもできなくても、反省タイムだ。
 銃を構える縁珠の傍ら、和奏は射手の導線を得る為に一歩を先に踏み出す。『縁さんに押し付けとかされたことない気がするけど』と呟く後ろ姿を、縁珠はすこしだけ恨めしそうに見送った。
「さっき論破……。……、……とはいえ、あたり構わず撃つのは無しだ」
 開かれた絵本からくろい顎門が飛び出してくるのをただ黙って見つめるだけじゃない。自ら大口を開けて向かってくると云うのなら、こちらから出迎えてやればいい。
「宿り木さん、よろしくね」
 撃ち出した翠緑の弾丸が弾けた先から芽吹いたみどりがおおかみの牙を押し留める。愚直に飛び掛かってきた泥濘の獣を、伸びゆく蔓が絡め取っていく。眠る人々がその爪牙に引き裂かれないように、まもるために、とらえるように。
「……わっきーの口のほうがおっきいな」
「ええ、そうかな」
 がじがじとみどりのまもりを齧るおおかみを他所に、降ってきた言葉に和奏が一瞬足を止める。

『きょうを とじこめておけたらいいのに』
『きょうが おわらなければいいのに』

 そうすれば。そうすれば、みんなみんな笑顔のまま。
 たのしい思い出で包み込んでしまえば、ずっとジェーンとあそんでくれる。そうでしょうとゆめの子どもたちが口々に告げる言葉に、和奏は叶う限り穏やかな声音で以ってそれに応えた。
「共に未来へ羽ばたかせるならいいが……閉じ込めてしまうのはね」
 『いま』は永遠ではない。
 でも、それを愛しめるくらいに楽しいことが君に溢れたなら――もしかしたら、君はひとのゆめを食べてしまわずに済むのかもしれないな、なんて。
 抜き放つは一瞬。
 みどりの腕に抱かれたものから順に、別雷の咬斬が少女の憧憬ごと歪んだゆめを断ち切っていく。空気が抜けるような音を立てながらぷしゅぷしゅと縮んでいくジェーンたちは、やがてぱちんと弾けてうたかたへと消えていった。

「そうだ、さっきの。比べてみる?」
 澄んだ音を立て刀を鞘へ収めた和奏が振り返ってそんなことを言うから、縁珠は僅かに口を曲げて『もう比べたからいいー』と否を示す。
「……改めなくても、縁の覚えてたい景色だから」
 だから、変に変えたりしなくたっていいのだと。告げられた言葉に瞬いて、和奏はことりと首を傾いだ。

ルナ・ディア・トリフォルア

●恋しらず、君しらず
 全くまったく。折角愛し子とのデートを楽しんでいたと云うのに、無粋な輩だ。
「そのままずっと姿を現さねばよいものを」
 先程までの甘い時間に水をさされたとばかり。紅を乗せた花唇をむっと尖らせ、ルナ・ディア・トリフォルア(三叉路の紅い月・h03226)はふよふよと浮かぶゆめの子どもたちをつまらなそうに見上げながら、せめてもの手向けにと齎された問いへ気まぐれに言葉を返す。
「さてな。少なくともお前どもに再現できるようなものではあるまいよ」
 我が夢と願い、そして幸せは永久に愛し子と共に。この怪異にすべて教えてやるほど軽いものではない。

『わからないわ』『わからないわ』
『『たのしい』はずっとつづいたほうがすてきだわ』『あなたはちがうの?』

 邪気はない。だが、詮索は神なるものへ不敬に他ならぬ。
 大剣を構えたルナはその言葉たちに応じない。尚も問いを募らせる少女/少女たちの言葉を遮るように振り抜かれた魔法剣の一撃がたくさんのゆめを閉じ込めた箱ごとジェーンたちを薙ぎ払う。わあ、ひゃあ、と間抜けな声を上げながら応戦するように振りかぶられた斧はまやかし。右手に込めた零のちからが、ゆめをまぼろしへと還してくれる。
「内緒じゃ。……ええい! そもそもお前ども、恋も知らぬような小童ではないか!」
 こころを説いても解せぬ童に恋を説くなど、そんな途方も無い旅路に付き合ってやる義理はない。今尚己の居らぬ場所で人々を導いている愛し子のもとへ一分一秒でも早く戻らねばならぬのだからと、ルナは胸の内で燻る激しい憤りをそのまま刃に乗せてジェーンたちを次々と斬り伏せていく。

 ばちん、と弾けたひかりは女神の感情に伴った神気の発露か。
 眠る人々を守る守護結界がほんの一瞬だけ苛烈なまでに輝いたのを、幸い未だ夢の中に閉じ込められた人々が目にすることはなかった。

咲樂・祝光
エオストレ・イースター

●チェリー・メリー・ブロッサム
「ぴかぴか大聖堂だー!」
「結局来てしまった大聖堂……まぁ、丁度良かったみたいだね」
 先程買い求めた個性的なセーターは戦いの際に破れてしまっては不憫だろうと、咲樂・祝光(曙光・h07945)がエオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)を口説き落としたのが数分前の出来事。祝光の切望は功を奏し、ふたりは常の装いのまま荘厳なる大聖堂の扉を無事に潜ることが出来た、のだが。
「はっ……なんかいる! 皆寝てるし……イースターの夢でも見てるのかな?」
 ふよふよと浮かぶ怪異の下を掻い潜り、慌てて駆け寄ったエオストレが眠る人々の中からひとりを助け起こす。
「おーい! 無事かな、……起きない!」
 幸い彼らは苦しみの中にはいない。『サンタ待ちなのかも!』と声を上げるエオストレの姿に、祝光は堪らずくすりと笑みを溢してしまう。
「サンタ待ち……ふふ、それがいいね」
 クリスマスの祝の日に、永遠の夢に沈められてしまうだなんて相応しくない。であればと、祝光は桜護龍符を手に楽しげに笑う少女/少女たちを仰ぎながら人々を背に庇い立つ。背中は任せたと友へ告げれば、勿論だともと頼もしい返事が返ってくることがほんの少しだけ擽ったい。
「俺達で目覚めのサンタになってあげようか」
「いいねー、こんなに素敵な夜なのに夢に溺れるのは勿体無いもんね」
 さいわいに満ちたこんな夜が閉ざされた永遠に沈んでしまうなんて、そんなのちっともイースターじゃない。ステッキから秘された刃を抜き放ったエオストレに頷きを返し、祝光もまた蔓延る怪異を祓うべく、人々を万一にも傷付けぬようにと守護の結界を展開した。
「エオストレ、爆破しすぎるなよ。人も大聖堂も傷つけないように!」
「わかったよ! 大聖堂を破壊しちゃうことだって、イースターじゃないもんねー」
 さくら、さくら、仇桜。手繰り寄せた春の祝福を、君に。
 ぴょんと飛び込んだエオストレの剣戟は舞うが如く軽やかで、ともすればこの場が戦いの場であると忘れてしまいそう。それがあまりにも華やかで眩いものであったから、少女のかたちをした災いは自分たちが傷付けられたことにさえ気付かない。気付けない。
「……人の夢は、君達が弄んでいいものじゃない!」
 エオストレが囲まれてしまわぬように。彼が何の憂いもなく舞い続けることが出来るようにと、祝光は尚も集まってくる個体が人々へ向かわぬようにと、破魔の霊力を込めた幻桜の護符で以って『わざわい』だけを祓っていく。

『どうして』『どうして?』
『ゆめのなかは あたたかいでしょう』『ゆめのなかは ずっとしあわせでしょう?』

「僕は何時だって幸せハッピーイースターだよ! 祝光のいる今が楽しくて仕方ないんだ」
 だから――邪魔しないでくれる?
 人々が見た『さいわい』だって、いまを愛しているからこそ見ることが出来る景色に違いない。常よりも威力を抑えたイースターエッグを放ったエオストレは、宙に留まったままでいたゆめの子どもたちを纏めて色とりどりの桜吹雪へと変えていった。

「ほら、起きなよ」
「ここは……、……あれ? 私……眠ってしまっていたのかしら」
「大丈夫? よかった、怪我はないみたいだねっ」
 助け起こした人々が意識を取り戻していく姿に祝光とエオストレは顔を見合わせ安堵の息を吐く。
「君達への贈り物がきっと届いているはずだから、早くお帰り」
「えへへ。そうだよ、|ハッピーイースター《メリークリスマス》!」
 今日は夢より煌めく聖夜。
 イースター……おほん! クリスマスの魔法が、きっと皆に掛けられている筈だから。

エル・ネモフィラ
御狐神・芙蓉

●花影に星
 ふたりであたたかなショコラ・ショーに舌鼓を打ちながら、ステンドグラスとキャンドルのあたたかなひかりを楽しんでいた御狐神・芙蓉(千歳洛陽花・h04559)とエル・ネモフィラ(蒼星・h07450)の耳に少女の笑い声が響いてきたのは、至極唐突のことであった。
「これは……、」
 祈りを捧げていた人々が膝から崩れ落ちていく。長椅子に座ってひそやかに言葉を交わし合っていた恋人達が、互いに凭れ掛かりながら意識を手放していく。明らかな異常事態を察知したふたりを顔を見合わせ、直ぐ様罪なき人々がそれ以上害されないようにと席を立つと一番近くに居た老婦人の背をそっと支えた。
「意識は……、……だめ、呼び掛けにも……」
「これが夢の子どもたち。なんて数なのでしょう」
 くすくす。くすくす!
 無邪気な笑い声は幾重にも折り重なって、大聖堂の高い天井に木霊する。絵本の中から飛び出してきたようなその姿は見目ばかりは愛らしいが、今まさにそのちからの猛威を見せられたばかりのふたりが油断することはない。
「皆さんのこと、お願い致しますね。エル様」
 しゃらりと音を立てて抜き放たれた宝刀の煌めきに。否、それより彼女が剣を抜いたことにエルは僅かに驚いた。淑やかな彼女が剣を振るう姿など想像したこともなかったが、いつも美しい所作の芙蓉がどんな剣技を見せてくれるのか期待が浮かばなかったと言えば嘘になる。
「芙蓉、前衛は任せるね。大丈夫……みんなと大聖堂は風に任せて」
 ここは祈りが積み重なった場所。眠りは休息であって、決して支配ではないのだと。エルはあおい瞳に決意を抱き祈りの形に手を組んだ。

 この状況下で大聖堂と人々のすべてを守りながら戦うことは困難だ。けれど、エルと共に在るならばきっと成し遂げられる筈。たったひとつの信を胸に、芙蓉はたん、と軽やかに地を蹴り群がる少女/少女たちの中へと飛び込んでいく。
「雷霆よ、此処に」
 ステンドグラスが、窓硝子たちが、細かく震えた。陽光が如き鮮烈さで以って花開いた紅き雷が弾け、芙蓉が舞い踊る軌跡を辿るように稲光が駆け抜けていく。悪意なき兇刃が、狼の顎門が、エルや皆を傷付けぬよう。芙蓉は幾度も、幾度も剣閃を閃かせながらゆめの残滓をひとつずつ確実に斬り伏せていく。その背を後押しするように吹き抜けたのは、湖水の上を滑るかのように澄んだ一陣の風であった。
「この地に宿る精霊たちよ。聖なる息吹を、――どうか」
 不可視の加護は人々を微かな星の煌めきと共に包み込み、大聖堂の中へと広がっていく。如何に彼女/彼女たちが癇癪を起こして暴れたとしても、何ひとつとて傷付けさせることはしない。

『なんで なんで?』
『ゆめは いちばんしあわせじゃないの?』
『ゆめは いちばんあんしんじゃないの?』

「今日は夢より幸せ? とも言っておりましたね」
「……私もそう。夢より幸せな今日の続きを、みんな望んでる」
 それは勿論のこと。此処で眠りについた人々も、きっとそう思っている。
 ゆめの子どもたちに邪気はないのだとしても――その本質はどこまでも『わがまま』で、ゆめしか知らないジェーンには『いま』をさいわいと唱えるこころの、言葉の意味がわからない。理解できない。
 だから。
「返してもらうね」
「貴方の夢は此処でお仕舞いに致しましょう」
 くるりと裾を翻した芙蓉の姿は大輪の花にも似て。
 振り抜かれた中華剣の一撃が、夢箱の歪められたさいわいを確かに断ち切った。

ルミオール・フェルセレグ
シルフィカ・フィリアーヌ

●君が居るいまを
『わからないわ』『わからないわ』
『ずっと続く『しあわせ』は すてきでしょう?』

 中には夢に囚われることを良しとするひともいるだろう。夢は時に優しく、痛みばかりの『いま』を忘れさせてくれるものでもあるのだからと、シルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)はジェーンの問いかけにそっと花のかんばせを俯けるけれど、それもほんの僅かのこと。
「……でも、あなたたちが見せる夢がたとえどんなに優しくて幸せなものだったとしても。ずっと夢に囚われておしまい、だなんて」
 そんなことを見過ごすことは出来ない。それを許すことは出来ないと、シルフィカはそらを透かす海のいろを宿した双眸に決意を乗せて夢箱の少女たちをきっと見据えた。
「夢を見られるのは生きてるからだよ」
 なんて、君たちに言ってもわからないかもしれないけれど。
 夢よりも今日が幸せかだなんてそんなの答えるまでもなく決まっていると、ルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)は首を傾げながら問いを重ねる少女の憧憬を仰ぎ見ながらちいさく息を吐く。
「夢の中じゃ思うように動いたり喋ったり出来ないし……こうしてシルフィカに触れることだって」
 せめて。せめて夢で会えたらと泣いた夜がなかったわけではない。けれどそれは何かに齎されるものではなく、己の願いで引き寄せるものだと思うから。
「それに、少なくとも今ここにいる人たちは夢よりも楽しくて幸せだから笑ってるんじゃないかな」
「……ちょっと待って。確かに夢の中では思うままに動くことも言葉を紡ぐことも出来ないけれど」
 途中、なにかとんでもないことを口にしてはいなかっただろうか。
 彼のてのひらの温もりを覚えている。忘れる訳がない。だからこそ、頬に、耳に熱が昇っていくのを止められなくて。見る間に顔じゅうをばらいろに染めたシルフィカの姿に、ルミオールは愛しげに目を細めながら微笑んだ。
「……そういうのは今は置いといて。ちゃんと真面目に戦ってちょうだいね」
 照れている彼女は可愛い。いや、何をしていたって、何を言われたって何度でも君が何より可愛いと胸を張って言える。今直ぐそのあかく染まった頬に触れたいとも思うけれど、それではきっと怒られてしまうから。
「勿論ちゃんと真面目にやるよ」
 シルフィカに格好いいところももっとたくさん見せなくてはならないし。眠る人々のことも、大聖堂も守り抜こうとルミオールは星々の円観を描き出す。
 色々言いたいことは沢山あるのだけれど、ちゃんと戦う気になってくれたのだから今はそれ以上咎めまい。熱を持つ顔を押さえつつ、シルフィカもまた雑念を振り払うようにふるふるとかぶりを振ってから精霊銃を構え音もなく地を蹴った。

 あまくておいしいお菓子のおうち。
 ゆめみたいにすてきなお菓子のおうち。
 でもでも、つまみ食いをした子たちは、みんなまとめて鍋の中!

