12
約束
正午になると、彼女は決まって花畑に立つ。
集落の外れ。緩やかな丘を越えた先に、その花畑は広がっていた。
季節ごとに違う花が咲く場所だ。春には白と黄色が風に揺れ、夏には濃い青が陽を受け、秋には赤い花弁が夕暮れに燃える。
花畑の古い木柵の傍らに、彼女は立っている。
銀色の髪。硝子玉のような瞳。
人間とよく似た姿をしているが近づけば分かる。呼吸の間隔があまりにも正確で、肌には金属の光沢感がある。
名前は37号。
集落の者たちは、彼女をミナと呼んでいた。
ある者は親しげに。ある者は遠慮がちに。ある者は、彼女がまだここにいることを不思議がるように。
「ミナ、今日も待ってるのかい」
通りがかった老婆が声をかける。
37号は静かに振り向き、ほんの少しだけ微笑んだ。
「はい。博士は、帰ってくると言いましたから」
その声は澄んでいた。
責める響きも、疑う響きも、寂しい響きもない。
「待っていてくれと」
彼女は、ただ言われたことを守っている。
それが十年でも。
二十年でも。
――百年であっても。
風が吹く。
花弁が舞い、彼女の肩に触れ、音もなく落ちる。
37号はそれを拾い上げ、壊れ物のように掌に乗せた。
花畑の向こうを見る。
丘の道を。
遠く、誰かが帰ってくるかもしれない、その道を。
けれどこの日、その道の果てから近づいていたのは、彼女が待ち続けた博士ではなかった。
「『外星体同盟』からの命令を受領した」
それは刃だ。
星の彼方から差し向けられた。彼女を殺すための。
✦
「Anker抹殺計画は知ってるな?」
君たちを前にして、ジャン・ローデンバーグ(裸の王冠・h02072)は、いつになく硬い声でその言葉を口にした。
普段なら、どこか楽しげに皮肉を混ぜる少年だ。危険な戦場に送り出すときでさえ、軽口ひとつをどこかに混ぜる。けれど今、彼の目は笑っていなかった。
ジャンが見たのは、ひとつの暗殺計画。
「今回、奴が狙っているのは――37号。ミナと呼ばれているアンドロイドだ」
彼女はある集落の端に住んでいる。
小さな小屋でひとりきり。孤立しているわけではない。集落の者たちは彼女を知っている。
彼女は水路の修理を手伝い、重い荷物を運び、壊れた玩具を直し、子どもたちに花の名前を教える。表情は少し乏しいが、頼まれれば断らない。祭りの準備にも手を貸す。彼女がそこにいることは、今では集落の風景の一部になっている。
「村を少し行ったところに綺麗な花畑があるんだ。37号は、毎日正午になるとその花畑に向かう」
ジャンの声が少し低くなる。
「"博士"を待ってるんだと」
彼女を発明した、ひとりの博士。
必ず帰ってくる。
あそこで待っていてくれ。
そう言われたから。
「百年だ」
短く告げられた数字。
人間が約束を覚えていられるには、長すぎる時間。
人間が誰かのもとへ帰るには、あまりにも遠い時間。
その博士は、普通の人間だったという。
ならば、おそらく。
おそらく、もう。
ジャンはそれ以上を言わなかった。
「37号に真実を伝えるかどうかは、おまえらに任せる」
言葉は冷たく聞こえるほど率直だった。
それは突き放しているのではない。彼にも、そこは決められないのだ。
彼女の願いを守るのか。彼女の時間を前に進めるのか。
どうすれば幸せなのかは分からない。どちらも正解で、どちらも間違いなのかもしれない。
「ただし、ひとつだけ確かなことがある。――彼女は命を狙われている。まずは助けてやってほしい」
今回の舞台となる集落では、ちょうど花祭りが開かれるらしい。
年に一度、僅かとはいえ訪れる作物の恵みに感謝する祭り。
通りには色とりどりの布が張られ、家々の窓辺には花飾りが並べられる。
屋台では花蜜を使った菓子が焼かれ、花びらを浮かべた飲み物が並ぶ。
祭りの目玉のひとつに、『願い花の栞作り』があるという。
好きな花を一輪選び、そこに願いや約束を込めて押し花にする、花のおまじないだ。
