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夕されば、色なき風に紅葉散る
決して癒えぬ傷があった。
大切な者を喪った喪失感。その穴はどのような想いを重ねても晴れることのない絶望感。
彼が好きだった紅葉。彼と眺めていた唐紅。燃えるような夕映えに照らされた眩しい光景。
世界だけは色褪せることはない。なんて皮肉で、哀しいことなのだろう。
「どうして私を置いて逝ってしまったの? ずっと、共にいてくれると約束したじゃないの」
色なき風に悲壮をのせて女はひとり佇んでいた。
てのひらに握られたのは彼が最期にくれた約束の指輪。揃いで買った指輪も今はひとつきりで手のひらに握られている。
「ああ――可哀想に。あなたは、喪ってしまったのですね」
燃えるような唐紅の中で静かな声が聞こえた。
女が振り返ればまるで|色彩を奪われたか《モノクローム》のような男が憐れむような表情を浮かべて女の姿を見下ろしていた。
「喪ったものは戻りません。一度虫籠から離れた蝶は還らないように、その哀しみは生涯癒えることがないのです」
断じるような言葉。無責任な慰めの言葉や憐憫の感情ばかりを寄せられていた女にとっては何処か心地よさを感じるものだった。
元気を出して。あなたが笑うことをきっと彼も望んでいるわ――そんな綺麗な無責任の言葉は聞き飽きた。
ただ、哀しみに寄り添ってくれる誰かの存在が欲しかった。女は僅かな期待をこめて男の姿を見つめる。
「私の名は紫苑――あなたの癒えぬ哀しみを救いましょう」
紫苑が手に持っていた何かを掲げたのが女が見た最期の記憶。
美しい世界の色彩。燃えるように映える唐紅の中で、主を喪った指輪がさみしくその場に転がっている。
「そう――帰らない。還らない」
決して埋まらぬ穴があった。
大切な何かを喪った喪失感。その穴を埋めるためにあらゆる想いを飲み込んでも治まることのない飢餓感。
「一度、喪ったものは――かえってこないのです」
何を喪ったのか紫苑自身も最早覚えてはいないけれど、きっとこの切望は失くした何かを取り戻すその日まで満たされることはないのだろう。
●色なき風
「もう、すっかり寒くなりましたね」
年の瀬に向かう時候。肌を撫でる色なき風は冬の気配を間近に連れてきていた。
星詠みの青年史記守・陽(黎明・h04400)はホワイトボードに地図や資料の画像を貼り付けていく。
「今回、√妖怪百鬼夜行で事件を予知しました。紅葉の名所でもある山なんですが出現する妖怪の名は紫苑。蜘蛛の妖怪です」
紫苑は古妖に狂わされ正気を失わされて、好ましく想った存在を蝶へと変えて奪い『虫籠』に収めている人妖。
つまり彼の抱く虫籠に閉じ込められている蝶の数は此れまで彼が積み重ねてきた罪過そのものである。
「俺が視た光景はある女性が紫苑と接触する場面でした。恐らく、大切な人を喪った人なんだと思います。そのようなことを言っていましたから――しかし、彼女を助け出すことはできません。既に蝶に変えられてしまっている」
間に合わなかった。手遅れだ。しかし、このまま紫苑を放置すれば周囲の人里に降りた紫苑が更なる罪を重ねる可能性もある。
――せめて、彼女の無念を晴らすためにも撃破をお願いしたいんです。
陽は空色の双眸を哀しげに伏せながら言葉を続ける。
「紫苑が出現するのはどうやら夕方のようです」
今から向かえば日暮れまでに充分な時間がある。紅葉の名所というだけあって近くの街は観光業が盛んだ。
大正浪漫情緒溢れるハイカラ街。
レトロモダンなアイテムを求めショッピングをしたり、カフェーやレストランで一休みするのも良いだろう。
その後、紫苑の出現場所である紅葉山へ向かうが時間を潰すのも兼ねて紅葉狩りを愉しむのもいい。
先程の手作りもしくはハイカラ街で調達したお弁当を食べて行楽というのもありだ。
「喪われた命が戻ることはありません。彼女を救うことはできませんが、新たな犠牲を出さないためにも――どうか、皆さんよろしくお願いします」
綺麗な紅葉山を死の紅で染めるようなことはしてはいけない。
陽は真摯に一礼をした後に√能力者達を見送った。
これまでのお話
第1章 日常 『妖怪ハイカラ街』
●
頬撫でる風は秋めいて冬の気配を連れてくる。
落葉が舞う物寂しさをともなう晩秋。されど、このハイカラ街は活気に満ちていた。
「お嬢さん、その麗しい黒髪に紅葉錦の簪はいかがかな? お安くするよ」
「まぁ――ふふ、たしかに美しいわね。では白狐と紅葉の簪をいただこうかしら」
「毎度! これから紅葉山に行かれるのであれば上着は羽織った方がいいですぜ。この時期の山は意外と冷えますでね」
大正浪漫の美観を保つ観光地としても栄えたこの街は地元住民と観光に訪れる旅人とで活気が衰えることはない。
大正レトロな小物を扱う雑貨屋。昔なつかしの駄菓子屋。独特の和洋折衷の衣装を取りそろえる服飾百貨店。
少し小腹が空いたならステンドグラスが美しいオシャレなカフェーでのひとときや、流行りの洋食が楽しめるレストランに向かうのも良い。
はたまた想い出を形に残したいのであればとんぼ玉や天然石を削って作る勾玉、はたまた草花を美しさとともに閉じ込める|植物標本《ハーバリウム》もある。
広いハイカラ街も路面電車に乗れば移動もすぐに行える。
さぁ、この街で如何様に過ごすのも貴方様次第です――。
●
行き交う喧噪にゆるりと金眸を細めて八百・千(|嘘と針《はっぴゃくとせんぼん》・h00041)はハイカラ街を眺める。
(賑やかな街は久々だわ)
千の店である癒し処《萬》は風光明媚な場所にひっそりと佇んでいる。喧噪を離れゆったりと過ごせる癒し処もよいが偶には斯く様な喧噪も恋しくなる。
久々の賑やかな街だ。折角だから色々とお店を見て回りたい。
何処から廻ろうかしら。思案しつつ周囲を見渡せば目についたのは案内所だった。紅葉シーズンということもあり混雑している案内嬢の手を患わせるのも気が退ける。
木棚から|観光案内冊子《パンフレット》を一部取って広げた。
(まぁ、色々お店があるのね)
眺めながら何をしようか考える。お店に置く小物が欲しいし、和菓子のレシピも増やしたい。
いつも看板狐の役割を精一杯務めてくれている一くんの玩具やお手入れ用具も確保したい――あげたらキリがない。欲しいものが沢山だ。
(雑貨とかは、このあたりの雑貨屋が集まっている商店街を見ればよさそうね)
地図に目を通しながら目的の店にあたりを付けていく。けれど、行きたい場所を見つける度に更に新たに行きたい場所が見つかってしまう。
例えばお菓子。店で出しているお菓子の種類を最近増やしたいと考えている。
本屋や製菓用品専門店へ行ってレシピを探すのもいいけれど、折角街に出たのなら洋菓子に挑戦してみたいところ。
手近に良い店はないかしら。千が周囲を見渡せば丁度レトロなアンティーク家具が自慢の純喫茶が目についた。
ドアベルを鳴らして中へと座り、窓際の席に腰掛ける。メニューを開いて頼んだのは蜂蜜入りのミルクティーと当店自慢だと謳われるフルーツショートケーキ。
静寂に耳を傾けながら鳴り響く蓄音機の音楽と規則正しく時を刻む鳩時計の秒針の音に聞き惚れる。
ゆるやかな時間を過ごすうち運ばれてきた茶器に目を見張る。洋食器ではあるけれど和工芸の文様も上手く取り入れられている和洋折衷の品だった。
(あら、すてきな食器ね。後で食器屋さんも見に行ってもいいかもしれないわ)
茶器を眺めてケーキに舌鼓していれば過ぎる時はあっという間。
(そろそろ行かなければならないかしら)
名残惜しいが時間はいずれは過ぎるもの。足りなくても惜しむ気持ちはない。
また今度ゆっくり見に来る――そんな新たな楽しみが出来るのだから。
●
ハイカラ街という名前が既に大正レトロを感じさせる。
続く煉瓦の道と瓦斯灯を興味深そうに眺めながらも緇・カナト(hellhound・h02325)は傍らでこれでもかと瞳を瞬かせる気配に興味をうつした。
「妖怪ハイカラ街……! なんと心躍りそうな響きだろうなぁ」
「トールが大正浪漫に興味あったの意外だなァ」
トゥルエノ・トニトルス(coup de foudre・h06535)は瞳を雷鳴にも負けぬほどにきらきらと瞬かせて機嫌良く頷く。
「主は鼻が利く、我は経験値が増える。適材適所と言えるのではなかろうか……!」
「……なんの経験値だよ。オレの鼻は美味しそうなご飯屋にしか利かないケド」
大正ハイカラ街へ気合いをいれて連れてきたのはトゥルエノの方だ。
誘いを断る理由もなかったのでついてきたカナトだが、トゥルエノがまるで子どものように興味を示すのは少し意外であった。
「あ。あんな所に駄菓子屋もあるぞ〜!」
「駄菓子屋は……ん〜……まぁイイか」
きょろきょろと周囲を見渡していたトゥルエノが見つけたのは昔なつかしの風情ある佇まいの駄菓子屋だ。
興味を惹かれ弾む心のままカナトの手を引っ張っていくトゥルエノ。駄菓子屋は腹が膨れそうなものはなさそうだがトゥルエノが行きたいのであればいいか。
「主! くじ引きだ」
「やりたいのか? 別に構わないが」
くじ引きに興味を示したトゥルエノに軽く了承してしまったのがカナトの運の尽き。
(……トールの豪運さを侮っていた)
当たり籤を無限に引き続けまさかの足止めを喰らう羽目になってしまった。
|朝六時の清掃活動《おいのり》も必要なさそうな豪運だ。やはり普段の行いが物を言うのだろうか。
当て続けた駄菓子はとんでもない量になりそうだったのである程度カナトがその場で食べて処理をした。
それでも流石にハムスターのように延々とこの場で駄菓子のみを食べるわけにはいかないので、ある程度は土産とすることにした。
「駄菓子屋とは魔の空間であったのだなぁ満喫した!」
店を出た頃には満足げなトゥルエノの腕に何やらこんもりと丸まった買い物袋が下げられている。