 開かれた扉から出づる枯れ枝の如き魔女が手を伸ばすよりも早く、シルフィカはくるり、くるりと花弁のようにスカートを翻しながら煌花の円舞曲を紡ぎ出す。ちいさな爪先が踊るたび、弾むたびに撃ち出された花精の弾丸が宙空で弾け、お菓子の家ごとすべてを貫いていく。たとえ撃ち漏らしたとしても心配することなど何ひとつない。
「おやすみ。星たちの声を、聞かせてあげるよ」

 星の廻りよ。巡り来る円観よ。幾星霜の奇跡を越えて――ここに。
 落ちる星の煌めきが、満ちる祝福が、ルミオールの身体を包み込む。星彩を宿した一撃が、ゆめものがたりのなり損ないたちを一息で薙ぎ払った。

ラデュレ・ディア
ラナ・ラングドシャ

●Waltz op.64
「ボクにとって今日はしあわせだよ」
 大切な存在が今日も側にいてくれて、隣で笑顔を見せてくれる。こんなにしあわせなことってないよと、ラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)はくるんと長い尾っぽを揺らして少女/少女たちの問い掛けに笑顔で以って答えて見せた。
「わたくしもとても幸せです。そう心から告げることが出来るでしょう」
 あまい、あまいショコラ・ショーの味も。煌めく街のあかりも、手にしたたからものたちも、何もかもが大切な思い出のひとつになった。それがもしも『ゆめ』だったと断じられてしまったらきっと悲しいと、ラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)はほんの僅かだけ視線を落とす。

『それじゃあ それじゃあ』『あなたたちは ゆめをみないの?』
『たのしい『いま』は おわってしまうのに?』

「……終わりがあるからこそ、せかいはうつくしいのです」
 夢を見るのならばうんと幸せなものがいい。
 けれど、安寧の眠りを妨げる行為など決して見逃すことは出来ない。彼女たちの偽りのさいわいを、享受することなど出来はしない。
「起きる時には、気持ちよく目覚めたいですもの」
「もちろんお昼寝するのも夢見ることも好きだけどさ、ボクはね。夢を『追いかけてる』方が楽しいんだよね!」
 それはどこまでも純粋で真っ直ぐな言葉。
 ほんの少しのいたみを覚えた胸の中に、ぽっとやわらかなひかりが点ったようだった。とてもラナらしいのですとはにかむラデュレの言葉に、ラナの頬はへにゃんと蕩けるように緩んでいくけれど。いけない、いけない。いくら相手が可愛らしい見た目だからってここは戦いの場。ちゃんとしなきゃと背筋を伸ばすすがたにくすりと笑みを溢しながら、ラデュレはそっと硝子のベルを掲げて開演の言葉を告げる。
「では、追いかけに行きましょう……!」
「うんっ!」
 ラデュレも、ラナも。『探しもの』を始めたばかり。悪夢に苛まれて立ち止まることなんか出来ないからと。互いへの信を胸に抱いて、少女たちはゆめの子どもたちへと改めて対峙した。

「おいで、勇敢で優しいボクの仔猫ちゃんたち!」
 夢靄の中から現れ出づるはラナを慕うちいさな仔猫たち。ただ愛らしいばかりではなく、その手には各々のとっておきの『ぶき』を手にしている。号令に応じて整列した仔猫たちを見下ろして、ラナはぐっと両のてのひらを握って見せた。
「みんな、それぞれ武器は持ったかな? 敵を倒して可愛いだけじゃないってとこ、見せようね! えいえいおー!」

 にゃいにゃいにゃー!

 それぞれから上がる声に笑みを深め、不意に『あ!』と声を上げたラナの様子にラデュレが振り向く。
「……? どうかいたしましたか、ラナ」
「ラーレ、あのね。ボクの後ろで仔猫ちゃんたちの援護や眠ってる人達を守っていて欲しいんだけど、お願い出来る?」
 そんな言葉を聞いて、誰が否を唱えることが出来ようか。
「まあ、名案ですね……!」
「その間、ラーレのことはボクが守ってあげるから安心して!」
「ふふ、勿論です。頼りにしていますね」
 自分の奥義はどうしても周囲を巻き込んでしまう。ならばそれさえ友を、人々を護るためのちからとしようとラデュレは確かな頷きを返し、ちりん、と澄んだ音と共に頼もしき兵隊たちを誘った。
「わたくしの声に応えて、おいでくださいませ」
 幾つもの足音は12のうさぎたちの行進から齎されるもの。ベルの音を合図にやってきたスートの兵士たちは、その音を、声を聞き逃さぬようにぴこりと長耳を揺らして静かにラデュレの命を待つ。
「ラナのお友達の仔猫たちにお力添えを。そして、眠る方々をお護りください……!」
 一斉に掲げられた槍が地面に叩き付けられる。
 それは言葉なきうさぎたちの鬨の声。ぴょんと跳ねてそれぞれの持ち場へ駆けていくトランプ兵たちに続き、ラナと仔猫たちも浮かぶ永遠の夢物語を終わらせるために地を蹴った。
「すごい、すごい! ラーレはクロ、カイ、ルイス以外にもこんなに沢山うさぎのお友達がいるんだね!」
「はいっ。此度は|三匹《おともだち》はお留守番、ですが……お喚びしたうさぎ兵たちも、とても頼もしいのですよ」
 お菓子のおうちだって、おおかみや魔女だって。悪いように使われなければ、きっと笑顔だけを届けるだけのものになれるはず。だけど、そうはならなかった。御伽話の締め括りは何時だって、『めでたし、めでたし』で終わるしあわせなものでなければ。
「――さあ、皆さまがた!」
「みんな! 一気に畳み掛けちゃって!!!」
 作り出されたゆめにおしまいを。
 眠っているみんなに、おひさまみたいに暖かな目覚めを。
 そうして目覚めた人々に『おはよう』を告げるために――ボクたちは、わたくしたちは、夜明けを運ぶ。
 仔猫たちとうさぎ兵たちの波状攻撃が夢の残滓を次々と打ち砕いていく。あとには色とりどりの紙吹雪だけが残されて、けほ、と何処からか眠っていた人々が目を覚まし咳き込む声が響いた。

祭那・ラムネ

●ジェーンのほしいもの
 ひとと共にしあわせを作る、みなの祈りが込められたこの聖堂を壊さぬように。
 しあわせを紡いでいく、この人々を傷つけぬように。
 祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)は燥ぐ声を上げながら大聖堂の中をぽひゅ、ぽひゅ、と空気のちからで縦横無尽に移動していく姿を見つめ、しい、と人差し指を口元へ運び微かな吐息を溢して見せた。
「しずかにね、ジェーン」
 ここは荘厳なる大聖堂。天に座すかみさまの眠る所だ。
 だから、そんなにはしゃいではいけないよ、なんて。
 さっきまでサンタクロースのお仕事に精を出していたからだろうか。なんだか何時もより『兄』であろうとする状態から抜けきらなくて。相手の姿が幼いもののように見えるから余計にそうなってしまうのかもしれないけれど、それでも決して油断はしない。

『なんで なんで?』『きょうは みんなわらっていたわ』
『ゆめのなかなら ずうっとつづくの!』

 みんなと同じように、ジェーンもたのしくなっていただけ。
 みんながたのしいことが好きなら、ゆめのなかでずっとずっと繰り返していけたら、きっともっともっとしあわせ。『あなたも きょうは、しあわせ?』なんて、無邪気に問い掛ける言葉に拳が揺らいでしまいそうになるけれど――その問いには自信を持って答えることが出来る。
「しあわせだよ」
 弟妹たちが、親愛なる竜の友が、ほんのひとときだけでも喜んでくれるだろうか、幸せになってくれるだろうかと。どうか、どうか、この聖なる夜に皆が笑ってくれますようにと。願いながら、想いながら過ごした時間はとても大切で、自分にとっても掛け替えのない宝物で。この胸にはあたたかでやさしい幸福ばかりが満たされているのだと告げるラムネの言葉に、ジェーンたちはかくんと首を傾いだ。

『じゃあ じゃあ』『そのときがつづいたら』
『あなたは もっとしあわせ?』

 それなら、それなら。ジェーンのゆめのなかへいきましょう。
 ジェーンのゆめのなかで、永遠に『今日』を繰り返しましょう、と。それは彼女/彼女たちなりの好意なのかもしれないが、永遠に繰り返す停滞の傀儡に成り果てたひとの行く末は衰弱による死であり、魂は夢箱の中に閉じ込められたまま未来を失ってしまう。
「……そうじゃない。そうじゃないんだよ」
 ジェーンにはわからない。ジェーンにはラムネがどうして『ちがうよ』と言ってこの手を取ってくれないのかが、わからない。ゆめのなかなら、ずうっと一緒に遊べるのに。ひとは、かなしいことやくるしいことばかりだと直ぐに嘆くのに。
 どうしてゆめのなかへ連れて行かせてくれないの、と。駄駄を捏ねる子どもがぐずるように宙を跳ね回ったジェーンたちが一斉に斧をぶんぶんと振り回しながら迫ってくるのをラムネは掲げた原初のちからによって次々と掻き消していく。
「ほら、ジェーン。もうおやすみの時間だよ」
 たくさん遊んで疲れただろう。
 たくさんのひとに触れ合って、きみだってきっと今日が永遠よりもずっと楽しかったはず。

 燃え上がる白焔の槍が、星の軌跡を描きながら少女の夢物語をそらへ、そらへと還していく。
 どうかこの子たちが眠りにつくその瞬間までさみしくないようにと願いを込めて。ラムネは消えゆくその姿を、何時までも見守っていた。

ファウ・アリーヴェ

●ジェーン・イン・ザ・ドリームボックス
 やわらかないろ。釦のひとみ。おもちゃ箱から飛び出したような、可愛らしい、ちいさな子どもが喜びそうなその姿に刀を向けることに躊躇いがない訳ではない。それでもと、ファウ・アリーヴェ(果ての揺籃・h09084)はちらりと周囲を伺い見ながら人々に息がある様子を目視で確認し僅かに安堵する。
「(……多少動き難い、か)」
 長椅子の存在も、繊細な調度品の数々も。彼方此方で眠る被害者たちも多数居る。その全てを可能な限り巻き込まない為には――否、やるしかあるまい。
「こんばんは。悪い子の所へサンタさんは来てくれないよ」
 言葉は通じるのだろうか。想いが通じることはあるだろうかと言の葉を紡いだファウに反応し、宙空を浮かんでいたジェーンたちが口々に囀り始めた。

『なんで なんで?』『サンタさんはきてくれないわ』
『ジェーンのところにはこないわ』『ここはずうっと ゆめのなかだもの!』

 支離滅裂なようで意味は成している。少女の憧憬をかき集めたような彼女/彼女たちにとってサンタクロースなる存在は。憶測にしか過ぎないが、もしかしたら憧れのようなものなのかもしれない。自分を悪い子だとも認識していないジェーンたちは絵本の中からごそごそとおおきな斧を取り出すと、『あなたも ゆめのなかにいましょう』とこちらへ向かって集まってくる。手にした物騒なものさえなければ微笑ましい光景だったかもしれないが、容易く身を委ねるほど『いま』に執着がない訳ではない。ファウは自らの裡から霊気を練り上げると、刃と成った一振りを手に駆け出していく。
「あなた方は夢の幸せを語るのに、何故、起きているんだ」
 ゆめの住人。概念の集合体。
 人々を眠りへ誘うのに、何故彼女たちは『いま』に現界するのか。
「本当は夢の中に求めるものなんて無かったのでは?」

『ゆめのなかには なんでもあるわ』
『だから おともだちをよぶの!』

 それが答えだった。
 彼女らが求めるものはきっと、一緒に遊んでくれる『ともだち』なのだ。ともだちがどんな存在であることかさえ分からぬまま、突き動かす衝動だけで人々を夢の中へとさらってしまう、おろかで無邪気な、ちいさなゆめの子どもたち。
 迫り来る斧を受け流しながら、ファウはほんの少しだけ痛みを堪えるように眉根を寄せる。知らぬままで居ればただ倒すだけで済んだと云うのに。
 ――いや。いいや。きっと、知るべきことだった。
「ほら、遊ぼうか、小さな子」
 きっと夢より楽しいよ、と。告げれば、ぽ、ぽぽ、と周囲に色とりどりの花を咲かせたジェーンたちが更に集まってくる。表情の変わらぬ彼女なりの喜びの表現なのかも、しれない。
 四葩の祓を、花の呪を。己へ、そして戦場の届く所まで。己は勿論、彼女/彼女たちにもこの地を穢させてはならないと思うから。冷気を宿した刃を振り下ろせば、ぱたりと開かれた絵本から飛び出したおおかみごと凍てつかせながら斬り裂いていく。けれどその数はあまりに多く、死角から飛び込んできたもう一匹のおおかみの顎門が迫るのに、ファウは身を低くすると僅かに軌道を逸らしながら暗澹たる毛並みの中へと飛び込み、その喉笛を自らの牙によって噛み砕いた。
「(……空洞?)」
 『からっぽ』だ。ジェーンの中にも、おおかみの中にも。血と臓物は存在せず、あるのは永遠に満たされない空虚であった。傷をつけた先からぱぁん、と音を立てて弾けたおおかみたちから吹き上がるのは、色とりどりの紙吹雪ばかり。それにほんの僅かの哀愁を覚えながらも、ファウは踏み込んだ先で斧を振り上げたジェーンの夢箱を厳冬の刃と化した刀で以って一息で貫いた。

 どれくらいそうしていただろうか。
 はらり、はらりと紙吹雪に姿を変えていく夢の子どもたちを消えゆくその瞬間までじっと見詰めていた。泣きも笑いもしない彼女たちは一体なにを思っているのだろうかと。思いを馳せれば遣瀬なさが襲ってくるようで、ファウは僅かに目を眇めた。
 ふと。買い求めた品の中に丁度いいものがあったことを思い出す。懐を探り、愛らしい白うさぎの人形を取り出すとそれをまだかたちを保っているジェーンにそっと抱かせた。

『おともだち』『おともだち』

 ジェーンの細い腕が、消えかけたてのひらが、ぎゅっと人形を抱きしめる。
 次にはぱちんと、あぶくが弾けるように泡沫へと消えていったその後もファウは静かに見詰め続けていた。
「おやすみ、楽しい夢にお帰り」
 願わくば、どうか――次は友人同士になれるような生を願って。

第3章 ボス戦 『祝福の庭園』


●Ta voix me manque
 鐘が鳴る。
 一日の|おわり《死》と|はじまり《再誕》を告げる、零時の鐘が厳かに鳴り響く。
 重々しい音とともに扉が開かれ、石畳と絨毯の奥まった先に広がる銀の月光が大聖堂の中を青みがかったひかりで満たした。

『――――』

 それは花弁を垂れ下げた大輪の百合の花のようだった。
 雪の如くしろいドレスはゆっくりと惜しみなくうつくしさを振りまいて、生花の腥ささえ匂い立つよう。人形のようなその姿は花弁の裾を僅かに引き摺りながら、ゆっくり、ゆっくりと祭壇へと向かっていく。
 息を呑むほどの光景にうつくしい以上のものを感じ、胸の奥の一番脆いところに触れられたような気さえして。ざわりと背筋を駆け上がっていく言いようのない恐怖こそが、ああ、きっとこの災厄が齎す狂気に違いない。

 骸の花婿さえ存在しない花の異形を前に、能力者たちはそれぞれの武器を構える。
 さいわいに包まれたこの夜に――死を運ぶものは相応しくない。

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 第三章『祝福の庭園』
 光差す庭園より現れし花の異形。
 ひとのかたちを模したそれが口を開くことはありません。
 ただうつくしいだけの存在であるならば戦う必要はありませんが、彼女は相対する存在すべての正気を奪い花へと変えたそのあとは自らの庭園の一部へ、花束へと取り込んでしまうおそろしい災厄です。

 戦いの地は第二章から地続きです。開かれた扉から祭壇へと続くヴァージン・ロードへと物言わぬ花嫁はただ静かに歩みを進めています。『戦おう』という意思さえ彼女は持ち得ません。ただ其処に在るだけで、遍くいのちはすべて花へと姿を変えてしまうのですから。

 目を覚ました一般人たちは皆さまの手によって救出され、大聖堂から避難してそれぞれの日常へ帰っていくことができました。そのため、人払いは不要です。
 舞い降りた災いを、今こそすべて打ち祓いましょう。

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アダルヘルム・エーレンライヒ
ツェイ・ユン・ルシャーガ

●陽炎
 ヴェールもドレスの裾も何もかもが、まるで彼女を『花嫁』たらしめんとするうつくしい花弁のようだった。
 彼女の側に花婿が居たならば、この場は祝福に包まれたものとなったかもしれない。彼女が放るブーケがさいわいを運ぶものであったのなら、しずしずと歩むその足を止めずとも済んだのかもしれない。
 だが、そうではない。そうはならなかった。
「祈りの場に花嫁は似つかわしかろうが」
 正しく在れなかった花の異形の姿に、ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)は日向のねこのように目を細めながらましろの輝きを薄目でとらえた。
「ああ、今宵は歓びの夜だからな」
「うむ。庭の花なら穏やかにして頂かねば」
 ツェイのことのはに是を唱え、花嫁とは対極のいろを抱いたアダルヘルム・エーレンライヒ(華蝕虚蝶・h05820)は先は振り抜く必要のなかった大剣を手に僅か笑った。彼女がものいわぬ怪異であるからだろうか。それとも――彼女もまた自然現象から生まれたようなものだからだろうか。ふたりの間にあるのは刃の如き緊張感よりも、常の気安い空気がずっと保たれていた。
「誰も気付くことのないままに。花々にはひっそりとお帰り願おうか」
「うむ。今宵は歓びの夜じゃからの」

