⑧衝動を呑む
●衝動
死にたい。死にたい。死にたい。
殺されるのは嫌だ。死にたい。
自分の命は自分で終わらせよう。
それが命の責任というものでしょう?
そうでなかったら、私は。
私たちは……。
好きな人に死んでほしくない。
当たり前のことだ。
だから、この力があなたに効かなかったとき、どれだけほっとしたか知れない。
でも、言わない方がいい。あなたが私の特別であることは明らかじゃない方が、あなたは私の好きなあなたでいてくれる。それに、あなたが私の特別だと知れたら、あなたを飼い慣らすことで、私を従属させようと、収容局も、国も動くでしょう。
簡単に飼い慣らされるようなあなたではないでしょうけれど、あなたの中には愛国心と、ある程度の忠誠がある。でなければ、王権執行者と呼ばれるほどの面目躍如を組織のためになんて続けない。
そんなあなただからこそ、私は好きなのだし、自由を奪いたいわけでも、迷惑をかけたいわけでもないんです。
役に立ちたい。
——戦場に、出れば。役に立てるのでしょうか。
負担を減らせるのでしょうか。
無辜の民がどう、というのは少し、私には遠い話なんです。この力はあまりにも無差別で、私自身がどうにかできるわけじゃないから。
でも、リンドー先輩の役に立てるのなら、
これでも、いいんでしょうか。
●残骸のこころ
「ええと」
曖昧に視線をさまよわせながら、集まった√能力者らの前に出たのはジェイド・ウェル・イオナ・ブロウクン・フラワーワークスだった。戸惑いと、冷や汗と。それらが同居した中でも彼の表情は一定して笑みである。
普段は比較的はきはきして、好戦的なきらいのあるジェイドがこんな様子なのは、彼を知る者からすれば、珍しく映ったかもしれない。
「秋葉原荒覇吐戦の新しい任務なんだが……あんたらは、死にたいって思ったこと、ある?」
お前はどうなのか、というのは、彼の種族が「人間爆弾」ということで察してほしい。彼の本懐の一つはその身に埋め込んだ爆弾で人類の栄光のために散ることだ。
さて、死にたいと思う——所謂自殺衝動。本来の意味での死というのは、Ankerという座標を持ち、死んでなお観測されて元通りになる√能力者からは遠退いた概念であるが、死から遠退いたからこそ死を望むということもあるだろう。
「人それぞれだ。思ったことがあろうとなかろうと、おれはあんたを責めやしない。これから行く先でそう思っても、実際、自殺しても。
——大型予兆は見たか? あれに出てきた人間災厄『リンゼイ・ガーランド』のいる場所に行ってもらう。彼女の能力は自殺衝動を著しく高めて、人を自殺させること、だな。簡単に言うと」
簡単に言っていいのか、これ、とジェイドはぼやいた。
その能力は無差別的であり、EDENや簒奪者の区別はない。当然、無辜の民にも効く。
だからこそ、√汎神解剖機関において、彼女は『封印指定人間災厄』とされていたのだろうが……。
「おれたちや簒奪者は√能力を持つから、死んでもまあ戻って来られるっちゃ来られるが、一般人までこの力が及ぶのはならん。つーわけで、彼女を止めてくれ」
止めるためには、リンゼイの√能力で増幅される自殺衝動と戦わなければならない。その方法は各々模索してな、とジェイドは言った。
「ここからは、独り言だから聞き流してくれてかまわない。
……自殺衝動と戦う必要、あるか?」
翡翠色の瞳は仄暗い色を宿していた。
「抗う必要、あるかね。そのまま、受け入れちまうのも、一つ、手じゃないか。死にたいと常日頃から思ってるやつがさ、その衝動に抗うなんて、自分を否定するようなもんだろ。それ、苦しいと思うんだけど。
……ま、あくまで、これは独り言。誰もに当てはまるわけじゃねーし、言いたいこともあるかもしんないけどさ、今は呑み込んでくれよ。
これは普通に星詠みで得た情報なんだが、一瞬でもリンゼイに好かれると、自殺衝動の能力が緩むらしいんだよな。だから、好かれるってどうやって? って思ったんだけど。やっぱ、ありのままの心が大事じゃね? って」
あっはは! と人間爆弾は快活に笑った。
「おれは無理! 充てられて爆発して終わりそう! だからあとは任せた!!」
何か、とても無責任に締めくくり、ジェイドはEDENたちを見送った。
第1章 ボス戦 『人間災厄『リンゼイ・ガーランド』』
●|天《そら》を駆ける想い
秋葉原ダイビルに、|天駆翔姫《ハイペリヨン》が舞い降りた。
それは見た目には「ただの少女」だった。
事実、架間・透空(|天駆翔姫《ハイぺリヨン》・h07138)はただの少女「だった」。それが過去形だとしても、彼女のひたむきな想いは彼女がただ少女だった頃から変わらない。
「とても簡単な自殺方法があります。紹介致しましょう」
舞い降りた少女を見て、リンゼイ・ガーランドは【|自殺のための百万の方法《ミリオンデススターズ》】を唱える。
とても簡単で、とてもポピュラー。高層ビルなんかがおすすめ。
「投身自殺です。高いところから真っ逆さまに地面に落ちる。頭から落ちるのが確実性が高いでしょう。四階以上の高さが良いという話もありますが、打ち所が悪ければ、低階層でも普通に死ねます」
「どうして」
淀みない言の葉に、透空が声をこぼす。
死にたい。死にたい。死にたい死にたい死にたい。溢れそう。叫びそう。今すぐリンゼイの言ったとおりのことを実行して、死んでしまいたい。
けれど、透空はそれよりも強い衝動を持つ。
「どうしてリンゼイさんは死なせようとするんですか」
「……死なせたい、わけでは。これが災厄としての私の力です」
少し呆然としたようすのリンゼイ。つきりと透空の胸が痛んだ。
……そうだ。望んでこんな力を持っているとは限らない。誰だって好き好んで死にたいわけではない。私だって、高められた衝動のままに「死にたい」と思う以上に「死なせたくない」と思う。そう思うから、今ここに立っている。
でも、リンゼイさんも、好き好んでで死なせたいわけじゃないのかな。
それは少し、悲しい。
でも、それならやっぱり、
「私、歌います。歌わなきゃ」
透空はレゾナンスディーヴァ。誰かの魂を震わせるために、歌を歌う者。
「リンゼイさんにも……きっと大切にしたい人がいると思うんです」
「はい」
生真面目な眼鏡の奥の瞳は揺らぐことはなく、けれど立ち続ける歌姫を見つめる。
「……貴女が今死なせようとしている人にも。大切な人がいると思います。大切な人の為、他の人の大切な人を傷付けるのなら——私は生きて欲しい、って。励まし続けます。死にたいと誘われてしまう人たちのことも、あなたのことも」
あなたがこんなことを続けなくて済みますように。
誰も死ななくて済みますように。
死にたいと願ってしまっても、大切な人のために、みんな「生きよう」と願えますように。
誰よりも、高く、遠く。
|天駆翔姫《ハイペリヨン》は歌う。
夢の欠片を振り撒いて。
●思慕各々
死にたい。
その気持ちが、四之宮・榴(虚ろな繭〈|Frei Kokon《ファリィ ココーン》〉・h01965)には痛いほどよくわかった。
榴の隣には手を繋いで和田・辰巳(ただの人間・h02649)がいる。彼は榴の相棒であり、榴は彼を慕っている。
けれど、どんなに思っても、この衝動が、希死念慮がそばにあることを辰巳には理解してもらえないだろう、と榴は考えている。
自分の痛みに疎いから、死というものは苦しみから遠く、命を惜しまず捨て身の行動を取るのは、本望とさえ言えた。それが辰巳のためならば、これ以上など。
手を繋いでいる。繋ごうと言ったのは辰巳だ。体温が伝わってくる。ぬくもりがある。「ただの人間」で本来なら死と遠くあるべきの体温が。
お守りしたい。そう願う榴の傍らで、辰巳もまた覚悟を決めていた。
死にたいと思ったことは辰巳にだってある。仲間をたくさん死なせてしまった。自分のせいで。自分が殺してしまったようなものだ、という悲嘆は、死への誘惑をもたらした。それへの抵抗が格段に落ちていた。
「仲良く手を繋いで、心中がお望みなのでしょうか。