「何か買ったのか?」
「主! ほら、注射器だ。人はこれでぶすっとして身体の不調を治すのであろう? 我も主が怪我をしたらこれで治す! どうだすごいだろう……!」
注射器(錬り飴入り)を手に握り締めてふんふんと気合いを入れるトゥルエノ。
それで注射をされたらトドメを刺されてしまいそうだという言葉は仕舞い込めば、雷獣が次はカフェーか洋食屋がいいよなと首を傾げている。
「我はアレが気になって〜……なんて名だったか、クリームソーダ?」
「ああ、それならば洋食屋なら纏めて済むんじゃないの」
「あの店先が良さそうだな! では入ろう」
手近にあった洋食屋へと入るが馨しい香りが周囲を漂っている。雷獣の店のチョイスは中々良いようだ。
カナトはトゥルエノが店のステンドグラスに気を取られているうちに注文を済ませる。自分は気になったものを頼んで――トゥルエノの分はお子様ランチでいいか。
これならば、オムライス、ナポリタン、エビフライ、ハンバーグ、ミニグラタン等ひとしきり楽しめる。
そうして暫く待って運ばれてきた料理にトゥルエノは目を丸くした。
「これは……!」
驚きながらもずずっとトゥルエノはお子様ランチをカナトの方へと差し出し何やら満足げな表情を浮かべる。
食べ物系はカナトに食べて欲しいようだ。雷獣のお節介を有難く頂戴しつつカナトはお子様ランチから旗を引き抜いてクリームソーダへと刺してやった。
「うむ、おいしい」
しゅわしゅわとした軽やかな刺激とバニラアイスにつつまれたソーダの甘い味わいが喉を通り抜けていく。
旗刺しクリームソーダはいつもよりも特別な味がした。
●
色なき風が狗狸塚・澄夜(天の伽枷・h00944)の金色の髪を揺らした。
(――恋し、乞うた者を喪った悼みは容易く癒せぬモノ)
けれど胸に秘めるか。記憶の底に葬るか。其は他者が決して断じるモノでない。
今更想いを寄せても散った命が再び咲くことはない。
人知れず蝶となってしまった彼女への弔いに澄夜は想いを|植物標本《ハーバリウム》に込めることにした。
植物標本作りが体験出来る工房。数々の花材が|色褪せぬ形《ドライフラワー》として並べられている。
澄夜は暫し並ぶ花材を見つめる。やはり目が向かうのは燃えるような唐紅。その中でも季節柄なのか紅葉の花材が特に目を惹いた。
「……ふむ、ひとえに紅葉と言えど色付きや大きさに随分と違いがあるのだな」
移ろいゆく季節を閉じ込めたかのように色付きつつある紅葉から、燃えるような唐紅。咲きし時を過ぎて後は朽ちるのを待つような臙脂の紅葉。
閉じ込めたいのは、彼女が最期に見つめ想いを寄せていた錦紅葉の秋模様。ならばなるべく目を見張るようにいっとうに美しい唐紅がいいだろう。
澄夜は一枚ずつ葉を慎重に吟味して選び終える。どれも此れもとっておきの燃えるように美しい唐紅だ。
一旦選んだ紅葉やその他の花材を作業机に置いて、次は植物を閉じ込める瓶が置かれている棚へと訪れる。
様々な瓶から|円錐《テーパー》型のボトルを2本手に取り席に戻る。
紅葉をひとつ手に取った。
燃えるような紅。それは如何にふたりの心を暖めるものであったのだろう。
想い燃やして恋うた先――頬も紅葉と同じ唐紅の色彩に染まっていたのだろうか。
(せめてもの手向けになれば良いが……)
澄夜は慎重に紅葉と黄色く染められたかすみ草を交互に入れる。
思い浮かべるのは永久の秋。閉じ込めるのは差詰めもみじ谷の色鮮やかな光景というところか。
ふたつの植物標本を丁寧に作り上げていく。
ひとつは、全てを終えた後の弔いに彼女が愛した紅葉の下に。
そして、もうひとつは救えぬ命を忘れない為に、この掌に――。
紅葉は散る。命も散る。今は怨みを晴らすことしか出来ないが約束しよう。
必ずや邪悪なる神秘は討ち滅ぼすと。
出来上がったばかりの植物標本を割れぬように緩衝材に包み込んで店を出る。
晩秋の冷たい空気が頬を刺す。向ける視線は紅葉山。
(――さてさて、花蜘蛛の血は何色であろうな)
出来れば赤が良い。紅葉を鮮やかに染め抜く赤色が。
●
吹き抜ける秋の風は少しずつ木の葉の色付きとともに街に冬を連れてくる。
活気ある街並みに続く煉瓦道。瓦斯灯は一定間隔に並んでいる。
「わぁ、ステキな街並み! 大正モダンってやつだね」
野分・風音(|暴風少女《ストームガール》・h00543)が興奮したように瞳を燦めかせば、志藤・遙斗(普通の警察官・h01920)も同意するように頷く。
「レトロな街を散策するのって良いですよね。古き良き時代に思いをはせるのもまたおつなものです」
忙しく巡る現代社会。つい疎かにしがちだけれど偶にはこの様にのんびりと観光に興じて想いを馳せるのもいい。
渡瀬・香月(Gimel店長・h01183)も遙斗の呟きに同意する。
大正浪漫溢れる街並みは何だか洒落て見えて目新しく見える――だが、洒落て見えるのは街並みだけではない。
香月が傍らのナチャ・カステーラ(|スイーツハンター《甘いもの好き》・h00721)に視線を遣る。
彼女はエメラルドグリーンのトレンチコートに黄色のロングスカートとブーツという出で立ちで煉瓦道を颯爽と歩いている。
「なんだか今日の服はお洒落だね。秋服?」
「ええ。とっておきの秋服よ。お気に入りなの。ふふ」
香月の問いかけにナチャは機嫌良さそうに答える。
本格的な秋を迎え、すれ違う人々が纏う服も木の葉が色付くようにまろやかな色彩へと変わっている。
香月は歩きながら周囲の人々の服装を眺め、目に入った遠くに見える紅葉山も紅く美しく色付いている。
唐紅の中でナチャが纏うエメラルドグリーンはとても映えそうだ。
元気よく最前列を歩いていた風音はふと振り返り、皆に話しかける。
「そういえばまずはカフェに行くんだよね? 見晴らしのいい席がいいなぁ……で、カフェってどっちだっけ?」
「ああ、それならこの道をもう暫く真っ直ぐ行って交差点を右に曲がったところにあったはずですよ」
「おわー……さすがおまわりさん、道案内はばっちりだねえ」
風音の問いに難なくすらすらと応えて見せた遙斗に思わず関心してしまう。
いつの間に確保したのかわからないが手にはパンフレットがある。
遙斗がいればひとまずは道に迷うことはなさそうだと風音は安堵し、彼の案内のままカフェへと入った。
幸い入れ違いに四人客が退店していき、彼らが座っていた窓際の席
風音が我先にと窓際の席に飛び入って行った。その隣にナチャが腰掛け、向かい側の席に遙斗と香月が座る。
窓からは街ゆく路面電車がよく見えた。興味を惹かれる風音を微笑ましく眺めつつ、ナチャは早速メニューを開く。
「あら、スイーツのメニューがこんなに沢山あるのね。おすすめのパフェは……和栗モンブランにキャラメル林檎、スイートポテトにシナモンパンプキン……期間限定だけでも沢山あるのね」
「どれも秋らしいメニューですね。どれにするか決められましたか?」
「これだけあると決めきれないわ。ふふ、いくら食べても食べ飽きないけれどさすがにすべては厳しいかしら」
「それならば、皆さんでシェアしては? その分多く楽しめると思いますよ」
ナチャと遙斗が話していれば、遙斗の発言を聞きつけてしゅぱっと風音が振り返る。
「いいの?!」
「ええ、一緒に食べましょうね、風音ちゃん。ところで風音ちゃんは自分の分の注文は決まった?」
「わーい! アタシはスイートポテトとアップルティーにする! ふたりはどうする?」
そうして視線を男性陣に向ければ香月がトンとメニューを指さした。
「俺は|もみじの天ぷら《・・・・・・・》を茶請けに貰おうかな。ドリンクは紅茶のホットで」
香月の言葉を聞いて皆が少し驚いたような表情をした後に指さした先――メニューへと視線を落とす。
其処には確かにもみじの天ぷらの文字がある。比喩表現等ではなく本当にもみじを揚げてある。
「紅葉って食べられるの?!」
「紅葉の葉をちょっと甘い衣で揚げててさ、かりんとうみたいで結構美味しいんだよ」
「ほんのり甘いのね」
香月の言葉に味を想像する風音の様子を眺めながら遙斗はメニューを捲る。
とりあえずの珈琲を選び合わせるスイーツは何にしよう。季節のタルトは和栗。季節限定のお菓子はメープル入りの紅葉のマドレーヌだ。
「悩みましたが俺はコーヒーと和栗のタルトにしようかな。紅葉のマドレーヌも気になるんですけど、こっちも美味しそうだったので」
全員の注文が出そろったことを確認してから店員を呼ぶ。注文を済ませて暫し歓談している宛ら風音は窓の外。大正浪漫の街並みが続く先に綺麗に赤く色付く山を見つけた。
「ねぇねぇ、ここから見えるあの山が紅葉山だね。山全体が色付いててすっごく綺麗!」
「ええ。綺麗な紅葉ね。今から楽しみだわ」
頷きながら呟いたナチャの言葉。遙斗も紅葉山を眺める。
紅葉の思い出と聞いていつも脳裏に浮かぶのは柔らかく赤く色付く優しい記憶だ。
「俺と妹の育った施設の中庭にも大きな紅葉が有って、そこでどっちが綺麗な紅葉を拾えるかよく競ったりしていましたね」
「そういえば、アタシも小さい頃は綺麗な葉っぱを拾って押し花にしてたなぁ」
「紅葉を押し花にした栞とかも良さそうね風音ちゃん♪」
三人の話を静かに聞いていた香月がふと思い付きで言葉を漏らす。
「折角だから綺麗な紅葉を拝借して栞を作るのもよさそうだね」
「ええ、偶には童心に返って――そうするのも悪くはないかもしれませんね」
紅葉は秋の一瞬を彩ってすぐに雪に朽ちる。押し花としておけば完全に色彩を留めることは難しくとも、仄かに色褪せた写真のように記憶を呼び起こす一端となれる。
今日という何気ない日の記念にも、偶には子どものような遊びに興じるのも悪くはないのかもしれない。
喫茶店でのひとときを終えて一同が向かったのは勾玉作りの体験教室。
「色とりどりの天然石は見ているだけで楽しいね。どの石にするかは決めた?」
「これだけ種類があると悩むけれど、今日の思い出を閉じ込めるのであれば因んだ色合いのが良さそうね。これとかどうかな」
