⚡️猫を跨ぎて
⚡️最終決戦:|東京百鬼夜行《トウキョウデモクラシィ》
これは大規模シナリオの最終決戦です。
5/25朝8:30までに成功した全ての最終決戦シナリオの舞台に『絶対防衛領域』が完成します。
絶対防衛領域の内部では、不思議な力によって、簒奪者に民間人が殺される事がなくなります。
また、その時点での「戦勝数」によって、各「絶対防衛領域」の広さが決まります!
戦勝数=作戦1〜5の成功シナリオ数÷2+最終決戦の成功シナリオ数
5/25朝8:30までに成功した全ての最終決戦シナリオの舞台に『絶対防衛領域』が完成します。
絶対防衛領域の内部では、不思議な力によって、簒奪者に民間人が殺される事がなくなります。
また、その時点での「戦勝数」によって、各「絶対防衛領域」の広さが決まります!
戦勝数=作戦1〜5の成功シナリオ数÷2+最終決戦の成功シナリオ数
※つまり、現存する作戦1〜5を攻略する事も、勝利に貢献します!
※到達した戦勝数までの全結果を得られます。つまり戦勝数80なら全ての結果をゲット!
※到達した戦勝数までの全結果を得られます。つまり戦勝数80なら全ての結果をゲット!
絶対防衛領域の広さ
戦勝数50:各シナリオの舞台の「マニアックな個人商店ひとつ」。戦勝数60:各シナリオの舞台の「最も有名な建物ひとつ」。
戦勝数70:各シナリオの舞台の「最も有名な建物から最寄り駅までの道及び周辺建物」。
戦勝数80:√EDENの同じ地域も絶対防衛領域になる。
●
「最終決戦にしてはちょっと可愛すぎるんだけど――」
指先を擦り合わせた悪魔が目を眇める。
ヨシュア・ヴァルトシュタイン(「森の石」・h09600)に曰く、飯田橋駅付近にて悪い妖怪らの群れが発生したという。
「猫がさ、いるんだよね」
巨大な猫である。
道を塞ぐように立ち塞がる大量の巨大な猫が林立している。どれもこれも構って撫でて欲しがるが、すぐに触れられることには否定的であるらしい。あの手この手で体をくねらせ避けてみせる。それらを何とかして満足させるなり消滅させるなりせねばならない。
「放っておいて無害ってわけでもない……っつーか、無視するとたまに襲い掛かって来るっぽくて、危ないは危ないらしい。それに数が多すぎるから。近くに神社があるんだろ? 通行人が多いし、その――絶対防衛領域? ってのにするのにも、利があるんじゃないかな」
途方もない数のそれらに一匹一匹対処していては日が暮れるどころでは済むまいが、こちらには幸いにして|東京百鬼夜行《トウキョウデモクラシィ》に参加している正義の妖怪たちがいる。
彼らは大騒ぎをすればするほど強くなる。その点において、此度の戦場では目的達成にさしたる配慮は要らないだろうと、悪魔は言う。
構って欲しがる、極めてアクティブで巨大な猫と遊ぼうというのだ。それだけで充分な|大騒ぎ《・・・》になることは想像に難くあるまい。
「まあ、だから――取り敢えず、構ってあげて欲しいんだ。体使って遊んでやっても良いと思うし、何とか捕まえて撫で回してやるのも。道具の……猫じゃらしみたいなのも好きなんじゃないかな。勿論、当てられるなら倒しても良いだろうし。物騒な、猫カフェ? って奴だとでも思って……それは無理か」
思い付くままに指を折っていた星詠みが顔を上げる。兎も角――呟くような声で息を零した青年が瞬いた。
「方法は任せるから。何とか退かしてやってよ。それじゃ、よろしく」
第1章 集団戦 『道を塞ぐ猫』
●
「あっ、デッカイネコチャンだ」
改装工事が終わって幾分、作り変えられた駅舎の周辺に、見渡すまでもなく猫が林立している。
とんでもない数だ。それらが全て獲物を探すようにそわそわと揺れているのだから始末に負えない。既にどんちゃん騒ぎ始めている正義の妖怪たちの行進を横目に捉え、指差すレイ・イクス・ドッペルノイン(人生という名のクソゲー・h02896)の隣で難しげに眉間に皺を寄せているのはAnker――九十九・玲子である。
「えーとなんだ、猫と戯れろだって?」
顔を上げる。
「そんなんでいいの? てかデカくない??」
「そういう任務だから仕方ないよ玲子」
まあ――これほどの猫ともあれば邪魔ではあろう。説明通りに数も尋常ではない。これらが全て無害ならまだしも、遊ばねば幾らかは機嫌を損ねて実力行使に出るともなれば、ここを通る人間は堪ったものではなかろう。
事情は理解した。納得とまではいかずとも状況は飲み干した。残る問題は一つ、そもそも相手が物理的に大きすぎることだ。
「で、どうすんのレイ。相手は猫パンチが猫メテオになる相手だよ、じゃれたつもりが病院送りだよ。まぁ、戯れるのはアンタだから大丈夫だろうけど――」
玲子が言い終わらないうちに、その背にぴたりと小さな温もりが貼り付いた。
|メソッド・回転永久機関《バターキャットパラドックス》。即ちトーストは必ずバターのついた方が下になって落ち、猫は必ず足を付けて着地する。では猫とトーストが背中合わせに貼り付いていたらどうか。
その場に滞空してして永久に回転し続けることになる。
またしても何も知らない玲子の体はバタートーストに変わっていた。何の講釈もないまま唐突に回転し始めた彼女には口がない。悲鳴を上げることも出来ぬまま、猫となったレイと共に高速回転を始める。
――また私がバタートーストになるのかよ! うわバターの匂いに釣られてる! 顔面近ッ!
「猫ちゃんは脂が大好きニャンねェ」
――こっちくんな! クンクンすな! 前脚でちょいちょいすな!
回転と共に撒き散らされる美味しそうなにおいに釣られてか、巨大な猫はぐっと二人――一つと一匹――に顔を近付けた。回転する同族と食べ物が気になるのか手を出しては尻尾を揺らつかせている隙に、主導権を握ったレイが意気揚々と猫たちの狭間に向かっていく。
「行くニャーン!」
――待てって言ってんだろ!
巨大なもこもこの毛皮に超高速スリスリを繰り返し、飛び散る毛とバターが飯田橋を美味しそうに染めていく。ジェットコースターさながらのスリルに玲子の声なき悲鳴が消えて、やがて二人が元に戻った頃には、満足げなレイだけが立っていた。
●
巨大は巨大であるのだが、どうにも脅威に感じない。
顔立ちのゆるんとしたせいであろうか。或いはただ構って欲しいだけだという生態の問題か。ともあれ矢神・霊菜(氷華・h00124)にとっては拍子抜けするほどのんびりとした仕事である。
構えないときに限って邪魔をして、構え構えと腹を見せ擦り寄って来る癖に、いざ手を伸ばすと逃げていく。実に猫らしい習性だ。幾度か得心の頷きを零してみせてから、遊び相手を探す猫たちの中へとその身を投じた。
まずは追いかけっこだ。あちらから伸びて来る手を避けながらこちらから手を伸ばす。途端ににょろんと体を伸ばした巨大な猫は消え失せて、代わりに目の前に出て来るのはやたらめったら胴の長い蒼い猫である。
「ほらほら、待ちなさいな」
「いやニャー!」
そちこちで入れ替わる猫へ、全速力を維持する霊菜の手は届きそうで届かない。ようやっと鬼ごっこの終わりが見えそうになったとき、ふと感じた気配を鋭敏に察知して、彼女は眼前の猫の思惑を読み切った。
「おっと、ダメージはちょっと遠慮しておこうかしら」
――胴の長い猫とは、撫でる容積が大きそうで魅力的ではあるのだが。
目の前に現れたそれに手が届く寸でで身を捩る。勢いを殺さぬままその場で一回転する間にしゃがみ込み、視線の先にあるまさか躱されると思っていなかったらしい体へ跳躍した。
「ふふふ、そろそろその魅惑の毛並みを堪能させてもらおうかしら」
たっぷり遊んで些かならず疲れたことだろう。霊菜の生み出した雪の結晶の如き盾のひんやりとした気配に囲まれて、猫は身動きが取れなくなる。迫り来る女の手が、既に暖かな毛皮を揉みしだき撫でるための動きを準備しているのを見詰めながら、猫はこの世の終わりのような顔をした。
「さあ、怖くないわよー。たっぷり撫で回してあげるからね」
「ニャー! ニャー!」
――などというのも触れるまでの話である。
一度捕まえてしまえば素直なものだ。すっかり従順になった猫の至福の表情に嘘偽りはない。むろん、同じような顔をした霊菜の方も同様である。
「はぁ……ふさふさもふもふで、本当に触り心地がいいわね」
ゴロゴロ鳴る喉の音もまさしく雷の如く響く。大きさが大きさであるだけに些かならず騒音になっているような気もしないでもないが、どんちゃん騒ぎの正義の妖怪たちの前ではそれも些事であろう。
ともあれ、高貴なお猫様の毛をたっぷり味わいながら、霊菜はふと降りて来た顔に手を伸ばした。
「猫というなら、ここなんて好きじゃない?」
顎の下を撫でてやれば余計に音が大きくなった。凭れかかるように体を預ける巨大な猫の質量も、重たい布団の如き心地良さであったはずである――多分。
●
「ふふん、猫と遊ぶだけでいいなら楽勝さ」
英国人としてみれば、斯様な事態はクールに、クレバーに解決せねば。
チェスター・ストックウェル(幽明・h07379)の眼差しが余裕の色で笑んでいる。何にも触れられなくなった体の代わり、得た力は彼の味方だ。まるで指揮棒じみて人差し指を振ってみせれば、空気の詰まったサッカーボールが音もなく宙に浮かぶ。
弾くような命令と共に、猫たちの眼前へ勢いよくボールが飛んだ。素早くトリッキーな動きをしてみせるものがあれば飛び掛かりたくなるのが動物の|性《さが》。殺到する山のような猫たちを横目に、余裕綽々のチェスターは手近なベンチに居座ることに決めた。
取り出したるはスマートフォン。画面には既にサブスクリプションのサッカー中継が用意されている。ここに来る前までの試合状況と、今の点差を見比べて、贔屓のチームの活躍を目に焼き付けようと視線wの落としたときである。
「このへんがひんやりするニャ」
「……は?」
思ったより近くで猫の声がした。
見上げたチェスターの前に猫の山がある。その後方にはどうやっているのだか、地中から伸びたままずいずい近寄って来る猫の群れ。そういえば今日の陽気は春めいているというより夏に片足を引っ掛けているようなありさまで、殊に東京は随分と気温が上がっていたな――と、思い出しても後の祭りだ。
肌寒ければ暖かい場所へ、暑くなれば涼しい場所へ。猫のそれは人間より遥かに鋭敏だ。即ち幽体の放つどことなくひんやりとした空気は、猫にとってそれはそれは魅力的なものだろう。
「ちが、俺じゃなくてボールの方に……! うわ!」
「ひんやりするニャー!」
うっかり浮かび上がってしまったのは半ば手癖のようなものだ。しかし何も考えずにいつもの通りに取った行動が仇となる。とっくのとうに興味を失くされていたサッカーボールが揺蕩うよりも、意志を持って猫から逃げようとするチェスターの方が、よっぽど楽しい|標的《ターゲット》だ。
無数の猫の群れがあの手この手で体を掠めるのを躱し、逃げきれぬと悟ればインビジブルと選手交代。実戦であればMVP待ったなしのハットトリックを決めているであろう機敏な動きは、悲しいかなゴールのない駅前の攻防では誰の喝采も浴びられない。
残ったのはどんちゃん騒ぎの妖怪たちと、満足するやめいめい帰っていく猫たちの間で肩で息をするチェスターだけであった。
「くっ、一試合こなした後よりキツい……誰だよ楽勝だなんて豪語してたやつ……!」
足許に転がったサッカーボールは知らぬげに、ブーメラン突き刺さる主を見上げていた。
●
飯田橋駅は絶賛猫に占領されている。
「ネコチャ……デッッッカイネコチャン!!」