でしたら、水死をおすすめします。近くに川があるというのは知っています。橋もあると。飛び降りて『二人で永遠になる』という考えがあると聞きました。忌まれもする風習と。
私は忌み物ですから、自殺の方法の貴賤など考えませんが」
「僕たちは死にに来たわけではないですよ」
「そうですか」
【|自殺のための百万の方法《ミリオンデススターズ》】で抵抗力ががくりと落とされる。効果はリンゼイの【ヴァージン・スーサイズ】がもたらすものに限定されているはずだが、それでもリンゼイがいる限り、自殺衝動は加速し続ける。膨れ上がり、苛む。
——それでも、死ぬな、戦え、と。
友の声を辰巳は思い出す。そう叱咤された。自分のせいで死んだと思うなら、その者たちのために生きろ、と。
だから、自殺衝動を振り撒く災厄の前に屈することはない。
そうして、自分の手から離れた榴のことも信じる。
ふっつりと消えた体温。その残滓を握りしめながら、辰巳は【|編纂招来:綿津見神《オーバーライドウィズ・ワダツミノカミ》】を発動。水流が溢れる。
「自前で川を用意するとは豪気です、ね……!?」
「辰巳様」
皮肉げに返すリンゼイを抱きしめる者があった。榴だ。【|見えない怪物への転移《メタスターシス・トゥ・インビジブル》】により、瞬間移動。インビジブルはどこにでもいるが、死を振り撒く災厄の周りにはより多く漂い、難なく目的を達することができた。
「なに、を」
「貴女様と死ぬのは、怖くありませんから……」
死にたいのですよ。気持ちがわかるのですよ。でしたら、辰巳様の攻撃を通すために、貴女様を押さえて……僕もろとも、討っていただきましょう。
穏やかとさえ思える声音で、榴はそんなことを告げた。辰巳が水面より読み取った榴の【|深海の深さを識る《リアライズ・デプス・アビス》】により、水槽が放たれる。深海800mの水圧。防御を底上げし、毎秒回復しても、水圧による苦しみだけが延々と続く、檻。
それがリンゼイと榴を呑む。けれど、水は今、全て辰巳の制御下であった。綿津見神の力である。ゆえに、水で榴の手を掴まえて、引き寄せて、手をもう一度、繋ぎ直す。
「一人で逝くなんて、許さないよ」
「辰巳様……」
注がれるまっすぐな眼差しに、榴は目を伏せた。御免なさい、と細い声が落ちる。
辰巳を含めた99人を救うことに榴が自らの命を投げ出すというのなら、その榴を僕が救う。そうすれば、100人救うのも簡単だ。——辰巳はそう告げた。
「貴女も、死ななくていいんですよ、リンゼイさん」
辰巳は空いている手をリンゼイに差し伸べる。
リンゼイは目を閉じ、首を横に振る。
「私が取りたい手は、あなたのものではないので」
けれど、苛む衝動は、薄まっていたように思う。
●相対
「好きな人に死んで欲しくない、ええ、とても分かります」
セシリア・ナインボール(羅紗のビリヤードプレイヤー・h08849)の声に、リンゼイは顔を上げた。眼鏡の奥の丸い碧眼は暗い色を宿しながらも無垢であった。
その雰囲気とあの男を「先輩」と呼ぶ様に、セシリアは少し胸が痛んだ。……後輩に少し、重なる。
そんなセシリアの装束に目線を走らせ、リンゼイは疑問を口にする。
「その布は、羅紗……魔術塔の魔術士ですか」
「ええ。もう羅紗の魔術塔は崩壊しましたが」
好きな人に死んでほしくない。好きな人の力になりたい。その一心で、セシリアは先の天使化事変決死戦に参加した。結果、塔は崩壊し、数多の羅紗魔術士が命を落とした中、彼女は後輩共々生き残った。
あまりにも犠牲を払いすぎたが、その犠牲者の中に「アマランス・フューリー」の名が連ねられずに済んだのは、救いと言ってよいだろう。アマランスを助けるために、セシリアは奔走したのだ。
好きな人。慕う人。敬愛する人のために。持てる力の全てを尽くす。……痛いほどよくわかる。
だからこそ、今ここでリンゼイの振り撒く衝動に呑まれるわけにはいかなかった。
散った命があまりにも多すぎる。命を続けなければならない。
『自分で死のうなどと思うな』
そんな呪詛を耳元で嘯かせる。
「絞首も、よく使われる手法ですよね」
セシリアの羅紗を見つめながら、リンゼイはぽつりとそう呟いた。
セシリアがキューを構える。【|自殺のための百万の方法《ミリオンデススターズ》】を仕込むリンゼイに【|二連突き《ダブルショット》】で応戦しようと。……好かれるのは無理だ。セシリアは羅紗の魔術塔、リンゼイは連邦怪異収容局。そもそも、相容れないのである。
様々事情持つ√能力者同士の一つと言えた。
「お嬢さん」
臨戦態勢。そこに一つ声がかかる。
黒い。大きな蛇を巻きつかせ、ウォルム・エインガーナ・ルアハラール・ナーハーシュ(回生・h07035)が立っていた。
「君の話を聞きたい。少し話をしないかね?
私はウォルムと言う者だ。お嬢さんと同じ、人間災厄でね」
「そうですか。……大きな蛇ですね」
「ありがとう。ヨルマというんだ。お嬢さんの名前は?」
「リンゼイ・ガーランドと申します」
「リンゼイさん。よろしく」
すっと差し出される右手。自然な流れ、自然な仕草。リンゼイは疑うことなく、握手に応じる。
右掌が触れて、束縛などないまま、封じる。それは一種、優しさであった。
「君はどうしてこんな戦場に? 封印指定災厄と聞いたから、きっと封印を解かれたばかりで、事情をよく知らないと思うけれど」
「そうですね。ただ命令に従ってここにいます。ですがそれならあなたこそ、何故。敵対者とお見受けしますが」
「いや、迷子のような目をしていたものだから、つい。誰かを追ってきたのかな?」
まいご。ウォルムの言葉を反芻する。蛇もじっと言葉を待っていた。ただ待ってくれている。
「……リンドー先輩を」
「はぐれてしまったのか?」
「そう、ですね……」
はぐれた。その言葉が「ひとりである」ことを刻みつけてくる。これでいいのだ。言い聞かせるために、リンゼイは静かに瞑目する。
先輩には、この力が効かない。私が先輩を好きだから。でも、そばにいない方がいい。敵対者や他√の簒奪の徒はともかくとして、無辜の民が死に逝く様をわざわざ見たいとは思わないだろうから。
「あ、いたわね、リンゼイさん。予兆を見たわよ」
「……?」
ふわりと。微笑ましげな声にリンゼイが振り向くと、さらりと冷たい風が頬を撫でた。矢神・霊菜(氷華・h00124)が穏やかに笑んでいる。
霊菜は妻であり、母である。大切な家族がいる中で自殺衝動に囚われるなど、考えたくもない。それがどんなものであるかは知らないけれど。
しかしながら、リンゼイの乙女心には共感できる。自分には愛する人がいるので、浮気なんて微塵もする気はないが。
「ふふ、この人だけは失いたくないという思いが彼を『特別』にしているのかしらね。そういう思い、とっても素敵」
「え、あ。は、ありがとう、ございます」
照れてる。かわいい、と思いつつ、くすりと霊菜は笑った。腹の底から沸いてきていた正体をあまり知りたくない衝動が少しなりを潜めた気がする。
霊菜は続けた。
「それに彼のあのダンディな様子って惚れちゃうわよね。あ、私には最愛の夫がいるから、彼は対象外よ」
「……そうなのですね。あなたも素敵なマダムと思います」
「ありがとう。私はどちらかと言うと貴女たち2人を応援したいのよねぇ」
「おう、えん……?」
好意的な言葉を好意的には受け止めているが、いまいちぴんときていない様子のリンゼイ。それでも、衝動は鎮まっていた。
(今ね)
【氷應降臨】。衝動が再燃するより速く、黒い蛇の右掌が触れているうちに、一撃を決める。
「っぐ」
タイミングを見計らい飛び退いていたウォルム。そこに【氷刃裂葬】。リンゼイの右手首から先が切断される。すぐに臨戦態勢を取り戻すリンゼイだが、畳み掛けるようにセシリアのキューがその体を打った。
力溜めされた上に二回攻撃。リンゼイは顔を歪めながら吹き飛ばされる。けれど、悔しそうというには、諦念が濃かった。
冷静に切断された右手首に簡易的な止血を施し、下がっていく。
ぼたぼたと落ちて、道標のように置かれる血痕。
リンゼイはそれを省みることはない。役に立たなくてはならない。死なせることしかできないのなら、私は。