「ああ、良さそうだね。着ている服と似た色だ」
香月に問われ沢山並んだ天然石からナチャが選んだのは今日纏うトレンチコートと似た色彩の翡翠。
勾玉としても王道の石。魔除けの象徴ともされる効果を持つ。香月も天然石が飾られたショーケースより綺麗に澄んだ青色をしたフローライトを取り出す。
サイズとしてはどちらかというと小ぶりだけれども、元よりスマートフォンにつけられるようなストラップを作ろうとしていたから反って都合が良い。
一方、風音と遙斗もショーケースを見ていた。
「お母さんが手芸好きだからたまに一緒にやるけど、勾玉作りは初めてだなぁ」
「何事も挑戦をすることは良いことですよ。とはいえ、これだけ種類があるとどの石を選んでいいのか解りませんね」
ふたりでにらめっこするようにショーケースを見つめる。見つめれば見つめるほど、どの石も美しく感じられる気がして余計に迷ってしまう。
「うーん、そうだなぁ。何を作るつもりなのかで決めてみるのがいいかも。何か作ってみたいものとかある?」
「そうですね……せっかくですし、妹へのお土産にでもしようかな? 高校生に勾玉って渋すぎないですよね?」
「きっと妹さん喜ぶわ。お揃いのやつ作っちゃいましょ遥斗さん♪」
ナチャにそう声を掛けられて遙斗はほっと胸を撫で下ろす。それであれば可愛らしい|薄紅色《ローズクオーツ》を選んで、自分の分は|淡い水色《ブルーカルセドニー》を選択した。
「良かったなら折角だし、お揃いのを作ろうかな?俺のは淡い水色にしたら対比取れそうかな?」
「うん。いいじゃないかな」
香月も穏やかに微笑む。
そうして、一同は思い思いの気持ちを込めて勾玉作りに暫し勤しむことにした。
●
天高く馬肥ゆる秋。雲ひとつないこの秋空のように戀ヶ仲・くるり(Rolling days・h01025)の心も晴れ渡っていた。
「……ふつうのお出かけって心踊りますね! 担がれてない! 危なくない! やったー!」
「一応人妖が出る場所ではあるけどね?」
心躍らせるくるりに意地悪く水を差したのは雨夜・氷月(壊月・h00493)だ。月が燦めく夜空のような双眸を細めて笑うその顔は悔しいくらいに美しい。
されどくるりはへこたれない。
「で、出ますけど……今は遊べますから!」
「ま、今の時間帯は遊んでも問題は無さそうだしね――何して遊ぼうか?」
「そうですねー。紅葉狩り前に、観光します?」
斯くしてふたりはハイカラ街を漫ろ歩く。
「わー、着物だぁ」
くるりの目に留まったのは呉服店の店先に飾られた振り袖だ。
「お兄サン方、観光かい? 折角ならば服を買えるというのも一興、よければ一着どうだい?」
店先に気配を感じたのだろう。出てきた店主の女の声にくるりはびくりと驚いて、退く。
「くるりは着物着ないの?」
「……え、私はいいです」
「着ればいいのにー」
ぶんぶんと首を振る。服に着られてしまう姿が目に見えている。
このまま撤退を決め込もうとしたくるりを店主の台詞が引き留めた。
「お兄さん色男だねェ……その爽やかな色彩の服も良いが留紺で渋く決めてもイケるとアタシは見たね」
「それはそう!」
店主の褒め言葉にくるりは全力で乗っかった。それはもう、サーカスの玉乗りピエロのように。
「なんでも着こなせそうですよね! 和服氷月さん見たいです!」
「お嬢さん、うちの品揃えは街一番だよ。そちらのお兄さんに一番似合いそうな服を選んであげな」
「乗りました!」
悪戯っぽくウィンクをする店主とくるりの間で何やら友情のようなものが芽生えた。
「……凄い手の平返しを見た気がする」
「ささ、行きますよ氷月さん。まずは店員さんおすすめのものから羽織ってみませんか!?」
「仕方ないなあ……」
くるりに引き摺られるようにして呉服店の中に入る。
顔が良いというのは素晴らしいことである。気が向くままに手に取った服を氷月にあわせていくけれど、そのどれもを着こなしてしまうのだから最早罪か何かではなかろうか。
「古典柄合う……片身変わりもいい……あ、その色いいですねぇ」
「なんか自分で着るより張り切ってるね?」
「はい! 顔がいい人の着せ替え、楽しいので! すごい……美人百難隠すの体現――」
くるりは高揚感のまま思わずマズいことを口走ったことに気付いたのは氷月がかんばせににっこりとそれはもう素晴らしい笑顔を咲かせていたからだ。
「んっふふ、くるり、それはどう言う意味かな?」
「あ゛っ――く、口が滑りまし、あああ!?」
氷月に額を軽く小突かれつつ、くるりは負けを確信した。
これに関しては彼相手に隙を見せてしまった自分が悪いのかもしれないと後悔先に立たない。
「店員サーン、このコに似合いそうな感じの華やかな着物持ってきてー! 値段は問わないよ!」
「高い着物!? いいです!私は着飾らなくて良いですっ!」
抵抗は虚しくにんまりと氷月と同じ様な笑顔を浮かべた店主が着物を手に躙り寄ってくる。
「お嬢サンも中々逸材さ。定番だけれどやはりお嬢サンの年頃は袴が似合うと思うんさ。さぁさ、この紅葉の袖に臙脂の袴はどうだい?」
「着飾った氷月さんと私で並ぶの、格差ひどいからぁ……!」
思わず後ずさろうとして氷月に肩をがっちりと捕まれてしまい、退路を断たれてしまった。
「ほらほら、くるりもオシャレしよ! 遠慮しないでさ!」
「い、いやいやいや無理です無理です!」
「大丈夫! 俺が責任を持って似合う簪見つけてあげるから。さ、着付けは任せてもいい?」
「勿論さ」
一体何が大丈夫なのか。敵ながらもはやあっぱれな連携プレイであった。
店員に更衣室に引き摺られた後、出てきたくるりは氷月にトンボ玉の簪で髪を結われた。
――なんでこの人、髪結出来るんだろう。
●
穏やかに晴れ渡る秋空には何処か切なさをつれた秋風が渡る。
煉瓦畳の道に足音を響かせて歩む柳・芳(柳哥哥・h09338)はふっと灰色の双眸を細めた。
(もう還らない喪ったものへの苦しみは分からなくはないけどねぇ……)
脳裏に浮かべるのはかつて師匠と仰いだ存在の姿。今はもう泉下の客だ。同じような経験があるからこそ芳もその気持ちは解らなくはない。
喩えば蝶となり哀しむ心さえ失えば、二度と苦しまずに済む――そう視点を移せばそれはある意味で救いと呼べるのではないだろうか。
(いいや……俺はそうなりたいとは思わないな)
誰に言うでもなく己に対して軽く首を振って改めてハイカラ街を見渡す。
せっかく街の方へと訪れたし、何か買い物をしていこう。
(紅や香をそろそろ新しいもの探そうかと思っていたんだよなぁ)
この辺りは多少庶民的な雰囲気を漂わせた商店街のようだ。だが、地元住民が普段使いするというのにも少しは根が張る。
差詰め観光客やちょっとした贈答品を取り扱うような場所なのだろう。
その中で化粧品を取り扱っていそうな店の暖簾を潜ることにすれば、店主の妖狐の女性が細めを更に糸のように窄めて微笑み出迎える。
「いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか」
「紅や香を――せっかくならば今の時期らしい香りのものとか季節を感じられるものならばなお良い」
「畏まりました。少々お待ちくださいませね」
店員の女性は一旦芳から離れて周囲の棚よりいくつかめぼしいものを拾い上げてくると机の上に置いた。
「今の季節限定ですとこのあたりをお勧めしております。錦紅葉の紅と香であれば金木犀がいっとうにお勧めですわ。特に金木犀の香は毎年好評を頂いておりまして直ぐに売切れてしまいますので今年は張り切って多めにご用意いたしましたのよ」
「なるほど、確かに季節感を感じられてよいが……紅は種類が豊富なようだが、何かこだわりがあるのか?」
「ええ、勿論です。錦紅葉の紅は実際の紅葉と合わせて調色しておりますの。ですので、何種類かございますのよ」
店員が指し示す通り、同じようなパッケージで何種類かあるようだ。黄みがかった明るい色合いからまろやかな深みのボルドーまで。
「お客様でしたらこのあたりのお色がお似合いになるかと思います」
店員の見立て通り進められた紅は肌によく合った。揃いの錦紅葉の紅板と金木犀の塗香を購入した芳は想いを馳せながら山へ向かった。
●
――|懐古趣味《レトロ》。
この国の人であれば懐かしさを感じるやもしれない大正浪漫の美観を保つ街並みは、アダルヘルム・エーレンライヒ(華蝕虚蝶・h05820)の双眸には新鮮に映る。
東洋にはあまり馴染みがない。ゆえに、この瞳には路面電車も駄菓子屋も行き交う人々が待とう東洋風の装いも全てが真新しい。
真新しいものという刺激は創作意欲を擽る。
月夜の絵画を表紙にうつしたスケッチブックを手にアダルヘルムはハイカラ街を漫ろ歩く。
描くものは決まっていない。気が向くままに筆を走らせて光景をスケッチブックの白紙の中に閉じ込めた。
ある頁には元気よく声を張り上げて客を引く商店街の店員の姿を。またある頁には並んで風車を回し遊ぶ幼い姉弟の姿を。さらに頁を捲り偶然通りがかった公園に咲く花の姿を描いた。
斯く様にして何枚もの頁に光景を閉じ込めて、僅かに足に心地良い疲労が溜まった頃合いに偶然ステンドグラスが美しい喫茶店が目に入り、立ち寄ることにした。
「申し訳ございません。ただいま満席でして――テラス席でしたらご案内ができるのですが」
「ああ、構わない。頼む」
ただ小休止できるだけで充分だからテラス席でも問題ない。
頼んだ珈琲に砂糖を少しいれて口を潤すように味わいながら周囲を眺める。
通されたテラス席からは活気ある大通りがよく見えた。行き交う人々の喧噪。通る路面電車が刻む音。
(然し本当に活気のある街なのだな)
この街を訪れてから過ごした時間は未だ其程長くはない。
それでもこの街に暮らす人々や、この街に訪れた観光客の人々が浮かべる表情はみな一様に明るく平穏な日々を享受しているように目に映った。