「――という訳で騎士殿、えすこーと役の出番さな」
「……おい、何故俺にエスコート役を押し付ける」
 ぺん、と鎧の背を叩く軽い音に振り返ったアダルヘルムが大きく瞬いたかと思えば、次にはじとりと一瞬だけ抗議の視線を送る。その鋭さに『おおこわい』と怯える素振りを見せるけれど、ツェイはどこか楽しそうだった。
「俺にこんな大きな娘が居た覚えはないぞ。年齢的にツェイ殿の方が適任ではないか?」
「愛い子なら間に合うておるのでなあ」
 文句を溢しながらも大剣を構える所作は素直なものだ。袖口で口元を覆い隠したのは、笑った呼気を気取られない為のもの。
 文句もお小言も戦いの後で。集中せいと掛かる呑気な声に脱力しそうになりながらもアダルヘルムは今なお歩みを止めぬ花嫁のもとへと駆け出していく。
「そら、迎えの騎士が参ろうぞ。花道を歩いておゆき」
 この妖眼に宿すは炎の咒詛。この身は薪に。甘やかな香りごと、惑わしの空間ごと焼き切らん。蒼き炎のゆらめきが『ぼっ』と霧の如く広がって、舞い散る花弁を硝子のように透かす。炎はやがて広がって、アダルヘルムが駆け抜ける為の道を作りながら花嫁のドレスの裾を焦がしていく。
「ふは、俺は燃やしてくれるなよ?」
「安心されよ、此の場や味方まで焦がしはせぬ故」
 周囲にあまい香りが満ちるよりも早く。身を低くしたアダルヘルムは重い金属音と共に炎の道を数歩駆け、大剣が届く最後の距離を思い切り地を蹴り跳ぶことで一気に詰める。飾り気のない、混じり気のない、純粋な重い一撃が振り下ろされると同時、咄嗟に花を生み出すことで異形は勢いを削ごうとするけれど――竜をも屠るその刃を可憐な花々だけで止めることなど叶うはずもない。
「零時の鐘が鳴ったんだ。夢は醒める時間だぞ、名も知らぬシンデレラよ」
 ぶつりと。鈍い音を立てて、花の異形が大きく斬り裂かれた。
 舞い上がる花弁の甘やかさに思わず酔ってしまいそうになるけれど、これが手向けになるのならば目を逸らすことはするまい。
「いつか還り廻ったそのさきには、いとしい手のなかで咲いておいで」
「ふ、再び巡り会う時まで暫しの別れとしよう」
 いつかきみが、途方も無いはじまりとおわりを繰り返したその先で。ただ純粋にきみだけを愛してくれる存在と巡り会えますようにと、願いを込めて。

夕星・ツィリ

●星雨
 人々が口々にさいわいを紡ぐその姿を眩しそうに見つめた日を、夕星・ツィリ(星想・h08667)は確かに覚えている。
「(あれはウェディングドレスっていうんだっけ……)」
 いつか街の教会でみた幸せの象徴。白い祝福。
 ヴェール越しの花嫁の笑顔に滲んだ幸福の涙を、その細い手を取った花婿の慈しみ深き所作を今はどこか遠いもののように感じてしまう。星海の双眸にゆらぎを乗せて、ツィリはほんの少しだけ震える身体を叱咤するようにぎゅっとわだつみの槍を強く握り締めた。

 ――綺麗だと思う。それなのに寒気がするのは、なぜ?

 触ってほしくない場所に殊更にゆっくりと触れられていくような、奇妙な感覚だった。うつくしいものがおそろしい。そんなことは今まで一度だって思ったことはなかったから少しだけ驚いてしまう。
「(……|彼女《花》が異形だから?)」
 ただ其処に咲くだけの可憐な花であるならばこんな想いは抱かないだろう。得体の知れない恐怖を御しきれはしないけれど、ツィリはふるりとかぶりを振って湧き上がる不快感を迷いごと振り払う。
「(だけど……彼女はあの日祝福されて笑っていた|女性《花嫁》じゃない)」
 ただ在るだけで人を死にたらしめる災厄。このままにしておいていい存在ではないことを分かっている。それならやることはひとつだけと、少女は震える呼気を整えるように大きく息を吸い込んだ。
「燦めく星々よ、こたえて」
 宙を蹴って駆け上がる。星々を纏ったツィリが描くひかりは細く、細く。帯のようにたなびく軌跡は、真珠の如き白だった。舞い散る花弁がその勢いを増そうと、あまい香りが場を満たそうと――そのすべてを貫いて届かせる。
「さようなら、しろい|ひと《百合》」
 箒星の一閃が、花の異形を穿ち貫く。
 花はどこまでもうつくしいまま。苦悶の声さえ上げぬ花嫁から、より一層の花弁が炎の如く巻き上がった。

五槌・惑
鉤尾・えの

●Wedding Path
「さあさ、お仕事も大詰め! 惑さん、火力は気持ちばかり低めでお願いしますね」
 石造りの大聖堂であったとて、調度品は布や木で作られたものが多い。であれば多少の『手心』が必要ですよと鉤尾・えの(根無し狗尾草・h01781)がくるりと振り向けば、殊更に面倒臭そうに大きく息を吐いた五槌・惑(大火・h01780)は弾むような足取りの少女を内に秘めた獰猛さを隠さぬままに咎めるような目付きで以って見下ろした。
「俺に加減を期待するなよ。此処が木造りじゃなくて良かったな」
 せいぜい、アンタが焼け焦げそうになった時だけ教えろと。肩を竦めながら告げられる言葉に気を悪くした風もなく、『はあい』と声を上げるえのは終始楽しそうだった。
「如何な忘れっぽい√でも火災は問題になりかねませんからね。仙狸も尻尾が燃えないよう気をつけなければ」
 ね? なんて。首を傾げて問い掛けたなら、誰に似たやら肩に乗っていた妖怪猫は大きな欠伸で以って応えるものだから、えのは思わずくすくすと声を漏らして笑みを深めその顎を指の背で擽ってやった。
「とはいえ、わたくしめでは決定打は与えられそうもありません」
 であれば――己は炎を追い立てる風となろう。
 花と化したインビジブルがノイズを帯びて、次の瞬間にはえのの体がはらりと花弁のひとひらとなって掻き消える。ザジ、と無機質な音を立てて揺らいだ花々は、出づる花嫁に降り注ぐと共にその事象を根本から分解せんと干渉を繰り返していく。己の定義さえも揺らがせていく改ざん行為に僅かましろのドレスが揺らいで、一歩、二歩、と花の異形は扉の外へと押し出されていく。そんな様子を一瞥してから、惑は宙空を切るかのように片手を翳し口を開いた。
「……おいえの、もう少し押し出せ。そうすれば燃やせる」
「おっと? なるほど、お任せあれ!」
 開け放たれた扉の先は開けた石畳だ。植った生垣の道はあろうが、大聖堂の中よりかは幾分『まし』に違いない。入れ替わり、立ち替わり。インビジブルたちと位置を入れ替えながら翻弄するえのに押され花嫁が石畳の上に転がり出たその瞬間に、炎が勢いよく突き立った。人間の血を透かしたような、あかい、あかい焔の舌が花弁も香りさえも、何もかもを舐め尽くしていく。ぐらりと花の異形が身体を揺らがせたのは、炎に目が眩んだか。ほんの僅かな隙を掻い潜り、惑は聳える石柱へと身を隠していく。
 日々こういった手合いを相手にしているなりにこと狂気と呼べる衝動には耐性がある。であれば意識がえのに傾いている内に背後を取ってしまえばいい。舞い散る花弁も香りも、今はただ澱んだ煙と煤に成り果てた。
「それでは、参りますよお!」
 電子の砂嵐に紛れ、えのが現れ出づるは花嫁の真正面。突如として飛来した少女の姿にほんの少しだけ足を止めた瞬間を見定め、背後に忍び寄った惑の刃が炎を反射して白い光を迸らせた。
「いえーい、協力技ってかんじでかっこいいですねえ!」
 交わるは一閃。実体を持った狼爪の刃と惑の散花が交差する。刹那、ぶわりと広がった大量のましろの花弁は果たして彼女の血液そのものであったのか。
「楽しそうで何よりだが。其処まだ燃えてるから気を付けろよ」
「え? ……わあ、あちっ、あちち!」
 斬撃は止まない。転がるように着地したえのを焦がすように、未だ炎の名残が周囲をあかく照らしていた。

ルナ・ディア・トリフォルア
レスティア・ヴァーユ

●Toi et Moi
「女神よ、怪我は……!」
「案ずるな。そなたの知らぬところで膝をつくほど柔ではないぞ」
 人々の避難誘導に徹していたレスティア・ヴァーユ(歌と信心の代わりに・h03581)が愛しき女神のもとへと駆け戻ったのは、御伽話の慣れ果てが星へと還っていったすぐ後のことだった。彼はきっと仕事を全うしてくれたのであろう。それを信じているからこそ、ルナ・ディア・トリフォルア(三叉路の紅い月・h03226)はただ己の無事だけを伝え再会を喜んだ。
「逢瀬の続きといきたいところではあるが、今日は来客が多いことよの」
 開かれた扉の先に眩いひかりが満ちている。花嫁の門出を示すものにしては作り物めいていて、たださいわいに満ちたものにしては生者の温度を感じさせない。うつくしく咲き誇る大輪の花のような姿に深い悍ましさを携えた異形は生きとし生けるものすべてを自らの庭園へと誘う花笑みの魔性。
 貌までもが定かではないその姿に怖気を感じる体を叱咤しルナはちらりと傍らに視線を送る。言葉なく是を返すレスティアの常と変わらぬ様子に、確かに通じ合う意思に安堵と心地よさを感じながら女神は愛し子へとひとつ頷きを返した。
「我が祈りはあなたと共に。……御身を守護する栄誉を頂いても?」
「ふ。その大義はそなたにしか任せられぬよ」
 互いに抜いた刃を構え今一度目線を交わし合う。ルナが力を練り上げ終わるまでの僅かな時間を繋ぐ為、レスティアは一歩先へと花嫁の前へ歩み出る。
「これより先、進むことは叶わぬと知れ!」
 それは何処までも広がる蒼空の守護。花弁ひとひらを通すことも許さぬと広げた守護結界が花嫁の歩みを押し留めているその間にもルナは己が身に宿る権能を成していく。
 香りまでもを防ぎ切るのは困難ではあったが、それでもルナの所にまでは届かせぬことは叶っている。それならばもうひと押しかと、澄んだエネルギー体の刃を構え直したレスティアは自らの身を以ってして花嫁の行手を阻む盾となる。風の如き剣戟は花弁の嵐を斬り裂いて――やがて花のかんばせへと辿り着いた、その先で。
「我は呼ぶ。かつて我を守護せし一族の者よ、我が声に応えよ、輪廻の輪より解き放たれて疾く来たれ!」
 現れ出づるは輪廻の輪より呼び起こされし守護者がひとり。嘗てルナが真なる女神であったひかりを知るもの。剣を手にした懐かしい面影は、ルナの願いに応じて軽やかに地を蹴った。
「愛し子よ、存分に舞うがいい!」

 己は彼女の援護に徹する影であったのに。
 ああ、――そうして貴女は、私を光の御許へ引き上げてくれるのか。

「……仰せのままに」
 であるならば、彼女の期待に、信頼に応えねばならない。
 体制を整え戦線へと合流したルナと守護者、それぞれと対になるべくしてレスティアは決戦気象兵器を呼び起こす。花の異形が解き放つひかりを遮るかのように撃ち出されたのは、死の花を散らす雨の如き浄化の魔弾。ぐらりと大きく身を傾ぎながら己を害する雨の出所を探らんとする花嫁の眼前へ、すかさずルナが軽やかに躍り出た。
「目を遣る隙などくれてやるものか。その散り際を見せるがよい!」
 鈍く風を切る音を立て、女神の鉄槌が振り下ろされる。
 その刃の下で、ましろの花がぶわりとあまい香りと共に舞い散った。

唐草・黒海
物集・にあ

●海床のポラリス
 人形のようなましろの姿。すべてに祝福されたかのように舞う花弁の中心に立つ『概念』はとてもうつくしくて。
「綺麗ね、眩しいほど――羨ましいほどに」
 わたしが知るせかい。
 満ちる夜と、ゆらめく闇。それから、――それから。

「……ごめんなさい。あの白は、あまり得意ではないかも」
 唇が戦慄く。震えているのだろうか。揺らぎかけたせかいを振り払うようにかぶりを振った物集・にあ(わたつみのおとしもの・h01103)の声に滲む暗澹とした感情のいろに軽く瞬き、唐草・黒海(告解・h04793)は傍らを静かに見下ろす。覗き込むことこそしないけれど、一瞬重なったあおい瞳が微かに揺れていた。己の知る彼女はいつも朗らかで、こんな風に負の感情を露わにすることは珍しいことだった。
「まあ、それも人の性。謝らなくていいですよ」
 すぐ傍らに届いたその声に僅か息を飲み、そこで漸く呼吸の仕方を思い出したにあは憧憬と嫌悪が渦巻く胸中に無理やり蓋をしていつものように笑って見せる。黒海にはそのこころの全てを汲み取ることは叶わないけれど――それでも、このかそけき灯火を守ることくらいは出来るから。
「ただ美しくて、ただ生まれ持つ力を振るうあの子に目的はあるのかしら」
 しるべもなく彷徨うこと。いたずらにいのちを奪うその『在り方』こそが原動力であるならば、災いとはなんと世界にとって残酷なのだろうと。未だ一歩を踏み出せぬままでいるにあの前に、ちいさなひかりが宿る。
「夢は見ずとも。息はせずとも。動いているのだから目的はあるのでしょう」
 それは黒海が灯した蝋燭のしるべ。物言わぬ異形とて、目的ひとつを掲げているのならば付け込むのは易いこと。ひかりの亡骸が如き炎を掲げ、白き狐はひたり、ひたりと歩を進めていく。
「ただ祝いの場に惹かれたのでしょう? 正しい帰り道を見せてあげますよ」

 あまい、あまい。咽せ返るほどに、あまい。
 胸が苦しくなって。息がし辛くなって。
 こぽりと唇の端からあぶくが溢れた気がしたのは、気のせいだったのだろうか。
「――ぁ、」
 知っている。
 知っている。
 わたしは|この感覚《死》を、知っている。
 酸素を求めて踠くのに、肺の中まで水が満ちてくるようだった。
 怖い。苦しい。怖い。いや。いや。
 誰も、誰も来ないで。誰か。誰か――。

「物集さん」
 はくりと開いた唇から酸素を取り戻す。冷え切った肌に触れたくろいてのひらが、今ここにある現実と立つべき場所を教えてくれる。何時の間にか花の香りに囚われていたにあを引き戻してくれたのは、黒海の絶なる蝶夢のちからであった。
「花に変じて死ねるなど美しいだけの空虚なもの。ただの飾りの花ひとつに留まるのは……」
 俺はともかく、物集さんや他の方には似合わないでしょう。
 告げられた声が、呼ばう名が、ここが『いま』だと教えてくれる。
「黒海、さん。……わたし」
 呼べば確かな頷きが返ってくるから。弾かれたように、導かれるように掲げた洋燈に火が灯る。あの日、己が焦がれるほどに欲しかったひかりを宿して呼ばうは深海に潜むものたち。あぶくと共に湧き上がった深海魚の群れが、花弁を啄みながら花の異形を押し流していく。
「世界には規則があって、無闇に踏み込んではいけないの」
 この場は祝福を、或いは赦しを与える場所。
 生けるものすべてに死を運ぶあなたにはふさわしくない。だから。
「どうかあなたの庭園にお帰り」
 生きた化石の顎門が開く。
 鋸のような無数の歯が、ましろの花々に次々と喰らいついていった。