何度死んだって拭われない罪業を……果たすしか。
よたつきながらもまだ戦場に立っていなくてはならない。先輩のために。
その背中をセシリアは少し、悲しげに眺めていた。「……彼女を見てるとやはりイングリッドを思い浮かべてやりづらいですね」
追撃はしなかった。
●愛と奇蹟と
右手が落ちていた。
綺麗な手だ。ほっそりとした指はしなやかで柔らかい。手袋は指先の保護のためだろうか、それともお洒落か。米国の女性なら後者の可能性も大いにあり得る。
——リンゼイ・ガーランドの右手を拾い上げたのは、アンミタート・アケーディア(愛を求める羅紗魔術士・h08844)であった。
彼の周囲には羅紗が揺蕩っている。【|羅紗が肉体を凌駕する《ラスト・スタンド》】により、死を無効化しているのだ。
アンミタートのAnkerは羅紗織りのミニポーチである。先日、憧れのアマランスと織ったポーチで、思い出の品である。これが視界にある限り、羅紗が彼を守り、死ぬことはない。
(リンゼイ・ガーランド……彼女がMr.スミスを愛している以上、私の愛の囁きが通用するとは思えないが、運命の人かもしれない以上、試さないわけにはいかないな)
愛に焦がれている。それがアンミタートであった。それは彼のアイデンティティと言える。運命の人がどこかにいるはずだと青い理想を信じているのだ、心から。
故に、簒奪者相手であろうと、そこに可憐な女性がいるのなら、声をかけずにはいられない。その衝動は、現在リンゼイの能力で増幅させられている自殺衝動といい勝負をしている。
それに、彼女に声をかけるちょうどよい口実もできた。右手をそっと抱きしめると、アンミタートは意気揚々とリンゼイを探す。
そう遠くない場所に、リンゼイは佇んでいた。彼女の姿を認めた途端、どくんと心臓が高鳴る。
あぁ、
「貴女は、この手で人を殺めたことはありますか」
「……ぇ」
拾った右手を示しながら、アンミタートが口にしたのはそんなことだった。
初対面の男が自分の右手を持って口にするというシチュエーションが狂気じみているが、リンゼイ自体が狂気の沙汰の体現であるためか、彼女は生真面目に悩んでいるようすだった。
少し考えて、はい、と答える。
「私の力で人は死にます。その最期がせめて安らかであるように、私自身が殺すことも必要と感じることはあるので」
奈落の底を写したような瞳がアンミタートを確り見据える。アンミタートは少し残念そうに眉を潜めた。彼女が人殺しをはたらいていたことに失望したのではない。
この手に、綺麗な指先に、殺されるいちばん最初でないのは残念だ、と——正気を失った思考がよぎったのだ。
「そうですか。リンゼイ・ガーランド。あなたを滅ぼすためじゃない。愛するために私はここにいます」
「愛、ですか。不思議なことを仰いますね」
「不思議も何もありませんよ。貴女は美しい。それ以上の理由は、私には必要ありません。――私の“愛の救済”を受け取ってみませんか?」
愛の救済。
愛。
リンゼイはゆっくり、目をぱちりと一度、瞬かせた。
「いいえ。お断りします。愛が救済になり得るとして、私はもう、それを受けました」
私の力を受けても、先輩が死なないこと。それが私が受けた『愛の救済』と呼べるものであり、奇蹟だ、と。
そんなことを言われてしまえば、これ以上すがりつくのもみっともないというもの。ほろ苦くアンミタートは笑った。
「わかりました。では、これだけお返し致します」
そうして、右手を渡す。
ありがとうございます、という言葉を受けながら、それでも成果は上々と言っていいだろう、とアンミタートは飲み下す。
もう、その綺麗な手に殺されてみたいという衝動もなくなっていた。それは、彼女が一瞬でも好意を抱いてくれたということだ。
愛の真価を知っていく。
●なんのため
死ぬ気か?
正気か?
自殺願望でもあるのか?
……そんなことを言われるほどに、ヨシマサ・リヴィングストン(朝焼けと珈琲と、修理工・h01057)はかなり前に出るタイプの戦線工兵である。
そもそも戦線工兵とは、戦線維持のためならば兵器の修理から戦場の改造まで、あらゆる戦線構築・メカニックを一手に引き受けるのがメインである。しかし時には戦闘員として拠点防衛も担当する、戦線維持のスペシャリストだ。つまり、前線に出ることは何らおかしくない。
戦って、戦って、戦って。勝利のための礎となることこそが√ウォーゾーンの兵士にとっては誉であり、本懐である。生き急いでいるように見られるかもしれないし、あまりにも前のめりに見えるかもしれない。けれど、自殺願望などではない。
√ウォーゾーンの価値観は他√で平常とされる倫理観を捨て去っているかもしれないが、それは全て勝利のためであり、何一つ無駄にしないためである。
死に何より栄誉があるのは、それが資源として活きたときだ。つまり、「死ぬために死ぬ」戦線工兵など存在しないのである。ヨシマサも例外ではない。
「そんなわけで人類の勝利のために今回も頑張りましょ~」
なんとかなれ~、という軽い……あまりにも軽い掛け声と共に展開される【|群創機構爆撃Mk-IV《スウォームブラストマークフォー》】。今回の標的は『リンゼイ・ガーランド』だ。その設定を今回は手動で行う。
自動設定にしてしまうと、何かあったときに危険だ。融通が利きすぎる。
何故なら機械に心などないから。心などないから、衝動をもたず、リンゼイが与えてくる自殺衝動も物ともしない。だが同時、所有者に対しても愛着を持ちはしない。だから、設定一つでヨシマサを撃つこともある。
自殺衝動を強制する能力。それならば何よりも信用してはならないのは『自分自身』である。だから、簡単にオンオフ等の切替ができないよう調整する。
そうして、ヨシマサが準備を整えると、タイミングよくぶおー、と何かの音がした。法螺貝ではないが、戦の始まりを想起させる音。
これから戦いへ赴く味方の勇猛さを称え、高め、勝利への邁進を鼓舞するような。
「|Omnes una manet nox《死は我ら全てを待ち受ける》。これを体現した強大な敵だ。だがそれで止まる理由もなし。死が相手であれど人間の姿であるならば、この雄々しい尾を振り、猛々しい頬を見せつければ遠ざける事もできよう」
管楽器を吹き鳴らし、味方を鼓舞したのはタミアス・シビリカス・リネアトゥス・フワフワシッポ・モチモチホッペ・リースケ(|大堅果騎士《グランドナッツナイト》・h06466)。誇り高きシマリスの騎士である。
さあ、立て。尻尾を掲げ、頬を膨らませよ。勇気は千の盾となる。|街道の女王《レジーナ・ヴィアルム》による鼓舞は戦士たちの勇気を掻き立てる。
尻尾まで含めて17cmのリースケだが、それでも……いや、だからこそ。リンゼイは簡単に彼を捉えることはできない。普段は決戦型WZなどに搭乗して戦うが、小柄な身は小柄な身でできることが多いのだ。彼は野良。野生に生きるからこそ、己の身体全てを生かす戦い方を知る。
小柄だからこそ、存分に地形を利用して戦える。枝から枝へ飛び移る要領で、ヨシマサの飛ばす「シーカーズ・フレアVer.1.0.52」へと飛び移るリースケ。目標は同じリンゼイ・ガーランドだ。道標として申し分ない。
リースケのもたらした鼓舞の音色により、ヨシマサもどうにか舌を噛みきらずに済ませる。呼び起こされる自殺衝動、別な生き物であるかのように自分を殺そうとする手足。舌を噛み切らないよう猿轡をし、利き腕の肩を外す。尋常ならざる痛みはいくらか平静さをもたらしてくれた。
足はさすがに機動力がなくなるのでそのまま。まだ使える片手が諦め悪くさまようが、そのくらいなら手頃な壁や瓦礫に打ち付けることで抑えが効いた。
戦いが常であるため、痛みへの耐性は高い。それでも痛みは命の危険を知らせる信号。衝動に走らされる脳を制止する機能を十全に果たしていた。
ドローンからの攻撃を受け、リンゼイは静かな眼差しを「シーカーズ・フレアVer.1.0.52」に注ぐ。その向こう、自分の体をこれでもかと痛めつけながら、自害を遠ざけるヨシマサの姿に、彼女は呟く。
「なぜ、そうまでして……」
勝利のため?