見上げてなお足りぬほどの巨体は春を些か通り過ぎたような昨今の日差しに照らされて、光を反射し煌めく魅惑の毛艶で一文字・伽藍(|Q《クイックシルバー》・h01774)を誘っている。見渡す限りの猫山に負けず劣らず輝く彼女の双眸の蒼天が瞬いた。
「え、この子達と遊んでいいんです……?」
二つ返事どころか三つ返事。この体力の続く限り、全身全霊でどんちゃん騒ぎをするに否やはなし。とはいえほんの小さな人間の体で出来ることなぞ限度があるからして――。
伽藍の四肢が光を纏う。護霊もやる気充分、雲一つない晴天に負けず劣らずの輝きは猫の目を惹くに充分だった。
大量の猫の群れにて大騒ぎをするならば、やりようは一つ。
伽藍自身が猫じゃらしとなることだ。
浮かび上がる体はポルターガイストの恩恵を受けている。今日ばかりは罷り間違っても釘を飛ばしたりはしない。全力で飛び回るのは猫たちの手が届くか届かないかのギリギリインコース、伸ばされた爪の鋭い先端を巧みな操縦で見躱しながら、伽藍の銀の髪は爽やかな春風となった。
「つかまえ――ニャン!」
「ざんねーん」
むろん衝突事故に備えて憂いなし。展開しているのは不可視の盾だ。幾ら猫パンチといえども大きさのアドバンテージは重いのである。一撃でも喰らえば叩き落とされて地面に墜落するのは目に見えていた。
猫も伽藍も遊び足りないうちからノックダウンは本意ではない。躱され防がれた巨大な猫は、気勢が衰えるどころか野生の闘争心を掻き立てられて、いきり立つように毛を逆立てる。
「来いよネコチャン! 体力の続く限り!」
「まけないニャー! とつげきニャー!」
かくして地対空の攻防を続けること暫し――いよいよ膠着状態に陥ったところで、見詰め合う先のふわふわ毛並みに視線を遣った伽藍が、笑みの質を変えて手を組んだ。
「ところでネコチャンそろそろ触らせてもらえたり……」
「やニャ」
「ちょっとだけでいいから……」
「シャー!」
悲しいかな、猫の気分は未だノらないらしい。向こうから触れることとこちらから触れさせてもらうことには天と地、月とスッポンの差があるものである。高きハードルを説得のみで越えることを早々に諦めて、伽藍は再び姿勢を前傾させる。
「しょうがないネコチャンだなァ。よろしい、延長戦だオラァ!」
足許のクイックシルバーの輝きもマシマシといこうというものだ。再び飛び込む流星の如き銀色を、殺到する猫の群れがにょろにょろ追い回す時間は、暫し続く。
●
はてさて猫にも神性は宿ろうものか。このありさまを見れば何とか鎮守の猫と言えなくも――。
「……そうはならぬじゃろなあ」
ツェイ・ユン・ルシャーガ(御伽騙・h00224)の詮無い想像は目の前の猫に塗れた隘路に打ち消された。
個人商店とチェーン店の入り混じり立ち並ぶビル街の一角である。通行量の割にそれなり狭い道を所狭しと埋める猫たちは、果たしてただ構って欲しいだけらしい。
何とも愛らしい。猫らしく無害である。巨大な体を除いては。
「よしよし一寸待っておいで、力は惜しむまいて」
幾度か頷いたツェイの腕が大きく広げられた。煤色の仔狐がくれた待雪草の幻影が淡く煌めいて、請われた願いが顕現する。
およそ上空十間ばかり、暢気な太陽の光よりも燦然と輝く『|超跳大球《すーぱーぼーる》』が顕現する。術者が宿した鮮やかな焔の白群色を映し取るようなゴムボールの軍勢は、差した影――或いは光――に一斉に顔を上げた猫たちへ降り注いだ。
「そら、参るぞ」
「ニャー!?」
ぽよん、とも、ぼてん、ともつかぬ音で、無数のとてつもなく弾む大球が五月雨さながら降り注ぐ。どれもこれも山のような巨大な猫にとってみれば人間の見るスーパーボールとさして変わるまい。肌に優しい設計のそれが額に当たれば方向を変え、電柱にぶつかっては襲い来て、猫たちはすっかり夢中だ。
伸びる胴体で追い回し、またそれに当たって奇妙建築の方へ飛んで行ったのに手を伸ばし、狭い額にぶつかったのを取ろうと空中を掻き、そうこうしているうちに新しい|玩具《ボール》が飛んで来る。ツェイの方でも動きを追うのに夢中になっている間に、ふと頭上に光が差したのに気が付いた。
「おや? ……しまった」
――巨大な猫にとってはごく小さなボールでも、人間とさして変わらぬ大きさにしてみれば洒落にならない落下物。その直下に長らく留まることで何が起きるかは、想像に難くない。
避けるか。
否。
「宜しい――我とて半分は妖」
鷹揚に広げた両手に宿すは連綿紡ぐ祖の血の片割れ。|妖怪《かれ》らが宴を百鬼夜行と言うならば、半身のツェイにも並ばう権利はあろうとも。
どこへ落ちるだか跳ねるだか、分からぬゴム球は猫に似る。であらば数が増えたとて同じこと。どちらも纏めて、この一身に受け止めるも、また条理。
「大いに戯れて差し上げよう」
高らかな宣誓は麗らかな春の日差しに響き渡って、落下するにつれ思ったよりも大きいことが分かって来たスーパーボールが降り注ぐ。己の顔より一回り小さいか、小さかったところで焼け石に水か、無情にも降り注ぐ雨霰の大きさに広げていた手を戻す。
「あわわ待っ」
ギブアップの声は、無機物と重力の立てる気の抜けた音に遮られた。
●
「みて! 祝光!! 大きなイースターキャットがいるよ!」
「どこら辺がイースターなんだ?」
青く長く伸びる猫の群れは、あまり春の祝祭に関係あるような気もしない。
しかしエオストレ・イースター(|桜のソワレ《禍津神の仔》・h00475)が通った道こそがイースターであるように、彼が指を差して叫べば即ちそれはイースターなのだ。今すぐイースター仕様に街を塗り替えないだけでも、此度は平常運転より落ち着いているともいえよう。
エオストレが通常運転ならば、果たして隣で猫を見上げる咲樂・祝光(|曙光《アルナ》・h07945)の半目も同様であった。幼馴染みのハイテンションに最早口癖の一種のようになったツッコミを添えて、二人の一連の登場が完成するといっても良い。
しかし――祝光の眼前には見渡す限り猫が生えている。どれもこれも暇を潰すように、或いは獲物を狙うように周辺を見渡しては伸びたり縮んだりしていた。そのたびに揺れて陽光に煌めくつやつやの毛が彼を魅了する。
触れたらどれほどふわふわしているだろう。思う存分撫でて、妙に長い胴に埋まったりなどしたらどんな感覚がするだろう。高鳴る胸は目を離せない。むずむずと込み上げる心地で夢中の祝光は、それゆえ幼馴染みの挙動に気付かなかった。
「……祝光?」
一向に動き出さない彼の横顔を、桜吹雪の眸が至近で見詰める。
頬が赤い。まるでパートナーを語る父のように。相生結びの眼差しにも熱と煌めきが宿っている。瞬きを二、三回、エオストレは唐突に真実を悟った。
「もしかして祝光って兎より猫派だったりする?」
「うわっ」
思えば相棒も猫である。まさか、あり得ない想定だが、隣にいる世界で一番可愛いイースターラビットを差し置いて、にょろにょろ伸びる妖猫の方が可愛いだなんてことは――。
他方の祝光は至近の声に飛びのいた。全く気付かない間に距離を詰めていた幼馴染みに抗議の声を放る。
「うわっ、なんだよ卯桜! 近いぞ! 別に猫派とかそういうのじゃないし」
「でも、ミコトは猫だよね?」
「ミコトは勝手に着いてきたというかなんというか」
かくして祝光は一人と一匹の地雷を踏んだ。
じっとりと目を眇めて睨まれても、彼に心当たりはない。どうにも気まずい空気の中で、浅く息を吐いたことには――。
「でも君はともかくとして猫も可愛いから仕方ないだろ」
二度目の地雷を踏んだ。
いよいよ頂点に達した感情のままにエオストレが駆け出した。兎が跳ねるに似た調子で手近な猫に突撃する。
「みて、祝光! 猫をぎゅってする僕のが可愛い!」
「お、おい! エオストレ! そんな急に飛びついたら嫌がる──」
猫の方に気が向いているのがなお気に入らない。腹いせに強くしがみついてやろうとした彼の思惑は、しかしにょろにょろ伸びる猫によって見事に空を切った。
「くっ! 避けるなー!」
「しゅぎょーがたりないニャー」
兎さながら跳ね回るエオストレを猫じゃらし代わりにするように、猫は自らの体をくねらせていた。
どちらが構われているのか分からぬ大騒ぎを見遣った祝光の唇にごく自然と笑みが零れる。耐えきれずに笑った声を振り返る余裕もないが、その声音はエオストレの長い耳に確かに届いている。
「はは! これはこれで楽しいな」
どうも猫の方におちょくられている気もするが、その腹立たしさも後方の笑声に和らぐようだ。祝光が心から笑っているならば、寛大な禍津神の仔は許してやらないでもない。
「それはそれとして僕のが可愛いから!」
「はいはい」
可愛らしいから眺めていよう、むろん、猫が――眼差しが譲れぬ主張を繰り返すエオストレと猫のどちらに向けられているのかは、祝光のみ知ることである。
●
曰く大きい猫がいるというので。
いざ降り立った飯田橋駅へ続く道は、大騒ぎの妖怪たちの陽気な声をバックに林立する猫に占領されていた。
「……思ったよりでっかい」
市販の羽根つき猫じゃらし片手に見上げた天雨・汐璃(レイニー・リフレイン・h09450)の声も、もこもこの毛並みに吸い込まれていく。果たして人間サイズの玩具が役に立つのだかどうだか些か不安になって来るところだ。となれば。
差した影の裡より猫が現れる。漆黒のそれは主に従順に寄り添って――。
「シャー!」
――寄り添っていはいるが、ご機嫌は斜めだった。
眼差しはどうやら眼前の巨大な猫に注がれているようだ。背を丸めてやんのかステップを踏む声なき仕草を読み取った汐璃の指先が、こちらはこちらで柔らかな毛皮を撫でてやった。
「もしかして対抗心とか燃やしてたりする?」
イエスともノーとも返事は戻らぬが、心は十全に伝わった。不服そうな黒猫をよしよし撫でる手は止めぬまま、汐璃の眼差しはより巨大な猫の方を見詰めている。
「あとで遊んであげるから、今はあのでっかい猫さんと一緒に遊ぼう」
渋々――といったふうではあるが、黒猫は了承した。
飛び出していく影の同族の気配に鋭敏な猫たちが振り返る。眼差しは途端にもう一人、猫じゃらしを構えた汐璃にも注がれた。煌めく眸はようやく現れた遊び相手を離すまいと熱視線をくれている。
「ニャ! あそぶニャ!」
そんな声を聞いたら槍が降ろうが遊んでやらねばなるまいと思うのも、また|猫の奴隷《にんげん》の|性《さが》か。
猫じゃらしを揺らしてやれば飛び掛かって来る体を避ける。自由自在にくねり、伸びては縮む巨体を躱すのはそれだけで一苦労だ。影の猫が支えるように戻って来てくれたのを良いことに、追いかけっこに移行する。
早速上がった息を整えるため、遮蔽物を使って隠れてみるのはかくれんぼのような気分にもなるが、こちらは大きな体と猫の目敏さに負けた。隘路にちょいちょいと伸ばされる手と爪に微笑ましい気持ちになりながら、汐璃はその手に抱き着いてみる。
「つかまえたっ」
「んニャー! つかまったニャ」
長らく一緒に遊んだお陰で猫の方も気を許してくれたらしい。巨体をなすがまま横たえた妖怪の毛並みは実に素晴らしい感触だ。ふさふさももふもふも心ゆくまで味わう傍ら、あれほど威嚇していた影の猫は知らぬげに顔を洗っている。
逸らし合う眼差しは和解というには些か遠く、しかし敵意のない証。背中だけをくっつける格好もまた、猫らしい愛情表現であったのかもしれなかった。
●
見上げるほどの猫、猫、猫。林立して陽光を遮るそれらの下で、どんちゃん騒ぎの妖怪たちに紛れながら、狩々・十坐武郎(春霞の訪れ・h09497)は感嘆の息を零した。