茶治・レモン
日宮・芥多

●まがいもの
 なにもかもがしろく眩くて、それはさいわいそのもののよう。
 幸せの象徴のようなものであるはずなのに、彼女はその真逆の存在だった。
「……なんだか、可哀想ですね」
 或いは彼女こそが誰かの憧憬から生まれたものなのだろうかと。俯く茶治・レモン(魔女代行・h00071)の言葉に日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)はうんうんとさも感銘を受けたかのように深々と頷くのだけれど。
「ええ、本当に可哀想ですよね。酒飲んだら帰るはずが延々と付き合わされて……」
「え? あっ君のことじゃないです! あの花嫁さんです!」
 愛する妻への土産物はなんとか死守せど、買ったばかりのマフラーは哀れ半身を失ってしまったと。噛み合わない会話に首を傾いだレモンが芥多を振り向けば、『その上まだ帰れないなんて……』なんて嘆いているものだから、慌てて訂正すれば今度は腹の底からの喫驚が返ってくる。
「え、俺じゃなくアレが!?」
「今その話してないです! 花嫁さんの姿をしているのに死を運ぶなんて、可哀想で寂しいなって!」
 腐った果実に齧り付いたように顔を歪め『えぇ……』と呟く芥多の様子に息を吐きながら帽子を被り直せば、傍らで自分以上に大きな溜息を吐く気配がしてレモンは視線だけでそれに応じた。
「いや然し。可哀想で寂しい……俺にはない視点です! 俺には吐き気がする程に醜いものに見えてますので」
 あれなるは怪異。死を運び命を拐うもの。そこに差異などありはしないのだと、飄々と笑いながら斧を構える芥多の言葉に少年は戸惑うように檸檬色の双眸を瞬かせた。
「人ではないのに無理やり人の形を模ってお嫁さんごっこに興じるのは普通に害悪ですよ」
 例えば。人間が猫のような姿かたちになって猫のように振る舞っていたら? 悪意がなかったとしても、ちいさい獣の視点を得た人間が彼方此方に入り込んだりしたら迷惑だろう。それと同じだと告げる芥多の血吸いの斧に、赤黒い血液が纏わり付いていく。
「誰にも干渉しない空間に閉じこもってれば良かったものを。少々羽を伸ばしすぎたようですね」
 鴉が餌に群がるように。地を蹴った芥多の執拗な斬撃が花の歩みを止め、断ち、叩き折っていく。浅い手応えに眉を顰め、幾度も、幾度も幾度も幾度も斧を振り下ろす。貌のない花嫁の乱れ髪の代わりに散ったのは、また花弁であった。
「(でも確かに……あっ君の意見が正しいんでしょう)」
 元々あれはヒトではない。見目に囚われ感傷を勝手に覚えているのは自分だろうと云うのは正当な言葉だ。切り替えねばとかぶりを振ったレモンのてのひらに、ひとひらの春が舞い降りる。
「せめて、温かな春の花で見送りましょう」
 それはあたたかな春のいろ。雪を溶かす春の陽だまり。
 舞い踊る花弁は花嵐となってましろの冬を斬り裂いていく。嵐に飲まれぬようにと斧をもう一度叩き込んでから身を翻した芥多が一度、ふるりと身を震わせた。
「それにしても寒いですねぇ、流石は冬です」
「……あれ? あっ君震えてる!?」
 ただでさえ寒いと云うのに帰してもらえず、新品のマフラーはダメになり。なんて人使いが荒いんでしょうと、しくしく泣く素振りに慌ててレモンが駆け寄ってくる。
「あっ、あーそうか、寒いのか! そう言えば先ほど、マフラーがお亡くなりになりましたっけ……」
「やはり俺のが可哀想です、明らかに!」
 顔を覗き込んで見ればこれっぽっちも芥多は涙を流していないことに少年はちいさく息を吐く。『終わったらもう一杯ヴァン・ショーを頂いて帰りましょうか』と告げれば今日一番の元気な賛成の声が返ってくるものだから、レモンは隠すことなく今度こそかくんと肩を落とすのだった。

緇・カナト
野分・時雨
八卜・邏傳

●Scramble×Flower
「わ。鐘の音。まるで何かの合図みたい」
「おめでたい鐘! 除夜の鐘じゃない?」
 大聖堂の荘厳なる鐘の音はその場で聞けば腹の底から身体を震わすくらいに迫力のあるものだった。すごいね〜、なんて呑気な声を上げる八卜・邏傳(ハトでなし・h00142)と野分・時雨(初嵐・h00536)の楽しげな様子を、緇・カナト(hellhound・h02325)は(生)あたたかい眼差しで以って見守っていた。
「どちらかと言えば時告げの鐘っぽいけれど。おめでたい鐘かなァ」
 時計の針は進む。彼女の足も止まってはくれない。花の香りと共に現れ出づる花嫁の姿に、三者からそれぞれの緊張感に欠けた感嘆が上がる。
「わあ、花嫁さん。結婚式始まっちゃった」
「お花ちゃんな花嫁ちゃん。めっちゃ花!」
 あかい絨毯の上を花弁を散らしながら真っ直ぐに進んでくる祝福の庭園には幾つかの違和感がある。
 ひとつは壇上で待つべく花婿の姿がないこと。
 もうひとつはエスコート役の姿もないこと。
 それから――貌さえも花で覆われていること。
 その容貌だけで、佇まいだけで、彼女がひとならざるものであり、またこの場に相応しくないものであることが否応にでも理解出来る。出来る。のだが。
「そいえば除夜の鐘? て、たしかいっぱいゴーンするんよね? 実際に聞いた事ないかも」
「除夜の鐘って煩悩を祓うヤツだっけ。妖怪クンとか浄化されちゃいそう」
「ちょっと、やめてくださいよ。確かに綺麗なあまり浄化しそうですが」
 誰も『それはお寺だよ』とは言わない。
 花の怪異が現れようと彼らの様子は変わらなかった。幸い先の夢箱の怪異も彼女も『おこる』という感情に欠けていたから、それを咎める者は存在しない。存在しないので、誰も彼らを止めることなど到底出来はしなかったのだ。
「んー。花嫁ちゃんの花束なるなら、俺かわいくて美味しいのが良いんよ」
 薔薇だとすこし大ぶり過ぎる。それならパンジーのようなちいさくてかわいい花が良いだろうかなんて、ほにゃほにゃと顔を緩ませながら己の慣れ果てに想いを馳せる邏傳の言葉に、時雨の顔がすこしだけ青くなる。
「ぼくらってひょっとして参列者……ぼくらが花束ってこと!? まって、さっきから判断基準美味しいで考える子いませんか」
 怪異は食べられない。
 もしかしたら、人生と世界の未来に絶望した汎神解剖機関の解剖士などはやけくそになって口にすることがあるのかもしれないが、基本は、食べない。
「はいはい、牛鬼クンが花になろうが食べようが何でも良いけど。お仕事の時間だよォ」
 死の香りが充満しているのに、あまりにも『陽』の気が強すぎて届かない。邏傳が『花花嫁ちゃん香り強くね?』と溢した気がするが、公共交通機関で『あの人香水きつくない?』と一般人が囁く程度のものであった。この時点で三人と祝福の庭園は壊滅的に相性が(怪異視点で)悪かったのだが、悲しきかな麗しき花の怪異にこころはなく、悔しくて飛び跳ねたり怒って地団駄を踏んだりすることさえ出来ず、ただ愚直に本能に刻まれた衝動に急かされながら祭壇へと歩みを進めることしか出来なかった。

「災厄の百合ならば退治しないとねェ。彼岸の花と烟花はお好きかい?」
 三人寄れば何とやら。掲げたてのひらにふう、と息を吹き掛ければ、見る間に周囲へましろの彼岸花が咲き広がっていく。花嫁の行手を阻むように咲く花々はやがて仲間の背を押す幻惑の霞と成る。
「三人寄ればー……なん、だろ?」
「三人寄れば……知恵かつパワー!!」
 ギリあってるはず。あっているだろうか。
 死の香りが本来なら希死念慮を促し三者三様の苦悩を見せるところなのだが、圧倒的陽の者たちには届かない。普段のカナトは何方かと言えばそうではないのだが、周囲に合わせられる程度の世渡り術は持ち合わせており――閑話休題。そもそも届いていたとて、あかあかと燃え上がる邏傳の右腕が全てを燃してひかりへ変えていってしまうから、はじめから意味など成していなかったのかもしれない。
「布たくさんできれ〜い。お花にするならめちゃ壮大なものにしてほしいです」
 この刃に宿るは七蜜馨。抜き放った海柘榴の一閃が折り重なる花弁の如く垂れるましろの胴を薙ぎ払う。
「嫌だァそんなブーケ……というか、物言わず佇むだけなら未だしも、狂気の薫りもバラ撒くのは頂けないなぁ」
 特にお願いをせずとも前へ前へと突撃していってくれる時雨と邏傳の後方から戦況を俯瞰していたカナトがちいさく息を吐く。今一度烟花を呼び寄せれば、次には花嫁の足元を攫うように幾度も、幾度も烟花がまるで鳳仙花のように炸裂していく。
「ほぅら冥府の野に咲く花の如くで、枯れ落ちるならば其の儘オヤスミ」
「ごめね。けど、花花嫁ちゃん、咲き誇る前に裂かせてちょーだい」
 放っておくわけにはいかないのなら、ちゃんとこの手で散らせてやるのが優しさと云うもの。固く鋭い鱗で研ぎ澄ませた邏傳の左腕が、物言わぬ花の怪異をひといきに引き裂いた。

戀ヶ仲・くるり
夜鷹・芥
雨夜・氷月

●らくえんのとびら
「……死んでも花に成るなら、愛でてもらえるかな」

 それが自身の唇から漏れたものだと気付くまでに、酷く時間を要した気がする。胸の奥の一番柔いところを無遠慮に撫でられてつい溢れ出てしまったのだと。知れば己が酷く滑稽なもののように思えて、雨夜・氷月(壊月・h00493)は僅かに肩を竦めた。

『――俺は、もう人じゃなくなる』

 耳鳴りがする。酷く、頭が重い。
 甘い。甘い香りに混じって、雨の匂いが、した。

 まただ。これだから、これだから、怪異と云うものは。
 此方へ力を振り翳す悪鬼羅刹よりも、一見無害に見える手合いの方が何倍もおそろしい。敵意を向けてくる者の方が余程良い。
「――ッ、」
 ざわりと胸を掻き乱す不快感。銃口を向ける方向を誤りそうになるのを震えた拳で握り直せたのは、傍らから零れ落ちた友の声が今にも消えてしまいそうなものだったから。口の中を思い切り噛み締め、痛みと鉄の味で自我を取り戻した夜鷹・芥(stray・h00864)は隠すことなく舌を打って花の異形を睨み付けた。

 まっしろなはなよめさん。
 じっと見ていると頭がぼんやりして、ふわふわして、なんだかとってもいいきもち。
「おはな きれい」
 普通の少女であった戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)にとって、真正面から見る怪異のあまい誘いは『てきめん』であった。ひかりを失った双眸が見詰めるは、どこまでもあまくやわらかな花のゆりかご。あの腕に包まれたなら。どれだけあたたかいだろう。どれだけ、しあわせだろう。
「……しんだら、あのはなに、なるんだぁ……」
 それは、ああ、きっと。
 アクマにのまれてしまうよりも、きっと――、

「……る……り、……くるり。くるり! ちょっと、何言ってんの?」
「――くるり、見るな。アレは唯の『死』だ」
 半開きの唇から意味をなさない音を溢していた少女が呟いた言葉に眉根を寄せ、常よりも少しだけ強い力で以ってそのほそい肩を揺さぶる氷月の声に、視界を覆うように庇い立った芥の声に、あまいゆめに囚われていたくるりの意識が急速に引き戻されていく。
「……え?」
 今。自分は何を口走ったのだろう。
 酷くやさしい、あまいかおりに包まれていたような気がして。それで。――それで?
「ぁ、やだっ、私、死にたくない……!」
 咄嗟に頭を庇ったのは無意識のもの。翳したくるりの右手が仄かにひかりを宿したのは、内に秘めたちからの発露だったのか。けれど、頭がくらくらするくらいの花の香りがくるりの周囲から和らいだのはきっと気のせいじゃない。それが自分自身の能力であることを理解するまでには数秒噛み砕く時間を要したけれど。
「……ルートブレイカーで少し消える……?」
 すべてはまやかし。纏う花そのものが彼女の能力であるならば、くるりの持つ零のちからは決して無駄なものではない。それなら。それなら、ふたりの役に、立てるのだ。
「ホント、タチが悪い」
 其方も無事かと軽く問えば、短い肯定と共に薬莢が落ちる軽い金属音が響いた。
「ヒトのこと言えないけど……気をつけてよね、芥」
「ああ、よくわかってる。……お前もな、氷月」
 危うさで言えばお前も同じだと。暗に告げる友の言葉に薄く笑って氷月は落ちる月光を月輪へと込めていく。ただ真っ直ぐに歩んで来るだけの動きであれば、相手取るのも多少は楽かと。二人が今まさに駆け出さんとした、その時だった。
「待って……、待ってください! 私、あの力を消す、盾になります……だから」
 氷月の事情は何も知らない。芥のことだって、知っていることはほんの僅かだ。
 それでも、花になってしまうより一緒に話せる今がいい。今日のような日がずっと続けばいいと願うから。だからと、言い募るくるりの言葉に芥と氷月は一度だけ視線を交わして息を吐いた。
「くるり……。いや、……。……分かった、頼む」
「……はあ、まあ向こうに戦う意思が無いだけマシか」
 殺意がないならばくるりに盾役を任せる事が出来る。勿論、少女が傷付けられるよりも早く片付けてしまうつもりではあるが。軽くそのふわふわな頭を撫でたのはほんの気まぐれ。怪異ごときにくれてやるほど彼女は安くはないのだから。
「不愉快だ、迅速に終わらせるぞ」
「同意。――文字通りの災厄を、葬ろうか」
 月は満ちた。白む月を宿して輝く銃身から撃ち放たれた弾丸が、暗冥の黒焔を纏うた弾丸が、花の怪異の心臓目掛けて爆ぜる。ぐらりと揺らいだ花嫁の胸元から鮮血が如く噴き上がった大量のしろい花弁を、くるりは懸命に右手に宿した白光で掻き消していく。
「(これ、……生きてたら相容れないものだ)」
 意思がなくても、敵意がなくても、ただここに存在していることがよくないのだと、肌で分かる。
 自分に出来ることはほんの僅かな手助けかもしれないけれど。それでも、ふたりのことを信じているから。
「おふたりとも、……お願いします……!」
 今は甘く華やかな死よりも、愉快な生を謳歌していたい。
 同じ花を眺めるならば皆で選んだあのオーナメントたちのような、あたたかなひかりが降り注ぐものであれ。
「死の気配など、不要だ」
 影に紛れ斬り掛かった芥の刃が花の怪異の頸を確かに捉える。
 横一文字に掻き切るその瞬間に、月光の銃弾が真っ直ぐに貌のない異形の頭部を穿ち貫いた。