勝利の先に残るのが、死んだ方がましなくらいの重傷でも、その勝利を誇れるのか?
「一瞬で終わる方法なら、あなたも知っているはずです。ドローンでの攻撃を使うのなら、射撃による自害。こめかみに銃口を当てて、撃つのです。頭が飛べば、人間は誰だって死にます」
語られる自殺方法。猿轡のため、ヨシマサは言葉を返せないが、へにゃりと笑った。
死んでもするか。そんな方法。
笑顔の奥の覚悟を代弁する者が駆ける。
「シーカーズ・フレアVer.1.0.52」の猛撃の合間から、リースケの右前肢が炸裂! てしてし、ぺちぺちといった具合の連続|パンチ《キック》だが、それは√能力者の右掌である。
その意味は長らく封印されていようとわかる。
(ルートブレイカー……厄介ですね。拘束と呼べる所作ではないのに、無効化されるから、チャージが途切れます)
【Da dextram misero】。リースケはそう呼ぶ。哀れな者に差し伸べる右手であった。
(厄介? ……厄介なんて。それは、自分のことを棚上げにして言うようなことではありません、ね)
苦いものがリンゼイの喉の奥に込み上げる。笑ってしまえればよかったが、笑うには希死念慮との付き合いが長すぎる。
けれど、
「私は、役目を果たさなければ」
せめて、役目を。
身を焼かれながらでも、不自由を強いられても、それが好きな人の助けになるのなら。
そんな姿は確かに「哀れ」だったかもしれない。
●輝けるこころ
光があった。それは眩しかった。
目を開けていられない。命を死なせる私は、せめて見届けなければいけないのに。目を見開いていなければいけないのに。
だから、目を逸らし続けている。
「俺はこう見えて生に執着してるんだ。死を覚悟することはあっても死にたいとは思った事はない」
リンゼイを目の前にして、桂木・伊澄(蒼眼の|超知覚者《サイコメトラー》・h07447)はただ前を見据えていた。多少なり、リンゼイのヴァージン・スーサイズの影響を受けているはずだが、伊澄の蒼眼に翳りはない。
伊澄には常に覚悟があった。死を覚悟する。生きてきた中で、そんな場面もあった。でも、死にたいと思ったことはないという。
生き延びてやるという覚悟の方が強いから。
「実験体として非人間的な扱いを受けてきた。でも、死んでやるもんかって反骨精神で生き続けることを選んできたんだ」
伊澄は√EDEN出身の人間である。が、幼い頃、√汎神解剖機関に迷い込んだ。機関に保護されたのは良いものの、サイコメトラーの力を持っていたために、あらゆる実験を施され、研究され、尊厳を踏みにじられてきた。その心は子どもの加減ない意地っ張りでもなければ、簡単に折れていたかもしれない。それくらいの仕打ちを受けたし、悪くすれば今頃、伊澄を定義する種族は「人間」ではなく「人間災厄」だったかもしれない。
リンゼイがそうであるように。
一つのボタンの掛け違いで、こうなっていた可能性がある。だからこそ、伊澄は目を背けたりしなかった。
リンゼイもそのまっすぐな青を受け止めていた。|あのセカイ《√汎神解剖機関》ではもう見られないような透明さだ。
「そんな俺を拾ってくれた人がいたんだ。居場所をくれた。俺に生きていいんだと教えてくれた」
「だから生きると? あなたの中に自殺衝動は存在しないと?」
不可解だ。いくら心を強く持ったところで、リンゼイの【ヴァージン・スーサイズ】は無差別的で凶悪。リンゼイ自身にすら制御ができないほどに。
全く効かないということはないはずである。衝動とは心だ。リンゼイの力が増幅する衝動は感情とは別のはたらきをするが、それはいつだって、心の中にある。心のないものには効かない。だが、伊澄は人間だ。死を覚悟しても死にたくないという思いを抱く。抱いた思いを叫ぶことのできる、「心」ある人間だ。
眩しいくらいの「生きる意志」を持つ人。
生きる意志が強いから勝つ? そんなレベルでどうにかなるのなら、私は封印なんてされない。
そこに飛来する弾丸。ほとんど空っぽに近い記憶を詰め込んだそれ。
光の速さとはいかないが、それでも|希望《光》を信じて駆ける戦士がいた。其之咲・光里(無銘の騎士・h07659)である。
光里がここに至るまで、様々考えた。
(死にたいって心から思ってる人もいるのかな。それが本心なのなら、その心を止めることはできないよね。思うことまで制限したら、それこそ光を見失っちゃう)
それはだめだ。
光を見たい。与えたい。だから「光里」という名前で、自分は歩んでいくのだ。
(でも、ちょっと悲しいな……。わがままだよね)
この人も、そうなのかな。
リンゼイの目を覗く。攻性インビジブルが飛んで、|白色弾丸《ブランクバレット》を追うように追撃。自由など与えない。チャージの暇など。
ハイカラな眼鏡の奥で深淵のような色をした目は諦念を灯していた。
そんな目をしてでも、戦わなくちゃいけないんだ。退くことができないんだ。そのことはやっぱり、悲しいと思うよ。
でもね!
|無銘輝剣《ストレイライト》を抜き放ち、駆け抜ける。
「あなたの力、確かに収容されるのは仕方ないかもしれない……自分の力に絶望するのも」
「はい。受け入れてはいます。ですが、だとしたらなぜ、あなたは今、立っていられるのですか?」
「わからない、けど」
自殺衝動に充てられていない。その理由はわからない。けれど、それなら剣先がぶれることはない。大丈夫。被害を広げる感染型を出されないように、連続攻撃を畳み掛ける!!