「でけぇ猫だな……」
猫を満足させる方は兎も角としても、人間側からすれば遊ぶにせよ撫でるにせよ大満足のボリュームに間違いない。
さて――やるからにはプランニングは十全である。まずは心を許してもらうことが肝要だ。距離を近付けるためには慣れるところから、折角であるならば撫で回して満足したいところだ。
「ほーれほれ。じゃれろー」
「ニャ! ニャ!」
猫じゃらしは効果覿面である。トリッキーに体に隠し、地を這わせて宙に向ける。目で追う動きを一頻り楽しんだら、次は餌付けだ。
十坐武郎が取り出したるはあらゆる猫という猫を虜にするおやつである。においだけでも目を輝かせるところ、指先に取って差し出してみれば食い付きは良好――。
「あっぶな!」
――良好すぎて十坐武郎ごと口の中に収まりそうだ。迫り来る巨大な獣の口に身震いするのは致し方なく、落としたパッケージの方に興味が移ったのは幸いだったといえようか。
ここまで来たら後は仕上げだ。おやつに夢中の大きな体に触れてみれば、すっかり捕獲されてしまった猫の方も、まあ良いか――といった調子である。
「でかくてふわっふわだ〜」
撫で回すだけでなく毛並みに手を埋めてもみる。ふわふわの毛並みは引っかかり一つなく腕までもを呑み込みそうだ。その間にもおやつを食べ終わった猫が逃げぬよう、猫じゃらしを空いた片手で動かしてやることも忘れない。
何しろ猫とは気紛れなものであるので。
飽きてしまえば弾き飛ばされても文句は言えぬ。元より人間は猫の奴隷のようなものであるからして、立場は根本的に猫の方が強いのだ。
一頻り撫で回し、手に残る感触も楽しんだ。ここからが十坐武郎の正念場だ。
「……遊んでやるか」
「あそぶニャ!?」
背中に括りつけた紐はちょうど尻尾のように腰の周辺から伸びる。歩けば揺れるそれを背にして走ればどうなるか――。
人間猫じゃらしである。
殺到する猫の間を体力の限りに走り抜ける。ある種の修行のようなありさまだが、一つ違いがあるとすれば、野生に我を忘れた巨大な猫の大群に掴まったが最後、その爪の餌食になる絵面が脳裡に焼き付いていることだ。
しかし猫がついて来る音と声を背負って走るのは楽しいものである。結局は限界を一つ越えてなお限界といったところで、ようやく十坐武郎の足が止まった。
「疲れた……」
喘鳴めいた呼吸と共に零れる声には心底の疲弊が乗った。それでも――。
振り返れば嬉しげに地中に消えていく猫の顔を見れば、満足感の笑みが唇を彩るものであった。
●
「でかっ」
些かならず急な坂道を埋め尽くし、春の日差しを遮るは猫の群れ。めいめい立ち並ぶ店に影をかけながら、にょろにょろ気儘に伸び縮みする巨体を見れば、ルスラン・ドラグノフ(月白・h05808)の唇から零れ落ちる呟きめいた感嘆を打ち消すすべもない。たとえ目の前にいるのが妖猫で、元より通常彼が猫として認識しているものと大いに異なる以上、些少の身体的特徴の差異にツッコミを入れるのが野暮であろうとも。
ともあれ猫というのであればモフるも流儀だ。無防備に伸ばされた手は巨躯の頂点にある目には見えるものでもなかったように思えたが、いかなる感覚によってか動物というのは鋭敏に迫る脅威を感知するものである。
「くせものニャ!」
「なるほど」
器用に手を避ける仕草は半ば芸術的ともいえる。事前に星詠みの言っていた通り、近付くのは良くとも近付かれるのは大層嫌がる性質らしい。
とはいえ。
それで尻尾を巻いて引き下がるルスランではない。一度手に触れたが最後、あらゆる――とまでいったら誇大広告かも分からないが――そこそこの動物は腹を見せて夢中になると自負している以上、いかにしても美しい毛並みに触れねば気が済まぬ。
愛用のコンパクトロッドを展開、糸の先には猫を傷付けるような針は取り付けず、代わり鼠の形をした小さな玩具を取り付ける。漂う香りは人間にはさしたる魅力も感じさせないが、猫にとっては覿面の効果を発揮するはずだ。
慣れ親しんだ要領で狙うは魚ではなく猫。地上に蔓延る巨体が何かを察知したように体を捩ったのを合図に、ルスランの手許で鼠が誘う。
「よーしおいで〜」
「またたびのにおいがするニャー!」
テクニックは抜群だ。あの手この手でまるで生きているかのようにしなる鼠に飛びつき、散った香りに絆されて、殺到した猫たちはルスランの提供する玩具にすっかり夢中になっている。
またたびの香りが気を惹いてくれている間に伸ばした手は、先までの警戒に満ちた回避の餌食にはならなかった。吸い込まれるように毛並みに埋まる掌に捕まってしまえば、いかに巨大といえども猫になすすべはないのである。
「撫で撫で〜」
心地よさそうに顔が蕩けていくのを満足げに見遣り――しかしルスランは忘れていない。ほんの身動ぎの間に我に返ってしまった猫の爪が恐ろしい武器であることを。
「ニャ! なにを……」
「おっと、こっちだ」
果たして野生の本能は正直である。不穏な気配をいち早く察知した青年が再びしならせたロッドの方にすっかり気を取られ、先までの不愉快を忘れた猫が、坂をにょろにょろと伸びていった。
●
ヘリコプターが飛んでいたならば素手で引き摺り下ろせもしただろうか。
見上げた先の巨体は|二匹《ダブルス》どころではなく林立していたが、葦原・悠斗(影なる金色・h06401)の台詞もまた茫然と口から零れ落ちた。
「……いや、デカすぎんだろ──」
辛うじて猫と判別がつくのは毛艶の良い体が目の前にあるからだ。それと鳴き声。どんちゃん騒ぎの正義の妖怪たちとEDENらに構われ尽くして幾らか数を減らしてはいるが、退屈そうな猫らの獲物を探す姿はまだまだ健在だ。
――数はとんでもないし巨大すぎるが、まあ、それはそれとしても。
兎も角遊んでやれば満足するのだというのであれば否やはない。悠斗にはお誂え向きの√能力も宿っていることだ。
翳した掌より黒い炎が顕現する。そのどれも人の耳には聞き取れぬ超音波を放ち、悠斗の意のままに――そして感覚を共有して動き回る。本来であれば索敵や哨戒のために利用する力だが、さりとて用途を厳格に限定する意味もない。指先一つで散開していくそれらから送られて来る情報を頼りに、悠斗はさながら人魂の如く黒炎を扱うことに決めた。
ちょうど猫の視界に入る周辺、遥か上空だ。しかし音や視覚を頼りにすれば状況把握に支障はない。時に素早く、時に緩慢に、不規則な動きをしてみせるものは野生の本能を大いに刺激するはずだ。
いわば宙に浮く猫じゃらしのようなものである。思惑通りに目の色を変えて追い始める姿に会心の笑みを浮かべて、悠斗の声が猫を呼んだ。
「ほーれ猫! こっちだぞ猫! できるもんなら捕まえてみやがれ!」
「ニャ! せんせんふこくニャ! うけてたつニャー!」
意識を集中しながら黒炎を操る脳裡には、まあ己一人のことであれば端から退治してやっても良いのだが――と、些か物騒な考えが過ぎる。
とはいえ悠斗が自身の面倒よりも優先するのはもう一つの人格だ。アナザー・ペルソナはこの戦いのことも知る由もなかろうが、万一にも所業が共有されたときに悲しませるようなことはしたくない。いかに巨大な妖怪であるといっても、可愛らしい猫の姿かたちをしているのに変わりはないわけであるから、己の拳が殴る斬るの暴行を働いていたと知ればショックを受けることは想像に難くなかった。
それゆえ、単純な実力行使は封印だ。今のところ無害な猫たちが炎に戯れるのを躱しながら、悠斗は指先を翻した。
「満足するまで遊んでやんよ」
――果たしてそれまでどれほど時間がかかるのかは分からぬが、最後までやり抜ける意志は堅固だ。
●
絶賛駅前を占拠している猫の群れは、まだまだ遊び相手を探している。周囲を見渡しながら索敵ならぬ索玩具を行っている猫を見上げて、屈託のない笑顔が弾んだ声を零した。
「わぁ……おっきい猫ちゃんだぁ。可愛いねぇ」
ノイル・リースロス(|闇に揺蕩い影に詠う《ニュイ・エ・ノワール》・h08142)の唇を彩る表情は見目の年齢に相違ないように思えた。愛らしい猫の群れを見てしまえば斯様に表情筋も緩もうというものだ。こればかりは人間だろうが人間災厄だろうが変わりのない真理である。
しかしその横に在る者にとってはそうでもない。
「ノイル、前から思っていたのだがね。猫をどうこうする依頼を見かけたら私を連れてくるのをやめないかな」
目を伏せた二足歩行の黒猫――イヴォシル・フロイデ(|鷹追い《たかおい》・h06554)の小言は続く。かれこれ付き合いは長くなるが、この悪癖というべきか何というべきか分からぬところは直らないと知ってもいるのだが。
「私は確かに猫の見た目をしているが、中身は猫ではないからね。特に和解とかは、できないからね?」
「その君の何だかんだ云いつつも付き合ってくれる処好きだよ。と云う事でちょっと失礼」
「聞いてないだろう君」
適当さがひしひし滲む相槌と共に、ノイルの手がイヴォシルの腹に回った。何やかんやと己の二足でここまでついて来てしまったイヴォシルは、果たして女が案の定巨大な猫の周囲をうろうろし始めるのにも無抵抗だった。
ノイルの方は矯めつ眇めつ巨大な猫の前を歩き回っている。いかんせん大きすぎるばかりにちょうど良い画角が見付からない。離れ、近付き、しゃがみ、立ち――幾らか繰り返したところで最高のポジションで立ち止まった彼女が、黒猫を下ろして座った。
「うん、可愛いね」
近距離の猫と遠距離の猫が同時に見える。
一頻り満足したところで立ち上がった彼女が思案を幾らか、やがて思い至ったのは己の扱う闇の裡の獣だった。人間からすれば恐怖を覚える大きさの狼も、これほど巨大な猫であれば小動物も同然だろう。
呼び起こした漆黒の狼が走り出す。足許をすり抜け、毛並みを絶妙に刺激して狩猟本能を喚起するそれを目掛けて、猫たちは一斉に飛び掛かった。
「なんかいるのニャ!」
鋭い爪も機敏な動きには敵わぬ。伸びては縮み、器用に地面から飛び出たままで遊び回った猫たちは、しかしやがて満足したか疲弊したか動きを止めた。それを待っていたとばかりに近寄るノイルの影を気に留めることもない巨大な猫にあやかって、彼女の手は大きな掌に触れた。
「もっふもふだね……肉球もふわぷにだね……」
なんといっても己ほどに大きいわけであるから格別だ。普段ならば指先でしか味わえない感触を掌全体に受け入れる彼女の姿を、イヴォシルは幾分後方から眺めていた。
出来ることがあまりない。俊敏に走り回って遊び回るような歳でもないし、そも猫の姿をしているだけで猫ではないわけで――。
深遠な思索に傾きかけた黒い体に、ふと巨大な質量が押し付けられた。見れば猫が寄って来て、巨大な舌を伸ばしているではないか。
「こら、私は君たちの仲間ではないから、すり寄らないでくれるかね。毛づくろいも、大丈夫だから」
「ニャー。ねことわかいするのニャ」
「……まあ、君達が楽しいならそれでいいがね」
半ば諦めるような気分で受け入れている黒猫に、満悦の表情のノイルが気が付いた。振り返れば猫と猫が戯れているではないか。その姿の魅力的なことたるや。
「えっイヴ何それかわいい。ずるい……!」
「……ずるい、かね。これが」
嫉妬なのだか愛らしさの青天井なのだか分からぬ声を受けながら、イヴォシルは巨大な猫の舌で、暫しざりざりと鑢がけをされる羽目になった。
●
星詠み曰く、満足すれば害はないらしい。
見上げた先の猫たちの眼差しは、確かに鋭くもなければ害意を宿してもいない。見慣れた猫らしい気紛れと退屈を映すばかりで、このままでもさして問題はないように見えるが――。