シルフィカ・フィリアーヌ
ルミオール・フェルセレグ

●救いの在処
 ただそこに在るだけで命を奪う死の概念。
 ある意味ではとても美しいものなのかもしれないけれど、だからこそここで散らさなければならないと。シルフィカ・フィリアーヌ(夜明けのミルフィオリ・h01194)は己の吐息までもがあまい花の香に侵食されていることに気付いて自我を保つためにふるりと一度かぶりを振った。
「ああ、」
 あまく優しい香りに心まで眩むよう。優しい夢に囚われたまますべてを手放してしまえたら、どんなにか楽だったでしょう。
「――駄目だよ、シルフィカ」
 何処かふわふわとした心地で一歩を踏み出しかけたシルフィカのてのひらを掬い取って、ゆめよりもあまい声が名前を呼ぶから。ぱちりと目を瞬かせた竜の娘は声の主であるルミオール・フェルセレグ(星耀のアストルーチェ・h08338)をそっと見上げて淡く微笑んだ。
「ふふ。今は生憎と死んでも死ぬことは出来ないし、何よりあなたを泣かせるわけにもいかないわね」
「……そうだよ。シルフィカがいなくなったら泣いちゃうからね」
 こんなときばかり淡い記憶のなかのままの幼なげな仕草で眉根を寄せるのに、切々と見詰める視線と掴んだてのひらは熱いほど。『大丈夫よ』と囁いて眩しげに目を細めたシルフィカはするりと優しく手を解くと今度は自分の意思で以って確かな一歩を踏み出し銃を構えた。
 離れたてのひらはほんのひとときの間だけ。剣の柄に手を掛けたルミオールもまた、歩みゆく花嫁をこの場で止めるべく意識を集中させていく。たとえどんなに美しいものだったのだとしても、このあまい花の香りは『よくないもの』だと本能が告げている。一体どんな悲しみや絶望が彼女を災厄たらしめたのかは分からないけれど――、
「死の臭いなんて君には似合わないよ、花嫁さん」
 幸福の象徴たる花嫁に死は不釣り合いだ。
 叶うなら、君がいのちを奪う前にすべてを終わらせようとルミオールは静かに術式を紡ぎ出す。ステンドグラスから落ちる星のひかりが、ふたりの頭上に滂沱の如く降り注いだ。

 美しき花嫁へ真っ直ぐに狙いを定め、香りを振り払うように花雫を解き放つ。
 すべては夢幻。花が散る前に、還してしまいましょう。
 舞い上がる花弁も香りも、敵意のあるなしに関わらず此方を害する攻撃のひとつに変わり無い。であればこの花雫は何より早くその脚を穿つ。ぱぁん、と種子が弾けるように撃ち放たれた弾丸に貫かれ、花嫁の身体が大きく傾ぐ。
「死はわたしにとっての祝福にはならない。ごめんなさいね、あなたの花にはなれないわ」
 こちらのことなど見向きもしないかもしれない。それでも、一発一発がルミオールの助けになると分かっているから、シルフィカは尚も引き金を弾き続ける。
「君の花婿さんにはなれないし、ここで君を止めることが救いになるなんて思うのも烏滸がましいだろうけれど……それでも、俺達は君を止めなくちゃならないから」
 星晄を湛えた剣を手に、ルミオールは一気に祝福の庭園へと飛び込んでいく。一層花の甘い香りが臓腑ごと身体を支配せんとするが、それでも構わない。
「(シルフィカ、君が傍にいてくれるなら。どれほど強大な死であっても抗ってみせる)」
 すべてを終わらせなくとも良い。この一撃が、美しき災厄を散らすための次の一手へと繋がる筈だから――根幹を、断つ。
 彗星の軌跡を描いた剣の一閃が、花の怪異の身体を袈裟懸けに斬り裂いた。

ラナ・ラングドシャ
ラデュレ・ディア

●She’s Lost Glass Slippers
 こんなにも綺麗で美しいのに、何ひとつ喜びを感じない。
 ぶわりと全身の毛を逆立てたラナ・ラングドシャ(猫舌甘味・h02157)の金の瞳孔が警戒のいろを帯びてぐっと開いていく。これは、野放しにしていてはいけない存在だと、五感の全てが警鐘を鳴らしていた。
「あれは……早いうちに倒しておかなきゃマズそう」
「白い花の花嫁さま……? とても綺麗、ですのに」
 この途方もない恐ろしさは、なに?
 揺れる瞳にうつくしい花のいろを映し、ラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)もまた僅かに声を震わせた。けれど眠っていた人々は目を覚ますことが叶ったし、この場に危機が迫っていると告げればみな一様に首を傾げながらも素直にラデュレたちの言うことを聞いてくれたことが救いだった。
「ラーレ、少しキミの側を離れるけど、」
「ええ。先ほどはラナに助力するのみでしたが……今回は、わたくしも力を振るわせていただきます」
 虹の軌跡を描きましょう。身に纏う衣に魔法をかけましょう。
 薔薇の花弁が舞い散ると共に、ラデュレの衣装があかく、あかく塗り替えられていく。真紅のドレスに身を包んだ裁定の女王の『役』へと変じた友の姿に、ラナは絶対の信頼を乗せて笑み掛けた。
「大丈――夫、みたいだね! ふふっ。その赤いドレス、すっごく似合ってる!」
 こんな時でも手放しの賛辞を送ってくれる彼女の心からの言葉が少しだけ擽ったい。くすりとちいさく微笑めば、それがラデュレなりの答えだと理解したラナは一度頷くと、友を巻き込まぬよう一歩前へと歩み出る。
「ボクがアイツの気を引くから、その隙にラーレは攻撃をお願い!」
 ざわ、と立ち上がったのは彼女の自慢の毛並みだったか、それとも溢れんばかりのひかりであったのか。刹那、花の怪異よりも眩いひかりを放ったラナの姿はその僅かな瞬間におおきく姿を変えていた。太陽の如く暖かに輝く被毛に包まれた、大きな翼を持つ|被毛竜《ファードラゴン》と成ったラナが宙空へと舞い上がる姿を見上げ、ラデュレの唇からちいさな感嘆の声が溢れた。
「ラナ……! ドラゴンのお姿も凛々しいですね!」
 ああ、なんて頼もしいのでしょう。
 強く優しいラナ。彼女の信に応えたいと、強く願うから。
「さあ。おいでくださいませ、兵の皆さま方。あの方に、おしまいを施しましょう」

 あまい、あまい、死の香りが満ちる。
 けれど、|白《香》を塗り潰すかの如く巻き上がった紅薔薇の嵐が花嫁が運ぶ|祝福《災厄》を掻き消していく。彼女自身はそれを意に介した風もなく、ただしずしずと祭壇へと続く絨毯の道を真っ直ぐに歩もうとするのを、翼を広げ視界を遮るように飛び回るラナが女王の御許へと罪人を進むべき道へと導いていく。
「花嫁は、しあわせの象徴。彼女は何も語らうことはありませんが……」
 もしかしたら。誰よりも幸福を願ったのは、彼女自身だったのでしょうか、と。ぽつりと呟いたラデュレの言葉に、花嫁のエスコート役を買って出たラナはほんの少しだけ逡巡を挟んだけれど。
「……どうだろう。それは彼女のみぞ知るってやつだね」

 さあ――女王陛下の御前だ。
 トランプ兵の合間をするりとすり抜けたラナが裁定の女王にそっと寄り添うのとほぼ同時。そのやわらかな毛並みをひと撫でしたラデュレの判決を合図に、一斉に踏み込んだ忠実なる兵士たちの槍が花の怪異の内に秘められた邪気ごと罪を貫いた。

咲樂・祝光
エオストレ・イースター

●Easter Number Words
「祝光! 結婚式が始まったよ! わー! 花嫁さん綺麗だなー! お花みたいだ!」
 開かれた扉からひかりと共に現れた花嫁のかたちに歓声を上げ、瞳を輝かせながらエオストレ・イースター(桜のソワレ・h00475)は惜しみなく春の祝福を桜吹雪へ変えて花道を彩っていく。
「桜時のハッピーイースター!」
「違うだろ、卯桜。結婚式じゃ無いし、花みたいじゃなくて花なんだよ」
 咲樂・祝光(曙光・h07945)の言葉を聞いているやらいないやら。綺麗だね、素敵だね、とぴょんぴょん飛び跳ねながら無邪気に喜ぶエオストレにそれ以上言葉を重ね辛くなって、祝光はふう、と細く溜息を溢した。

 結婚は墓場、と誰かが言った気がする。
 契りは出発点でもあり将来的に同じお墓へ繋がるものだから、そうなのかも?
「祝光はどう思う?」
「なんでも花に変える、か……何でもかんでもイースターにする君とちょっと似通ったところがある……え? 本当に? はじめて知ったよ」
 素直に自分の言葉を聞いてくれる祝光のことを好ましく思う。思うし、エオストレの気分は分かりやすく上向いたのだけれど、前半に関してはちょっぴり物申したい。
「ええ〜僕と花嫁さんは違うよー。僕はハッピーなイースターを齎しているんだから!」
 遍くいのちに死を齎す災厄とは違う。とびっきりの祝祭には相応しい笑顔がなくっちゃね、と。どこまでも朗らかで楽しげなエオストレの様子につられて思わず微かに笑ってしまったけれど、歩みを止めぬ花の怪異のことも気掛かりだ。
「戦意のない相手と相対するのは気が引ける、なんて言ってられないな」
 俺はヒトを守ると決めたんだ。
 倒さねばならぬ存在であるならば――この場ですべて祓って仕舞わねば。

「とにかく! 君が戦う気があろうとなかろうと、関係ないんだよね!」
「ああ。この美しい日に、死は相応しくない。美しく、花葬しようか」
 印を結んだ祝光の背にひかりが満ちていく。
「――招:桜花逍遥」
 浮かび出づるは迦楼羅面。破魔の光を宿した花神たち。舞い降りた花神たちが招いた桜吹雪を纏うて希死念慮を誘発させるのろいを祓う。白花の花弁も、甘き死の香りも、齎される狂気の何もかもを打ち祓っていく。
「君のお花は綺麗だけど……皆が花になっちゃったらイースターもできない……悲しすぎる!」
 そんなのいやだ。そんなのきっときっと、皆だって悲しいはず。それはもちろん、傍らを行く祝光だって。
「祝光だって、花にはさせないよ! 祝光はイースターになるんだよ」
 たん、とん、たたん。
 軽やかに踏んだステップと共に舞い上がるは祝光と揃いのさくらいろ。甘やかに舞う花雨の中、振り上げたイースター・ステッキが咲き初めの魔法を解き放つ。
「そーれ! AMAZING♡ESTAR!」
「エオストレ! 程々にって遅いか。……ちょっと待ってくれ、俺がイースターになるって何……、」
「君も、ハッピーなイースターになろう!」
 エッグハントは気に入るかな?
 真っ白だけじゃない、冬を越えて春が芽吹けば、世界にはこんなにも色が満ちているんだ。
「花と一緒におくってあげる。ささやかな結婚祝いさ!」
「ああ、散りゆく時も華やかに。今日はクリスマスだからね」
 輝かんばかりの夜に涙のいろは不似合いだ。
 願わくば君が。どうかさいわいだけを胸に抱いて眠りにつくことが出来ますように。

アンジュ・ペティーユ
結・惟人

●無貌の花嫁
「喜びのあまり押し黙っている花嫁……という訳ではなさそうだ」
 あるのはただ、咽せ返るようなあまい香りだけ。もの言わず、よろこびのいろさえ浮かべず、まるでそうすることを強いられているかのようにしずしずと前へ前へと歩み続けるその姿に結・惟人(桜竜・h06870)はちいさく首を傾ぐ。
「彼女もまた、夢の中にいるのだろうか。或いは目指しているのか」
「夢の中……、……彼女もまた、夢の中を彷徨う花嫁?」
 それならば、彼女は何を求めているのだろう。
 永遠の幸福か。それとも、叶える事の出来なかった幸いか。誰かの叶わなかったねがいのかたちなのかもしれないと思えばアンジュ・ペティーユ(ないものねだり・h07189)の足は僅かに踏みとどまりそうになってしまうけれど。
「何にせよ倒すことに変わりない。皆が避難してくれたから今度は存分に戦えるな」
 思考の渦にとらわれそうになってしまった意識を引き戻すよう、惟人の声にはっと顔を上げたアンジュはふるふるとかぶりを振ってそれまでの迷いを振り払う。
「ううん、そうだね。今なら全力で戦うことが出来るよ」
「ああ。行こう、アンジュ」
 経緯はどうあれ、かの存在は災厄と成ってしまった。そのしろい災いが誰かのいのちを奪ってしまうよりも前に、彼女の歩みを止めなければならない。

 春霞を纏うて花嫁の真正面に躍り出た惟人は、『花のかんばせ』を、見た。
「――、」
 貌が、ない。
 生花の瑞々しさだけが、生々しくそこに咲き群れていた。
「(言葉を発さず思考が読めない存在は、何故こんなにも恐ろしく感じるのだろうな)」
 これが死の狂気。甘やかな花ののろい。全身の肌がざっと粟立つのを感じながらも惟人は奥歯を噛み締めて掻き乱されそうになる思考を断つように花の異形を牽制するべく蹴撃を、拳を叩き込んでいく。
「人のいのちから咲いた花など、見たくない」
「そうだよ。誰かのいのちを汲んで花にするなんて、美しいけれど阻止しなきゃいけないことだ」
 背後からあたたかな炎の気配を感じて、惟人は僅か笑みに見たぬ呼気を溢して踏み留まる。そうだ、己の背中は友の炎が支えてくれている。狂気に呑まれてしまっていてはアンジュを守ることだって叶わない。
「散る花は綺麗だと思う。でも、それが全てを吸い取って咲いてしまうのなら……燃やし尽くすまで!」
 いのちの花を散らして、全てを元通りにする。
 ひとつ、またひとつ。アンジュがその祈りを確かにしていくことに呼応するように、誰かの描いたゆめを映し出す炎が咲いていく。大輪となった空想の花が弾けると共に、ましろの花が、甘やかな香りが火花と共に爆ぜていく。
「きっと大丈夫だよ。あたしたちにかかれば、花だって綺麗な欠片に戻すことが出来るはずだから!」
 その言葉のなんと力強いことか。
 この拳に纏うは直ぐに散る桜の花弁なれど、死を運ぶ白花に引けは取らない。
「そう、きっと大丈夫だな」
 彼女もまた夢の子どもたちと同様に肉のからだを持たない。苦悶の声さえ上げぬ花嫁に攻撃が届いているかどうか瞬時に見定めることが出来ずとも。それでも確かに、ふたりの想いは彼女の存在定義を大きく揺らがせる。
 アンジュの炎がしろい花弁を焼き切ってくれている。信を預けた友へ微かに笑い掛け、今一度呼吸を整え直した惟人の竜気を込めきった花雨の拳が花嫁の身体を全霊のちからで以って貫くと共に、辺りは舞い上がった春の花弁に満たされた。

燦爛堂・あまね

●徒夢に彩を乗せ
 真夜中のそらへとペン先を踊らせる。星々が浮かぶ宙空をカンバスにして翡翠の軌跡が描き出すはおおきなおおきな嫁教鳥。羽の影へと鼻先を懐かせるのは、印矩の薫りで満たしたいから。あまりにも花がうつくしく馨るものだから、少しでも気を抜いてしまえば容易くとらわれてしまいそう。
「その足取りは祝福に満ちた未来へ歩むものではないのですね」
 花嫁とは幸福のかたち。だと云うのに、彼女が運ぶ祝福が齎すのは狂気の果ての死でしかない。その事実に眉を下げながら、それでも燦爛堂・あまね(絢爛燦然世界・h06890)は花の怪異へと真っ直ぐに向かい合う。
「(……いっそ醜い姿であれば、なんて)」
 詮無い事を考えてしまうのは、どうしたって『すてきな花嫁さん』への憬れが宿るから。
 ましろいその姿はただうつくしく、人々に害をなす存在でなければ身惚れてしまいそうになるほど。花の香りの甘やかさも、花弁の如き繊細なドレスも、少女の憧憬をそのまま落とし込んだかのように映ってしまうから。
 けれど――彼女が死を運ぶ存在であることも分かっている。どんなにこの目に鮮烈にしろが焼きつこうと、己には全てを塗り替える色彩のちからがあることをあまねは分かっている。だからこそ少女は振り返らない。あまい香りに溺れてしまうその前に、迷いも憂いも、何もかもを振り払って。
「匂い立つ花の馨りも噎せ返るほどのあまやかな死の匂いも、それごと薙いで仕舞いましょうや」
 瞑目と共に渦巻く思考を断ち、あまねは描き出した鶺鴒をましろの花嫁へと向かわせる。愛らしいその羽根が巻き起こす鎌鼬が、花の異形を舞い散る花弁ごと深く、確かに斬り裂いていく。
「あなたの願うヴァージン・ロードがいつか倖せで盈ちますよう」
 願わくば。その『うつろ』が、真にさいわいで満たされますようにと。
 祈るように両の手指を組んだあまねの声に、僅か。ほんの僅か、花の貌が揺らいだ気がした。