素晴らしいことだ。それは、とても良いことなのだと思うけれど。
この街の中にいるというのに、その光景がやたら遠く見えてしまう。
平穏な光景の中。まるで白い画用紙に一点だけ落とした|洋墨《インク》のように酷く不格好で場違いに思える。
自分の居場所は戦場だ。
死んでも死にきれず傷だらけのこの身で賑わいに満ちた街中を歩むには、どうにも不釣り合いだ。
(……砂糖を入れたはずなんだがな)
晩秋の風にあてられた珈琲は想像よりも早く冷めてしまったようでやたら苦く感じて自嘲を零す。
――俺は破滅を待つだけの身。
みなと同じ日向には行けないが、遠くからは見守ることはできる。
(平穏なこの光景を護る為にも、必ず食い止めなくてはな)
アダルヘルムが胸に抱く小さな決意は誰にも知られることのないまま秋空にとけてゆく。
●
吹き抜ける秋の風が色付く木の葉とともに冬の気配を連れてくる。
活気溢れるハイカラ街にも紅葉の季節が訪れた。
物寂しく冬へと向かうばかりの時候と思えどこの街は寂しいなんて言葉とは無縁の賑やかさで満ちている。
「これが『たいしょうもだん』なんだねぇ……」
お洒落で見慣れぬ街並みを脅威深そうに見渡しながらラブ・バレンタイン(愛を尊ぶ戯言・h05493)は呟いた。
煉瓦造りの街も道路の中央を悠々と走る路面電車。一定間隔で並ぶ瓦斯灯。一見西洋風味の街並みのようだけど随所に日本の面影が見られる。
行き交う人々が纏うのも着物や洋装など様々で、その色や形もとりどりで個性的。飽きずにあちらこちら見渡していたラブの鼻をふわりと良い香りが擽って小首を傾げる。
「……これは、何の匂いだろう」
「恐らくカレーだと思うよ。この辺に洋食屋でもあるんじゃないかなァ……ああ、ほら! あった、あそこ」
ラブの零した呟きに隣を歩いていた國崎・氷海風(徒花・h03848)が|煙管《キセル》で方角を指し示す。
洋食屋紅葉亭と看板に描かれているあのお店より独特の芳香が漏れているようだ。
何となく惹かれて近付けば店先に小さなカウンターがあり、其処でテイクアウトもできるようだ。
「ふむ、カレーコロッケの持ち帰りができるんだね。せっかくだし買っていこうか」
「いいね。何事も経験あるのみなのだよ」
氷海風の誘いにラブも頷いて、ひとつずつカレーコロッケを買う。
揚げたてのコロッケはさっくりと心地よい歯ごたえがした。まろやかな馬鈴薯の味わいから少し経ってから特有のスパイスの味わいがふわりと口内に広がる。
それでいて子どもでも問題無く食べられるような程好い塩梅に纏め上げられており非常に美味だった。あっという間に食べ終わってからラブは周囲を見渡す。
「他にもこのような店があれば立ち寄りたいものだ」
「ラブさんラブさん、食べ歩きもいんだけどさァ、天然石で勾玉作れるんだって!」
氷海風の口から飛び出した勾玉という言葉にラブは首を傾げた。
「ふむ、勾玉……?」
「うん、勾玉。食べるのは後にして先にそれやらない?」
「それはどのようなものなので?」
「うーん……そうだねェ。実際見てみるのがわかりやすいと思うよ。めちゃくちゃ楽しそうだしぃ、思い出にも残るもんねェ!」
氷海風の話を聞いていたら興味が自然と勾玉なるものへと映ったラブは頷いた。
斯くしてふたりで勾玉作りへ。説明を聞いた後早速ショーケースに並ぶ石達に視線を落とす。
「なかなか難しいねぇ、どれがいいかなぁ」
「吾輩、この透明の石が良い」
「お、ラブさん早いねェ……」
迷う氷海風の傍らでラブが手に取ったのは|水晶《クリスタル》。即決に感心しつつも氷海風は自分の石を決めきれない。
お店の人に薦められた自分の髪の色と似た翡翠に決めて早速作業台へと並んで座る。
作業台には道具一式と見本となる勾玉が置かれている。ラブは見本の勾玉を持ち上げてじっくりと観察をした。
「勾玉、というのも初めて見た。このように綺麗な飾り、自分で作れるものなので?」
「ええ、こちらのペンで印をつけてヤスリで削るだけですから初めての方でも簡単にできますよ」
店員の女性にそう言われたが不器用ゆえ到底上手くできる気はしなかった。
案の定作業を初めてみたところ全然思ったように削れない。助けを求めるように氷海風の方を向けば丁度作り終えた彼と視線があった。
「ラブさんどう? 出来そう? ……あ、うん。手伝うよ」
SOSオーラを感じた氷海風はラブから作成途中の勾玉を受け取った。
やたらとデコボコとしているが大凡の形は作れているようなので、表面を整えていけば見本と近い形になる。
「ヒソカくんは何事も器用であるなぁ」
手際の良さはまるで魔法のようだった。ラブは感心しつつ見守って出来上がった勾玉に氷海風とお揃いの色の紐をくくりつけた。
●
大正モダンなハイカラ街を廻里・りり (綴・h01760)を手に駆け巡る。
「わぁ! こんな場所があるんですね」
「りり、あまり走り回ってはぐれちゃわないようにするのよ」
「はーい」
見守るベルナデッタ・ドラクロワ(今際無きパルロン・h03161)が声をかけたので返事をしてから彼女の元へと戻ってきた。
初めて訪れたハイカラ街。目に映るものについ興味を惹かれてしまう。
きょろきょろと周囲を見渡して写真を撮ったり看板を眺めるりりの姿をベルナデッタは微笑ましく見つめた。
「ふふ、この場所が気に入ったのね」
「はい! おちついた雰囲気でとってもすてきです……!」
この後紅葉を身に行くのだから、あんまりフィルムを使いすぎないようにしなくちゃ。
りりはきゅっと自制心を働かせて、改めて周囲を見渡せばハーバリウム造りの手書き看板を見つける。
「気になるものがあったの、りり?」
「はい! 見てくださいベルちゃん! ハーバリウムがつくれるみたいですよ。せっかくなので、つくってみませんか?」
「楽しそうね。ええ、勿論」
りりの誘いに頷いて、早速店内へ入ろうと歩むベルナデッタ。けれど、りりは足を止めて何か言おうとしている。
「あの、つくったものを、こうかんこ……とかどうでしょう? おたがいのイメージでつくるんです!」
「今日の思い出に、交換ね? とっても素敵。そうしましょ」
ベルナデッタが言葉を待っていれば飛び出したのはりりの素敵な御提案。
自分が好きなものを作るよりも楽しいかもしれない――勿論断る理由などなく、ベルナデッタは優しく微笑みながら頷いた。
斯くしてふたりはお互いを想いながらハーバリウム製作に勤しんだ。
出来上がったタイミングはほぼ同じ。りりが自慢げに見せてきたハーバリウムにベルナデッタが驚いたように瞳を丸めた。
「あら……このボトルは、林檎の形をしているのね。こんなものあったのかしら」
「はい、実は棚のすみっこにひとつだけぽつんとあったんです。前にちょっとだけお試しで入荷したもののあまりみたいで使ってもいいって言われたので!」
「ふふ、素敵だわ」
りりの掌の林檎のような形をしたハーバリウムを眺める。ボトル自体が林檎のような形をしていて、蓋がヘタの形になっている。
中に閉じ込められている深紅の薔薇を引き立てるように白色とピンクの霞草が添えられている。浮かび上がる金箔が華やかで優美な印象を引き立てた。
「えへへ、とってもおいしそうにできました! ベルちゃんのはー……わぁ、きれいな水色のお花ですねっ」
「ええ、ブルースターに青いアナベルを入れてみたわ。それから白いパールも入れてみたわ。ころころしていて、可愛かったから。りりっぽくて」
ベルナデッタが作ったのはやや小ぶりのティアドロップ型の爽やかで可愛らしい印象を閉じ込めた。
ハーバリウムも可愛いけれど、りりの興味を惹いたのは結わえてある水引飾りだ。藍色と白とラメ入りの水色――きらきらと星のように燦めいている。
「水引ですか? とってもかわいい……っ」
「ええ。水引の飾りもつけられるそうなの。色の選び方が難しかったけれどこだわってみたわ。特にこのラメ入りの水色がりりの好奇心に満ちた目にそっくりでお気に入りよ」
「わぁ! 可愛いです。わたしもつけてみたいです!」
「ええ、あちらにあるわ」
水引が置かれている棚に案内されたりりが選んだのは紅色と白と金色――結わえばもっと可愛いハーバリウムが出来た。
「ありがとうございます、ベルちゃん! お家にかえったらお部屋に飾りますっ」
「私も楽しかったわ。ありがとうね、りり」
お互いのハーバリウムを交換してから緩衝材で包み込み鞄へしまって店を出る。
ハーバリウムの分だけ増えた荷物の重みを感じながらベルナデッタは遠くに見える紅葉山を見つめた。
(紫苑と対峙するのは、少し怖いのだけど――この思い出があるから、戦えるわ)
白磁肌を秋の風が撫で吹き抜けていった。
●
色なき風は世界に紅葉という色彩をもたらした。
|色なき季節《冬》へと向かう時期の一瞬の燦めきのような彩りに溢れる季節。
「すっかり紅葉しているな――神なびのみむろの山を秋行けば錦たちきるここちこそすれ」
「わー! すっかり紅葉イースターだー! ねぇ祝光ー! 紅葉イースターだよ! 秋の山とイースターも似てるよね!」
舞い降りてくる落ち葉をてのひらで受け止めて咲樂・祝光(曙光・h07945)がしっとりと祝光が呟けば、エオストレ・イースター (|桜のソワレ《禍津神の仔》・h00475)のやたらと明るい声が雰囲気をイースターへと変えた。
「似ているか?」
「似ているよ! 祝光、この街ってさイースターレトロにぴったりじゃない!」
「なんだそのイースターレトロって……エオストレ、絶対イースターにするなよ!」
「むーわかってるよー。今は、紅葉を楽しむんだよね!」
話題がころころイースターエッグのように転がっていく。エオストレは本当に解っているのだろうか。
祝光はハイカラ街と紅葉がどうか無事に季節感を保つことを祈りつつ、念のために釘を刺しておく。
「で、まずは何する? イースター以外でな」