駅前に林立した先には人々の生活の場が見えている。このまま通せん坊をされていたのでは、確かに大いに困ることだろう。
それで、神隠祇・境華(金瞳の御伽守・h10121)と小弓・佐倉(夜黒の椿・h08163)は顔を見合わせた。示し合わせたようなタイミングも友情の通じ合うが故か、心に浮かんだ決意もまた同様だ。
「小弓ちゃん、ここは全力で遊んで、満足していただきましょう」
「うん。いっぱい遊んであげて、って、言ってたね。……よし」
表情は変わらぬながらも小弓は気合十分である。小さく両手を握り締めて頷いた彼女の意志に応えるように、纏わる護霊は声を聞いた。
「ヤグロ、虹色モード。片手あっち、片手こっち。虹色鬼火、大きなボールにして、キャッチボールぽんぽんして」
呼ばわれたものは声なく応ずる。現れたるは|虹色《ゲーミング》鬼火。一六八〇色の煌めきはみるみる巨大な球形に固まっていく。ただでさえ目を惹くそれは、更に隠れることも許さぬ好奇心の誘引力を以て、猫の前へと差し出された。
「ヤグロさんの虹色の玉、綺麗ですね……」
思わず声を零す境華の視線も導かれてしまいそうだ。早速飛び掛かって来る猫たちの間を自由気儘に跳ね回るそれを眺めているのも楽しいだろうが――。
彼女にもやることがある。
背後より現れる霊布の群れが境華より伸びていく。軽やかに手繰れば即席の猫じゃらしの完成だ。風と術者の動きに加え、纏う霊力によって柔らかく不規則に揺らめくそれも、また虹色の炎で輝くボールと同じだけ猫の目を惹いている。
「こちらですよ」
「ニャッ!」
目の前でこれ見よがしにふわふわ揺れれば逆らえようはずもない。誘惑に負けて飛びついて来た巨体に、目を丸くしたのは小弓の方だった。
「あっ」
――あの勢いでは。
巨大な体の下敷きになってしまう想像で小さく声が漏れる。しかし境華の方はそれも想定済みだ。己と小弓が潰れぬよう、猫も勢いあまって怪我をしないよう、霊布が質量を受け止めて受け流す。
明らかに人間が受け止められぬであろう大きさを一度しかと受け入れたにも拘わらず、布には傷もほつれも、むろん破れも見当たらない。思わず幾度か瞬いた小弓の唇からは感嘆の吐息が零れた。
「境華ちゃんの布、すごいね……?」
「霊力が籠っていますからね」
さて。
猫は随分と満足してくれたようだった。一度受け流されて地面に転がったところから動く気をなくしているらしいところに、そっと手を伸ばした二人の指先は簡単に受け入れられた。
「ふわふわ……だね」
「そうですね。大きいふわふわは普通の猫さんとは違った良さが……」
大きければ大きいほど可愛さの容積が増えてお得だ。小さければ小さいほど可愛さが凝縮されていてお得である。どちらも甲乙つけがたい良さがあるが、これほどの巨体と戯れる機会はそうそうあるものではない。
一頻り撫で回し、顔を埋める権利迄も特別に与えられながら、二人は思う存分猫との時間を楽しんだ。果たして巨躯の方も帰り支度を始めたようだ。最後に一度、毛並みを軽く撫でやって、境華の声が問いかける。
「道を開けていただけますか?」
「しょーがないのニャ」
――最後まで猫らしい物言いで、不遜な体は地面に潜っていった。
その感触の余韻を指先に感じるまま、小弓が僅かに目を細める。満足げな表情と共に零れた声は、心なしか満足げにも響いた。
「一緒に遊んで、一緒に満足して……うぃんうぃん、で、解決……だね」
●
神楽坂は絶好の晴天である。どんちゃん騒ぎの宴会が陽光に煌めいて、猫の毛艶もますますよく見えるというものだ。
ものだが。
「猫デッッッカイですね!?」
「いやはやデカいですねぇ」
殆ど同時に正しい感想が出力された。この頃は随分と表情も豊かになって唖然とした顔も幾分分かりやすくなった茶治・レモン(魔女代行・h00071)の横で、日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)の顔には常の感情の読めぬ笑顔が張り付いている。
此度の――此度も、というべきか――芥多は余裕綽々である。
「まぁ遊べばいいだけとなると余裕ですね。俺、動物の扱いは結構上手いほうなので!」
「そうなんですか? 猫好きとして、僕も負けてられませんねっ」
嘘か真かてんで分からぬ言葉を真に受けるのは幾度目か。騙され尽くしてなお素直なレモンの感性は、ともあれ素直に奮起した。
猫は大きくても可愛いと証明されたが、それとして小さくても可愛いのは事実。意気揚々と呼び出すのは悪戯な小さい猫たちのパレードだ。何といっても|主《ねこ》の愛しさは変わりはせぬ。|人間《どれい》に出来ることは、ただかの奔放で傲慢なる愛らしい存在に服従することのみだ。
「どうですか、この猫たちのパレード! あの猫もこの猫も、どの猫も楽しそうでしょう!」
「ニャ……ニャ……」
同族の楽しげな姿は何より気を惹くはずだ。巨大な猫も小さな猫も、そうでない猫も一緒くたに、百鬼夜行より騒がしいパレードに混ざって遊ぶに違いない。
他方――。
豪語した芥多はしゃがんで手を広げた。従順な白柴が駆けて来るのを受け止め、懐から取り出したるはブラシである。
「えだまめー、おいでおいで」
あれほど巨大な猫にしてみれば人間も小動物と同義。となれば中型犬なぞただの真っ白な毛玉にしか見えるまい。助手の毛を綺麗にブラッシングしてやったら、甲高い音を立てる小さな鈴をつけてやる。大人しく尻尾を振る犬は、此度は臓器の運搬役ではない。
「よし、自由に走り回っておいで」
「わんっ」
良い返事であった。
飛び出したえだまめの姿が猫の間に消えていく。楽しく走り回る全自動クソデカ猫専用ねこじゃらしを尻目に、主の方は伸びた猫の胴体に飛び乗った。夢中になっていれば自慢の毛並みをベッドにされることにも気付かぬあたりは動物らしいといえようか。
飛び出したえだまめは猫のパレードにご満悦のレモンの横を駆け抜けた。超スピードを見逃さなかった眼差しが大きく瞬く。周囲を見渡せども主の姿が見当たらない。
「あれ!? えだまめ!? あっ君は……?」
右、左、前、後。どこにもいない姿を求めてレモンが視線を巡らせた先は上空だった。伸びた猫の胴体がにょろにょろと動き回る中に、赤髪が揺らぐのが見える。
「なんで猫の上で寝てるんですか? ズルい!」
「一緒に走り回る元気なんてないんですよ、大人には」
こういう局面は要領よくクレバーに乗り切るのも大人の処世術。悠々と休むのもまた賢者の褒賞の一つ――。
と言いたいところだが。
「ちなみにここ、クッソ揺れまくるので実は居心地最悪です」
赤裸々な台詞と共に芥多が振り回されている。脱力とも茫然ともつかぬ心地で肩を落としたレモンが溜息一つ。
「寝心地が悪いなら、スッと降りてきなさい。降りて来ないなら……こうです!」
「ニャー!」
悪戯な猫のパレードに巨大な猫まで迎え入れ、毛並みをベッドにしている芥多に突撃する。耐えきれず衝撃で落下する彼を迎えたのは、大小の猫たちの毛皮と温い毛皮の感触だった。
「猫に埋もれるのも良いものですよ、あっ君!」
「本当にふざけたことしますよね!」
もみくちゃの猫たちに踏まれ運ばれる男の声に、レモンが幾分満足げな顔をした。
●
同音異義語の恐ろしさとでも言うべきか、跨ぎかマタギかで随分意味合いが変わってしまう。
銃を向けるつもりも狩り取るつもりもないとはいえども知識があれば並べるのも必定か。和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)は腕を組んだまま、街並みと猫には似つかわしくない猟の格好を思い浮かべた。
「文字が違えば、物騒な響きになるが……」
「ねこって伸びて零れ落ちますし、長いならまたぎましょう」
他方の現代大学生、不忍・ちるは(ちるあうと・h01839)にはマタギが何なのかは分からぬ。ともあれ隣のちかいひとと共にやるべきは、目の前の猫の軍勢を何とかすることだ。
蜚廉も頷いた。力で全てを捻じ伏せる――というわけではないが、だとして相手は妖怪の一種である。単なる猫とは一線を画す存在であるのだから、こちらも相応の覚悟で相手をするべきであろう。
「相手は妖。ならば我らも全霊で挑もうか、ちるは」
「はいっ。全力で挑まない選択肢はありませんからね」
――幾度か小刻みに頷くちるはに眦が和らぐ心地がしたのは兎も角。
二人の移動手段は同様だ。インビジブルと入れ替わりながらの転移を繰り返す|共色《おそろい》を駆使し、互いに定めた合図で離れすぎぬように遣り取りをする。
「ニャ! ふたっつあるニャ!」
殊に蜚廉が奏でる鈴の如き音には興味を惹かれているようだ。卓越した武ありてこそ避けられる猫パンチは、何とはなしに和やかな心地にしてくれる。ちるはの表情も思わず緩もうというものだ。
しかし。
二人の目の前にある、猫が入れ替わった後のインビジブルの姿。
やたらと胴が長い。にょろにょろと気儘に動く姿に、そわそわうずうずと熱視線を送るちるはの心を察知して、蜚廉が大きく頷いた。
「やはりちるはも、あの姿には心惹かれるか。傷を負うと分かっていても、抗いがたい魅力に溢れているからな」
「はい、すごく……でも、そうなんですよね、ダメージが――ダメージが……」
――ダメージがあるから何だ。
思わず伸ばした手は理性と感情の葛藤に苛まれている。おそるおそる、引っ込めるかどうか最後まで悩みながらの指先を感知しながら、蜚廉はふと吐息を零してその掌を己の指で絡め取った。
「伸ばす気持ちはよく分かる。だが、危うい目に一人だけ、というのは良くないな、ちるは」
「蜚廉さん」
「挑むなら共に……だ」
二人揃って伸ばされる手には躊躇の色はない。触れた手から痺れるような霊気とも妖気ともつかない痛みが走るのも、一緒であれば耐えるに気合いも要らないほどだ。
「……ふふ。また一つ、共有出来る事が増えたな」
「――はい」
感動は猫に触れ得たことゆえか、それとも二人同じ感覚を得られたことゆえか。どちらにせよ、柔らかく絶妙な毛並みの感触は、二人の心に忘れ得ぬ挑戦の褒美を刻んだ。
そうこうしているうちに猫の気勢も削がれたようだった。ふよふよと寄って来る身へ、先に問い掛けるのは蜚廉だった。
「猫入道も、疲れただろう? そんな体は癒すに限る。このねこじゃすりで、仕上げと行こうではないか」
「ねこ……じゃすり? ニャ?」
「物は試しだ。ちるは」
「怖くないですよー」
手渡された道具をそっと毛に当てる。そのまま表面を撫でてやれば、蕩けるように崩れ落ちた猫の喉から雷もかくやの特大ゴロゴロが鳴り響いた。
掌で撫でやる心地も、先の胴長の猫とは些か異なる感触だ。あまりの心地良さで目を閉じて溶けていく巨大な猫を二人で挟んでやりながら、ちるはの唇からは充足に満ちた声が零れた。
「構い倒すってご褒美タイムですね」
これほど大きな猫の毛並みに身を埋めることが叶うのも――二人お揃いの時間が増えていくのも。
●
「啊!」
天高く暢気な陽光に犬の吠える声が響く。
「小猫咪! 来陪我玩吧!」
黑・宵刃(|无貌《Wúmào》・h12479)が陣取っているのは、坂に立ち並ぶ高層建築の屋上だった。内部からは鎖された空間も壁を伝って登攀すれば何のその、生物としては長躯の兄姉を全員縦に積み上げて届くか否かといった大きさの猫の群れの貌と並ぶのも簡単なことだ。
大きいことは良いことである。それだけ頑丈で強いからだ。ともあれまずは視線を外し、敵意のないことを証明しながら、尻尾をぴんと持ち上げた犬はゆっくりと歩みを進める。その姿を視界の端に捉えた猫が首を傾げた。