マリー・エルデフェイ
ララ・キルシュネーテ
セレネ・デルフィ
鴛海・ラズリ

●ヴェール越しの星花
「此れが……花嫁さま?」
 結婚式は情報としてしか知り得ない。けれど、愛しい誰かと共に歩んでいこうという誓いを果たす相手が彼女の傍らには存在しない。その違和感と背筋を駆け上がる悪寒にふるりと僅かに身を震わせて、鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)はその在り方を憂うように僅かに目を伏せた。
 敵意が、感情が無い相手こそ厄介なのだと云うことは、|私達《人形》がよく知っている。
 そうあれかしとつくられた、或いは生まれてしまった、何時か誰かが夢見たもの。いや――もしかしたらそれそのものが彼女を『花嫁』たらしめる歪みのかたちなのかもしれない。
 彼女はとても美しい。
 だからこそ、この胸を支配する『おそろしい』と云う相反する感情が制御できない。
 憂いを湛えた瞳を揺らし、セレネ・デルフィ(泡沫の空・h03434)は胸の前できゅっと手を組み強く握り締める。その組まれた手指が彼女自身を傷つけて仕舞わぬようにと、ちょん、と爪先立ちになったララ・キルシュネーテ(白虹迦楼羅・h00189)のちいさなてのひらがそっとセレネのきつく握られた手に重ねられた。
「大丈夫よセレネ」
「ララさん……」
 大丈夫。お前のことを傷付けさせはしないわ、なんて。
 ちいさな彼女の言葉はとても力強くて、恐怖に支配されそうになった心に仄か春の温もりが宿るよう。ほんの少しその手の力が緩んだことに目を細め、ララは大切な友人たちを振り返る。
「マリー、セレネ、ラズリ。お前たちは結婚式を知っている?」
「結婚式ですか? 幾度か参列したことはありますが……この道の先には愛しい相手がいて、祝福されるべきものですよ、本来は」
 マリー・エルデフェイ(静穏の祈り手・h03135)の知る結婚式では誰しも笑顔を咲かせていた。だと云うのに花の異形はエスコートの相手さえも連れぬまま。参列者の影さえなく、ただ何かに突き動かされるように絨毯の上を愚直に真っ直ぐに進み続けている。
「……結婚式において、この道を歩くのは。人生を象徴するもの……だったような」
 果たしてその先に花婿のいないヴァージンロードは、彼女にとって何の意味があるのだろうか。『花嫁』と云う役割を果たそうとする外面にしか過ぎないのならばそれは哀れにも思えるかもしれないが。
「きっとこれが本来の結婚式の風景なら、美しいと思えたのでしょうが。害する意思すらもなく周囲に害をあたえるこの存在は、単純に恐ろしいですね」
「害意のない脅威とは無垢なる厄災とはなるほどね」
 一歩、また一歩と花嫁が歩む度に溢れる花から満ちる香りにララは静かに、そのあどけない貌にそぐわぬ艶やかさで以ってそっと笑む。戦意や敵意はなくとも、ただ美しく咲く花のように人や世界を枯らせていくのだろう。それならば。
「残念ね。お前の祝福はこの輝かしい夜に相応しくない」
「ええ。花嫁衣装を身に包むなら、死を運ぶなんて相応しくない」
 倖せを。ただひとつのさいわいを。この道は新たな門出を祝福するためのものだからと、少女たちはこくりと頷き合って花の災厄と向かい合った。

「私からあなたへ祝福の花を葬送りましょう。――瑠璃氷華、星のように降らせて」
「わたしからは……星夜ノ幻想を。祈りましょう、煌めく星があなたが知らず災いをそそいでしまわぬように」
 皆を災厄から守れますように。
 皆の、幸せな朝を願って。
 少女たちの祈りに応じて、満ちる。満ちる、星が、そらに、すべてに満ちていく。瑠璃氷華と星煌蝶の燦めくひかりが、少女たちを護るように、花嫁の悪しき根源だけを浄化するように降り注いでいく。
「おままごとしましょ」
 眩くあたたかなひかりに後押しされるように迦楼羅の雛女は舞い飛び躍る。
 美しい花嫁に祝の光を。花も光も吹雪かせて。破魔の|花焔《迦楼羅炎》を咲かせましょう。
 燃え上がる春暁のいろが、香りも花弁も、その全てを焼き祓っていく。ブーケを決して手放さぬ花嫁は直接ララを傷付けない。ぶわりと舞い上がった白花の花弁がララを包み込もうとしたその瞬間に、マリーの凛とした声が大聖堂に響き渡った。
「我が契約に応じよ、無垢の盾。今ここに降りたち、その身を捧げん――|棘無き盾持ち《ソーンレス・シールド》!」
 ヴン、と大きく風を薙ぎ払う音と共に巻き上がった花弁ごと出づるゴーレムの腕が花の香りを薙ぎ払う。如何に破蕾の勢いが増せど、根本から攫ってしまえば恐れることはなにもない。
「結婚式には参列者も必要でしょ?」
「ふふ、そうね」
 マリーが、セレネが、ラズリが。皆が守ってくれるから、ララの演舞は刹那の間とて阻まれることはない。
 彼女が道を歩き切る最後の一歩は、きっと新たなはじまりと終わりを意味するのだろう。
「祝の日に星と花の葬送を。ララたちがお前にあげられる祝福よ」
 桜獄樂土の聖なる焔がしろい花弁を灼き尽くす。
 花の樂が叶えられたなら――ねえ、お前も『しあわせ』を知るかしら。

 不意に、花嫁の面影から浮かんだ『もしも』に、ふ、とラズリがあまく微笑む。
「この中で誰かが結婚式を挙げるなら是非、私に花嫁衣装を作らせてもらいたいな」
 一生に一度の宝物。その思い出に花を添えるなんて、それが大切な友人のものであるなら尚のこと力が籠る。彼女達に似合いのドレスをそれぞれ仕立てるのはとても幸せな時間になる筈だから。
「素敵ねラズリ」
「……ラズリの花嫁衣装はとても綺麗なんだろうな」
 それを纏うララも、きっと。
 何時しか恐怖に強張っていたセレネの表情はほんの少し和らいで。ぽつりと溢したその言葉に、『セレネさんの姿も見たいです』なんてマリーが屈託なく笑うから、頬がぱっと熱を持つようだ。
「ララさん、セレネさん、ラズリさん。三人の花嫁姿はきっと、これ以上に素敵で美しそうですね」
「ふふ、約束ね」
 いつか。いつか、本当に祝福された結婚式を見ることが出来たらいいと。セレネはそっと胸に手を当て、うつくしいしろに袖を通した三人の姿に想いを馳せてはにかんだ。

ソーダ・イツキ
ルクレツィア・サーゲイト
ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア
大海原・藍生

●星よ、切り拓く光となれ
 ただ呼吸をするだけで臓腑が侵食されていくようだ。
 甘やかな花の香を吸い込みながら、大海原・藍生(リメンバーミー・h02520)はその生々しさに僅かに眉根を寄せる。野に咲く花を愛でるだけならば純粋にあまい香りを楽しむことが出来ただろうが、香りで気が逸れてしまったら元も子もないと、少年は咄嗟に袖口で鼻を覆い隠した。
「……すごく強い香りだ。一般人さんが避難されたのが不幸中の幸いですかね……」
「ええ、そうね」
 身体に変化があったら直ぐに教えて、と。気遣うように微笑んだルクレツィア・サーゲイト(世界の果てを描く風の継承者・h01132)は藍生に不安を抱かせぬよう柔らかな表情を浮かべたまま竜漿で錬成した斧槍を手に物言わぬ花嫁を振り仰ぐ。
「アイツが災厄を齎すモノじゃなければ『美しい』と見惚れたと思うわ、悔しいけど……」
 まるでこうべを垂れた大輪の白百合のようだった。現れ出づる異形がそのかたちであったのは、果たして誰かの願うた理想であったのか。けれど、ただうつくしいだけではなく――あれは数多のいのちを瞬時にさらう、謂わば災厄だ。譲れない所は譲れないのだと、ルクレツィアは仲間たちを護るように一歩前へと進み出る。
「ひとつひとつの花は確かに美しいと思うわ。でも……それがドレスを纏って、歩き出して、あまつさえ人を殺める? それを災厄と言わずして何と言うの!」
 可憐な花唇を震わせ、ラウレンティア・バイエリ・ウラノメトリア(巡星図をえがいて・h09471)は遣る瀬ない憤りにふるりとかぶりを振った。その肩を『大丈夫だよ』と支えたあとに。視線を重ねあったソーダ・イツキ(今はなき未来から・h07768)はそっと微笑むとルクレツィアの後に続くように前線へと足を踏み出した。
「存在そのものが害をなす者か。……全ての存在が共存出来るわけじゃないからね」
 人間だって動物や植物を食べるし、人間たちだけが存在できる仕組みを増やし続けている。他の生き物であったとて、誰しもが何かしらの命を奪って生きている。『そういう風に、この世界は出来ている』。でも、それでも。
「でも、倒さなきゃね」
 それが正しい行いだと自分自身が言い切れなかったとしても。手前勝手だと糾弾されたとしても。この地には余りにも多くのいのちが存在しており、自分たちは彼らの笑顔を守るためにここまでやってきたのだから。
「ええ。クリスマスの街には、出さないわよ!」
「クリスマスの街を死で埋め尽くさせはしないっ!」
 イツキの言葉は仲間たちを鼓舞するためのものであったのか、或いは己自身に言い聞かせるためのものであったのか。けれどきっと、その言葉は確かに俯き掛けたラウレンティアの、未だ幼い藍生の決意をより確かなものへと変える後押しになったのだ。

 花の怪異の歩みはゆっくりとしたものではあるが、決して歩みを止めないその足を止めることは困難であった。であれば物理的に行手を阻むまでと、ルクレツィアとイツキは左右へ展開するように其々の武器を振り上げた。
 この場に満ちるは狂える花の精。彼/彼女たちはああ、普段よりも随分お喋りで『おてんば』だけれど――飼い慣らして見せる。暴れるように躍るそのちからを無理矢理に回転弾倉へ押し込めてしまえば、後は解き放つだけ。
「行くわよ、イツキ。ここで仕留める!」
「うん、任されたよ」
 舞い上がる花弁に包み込まれるよりも早く、その悉くを撃ち尽くす。炸裂した銃弾は火花となって弾け飛び、あまやかな香りを硝煙の匂いで上塗りしていく。ルクレツィアの精霊弾の円舞が繰り広げられる中、突如として大聖堂の扉が再び大きく開け放たれた。
「時は満ちた」
 それは事前にイツキが仲間たちに伝えていた、『ほんの少しだけ未来の話』。開いた扉から吹き込んでくる冷たい冬の夜風が、花の香りを花弁ごとさらっていく。こころを持たぬ花嫁はその異変に動じることは無かったが、更なる異形へと変じる手立てを失ったことにも、気付けない。
「――降り注ぐは宙の命脈! 命に従え、天より来る導星よ!」
 陣を描き終えたラウレンティアの創造した星の燦めきが、運命のしるべを導き出す。死の香りを跳ね返す為のちからとなって、イツキを、ルクレツィアを守護するひかりと成る。少女の祈りに応じるように、頼れる仲間たちの心を奮い立たせるために。星の導きに重ねるように響き渡ったのは、藍生の力強い鼓舞の歌であった。
「(勇気を。立ち上がる力を。みなさんへ、……届かせてみせる)」
 死の匂いに皆が囚われないように。ありもしない『もしも』に絶望してしまわないように。星々の煌めきが、凜然たる歌声が『前へ、前へ!』と後押ししてくれる。
「導星の輝きは、地に満ちる花に比べたらか細いかもだけど。……でも、仲間たちの道行きを照らし、死を遠ざけることは出来る!」
「みなさんがいるから……いるからこそ負けられないんです!」
 ああ、なんて。
 なんて、力強いのだろう。
 生きようと云う意思が、守ろうと云う誓いが、死を塗り替えるかの如く胸の奥底から湧いてくるようだ。
「……まったく、頼もしいね」
 ほんの少しの笑みを溢し、イツキは離れていたほんの僅かな距離を跳躍して一気に詰める。
「『甘き死よ、来たれ』か。でもね、私にはまだやるべき事がある。だから生きるわ!」
 イツキの振り被ったハンマーが、ルクレツィアの斧槍が、偽りの幸いを強く、強く打ち据え貫く。果実が潰れる瞬間に飛び散る果汁の如く舞い上がった白花の花弁は――こころを持たぬ彼女が見せた、はじめての涙だったのかもしれない。

氷野・眞澄
逝名井・大洋

●Revved up
 しあわせなゆめに誘われたのがこんな災厄めいた存在とは。
 それならばまだ、先ほどのゆめの子どもたちの方が可愛げがあった。とは云え何方も怪異だという点では氷野・眞澄(サイレントキー・h07198)にとって討伐対象に変わり無い。
「えっ可愛い! 見た目は結構好みかも」
 花嫁衣装は嫌いでは無い。キラキラしてフワフワしていて、何より着ている子たちが皆笑顔なのがいい。――このコは顔ないみたいだけどね! なんて。どこか楽しげに声を弾ませ花の異形を仰いだ逝名井・大洋(TRIGGER CHAMPLOO・h01867)を咎めるでもなく、眞澄は静かに血の気の引いた唇を僅かに開いた。
「我々の世界から滲んだものですから 責任もって始末しましょう」
 このまま居座らせる訳にはいかない。既に民間人の非難を終えたと云えど、野放しにしておけば罪のない人々が遺体さえ残せぬままに楽園の花と化してしまうのだから。眞澄の言葉にはっと振り向いた大洋は慌ててしゃんと姿勢を正すと、『良いコのお巡りさん』の顔で以ってそれに応えた。
「ご期待、必ずお応えしまぁす!」

 咽せ返るほどの花の香りは此方の理性も人格をも全てをぐちゃぐちゃに掻き乱す。であるならば、帰るしるべをきちんと覚えておけば良いと。自身の肩口にそっと鼻先を寄せる大洋に、『おや』と眞澄は薄く瞬いた。
「私のにおいを頼りにするなら 煙草でも燻らせてにおいを強めておきますか」
「えへへ。そうでなくても真っ直ぐ帰ってきますけどね!」
 行ってきまぁす、と軽い返事と共に駆け出した背を一瞥した後、眞澄は厄介な荷物のような足を引き摺りながら動ける範囲で花の香が届かぬ場所を確保する。幸い花嫁は愚直に祭壇への道を真っ直ぐに進んでいくだけのようだから、ああ、それならば手近な窓を開けて仕舞えばいい。最低限標的を視認できる距離であれば此方の一手は届くのだから。
 銃声が響く。それは二丁拳銃の内の片割れが花の異形の足元を追い立てるように繰り返し銃弾を撃ち込む音だった。己は良いが、接敵した状態で死の香を浴び続ける大洋はそう長くは戦線を維持出来ない筈。

 ――故に、|視る《壊す》。

 大洋の目の前で、花のかんばせがぐしゃりと歪む。それはまるで蠧魚が黴びた本を少しずつ、少しずつ食い破っていくように。じくり、じくりと花の貌を喰い貫くは眞澄が齎す断裁の眼。小さな穴はやがて大きな虚の染みとなって、ぼろぼろになった花首が花嫁の貌から剥がれ落ちていく。
 異形が大きく身を揺らがせたその瞬間を、大洋は待っていた。
「今が好機です 逝名井さん 思い切りやってしまって下さいな」
「了解です! さぁ、爆ぜちゃってよ!」
 染み出した虚を灼き消すが如き霊力弾の光が炸裂する。内側からその身を灼かれた祝福の庭園の歩みがぐらり、ぐらりと鈍くなって――やがて、止まる。縋るようにブーケを差し出したその所作に、果たして何の意味があったのだろうか。咲き開いた香りは死へと誘うあまい繊手。
 けれど、覚えている。
 窓辺に立つ眞澄の、煙草の花と葉の匂いを、覚えている。
 それを頼りに、思い切り地を蹴って大洋は後退し死の抱擁を回避する。今更己の生き死にに頓着する性質ではないが、例え一瞬であったとしても彼を傷付けたくはなかったから。
「(それにまだ言えてないもんね)」
 『メリークリスマス』と。告げたら彼は、ほんの少しだけその纏う空気を和らげてくれるだろうか。想いを馳せれば生の実感が湧いてくるようで、大洋は燻る煙をしるべに急き立てられるように駆け戻っていった。