「うーん、何がいいかなー。あ、祝光、あっちに何かあるよ」
エオストレが指を指したのはハーバリウム作りの体験が出来る店舗の看板。
「ああ、これはハーバリウムだな」
「これがハーバリウム……小さいイースターエッグいれたら可愛いな」
またもや転がり出てきたイースター発言を軽く流しながら祝光は店先に並ぶ美しいハーバリウムを眺める。
四季折々の花々が閉じ込められたボトルの中で、祝光が目をとめたのは桜と水晶が閉じ込められたハーバリウムだった。
何処か母を想起させる一本が祝光は郷愁を誘う。
「……母様……元気だろうか」
家族想いの幼馴染の様子にエオストレは笑う。再び漫ろ歩いて見つけたのはとんぼ玉作りの看板。
「あ! みて祝光! とんぼ玉作りだって。やってみよー!」
「秋色なのも綺麗だな」
こちらも店先に見本となるとんぼ玉が飾られていた。どうやら今は期間限定で月夜や紅葉など秋を感じさせるとんぼ玉が作れるらしい。
折角だし紅葉のをと考えてふと祝光は傍らの幼馴染の朱色混じりの髪を眺める。唐紅のとんぼ玉は彼の髪によく映えそうだ。
「君、髪が長いし……俺みたいに簪でまとめてもいいんじゃないか? 簪にとんぼ玉をつけて、ほら俺みたいに」
「簪?」
祝光が指し示した簪を見つめながらエオストレはきょとんと首を傾げてからすぐに顔を明るくする。
「なら、僕は祝光とお揃いなのがいい!」
「それは、流石に恥ずかしいというか……」
「早速作ろー!」
「あ! 待てよ卯桜!」
制止も聞かず突撃していった幼馴染を慌てて追いかけて、ふたりは早速とんぼ玉作りに取りかかった。
選んだのは透明硝子に金ラメを混ぜ込んで、その上に細い赤い硝子棒とナイフを使用して紅葉の絵を付けるデザインだ。
祝光は早速店員に説明を受けながら製作に取りかかる。芯棒に溶かした硝子玉を巻き付けて――。
「……あれ?」
巻き付けるだけなのにとても歪な硝子玉になってしまった。すぐに店員が板の上でとんぼ玉を転がして形を整えてくれた。
気を取り直して絵付けをするがどうみてもただの赤いブチ模様が散らされたようにしか見えない。一歩間違えれば事件現場のように見えなくもない悲惨さ――なんだこれ、難しすぎる。
エオストレの様子を伺えば彼は見本のように綺麗な紅葉模様を描いていた。しかも白い硝子を使ってうさぎの絵まで追加している。
「意外に器用だな、君……俺のは見るなよ」
「祝光のも綺麗で可愛いよ! 自信もって!」
体でエオストレの視線を遮ろうとしたがあっさりと突破され見られてしまった。
気を遣ったのか本心なのか。無邪気な言葉が祝光の心に突き刺さる。
そうして作り上げた簪を付けて店を出た。秋の風におそろいのとんぼ玉が揺らぐ。
「わーい! 似合うかな?」
「……まぁ、悪くないな」
●
大切な人を失った哀しみは大きい。心に空いた穴の埋め方も簡単に見つけられるものではない。
夢見月・桜紅(夢見蝶・h02454)の心に僅かばかりの痛みが走る。蝶となった彼女の痛みは自分のように感じた。
(夕暮れまで何もしないのもです、し、散策してみましょう、か)
桜紅はハイカラ街をぼんやりとした思考で漫ろ歩く。
普段であれば甘味処で甘い物を頂いたり、カフェーで一息つきながらお気に入りの本のページを捲ったりするのだけれど、今日ばかりは気が向かなかった。
山に行く時間までずっとこのままだというのも流石に少し忍びない。
どうしようか――。
「……あら、勾玉作り、でしょうか?」
頭の中でぐるぐると思考を巡らせながら彷徨うように歩いていれば、見つけたのは勾玉作りの看板。
初心者歓迎とも書いてある。あまり器用ではないけれど、何かの作業に没頭していれば気も紛れるかもしれない。
「せっかくですから、作ってみましょう、か」
少し遠慮がちに扉を開ければ早速店員に出迎えられる。
軽くこの店の説明を聞いてから天然石が収められたショーケースへと視線を落とした。
ショーケースに並ぶのは、色とりどりの天然石達。けれど、桜紅が探していた色は決まっていた。
「えぇと、紫色はあるでしょう、か? 昔にいた、大切な人の瞳の色が濃紫だった、ので」
「濃紫ですか――それでは、こちらの|紫水晶《アメジスト》は如何でしょう。いっとうに深い夜明け前の空のような石ですよ」
「わぁ、とっても、綺麗です、ね」
薦められた石に桜紅は一目惚れ。ほぼ即断した桜紅はその石を大切そうに手に抱いて作業台に向かった。
手順に従って、早速印をつけてからヤスリで丁寧に削っていく。最初は慣れず覚束なかった手付きも少し削れてきた頃にはすっかり作業が手に馴染んだ。
暫く没頭し続けて気が付けば手のひらのアメジストは勾玉のような形を取っていた。
お世辞にも見目が良いとは言えないだろう。少し不格好な勾玉だけれど、桜紅のありったけの想いが込められている。
磨き上げた後、心惹かれた組紐を取り付けて店を出た。
(……つい、面影を、追いかけてしまいますね。だって、忘れてしまいたくないです、から)
桜紅は少し和らいだ秋の太陽に出来上がったばかりの勾玉を翳し、口元に小さく笑みを咲かせる。
さぁ、口ずさみましょうか。
――あなたが好きだった『勿忘の桜歌』を。
●
色なき風が連れてきた冬に染まる前の一瞬の彩り。
ハイカラ街にそびえる木々も紅に染まる――斯様な錦秋は夜鷹・芥(stray・h00864)の心を休ませた。
「頼みがあるんだが……」
「ええ、わたくしでお役に立てることでしたら何なりと」
傍らに淑やかに歩く冬薔薇・律(銀花・h02767)は笑んで答えた。
女性らしい嫋やかな笑みが今は心強い。芥は金眸に真剣な色彩を混ぜて言葉を紡ぐ。
「預かってる知人の高校生に手土産を買いたい。特に女子の好みが疎いんで……一緒に選んでくれるか?」
「ええ。もちろん。どのようなものをお好みになるのでしょう」
「可愛いもん全般は好みそうだが……双子だから、揃いの物でも」
可愛いものであれば何でも喜びそうではあるが、逆に言えばそれ以上の見当が付かない。
このような時、女性ならば何を欲しがるのだろうか――芥は暫し思考を巡らせて、律の表情を再び伺う。
「律の好みは? お前の惹かれる物も識りたいから教えて」
「わたくしの好きなもの……やはり植物を象ったものが殊に好きです。ひととせに生命を咲かせるようなその有り様には惹かれてしまいます」
「植物か、らしいな――双子も花は好きだな。特に秋花……金木犀を好んでいるようだ」
律が植物が好きだと語る理由に芥も表情を和らげて同意する。
花の生命は短い。咲いたことを喜ぶ間もなく散り萎む。然れど刹那に懸命な美しさで色彩を遺す様に人は惹かれるのであろう。
秋に散り急ぐ紅葉が掌へと舞い落ちる。直ぐに風に吹かれて何処かへ飛び去ってしまう。
消えた紅葉を視線で辿り追いかけながら、律はある雑貨店を見つける。
「でしたら、あのお店に入りましょう――ふふ、夜鷹様の捜し物が見つかりそうな気がしますわ」
律に誘われて雑貨店に入る。店の外観は西洋風の白煉瓦。店先には折々の花が咲く。
木の扉を開けば、天井からつり下げられたスワッグがふたりを出迎えた。
「此処は……」
「お花の|装飾品《アクセサリー》を取り扱うお店のようですわね。先程、ちらりと見えましたの」
何のお店かやや解りづらい店だった。先程、通りがかった一瞬で見抜いた観察眼に芥は感心しつつ視線を商品が置かれている棚へと映す。
桜の簪、向日葵のブローチ、彼岸花の|耳飾り《ピアス》につまみ細工椿の髪飾り。
流し見ていた芥はひとつの立派な魚に目をとめた。それはそれは立派な錦鯉の縫い包みであった。やや間抜けた表情が愛おしい。
抱き上げてくまなく眺め、見つめ合う。
「……夜鷹様?」
「あ、ああ、律。どうした」
不思議そうに話しかけてきた律に気が付き芥は流れるような手さばきで錦鯉を元の場所に戻し、まるで何もなかったかのように取り繕う。
律もあえて何も見なかったことにしておき、掌にのせたアクセサリーを芥に見せた。
「お二人も花がお好きなら、この月と金木犀を象ったチャームはいかがでしょうか」
「へえ、月に咲く……可愛いチャームだ。きっと二人も気に入る」
「金木犀は月に咲く花と云われておりますのよ」
嫋やかに律は微笑む。その視線の先は芥の金眸。少し不思議に思いながらも芥は早速金木犀のチャームをふたつ手に取り会計をした。
「――律」
店を出て再び歩きだそうとする律を芥は呼び止める。足を止めて振り返る彼女に紅色雲錦文様を描く硝子細工の帯留めを差し出す。
「御礼もあるけど似合いそうだと思って。貰ってくれるか?」
「まあ……大切にいたしますわ。いつもいただいてばかりですから今日はお返しをと思っていたのですが、またいただいてしまいました」
律は帯留めを大切そうに仕舞った後、そのまま手提げより金木犀のチャームを取り出す。それは先程芥が双子用にと買ったばかりのものだ。
「金木犀は夜鷹様にとっても特別なものなのでしょう? お二人だけではなく夜鷹様にもお似合いかともう一つ包んでいただきましたの。どうぞお受け取りくださいまし」
「……俺にも? ああ、やっぱり綺麗だ。有難うな」
芥は礼を告げて瞳に穏やかな色を浮かべた。
●
秋めく風に白雪の髪を靡かせて物部・真宵(憂宵・h02423)はハイカラ街を漫ろ歩く。
連れ歩く管狐達が落ち葉を追いかけたりクンクンと道端の匂いを嗅ぐ姿を見守り歩けば、幼く小さな管狐があるお店の前で座り込んだ。
見つめる先にはきらきらと燦めくとんぼ玉がある。
「露草、とんぼ玉作りに興味があるの?」
『きゅん!』
元気よく露草が頷くように一鳴き。
真宵は露草を抱き上げてから視線を落ち葉と戯れる今様と青藍へと寄ってもいいか訊ねてみれば彼らもやりたいことがあるのか真宵の足元にやってきた。
斯くして一同は工房へ。工房の中で今様達と一旦解散した真宵は椅子に腰掛け膝の上に露草をのせる。
「ひとりでは危ないからわたしと一緒にしましょうね」