「おまえ、ひとじゃないニャ?」
「犬です!」
「いぬ……いぬニャ?」
中身は――の話だ。外見は寧ろ人間に近しいが、結局のところは人間相手より四つ足の獣の方がやりやすい。
宵刃の仕草は敵意を示さぬから、猫らの方も地上を走る人間たちよりは気を許したようだった。それで、犬の方も溌溂と声を張る。
「来吧、何をして遊びましょうか?」
「おいかけっこするニャ!」
「いーニャ、かくれんぼがいいニャ!」
「いぬにまけられないニャー」
寄って来た猫たちの言い分は気儘である。何やら対抗意識までも芽生えているところからして気合いは充分であるらしい。となれば――。
遊び好きの犬が、舌を見せるように笑うのも、当然の帰結である。
「良いですよ! 全部やりましょう!」
ビルとビルの間を飛び回り、物陰に素早く身を隠す。宵刃は一人であっても|一つ《・・》ではない。体の裡より現れた影の犬たちもまた彼女と同様の意志を持って自在に駆け回る。チョイチョイ伸びて来る爪に戯れに触れ、様子見の猫パンチはビルに取りついて遣り過ごす。
太陽を遮って空を跳び、建築物の隙間を跳ねて、ほんの狭くひどく広い世界の全てを使って――。
「哎呀、もうお疲れですか?」
「ニャー。おまえ、たいりょくありすぎニャ」
宵刃が良い汗をかいた頃には、猫たちはすっかりへたり込んでいた。
犬としてはもう暫し走り回りたい。しかし終わりだと言われれば終わりにするのも致し方のないことである。首を傾げた宵刃の眼差しは、獣らしからぬ己の手と、獣らしい毛皮の間を一往復した。
「では最後に――この五指で撫でてさしあげましょう」
「やニャ! シャー!」
「まあまあそう厭がらずに。人間の指というのは、随分|好い《・・》そうですよ」
何しろ宵刃も髪を撫でてもらうのは好きであるので――。
これが全身の毛並みであれば、どれほど嬉しいものかはよく分かる。触れた指先に速攻で陥落した猫の雷じみた喉鳴りを聞きながら、犬は初めて、いたく満足そうに微笑んだ。
「――ご満足いただけたのならば何よりです!」
●
陽光に煌めく毛艶は幾らか数を減らし、しかし未だ飯田橋を我が物顔で占拠している。
神社へ続く看板を隠すように聳え立つ一匹を見上げる鴛海・ラズリ(✤lapis lazuli✤・h00299)の眼差しは鎖す双眸には映らぬが、クラーラ・ミュスティアウゲン(閉ざした瞳の武侠剣士・h12663)の鋭敏な第六感は彼女の喜びの気配をよく伝えてくれる。そして、眼前の猫の巨大さも。
さしもの剣豪も倒せと言われれば躊躇するだろう。何しろ害意なき愛らしい獣であることはよく分かる。弾む声で笑うラズリも、消滅していく猫を見てしまえば悲しむに相違ない。
「これはもうたくさん遊ぶしかないですね、クラーラ!」
「ええ。ラズリさん、彼らと遊んで差し上げましょう」
満面の笑みを刷いたラズリの前で、徐にクラーラの指先が己の懐に伸びる。迷いなく掴み取ったのは――。
「見せてあげましょう、猫じゃらし三刀流を」
錬金術で強化された専用猫じゃらし、それも三本。むろん口で咥えるわけではない。手に残すのは一本のみ。残りの二本は中空に浮かべて、後はいつもの通りにやるだけだ。
剣がふわふわ猫じゃらしになった程度で腕は落ちぬ。巧みな剣捌きならぬじゃらし捌きに翻弄される猫たちを、ラズリは圧倒されたような眼差しで見詰めた。
気紛れにゃんこのもふもふタイムは未だ遠い。魅惑の毛並みに誘われながらの長い耐久に唇を尖らせそうになったのも忘れて、軽やかに中空を舞う猫じゃらしと飛び掛かる猫たちの巨大な肉球に目を奪われる。ラズリの方が、さながら猫が興味のある獲物を追い掛けるが如き様相だった。
「さすが剣士なクラーラ……」
「んニャッ、ニャッ、こしゃくニャ!」
抗議しながらも楽しそうな猫が雪崩の如くにょろにょろ襲い来るのを横目に、己一人の限界を悟ったクラーラの目隠しがラズリの方を見遣った。
「ラズリさんもできれば手伝ってください」
「わ、わかったわ。よし、私もお手伝い……!」
手渡される猫じゃらしをゆらゆらと揺らしてみるが、果たしてこれで合っているのかどうか分からない。それでも飛び交うクラーラの猫じゃらしの動きを見よう見まねで拙く追ってみれば、幾らかの猫たちは彼女の方へと伸びて来た。
「大きいのに身体がよく伸びるのね」
思わず笑ってしまうラズリの体力が尽きるより前に、猫たちは彼女らに心を許したようだった。
猛攻が幾らか収まって来た頃合いで、彼女もまた懐を探る。出て来たるは全ての猫を虜にするでおなじみ、ペーストおやつの詰まったスティックだ。
「じゃーん!!」
「ニャッ! そ、それはっ!」
他の猫たちがもらっていたのを知っていたのか、一匹が大いに反応する。すっかり夢中になる姿を見上げるラズリの横へ、一段落したクラーラが並び立った。
「気が済んで大人しくなってくれたのかと思いましたが、おやつの力ですか」
「効果絶大ね。クラーラもあげてみる?」
「ええ、私にもあげさせてください。遊び疲れたでしょう」
戦場に勝るとも劣らぬ死闘を繰り広げた猫たちも、休戦となれば愛らしいばかりだ。
おやつに託けて触れた掌の感触を楽しみながら、ふとラズリは横合いの友人に身を寄せた。内緒話の弾む声が笑う。
「ね、クラーラ」
「ラズリさん、何ですか?」
「猫さんに一緒に……ぎゅってしてみるのどうかな」
「あぁ――それは良いですね」
せえので合わせてぎゅっ。
猫たちの御赦しは下ったようだった。和解に成功した毛並みをそっと撫でつつ、ラズリの手は一番に好かれるであろう顎下へと触れる。
「よしよし、良い子なの。もふもふだあ……」
毛並みに埋もれて浴びる太陽が少女たちを照らし出す。猫たちが本当に満足する頃には、彼女たちの心も猫の形に満ち足りていることだろう。
●
EDENたちの手で満足させられても、まだまだ猫の山は終わらない。妖怪たちが飽きもせずにどんちゃん騒ぎを繰り返す音を横目に、銀月の眼差しが煌めいた。
「ネコチャンだー! でっかい!」
雨夜・氷月(壊月・h00493)の両手をいっぱいに広げても、胴の前面を覆うことすら叶うまい。
「雨菟! みてみてすごい、お腹に乗れそう!」
「確かに。猫ベッドにしてえ……」
彼の横で猫越しの太陽を見上げる夜縹・雨菟(仮初・h04441)の感想も概ね同様だ。最終決戦――なぞと大仰に銘打たれているからには相応の覚悟を以て望んだつもりが、どう見たところでただの悪意なき猫たちがにょろにょろと伸びているだけである。
強いて言うならば大きさが脅威となり得るであろうか。しかしそれもこの仁義なき寛ぎようを見れば杞憂であろうことは明白だ。
さて――。
猫がいるとなればやることは一つだ。
「もふもふしたーい! ケド今は触らせてくれなさそうだから……」
まずは遊んで体力を削る。氷月の放った光の粒子は、此度は索敵のためでなく、寧ろ誘き寄せのための道具であった。
不敵な笑みが煌めく燐光に照らされる。やがて収斂した輝きは一つの隘路を作り出した。即ち。
「んっふふ、ネコチャンなら好きでしょ、このレーザーポインタみたいな光!」
「あ、ソレそういう使い方できんの」
「便利でしょ。キラキラ〜」
「んニャッ、ニャにやつっ!」
ふざけて放たれた輝きに俊敏に反応した猫がにょろんにょろんと動き回るのを横目に、雨菟の方は思案を挟んだ。
氷は遊ぶには些か冷たすぎるし、雨で遊んで喜ぶのは犬であろう。となれば彼に出来ることは多くない。果たしてどうすべきか――思案ゆえに揺れた己の尻尾に気付かぬ彼の後方に、迫り来る気配がある。
「ひらひらニャ!」
「あっ……っぶねー!」
間一髪。雨菟の揺らめく尻尾の自然な動きに飛びついて来た巨大な猫パンチがまともに体に直撃する直前、彼はその場から飛びのくことに成功した。
然れども窮地を脱したわけではない。既にロックオンを終えた猫の眼差しは、氷月の放った光から逸れ、既に尾を狙っている。それにショックを――受けたのかどうか定かではないが――受けたのは、先から構ってやっている氷月の方である。
「はっ、雨菟の尻尾じゃらしに負けた……!?」
「これ猫じゃらしじゃねーから! というか同類? だろ、わかんだろ!」
「ニャんのはなしだか」
しれっと視線を逸らす猫には雨菟の猛抗議も通用していない。その隙に一歩下がった氷月は、収束させていた光を霧散させると同時に、楽しげに白猫をつついて笑う。
「んっふふ、ネコチャンも尻尾で遊んでることもあるし? コドモかも?」
「いやいや氷月サンよ。むしろ助けて欲しいんだが?」
「そう言われても。俺のより雨菟じゃらしで遊びたいんだってーガンバレー」
すっかり見物モードの氷月に肩を落としながら、しかし雨菟にはこうなることは分かっていたような気もする。
結局のところ、猫の体力が尽きて気儘に転がり始めるまで、彼はひたすら走り回る羽目になった。
猫が唐突に動きを止めたことに気付いたのも遠くから見ていた氷月が先だ。
「お、今だ!」
迷いないジャンプと弾んだ声に、走っていた雨菟が立ち止まる。振り返った先では氷月がすっかり猫の上でご満悦だ。
「んー最高! 雨菟、すごいよコレ!」
「あっ、ずりぃ」
逃げ疲れた彼の方が先に恩恵を受けるべきであろう。次いで飛びついた雨菟の衝撃にも気付くそぶりを見せもせず、巨大な猫はすっかり眠りに身を傾けたようだった。
規則正しい寝息が揺らす体は存外に良い心地だ。温もりも相まって上質なベッドといっても差し支えない。
「おー、これはなかなか。埋もれ心地は悪くねえな」
「ねー。皆で仲良くオヤスミってね」
頭の後方で手を組んで上機嫌の雨菟の横で、氷月もまたいたく楽しげに笑った。
●
常日頃、生きた動物に触れることは叶わない身の上である。
ツェツィーリエ・モーリ(視えぬ淵の者・h00680)の二色の双眸が瞬く先には、メイドさんが見上げてなお足りぬほどの巨大な猫が林立している。大きさばかりは通常の猫とは言い難いようなありさまであるが故に二度見ばかりはしてしまったが、毛並みも鳴き声も猫そのものだ。
しかし――眼差しには淡く希望が宿る。
これほど大きければ、他の動物たちのようにツェツィーリエに怯えたりはしないのではないだろうか。
何しろ豆粒ほどにしか見えまいといった大きさだ。そっと気配を消して伸ばしたはずの手は、すぐに察知されてにょろんと避けられた。
「ニ゛ャ! シャー! シャー!」
「……上手い話はないようでございますね」
元より満足するまでは遊んで欲しい性質であるとは聞いている。触れることを拒むとも言っていたが、それにしてもこのオーバーリアクション。どうにも必死さの滲む威嚇を見上げ、しょんぼりとする内心をクールな無表情に隠し、ツェツィーリエは双眸を眇めた。
「貴方たちに満足していただかなければ通れません」
なれば全力を出すのが流儀というもの。
抜き放つ刀に纏うは|嘆きの川《コーキュートス》の権能。常であれば斬り裂いた全てを冷たき死の眠りに誘うそれを、ツェツィーリエの手は迷いなく地面に突き立てた。
――愛らしく害のない猫を傷付けるなどとは、正義のメイドさんのやることではない。
それゆえ凍らせたのは地の方だ。速やかに薄く張っていく氷から立ち昇る冷気が春らしい陽気に冬の気配を差し込んだ。術者から逃げ回ろうと怯えたような様子を見せていた猫の自慢の肉球も役に立たず、爪を食い込ませてもなお滑るばかり。巨大な脚が凄まじい勢いで動いているが、いち生物の抵抗など自然現象の前には儚いものだ。