「きっと、あなたと同じだよ!」
「私と?」
光里の剣をいなし、かわし。受け流しながらの応酬。
リンゼイの中に渦巻く疑問を、少しでも掬い取れたなら、その表情も晴れるんじゃないか、と光里は答える。
「光があるから。あなたにとっては、リンドーさんが光なんだよね?」
「……っ」
応急措置でざっくばらんに繋いだだけの右手に、|無銘輝剣《ストレイライト》が当たる。応急措置とはいえ、テキトウにしたわけではない。……繋がっていないはずの指先の神経が、痛みを訴えた気がした。
光。希望。誰かに言ったとおり、呪わしい力を持った中で、奇蹟と思えた。それがリンドー先輩の存在。
そういう光に包まれているから、光里は立っていられるのだという。きっと、伊澄もそうだろう。
リンゼイは詳細を知らない。だが、伊澄は√EDENの人間である。そのことがこの場では大きな意味を持っていた。
√EDENでは【忘れようとする力】が強くはたらいている。その力は異常事態を受け入れやすい形に加工して、人々の記憶を優しく改竄することで、あらゆる心を守るのだ。
そういう奇蹟の一つ。
伊澄の√能力であった。
自殺衝動という状態異常を回復し続けている。無効にしているわけではないから、衝動は存在し続けているが、癒えた心でなら、抗える。
そんな|希望《ひかり》。
私には持てないものだ……。
青が、見つめている。
「あの頃のように、|研究者《あいつら》の為に生死を決められるのじゃなく、俺は俺の意志で生きていい。あの人はそう教えてくれた。
俺は今生きたいんだ。俺を拾ってくれたあの人の為にも俺は死なない! 死にたいなどと、思うものか!」
ああ、強い光だ。光を受けて、知って、得た力を思うままに振るえる。
私もそうなれたらよかったのに。
「今は倒させてもらうよ! でも、また会いにいくから! その時はあなたの|希望《光》の話、もっとよく聞かせて!」
ひかりという名に相応しく、光里の声は明るい。リンゼイは瞳に陰鬱さを抱えたまま、重たげに口を開く。
「来ないでください。死にますよ」
「大丈夫。私、√能力者だから、死んじゃってもなんとかなるよ」
楽観的だ。
けれど、「光里」という名は、その明るさは彼女自身の願いなのだ。
シリアスなのも、ネガティブなのも、私らしくないから。
だったら、敵であってもさ、「あなたの光になれたらいいな!」って笑う方が私らしいと思うんだ。
過去のことは覚えていないけれど、今の私とこれからの私は、そう在りたいって願う。
名前のない輝きが、忘れないように、誓いを刻んだ。
眩しい。
あまりにも。
目を背けてもいいですか。
私は……。
よろり、リンゼイ・ガーランドは、それでもまだ立っている。
●甘口のタルト
あまりにも奔放な災厄であった。
「んぅ〜……わざわざ、ここに来たということはその力の使い方を見つけましたか?」
神咲・七十(本日も迷子?の狂食姫・h00549)の声は緊張感に欠けていた。対照的に、リンゼイの真面目くさった表情は一切崩れる様子がない。
真面目くさった様子のまま、彼女は答える。
「使い方なんて、ありませんよ。私はただ、ここにいるだけで役目を果たせます」
そう。
いるだけで最悪なのだ。だからこそリンゼイは災厄なのだ。
特に面白味のない回答。けれど事実。
その証拠に、七十の身体も与えられる衝動に動かされようとしていた。
「それだけで、いいんですか? まぁ、私も好きにやります。貴女も好きにやればいいと思いますよ」
蠢き出す衝動を抑制することはない。それは隷属させてしまえばよい。神咲・七十はそういう存在である。
しゅるしゅると芽吹く正体不明の植物。衝動の成長より早く、伸びて、伸びて、七十の肌を舐める自傷痕を呑むように纏われていく。
【|我隷我喰《ガレイガガ》】。纏われた瞬間再生能力は如何なる負傷もなかったかのようにする。更に万物を隷属化する能力も纏われ、自傷行為すら従えさせる。
己に従順とは言えないモノを従える。それこそが「隷属」と呼ばれるモノだ。
七十はこの能力の継続にのみ集中する。纏うのをやめたら、おそらく死ぬから。
「それが、あなたの『力の使い方』というわけですか」
「ふふふ、お腹空きますね……」
「でしたら、食べたら良いのではないでしょうか。あなたの操るそれがあなたにとって毒かどうかは不明ですが、よくわからないものを食べるというのは、それもまた自傷のうちに含まれると思います」
七十の在り方に応じるように、リンゼイも百万の中から選り抜いたものを差し向ける。
「単なる服毒もよいですが、野生植物を処理せずに食べるのは自殺行為となり得ます。人間が行う調理という工程には食べやすくする以前に食べられるようにするという意図が含まれますから」
「……食べようとは、思いませんね。食べるなら、甘いものがいいです」
「甘いかもしれませんよ」
甘いのは、囁きだ。己の言葉を甘言にする。それがリンゼイの【|自殺のための百万の方法《ミリオンデススターズ》】である。これがリンゼイの「力の使い方」なのであろう。
けれど、七十は乗らなかった。この植物は甘いかもしれない。苺のような実をつけるかもしれない。けれど今、七十が求める甘さはふわふわのスポンジとたっぷりの生クリームであった。
誰かの言葉に従うのなら、七十もまた人間災厄などではない。彼女は隷属化を強いるのが本領。つまり、甘言は、甘いものは七十も操れる。
「力の使い方を見つけているんですね。それなら貴女も生きる事への渇望が湧きましたか? もしかして好きな人がいたりして?」
ぴく。リンゼイの指先が跳ねる。
好きな人。いるんだ、と笑う。当然、予兆のことは知っているので、カマをかけたわけでもないけれど。そういう甘い思いは直接堪能してなんぼだろう。
おなかは膨れないけれど。
「もしそうで、貴女の様な厄災でもそう思う様になるなら、好きになるってやっぱり凄いですよね」
突撃しながら、七十が思い浮かべるのは自らのAnker。七十のことを「|大嫌いで憎んでいる《大好きで愛している》」という。
そんな執着。
甘くてふわふわなら、あなたのそれを見せてください。
——そうして、リンゼイを隷属化しようと、切り裂いた。
●|詛《のろ》いの徒
死を振り撒いて歩く。
それが災厄が災厄たる所以。人間の形をし、手足を持ち、自らの意思で歩く。とても傍迷惑。けれど息をするように死を撒くのは、私の「呼吸」であり、生命維持活動である。それが言い過ぎというのなら、存在証明の活動である。
その点において、霧嶋・菜月(最後の証人、或いは呪いそのもの・h04275)はリンゼイ・ガーランドと性質の似た人間災厄であると言えた。
とあるトンネルの怪談。存在しないはずのそれに呪われた。人間が嘯いたために、その呪いは形を持ち、人に仇成す存在として認知されてしまったのだろう。認識されること、存在することが証明されてしまったから、災いは在る。
それが「怪談トンネルの呪い」という人間災厄であった。
「力の及ばない相手がいることも含めて、私たちはどこか似ているわね」
「そうでしょうか。あなたは自分の力を制御するすべを持ちます。|語らなければいい《・・・・・・・・》のですから」
リンゼイの指摘に、そうね、と菜月は苦笑。トリガーの有無は大きな違いだ。あまりにも大きすぎる。
だからこそ菜月はまだ自由に出歩くことを許され、リンゼイは封印指定をされているのだ。
「でも『死』であることは変わらない。同じだわ。あなたのことを私は完全に理解できないでしょうけれど、それでも私は、あなたを置いていったりしない。あなたを一人にはしないわ」
「……道連れにすると?」
「どうせ生きている限り地獄を生み続けるのだから、本物の地獄に行くのもそう変わらないでしょう。……というのはさておき。置いて行かれるのは、辛いもの」