『きゅん!』
斯くして真宵が補佐しながら露草はとんぼ玉を作りを始める。
露草は幼く甘え癖もあるけれど案外肝は据わっている。火を怖がることなくくるくる、ころころととんぼ玉を作っていく。
きゅん。露草が自慢げに一鳴きして前足で指し示したのはしんと冷えて澄んだ冬の空のような天色。
「ふふ。自分の色を作りたかったの? ……違う?」
きゅんきゅんと上目遣いで露草が嬉しそうに口にしたのは異彩の双眸を持つ彼の名前。
確かにその燦めきは|天藍石《ラズライト》にも似ていて、真宵は穏やかにルールブルーの双眸を緩めた。
「あなた、彼に贈り物がしたくてとんぼ玉を作りたかったの? まぁ……ふふ、そうだったのね――今日はご一緒出来なくて残念だったわね」
そういえば今日は一人で出掛けると管狐達に告げた時、露草が見せた少しだけいじけた様子の意味がようやく解って真宵は思わず笑ってしまった。
帰ったら此れを渡すついでに露草の様子を伝えてみようか――斯様に考えていれば露草が袖をくいっと引っ張った。
どうやら早くとんぼ玉を飾り付けるパーツ選びに行こうと促しているようだ。真宵は促されるままついていき、露草がパーツを選ぶ様子を見守った。
シルバーの雪の結晶にも似た花座。露草の色彩に近いビーズ。瑠璃色の組紐を組み合わせて根付けにした。
斯くして完成した頃。別行動をしていた青藍と今様が紫陽花の硝子細工があしらわれた飾り櫛を持って帰ってきた。
「まあ……これをわたしに? うれしい、大切にするわね」
渡された飾り櫛を手に問えば、きゅうくうと2匹が誇らしげに鳴いた。
「ふふ、あなたも喜んでもらえるといいわね」
きゅんと露草も嬉しそうに鳴いた。
●
――喪ったものは戻らない。還らない。
氷薙月・静琉(想雪・h04167)は舞い落ちる紅葉を掌で受け止めながら物思う。
一度喪ったものは戻らない。斯様に見事に色付いた紅葉が散れば後は朽ち果てるのを待つように。
(静琉様が哀しいお顔をしている……)
櫻・舞(桃櫻・h07474)は憂愁に閉ざされたかのような静琉の横顔を気遣わしげに見つめる。
「大丈夫です?」
「……すまん。折角来たんだ。愉しまないと損だ、な」
「はい、楽しみましょう!」
花開くようにふわりと舞は|咲《わら》う。僅かに心に何かが刺さったような痛みはきっと気のせいだと自分に言い聞かせた。
漫ろ歩くハイカラ街。舞にとっては初めて見るものばかりで子どものように瞳に燦めきが宿る。
「ほわぁぁ……静琉様! 大きな箱が動いてます!」
「ああ、路面列車だな。舞、あれに乗ろう」
「路面電車?」
不思議そうに小首を傾げる舞を連れて静琉は路面電車へと乗り込む。
ゆっくりとした速度で走り始める路面電車に舞は驚いてしまって静琉に話しかけようとするけれど、開けっ放しの窓から吹き付ける秋の風に気が付いて外を眺める。
まるで窓枠を映写幕のようにして景色が流れてゆく。おろおろきょろきょろと物珍しそうにしている舞の様子を微笑ましく眺めながら、静琉は心地良い揺れに瞳を閉じた。
「静琉様?」
「あ、ああ……この揺れ、なんか安心するなと思って、な」
「はい、とても心地良い揺れですね」
流れゆく景色と心地良い揺れに暫し微睡んでいれば目的地である店の近くの停留場へと着く。
降りて向かうは呉服店。今日は舞の冬物を買いにきたのだ。
「この子の冬コートを探してるんだが……似合いそうなものを見繕ってもらえないだろうか」
「ええ、勿論喜んで」
大きな建物や見たことのない光景に圧倒されている舞を引き連れて静琉は店員へと話しかける。
店員は舞の姿をちらりと眺めてすぐに何点かのコートを静琉へと見せた。
どれもが冬らしい雰囲気を漂わせながらも何処か舞が纏う春の気配を思わせるような暖かみのあるデザインだ。
吟味するように一点ずつ眺めた静琉は最終的にベルベットの道行外套とカシミヤのファー付きロングケープを選ぶ。
首を傾げて今ひとつ状況が掴めていなさそうな舞の姿と服を見比べて少し思案する。
「どちらもハイカラで似合いそうだな。ではこの二点で」
「はい。ありがとうございます」
会計を済ませる。一先ずコートは買えたから次は小物類か。
「後は手袋や帽子等の小物も、だな。お勧めの店はあるだろうか」
「それでしたら裏手にあります雑貨屋さんがお勧めですよ。幼馴染の店なのですけれど彼女とは昔から趣味が似ているのか取り扱う商品の雰囲気が似ておりますの。お客様もよくあわせていかれますわ」
「ありがとう。店も近いようだし寄ってみよう」
店主に勧められた店は彼女の言葉通り先程買ったコートとも合わせやすそうな全体的に清楚で可愛らしい雰囲気の小物をよく取り扱っているようだった。
「舞、どれか気に入るのはあったか? 手袋や帽子を変えればと思っているのだが……」
「そうですね……」
静琉に問われた舞は店の中をくるりと廻って、目に留めたのは桜をモチーフにしたシリーズが並べられている棚だった。
春陽を受けて柔らかく色付く淡桜のような色彩を基調にフリルや桜の形をしたビジューがあしらわれている。
「淡い桜……舞らしくて可愛いデザインだな。よし、その手袋などを一式買おうか」
手袋や帽子、ついでにストールやマフラーも購入して店を出る。
コートや小物類はかなり嵩張る。沢山の荷物を持ち歩く静琉の姿を見て舞がようやくハッと気付いた。
「ほわぁ!? もしかして私のモノですか?」
「ああ」
「買い物とはお金なるモノが必要で大変だと聞きました。良いのですか?」
「金の事は気にしなくていい。必要な物だからな」
舞は購入品のことを思い出す。コートは静琉が真剣そうに選んでくれていたし、小物類は純粋に可愛らしくて気に入った。
頬を撫でる風は冷たいけれど、静琉の気持ちが舞の心を暖めていくようでふわりと笑う。
「ありがとうございます。私の宝物、大切にします!」
●
カフェーの窓からは色めく秋がよく見えた。
窓枠で切り取られた異国情緒溢れるハイカラ街の街並みはまるで映画の中のよう。
√EDENで生まれ育った兎沢・深琴(星華夢想・h00008)にとってはタイムスリップしたような光景にも見えた。
異国情緒と|懐古趣味《レトロ》が折混ざった店内は活気ある街並みとは逆に落ち着いていてとても居心地がいい。
馨しく鼻を擽る珈琲の薫りに注意を向けていれば、窓の外――テラス席から犬の鳴き声が聞こえた。
興味を惹かれて其方を向けば、テラス席でお行儀の良い犬がはちきれんばかりに尻尾を振って飼い主からおやつを貰う時を待っている。
メニューの説明書きに視線を落とす。どうやらこの店はテラス席に限りペット同伴も可能らしく犬と猫用のおやつも注文できるらしい。
(そういえば、まだちゃんとお礼はできていなかったかもしれない)
暗闇に沈みそうになった心を救いあげてくれた星の輝きを思い出す。折角だから、土産を買うのもいいかもしれない。
「カフェラテとプリンアラモードをひとつずつ。それから、この猫用のクッキーって持ち帰りはできるのかしら」
「ええ。お持ち帰り用もご用意しておりますよ」
「よかった。では、それもお願い」
注文を取り終えて引き上げていく店員の背中を眺めて鞄から先程古書店で買ったばかりの本を取り出したタイミングで注文したものが運ばれてきた。
「美味しい……」
シックなアンティーク調の食器にのせられたプリンアラモードを早速口へと運んだ深琴は思わず呟いてしまった。
プリンが美味しかった。昔ながらの固め食感のプリンはシンプルだからこそ美味しく作るのは難しいからこそ感動する。
舌鼓を打ちながらあっという間に食べ終えて、机の上に置いたままの本を開いた。
薔薇と黒猫の表紙に惹かれて買った本。詳細は確認せずに買ってしまったから内容については全くわからない。
カフェラテをゆったり楽しみながらページを進める。
どうやら児童文学らしい。優しい筆致で綴られる物語は薔薇園に迷い込んだ白兎が薔薇園の主である黒猫と交流していくストーリー。
暫く読み耽りふと視線をあげれば壁掛け時計が示している時間にやや驚いてしまう。
(あら、いつの間にかかなりな時間が過ぎてたのね)
でも折角だからもう少しこのゆったりと流れる時間に身を任せ微睡んでいよう。
深琴はふたたび視線を落とし、本の頁を捲った。
●
頬撫でる色なき風は秋めく気配を連れてきて、冬が訪れる直前一瞬だけ魅せる落葉が赤や黄等様々な色彩に染まっていた。
街路樹の合間に見えるうつろう空の色は青く澄み切っていて夜の訪れまではまだ時間があるように感じる。
(――被害を出さずに、とは思うものだが焦っていてもしょうがないよね)
各務・鏡(自称写真機の付喪神・h09413)は何処となく逸る気持ちを落ち着けるようにゆっくりと深く呼吸して視線を地表へと下ろした。
活気溢れる晩秋のハイカラ街。静かで物寂しい季節へ向かうこの時期もハイカラ街はそのような気配とは無縁のようだ。
続く煉瓦畳の道。規則正しく立ち並ぶ瓦斯灯。大通りを征く路面電車。午后のひとときを楽しむ人々の声――此処は様々な光景で溢れている。
(何か面白いものがないかなぁ……)
これだけ様々なものが在ればきっと何かしらはあるのだろう。しかし、ただ悪戯に選択肢をばらまかれているだけのような気もして反って見当が付かない。
何となく先程観光案内所で貰ってきた|案内冊子《パンフレット》に目を通す。
服飾店に雑貨店、飲食店に工房や公園、神社やはたまた温泉施設など多種多様な施設が地図と共に表示されている。
上から順番に一通り目を通して、ふと工房の案内文で目が留まる。どうやら、勾玉などを作れるらしい。
(ふむ、勾玉かぁ)
じっと眺めて思案する。|鏡《あきら》はその名が表わす通り|鏡《かがみ》の付喪神である。
今でこそ写真機の一部となっているけれど、本来の自分は鏡なのだ。そして、そんな鏡の自分が武器にしているのは刀だ。
(――やっぱり、これは玉があった方がよくない?)