アストラガルス・シニクス・グリーヴァ

●ただひとりを求めて
 夢箱の少女を見送った、時間にして数分もなかったであろうその後に。
 アストラガルス・シニクス・グリーヴァ(戦場駆ける銀蓮華・h09567)は背後で閂の付いていた筈の扉が軋む音を立てながら開く気配に振り返る。月のひかりを浴びながら、まるで月光をそのまま伸したかのようなましろの絹が艶めきながらその花弁を揺らす様に、アストラガルスは知らず笑みが溢れるのを止めることが出来なかった。
「ははっ、親玉の登場や。敵意もなく、ただ|在る《・・》だけで厄いの、ほんま怪異やなぁ」
 見目ばかりはうつくしい、穢れなき純白の花嫁の姿を模倣した『なにか』。
 花の名を冠した棺桶の鎖を握り直し、その貌を、視る。
「……さて、花は綺麗やけど元人間の花束なんてぞっとせんからな」
 常人であればそれだけで喉を掻き毟りたいほどの歓喜で満たされたことだろう。けれどアストラガルスはそれ以上の悦びを知っている。血湧き肉躍る狂喜を知っているからこそ、お仕着せの祝福などに踊らされることはない。
 あかく続く絨毯の先に立つアストラガルスを運命とでも思ったか。周囲を巻き込むことなど構う素振りも見せず、一面に広げた破蕾のときを迎えた白花たちが咲いて散って、花雨となって降り注ぐ。花弁だけならば大した障害にはならないが、共に咲き開くあまい香りが色濃くなっていくことを銀蓮華の獣は良しとはしない。
「それで何人殺ったんか、あんたは気にも留めんのやろな」
 咲き誇る花々のすべてがいのちの数であることをアストラガルスは知っている。分かった上で、その全てを防ぎ切る。此方の目を灼かんとする眩いひかりを棺桶の本体で覆い隠し、明滅した隙をついて一気に懐へと飛び込む様は、ああ、正しく疾駆する狼のようだった。
「折角の祝祭の夜に、怪異の気配は相応しないからな」
 掬い上げた足元が揺らぐ。歩みが鈍ったその瞬間に、振り被った棺桶が祝福の庭園を叩き潰さんばかりの勢いで殴打する。それは怪異を屠るためだけの純粋な力。骨をも砕く剛腕から繰り出された一撃が、大輪の花を瞬きの間に紙屑の如く散らしていった。

一文字・透
ヴォルケ・ナクア
篭宮・咲或

●月花に染まる
 想いもなく。言葉もなく。
 ただそこに在るだけのうつくしい花に存在意義はあるのだろうか、それとも。

「夜に花を携えるだけならよかったのにねぇ」
「そうですね、とても綺麗だけれど……」
 さいわいに満ちた大聖堂に、可憐な花を添えるだけの存在であればどれほど良かっただろうか。けれど佇む顔のない異形は本人の意思に関わらず――そもそも意思と呼べるものさえ存在するのかどうか怪しい。ただそこに在るだけで人に害をなす災厄に他ならない。遣る瀬ないね、と呟いた篭宮・咲或(Digitalis・h09298)に頷きながら花嫁のかたちをした怪異を見つめ、一文字・透(夕星・h03721)も僅か憂いに瞳を揺らす。幻想的な姿に思わず息を呑むけれど、それよりも色濃く感じる死の気配は少し怖いくらい。胸の裡に無遠慮に触れてくる感覚も、とても好きにはなれそうにない。
「祝儀の高くつく花嫁だ……」
 対価はいのち。それから、肉のからだのすべて。
 あまい、あまい。腥いほどに生々しい死の香りが満ちていく。マスク越しでも伝わるその香りにヴォルケ・ナクア(慾の巣・h08435)は隠すこともなく眉を顰める。何を欲しているのか分からない、得体の知れないモノは苦手だ。それならばまだ『あそんで』と繰り返していた夢箱の少女のほうが御し易かった。
「まぁ、尤も君を彩る花束になる気は毛頭ないけど」
 それとも。|君《災厄》は|俺《災厄》を侵食出来るかな、と。刀の柄に手を掛けた咲或の傍ら、対話や意思の疎通が不可能であると判断した透も低く身を構える。
「気味悪い式の真似事なんざさっさと終わらせてやる」
 所詮はまやかし。祝福の気配に誘われた花嫁の模倣に過ぎぬ。その静かな歩みを止めるべく、ヴォルケは微かな駆動音を立てながら再起動するドローンを展開した。

 祭壇へただ真っ直ぐ進むだけの『ノロマ』であるならば当てやすい。ゆっくりと歩を進める花嫁の足元を集中的に狙った二対のドローンの牽制射撃が火を噴くと同時、透はトン、と踵を地面に叩き付け白南風に仕込んだ毒針で以って白花を侵食していく。動きが更に鈍った花の怪異の背後を取るのは実に容易かった。
「止まってってお願いしても止まってくれなさそうだし、多少強引なのは許してね?」
 肉のからだを持たずとも、物理的に揺らしてしまえば動きを阻害することは出来よう。咲或の放った震動波に依ってぐらりと身体が傾いだ瞬間、透は音もなくあかい絨毯の上を駆け抜け一気に花嫁との距離を詰める。狂気にあてられ花のかたちと成り果てたインビジブルを塗り替えるは柔らかな月香。息が詰まるほどの花の香りを、少しずつ、少しずつ塗り替えていく。
「あ……毒があるから気をつけてくださいね」
「了解~、透、やるねぇ」
 投擲された栞がドレスの裾を縫い留める。一撃一撃の強さこそ大きくないけれど、確実に、着実に、透はそのゆっくりとした花嫁の動きを制限していった。
 予測の付かぬ挙動で以って花嫁を翻弄する透の動きに重ねるように、夜闇の牙がましろのドレスを更に縫い止める。艶やかな品のある布地でつくられたドレスはとてもうつくしいけれど、俊敏に動くには向いていないだろうと咲或は軽く笑いながらも攻撃の手を休めない。
 駆けていった透の背を見送り、援護射撃に徹していたヴォルケは静かに息を吐く。
 迷いはあった。面倒だ、と云う想いと――いや、詮無いことだ。
「――全て。全て、全て、俺に寄越せ」
 ぎち、と鈍い音を立ててヴォルケの皮膚が、貌が、その姿かたちを変えていく。それは貪慾なる黒曜の怪人。己もまたひとならざるものであると云う証左。けれど、懸念を募らせるよりも早く届いたのは咲或の余りにも呑気な感嘆であった。
「ヴォルケ、格好いいよ~」
 口にこそしていないが、離れたところで花嫁を翻弄する透からも視線を感じる。忌避か。いや、違う。彼女は表情の変化の多くが淡いが、それらが全て目に宿ることくらいは分かってきた。『すごいなぁ』と、目が物語っているから少しばかり力が抜けてしまいそうになる。
「……怖がられねえなら良かったけどよ。借りるぞ、透」
 この身体はある程度の『模倣』を可能とする。透の月香を纏うて瞬時に花の異形のもとへ飛び寄ったヴォルケの剛腕があまい白花を殴り散らす。軽い感触と共に巻き上がった噎せ返るほどの花の香りに舌を打つが、それでいい。
「咲或、後は燃やし尽くしてやれ」
「篭宮さん、あとはお願いします」
「はぁい。最後は貰っていくねぇ」
 顎門を開いた影業が花嫁の身体を貫くと同時、破壊の炎を纏うた刃が一太刀のもとに斬り伏せる。全てを燃し尽くす炎に巻かれた花の異形は、絶叫さえも上げることなくしろい花弁を燃え上がらせた。
「君の花婿は此処にはいないけど。一人で最後まで歩くよりはいいでしょ」
 もしも。
 永遠にも等しい輪廻の先で、ほんとうのさいわいを手にすることが出来たなら。
 その時は|貌《笑顔》を得られるといいね、なんて。あかあかと燃える炎に照らされながら、咲或は穏やかに目を細め微笑んだ。

時月・零
白・とわ

●露命
 清らかなるましろの装束に身を包んだ花嫁の模倣品。
 美しい容貌と共に漂う甘い香りに時月・零(影牙・h05243)眉を顰める。この背を薄らと撫でる感覚は間違いなく死の気配であり、排除しなければならない災いが確かに其処に在る。本当の花嫁であるならば祝福すべきものなのだろうが。
「他の|花《命》を呑み込むというのであれば――手折らねばならない」
「さようでございますね、零さま」
 花咲く美しい方。本来ならば誰かと歩む筈だったのだろうか。いかなる所以で斯様な姿になったのかまでは分からないが、白・とわ(白比丘尼・h02033)にはその有り様が何処か哀しいもののように感じられたけれど。
「どのような理由であれ、人に害するモノでございましたら放ってはおけませぬ」
「ああ。花に魅入られぬよう気を付けろ、とわ」
 香りを防ぐ術を零は持ち得ない。こと『狂気』に対してはある程度の体制を持つが、長くは持つまい。
 否、その前に全てを斬り伏せて仕舞えば良いと刀を構えた、その時だった。

「花嫁さま。申し訳ございませぬがご退場いただきます」
 すべて。すべて、すべてすべて。うみへとかえしましょう。
 浮かび上がるインビジブルは深海より出でしものたち。澪へとその身を捧げたとわを少しずつ――少しずつ、啄むように喰らい始める。
「零さま、お目汚しをお許しくださいませ、ね」
「……お前、」
 群れに身を捧げその姿を変じさせていく少女に眉を寄せ僅かに顔を歪める。咄嗟に伸ばした零の手をそっと制し、とわは微笑む。うつくしい笑顔だった。
「彼女の歩みがとまりましたなら……、……零さま……お願い、いたします」

 何が起こったのだろう。
 いいえ、わかっております。
 これは恐怖か。いいえ、もっと生々しい心の痛み。
 かたちのない、静かな寂寥が、じっととわを窺っている。
 次第にとわは、『もの』になっていく。
 断続的なか細い己の呼吸だけが生々しく響いていた。
 もう、何も見えない。何も聞こえない。
 指を動かそうとして、それらがもう『ない』ことを薄ぼんやりと理解する。

 今この瞬間、白・とわと云う娘の存在は完全に潰えた。
 遺骸さえも残さずに。完全なる無へと至った彼女の様を、零は、見た。

 これは絶対死ではない。
 時間は掛かるだろうが、彼女は再び生まれ変わることを理解している。しているが、それでも。それでも決して、仲間の喪失を前にして心中穏やかでは居られない。
「(……いや、)」
 其れが彼女の選択であるならばそれ以上言うことはない。自分が成すべき事も変わらぬと、零は一度だけかぶりを振った。
 とわのいのちを対価に現れ出づるは深海の鱗に覆われた巨大な|魚《悪樓》。渦潮よりまろび出た魚影が招くはヴァージンロードを押し流す大海の奔流。花弁は波に。花の香りは潮の匂いへと、すべて、すべてを津波で流していく。それが彼女の合図であると理解した零の身体を黒影が闇へと溶かすように塗り替えていく。
「生憎、此処はお前を祝福出来る場たり得ない。静かな夜に散り、眠れ」
 影を纏うた零は夜闇と共に疾駆する。潮の名残に波紋を連ね、斬り伏せるは寂夜の静閃。黒い一閃が静かに閃き――後には凪いだ海の如き静寂だけが残された。

白水・縁珠
賀茂・和奏

●爪先立ちの背伸び
 月から溢れ落ちる澄んだ光が、燈りの消えた大聖堂をあおく染めている。
 ステンドグラスを通したものは割れて散った硝子片の如く幾重にもいろを重ねながらヴァージン・ロードをくっきりと浮かび上がらせているかのようだった。
 ましろのドレスを纏った花の異形はうつくしかった。けれど、それと同時に背筋をざわつかせる奇妙な違和感が、賀茂・和奏(火種喰い・h04310)にとって慣れ親しんだ怪異が齎す世界の|歪《ひず》みであると五感の全てに訴えかけてくる。
「見惚れるうちに正気乱されるタイプかな」
「美術館すきなら、アートな目線で堪能したくなる?」
 美と狂気の演出。芸術的観点から見れば、確かに『美』と云うものは狂気と執念から出づるものとも呼べるかもしれない。歴史に名を残した芸術家たちはきっと、その極地を視たのだろう。白水・縁珠(デイドリーム・h00992)はその高みまでを知り得なかったが、その歪なうつくしさと異様さに少しだけ気掛かりなことがあった。
「(……奏さんって常に戦ってる)」
 折角遊びに誘ったのに。息抜きが出来ればと思っていたのに、うっかり仕事にさせてしまっていたのなら。もしそうだったなら――反省項目がまた増えてしまった。
「縁さん?」
 あまり見ないように、と。視線を遮る形で庇い立つ和奏が此方を振り向く。俯く縁珠に既に狂気の影響があっただろうかと窺うように覗き込もうとした、次の瞬間だった。
「いたっ」
「……いや、狙撃手に見るな、は何の縛りプレイさせるつもりで?」
 縁珠から見れば無駄に高い、広い背中にごつんと頭突きをひとつ。それでもまるで体の軸をぶれさせないのが、ちっとも効いてないみたいで少々癪だけれど。いかん、いかん。これでは八つ当たりになってしまう。
「ごめんごめん、確かにそうだし、大丈夫そうなら良かった」
「……誰かさんからのお守りが、護ってくれてるからへーき」
 反省会も次への改善も、花を見送ったそのあとで。
 人知れず胸に決意を抱き、縁珠は和奏へ確かな頷きを返して見せた。

 ふんだんに絹をたっぷりと使ったドレスの裾を引き摺りながらゆっくりと歩み続ける花嫁は和奏と縁珠に顔を向ける様子を見せない。本当にただ祭壇という到着点を目指しているだけなのであろうその姿は、彼女の『花嫁』と云う役割がそうさせるのか。もの言わぬ花の怪異はその答えを語ってはくれないが、そこに悪意がなかったとしても、誰も彼女の花束の中の一輪にはさせない。勿論縁珠も、自分自身も。
 香りや花弁自体が危険なものであるならば、物理的に吹き飛ばせないか。近付くほどに強くなるあまい香りに僅か眉根を寄せながら、呼ばうは二対の頸を持つ烏たち。
「――風よ、震わせて」
 ひとりでふたつ。ふたりでひとつ。烏たちは輪唱の如き鳴き声を響かせながら無風の大聖堂に追い風を巻き起こす。鼻でも摘んでいるべきか、と考え込んでいた縁珠が目を瞬かせているうちに、舞い上がったしろい花弁が次々と扉の方へ押し戻されていくことにぱちりと指を鳴らし少女は感嘆の声を上げた。
「ぉー! 青やんさすが! あとで、お礼デートしよ」
「えっ、流石に俺抜きでは駄目だよ? 一対一だと危ないし」
 振り返りこそしないが、どうも彼女は自分よりも彼らに心を許し過ぎているところがある。それ自体は嬉しいことなのだけど、彼らとてひとならざるもの。いつ『きまぐれ』を起こすか分からないのだから、なんて――つい最近姉にも言われた言葉を繰り返していることに、和奏は果たして気付いているやらいないやら。
 たとえ死の抵抗力が下がったとて、『ぬりかべわっきー』が縁珠の自死を許すことはないだろう。だよね、なんて軽く問えば、『行かさない気だけど』なんて当たり前のように返ってくるものだから、縁珠はちょっぴりだけ気に入らないと唇を尖らせた。
「……なに? 次はおとん視点?」
「親目線……ではないよ?」
 だけど、拗ねているのもそこまで。
 髪を彩る鮮やかな蝶と共に、縁珠は芽吹かせた樹木を自らの狙撃銃に添わせ、その性質を塗り替えていく。それは身を守るため。天敵から種子を守るための致死の麻痺毒を備えた樹木のちから。風が止んだ瞬間に、縁珠は地を蹴り一気に花嫁へと肉薄する。
 花を求める花嫁へ特別な|ブーケ《魔弾》を。
 響く銃声が、着弾と共に一閃を閃かせた和奏の霊刀が、貌のない花嫁の身体を手折るように歪ませた。