ひとりぼっちにされるのは。
リンゼイの目が眼鏡の奥で微かに伏せられる。奈落の底のような色、と誰かが形容した。その目はあまりに美しい暗さだった。
「……心中、というものがあります。主に想い合う男女などが、共に自殺を図る行為ですね。忌まれた文化です」
死さえ二人を分かてはせぬ——そんな|夢想《ロマンス》。夢想は夢想に過ぎないわけだが、なるほどそれは一つの自殺の方法であった。
暗く淀んだ心が掻き立てられる。菜月の内側から自分を殺したいと、衝動が生まれ——なかった。
「ひどいですよ、本当に」
リンゼイの目は奈落の色をしていた。
底には何があるのか——深淵を覗いてはいけないわけだが。菜月はもう呪いを知ってしまって、呪いに成ってしまったから、深淵を覗いても、取り殺されはしなかった。
置いて行かれるのは、つらい。何気なく放ったつもりの言葉は、殊の外、リンゼイの心に響いたようで。「ひどいです」以上の言葉を放たない彼女に、菜月は話しかけ続けることができた。
「【永遠の肝試し】……私の肝試しはまだ終わっていない。笑っちゃうわね。この呪いが、私の生きる理由だなんて。私を一人にした。私を呪いにした。そんなものが生きる理由だなんて」
「ええ、ひどい話です」
「あなたには、そんな理由があるかしら? できれば、聞かせて欲しいわ」
眼鏡の奥、奈落の色が瞬く。
「似たようなものですよ。この力は『使える』。だから生かされている。そうでなきゃ、私は今ここにいません」
強大すぎて殺せないだけかもしれないが、今ここに解き放たれているように、呪わしくとも有用だから、存在を許されている。
「それでもいいと私が思うのは……そうですね。力の及ばない人がいるからです。その人が私の嫌いな人だったら、私はこの力を歓迎しなかったでしょう。今、ここにいるのは、力の及ばない相手があの人だったから、です」
「そうなのね」
やっぱりそれが、あなたの前を向く理由なのね。
祝福は残念ながらできなかった。なぜなら菜月は呪いだから。
あなたをこれ以上呪ったって、きっと仕方がないわ。あなたが私を呪っても、仕方がないように。
●蟲、無視、無私
和紋・蜚廉(現世の遺骸・h07277)の有り様は「生存本能の権化」と言えた。
野良の蜚蠊である。如何なる分野の猛者であろうと裸足で逃げ出すすがた、かたち。簡単に始末されてはくれないからこその恐怖を抱かれ、疎まれて。それでもなお、生きることを誇りとする。それが蜚廉である。
「喰らえば問答無用とは、恐ろしい」
己を生かす衝動。その真髄を自覚するからこそ、蜚廉はリンゼイの能力を素直に恐ろしいと思った。
抗うことはできる。しかし、生まれ出づる衝動から、死への渇望から、逃げることができない。なんと恐ろしいことだろうか。自分の裡に存在するそれをまざまざと突きつけられる。その惨たらしさと向き合わねば、進むことを、生きることを許されぬ。
なんと相容れない。
ただ、恐ろしいから、相容れぬからといって、蜚廉が退く理由はなかった。寧ろ、それに打ち克つことこそが、我を我たらしめるだろう、と。
ただで喰らいはしない。
我を心配する者がいる。傍に居たいと、手を繋いでくれる者がいる。
本能だけではない。戻るべき場所の為に、此の衝動を乗り切って見せよう。
蟲翅のはばたき。
ぴくり、とリンゼイが反応した。蟲は先輩も使う。自分を探して戻ってきたのではないか、という期待と後ろめたさ。
故に、和紋・蜚廉の異貌を見て、思わず安堵した。
それでも、【|希死念慮《タナトス》】は迸る。止められない。
(先輩でないのなら、この力を躊躇う必要はありません)
そこに駆け込む、青一閃。
「っ!」
反応が間に合わず、その一閃を受ける。不自由な右手で受けたそれ。かろうじて右手は繋がったままだが、痛みはある。手首から先の感覚は繋がっていなくとも、ぬらりと肌を滑る赤色の生温さは心をひたりと侵食する。
死のぬくもりを感じる。
与えようとする者の目は、青。
守るという意思、その衝動の色を宿していたのはクラウス・イーザリー(太陽を想う月・h05015)。彼にとって、希死念慮は常に頭を悩ましている存在だった。無視をするには、脳を大幅に占めている。心の大半を乗っ取っている存在。
続けざまに放つ薙ぎ払い。リンゼイの腹部から赤が散る。リンゼイがカウンターのように纏わりつく少女霊を放つ。それは希死念慮、自殺衝動の塊だ。けれどクラウスはなりふりかまわない。そのまま少女霊に突っ込み、切り裂き、苛まれながら、連撃。
死にたい。死んで楽になりたい。浄化されたい。あいつのところに、逝きたい。
衝動が喉の奥からせり上げてくる。ぎり、と奥歯を噛んだ。血の味がする。痛みがある。
この程度の痛みでは、満足などできようはずもない。それでも、まだ立つ。まだ向かう。レイン砲台を思念操作し、レーザー射撃。また突撃、青い光を纏う剣の一閃。
回避しようと動くリンゼイの足元を咎めるように襲いくる【|霊震《サイコクエイク》】。青い目がもう一対、澪崎・遼馬(地摺烏・h00878)のそれが静かに注がれている。
「自らの意思に関係なく、周囲に死を振り撒く災厄……難儀なものだな」
「……」
死の匂いがする。
それもそうだ。遼馬は密葬課の異能捜査官。死神の代理として、人々の幸福のために邪悪なるものたちへ死を贈り続けている。
力とは本来、守るために振るわれるべきであり、殺人は、死は、その手段の一つに過ぎない。目的であってはならないのだ。
私達の使命は、何も知らぬ無辜の民衆を守る事だ——彼の人物も、繰り返し語っていることだ。リンゼイも無辜の民を殺したくて死に追いやっているわけではないだろう。己の力を制御できないのなら、尚更。
その気持ちは僅かながらに、遼馬にも理解できる。
「ゆえに、貴様が望まぬ死を降ろすより先に当人が貴様を討とう」
「できるものなら、っ」
応酬の暇もない。リンゼイの前に立つのは遼馬だけではなく、クラウスだけではなく、黒褐色に輝く蟲さえ、敵であった。
蜚廉の拳の連打が、骨に響く。内腑を揺らす。奈落色の目は黒光りする連肢を忌まわしげに。
少女霊を緩衝材に衝撃を緩和しようとするが、蜚廉の反対からはクラウスの剣が牙を剥く。
力任せの串刺し。少し捨て身で投げ槍に思える動きのそれをリンゼイは見切っていなす。けれど避けきれず、裂傷が増える。息もつかせぬ間に蜚廉の連打が重みのある一打へ。その重さは貫かれたと錯覚するほどに痛烈で強烈。元々遼馬の【|霊震《サイコクエイク》】により覚束なかった足はとうとう地面に膝をつくこととなり、湿り気のある咳が零れる。
湿り気のある赤。
口元を押さえ、手が汚れた。誰も彼も、心が強い。抗って立つ。立ち続ける。無辜の民を守るために、多くの人を助けなければという責任感ゆえに、己の帰りを待つ者のために。
その衝動は、名を「Endless Desire for Essential Nexus」という、らしい。守るすべのない私には縁遠い言葉だ。諦めて、いる……。
「自死は幸福の諦めでしかないと当人は思っている」
耳に痛い言葉だ。
自殺とは、生きることを諦めたゆえの手段である。生きること、何のために生きるか。それは人それぞれであろうが、生きるということは、概ね幸福を得るために奔走することである。その過程で不幸せと向き合うことがあるとしても、それら含めて享受すべきなのだ。
享受とは、諦めではなく、すすんで受け入れることである。生をすすんで受け入れるために「幸福」という過程が望ましいから、人はそれを求めて生きる。
「本当は誰だって、生きて幸せになりたいと思っているはずなのだから。他者の幸福の為なら何一つ諦めず、最後までみっともなく足掻いてやる」
(他者の。それなら、自分の幸福は?)