架空の物語でありそうな3つ集めたら特別な効果やら秘められた能力が発揮する――なんてことは無いような気はするけれど、何事にもお約束というものはある。
一応店にはまだ現役の鉱石ラジオもいるし、他にも小さな置物のジオード達もいくつかいるけれど、ひとつふたつ増えたところで問題ないし何より店主は自分なのだから文句を言わせたりもしない。
ちらりと下の段に描かれているとんぼ玉の紹介にも目が行く。季節限定で彼岸花や竜胆や紅葉、もしくは満月の柄などにも挑戦できるらしい。
だけれど鏡は心の中で静かに首を横に振った。一度決めたことだし、此処で天然石を選ばねば何処からかまたもや不満が飛び出してくるかもしれない。
斯くして鏡はひそかに決意をこめて工房の扉を開く。
出迎えた店員に一通り説明を受けてから早速天然石が並ぶショーケースへと視線を落とす。
様々な色彩の石が並ぶ中で鏡が惹かれたのは青や緑が入り混じる不思議なマーブル模様の石だった。
「お、これは面白い色合いだね」
「クォンタムクァトロシリカですね。クリソコラを中心にシャッタカイト、マラカイト、スモーキークォーツが混合した珍しい石なんですよ」
「くお……んたむ、くあとろ……シリカ?」
石の名前だけではなく続く説明も何やらよくわからなかった。まるで呪文か何かのようだ。
「クォンタム、クァトロ、シリカですね。覚えにくいですよね」
区切りながら言った店員の言葉でようやくなんとなく理解が出来たような気がする。
個性溢れる石達の中でお気に入りのひとつを見つけて席に戻るさながら鏡は壁に貼られた張り紙に気付いた。
どうやらそれは誕生石や石言葉を纏めた一覧表らしい。石選びに迷った人に向けた張り紙なのだろうが、その中で9月4日に記載されていた『不思議ちゃん』という単語に鏡は失笑してしまった。
正確な誕生日は覚えていないから自分で選んだ日付だけれど、もしかしたら何かの意味があるのかもしれない。
席に着いた鏡は説明書きに従って早速始める。
まずは印をつけてから、ヤスリでひたすら削っていく工程が待っている。
「――さ、頑張って削っていこうか」
目指す大きさはてのひらに収まる程度。根気がいる作業だろうが無心で続ければ案外すぐに出来上がるかもせいれない。
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秋めく風がハイカラ街に秋を連れてきた。頬撫でる風は冷たく、冬の足音も少しずつ聞こえてきそうな時分だけれど、この街には活気が満ちている。
(モダンな雰囲気がとても素敵)
舞い散る木の葉を掌に受け止めて御狐神・芙蓉(千歳洛陽花・h04559)は改めて周囲を見渡した。
西洋の雰囲気を漂わせる建物に立ち並ぶ瓦斯灯。煉瓦畳の道をカランコロンと下駄を鳴らして芙蓉が纏う着物にも秋の|唐紅花《からくれない》が咲いている。
「芙蓉さん、今日の装いはとても似合っていて可愛らしいな」
「ふふ、ありがとうございます。ファウ様」
ファウ・アリーヴェ(果ての揺籃・h09084)が素直に褒めれば、芙蓉はふわりと微笑みながら赤と白の蛇の目傘をくるりと回した。
今日の芙蓉の装いはベージュの地に秋に映える唐紅花をそのまま閉じ込めたかのような竜田川文様の着物を纏っている。
「ファウ様もいつもと少し違う雰囲気で素敵ですね」
「共に歩く芙蓉さんに恥をかかせるわけにはいかないのでな、少し気を遣った」
「まぁ、普段のファウ様も素敵ですけれど、心遣いは素直に嬉しいです」
少し言葉を選びながらファウが応えれば、芙蓉が穏やかに笑う。
ファウの装いは普段とそう変わらない無地だ。しかし、共に歩く芙蓉に馴染むように|涅色《くりいろ》の羽織と着物に|鉛色《なまりいろ》の袴をあわせた。
旅の荷物は赤銅色に白の献上柄が入った信玄袋に纏めれば、全体を纏める良いアクセントになる。
「改めて、ご一緒出来て光栄だ。今日は沢山、のんびり遊ぼう」
「ええ。今日は沢山遊びましょうね」
ファウの言葉に芙蓉は微笑みとともに頷きを返す。
ゆるりとした歩調でふたりはハイカラ街をそぞろ歩き様々な光景やお店を見てまわる。やがてある店の前で足を止めたのは芙蓉だった。
「あら? こちらはとんぼ玉を作れるのですね。ファウ様、よろしければお互いの印象を想わせるとんぼ玉を作りませんか?」
「それはいいな――よければ、完成した品を交換しないか?」
「ふふ、面白そうです。是非に」
知り合ったばかりの相手だ。お互いを思い描き形にすることでもっと相手への理解が深まるかもしれない。
互いの提案に頷き合って、とんぼ玉作成体験が出来る工房の扉を開く。
硝子を熱する為のバーナーから発せられる熱気が工房内に満たし暖房のような役割を果たしているようで、やや肌寒い外と比較し過ごしやすい。
入店するとすぐに気が付いた店員がふたりを出迎え、慣れた口調で説明を行い席に通した。
「ファウ様、少しよろしいでしょうか」
案内された席に荷物を置いて、早速色硝子棒を取りに立ち上がろうとしたファウを芙蓉は呼び止める。
振り返ったファウに芙蓉は良いことを考えましたと言わんばかりの若干の嬉しそうな笑みが込められている。
「通された席は隣同士ですけれど、完成するまではお互いのとんぼ玉を見ないようにいたしませんか? 折角ですから、楽しみは全て完成した時にとっておきたいのです」
「ああ、勿論――完成した時のお楽しみだな」
特に断る理由もないし、思いつかなかったもののその考えにはファウも同意だ。
隣同士に腰掛けているので視界の端にはちらついてしまう。
いつもと少し違う芙蓉の横顔にファウは記憶の中の彼女を呼び起こす。それは――否、あまり見つめてはいけない。見ているのが横顔だとしても、完成するまでは互いに内緒と契ったのだから約束を違えることになってしまうかもしれない。
一呼吸おいてファウは自らの手元に集中した。
斯くして、なるべく作業工程を互いに見ないようにして作業に没頭していれば出来上がったタイミングはふたりほぼ同時。
「俺はできたが……芙蓉さんはどうだ?」
「ふふ、私もちょうど」
芙蓉は掌に深い青色に白い小花が咲くとんぼ玉をのせてファウに見せた。
「まるで夜空のように美しい藍色だな」
「ええ。ファウ様の瞳を思い浮かべながら色硝子を選びました。中々良い色彩を選べたのではないかと思います。お花は素直で可愛らしい所が健気に愛らしく咲く白い小花みたいと思ったから選びました」
「ああ、とても綺麗だと思う――ところで、この花の種類は?」
「内緒です」
ファウの問いかけに芙蓉は誤魔化し笑う。
実のところを云えば白い小花はカスミソウ。花言葉は感謝を表わす。
いつも気遣ってくれる彼への想いを籠めた。けれど、花言葉というものは秘めるものだから彼が気が付くまでは内緒にしておこう。
「ところで、私の印象のトンボ玉はどのようなものでしょう?」
「ああ、俺なりに芙蓉さんらしさを籠めてみたつもりだ」
ファウが掌にのせて見せたのは紅赤と金木犀の色が揺蕩うように混ざる透明なとんぼ玉。二輪寄り添うように咲き描かれたのは|伽藍菜《カランコエ》の白い花。
芙蓉はわくわくとした視線でとんぼ玉をじっくりと眺めて少しだけ首を傾げる。
「とても綺麗なそれに、どんな私を思い浮かべたのですか?」
「白い伽藍菜の花は暖かい沢山の人々との思い出というイメージと、あまりに愛らしい、同じ言葉を二度繰り返す口癖を花を二個寄り添わせて表した。解釈に違いがないと良いのだが」
「ファウ様から見た私ですもの。解釈に違いなどありませんよ。自分を想って作られたことが、とてもとても嬉しいですから」
芙蓉の言葉に少し安堵したファウはゆらりと尻尾を揺らした。
相手の視点から見た自分を知れた嬉しさで揺らぐ尻尾。可愛いと言われたのは少々悔しいところもあるけれど、芙蓉に言われるのであれば悪くはない気がした。
互いにとんぼ玉を交換する。
もうすっかりと冷えたはずなのに、何処かあたたかい熱を持っているように感じるとんぼ玉。
ファウは優しく撫で、芙蓉は嬉しさに穏やかな微笑みを咲かせた。
●
色なき風が秋の気配とともに美味しそうな香りを運んでくる。
鼻腔を擽るのはあまりにも香ばしくて美味しそうで食欲をこちょこちょ擽る感じの超スパイシーな芳香だ。
――おっと。興奮のあまりに何か変な表現になってしまったかもしれません。とにかく、美味しそうな匂いが足を止めるのです。
「これは、カレーのにおいでしょうか……!」
ハイカラ街を漫ろ歩くガザミ・ロクモン(葬河の渡し・h02950)――否、訂正しよう。おいしそうな匂いに釣られるまま歩いているガザミはまたもや立ち止まる。
「食べ物の匂いに敏感だな」
「ええ、此処は美味しいもので溢れているようですので、ついつい足が止まってしまいます! これは新手の罠に違いありません」
「罠も何もただ此処で営業しているだけだと思うがな――だが、お陰で美味い店リストは右肩あがりだ」
ガザミとともに歩く――否、こちらも訂正しよう。
おいしそうな匂いに釣られるまま歩くガザミの後を着いてまわる神楽・更紗(深淵の獄・h04673)。
元々、食事は好きではなかったが、ガザミといると不思議と食欲が増す。きっと、彼という存在そのものが幸福というとっておきの|香辛料《スパイス》となっているのだろう。
(美味い店リストだけではなく体重も右肩あがりだが、以前よりも筋肉がついて体は軽いのだからいい事だ)
ガザミが足を止めると同時に足を止めて、反応したお店を更紗も眺める。