「みどじいとあおばあは、デート気分になれたかな……」
 寄り添う輝石のいろを見つめ、ぽつりと溢れた言葉は心からのもの。
 一緒に遊ぶプランは改善点が幾つも見つかってちょっぴりめげそうになってしまったけれど、口にすればきっと和奏は『じゃあ次俺に挽回させて?』なんて腹が立つくらい完璧な返事を返してくるだろうから、これは縁珠の次の課題とすることで口を噤んだ。
「冷えちゃったし、この後もう一杯お茶かスープでもどう?」
 先程からすこし気落ちした様子の縁珠の顔を覗き込んで。そっと笑み掛ける和奏の仕草に縁珠はちいさな唸り声を上げたけれど、それもほんの僅かだけ。
「おかわりは勿論だけど、巻きウインナーもスコーンもポテートもだよ」
「はは、そういう香りは大歓迎だ」
 魅惑の香り、わっきーは耐えれるかな、なんて。
 そんな素敵なお誘いを断る筈がないと和奏は笑みを深めて頷いた。

システィア・エレノイア
ファウ・アリーヴェ

●おくるよひら
「すまないね、随分と遅れてしまった……」
 本来ならば共にマルシェを巡る予定だったのだが、出掛ける直前になって舞い込んできた依頼を片付けている内にすっかり夜も更けてしまった。尖った獣の耳を項垂れさせながら謝罪の言葉を述べるシスティア・エレノイア(幻月・h10223)に『大変だったな』と労いを添え、ファウ・アリーヴェ(果ての揺籃・h09084)はそれでも此処まで来てくれた彼の律儀さに胸の内で密かに感謝する。
 既に花の怪異は顕現した。だからこそ互いに向かい合いこそしないけれど、ヴァージン・ロードをしずしずと歩む花嫁の姿を困ったように見つめたまま。ファウもシスティアも刃を構えはすれどもその鋒を向ける事が出来ずに居た。
「……戦う気が無さそうな花嫁に、刃は向けたくないね……」
「……ああ」
 どうしても刃を向けねばならぬのならば粛々と仕事を熟すだけ。けれど、夢箱の少女たちが最後まで悪夢を放つことがなかったように、彼女もまたそうであればよいと願ってしまうのは傲慢であろうか。
 否。たとえ傲慢であったとて、優しい眠りを願うことは無駄なことではない。
 誰かの感謝が欲しい訳ではない。ファウもシスティアもただ、信じるものの為に迷いながら、躓きながらも歩みを止められぬままでいる。今宵はこんなにもさいわいに満ちた夜なのだから、自分たちも、勿論彼女も。少しくらい夢を見ても、きっと許される筈。だから。
「ファウ、斬らずに送り出せる方法……何か浮かばない?」
 武器を振り翳し彼女を祓うだけならば単純な仕事であっただろう。愚直に真っ直ぐ進んでくる花の異形を斬り伏せ、疾く散らしてしまえば良い。
 けれど。けれど、そうしたくはない。
 したくはないと、思ってしまった。
「斬らずに……」
 傷付けず。痛みを齎さず。刃を用いず、凍て付かせず、燃さず。あらゆるちからの可能性を頭の中で懸命に描き出し――やがて、気付く。
「一つだけ、ある……かも」
 元々花が咲いている存在であるならば、あのうつくしい白花の中に別の花が咲く姿を鮮明に描きやすい。上手くいくか如何かは分からないが、『分が悪い賭けに乗ってくれるだろうか』と。躊躇いの中でも恐る恐る己の可能性を口にすれば、システィアは軽くその背を叩いて是を唱えた。
「俺には難しいことだから。頼むよ」
 ならば己は彼女のエスコートを担おう。
 供も連れず、祭壇には花婿の姿も居らず。ひとりぼっちで花道を歩かせるのは可哀想だからと、一歩前へと歩み出たシスティアをファウは一瞬止めようと身を乗り出すけれど。
 これは彼なりの信頼のかたち。であれば、己は任された役を全うしなければならないとファウは意識の全てを貌のない花嫁へと集中させていく。

『――――』

 あまい、あまい。
 切り花の腥さまでもを突きつけられているようだ。
「……、……ッ」
 あまい。あまい。
 思考が混濁する。視界が明滅する。
 この胸に満ちる得体の知れない感情は、何だ。
 花嫁は何も語らない。
 間近で見た彼女の貌までもが、うつくしい白花で満たされている。

『――――』

 今直ぐに顔を、喉を、胸を掻き毟ってしまいそうになる。そうでなければ、ああ、だめだ、この皮膚を、眼底の奥底を、花が、花が、花が花が花が、喰い破ってしまいそうで、――それでも。
「……あなたに触れる権利を、頂けるかな」
 がり、と強く口の中を噛む。
 鉄の味で、痛みで、強烈な不可視の力で以って無理矢理に捻じ曲げられる自我と衝動を抑え込む。腕を差し出して見せれば顔のない花嫁は片手をブーケから離し、その繊手をまるで元々そうあるべきものであるかのようにシスティアの腕にそっと収まらせた。
 無意味で、無価値だと。ひとは笑うかもしれないけれど。
 花嫁を送り出す家族の代わりか、或いは並ぶ事を夢見たかも知れない配偶者の代わりか。どちらでもいい。どちらになれなくともよい。僅かに花を揺らした彼女のそれが、笑顔を浮かべたかのように思えたから。システィアもまた、襲い来る災厄に侵食されながらも懸命に微笑み掛けた。
「(シスさん……)」
 臆せずに花嫁の隣に立つシスティアの姿は何処か別世界の物語でも見ているようで、ふたりから目を逸らしてしまいそうになるけれど、そうしない。長くは保たないだろう。だからこそ、一刻も早く彼女の歩みを止めなければならない。
 脳裏に描くはましろの四葩。痛みを齎さず、ただ終わりへと導くためのうつくしい花を。無貌の花嫁を彩るように、種子を芽吹かせ、息吹かせる。甘やかな香りも、齎される災厄も、何もかもを。伸ばした右手が、一斉に根を張る種子が留めてくれる。連れて行ってくれる。
「あるべき所へ。始まりの祈りへ。……もう、お眠り」
 花嫁の貌を構成していた白花が、すべて、すべて。破蕾した紫陽花に塗り替えられると同時にくたりと力が抜けていく。その背を支えたシスティアは取られていた手を掬い上げ、ほんの一瞬だけ唇を触れさせた。
「どうか、彼方では幸せに」
 叶うならば、次に目覚める時は祝福を運ぶ花嫁と成れますようにと、願いを込めて。

 甘やかな香りと共に花の花弁が散っていく。
 うつくしいその光景は何処か、聖夜に降る白雪を思い起こさせた。

祭那・ラムネ

●ひかりのそらへ
 天の風を纏うて、跳ぶ。
 考えるよりも先に電気信号が全身の血管を駆け巡っていくようだった。身体中の全ての細胞が『これは危険なモノだ』と告げてくるから、祭那・ラムネ(アフター・ザ・レイン・h06527)は躊躇いなく地を、宙を蹴ることが出来た。動物的直感とも呼べる反応速度で宙空を駆け、一息に花の怪異へ肉薄し一手を齎さんとする。
 そこまでは、良かったのだ。

 ああ、そうだ。俺は、昔から――怪異の影響を受けやすいんだ。

 思考が急激に微睡むように鈍る。脳の細胞に植え付けられた蒴果から百合の花が咲いていくような奇妙な感覚。まるで頭の中にぞんざいに突っ込まれた手が、脳を滅茶苦茶に撹拌しているような強い酩酊感を連れてくる。
 花の香りがあんまり強くて、くらくらする。
 あまくて、やさしい。
 それから――少しだけ、悲しみと寂しさを連れてくるような気が、して。
「――――!」
 泣いて、いるのだろうか。
 脳裏に過った『もしも』が、急速に自我を覚醒させていく。弾かれたように展開された守護結界が、ばちん、とあおい火花を放って花の花弁を跳ね返していく。香りを少しでも吸い込まぬよう、上がった息を無理矢理押さえ込みながらラムネは強く意識を保ってよろめくことなく立ち上がった。
「(……この花嫁に取り込まれちまったひともいるのかな)」
 死にたかったから。綺麗な花になれたから、と。そう、喜ぶ誰かも居たかもしれない。望んで花と成ったひとが居るのなら、全てが全て哀れだとは思うまい。悼みこそすれど、そこに否定的な感情はない。
 でも、もし。そうでない人も巻き込んでいて、これからも巻き込んでしまうのだとしたら? あの、あたたかなマルシェで笑う人々が、すべて彼女の庭園へ、花へと変えられてしまうのだとしたら?
 彼女の花はいのちそのもの。魂の数だけ咲いて、無為に散っていくうつくしいだけの花になる。それが彼女を『祝福の庭園』たらしめんとする|さいわい《のろい》であり、彼女が災厄である証左。こころも言葉も、貌さえも持たない彼女が何を思っているのかを読み取ることは到底叶わないが、それは裏返せば残忍な衝動を持たぬ無垢な存在であることの証明でもあるから。だから、ラムネは言葉を紡ぐことを諦めなかった。
「だめだよ、その命は、魂は。もう天へ還そう」
 分別なく、見境なく、すべてのいのちを攫ってしまう。この言葉は無意味で無価値なのかもしれない。それは、怪異をよく知るラムネ自身が一番よく分かっている。
 それでも、『だから』と諦めてしまう自分でいたくはないから。
「在るべき場所へ、返してあげよう」
 誰かの憧憬だったかもしれない、あなた。誰かの思慕から生まれたかもしれない、あなた。供も連れず、伴侶さえ連れず、歩みを止められぬ哀れな花の亡霊だと云うのなら。その魂に意味を宿そう。その運命に、光を、風を齎そう。
「カエルムさん」
 大切に紡いだ名に友が応えてくれる。刹那、あおき光が、せかいに満ちる。
 貴方の風をお借りしよう。
 この背を押す追い風と共に紡ぐは彼方の虹。
 この花を、光宿す天へ――共に送りたい。

 遥かなる天槍の一撃が、花の異形の胸を深く、深く貫く。
 痛みでもなく。おそれでもなく。ほんの僅かに揺れた花のかんばせは、ラムネの想いに答えを返そうとしてくれたのかも、しれない。

エル・ネモフィラ
御狐神・芙蓉

●Je te remercie
 あれが祝福の庭園。
 人に狂気を齎す死の厄災。
 分かっている。分かっている筈なのに、前へ、前へ進もうと心は叫んでいるのに、まるで足が縫い止められてしまったかのように動かすことが出来なかった。
「(全く戦意が感じられない)」
 ただ美しく佇むだけの花嫁。貌を秘めた、己の運命さえも分からなくなってしまった哀れなましろ。そんな相手に剣を向けるのは――。
「……エル様、大丈夫ですか?」
 エル・ネモフィラ(蒼星・h07450)は僅か惑うように爪先を半歩後退させる。その葛藤の気配を感じ取り、傍らを気遣うように御狐神・芙蓉(千歳洛陽花・h04559)が視線を向けたなら。蒼き星は僅かに瞬き、意識を辛うじて現実へと引き戻し不規則な鼓動を打つ胸を抑えながら緩やかにかぶりを振った。
「芙蓉……ううん。ただ、戦うつもりがない相手と戦うのはこれがはじめてで……」
 意図せずに他者を傷付けてしまう彼女は。ただそこに在るだけでいのちを奪ってしまう彼女は、一体何を思っているのだろうと。迷いと共に紡がれたことのはと優しさに、芙蓉はかなう限り柔らかな笑みで以ってエルを守るように前へと一歩歩み出る。
「……戦うのが苦しければ、下がっても良いのですよ?」
 彼女の優しさは尊いもの。けれど、その想いがエルの鋒を迷わせている。
 胸が張り裂けそうだった。彼女の他者を慈しむ心こそが彼女を苦しめているなんて、こんなにも悲しいことはない。それならば貴女の分まで自分が食い止めてみせるから。進んで苦しまなくてもよいのだと、芙蓉の切なる言葉にエルはいいや、と否を唱えて淡く微笑んで見せた。
「大丈夫、そばにいてくれてありがとう、芙蓉」
 ああ。悲しい顔をさせてしまって、ごめん。
 キミがそばにいてくれるから、私は逃げずに立ち向かうことが出来るのだと。瞳に星のひかりを宿したエルの言葉に、芙蓉は尚も重ねようと唇を開き掛け――直ぐに、止める。やわらかな笑みで以って返し、少女の想いに応えるように深く頷くと剣を構え背を預け合うように並び立つ。
「……わかりました、一緒に止めましょう」
 未だ迷いの中にある。それでも。
 エルは花嫁を見据え、あおい軌跡を描きながら剣を抜き放つ。それが彼女の決意が揺るぎないものであると確かに受け取った芙蓉も真っ直ぐに花の異形を見詰め、彼女が元の世界へ帰る道を拓く為に走り出した。

『――――』

 花は言葉を発さない。
 貌のない花嫁は、あいを紡ぐ唇さえもなくしてしまった。
「……そう、だよね。キミは、答えない」
 だからこそ。だからこそ、『もしも』を、エルは諦めない。
 彼女が元いた場所へ迷うことなく帰れるように。
 彼女を導けるようにと、祈りを込めて。

『――――』

 花が舞う。
 巻き上がる白花の渦を斬り裂くように奔った飛電は芙蓉が纏うたあかき雷霆。地を、壁を、天を蹴りながら網を巡らせるが如く迸る雷光は花の異形の歩みを惑わせる為のもの。ヴァージンロードを進むことしか出来ない哀しき花嫁は、あかき光を絨毯の続きと見紛うたか。ゆらりと歩調を揺らがせたその瞬間に芙蓉の剣の鋒が、火花の如く弾けた天雷がましろのからだを貫いていく。
「悪意はなく、幸せな記憶に引き寄せられただけなのでしょう」
 放たれた光を覆い隠すよう。エルの慈しみの心が踏み躙られぬよう、芙蓉は軽やかに雷と共に舞い続ける。花のかんばせが揺れるのは、彼女が何か言葉を発しようとしているさきぶれなのだろうか。わからない。けれど、きっと、きっと意味はある。
「そう。キミは、きっと悪意を知らない。祝福と、終わりの区別もつかないまま……ただ“在る”ことで、世界を花で満たしてしまう」
 その存在こそが人に害をなし、厄災を齎すのであれば人間を守ることを押し通すのみ。それが正解だと分かっている。でも、それでも、『正解のその先』が、もしもあると云うのなら。
「このまま見送ることはできないよ」
 キミを裁くためじゃない。
 キミを理解しきれなくても、あげられるものはきっとあるから。
「――瞬刻」
 ひかりが落ちる。それは蒼き星の煌めきにも似た。
 エルの足元から巻き上がった|群青の花々《サムシング・ブルー》が、死の香を春嵐の如く押し返して花嫁の身体ごと包み込んでいく。
「花をあげる。キミの思い出に触れて翅を広げる、枯れずに寄り添う|青彩《Floralis》を」
 これ以上、誰かが花にならないように。
 キミが、誰かのいのちを奪わなくてもいいように。
「さあ、元の世界へとお帰りなさい」
 願わくは、元の世界で彼女が祝福を賜らんことを。
 エルと芙蓉、ふたりの祈りを乗せた剣戟はひかりの軌跡となって交差する。刹那、祝福の庭園は音もなく胴を断ち切られ、花の蕾が弾けるようにそのからだを見る間にましろの花弁へと変えていった。

 足りないかけらを添うた花嫁が、蒼き花々と共に散っていく。
 誰がはじめに気付いただろうか。静寂を取り戻した大聖堂の祭壇にぽつんと残された、ブーケとも呼べぬ徒花でつくられたちいさな花束の存在に。
 名もなき花を集めた素朴な花束は、誰のいのちを奪ったものではない純粋なもの。それはきっと――沢山の優しさとかたちなき『あい』を受け取った花嫁からの、しあわせのお裾分けに違いなかった。

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