リンゼイの胸中に湧いた疑問が口にされるより速く、黒褐の腕。
そこには傷一つない。己を傷つけ、命を絶とうとしても、それを上回る再生力を持つ。それが蜚廉の【穢殻変態・塵執相】であった。
それは蜚蠊という生き物の習性や生存本能に基づくモノが√能力へ昇華された姿である。だが、それはただ本能のみによるものではない。蜚廉の誇りのみで成り立っているわけでもない。
支柱の一つに、約束がある。
Ankerとの約束。誇りと共に、命も、想いも託したかけがえのない繋がりが、支えとなって、ここに在る。和紋・蜚廉という形を成す。
【連肢襲掌】の最中に織り混ぜられた√能力無効化。【|霊震《サイコクエイク》】でもはや立てないリンゼイは少女霊を揺蕩わすくらいしかできない。今から、60秒の束縛のない時間など、確保できるはずもない。
最後まで、みっともなく足掻く。私がそうすれば……戦いが、意地と意地の張り合いだというのなら、私は。
奈落の底から、這い上がろうとする。足腰はもはや、立ってはくれない。けれどまだ、トドメを刺されてやる気になど、なってはいない。なぜなら私の脳裏にはまだ「自分の死を想う」現象が瞬かないから。
『そうだよ』
『もっと苦しまなきゃ』
『立って、リンゼイ』
『私たちが手を貸してあげる』
きゃらきゃら、きゃらきゃら。
姦しい。
誰のせいでこうなっていると。
地面を掴むように拳を結んで、立ち上がろうとする。叶いはしないけれど——その手を、誰かが取った。
「死を望んだって、仕方ない。死に臨んだって、仕方ないんだよ」
この場で一人、諦めを湛え続ける少年の右手。
確実に|√能力を無効化する《あきらめさせる》ための【ルートブレイカー】。
生き続ける己を罪人と思うクラウスの目が、奈落色の目を見下ろしていた。感情は窺えない。ただ。血に濡れた赤い手を掴むのを、彼は躊躇いもしなかった。
同情などはない。蝕まれ続けている。だって希死念慮はずっとクラウスの中に巣食っている。飼い慣らすなんてできないから、いつまでも苦しみ続ける。
いくら傷ついても、許されはしない。親友が自分を庇って死んだあの日に、自分は死ぬべきだった。その気持ちは変わらない。褪せない。リンゼイより与えられる自殺衝動は和らがない。それをクラウスは「人を助けなきゃ」「守らなきゃ」という責任感で上塗りをして、別の衝動をより強く保つことで、助長させないでいる。
守らなきゃ、助けなきゃ、という強迫観念は、親友を亡くした瞬間から、自殺衝動と共に深く根づいたものだ。簡単に離れてくれはしない。
だから、立っていられた。
それに、死んだところで、俺たちは√能力者だ本当の意味での死は得られない。それなら、死んだって虚しいだけじゃないか。
抗って、抗って、抗って。我武者羅に、死なない程度に無茶をしたからぼろぼろだ。けれどまだ、繋げるくらいの役割は果たせる。
クラウスは奈落から目を逸らし、自分とは違う青色の人物へ目線を送る。
澪崎・遼馬が呪具を召喚していた。【|閻羅十王ノ審判《タイザンシンテイノサバキ》】。たった一つ、呪具を。
たった一つでじゅうぶんだった。何せそれは敵へ、リンゼイへの特効を持つ。
放たれたそれを咄嗟に空いていた右手で受け止める。一度千切れたものを応急的に繋いだだけの右手は簡単に穿たれた。勢いのままに肩まで貫かれ、縫い止められた右手を、諦めて千切った。
少女霊の姦しさが止む。さすがに笑っていられないらしい。結構なことだ。
(どうしようか。まだ死ねないや)
そんなことがよぎった。
まだ、倒れきらない。こんなに血を流したのに。こんなに傷ついたのに。
私はまだ、死なない。
化け物だ。
そんなリンゼイにかかる声。
黒褐の輝きを収めた蜚廉が、敬意を込めてリンゼイを見る。
「耐え抜いたぞ、汝の災厄。これでまた、我は更なる強さを得る事が出来た。それには感謝せねばいかんな」
変なことを言うひとだ。
リンゼイの肩が震えたのは、果たして、霊能震動波のためだったのか。
●みじか
命短し恋せよ乙女、とは言うが。
√能力者は普通に死んだだけでは一時的にインビジブルとなっても√に観測され、Ankerという座標を基準に元の姿のままに再構築される。つまり、本来の意味での死は迎えない。
それはリンゼイとて例外ではない。が、それで人の心がなくなるわけでもなく、人間から災厄に成ったというタイプであるなら、好悪をはじめとするあらゆる情が内面に存在するのもさもありなん。
ゆえに、土方・ユル(ホロケウカムイ・h00104)もリンゼイの恋心は否定しない。思慕の対象がユルにとっては何度も刃を交えた因縁の相手であるのがまあ複雑な面持ちにさせてくるが。
「趣味は悪くないと思うよ」
呟きながら、いつの間にかこめかみに宛がっていた拳銃をホルスターに仕舞う。
ハイカラな眼鏡の奥。奈落の底の色をした目は狐につままれたようであった。ユルは狼であるがさておき。
「えっ、あの、」
今この状況で、恋バナを……?
戸惑うのも無理はない。つい先程、バッチバチの戦闘行為を行っていたのだ。流血、返り血、吐血。お洒落で大胆なファッションも赤く汚れて台無しである。人を死なせる力を持っておいて、こんな姿じゃお嫁に行けない! などと喚くつもりは毛頭ないが、惚れた腫れたの話をするには些か殺伐が過ぎる。
リンゼイの反応に、ユルはこてりと首を傾げてみせる。特に何か言葉を連ねることはなかった。というか、言葉を連ねるより先に、手が動いて、自らの首をかっ捌こうとする。どうにかそれを抑え、刃を鞘に。
「好きな人がいるのは、何も恥ずかしいことではない。封印指定人間災厄かもしれないけど、キミもまたヒトだということだろう? 化物や怪物と呼ばれる異形のモノたちだって恋をする。誰かを愛する。それなら、キミが恋をするのは、何もおかしくない。ボクはそう思うよ」
それに、他人事と思えなくてね、と続けるユル。その言葉の続きをリンゼイは待っているようだった。
穏やかな眼差しをしているのに、人間災厄としての力を抑えられない事実は変わらないらしく、ユルはぎゅっと拳を握りしめることで、自らの手が何か仕出かさないようにする。ぎちぎちと嫌な音がした。
目を閉じる。思う。想う。誰かの姿を思い浮かべる。
「特別な誰か……其れが年上の男性で、普段は自然体で何処かとぼけていから憎めない所があって。自分自身の為じゃなくてもっと大きなもの、組織とか愛国心とかの為に命を賭けられる。飼い慣らされる事なく誇りを持ち続けられる……良いよね」
「……、……はい」
おそらくユルは、ユル自身の想う誰かの話をしている。だのにリンゼイにはまるで、先輩のことを語られているかのように聞こえた。
ユルも似通った部分があるからそれを話しているのだろう。恥ずかしくもあるが、似たような人を好きというのは、心があたたかい。
どうせ動くにももう負傷度に関しては満身創痍といっていい。今ばかり、気が合いそうだと歓談するのもよいだろう。傍らの少女霊たちがきゃらきゃら笑う。今は不快でもなかった。
「好きな食べ物を頬張る時の仕草がちょっと少年の様でもあるんだよ」
「そう、なんですか……私は、先輩が食事しているところ、あんまり見たことがなくて」
「そうなの? なら、機会があったときに見てみるといいよ。案外性格が出るって聞くね」
まあしかし、リンドー・スミスが食事をしているシーンはユルも思い浮かばなかった。ちゃんと食事を摂っているかから怪しい気もする。
「でも……コーヒーをゆっくり飲んでいるときの先輩を見るのは、好きかもしれません」
おっと、とユルはリンゼイを見る。少し思い出すように目を閉じていた。微笑ましい。「愛おしい」という思いに溢れた顔だ。
好きな人を想って、そんな顔ができる。自殺衝動を振り撒く彼女は確かに災厄だが「人間」災厄だ。うっかり口を開いた拍子に舌を噛み千切りそうな疼きを奥歯でいなして、ユルはリンゼイをじっと見つめる。
愛おしいという感情はそのままだったが、瞳には少し寂寥が宿っていた。
——好きだから、愛おしいからって、一体何になるというんだろう。
その解を与えてくれる人は、きっとリンゼイのそばに今までいなかったのだろう。リンドー・スミスもきっと教えてはくれまい。あのエージェントがこの災厄の等身大な乙女心に気づいているか否かはさておくとして……気づいていてもいなくとも、答えを与えなさそうで、タチの悪い男かもしれない。
ほんとうに、他人事とは思えないな、とユルはリンゼイと目を合わせる。己の首を絞めんと伸びた手を止め、懐から名刺を取り出す。大分抗いやすくなったのは、ユルの示した共感をリンゼイも好意的に受け止めているからだろう。
少女霊は不服げに頬を膨らませている。それでもきゃらきゃら笑いをやめない。
お前は物理的な拘束をリンゼイに強いなかった。だから【|希死念慮《タナトス》】は発動する。だめなおまわりさんだなぁ。
「そうは問屋が卸さないよ。何せボクはおまわりさんだ。捜査官の仕事は多岐に渡る。潜入捜査官として、キミたちに監視の目を光らせるのもその一つ」
監視。チャージの条件が一つひっくり返された。そうだ。物理的な拘束をせずとも、ユルはじっとリンゼイを見て話していた。それは誠実を示す手段にはちがいないが、警察官が「見ている」というのはそれだけで監視行為。隠しカメラなどよりよほど、心的効果も発揮する。
それに、ユルの【第零課潜入捜査作戦】により何であれ行動の失敗は確約されている。
「リンゼイ君。やっぱりキミのことを他人事と思えないからボクの連絡先を渡しておくよ。もしよかったら連絡でもして、ね?」
「え、あ。はい」
名刺を受け取る。敵なのに、とほんのり思ったが、少し、安心できた。
「……内心を吐露するのは恥ずかしいね、役に立ちたいと言う気持ちも解かるよ」
少しはにかむユルにリンゼイが覚えたのは親近感。
そっと目を閉じ、ユルの一閃を受け入れた。
リンゼイは「先輩」の姿を。
ユルはサングラスをかけた黒髪のあの人を。
瞼の裏に浮かべながら。
●心音
「ありのままの心が大事じゃね? ってなんのアドバイスにもなってなくな〜い!?」
那弥陀目・ウルル(世界ウルルン血風録・h07561)の雄叫びはごもっとも。ごもっともすぎてその言葉を放った人間爆弾の青年は聞いたら苦笑いしながらダブルピースで誤魔化してくるだろう。ぶっ飛ばしてやるとよろしい。
と、冗句を飛ばしている場合ではない。小粋な冗句を飛ばす心の余裕は大事だが、だいぶ笑えない能力が、リンゼイ・ガーランドの「ヴァージン・スーサイズ」である。
少々「おはなし」はできそうな気がしなくもないが……。
「まーったく好かれる気がしないんだよねぇ!! でも絶対放っておいちゃ駄目なやつだこれ…!」
どーしよ、と再び星詠みの言葉を振り返り、振り出しに戻る。無限ループを続けている場合ではない。
リンドー・スミスにリンゼイの能力が効かず、彼の人物に一般人からリンゼイを遠ざけるだけのまともな判断力が残っていることが、後々響いてきそうな気はするが、正直、今いてほしい。どこに行ったんだ???