洋食屋紅葉亭と看板に描かれているお店のようだ。店先には小さなカウンターがあり、其方でテイクアウトができるらしい。テイクアウトの名物はカレーコロッケ。
揚げたてのコロッケを買ってはふはふと食べ歩きに勤しむ人々の顔は皆幸せでおいしそうな表情をしている。
ガザミもてっきりそのまま吸い込まれていくかと思ったのだが、意外に踵を返し立ち去ろうとした。
「ふむ、食べぬのか?」
「お腹はすいてますけど、山でお弁当を食べたいので我慢です」
「意外に頑固なところがあるよな」
立ち去るガザミの後を追いかけながら更紗の目に入ったのは串カツの屋台。
「あの屋台が美味そうだ」
「更紗さんが食べたがるって珍しいなぁ……でも、食べたいのならば喜んで、串カツ、串焼きにお付き合いして頂きます」
立ち止まった更紗は串カツを串焼きを二人分注文する。ふわりと良い匂いが漂いガザミの空腹感を刺激し、ぐぅと腹が鳴った。
鳴った腹を確認した更紗はくすっと笑いながらガザミの目の前で揚げたてさくさくの串カツをおいしそうに食べてみせる。
ごくり、と思わず喉が鳴る。更紗はたった今美味しそうに食べていた串カツと同じものをガザミの口元へと差し出した。だが、ガザミは口を開かない。
「今日は食いつきが悪いな」
先程のカレーコロッケを諦めた時の雰囲気とは少し違う。まるでそれは――。
「照れているのか? 新鮮だ」
差し出された串カツはガザミの食欲を刺激する。蟹の姿での餌付けには慣れたけれど、|人間《こ》の姿だと照れてしまう。
されど空腹と、それから更紗の好意と雰囲気にに抗うことなどできずパクリと齧りつく。瞬間、口の中にさくっとした軽やかな衣の触感と鶏肉のジューシーな味わいが口いっぱいに幸せとともに広がった。
「カレーソースとハーブ塩が、カツと鶏肉とベストマッチで激ウマー!」
いざ口に運んでしまえば思わずいつもと同じ様にキラキラとした光をガザミは瞳に浮かべる。自分が美味しそうに食べる姿をいつも通りの表情で眺めている更紗の顔を窺い見る。
(お腹すかせているのを放っておけなかったのかな。本当に優しいなぁ……)
そう、更紗は優しい。味を感じないのに、食事に付き合ってくれるし、手料理も残さず食べて褒めてくれる。
(嬉しくて、けど、無理してるんじゃないかって心配になります)
ガザミは無意識に更紗の姿を見つめていた。じっと見つめられるガザミの視線に更紗もまた気付く――其処まで見つめられると更紗も凄く恥ずかしい。
「ニヤニヤ見るな」
「あ、じっと見過ぎましたね。ご、ごめんなひゃい~。むぅ、ニヤニヤしてないですよ~」
更紗はガザミのほっぺたをむにむにと揉んで弄ぶ。照れ隠しゆえの行動だけれど手指に残る感触は至福そのものだ。
「顔をむにむにされまくったから、表情筋肉がゆるゆるですよぅ――もー。それに、更紗さんといると退屈しなくて楽しいです」
「退屈しないか。それは妾の――」
台詞だ――そう更紗が続けようとしたところで突然ガザミが離れた。まるで犬のようにくんくんと匂いを嗅ぐ。
周囲に漂う甘い花のような薫香――その出所を探せば、先にあったのは雑貨屋だ。
「くんくん、雑貨屋さんからいい香りがします!」
「ほう、確かに、いい香りだ。心地よい。行ってみるか」
「はい!」
近付いて店の中を覗く。
どうやらルームフレグランスやアロマキャンドル、石鹸などを取り扱うお店らしい。
特に充実しているのは、天然素材に拘った石けんだ。
花の形をした石鹸や水晶のようなクリアに花を閉じ込めた石鹸は見ているだけで楽しい。店先に並ぶ石鹸はそれぞれが形や中に閉じ込められている花に因んだ香りを纏っているらしい。
「わ、お花の石鹸がいっぱいだ」
ガザミは棚をわくわくとした視線で見渡すと、やがてひとつの石鹸に視線がとまる。
透明に金色の花を閉じ込めたような石鹸。良い香りの石鹸達の中でもとびきり甘い香りを放つ金色の花。
「この花と香り好きです。名前なんでしょうね?」
「金木犀だな。妾も好きだ」
ガザミの問いかけに更紗は素で答え――気付く。
(え……妾はなんて言った!?)
今主語をすっ飛ばして、違う意図に聞こえるような発言をしてしまったのではないだろうか。
まるでその場から逃げ出すように石鹸をふたつ掴み取ると会計を済ませにいく。
随分と冷えたはずの秋の風――なのに、何故か更紗の顔はやたらと熱かった。
●
思い出はいつも胸の中にあって、決して届かないものだ。
色なき風が連れてきた秋の唐紅花は咲き映えて神代・ちよ(Aster Garden・h05126)の双眸に眩く映る。
『――ええ。多くの色が世界を彩っています』
ふと脳裏に懐かしい声が過ぎる。純血を重んじる神代家に於いて人と交わり産み落とされた|忌み子《ちよ》。
事実を隠すように虫籠と称される座敷牢で育った半人半妖のちよにとっては僅かばかりの空間と世話係であった紫苑だけが世界の全てであった。
(紫苑が現れるかもしれない……と聞いて、つい来てしまったのです)
星詠みが語った紫苑の名。もし逢えたのなら――と逸る感情が心を強く揺さぶるけれど、今は未だ早い。
日が暮れ世界が一面の紅に染まる|時刻《とき》まで未だある。
今は、秋の景色と活気に満ちたこのハイカラ街の景色を楽しむことにしよう。
斯くしてちよは当て所なくハイカラ街を漫ろ歩く。だけれど美しい花簪の店も、馨しい練り香水の店も今は興味が持てない。
(どうしても、やはり気になってしまうのでしょうか)
どうにも心は逸るままらしい。そんな己に内心苦笑を浮かべて通りがかった古書店の店先でとある絵本を見つけた。
(これ……懐かしいですね。昔、あのひとが読んでくれた絵本です)
題名や表紙絵に見覚えがあった。子どもの頃、何度も彼に読んで貰った絵本だ。
数ある絵本の中でも特にこの絵本がお気に入りだった。何度も読んでとねだっては彼が語る御伽話の世界に耽った。
だけれど不思議なものであんなにも好きで何度も読み聞かせてもらった絵本だというのに内容までは思い出せない。
歳月がちよの記憶に刻まれた思い出という|洋墨《インク》を滲ませ暈かしていったのか――それとも、本当は内容なんてどうでもよくてただ彼の声を聴いていたかったのか。
(不思議ですね。まだあの『虫籠』を出てきて、そんなにたっていないはずなのにこんなにも遠く、昔のことに感じるのは)
今となっては解らない。答えも出せないだろう。
――もう、あのひとがいてくれたあの場所は喪われてしまったのだから。
ちよはふと、空を見上げる。秋めく風に紅葉がひらりはらりと舞っていた。
さりげないありふれた景色。されど、その一瞬ですら美しく鮮やかに色付いている。
『本当にそんなに外の世界は美しいのですか?』
『ええ。とても。あなたが求めるもの全てがあるでしょう』
幼い時分に交わした言葉が脳裏を過ぎる。
狭い虫籠の中で育ったちよにとって、外の世界を識る術は彼の言葉の他に無かった。
彼が美しいと語る世界も実際に見たわけではなくまことの意味で幼い自分は彼の言葉を理解ができなかった。
「今なら、あなたが語った世界の美しさ――鮮やかさをちよも知っているのです。あなたと同じ目線で、世界を見ることができるのです」
当然、世界にはまだまだちよの知らないことで溢れているだろうしそのどれもがきっと、とても、とても美しいだろう。
きっとそのすべてを彼だって知らないのではないだろうか。
ちよが見つけた世界の美しさを、ちよがまだ知らない世界の彩りを――ふたりともが知らない世界に溢れる物語を今ならば共に探してゆくことだって出来るのに。
「――それなのに、あなたは目を閉じてしまったのですね」
天高く澄み渡る青。こぼしたちよの言葉は誰にも届くことなく掻き消えていく。
それまでに、きっと――そう思考を巡らせてからちよはゆるりと首を振った。
(いいえ、いま悩むのはやめておきましょう。せっかく決めていた、こころがにぶってしまいそうですから……)
ちよにとっては、大きな決断だった。
世界を彷徨い舞って、心だって彷徨わせて、ようやく辿り着いた決意という旅路の果て。
その旅路の果てに辿り着いたのならば、もう引き返すことはできない――否、引き返してはならない。
今でも、あのひとは|大切な人《Anker》だからこそ、あのひとにこれ以上罪を犯させたくはない。
「ちよは前に進むのです――そう、するしかないのです」
絵本を握る手に、無意識に力が籠もってしまっていた。
ちよはこころの中で絵本に謝罪をしてから古書店の中に入り、その絵本を買い求めた。
僅かに西に傾きはじめた午后の秋陽がちよの白桜の髪を照らしている。
忘れえぬ想い出を綴り、終わらぬ旅路として続いた物語。
ちよは錦紅葉の山へとゆっくりと――されど、確実な足取りで向かう。
――彼と紡いだ御伽話に|終止符《ピリオド》を打つために。
第2章 冒険 『紅葉に染まる双子山』
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色なき風が紅葉山に秋の彩りを連れてきた。紅葉の名所と名高い紅葉山は一面が映えるような唐紅に染め上げられている。
今まさに見頃を迎えた錦紅葉達目当てに訪れた人々で賑わいを見せていた。
蜘蛛の人妖が現れるのは黄昏時。いくら名所と言えど日が落ちた後の山は危険が伴うからその頃には多くの人々が下山するだろう。
日が西に傾き世界が赤色に染まる夕暮れまでは未だ時間がある。今は素直に冬が訪れる前の世界が魅せるひとときの彩りを愛でよう。