「んニャー! ぶつかるー!」
「ご安心ください」
このまま滑り続ければ建物に直撃するだろう――と、いうところまで、完璧なるメイドさんは想定している。
大きく広げた腕に猫がぶつかった。
抱き留める――というよりは、一緒に倒れ込んだ――という方が正しいかも分からない。もこもこの毛並みがニャーニャーと騒ぎ立てる下で、ツェツィーリエは猫の温度と身動ぎに埋まっていた。
これほど近くで生物に触れたことがあろうか。しかもそうしたところで猫は一つも危険な状態に陥ってはいないらしい。今後こんな巨大な猫に埋もれることもあるまいし――。
伸ばした指先は、今度こそ毛並みにすっぽり埋まったのであった。
●
ひらめく蝶の翅の向こう、巨大な猫はまだまだ生えている。
「大きな猫がいるね、デネブ」
声なき友人に語りかけながら、ノーチェ・ノクトスピカ(|Nachtsängerin《星歌い》・h06452)の双眸は無垢な好奇と期待に星の煌めきを宿した。
ふかふかつやつやの毛に触ってみたい。
しかし星詠みに曰く、触れるには難易度が高いらしい。EDENよネコと和解せよ。
「よーし! がんばって猫と和解してみせるぞ!」
両手をぐっと握って気合いを入れる。隣のデネブも応援してくれているようだ。このために持ち込んだ沢山の方法を、まずは一つずつ試していかねばなるまい。
まずはオーソドックスに猫じゃらしの出番だ。ひらひらとした手捌きで動かせば、どれほど大きくても猫は野生の本能に抗えぬ。しかし。
「ニャッ!」
「は……はやい!」
問題はノーチェの思うよりも破壊的な威力の猫パンチが飛んで来ることだった。
巨大な肉球と爪は質量だけでも相当のものだ。その驚愕に思わず翼をはためかせたのが悪かった。
「うごくのニャー!」
「ね、猫! 違うよ、それは猫じゃらしじゃないよ!」
悲鳴じみたノーチェの声をよそに、猫の興味はすっかりふわふわの翼に移る。幾度かの攻防の末にようやく逃げきった彼が安堵の息を零した。
――食べられるかと思った。
そこで思い至る。ということは空腹なのではないか。
作戦は第二フェーズに移行する。持って来たのはチューブ式のおやつだ。どんな猫も虜にするそれを絞り出して、そっと差し出してみれば、既ににおいを嗅ぎ付けていた猫は警戒心なく口を開いた。
「どう? 美味しい?」
「これすきニャーン、ニャ」
なごなごごろごろ雷のような音がする。思わず小さく笑声を零し、シームレスに手を伸ばし――。
「まだだめニャ!」
「あっ」
残念ながら仲良し度は足りなかったようだ。
にょろんと伸びた体に拒まれて、ノーチェはプランBを提示する。遊び足りないというのなら、もっと遊べばいいのだ。
「じゃあ追いかけっこ!」
「いのちしらずニャ。うけてたつニャ!」
追いかけまわして捕まえて、そのままなでなでに持ち込む。そうして決意と共に始まった仁義なき追いかけっこは、しかし鬼側の圧倒的不利に陥っていた。
「ま、まてー!」
「またないニャー!」
何しろ猫は半液体だ。自由自在の体に遊ばれているのは果たして猫かノーチェか分からない。
懸命に追いかけ回す彼の隣で、星花蝶がひらめいた。まるでころころと笑うような動きを横目に、息を切らせたノーチェもまた、荒い息に笑声を混ぜ込んでいた。
●
「あらま大きな猫さんですこと!」
どれほど大きなカンバスを持って来ても、収まるように描くにはそれなり労苦が要るだろう。目を丸くした燦爛堂・あまね(|絢爛燦然世界《あまねくすべてがきらめいて》・h06890)が二、三瞬いて、まだまだ遊び相手の欲しい猫の群れを見上げた。
成程合点する。この猫たちを、日頃彼らがそうするようにじれったく気儘に構って遊んでやれば良いというわけで。
いうわけで――。
「なんかあそべそうニャン」
「ちっちゃいリスがいるニャ」
じりじりと迫る猫の眼差し。悲しいかな小動物とはそれそのものが猫の玩具であるのだから、立派な栗鼠――その毛の筆――は、獲物としか映らない。
追い詰められて徐々に後退していくあまねは己の生存危機を悟った。焦らすだの遊ぶだのと言っている場合ではない。これは彼女にとって本物の危機なのだ。
しかし。
背を向けて逃げ出したが最後、途端に襲い来る猫パンチ。逃げる獲物は追いたくなるのも野生の性か、一番に餌食になるのは自慢の尾であった。
「ああっ駄目駄目、わたくしの尻尾は猫じゃらしじゃありませ……」
「ふわふわするニャー!」
「やん!」
じゃれつく猫に悪意はない。それにとても可愛らしいが、このままでは遊ぶ前にあまねが猫パンチと巨体のコンボで潰されてしまう。
走りながら前に大事に抱えた尻尾で描き出すのは無数の蝶だ。普段であれば色にも遊び心にも拘るが、そんなことは言っていられない。多少不格好なものも含めてひらひら踊り出すそれを、差し向けるのは背後に迫る猫の鼻先だ。
「ほら御覧になって猫さん方!」
「んニャニャ?」
至近距離で舞い踊る生物の不規則な軌道は猫たちにとって最良の遊び道具になろう。あまねの目論見通りにそちらに夢中になり始めた猫たちの気を惹くように、蝶は来た道を戻り始める。
思わず深々と安堵の息を零し、胸に手を当てたあまねが双眸を開く。目の前にあるのは巨大な猫のつやつやとした毛並み。背後から抜き足差し足迫る気配には気付く様子もない。
その背に手を回して――。
撫でるというよりは埋まるという方が近いか。何しろあまねの小さな手を差し伸べるだけでは、背中の半分も撫でられぬところで力尽きてしまいそうだったから。
広げた両腕で抱えるように抱き着いた。春の陽気を浴びてふわふわになった毛が愛らしい。にゃあにゃあと声を上げているのを聞きながら、あまねの唇は柔らかに蕩けるような笑みを刷いた。
「――まあ、なんて柔らかくて気持ち良いんでしょう!」
●
「またおまえニャー! やニャー!」
「可愛いけど、その体で暴れると大惨事だな」
他人事である。
目・魄(❄️・h00181)の眼前には何度目かの再会を果たした猫がいる。あの手この手で何やかんやとされて来ている記憶は保持しているわけで、目の前にいる雪鬼の姿に身をよじりよじり、ビル街も気にせず大暴れのありさまだ。物騒な猫カフェとは言い得て妙である。
まあ――。
|遊んで《・・・》やるだけなら悪くもない。退治するよりは楽なものだ。
「ほらほらこっち」
「ニャー! 来るニャー!」
ぴいぴいと騒ぐ猫は、しかし目の前でひらひら動かれれば野生の本能には逆らえない。銀色の髪は春の暢気な陽光を反射してよく目立つし、猫の方もそれを追い掛け回してしまおうというものだ。
「んニャアー」
甘えた声も愛らしい。問答無用でじゃれて来る巨体を素早く見躱しながら、魄の眼差しは猫の向こうに彼の隣にいるべき|猫《・》を重ね見ていた。
「かわいいが、俺の猫が一番だしな」
この世の摂理の如く当然のことであるから表情も変わらぬ。幾度か頷いて脳裡に描くメインクーンに、帰ったら心底構ってやろうと一つ思案を浮かべながら、猫パンチの猛攻を軽やかに捌く。
「おまえ、つかまんなくてやニャ!」
「捕まったら潰れるだろう」
ぷんすか怒って見せる姿も面白いものである。本来ならば人間を翻弄して然るべき猫の方が翻弄されているありさまだ。
|遊ぶ《・・》――といわれてまず魄が思い付いたのが、己の体を存分に活用することだった。
猫側にはそれなり耐性があるにしろ、まさか攻撃を全て避けることは叶うまい。取捨選択は行われて然るべきだ。
たとえば。
触り心地がぷにぷにして、さしたる脅威にならないと知っている肉球は敢えてその身で受け止める。弾き飛ばされないように力だけは受け流し、感触を存分に楽しんでおくことにするのだ。
代わりに当たれば引き裂かれかねない爪の方は捌く。単純な軌道、真正面からの攻撃であれば、魄にとって見極めは容易だ。
猫が気付かぬほどの手捌きだった。確かに捉えたはずの魄の体がそこにないことに首を傾げている間にも、彼は猫に迫っている。
「あまりに伸びている様なら、その爪切ってしまうよ」
「やニャア!」
次の猫パンチは遠ざけるためのものだった。伸びて来た手の肉球が体を包み込む感覚は、やはり何ら彼にとってダメージにはならない。
思考操作なんぞされてやるまでもない。猫との遊び方は充分に心得ている。彼らが望みを叶えて満足するまで、幾らでも付き合ってやるつもりだ。
「一緒に居て、|遊んで《・・・》やっているだろう。他に何をしたいんだ」
「ニャニャ?」
またぞろ首を傾げる猫の口からどんな言葉が飛び出しても叶えられる自負はある。何といっても相手は害意なき動物だ。ただ大きいだけで、構って欲しいばかりに地面から生えて林立している猫たちの要望なぞ、彼に表裏の頼み事を回して来る客たちの願いに比べればいたく愛らしいものに変わりない。
むろん魄の力の及ばぬことは出来ぬまでも――。
大半のことは叶えてやろう。
「思う存分に可愛がってあげるから。おいで、おいで」
「んぐぐ。なんか、おまえ、ねこをひきつけてくるニャ……」
魄の甘い声に誘われ、猫はふらふらと彼に寄っていく。果たして思う存分に撫で回されて追いかけっこを繰り返したいだけの気紛れな猫は、彼の手中にて好きなだけ望みを叶えてもらって、満足するなり気儘に地面に引っ込んでいくのであった。
●
「わぁ…!! 大きくてもふもふの猫ちゃん!」
「わわわ……おおき~~~い!!!」
大きく腕を広げた夕星・ツィリ(星想・h08667)の眼差しと歓声に、ココ・ロロ(よだまり・h09066)の尊敬と憧憬の眼差しが重なる。
春の陽だまりに生えた猫の数も随分と減って来た。二人分の声に反応してか、そのうちの一匹が興味深げに近付いて来る。早速のチャンスに煌めくツィリの双眸が、無邪気に手を伸ばし――。
「撫でてもい……」
「だめニャ」
すいっと避けられる。
首を傾げる彼女の横で、そのさまを見詰めていたラデュレ・ディア(迷走Fable・h07529)も反対側に首を傾けた。ふわふわの毛並みを触る側はどこでも満足出来そうだが、猫には確か分布図のようなものがあったはずだ。
「ええと、何処を撫でられるのがよろしいでしょうか。いやな場所があるのでしたね」
考え込む彼女の前ではココが上機嫌に尾を振っている。確か尻尾は嫌がるはず――記憶を手繰るラデュレを後方に、ココの眼差しは猫の大きさに一身に注がれていた。
彼自身が小さいから、大きい姿には少しだけ憧れる。しかし一つ一つの要素を見てみればふわふわとした毛皮も青い眸も、ちょうどお揃いの格好だ。しかし猫の方はといえば、一行の姿を確かめて満足したのか、すっかり背を向けて去って行ってしまった。
なでなでの安売りはしない。どこか矜持すら感じるのっそりした背中に、熊・蕾蓮(熊猫獣人の鉄拳格闘者エアガイツ・h08184)が腕を組んで頷いている。
「成程、このツンな感じこそ猫のミリョクなのアル」
「成程! これが猫の魅力……!」
ツィリも納得だ。であればまずは遊ぶが先決。あの背中に心を許してもらわねば、もふもふの権利も得られはせぬ。背中を見送るラデュレの眦が愛らしさに緩んで、声もまた柔らかな笑みを帯びた。
「では、気を引けるように頑張りましょう」
「ココたちといっしょにあそびましょ~!」
――かくして猫への挑戦は始まる。
トップバッターはツィリだ。釣り竿型の玩具は先が丸い安全設計。魚を模した遊び道具をふらふらと揺らして、体全体を使って気を惹いていく。
「おおぉツィリの釣り竿オモチャ、釘付けになってるコが居るアル!」