しかし、どこにいるかわからないリンドーを探すよりは嫌でも居所がわかるリンゼイを抑える方が現実的である。賢明かは不明だ。
何せ、有無を言わせない。
(……ぁ)
いつものように【|血刈術《ブラッディ・ハーベスター》】でいい感じに距離を取りつつ、などと鎌を構えていたウルルだが、『リンゼイ・ガーランド』がどういう厄災なのか、何故に封印指定されているかを身をもって知ることとなる。
血流が静まったかのような、寒さ。悪寒ではない。けれど、寒くて、凍えて、体は全然震えないのに、声が震えそうな気がする。心の奥底が揺らされる。震わされる。
リンゼイはすぐそこにいる。多くの√能力者たち、彼らの衝動であるEDENによって、リンゼイは存分に叩きのめされ、瀕死といってよい。死ぬにはHPが有り余っているだけのエリアボスである。
それでも少女霊たちは健在で、しかしながら、視界に入ってから効能を発揮し始めるなど、衰えを見せ始めている。
それでも制御の効かない|自殺衝動《スーサイド》の威力は減衰したわけではないのだ。鋭く、心臓を突き刺すように、あなたがあなたを殺すように、貫いてくる。
じわりと滲んだ涙が頬を伝った。あまりに透明で、綺麗な涙だ。とめどなく、溢れていく。止まらなくなる。決壊したみたいに。
元々泣き虫かもしれない彼が、涙を止められようはずもなく。嗚咽が零れる。しゃくり上げるように息が繰り返された。
合間合間に、言の葉。
「僕なんて全然役に立たないし、概ね勢いだけだし。……いっつも集合時間ギリギリだし……水中にだって、潜れないし。……うぅっ……ぐすっ、っう……」
そんなことないよ、と声をかけてくれる誰かも、今はそばにいないし。サングラスを取って、えぐえぐと涙を拭っても、大丈夫かなんて手を差し伸べてくれる人はいない。今、一番そういうのが欲しいのに、ない。
肝心なときに僕は。間に合わなかったり、届かなかったり。そんなことばかり。大事なことも、それほど大事じゃないことも、うまくいかないことばかりに気がついて、死にたくなる。生きている価値がないんじゃないか、僕なんて。
どうして。
「あのとき、生き延びちゃったんだろう?
あのとき、あのまま死ねたら良かったのに……君のために。君の手で」
そうしたら、僕は終われた。とても綺麗に。
自分を役立たずとか思いながらめそめそすることもなく、きっと君の中に鮮やかに居残ることができた。その方がずっとよかったのに。それがきっとよかったのに。
君のこころという柔肌に、遠慮なく牙を突き立てて、その傷痕を墓標にするんだ。永遠に消えない。風化をさせるような君じゃないだろう? だって、撃っただけで泣いてしまったんだから。
そんな君のために、僕は死んであげる。
君は死ぬまで痛んで、悼んで生きて。
君の痛みとして、君が死ぬまでの随伴となれたら、それこそ本望さ。僕は君がいい。君ならよかったんだ。
君が、よかったんだよ。
君が。
「——だから」
立ち上がることもできず、死にきれもしないリンゼイに、すうっと影が射す。リンゼイは身動いだ。どこがどう痛んでいるかももはやわからない体を動かし、振り向くと、逆光の中、吸血鬼がひとり。
「困るんだよねぇ、こういうの。
ぼくを殺していいのは、今も、昔も、これからも、この世界に、どの世界を探したってたった一人だけ。ぼくはぼくにさえ、ぼくを殺す赦しなんて与えない」
だって、『きみ』がいいから。
|だれか《『きみ』》への狂信とも言えるそれが、目の前の『彼』の瞳を青く輝かせている。|自殺衝動《スーサイド》ごときでは止められないナニカがあることを、リンゼイは奈落色の目で見た。
眼鏡とサングラスを介して、ばちりと出会うと、青い瞳は慈しみのようなものを灯して笑う。
「そんな力を持ってしまって、きっとさ、一番死んでしまいたいのはきみ自身なのだろうね」
「……は」
「ねぇ、きみ、リンドー・スミスが好きなの? 彼がきみのAnkerかな?」
「知ってどうするのですか」
警戒心。Ankerと聞かれて、警戒しないわけにはいかない。失ったら、それは取り返しがつかない。
もし、リンドー・スミスがリンゼイのAnkerなのだとしたら、リンドーの命を握ることで、大統領だろうが収容局だろうがEDENだろうが関係なく、この強大すぎる死の厄災を思うがままに操ることができる。できてしまう。
リンゼイは、人の死に瞑目する程度には良心がある。ゆえに、Ankerが存在するのなら、それは国にも局にも明かしはしないだろう。何より、√能力者にとってAnkerとは、心の一番柔らかい部分を、刺されたら致命となる部分を預ける相手なのだ。どんな宝石より、淑女より、丁重に扱わなければならない。
「別にどうもしないよ」
へらり、吸血鬼は笑う。
「ただ、特異体質、だなんて……ねぇ? その条件を知らないのか、よほどニブチンなのか。どちらなのだろうね、ふふふ」
「知らないだけですよ。知らなくて、良いことです」
「ほんとうに?」
ずい、と秀麗な面差しがリンゼイの眼前まで寄る。目を見開くから、その目がいかに青いかを目の当たりにする。目を逸らせない迫力と魅力、そして少しの不気味さが、その吸血鬼を彩っていた。
まぁ、知らなくて良いというのはかまわないよ。でもさぁ、何が事実だとしても、きみに施されるべき赦しは、一つだと思うんだ。
——吸血鬼は、嘯く。
吐息が耳にかかった。
「リンドー・スミスがきみのことを殺してくれればいいのにね」
息の音と抱擁の体温。
御血の功徳によりて、わが罪を赦し給え。
止めてあげる。ひとときだけだけど。
『|血棘術《ブラッディ・マーター》』
涙目にすら、なる暇なく、
けれど漸く、息が止まった。
きっとずっと、こうなることを望んでいたのだ。|自殺衝動《スーサイド》に見初められし乙女は。
衝動を呑みきった彼らより、
彼女にこそ、安らかなる死を。