特に希望がなければ栞に仕立ててもらえるが、髪飾りや小瓶、手紙に添える封飾など、望む形があれば相談もできるらしい。
自分の誓いを込めて栞を作ってもいいし、二人の約束を込めて簪を作ったりしてもいいだろう。
37号もその祭りを手伝っているという。
飾りつけの支柱を立て、花籠を運び、壊れた屋台の車輪を直し、迷子の子どもを親のもとへ連れていく。
正午が近づけば、彼女はきっといつもの花畑へ向かうだろう。
ジャンはそこで、少しだけ息を吐いた。
「花祭り自体は、普通にいい祭りだ。甘いもんもあるし、歌もあるし、花細工なんかも売ってる。物事が起こる前に楽しんでくるのも悪くない」
それは不謹慎な言葉ではなかった。
花祭りは37号が守ってきた日常でもある。
彼女が百年のあいだ見続けてきた景色。彼女が博士を待ちながら、それでも毎年手伝ってきた営み。
「今回の目的は単純だ」
ジャンは言う。
「37号を守れ。サイコブレイドの作戦を潰せ。必要なら、その後のフォローも頼む」
少しだけ沈黙が落ちる。
「……おまえらが、必要だと思うことをしてくれ」
花は咲く。
百年前と同じように。
約束の日を知らないまま。
正午になれば、彼女はまた花畑に立つだろう。
博士が帰ってくると信じて。
今日も、明日も。
その次の日も。
その時間を終わらせる権利が、誰にあるのかは分からない。
ただひとつだけ確かなことがある。
彼女の時間を、刃に断たせてはならない。
第1章 日常 『花溢れる園』
花祭りの朝は、集落中が淡い花の匂いに包まれている。
屋台からは花蜜を練り込んだ焼き菓子の甘い香りが漂い、透明な飲み物には小さな花びらが浮かんでいた。楽師たちは古い祝い歌を奏で、広場では村人たちが今年の実りに感謝して、花籠を祭壇へ捧げている。
決して大きな祭りではない。けれど、僅かな恵みを大切に分け合うこの集落らしい、素朴であたたかな祭りである。
なかでも人々の目当ては、『願い花の栞作り』である。
祭りの広場には、摘みたての花を並べた小さな工房が開かれている。白い花、青い花、赤い花、名も知らぬ野の花。参加者はその中から好きな花を一輪選び、願いや誓い、あるいは誰かとの約束を込めて、押し花にしてもらうのだという。
完成した押し花は、特に希望がなければ栞に仕立てられる。旅の本に挟んでもいいし、大切な手帳にしまってもいい。
もちろん、望む形があれば職人に相談することもできる。髪飾りや簪、小瓶に封じたお守り、手紙に添える封飾、贈り物に結ぶ飾り紐。
恋人との約束を込めてもいい。
友との誓いを形にしてもいい。
まだ言葉にできない願いを、ただ一輪の花に託してもいい。
花を選ぶ理由は、色でも、香りでも、花言葉でも、直感でも構わない。
――大切なのは、その花に何を込めるかだ。
花祭りの朝は、集落中が淡い花の匂いに包まれている。
屋台からは花蜜を練り込んだ焼き菓子の甘い香りが漂い、透明な飲み物には小さな花びらが浮かんでいた。楽師たちは古い祝い歌を奏で、広場では村人たちが今年の実りに感謝して、花籠を祭壇へ捧げている。
決して大きな祭りではない。けれど、僅かな恵みを大切に分け合うこの集落らしい、素朴であたたかな祭りである。
なかでも人々の目当ては、『願い花の栞作り』である。
祭りの広場には、摘みたての花を並べた小さな工房が開かれている。白い花、青い花、赤い花、名も知らぬ野の花。参加者はその中から好きな花を一輪選び、願いや誓い、あるいは誰かとの約束を込めて、押し花にしてもらうのだという。
完成した押し花は、特に希望がなければ栞に仕立てられる。旅の本に挟んでもいいし、大切な手帳にしまってもいい。
もちろん、望む形があれば職人に相談することもできる。髪飾りや簪、小瓶に封じたお守り、手紙に添える封飾、贈り物に結ぶ飾り紐。
恋人との約束を込めてもいい。
友との誓いを形にしてもいい。
まだ言葉にできない願いを、ただ一輪の花に託してもいい。
花を選ぶ理由は、色でも、香りでも、花言葉でも、直感でも構わない。
――大切なのは、その花に何を込めるかだ。