蕾蓮の声が告げる通り、一匹の猫がその動きにかかった。ゆっくりと動かしていたと思えば即座に素早く、時に体の後ろに隠してちらりと見せる。猫が充分に動きを目で追うようになったところで前に差し出してやれば良い。
「ニャー!」
「よし! かかったー!」
「わあ、ツィリさんすご~い!」
ココの歓声も束の間、ツィリの表情は喜色から徐々に苦しみを帯びる。
何といってもこの巨体だ。どうしたところで少女一人で支えるには難がありすぎる。
「ヘルプです……!」
悲鳴じみた声に三人がすぐに応じる。釣竿を握るのは全部で八本の手、せえのの掛け声を合図に一気に後方に引き切った。
「うんしょ~!」
「ドッコイショ!!」
尻もちをついた四人の横で、猫は魚に夢中だ。その姿を横目に微笑んで、ラデュレとツィリが顔を見合わせる。
「ふふ、見事に飛び掛かっておりましたね」
「ね!」
とはいえまだまだ猫は残っている。大きく声を張り上げるのはココだ。
「ココとおいかけっこしてあそびましょ~」
「のぞむところニャー!」
「ふふん、ココはしるのはやいのですよ?」
小さいけものと大きいけもの、どちらも走り出すのは同時だ。その姿に混ざろうとする蕾蓮には、しかし一つ準備がある。
猫といえば鼠。かの世界的アニメもそう言っている。腰に括りつけるのは鼠を模した小さな玩具と、それに繋がる紐だった。そのまま雷光もかくやの勢いで走り出せば――。
「ねずみニャ!」
「フフ―ン捕まえてごらんなさ……」
余裕の笑みで後方を振り返った彼女は驚愕した。大量の猫、猫、猫の顔。一斉に迫り来る姿には愛らしさより恐怖に近い感情すら覚える。まるで己が獲物になったような心地で、蕾蓮は俊敏なココに追い付こうと足を動かした。
「ココの俊敏さを真似て速度アップ! したいアル!」
「はっ、れいりぇんさんもはしってる?」
「蕾蓮ちゃん頑張ってー!」
ツィリの応援にも熱が入ろうというものだ。それを見詰めるラデュレの眼差しに、微笑ましげな感嘆の色が宿った。
「蕾蓮さま、ほんとうにお速い……!」
さて、彼女の用意したのは猫じゃらしである。王道にして覇道の道具は今も昔も猫を虜にする力があった。ラデュレの手捌きは堂に入っているといって差し支えない。
「ニャニャ! ニャ!」
「──わっ、とっても素早い……!」
全身を使って動かして回るふわふわの先端を猫パンチから逃すのも大変だ。それでも魅惑の猫じゃらし捌きが惑わすのは、何も巨大な猫ばかりではなかった。
「ねこじゃらしだ~! ラーレさんココもあそぶ!」
飛び込んで来た小さな姿が猫じゃらしにパンチを繰り出す。てしっ、てしぺしっ、可愛らしい音で飛び回るココの姿に眦を緩めて、ラデュレの手は自在に中空を泳いだ。
「ふふ、ココさまも俊敏なのです。では……今度はこちらへ!」
ようやく走り終えた蕾蓮が深々と息を吐く。と同時に驚愕の後ずさりを一つ。
「何とココまで!?」
「私もつい目でおっちゃう……」
ツィリの眼差しも猫の如く釘付けだ。そうしてようやく猫たちが満足してくれたなら、四人にご褒美が訪れる。
「とてもたくさん遊びましたね」
「こんなに全力で遊んだの久しぶり!」
「えへへ、いっぱいあそんだのです」
全員の休憩タイムには猫もすっかり疲れ果てていたようだ。地面に寝転がった姿は無防備である。いつの間にやらブラシを用意していた蕾蓮が、今にも眠ろうとする猫たちに声を投げた。
「そろそろ撫でても良いアルか~? ブラッシングもしてあげるアルヨ!」
「それなら、なでなでさせてやってもいいニャ」
「やったあ!」
念願のなでなでタイムに飛びつくツィリを、ラデュレの眼差しがにこにこと見詰める。その横で、ココは猫たちに頬を押し当てた。
「みんなはなでなでするですか? じゃあ、ココはなかよしのすりすり~」
「すりすりニャ~」
「ふふふ、くすぐった~い」
暖かな笑声が満ちていく中で、ラデュレもまた柔らかな毛並みに手を添えた。ゴロゴロ鳴る喉は雷のようだが、不思議と怖い心地はしないから、眼は嬉しげに笑みを刷いた。
「しばらく、ゆっくりといたしましょうか」
●
紫紺の宝石が緩やかに瞬く。
アドニス・ガルダ・インファリリ(プシュケの花檻・h12904)の眼差しが見詰める先には、彼に侍る麗しの少年たちの姿がある。四者四様とでもいうべき姿で猫を見詰めるうちで、最も熱視線を送るのは|青玉《サファイア》の宝石だ。
「大きい猫……」
カシエル・アズリオン(Blue Grace・h12926)の声にも羨望が乗る。言葉少なな愛らしい|使徒人形《Seraph》の様子を見逃さず、彼らの教皇は眼を細めた。
「カシエルは手触りの良いものが好きだから、猫に触れたいんじゃないかな?」
「猊下……はい、叶うなら触れたいところではこざいますが、こう大きくては……どうすれば良いか、悩ましいところです」
「ふむ。|小癪にも《かわいらしいことに》私も避けられているようだからね」
――ここに来て幾らか手を伸ばしてみたが、それに応じる様子は見せない。纏う魅惑の香気も猫には通用せぬか。
それに最も不満を表明しているのがラビィナ・クラウディオス(Onyx blood・h12925)である。ぴんと立った黒猫の耳も気紛れな縞瑪瑙の眼差しも、巨大な同族に眇められたままだ。
「猊下を避けるなんて生意気だよね。俺なら喜んで撫でてもらうのに。仕方無いから遊んでやるけど」
「猊下から逃げるなんて不敬ですよ、ぼくが逃げないようにしっかり捕まえて……」
「ぼくは猫より猊下と遊びたいけれど……猊下の望みですから!」
飛び出したアーラ・メルヴィレイ(翼持つ月くじら・h12913)とケテル・システィーナ(Ain Soph Aur・h12910)の奮闘虚しく、猫の体はにょろりと逃げた。液体さながらに自在な動きは人間を翻弄するためにあるとでもいうのだろうか。撫で甲斐のありそうな体をアドニスに献上するための道程は遠そうだ。
「……猫ちゃんって、いがいとゴウジョウなんだね」
アーラの声に載るのも呆れというより感慨に近い感情だ。古来より人間とは猫の奴隷であるからして、たとえ麗しき吸血鬼であろうと使徒人形であろうと、彼らにとっては関係がないのかもしれない。
しかしカシエルは諦めていない。そわつく眸で見遣るのは、同じく猫の同胞だ。
「ラビ、どうすれば触れるでしょうか」
「やっぱり手懐けるならコレじゃない?」
取り出したるは猫じゃらし。オーソドックスにして最強の対猫用兵器である。
「貸してあげる。お前なら触らせてくれそうだ、何となく」
「おやラビィナ……猫じゃらしとは流石だね」
アドニスの褒め言葉にドヤ顔のラビィナから猫じゃらしのストックを手渡され、カシエルは一つ小さく頷いた。
「……頑張ってみましょうか」
「カシエル、挟み撃ちで捉えるのはどうでしょう?」
「挟み撃ち、なるほど」
良い作戦だ。
猫じゃらしを受け取ったケテルが前方から、カシエルが後方から一匹の猫を挟んでいる。どちらに視線を遣って良いのだか分からずきょろきょろとするそれを横目に、ラビィナもまた熟達の手捌きで猫じゃらしを振っていた。
猫であるが故、同族のことは誰よりよく分かる。しかし猫を虜にする動きは貫通して彼自身をも襲い来るのだ。
「ちょっとうずうずしてきた……」
「そうか、ラビも猫ちゃんだもんね」
アーラの声も納得の色を帯びた。目を隠す彼の横で己の理性と格闘していたラビィナの手を、しかし巨大な猫が捉える。二人の少年の声が重なった後、中空を舞った猫じゃらしで勝敗は決する。
己が敗北にやんのかステップを踏むラビィナは、勝ち誇った巨大猫からいきおい顔を背けてアドニスを見た。
「くっ……!! 猊下、あの猫より俺の方が良いですよね、ね……!」
「ふふ、私の猫は君だけだろう?」
むろん使徒人形は彼の愛し子同然であるが、ここにいる他の猫は手を伸ばすとすぐ逃げるし。
頭を撫でられご満悦のラビィナをじっと見詰めていたのは、カシエルに猫の興味を奪われたケテルだ。畏れ多くも教皇猊下直々に撫でられるとは何と羨ましいことか。わなわなと妬心に震える心が掌までも伝い、彼はいきおい猫の群れへ飛び込んでいく。
「ぼ、僕だって……! 猊下、みててください!」
しかし少年の掌は容易に躱され、にょろにょろと伸びた体から繰り出される肉球が彼の翼をチョイチョイ撫でる。羽こそ散らぬまでも大切な身に触れられたことには我慢がならぬ。
「僕の翼になんてことをッ」
アドニスに猫を運ぶために攻防を繰り広げるケテルの奮闘を微笑ましげに眺め、当のアドニスは横合いの少年へ視線を移した。
「アーラ、どうしたら猫は私を威嚇しなくなるだろう」
「浅学ながら猫には詳しくなく――ラビ、何か知ってる?」
こういうときに頼りになるのは結局のところは猫同士である。猫じゃらしの他に――と言われれば、彼に思い当たるのは一つしかない。
「俺はおやつを貰えるとポイント高くなるかな。一応ね、参考までにね」
「おやつが強いんだ、残念、今日は持ち合わせが……!」
しょんぼりと肩を落としたアーラの横をすり抜けていくのは、先から奮戦を続けるカシエルだった。
相手が巨大であるだけにこちらも大きく体を使わなくてはならない。些かならず重労働だが、この先にもふもふが待っていると思えば何のその、華麗な体捌きで猫パンチを躱していく。
「わ、シエルの猫じゃらしさばきもすごいねぇ。ぼくだと目が回っちゃいそう」
しかし猫は寧ろ夢中であるようだった。爛々と光る眼差しが煌めいて、飛び掛かった先に――。
「あ、アーラ! 離れて危ない!」
「えっ。うわっ!」
間一髪、反響定位の力もあって回避したアーラのいた場所に肉球が直撃していた。
「すみません、加減が難しく……」
肩を落とす間もなく次の一撃が来る。慌てて対処に戻るカシエルを見送るより前に、後方からケテルの憤慨した声が届いた。
「アーラ、その無礼な猫を抑えるのです。度重なる猊下への無礼、許せぬ!」
「ケテル、私は大丈夫だ。しかし猫が君の毒キーウィを狙っている」
「あっ! 僕の梔子が……!」
アドニスの声を合図に、全員に緊張が走る。気の抜けた顔の警戒心がない鳥はその場で訳も分からぬままに突っ立っていた。慌てて走り出すケテルが辿り着くのが先か、猫の神速パンチが嘴に向くのが先か――しかし全員が心配しているのは|梔子《キーウィ》の方ではない。
アーラが迷ったように視線を一羽と一匹へ巡らせる。カシエルが蒼刃に籠めるのは攻撃のための祈りではない。ラビィナの声が咎めるのは猫の方だ。何しろ――。
「ダメだ、猫。そいつはただのキーウィじゃないからな」
「猫の毒殺は禁止です! 猊下のお陰で命拾いしましたね」
舞い遊ぶ刃のお陰で猫の動きが止まった。その間に梔子を拾い上げたケテルの言う通り、毒キーウィは無暗に触れれば危険な毒が籠められているのだ。
さて。
カシエルの放った刃が猫の気を惹いてくれたお陰で、図らずも彼の目的は達された。
「ふかふかのもふもふです……!」
「あ、もふもふ成功?」
背中から手を触れても気付く様子もない。撫でる手を動かす彼が嬉しげに声を零すのを聞いて、梔子を抱えたままのケテルが再び妬心の宿る声を上げた。
「くっ、シエルに先を越されるなんて……必ずや、猊下に猫を捧げてみせます!」
毒キーウィは丁重に置いていく。何も分かっていない鳥の顔を一瞥して、アドニスは猫と戯れる愛らしい人形たちへ視線を投げた。
「実にいい光景だ」
猫と遊んでやっているというより猫に遊ばれているような気もするが――。
まあ、どちらにせよ愛しいことに変わりはない。アドニスの笑みはますます深まるばかりである。
●
人を魅了する能力にかけて、猫と並ぶものは片手で数える程度しかおるまい。
その深遠にして抗い難きカリスマには、最強の幻想生物たる竜――ケヴィン・ランツ・アブレイズ(|“総て碧”の《アルグレーン》・h00283)も舌を巻く。鎖を投げかけても素知らぬ顔ですり抜けていくような気儘な自由さ、どこか万象を掌握した上位性を備える精神性が、奇跡的とでもいえようバランスで釣り合っている。
成程人間はこの愛されるべくして生まれて来た生物に虜になろうというものだ。然れどもケヴィン自身が猫に馴染みあるわけではない。懐かれやすい|性質《たち》だというわけでもない――これは彼自身が本来あらゆる動物の頂点に近しい存在であるからかもしれない――し、竜が猫を侍らせて何かをするというのも発想として些か何かを違えるところだろう。
それにしても――見上げる猫は巨大だ。
飯田橋付近を占拠していた猫たちも残すところあと僅かといったところか。EDENたちの全力の接待ですっかり満足した支配者は、現れたときと同じ気儘さで地面に帰っていったらしい。
しかしまあ、人馬一体のケヴィンをして見上げねばならぬほどの巨躯とは想像だにしなかった。陽光を反射する暢気な巨大毛玉からようやく視線を外し、彼は気合十分の愛馬の首元を叩いてやる。
「そりゃァ、こンなのに構う構われるとなりゃ命がけにもならァな」
――|彼女《・・》は自ら乗り手を選ぶほどの気品あるじゃじゃ馬だが、獰猛というわけではない。
本来であれば己より小さい生物に対してそこまで敵意を剥き出しにすることはない。自慢の毛並みを多少荒らされても我慢してやるし、綺麗に整えられた尾を弄り回されてもすぐに蹴り上げたりはしないのだ。しかしこれほど巨大な猫とあっては、ケヴィンの愛騎も尾を振り回して鼻息を荒くしている。
「まァ、頑張って一人と一頭でお相手してやりますかィ!」
応じるように嘶いたのが合図だった。
「おうまさんニャ!」
騎手と馬の絆は極めて深い。まして長らく共に旅をして来た彼らは、最早一心同体と言っても良かった。巧みな鞍捌きの負担を軽減してくれるのは愛騎の全てを理解したような蹄の動きだ。巨大な猫の前を走るケヴィンを捉えようと繰り出される猫パンチは地面を叩くばかりである。
そうしてじゃらされれば闘争本能の芽生えるのは野生動物の変えられぬ|性《さが》か。ますます熱が入る肉球が爪を立て始めたのを見て取るや、ケヴィンの手が手綱を放す。
愛馬もまたそれを承知しているようだった。主のいなくなった背に動揺を見せることもなく、足取りは軽やかに駆ける。走り去る彼女を横目に、地に降りた途端にケヴィンの体が|舞い上がった《・・・・・・》。
「ニャに!? とりさんニャ!?」
「鳥に見えるかィ?」
――まあ、顕現した立派な竜の翼もこれほど巨大な猫にしてみれば誤差か。
或いは空を飛ぶ|爬虫類《・・・》を見たことがないのやも分からない。眼前を飛び回る彼を捉えようと空中に繰り出す猫パンチは、馬の高らかな嘶きによって気を逸らされる。地面目掛けて立てられる爪を眼前を横切る竜が引き留め、まるで地と空を思う存分に使って踊っているようだ。
「これも一種の|舞踏会《ボール》ってヤツかィ?」
「ぽーるってなんニャ? ぼーるがいいニャ!」
にょろんにょろんと伸びる猫が必死になって追い掛けて来るのを見遣りながら、ケヴィンは笑った。
であらば存分に踊ってやるもまた一興。なごなごと騒ぐ猫は、やはり万象を夢中にしてしまうのやも分からない。
●
猫、それは全人類を魅惑する麗しの生命。
さりとてこれほど大きくてはいかがなものか。数えるばかりになった猫たちの間でやんややんやと騒ぎ立てる調子の良い妖怪たちの行進を横目に、結月・思葉(言の葉紡ぎ・h05127)はまじまじと巨大な猫を見上げていた。
大きい大きいとは聞いていたが想定を越えて長大だ。だが春の暢気な陽光に照らされる毛並みはふかふかとして艶を孕んでいる。日向ぼっこの直後には布団も犬も猫もよく乾いて極上となるものだ。触ればさぞ心地の良い毛の海が迎え入れてくれることだろう。
欲求に抗う理由はない。しかし思葉は歩き出す前に周辺を見渡した。
――むろん、知り合いのいないことを確認しているのだ。
可愛いもの好きの|性《さが》は変えようがないが、さりとて知己に知られることは恥ずかしい。だらしない表情にでもなってしまっていたら最悪だ。そんな風に蕩けているところを惜しげもなく発揮して良いのはせいぜい自室にいるときか――妥協に妥協を重ねて、彼女の名を知らぬ者がいるところばかりである。
それゆえ視線は念入りだった。色を確認し、顔を一瞥し、思葉の記憶にある誰の顔とも合致しないことを確かめる。幾度目か、林立する猫とビルの間を行き来していた視線が定まった先。
「……なんで久瀬さんがいるのかしら?」
「いて悪いってことはないだろ」
目が合うや開口一番に友人に眉根を寄せられて、久瀬・千影(退魔士・h04810)もまた目を眇めた。
猫を退かしてくれとは実に単純で楽な仕事であろうと思った。些かならずや大きい猫だと言っていたような気もするが、斯様に言ったところで精々が人間より幾分か大きい程度であろうと思ったのが間違いだった。
よもや陽光を遮るほどだとは。
冗談であっても中々思い付くものではあるまい。今頃は疾うに仕事を終えて帰路についていたはずが、この猫の――随分と数は減ったといえども――山のような状況には閉口するところだ。
刀は未だ鞘に納めたまま手の内にある。しかし抜き放って突き付けるには害意も危険も足りぬ。ほとほと困り果てて頭を掻きながら視線を巡らせたとき、思葉と目が合った――という顛末であった。
自然、合流の形を取った思葉が千影に問う。
「猫が好きなの?」
「嫌いってワケじゃねぇけど特には。楽に報酬が貰えると思って来たんだ。姿が見えて1秒で裏切られたけどな」
再び見上げる先の猫は伸びをしているのだか何だか分からぬ動きを繰り返している。何度目になるか分からぬ溜息を零し、千影は横合いの友人の銀色へ水を向けた。
「結月は?」
「私は……普通よ、普通。この巨大猫を何とかしないといけない、と聞いたから来ただけ」
「本当か? アンタ、可愛い物が好――」
「何か言いたいことでも?」
じとり――ものの見事に目を眇めて睨む思葉に肩を竦めて、男は首を横に振る。
「いーや、何でも」
その仕草も声も軽やかだったものだから、思葉の方は納得がいかない。しかしここで幾らつついたところで己のボロが出るだけなのも分かり切った話だ。
結局、視線を戻した先の本題に入るのが早いとみた。浅く息を零すのも繕いだったやも分からぬが。
「まぁいいわ。猫は素早いものを追いかける習性があるから、それを利用して遊んであげたら満足するでしょう」
「なるほど。そりゃ、いいアイデアだ」
疲れ果てれば眠るやも分からぬ。そうなれば起きたのちには戻っていくことだろう。思葉の言いくるめに一理を見出し頷いた千影を置いて、一足先に前に出た女の体が中空へ浮かび上がった。
身に宿すは大樹の少年の心。夢の守人は自在に中空を泳いでみせる。振り返った眼差しも先の女のどこか醒めた色とは違う色を宿して、地上の千影へ手を伸ばす。
「久瀬さんも一緒に来るかしら?」
「俺は遠慮しとく。そういうファンシーなの俺には似合わねぇよ」
この巨大な猫からすれば妖精のようなものだろう――首を横に振って一歩を引いた男を置き去りに、|少年《・・》の足取りは宙を踏んで猫の前に躍り出た。
くるくると周辺を回る姿は猫の気をよく引いたようだ。途端に繰り出される猫パンチの威力は二人が思うよりも強力に見える。何より――。
「ニャ! ニャン! まつニャ! つかまるニャー!」
ようやく現れた遊び相手を前にして、猫の攻撃は想定以上に苛烈だ。見事な見躱しを繰り返す思葉も、やがては捉えてしまいそうなほどに。
その攻防を見上げながら、千影の指先が鞘に掛かる。徐に抜き放った刃は猫の影を捉えた。
「影切」
「ニ゛ッ」
声と共に、分け身を切り裂かれた猫の動きがぴたりと止まる。直接的に攻撃するには躊躇ある見た目だが、思葉の体勢を支援する役割は果たせよう。
さて。
中空を自在に飛び回り、ちょうど千影から見えぬ位置に辿り着いていた思葉の前には、影を斬られて動くことの出来ない猫がいる。
――こちらから見えないということは、あちらからも見えないということだ。それに思葉は空を飛んでいるのであって、千影は地上にいる。視界に大きく差がある状態ならば、確かめるまでもない事実だと思って良いだろう。
そっと動きを止める。そのまま慎重に降下した。動けぬ猫の柔らかな毛並みに唇を引き結び、彼女はその身に手を埋めた。
他方、千影は思葉が何やら巨体の向こうで動きを止めていることを察知した。いかんせん地上からでは見上げたところで伺えないが、どうもじゃらすことは止めているようだ。であれば疲弊し続ける己が無駄なエネルギーを使いすぎることもなかろうと判じて、千影の手は刀を鞘へと収める。
「ようやくうごけるニャ!」
途端に猫が動き出す。唐突に解放された猫の快哉の声に小さな悲鳴を呑み込んだのは思葉の方だ。ふかふかの毛並みは太陽の恩恵をいっぱいに吸い込んで、まるで干したての布団のように暖かく懐かしい香りを孕んでいたのである。
思わずうっとりと身を沈み込めそうになっていたところで急に猫がにょろにょろと動き出したのであるから堪ったものではない。半ば放り出されるように手を引いた彼女を――。
「――何やってんだ?」
「……、……久瀬さん?」
地上から千影が見ている。
「これは……その……」
もはや言い逃れは出来ない。思葉も己の置かれた窮地は理解している。しかしどうにかして乗り切らなければ、己の醜態に理由を付けなければ、ここから今すぐ逃げ出したくなってしまいそうだった。パニックで真っ白になりかける頭の中から、何とか表情を保ったまま見付けた言い訳を、精査することもなく口に出す。
「そ、そうよ、これは『情報収集』。敵の情報を調べるために、時には触ることだって必要よ」
「へぇ?」
「……何かしら、その顔」
「いや? 情報収集っつーか、楽しんでた、みたいな触り方だったが」
当然ながら千影には通用しない。何かいたく微笑ましいものでも見たかのような笑声が余計に羞恥心を擽って、思葉は小さく咳払いをすると同時にもう一つの√能力を顕現させた。
現れる二つで一つの太陽と鏡が悪戯っぽく猫へ近寄っていく。その背が猫を満足させるであろうことを確信しながら、今度は千影を振り返ることなく押し殺した声を零す。
「……さっさとここから退いてもらえるように誘導するわよ。いいわね?」
「へいへい。お気の召すままに」
――かくしてアリスたちによって散々遊び回った猫は、俄かに大きな欠伸をしたかと思えば、その場に気儘に丸まり始めた。
通行の邪魔になるだのという人間側の都合は何のそのだ。そのまま寝息を立て始めた猫は、やがて目覚めれば地中へ帰っていくだろう。
見ればこれが最後の一頭であるようだった。すっかり静かになった飯田橋駅には、体と同じだけ巨大な寝息だけが響いている。
不意に千影が笑った。揶揄うような表情を見返すことも出来ずに唇を引き結び、猫の方ばかりを見詰める思葉に、彼の声がますます調子づく。
「で? 猫の触り心地はどうだった? 普通の割には随分と触りたくてうずうずしてたような感じだったが?」
これ見よがしの揶揄を睨む眼差しになお笑声は続く。結局、最後の猫がふと目を醒まして地中へと潜っていくまでの間、思葉は一言も声を発することは出来なかった。